一二二話 ちょっと行く
強奪された元正教の街メタシム――今の名を聖地メタシムにて。邪教幹部五名がアーロスの指示の元に掻き集められ、一堂に会していた。
序列一位、仮面の男アーロス・ホークアイ。
序列二位、セックス狂いの技術者アプラホーネ・ランドリィ。
序列三位、千里眼の老剣士シャディク・レーン。
序列五位、男装の麗人ポーク・テッドロータス。
序列七位、尋問官フアンキロ・レガシィ。
闇夜の大聖堂に並べられた七つの椅子を埋めるのは五名。重厚な光沢を放つ丸机には各々が手足を乗せて寛いでいる。ただ一人、アーロスだけは居心地が悪そうにもぞもぞと動いていた。
『全員、集まったようですね』
野望の重要なステップたる『聖都襲撃』が真正面から打ち砕かれたとあって、流石のアーロスにも焦りが滲み出ているような印象である。今の彼は口数が少なく、上滑りしそうな優しい言葉もない。そんな重苦しい雰囲気を後押しするように、フアンキロがやや嫌味たらしくボヤいた。
「どうするのよこの状況。次の月蝕が来るまで魔法使いの補充すらできないじゃない」
フアンキロが厚みのある唇を尖らせる。そんな彼女に対して、アプラホーネは赤銅色の姫カットを揺らしながら首だけを回して振り向いた。
「おやおや、戦いに参加しなかった人が何か言っているねぇ……」
「…………」
「スティーラ君の死とヨアンヌ君の消息不明は『起こってしまったもの』として捉える他ないだろう? 教団の不足戦力をどのように補うか決めるのが今の会議なんだよ、失敗の理由を探るのは後にしてくれたまえ」
「……それもそうね。で、策がないから次の月蝕までは大人しくしてろって話でしょ?」
アプラホーネが首を傾げながらアーロスの方へ向き直る。自然と教祖への注目が高まるものの、彼は仮面の前で指を組むだけで、何の反応も返さなかった。
「アーロス君、腑抜けてる場合じゃないんだよねぇ? 君が思い描いた最高の計画なんだ、トップとしてしっかり指示出ししてくれたまえ?」
縦縞模様の瞳を細めながら、ダボダボの袖で口元の微笑を覆い隠すアプラホーネ。誰もアーロスに対して強く出られないが、その技術力もあってアプラホーネだけは彼への厳しい物言いを許されている。
が、人の神経を逆撫でするような媚びた声でアーロスを煽るものだから、ポークの顔色が真っ赤に茹で上がっていた。
「アプラホーネ。その無礼な口を慎まないと、毒で犯して動けなくしてやるぞ」
「ポークくぅん……組織の脳が固まってるままじゃ駄目って、分からないかなぁ? なぁ、さっさと上手い言葉を捻り出せって! 軌道修正しないと、我々、普通に全滅するよ?」
ぴしり。序列二位の刺々しい言葉に、冷たい空気の層が割れたかのような音を皆が幻聴した。ひやりと湿った空気が机の下に流れ、フアンキロは冷や汗を薄らと滲ませる。ポークは怒りを振り切って絶句していた。シャディクは刀の柄に手を添えて何時でも抜刀できるよう態勢を整えている。
ここにかつてのヨアンヌがいたなら問答無用で殴りかかっていただろうし、スティーラがいたなら熱線で焙ってお灸を据えていたところだ。そんな、あるはずだった未来を思い浮かべて、アーロスは背もたれに上体を預けた。
『聖都襲撃と聖遺物強奪に失敗したのは全て私の責任です。アプラホーネの言う通り、腑抜けている場合ではありませんね』
アーロスは幹部達の座る椅子をぐるりと一周見渡す。
『まず、フアンキロの言う通り、次の月蝕まで派手に動くことはできません。恐らくは半年ほど、次の作戦の準備に徹してもらうことになるかと。新たな打開策は用意してありますので、後ほど説明します』
立ち上がり、白手袋を嵌め直す。いつもの飄々とした様子に戻って、敵を追い詰めているのは我々なのだと言わんばかりに胸を張った。
実際、アーロスの魔法の一端『認識阻害』は教団拠点を無敵の要塞へと変えている。拠点へ戻ってくる信者を付け狙わなければ、そこへ辿り着くことはおろか、姿を一瞥することすら叶わない。
認識阻害によって、教団拠点の地理的情報について深く考えようとした瞬間、ぼんやりとしたモヤの如きノイズにより思考を停止させられてしまう。故に、集団で拠点へ向かおうとしても連携が取れない。
個々で正教徒の侵入を許しかけたことはあるが、セレスティア以外は全員殺している。その鉄壁さで以て、スティーラと北東支部の精鋭の穴埋めをする時間は充分に稼げるはずだ。
