一二三話 ちょっと行ってんじゃねえよ!
『幻夜聖祭』から三日後。
朝暉に染まる空を背景に、蹄鉄が地を掻く軽快な音が響き渡る。聖都サスフェクトから出陣した大隊が黒髪の青年を先頭に長い列を引いていた。
サレン、ポーメットら重鎮を携えた先頭の者は、アーロスの『認識阻害』を受け付けないオクリー・マーキュリーである。
人々の認識外に堕ちたメタシムと違い、ダスケルには認識阻害の魔法がかけられていない。一時、邪教幹部が占拠し正教徒達を追い出すに至ったが、街の機能を完全に破壊してしまった故に、邪教拠点にはならなかった。
修復は可能であったが、拠点を増やし過ぎると管理ができなくなるとアーロスが判断したのである。アーロスは少数の兵士とゾンビを残してダスケルを半ば放棄し、ならず者や犯罪者の塒とした。
オクリーの予想によると、後々本格的にメスを入れ『認識阻害』を掛けるだろうとのこと。その前にダスケルを奪還し、勢いのままにメタシムを潰そうという算段である。
オクリーの斜め後ろにはフードを深く被ったヨアンヌが続く。正教徒に囲まれるようになってから、オクリーの近くにいないと不安で仕方ないようだ。ヨアンヌ特有の強烈な自己主張の回数も減少し、輪を乱さないよう彼女なりに努力している印象である。
最近は寧ろ、後ろの方でずっと騒いでいるマリエッタの方が和を乱しがちかもしれない。
「いつからダスケルに行ってないんだ」
「メタシム、ダスケルと連続で都市が陥落してから、一度も足を踏み入れていない。防衛に力を入れるためにな」
オクリーの問に答えたサレンは、マリエッタの近くでげんなりしているノウンに視線をやった。
スティーラ・ベルモンドの大暴れによって、ダスケルの街は外壁ごと破壊された。しかし、壁に取り付きさえすれば、ノウンが壁に根を張らせて修復可能であろう。聖都を半日足らずで修復する力があれば不可能などない。
曙光が段々と青さを増してくると、遥かに続く自然の原風景が色めき立つ。サレンが火の玉を浮かべることで確保していた光源は不要となり、一気に行軍のスピードが上がる。
草原から森に差し掛かり、山渓を幾つか越えた先に、ダスケルの街の半壊した外壁が見えた。
「あれがダスケル……」
一年前、オクリーが侵入を企てた方向とは逆に位置する山道から街を見下ろす。遠くからざっと見た感想としては、早くも自然の回復力に飲み込まれて荒廃化が進んでいるなという印象である。
穴が穿たれ、亀甲ひび割れが発生し、或いは融解してしまった、今にも崩れ落ちそうな外壁が街をぐるりと一周しており、石畳の隙間から雑草や低木などが生え放題。建築物もほとんどが崩落するか壁のみを残して屹立しているばかりで、人の管理を離れた街が廃墟と化しているのがありありと理解できた。
山道から丘へ渡り、ゆったりと下っていく道を進む。姿を消して隠密行動ができるクレスとセレスティアが先んじて街の中を見ていたため、オクリー達は止まることなくダスケルの外門へ辿り着けた。
朝日が地平線から顔を出して二時間ほど。その頃には、廃墟と化したダスケルを前にして誰もが言葉を失っていた。
オクリーは己の犯した過ちとその結果をまざまざと見せつけられ、思わず目を伏せた。あの頃は自己保身と理想の狭間に立たされて頭がおかしくなっていた。頼まれてもいないのに二重スパイじみた凶行をやった挙句、メンタル的に追い詰められる原因の一端を作った阿呆だ。
上空で浮遊するセレスティアと目が合う。凄まじく気まずい。お互いに触れづらい。あの時は、本当に上手くいかなかった。笑えない。
そんなオクリーの心境を察してか、ヨアンヌが無言で裾を引いてくれた。少女は一言も言葉を発しない。ヨアンヌだって、転送後に破壊行為を働いたのだから心苦しいに決まっている。ただ、彼女が気遣ってくれたらしいのは嬉しかった。
(内臓交換をした直後に全てを伝えていたら、ダスケルを取り戻すのはもっと早かったはずだ……。そうでなくとも、ヨアンヌを信頼して俺の方から心を開けていたら……)
ダスケルの外門が口を開いている。閉じられていたはずの巨大な門扉は見事に破壊され、真ん中に穴を空けられていた。
