一四話 狂人の抜け道
メタシム地方が陥落し、操られた死体が崩壊した街を管理するようになって数日。教祖アーロスと多くの教徒達がメタシムの改造を行っている間、俺は拠点に連れ戻されて拘束されていた。
帰還に費やした期間を抜けば、丸一日間尋問室に閉じ込められたことになる。その間はヨアンヌが甲斐甲斐しくご飯を食べさせてくれたり、話し相手になってくれたわけだが――
(遂に始まる。俺の命運を分けるフアンキロの尋問が……)
ヨアンヌと入れ替わりで入ってきたのは、褐色白髪の美女フアンキロと男装の麗人ポーク。見てくれだけは良い女達に囲まれた俺は、この数日間考え続けたプランを脳内で反芻し続けていた。二つの足音が俺の間近で止まると、ポークの白く細い手に無理矢理顔を上げさせられる。二人共険しい表情をしており、何故かその目には失望の色が見えた。
「やあやあオクリー。数日ぶりだね」
「……お久しぶりです」
半信半疑で俺と接してくれたヨアンヌと違って、フアンキロとポーク――特に後者――は俺のことをどう処刑しようか早くも考え始めているように見える。嗜虐的な笑みを浮かべたポークは、指の腹で喉仏を撫でるようにして俺を弄ぶ。
(俺はこの状況を切り抜けなくちゃいけない。さもなくば本当の死がやってくる。もしくは、死ぬよりも辛い経験をさせられることになる。ここは現実だ。失敗の尻拭いをするのは俺だ。主人公なんていない。この世界で『自分だけは大丈夫』なんて甘えは通用しないんだ……)
俺は生唾を呑み込み、決意したように眼球に力を込めた。ポークが俺の顎を撫でながら語り出す。
「オクリー・マーキュリー。メタシムの街で君の裏切り行為を体験した時は本当に残念だったよ。熱心な教徒だと聞いていたのに、君は同胞を攻撃する裏切り行為を働いた。しかも自傷行為に走ったかと思えば発狂……ははっ、一体何をしたかったんだい?」
侮蔑を込めた嘲笑。本当に、俺は何をしたかったんだろうな。
一度状況を整理しよう。
メタシムの戦いにて、俺はポークの操り人形であるスティーブを攻撃した。スティーブを殺すこともできず、邪教徒になりきることもできず、ポークの発言の真意を探ることもせず、自ら詰みの中に入っていった。スティーブを介して全てを目撃されていた俺は、己の置かれた状況の深刻さに絶望し、発狂。なんとか正気を取り戻した頃には、メタシム地方への侵攻が全て完了していた。
思い返せば思い返すほどあの時の行動は一貫性に欠ける上に整合性が取れておらず、『狂人の異常行動』と片付けられてもおかしくはない。低次元のやらかしを重ねているし、本当に最低最悪だ。前々からスティーブの正体に気付くことは難しかったとしても、ポークの監視発言を鑑みて己の身を守ることにリソースを割けていればこんな状況には陥らなかった。
ポークは俺の顎を放り投げるようにして突き放す。ポークから全てを聞いているであろうフアンキロは、これから始まる尋問に向けて改めて己の能力の説明を始めた。
――『相手の顔・氏名・年齢』を知っている時、半径二メートル以内で自身に対する虚偽の発言をした者を呪死させる『呪い』。鎖に繋がれた瞬間、対象者は質問に答えるまで鎖を解くことはできない。
「オクリー君、ワタシだってこんなことはしたくないのよ? 君の熱心さはみんなよく分かってるもの。毎朝『教祖様最高』と叫べる人間はこの拠点を探してもそう居ないわ」
俺の定期的なストレス発散、バッチリ聞かれてたのか。どんだけ声デカかったんだ。追い打ちで最悪な気分だ……。
「だから、きっとワタシ達の勘違いなのよね? オクリー君は真の教徒だって信じてるから」
感情の抜け落ちた表情で語るフアンキロ。絶対にそんなこと思ってないだろうな、とぼんやり思う。彼女は俺を殺したがっている。
