一七話 一生一緒♡エンゲージフィンガー♡
崩壊した教会の傍で、驚きと期待と不安に苛まれる。何度も太陽光に透かして己の左手を確かめてみるが、完全に癒着が完了していてビクリともしない。吸盤を剥がすように左手の薬指を引っ張ってみるが、肉体というのは着脱不能なので当然外れなかった。
ヨアンヌのナイフは俺の薬指の第三関節を通り抜けたはずだ。今ヨアンヌの薬指はそこから生えている。関節から固着して神経や血管まで繋がっているというのか?
縫合痕のような皮膚の変色も見られない。肌の色の差異だけが目立つ形だ。肉体同士の拒絶反応もない。血液同士の拒絶反応による身体異常も今のところはない。まさか、俺とヨアンヌは遺伝子レベルで相性が良いってやつなのか?
俺は息を荒らげるヨアンヌの薬指に視線をやった。治癒の魔法を掛ける前だったので、断面から一定のリズムで真っ赤な血液が押し出されている。
「ヨアンヌ様、私の指をあなたの手に接着することは可能ですか?」
「え?」
「お気に召さなければ結構ですが」
「あっいや、アタシもくっつけてみる!」
ヨアンヌはポケットにしまった俺の薬指を取り出すと、血まみれの断面にぐりぐりと押し付けて治癒魔法をかけ始めた。見ているだけで痛々しかったので、思わず目を逸らしそうになったが――俺の時と同じように、挽肉を捏ねるような音を立てて断面同士が一致していくではないか。
原作テキストの外。俺は、俺ですら知らない領域に至ろうとしているのかもしれない。瞠目しながら合体の過程を見届けた俺は、落ち着きのないヨアンヌに一歩歩み寄った。
「んっ……ふぁぁ……こんな気持ち、初めてだ……スティーラの気持ちがちょっと分かるような気がする……」
腰を抜かしてその場にへたり込むヨアンヌ。法悦とした笑みを浮かべる彼女は、完全に己の身体と一体化した左手に頬擦りした。頼むからカニバリズム路線は勘弁な。
「アタシな、フアンキロ達に言われてオマエの精神ケアを担当することになってたんだ」
「そうなのですか?」
「はは……アタシは気付かなかったけど、オマエ、やっぱり精神状態おかしいよ」
お前に言われたくはない。そもそも俺のメンタルケア担当がヨアンヌってのが間違ってる。どう考えても逆効果だ。どちらの頭がおかしいのか今一度詰問してやりたいところである。
……いや待てよ。ヨアンヌはわざわざ俺に会うためにここまで来てくれたわけか。それで、イッちゃったまま(と勘違いしている)の俺と薬指を交換したものだから、ヨアンヌの中では俺の狂人判定が確固たるものになったわけだ。
つまり、俺の精神はまだ正気に戻っていないと幹部会で報告されるわけだから、俺はしばらくこの人体交換の実験を続けられるということではないか。
(もしかして来てるのか? 何かこう、大きな流れが……)
俺はヨアンヌの左手を取って、己の左手と見比べてみる。
「ひゃっ、な、なにを……っ」
手のひらを見たり、手の甲を見たり。摘んでみたり、表面をなぞってみたり。様々な視点から薬指を観察する。やはり彼女の身体と俺の薬指は元々ひとつの組織だったかのように絡みついていた。
(これは……どういう判定なんだ? 移植したヨアンヌの薬指は本当の意味で俺の体になっているのか? それとも他人の身体という判定?)