草原を浚っていく風が門扉の空隙に吹き込んで、ひゅうという音を立てる。空虚で寒々しい、ともすれば仄暗ささえ感じてしまう。門扉の向こうに望む廃墟の街からは、それ以外の音が一切しなかった。
「……サレン、ポーメット、入るぞ」
「うむ」「あぁ」
下馬し、馬の頬を撫でる。手綱を引いて、ゆっくりと門扉へ近づいていく。
分厚い外壁の下へ差し掛かる。陽光が遮られて、外壁の穴から再び差し込んでくる。一歩を踏み締める度、自己嫌悪の棘が心に突き刺さる。
ヨアンヌも震えている。オクリーの後悔の念が流れ込んでくると同時、彼と同様に邪教徒の悪業を自覚させられているのだ。
サレンはそんな二人を見て、ほんの少しの嫌悪感を抱く。彼らが心を入れ換えたからこそ赦せないこともある。悪人は悪人のまま裁きたいという願望が心のどこかにあった。無論、そんな単純にいかないのが現実であって、サレンが突き通す『正義』にはどこか妥協や矛盾すら孕んでいる。
「アーロスが己の思う正義を真っ直ぐに全うできているのだとしたら、大したものだ……」
誰にも聞こえないように呟く。彼女の理想は現実に研磨されて角を落とされ、結局のところ『現実』の域に収まる領域でしか実現できなくなった。
アーロスはそうではない。敵を殺し、文化を破壊し、人の営みを消し去り、理想が体現するまで真っ直ぐに突き進む。『天の心鏡』などという劇薬に頼って現実改変する気満々なのだ。それも、大の大人が。本当に、尊敬する。皮肉混じりにサレンは溜め息を吐き、ゆっくり歩くオクリーを追い抜いた。
「英雄がその有様でどうする。仮面を被れ」
「…………」
「私は先に行くぞ」
朝露で濡れた石畳のにおいがサレンの鼻を突く。人の住んでいる気配がまるでない。山に入った時の臭さや青葉アルコールを感じるのは人の手が入っていない証拠だ。
すんすんと鼻を鳴らしたサレンは、大股で街の中心部へ歩いていく。それにポーメットが続いた。
「案外、綺麗なものだ」
「そうですか? スティーラに綺麗に整地された聖都を見たから麻痺しているのではないですか?」
「違いない」
腰の聖剣や鎧をがちゃがちゃと鳴らしながら、ポーメットが街のあちこちに刻まれた戦いの痕跡を指さして歩く。目に付いた死体に火の玉や聖水を振り撒きつつ、二人は若干の観光気分で大通りを先行する。
「見よ。あの建物の傷跡はスティーラがバカやった証だ」
「おお。一直線の蚯蚓脹れのような傷跡、間違いありませんね」
「あの穴はアーロスが黒い翼で攻撃してきた跡だ。そして、綺麗な切断面になっている建物はポーメットがうっかり斬ったものだな」
「……それを言うなら、あの火事跡はサレン様のものなのでは?」
「……力を抑えていたつもりだったのだがな」
戦闘狂に特有の感覚なのだろう。街に刻まれた傷跡を懐かしく数えながら、死体や邪教徒を処理していく。傍から見ると勘違いされがちだが、前向きな感情で廃墟の街を見ているわけではないのだ。
その証拠に、後ろを着いていく兵士達も同じように談笑しながら街へ散開していく。やれ、「あの瓦礫でポークの棘を回避しようとしたらあっさり貫通して死ぬところだった」だの、「あれヨアンヌがぶん投げて逆さまに突き刺さってた塔じゃん」だの、ガイドつき観光の様相である。当初の予定通り街の邪教徒や死体を始末できているので、『ダスケル浄化作戦』と銘打たれた作戦は成功しつつあるわけだが。
「あの時は敵幹部が勢揃いしていたし、最悪だったな」
「ええ。……おや、マリエッタがまた癇癪を起こしていますよ」
「やれやれ、あの子は立場が変わっても中身は伴わないな」
「そうですね……。尤も、メタシムへ突入する頃には彼女も理解し始めると思いますが」
「私は……そう願っている」
「サレン様、語調が弱いですよ……」
しょぼしょぼした様子のオクリー・ヨアンヌの隣をすり抜けて、大暴れするマリエッタの元へ。
「くっさ……クッサ! この死体からクッセェ陰金田虫みたいな邪教徒の臭いがプンプンしますねぇ! まぁ、なんて穢らわしい……! ポーメット様! ここら辺一帯ぜんぶ焼き払っちゃいましょうよ!」
ゲラゲラ笑っているマリエッタは聖水入りの小瓶を死体の額に叩き付ける。もうこの女邪教徒なんじゃないかと最近ひしひし思うポーメットである。