『しばらくは失った戦力の回復に努めましょう。まず、伏蟲隊の後継を育成します。孕み袋はフル稼働です。アプラホーネ、良いですね?』
「ククク、そうこなくっちゃねぇ!」
アプラホーネがくつくつと笑う。この敗北でアーロスも堪えていたようだが、その程度で折れてもらっては困るのだ。セレスティアやスティーラを失った程度で未来が無くなるのなら、アーロス寺院教団はここまで巨大化していない。
これからが働き時だぞとアプラホーネは非人道的で如何わしいアイデアを発想しにかかる。孕み袋に培養槽、改造銃と来て、次は何をしようか――赤髪のマッドサイエンティストは、早くも己の世界に没頭し始めた。
『次期幹部候補から次なる幹部を選定します。スティーラの分と、暫定的にヨアンヌの分も。皆さん、次の月蝕までに推薦人を決定しておくように』
「そうだ、ヨアンヌはどうするのさ? ボクのゾンビを使って探す?」
『ええ、そうしてください。恐らくは幽閉されています。仮にヨアンヌが裏切っているようなら……どうしましょうか。殺すしかないのですかね? あの子が裏切るとは思えませんが……』
可愛がっていた元部下の裏切りの可能性を考えて、アーロスは複雑な気分になる。散々、孕み袋出身の人間や雑魚を切り捨ててきたくせに、少しでも長く共にいると殺したり手放したりするのが惜しくなるのだ。
野生動物とペットでは扱いの差があるように、同じ雑魚でも長く居れば感情移入してしまうということだろう。ヨアンヌについてはあくまで可能性を提示しただけで、本題はオクリーの方である。彼の裏切りは決定的だ。しかし、心底改心すると言うのなら、彼と共に理想の世界を成し遂げてやってもいい。それ程まで青年に入れ込んでいた。
『ヨアンヌはさておき、問題はオクリー・マーキュリーです。残念ながら彼は裏切り者……聖都襲撃でも我々を妨害し大活躍の様子でした。あれは放っておくと厄介ですよ』
「えっ、彼裏切ったの?」
『そうなんですよアプラホーネ……ポークとフアンキロは彼の裏切りについてどう思いますか?』
「…………意地が悪いですよ、アーロス様」
一年前、オクリーに裏切りの疑惑を吹っ掛けた二人――実際はフアンキロが中心だったが――にやや意地悪な質問を投げかけるアーロス。青年に少なからず好意を向けていたポークは氷水をぶっかけられたような表情になり、フアンキロはこめかみの辺りを抑えて唸った。
「あのイカレ男、自認がぶっ飛んでるせいでワタシの魔法を……あの時殺しておけば良かったわ」
「しかし、疑惑のあった際に彼を殺していたら、移動要塞化計画が進まなかったのではないかね?」
「……到底信じられない。ボク、話を聞かないと納得できないですよ」
『聖都で少し話しましたが、オクリー君は教団に上手く溶け込めていなかったようですね。元々大嫌いだったとかお前は悪魔だとか、散々罵られてしまいました。流石に堪えましたよ……』
仮面の男は肩を落とす。アプラホーネが「教育とマネジメント不足では?」とボヤくと、更に辛そうに身体を縮こませた。
『どうあれ、彼の意思は固い……教団に戻ってくることはないでしょうね。ポーク、オクリー君のことも頼めますか?』
「……殺しますか?」
『お好きにどうぞ』
「……分かりました」
ポークは己の肘を掴む手に力が入るのを感じた。オクリーを完全に敵対視していたフアンキロは自戒こそあれど気持ちをすぐに切り変えていた。ただ、ポークはそうもいかない。
彼女は青年に少なからず好意を抱いていた。少なくない戦場で肩を並べた戦友が部下を味見したとあって――友人の性事情が如何様まで進んでいるのか事後の部屋を掃除させられた経験もあり――性的な興味を発端として心の一部を支配するまでに至った。気分によっては、彼の死後硬直による剛直で致す妄想すらしていたほどだ。
教団の存在感を役割を担ったオクリーと、まさかこのような形で決別することになるなんて。握った服の部分に皺が寄る。
ポークを見て、フアンキロが自嘲気味に鼻で笑った。
「どうしたのよ。今更殺すのを躊躇う相手じゃないでしょ?」
「フアンキロはどうなのさ」
「ワタシはアイツに借りがあるからね。何としてでも見つけ出して殺す」
フアンキロは何度も脚を組み替えながら、人差し指の爪で机を叩く。