「やっ、くすぐったいよオクリー……んっ……」
やや哲学的というか、あまりにも不確かな推察になってしまうが……これはテセウスの船に例えられる問題に相当するであろう。
テセウスの船のパラドックスとは、全ての部品が置き換えられた時、その船が同じと言えるのかという疑問のことである。身近な例を挙げるなら、デビュー時とバンドメンバーが全員入れ替わっているバンド『A』は、本当に元のバンド『A』と言えるのか? そう言えないのなら、何人変わった時点でバンド『A』ではなくなるのか? というような感じ。
今の問題に当てはめると、この世界の絶対的法則がどこからどこまでをヨアンヌと判定しているかが重要なのである。
何故なら、判定のされ方によっては、彼女の特異能力である『怪力』や『自分の肉体の探知能力』に加えて『治癒魔法』が扱えるかもしれないからだ。世界の法則に俺がヨアンヌであると判定されたなら、それらの力を使い放題になるはず。
そんな思考から、脳内にスピリチュアル的な何かを念じて魔法や怪力を扱おうとするが、切断されて持っていかれた薬指の行方が掴めないのを感じて、そもそも彼女の異能が備わっていないことを察する。魔法や怪力も身についてはいないのだろう。俺は冷静に判断して思考を進めていく。
彼女の薬指は、ただの一部分に過ぎないということか。
「な、なぁ……いつまで触るつもりだ……? アタシの身体、本当に熱くて……何か……お腹の下が疼いて堪らないんだが……」
では、ヨアンヌの本体はどこにある?
脊椎?
子宮?
心臓?
脳の中枢?
頭部全体?
それとも特定の部位の組み合わせ?
……いや。そのどれも移植することが難しい上、その組織を移植すればヨアンヌになれるという確信を得ることができない。薬指の移植では何も起きなかったが、流石に内臓などの器官を交換するのはリスキーすぎるような気がする。
(……単純に、肉体重量の五十一パーセント以上を移植した時、『ヨアンヌ』の判定が俺に移るとか? そうなると例によって四肢切断からの交換ルートに突入するしかないぞ……)
肉体の部位ごとの重さは、頭が八パーセント、両腕が十六パーセント、両脚が三十パーセント、胴体が四十六パーセント。大体こんな感じだったはずだ。つまり頭部をそっくりそのまま交換するか、四肢と胴体の一部を交換すると良い具合になる。
(いや待て。セレスティアと戦った時、ヨアンヌは頭部を喪失した状態でも意志を失っていなかった。身体の全てを吹き飛ばされた時も、俺が持っていた耳朶から復活してきた。条件は肉体組織じゃない。目に見える部分だけで判断するのは早計だ)
……となると、世界の判定基準は基本的に『自我』や『魂』に依存しているのか?
ヨアンヌの自我が宿っている肉体のみ、自動的に『ヨアンヌ』という判定をされる。魔法的な言い方をするなら、魂に紐付けられて力を与えられている……という解釈で合っているのか?
「ヨアンヌ様、質問したいことがあります」
「んにゃっ、な、なに……」
「以前セレスティアと戦いましたよね」
「え? ……あぁ」
セレスティアという名前を聞いて、目が正気に戻ってくるヨアンヌ。舌打ちでもしそうな冷めた雰囲気に気圧されながらも俺は話を進めた。
「あの時ヨアンヌ様はマーカーを残して吹き飛ばされました。……どのように復活されたのですか?」
「どのようにって、普通にだけど」
「人は頭部が無ければ思考することができません。というか普通は頭吹っ飛ばされたら即死です。それなのにヨアンヌ様は治癒魔法を使用して復活されました。肉体の残滓がマーカーのみになった時、どのような過程で復活なさるのですか?」
前々から不思議ではあった。何故幹部共は頭が無くても戦えるのか、と。原作はそこら辺の設定を深くは掘り下げず、ファン達は「まぁバケモン同士の極限ガンギマリバトルだから……」「人間だし復活は普通」「再生系のキャラだしそういうもんでしょ」という受け取り方をしていた。
しかし実際のところはどうなのだろう。頭部が吹き飛ばされた瞬間、自我や魂の類は残されている中で最も大きな自分の肉塊に宿るのだろうか。
そんな疑問に、ヨアンヌは鼻で笑った。
「そりゃオマエ、覚悟だよ」
「覚悟……ですか?」