ただ、マリエッタが狂乱に囚われているのは度重なる地獄を体験したせいであって、本来の少女は心優しく穏やかな性格なのだ。邪教との戦いが佳境に入り、仲間を殺され、敵に堕ちた同胞を殺し、頭がおかしくなってしまった。完全に心的外傷による情緒不安定だ。
「やれやれ……」
しかし、街のあちこちにゾンビが配置されているのは周到と言わざるを得ない。抑止力と情報取得のためなのだろうが、この街からゾンビを消し去るまでは安心できない。
ポーメットの付近にいたゾンビがピクリと動いたので、眼球の向こうにいるポークへ一言告げる。
「ポーク……観ているな。悪いが、ダスケルの街は返してもらうぞ」
ありったけの聖水を振り撒き、サレンが街の中心部で微弱な波動を放つことで死体を灰に変えていく。生きた邪教徒や犯罪者は捕縛または殺害する。
ダスケルに到着してから二時間、街を完全に掌握することに成功した。
ノウン達が街の瓦礫を処理し建物を再生する中、ポーメットとオクリーはとある場所にやってくる。
「これは……あの塔か」
「そうだ。お前に助けられた場所だ」
ポークとシャディクに狙われ絶体絶命に陥ったポーメットをオクリーが助けた場所である。火事場の馬鹿力で塔の基礎部を引き抜き、押し倒したのだ。
それが今、形を僅かに残して横たわっている。
この世界でオクリーとポーメットに縁が生まれた場所。彼女との縁がなければ、オクリーは間違いなく死んでいただろう。
「ここでワタシ達は出会った。今考えても不思議な縁だ」
「ポーメットがいなかったらと思うと、今でもぞっとするよ」
「ワタシもさ。お前が居なければ、敵の能力や聖都襲撃を予期できなかった。今の正教はオクリーなしで立ち行かなかっただろうな」
ポーメットから妙に湿った空気が漂ってくるのを感じて、オクリーの影にいたヨアンヌは微妙な面持ちになった。
ポーメットはオクリーに明確な好意を抱いている。戦友に向ける友情と、異性に向ける淡い期待と、少しばかりの仄暗い怨恨。同じ女だから何となく分かる。
対するオクリーもポーメットに対して好意的だ。オクリーの真名を知っているために優位性は揺るがないが、前世の記憶を由来とするポーメットへの好意は間違いなく本物。それが少し辛い。
目の前で二人が話している。会話に入る隙は……ない。
「明日だ。明日、我々のメタシムが帰ってくる……」
「ああ……」
「『聖都襲撃』に返す刀でメタシム奪還をやろうと言われた時は面食らったが……アーロス達は先の大敗で動揺している。スティーラやヨアンヌを失い、残存幹部は五名。戦力的にも劣勢……ゾンビの目を通じてポークを感じたが、士気はズタズタ、元々危うかった組織の纏まりも解れている」
ポーメットが煌めく蒼の瞳をオクリーに向ける。光で透けて白銀のようにすら見える金髪が揺れる。まるで少女のような純朴な笑顔で、些細な現実的問題を無視して希望的な未来を見ていた。
「……明日! アーロス寺院教団という組織は瓦解する! ワタシ達の戦いは終わるんだ……!」
「俺が必ずメタシム中心部に送り届ける。君が敵を討ち取って、終わらせるんだ」
「ただ、時々思うんだ。本当に終わるのか、と。アーロスを倒せば、綺麗さっぱり、因縁も全て消え果てるのか……? 我々が正しいと証明されるのか……? アーロスのやったことは間違いだが、国の腐敗を正そうと奔走したその気持ちまで完全否定されてしまうのではないか? その教訓や人となりが皆に伝わるのか、不安なんだ……」
「考え過ぎるな。世界の問題全部背負うなんて傲慢だよ」
オクリーは鎧の上からポーメットの肩を叩く。その言葉には痛々しい自戒が籠っていた。
「君はシャディク・レーンとの決着だけを考えておけばいい」
「……あの爺、考えるだけで鳥肌が立つ」
「君が真の意味で救われるには、奴を完膚なきまでに叩きのめさなきゃ意味がない、と思う。勝手な押しつけかもしれないけど」
スティーラ・ベルモンドは救いを求めて戦い、結果的に『生まれてきて良かった』と心を救済されながら散った。少女のように、戦争に意味を求める者は多い。スティーラにとって、この戦いは己の過去を清算するためだけのものだった。
アーロスに付き従う者の多くはそうだ。政治的理由、個人的理由、アレックスのような変わり種もいるが、何らかの情熱や怨恨を心に秘めている。