オクリーの真の正体の輪郭を掴みかけたのは、彼女が初めてだ。ヨアンヌよりも先。しかも、オクリーが幹部候補として台頭する前である。何なら一度、己の鎖で捕らえ、呪死の条件を満たすまで追い詰めた相手だ。次に会った時は問答すら無しに息の根を止めてやる。
魔法に頼りすぎたのが敗因だった。己の違和感に従って追及を続けていれば化けの皮を剥ぐことができたかもしれないとあって、オクリーの裏切りで最も苛立っているのはフアンキロと言えるだろう。
「ボクも殺すこと自体に反論はないよ。ただ、謀反の気があったのに全く気づけなかったのがショックで……」
「……それを言うなら、やっぱりあの時ワタシが気づけなかったのが最悪よ。尋問官として、真偽を司る魔法使いとして、あの男を必ず……」
アプラホーネが言及した通り、フアンキロは自身の魔法使いとしての弱さを痛切に感じていた。
ヨアンヌのように類稀な膂力脚力に優れるわけでもなく、シャディクのように未来視ができるわけでもなく、ポークのように汎用性と持続性を併せ持つ能力というわけでもなく、スティーラやアプラホーネやアーロスのように破壊力と理不尽さに溢れた力でもない。
射程が短く、相手の情報を握っていて、かつ、相手の対話を待つことで効果が最大限に発揮される――そんな魔法が聖都襲撃で上手く扱えるはずもない。聖都襲撃失敗の遠因を担っているのは自分だとフアンキロは内心情けなく思っていた。
「――絶対に殺す……」
様々な鬱憤を織り交ぜたフアンキロの発言を聞いて、ポークは気が引き締まるのを感じた。
直接対決すれば捻り潰せるだろうが、敵陣営にいるというだけで妙な策略を仕掛けてくるのではないかと警戒させられる。厄介な敵が増えたものだ。
そう……ある意味幹部以上に厄介な敵だ。
(…………)
ポークは誰にも悟られないように、かつての故郷とテラス族に思いを馳せる。前向きではなく、後ろ向きな感情と共に。
とある島国の辺境に住んでいたポーク達『テラス族』は、その血を目当てに虐殺の被害に遭った。その際に結成された抵抗部隊と今のアーロス寺院教団はそっくりなのだ。
滅びゆく抵抗部隊とそっくりだった――と言うべきか。
主要メンバーが死んで、作戦が失敗して、どんどん逃げ道が塞がれていく。真綿で首を絞められているような状況に陥って、誰もが内心破滅の未来を思い浮かべていて――アーロスや他の幹部は気丈に振舞っているけれど、薄ら寒い破滅の予感をひしひしと感じてしまう。遠くない未来に他の誰かが死に、組織が瓦解する予兆がそこらにある。
それが、ポークの感じ取るアーロス寺院教団のありのままだ。
アーロスは準備に徹しろと言うが、結局具体的な方針は宙ぶらりんのまま。このままではいけない。ケネス正教は教団と違って圧倒的な基礎と兵力を持っている。最高の奇襲作戦が失敗に終わって、アーロス寺院教団も終わりへ近づいている。
――負ける。
我々は、何の意味もなく、功績も残せず、歴史書の一頁に『ただのカルト教団』として名を刻むに留まるのか?
違うだろう。この戦いは、持たざる者共が、己の人生を取り戻すための聖戦なんだ。
ケネス正教が、世界が、我々アーロス寺院教団の者共に何をしたか、意味を知らしめるために戦っている。戦いの意味すら残らないのは嫌だ。アーロス寺院教団が戦いを好む集団という評価で終わるのは許せない。この組織の中でしか生きる意味と希望を見出せなかった哀れな人間共を救うため、同じような人間を二度と生み出さないための『聖遺物』なのだ。
生半可な覚悟で命を投げ打ってきたわけじゃない。
これまで積み上げてきた屍の数を思えば、引く訳にもいかない。
(幹部会議がこのまま終わったら、ボク達は終わる! 何か、何か手を打たないと……!)
そんなポークの焦りなど露知らず、圧倒的な自由人アプラホーネがシャディクにケチを付け始めた。
「ところで、今まで一言も喋ってない耄碌種無しシャディク爺。君はポーメットに執着し過ぎだねぇ」
「……それが、どうかしたのかね?」
「それが今回の作戦に支障をきたしたのではないかい?」
「有り得ぬわ」
「疑わしいよねぇ。そんなにママが好きなら、吾輩の乳でも吸うかぁ?」
「貴様では、本物のママには足らぬわ」
「あの女騎士のどこがママだ。ふざけるのも大概にしろ」
「アレは、ママじゃ……」
「吾輩とのセックスは要らんのかね?」
「儂は戻りたいだけじゃ……」
(早く何とかしないと! ふざけてる場合じゃないのに!)