そのフアンキロが俺に向かって手を突き出す。四方の闇から鎖が伸び、俺の首をきつく締め始めた。
「――質問に答えなさい、オクリー・マーキュリー。君は何故あの時味方を攻撃したの? 虚偽の発言をしたら殺す。十秒以内に答えなくても殺す」
この場において最凶の能力が牙を剥く。無慈悲に時計の針が進み、残り七秒。俺は事前に用意していた答えを絞り出した。
「――目的がありました。子供を探したかったのです」
「…………」
フアンキロとポークは目を合わせて首を傾げた。裏切りを自白するかと思っていたのだろう、拍子抜けした様子だ。
あぁ、そうだ、俺は子供を助けたかった。主人公になるはずだった普通の少年。邪教を滅ぼすに足る覚悟と精神力の持ち主。幼馴染ちゃんの死体があったのを見るに、彼もメタシムの戦いに巻き込まれたことは確実だ。
彼を助けて、俺も助かりたかった。楽になりたかった。全ての悪を滅ぼす役目を押し付けたかった。だからスティーブを攻撃した。
「あの時行動に移した理由はそれだけじゃないはずよ。教団への裏切り行為なのでしょう? その子供に拘った理由を洗いざらい全て教えなさい」
フアンキロが俺の言葉を掘り下げる。
その質問を待っていた。俺は小さく息を吸い込んで、勢いのままに喋り出した。
「……私が探していたのは『アルフィー』という子供です。実は私、あの街で『アルフィー』として過ごしてきた記憶がありまして……ある意味もう一人の私がそこにいたと言っていいでしょう。とにかく、彼に会いたかったのです」
「……はぁ?」
「お聞きくださいフアンキロ様。私が彼に会っていれば、結果的に正教の弱体化に繋がったかもしれないのです。確かにスティーブを攻撃したのは裏切り行為に間違いありません。しかし俯瞰して見た時、私の行為は英断として讃えられるはずだったのです」
「この子は何を言っているんだ?」
「でも、寸前で思い留まりました。スティーブは私の友人です。殺すのを躊躇い葛藤しました。そこで何とか正気に戻ったというわけです」
傍から見れば、突然意味不明な妄言を喋り出したように見えるだろう。しかし、それこそが狙い。世迷言を繰り返す俺に呆れたような反応のポークに対して、フアンキロの凍りついたような反応が答えだった。
「頭でもおかしくなったのかい? そもそもね、子供の頃の記憶は教団の教育の過程で――……フアンキロ? どうかした?」
「……ま、待ちなさい。どういうこと? 何故鎖が反応しないの……!?」
全ての言葉が真実故に、フアンキロは白髪を掻いて混乱し始める。ポークはその様子を見て置いてきぼりにされていた。
そうだろう。フアンキロは混乱するはずだ。俺の発言に虚偽が含まれていないのだから。
原作主人公の名前はアルフィー。
彼に会ってみたかった、なら特におかしな所のない言葉だ。
しかし、余計な情報を付与された上で、その全てが真実だと理解できてしまったら?
きっとフアンキロは激しく困惑するだろう。だから先読みして余計な言葉を付け加えてやることにしたのだ。
『私には彼の記憶がある』。『彼はもう一人の自分のようなものである』。『私が彼に会っていれば、結果的に正教の弱体化に繋がったかもしれない』。『私の行為は英断として讃えられる』。『スティーブは友人で殺すのを躊躇った』。『正気に戻ってきた』。これらの余計な情報は、俺が真実だと思っていることだ。
例えば、三つ目の発言。悲惨な目にあったからこそ英雄になれた主人公が邪教徒の俺に救われてみろ。邪教徒絶対殺すマンの主人公の覚悟は揺らぎ、英雄として孵らなくなってしまうかもしれない。そうして主人公が覚醒しなかった時、俺の行為は教団に莫大な利益を齎すだろう。つまり真実。俺は何一つ嘘なんてついていない。
そして、そんな俺を見てフアンキロはどう思うだろうか?