シャディク・レーンにとって、この戦争は『ママ』を捜し出すためだけに続けられているはずだ。アーロスの野望を手伝い正教を滅ぼすことが、ポーメットを手中に収めるという彼自身の夢に繋がるから、嬉々として手を組んでいる。
オクリーは前世の記憶があるから詳細を知っているが、あの老剣士の乱心はポーメットの両親が遠因である。ただし、ヨースター一族には全く非が無いので、最低最悪の当たり屋とも言えた。
シャディクはポーメットの父親を殺害し、ついでと言わんばかりに門下生を殺戮した。詳細は複雑怪奇のため割愛するが、ポーメットの生誕前から数えれば二〇年近くもヨースター一族に執着していることになる。
父親の仇であり、一族に対する厄災。そして、親友をも毒牙にかけようとする狂人だ。決着をつけなくてはならない。
「己の過去に囚われた未来視の剣士――か」
「…………」
ポーメットが髪を耳にかけながら青い空を見上げる。
「関係ない。勝つさ。ポーメット・ヨースターなら」
「うむ」
斜め後方から見る彼女の耳はやや上気している。興奮か、また別の感情によるものか。卵型の頬の白さとは対照的で、少し可愛いなと思った。
「我が剣は決して折れぬ。斬れないものなど何もない」
「そういうことだ」
親指の付け根を聖剣の柄に置いて、ちゃきんと音を鳴らす。どんな敵が立ちはだかろうとも決して折れない。あらゆる困難を跳ね除けて、斬り伏せる。その精練された刃の如き鋭さこそポーメットの強みだ。
実際、オクリーはポーメットについて何ら心配をしていない。メタシム奪還作戦の不安要素は別にあるからだ。
「ヨアンヌ。オクリーを守ってやってくれ」
「言われなくても」
「フッ……」
ポーメットは愉快な顔をした後、明後日の方角へと歩き出した。
ポーメットが離れていくと、ヨアンヌはオクリーの背中に額を当てた。そのままぐりぐりと押し当てる。
「どうした?」
「別に……」
「ヨアンヌにしては控えめな主張だな。前だったら胸ぐら掴んで威圧してたぞ」
「してほしいのか?」
「いや別に……痛っ! 何で蹴るんだよ」
「黙れ! オマエが妙にモテるのが悪ぃんだよ」
二人きりの時であればヨアンヌはいつもの調子を取り戻す。借りてきた猫になるのはあくまで正教徒の前だけである。
「チッ、まあいい……。オクリーが女を侍らせがちなのは前からだからな」
「褒め言葉なのか……?」
「しかし、シャディクがあんなキモイとは知らなかったぞ」
「俺と似たようなもんだ。……気持ちは分からんでもない」
「え……? それはその、ポーメットやノウンを『ママ』にしたいと……?」
「ち、違う! そういうことじゃない! いや、それもまぁ理解できる話ではあるんだが、ほんとに違くて」
「…………」
オクリーの問題発言を受けて、ヨアンヌのぐるぐる目が更に困惑し、やや侮蔑の意を含んでいた。少女の顔が引き攣っているのを見て、オクリーは慌てて付け加える。
「俺達は本当に運が良かっただけだ。うっかり向こう側で破壊を撒き散らしていてもおかしくなかった」
「世界のあちこちにそれぞれの正義がある。どちらが正しいかなんて、死ぬまで分からないだろ」
「それもそうだ」
「正義に従って行動した結果、回り回って、敵を全員ぶっ殺すしかないって結論に行き着くのは間違いか?」
「アーロスがそれを実現しようとして、苦しんでるだろう。敵を全員殺して理想の国を作ろうとしても、きっと上手くいかない。目に入る敵がいなくなれば、次は身内に敵を作る。いつか戦いをやめなきゃいけない時が来る」
「でも、敵や問題にぶち当たった時、誰も彼もが『殺すしかない』って結論に行き着くわけじゃなくて、戦争を回避するためにあらゆる策を講じたけれど、上手くいかずに武力に走ってしまうっていう過程もあったはずだ」
「……そうだな」
「アーロス様が昔よく語ってたよ。武力以外の全てを以てしても、現実は揺るがなかったと。元は穏便派だったんだってさ」
オクリーはアーロスに特別可愛がられてきた記憶がある。アーロスは実力や心意気を認めた者に対しては寛容で、比較的自由にやらせる傾向にあった。
あれが本来の彼だ。戦いを好む性格だとは到底思えない。
何故、こうなった?