ポークの焦りが臨界点を突破する寸前、大聖堂の扉を叩く者がいた。
控えめなノックから一転、両開きの扉を叩き開けたその男は、痩せこけた顔に気味悪い微笑を貼り付けて登場した。
「こんにちは〜!」
アレックスと、その背後にはドルドン神父。共にヨアンヌの配下とされる邪教徒である。
格下の雑魚共が幹部会議に乱入してきたとあって、アプラホーネの顔から軽薄さが一切消え失せる。フアンキロの背後から黒い霧のようなモノが漏れ出して、ポークの服の隙間から棘が覗く。
「確か、アレックス君と、ナントカ神父。大事な会議中に何の用だい?」
瞳孔が開きっぱなしのアプラホーネが問う。
「ドルドンに御座います」
「あ、そう。で、何の用かな?」
「……私はヨアンヌ・サガミクス様よりスカウトを受けた身です。直属の上司を失った今、所属が曖昧なのです。もし可能であればの話になりますが、ポーク様の下で働きたく直談判しに参りました」
「…………」
アーロスとアプラホーネの顔がポークへ向く。
二人にとってみれば、本人の意志を尊重して決めたい――或いはどうでもいいからぶん投げた――のだろう。ポークは前髪を弄りながら溜め息を吐く。
「わざわざ会議中に、それだけ言いに来たの?」
「テラス族の少年との接触経験が御座います」
「!!」
「いかがでしょう。元々は兵士の身、少しばかりなら活躍もできましょう。心臓が止まった後でも、この頑強な身体は充分に働いてくれるでしょう」
「……アーロス様はどうです?」
『あなたが許可するというなら、私は何も言いません』
「…………」
ドルドン神父はテラス族の青年にも食指が動いた。つまり強姦の上で殺害したわけだが、それをひた隠しにして、憎たらしいほど堂々と「ポークの力になりたい」と伝えに来たのである。
彼がポークの部下になりたいと談判した目的は、その情報収集能力を魅力的に感じたからである。テラス族の生き残りであるポークに思うところもあった。
「で、そっちの坊主の君は何なの?」
「外で会議を聞いてたっすよ。オクリーせんぱ――オクリー・マーキュリーをぶっ殺すお手伝いをさせて欲しいっす。本当に殺したいんすよ、あの人。誰が指揮を執ってるっすか? シャディク様っすか?」
「一応はボクが中心になるはずだよ」
「じゃあ、お手伝いさせてくださいっす」
「まぁ、いいけど……」
こうしてポークは突然二人の部下を抱えることになった。アレックスの狙いは有耶無耶のうちに教団上層部に取り入ることだったため、計画通りとも言える。
そして、アレックス達が幹部会議に乱入すると同時、ダスケルの街に配置していたゾンビが異常反応を検知した。
「……!? アーロス様、ダスケルの街で何か――!」
『くっさ……クッサ! この死体からクッセェ陰金田虫みたいな邪教徒の臭いがプンプンしますねぇ! まぁ、なんて穢らわしい……! ポーメット様! ここら辺一帯ぜんぶ焼き払っちゃいましょうよ!』
脳内に直接伝わってくる少女の甲高い声。ぼやけた視界の中に映るのは、狂乱の笑みを浮かべた茶髪の少女マリエッタである。
そして、その後ろには小隊長クラスの正教兵士や正教幹部ポーメットと続く。涼しい雰囲気を纏った女騎士はゾンビを一瞥すると、懐から取り出した聖水を振り撒いて浄化しにかかった。ほとんど同時に、ダスケル中のゾンビが浄化され始めた。自動運転型・戦闘型も容赦なく消えていく。
『ポーク……観ているな。悪いが、ダスケルの街は返してもらうぞ』
静かなポーメットの言葉を最後に、ダスケルの街周辺に配置したゾンビとの通信が一切途切れた。ポークからしてみると、正教の都市と邪教の拠点の緩衝地帯として機能していた土地が、瞬く間に正教軍の支配下に落ちてしまったとしか思えない。
「ま、まさか……!」
「どうしたの?」
「ダスケルの街に正教徒軍が押し入っています! ダスケルの街を奪い返されました!!」
ポークの一声で騒然とする幹部会議。目まぐるしく遷移する状況に置いてきぼりにされたアレックスとドルドン神父は、顔を見合わせて「意味が分からん」と清々しく笑うのだった。