訳の分からぬ設定を撒き散らす狂人にしか見えないはずだ。
一言一句を判定する彼女の能力が仇となる。一見意味不明な情報が真であると証明されてしまえば、彼女の能力の特性上無視できない推察が浮かび上がってくる。聡明なフアンキロは、赤の他人として過ごしてきた記憶があるなどと意味不明な真実を口走る俺に対してこんなレッテルを貼り付けるだろう。
――オクリー・マーキュリーは異常者である。
それ故に、虚実を見抜く能力が上手く作用しないのだ――と。
フアンキロの能力には、準備に時間がかかる以外に明確な弱点が存在する。そして聡い彼女はそれを自覚しているはずだ。
彼女の能力の弱点とは、異常者に対して能力が使えないこと。
対象者が真実だと思い込んでいることを『嘘』だと断定できない。客観的な事実ではなく主観的な受け答えに依存した能力故に存在する弱点――
その勘違いと、俺の前世。
この二つの要素が俺を救う鍵だった。
その要素を捏ねくり回して、上手く狂人のフリをする。フアンキロの魔法を利用して、俺の行動の真意を煙に巻く。それが唯一の勝ち目だったのだ。
俺しか持っていない知識がある。誰も知らない数々の未来を見てきた記憶がある。どれだけ身体能力や異能魔法に優れていようと、彼女達は世界の裏側を知らない。この点だけは明確に彼女達と異なっていた。
俺にはあの街で起こった出来事の全てを追体験している。何周したと思ってる? メタシムの街の記憶があって当然だ。ある意味で、あの街にもう一人の自分がいたという発言も本当なのだ。
また、スティーブを友達だと思っていたのも事実。俺が気絶という結果を求めたのはその感情によるものだし、彼のおかげで正気に戻ってきたというのも事実と一致する。
「フアンキロ、彼は煙に巻こうとしているんだよ。惑わされるな」
「違う。惑わされてない。全部の発言が彼の中では真実なのよ……」
ポークはフアンキロの発言を聞いて、さっと顔色を変えた。
「気付いたかしら。ワタシの能力の弱点は条件を満たすまでの手間と――もうひとつ。狂人に能力が適応できないことよ。対象者が真実だと思い込んでいることに対して鎖は反応しないの……」
「じゃ、じゃあ――」
気まずそうに顔を歪めるフアンキロ。彼女は俺を睨めつける。すぐに視線を逸らされたかと思うと、彼女は鎖を闇の中に引っ込ませた。
「彼は元々狂っていた。だから客観的事実以外は何も分からない。ワタシの手に負える人間じゃないみたいね」
疑惑には辿りつけても、俺を裁くことはできない。フアンキロの能力はそこで終わりだ。
彼女達の解釈は定まった。彼女達の思う俺の真意はこうだ。
スティーブ攻撃の理由は、とある子供に会いたかったから。
とある子供に会う理由は、教団の未来のため。
しかし、寸前で仲間殺しを躊躇って発狂してしまった。
偶然と必然に助けられて、俺は幹部二人を騙すことに成功した。
真実は闇の中に消え、スティーブを攻撃した狂人がいるという客観的事実のみが残留する。
「彼のこれまでの発言は全て信用できなくなった。ワタシの鎖も使い物にならない」
「ふ、ふざけるな……彼が狂人だからってボクが納得できるとでも!?」
「ポーク。この教団には頭のおかしな奴が沢山いる。注目していた教徒が偶然物狂いだっただけの話なのよ」
フアンキロ側としても、これ以上は質問のしようがないはずだ。彼女達は俺の怪しい行動を目撃したが、前世における『原作』の筋書きや知識を持っているわけではない。つまり俺の中にある『第二の真実』なんて知らないし、傍から見ればどこからどう見ても物狂いにしか思えないわけだ。
スティーブへの攻撃の意図を『裏切り行為』から『狂人の善行』へとすり替える。それはそれで処遇が厳しくなることは間違いないのだが、狂った教徒の行先は再教育か他支部への異動の二択。つまり生き残ることは出来るのだ。
「……くそ。で、彼はどうするんだ? アーロス様が注目なさっている教徒ではあるが……作戦中に自動型を攻撃するというのは問題だろう」
「そこに関しては対処が必要ね。でも彼は正教幹部との戦いから二回生還してるのよ。殺すには惜しい人材じゃない?」
「……ボクの死体がフル稼働してるとはいえ、人手不足だからね。こんな人間でも使い道はあるか……」
そんな話をしながら二人は部屋を退出していく。俺は彼女達の気配が完全に消えるのを待ってから、深い深い溜め息を吐いた。
皮肉にも、過去の俺の一貫性と整合性のなさに助けられた形になる。加えて、俺が縋りついていた『原作』とやらにも。ついでに、劣悪な環境でおかしくなった教徒達を隠れ蓑にできた。
……本当に、皮肉な話だ。俺は俺が大嫌いな要素に助けられた。狂人のフリなんて絶対にするもんか、この世界で俺だけは正常でいてやるって前まで思ってたんだけどな。
(正常だろうが狂っていようがどうでもいい。生き残ってやる)
振り回されるだけではダメだ。振り回す側になるくらいの覚悟がないと。
これからの未来の絶望と、ほんの少しの希望に包まれて、俺はゆっくりと瞼を落とした。