彼本来の優しく生真面目な部分が見え隠れするのが、今更になって辛い。
それでもアーロスを殺さないといけないことは、もっと辛い。一人の誇り高き若者が壊れて、どこまでも堕ちていき、世界の戦犯として悪名を残すのみに留まるのは、形容しがたい不愉快さがある。
どうして?
そんな言葉だけが、事情をよく知るオクリーや正教幹部達の間に漂っている。
「……オクリー、知ってるか? 普通の人間って、自殺したいなんて一瞬たりとも考えたことないらしいぞ」
「そうなのか」
「ホセが言ってた。本気で死にてえって思っちまう奴は、どこか壊れてるって」
その言葉を聞いて、オクリーはホセとの間に決定的な隔たりを感じた。
嘘だろう? どうしようもなく辛くなって、頭は高速回転するのに身体は動かなくなって、両手両足がだらんとしてしまう虚脱感に襲われることがないのか、と。
絶望は人を壊すのだ。そして、オクリーとホセですらここまでの価値観の違いがあるというのだから、真の相互理解は実に困難だ。
人は、目に見える言動でしか人を判断できない。心の中は普通見えないから。
「アーロスも、何かのきっかけでぶっ壊れたんじゃないかな。絶望があの人を壊して、今の姿に変えたんだ」
人生をかけて国を変えようとした結果、その国に裏切られたアーロスの絶望はどんなだっただろう。目の前で見殺しにされる貧民を目にして、自分の努力も時間も全て無駄だったと叩きつけられた彼の心は、人としての柔らかさを保っていられるはずがない。
「スティーラみたいに、止めてほしいというか、罰してほしいのかもな」
「どうだろう。もう、あの人自身、何もかも見失ってるんじゃないかな……」
「止めないとな。元邪教徒の俺達が……」
「うん……」
ヨアンヌが俯き気味でオクリーの傍に寄る。
「なぁ……もう叶わないんだろうけどさ……アタシ、アーロス様をぎゅって抱き締めたいんだ。アタシをスラム街から救ってくれた時みたいに、ローブをかけてさ、大きな手で包み込んでさ……」
「…………」
「アタシの手も、これだけ大きくなったんだよって。成長したんだよって。ほんとは胸を張って言いたかった。やっぱりアタシ、あの人がただの悪人として殺されるのは、嫌だよ……」
震える少女の肩を抱くオクリーは、かけてやる言葉が見つからなかった。
アーロスはかつてのゲルイド神聖国を救おうとしていた。アーロスは国家転覆を目論むカルト教団の教祖だ。オクリーの恋人であるヨアンヌを救った。全て事実だ。
――苦しい。
どうして、こうなった?
そんな、やるせない、力の抜けるような感情ばかり湧いてくる。
根っからの悪人でいて欲しかったとすら思う。
「オクリー、勝つぞ」
「ああ。終わらせよう」
「これ以上戦っても辛いだけだ」
二人は恋人である以前に、ゲルイド神聖国で地獄を共にした戦友でもある。鋭い視線が交わされて、数回の呼吸の後に緊張が緩和された。
「アタシはサレン達ともう一度話してくる。メタシム襲撃を今一度予習しとかないとだからな」
ヨアンヌは小さく背伸びしてオクリーの頬に軽くキスすると、その場を去っていった。
オクリーが次に向かうのはセレスティアの元である。
メタシム突入前に、各幹部と話しておかなければならない。ポーメット、ヨアンヌ、セレスティアと来て……サレン、クレス、ノウン、ジアターの召喚獣……後はマリエッタか。
これは何も個人的な話をするだけでなく、彼らの肉片を預かりメタシムへ突入する責任者として、作戦前夜にコミュニケーションを取っておきたいという理由があった。
けれど、誰と話しても、どこか尾を引く残酷さが漂っているんだろうな。早々に直感して、少し息を吐いた。