「あぁ。教祖様のために頑張るって心から熱狂すれば、身体は勝手に動く。耳朶だけになったあの時も、煮え滾る闘志があったからこそ復活できたんだよ」
……当然と言うべきか、世界の法則に踏み込むような答えは得られなかった。
「私自身がヨアンヌ様に成ることは可能でしょうか?」
「う〜ん……それは分からない」
「……そうですか」
俺がヨアンヌの異能や魔法を得られないことからも、第二のヨアンヌや劣化ヨアンヌ的な存在を作れないのは確定らしい。具体的な回答は得られなかったが、幹部にとって非常に都合の良い世界であることは間違いなかった。
そもそもそんな強化兵をバンバン作れるんだったら、人体実験大好きウーマンのスティーラが思いついてそうなものだし。
「仮に私の薬指から復活することになったら、私の身体はどうなります?」
「多分オマエの身体がある部分を押し退けて、アタシの身体がニョキニョキ生えてくるだろうな。あ、でも安心しろよ? アタシは治癒魔法が上手いんだ。そんなヘマはしないさ」
なるほど、俺の身体が押し退けられてしまうのか……。肉体移植によるヨアンヌ化は無理で、俺とヨアンヌが同化することも不可能、と。
幹部に選ばれると同時に、対象者の魂に対して何かしらの縛りが課される感じなのか? つまり、肉体にどれだけ細工をしようと力は得られない……。
ちょっと期待してただけに、肩透かしを食らった気分だ。俺は彼女に見えないように、背後の壁に左手を叩きつけた。そりゃそうだよな。そんな上手くいくなら、今頃ヨアンヌやポークの分身が暴れまくってる頃だぜ。
「そんなことよりさ。聞きたいことがあるんだ」
「何でしょう」
「お、オマエは……その……慰める時、どうするんだ?」
「はい?」
唐突な質問。
慰める? えらい分かりにくい……あ、自慰行為のことか。ヨアンヌも知ってはいるんだな。
「すみません、何を仰っているのか……」
「な、なら、利き手はどっちだ?」
「右手ですが」
「だったら……これからは左手でしろ。アタシも左手の薬指を使うようにするから……な?」
「な?」じゃないが?
そういえばこの世界で自慰行為なんてしたことないな。まずする暇が無いし、する場所というかプライベートゾーンもないし。ヨアンヌは本部拠点の古城に個室があるから、まぁそういうことも出来るんだろう。一応歳頃の女の子ではあるし、性に興味があるのも仕方ない。問題は倒錯的な性癖を俺に押し付けようとすることだ。同じ趣味同士で楽しんでくれ。
「左手は恐らく無理ですよ。気持ち良くないので」
「ならアタシが……」
「お戯れを……」
「――もうっ、焦れったいなぁ! オマエは興味がないのか!? あるんだろ!? 好きな人の身体に! そっそろそろ恋人とエッチなことをしたいとか思わないのか!?」
そりゃ、前世は童貞だったし、今も童貞だし、男の本能的にも興味が無いわけじゃない。だがお前はダメだ。
「今はその時ではありません。お断りします」
「……分かった。なら交換してみよう。お互いの性器を」
「はい?」
分かった、という言葉から繰り出される展開では無いと思うんだが。どういうことだ? 交換? 意味がわからない。
「その上でセッ……するんだ。どうだ、気持ち良さそうだろ?」
「冗談ですよね?」
「…………」
流石にドン引きを隠し切れずに聞いた結果、彼女は頬を真っ赤にしながら顔を背けてきた。
やばい。この女、遂に性癖が行くところまで行き始めたぞ。というか、今は恥ずかしがるより己の精神状態を疑えよ。
「あ、良いこと思いついた」
また何かヤバい閃きをしたのか。半ば呆れながら真顔を取り繕う。
「また性的な御提案ですか?」
「ちっ違う! これはしっかりした思いつきだ!」
(どうだかな……)
次なる爆弾発言に備える俺。
しかし、彼女の口から出てきたのは凄まじい弩級の核爆弾であった。
「この際、オクリーの指に幹部全員の指を移植すればいいんだよ。オクリー・マーキュリー移動要塞化計画ってところかな? どうだ、何だか凄いことが起きそうじゃないか?」
――――何を言っているんだ、こいつは。
明らかにおかしい計画を聞いて、いやそれ幹部の身体同士やればよくね? というツッコミすら出てこなかった。




