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一一六話 I love you, too...


 壊れていく。

 あぁ……何もかもが、跡形もなく、取り返しのつかないくらい、ずたずたに裂かれていく……。


 天に昇っていった恋敵を睨みつけた後、アタシは黒みがかった視界の中央にアイツを据えた。


 なぁ……オクリー。オマエはこんな所で何をしていた?

 オマエはアタシのことが好きで、大好きで、心の底から愛してやまないんじゃなかったのか?

 ずっと正教(そっち)に居て、変わっちまったのかよ。


 今までのオクリーの行動を見ていたアタシは、己の中に疼くドス黒い感情をギリギリのところで抑え込んでいる。


 それは、狂愛と嫉妬と独占欲。

 元々拗らせているらしいのは何となく理解していたが、この性格を加速させたのは間違いなくオクリーだ。


 ……火種が起こったのは、他でもない、彼と心を通わせたあの瞬間。身体に入っていたモノを全て交換した時からだ。


 アタシはあの時、オクリーのことを深く知ったと思った。

 心の深い部分で交わり合い、歪に絡み合って、精神の繋がりを得て。それこそがアタシ達の愛の結晶だって信じてた。


 でも、オマエのことを知って、更に分からなくなったんだ。

 オマエの全てを知っているはずなのに、アタシの知らないことが出てくる。薬学知識とか地理的知識とか、造語らしき知らない単語を口走ったり、識字が完壁にできたり――そういう言語化しにくい部分の妙な違和感が鼻について、胸の内にモヤモヤが溜まっていった。


 どうしてオマエは、知らないことを知っているんだ?

 アタシの目の前には、怯えたような表情のオクリーがいる。

 そんな彼の態度もまた、アタシの焦燥を加速させた。





 幻夜聖祭前日の深夜。

 ドルドン元神父から土壇場の助言を受けて、アタシは人生の岐路に立っていることを理解させられた。


 見えた道は三つ。

 一つ、当初の目的通り、オクリーとアタシの二人きりの『小さな世界』をつくる。

 二つ、アーロス寺院教団の野望である『理想の国』をつくる。

 三つ、オクリーと真の意味で和解し、彼の夢を後押しする。


 ダメだ……。今になって、どの道も輪郭がぼんやりとしてきた。

 あの男(ドルドン)のせいだ。アイツさえいなけりゃ、アタシは真っ直ぐに『小さな世界』へ突っ走ることができた。


 星の光が窓辺に降り注ぐ部屋の中、毛布を被って自分の身体を抱き締める。


 理性は正教との共存を期待している。だが、感情が許容してくれない。あらゆる悩みを突っ撥ねて、全世界を破壊せしめる方向へ心が進みたがっていた。


 オクリーと真っ当に暮らしていくには、立ちはだかる障害があまりにも大きすぎる。

 それは、正教からの信頼を得たオクリーとは対称的なアタシの立場であったり、拭い去ることのできない罪の呵責であったり、今更どのツラ下げて正教陣営に飛び込むのか――というプライドの問題もあった。


 そりゃ、アタシだって、やれることならオクリーと一緒に生きたいよ……。

 でも……無理なんだ。


 アーロス寺院教団の者達に薄らと抱いていた好意と、ケネス正教徒に向けていた敵意を全て反転させて、その上で散々殺戮してきた正教徒に赦してもらおうだなんて。

 ……不可能だ。心が折れそうになるくらい、果てしなく遠い。人を殺すだとか、戦争を優位に進めるだとか、そういう策略じみた行為と違って、人の心に訴えかけることの何と不安定なことか。


 心が押し潰されそうになる。

 アタシはただ、幸せになるために道を模索していただけなのに……いや、これは言い訳か。アタシを路頭に迷わせた両親を見つけ出して、ブチ殺す程度に収めておけばよかった。アタシは人を殺しすぎた。


 人の持つ最も強い感情は何かって、悪意だ。

 恨み、妬み、怒り、復讐心――ソイツらは容易に増幅し、色んな人間を巻き込んだ業の輪廻と化す。


 アーロス寺院教団は正教への悪意から成り立ったと聞く。彼らは二〇年以上も正教に被害を与え続けた。血の応酬が数十年にも及ぶと、親から子へ、或いは孫へと悪意の増幅が起こった。

 世代を跨いだ怨嗟が、加害者の反省ひとつでチャラになるわけない……。


 ――正教徒の怒りを引き受ける邪教幹部の一人が、今更反省したって赦されるはずがないのだ。


(でも、アタシだって……物心ついた時からスラムのゴミ溜めで残飯を漁ってた。世間に対する恨みとかやり切れなさがある。この気持ちをどこかにぶつけたかった……)


 ……負け犬は負けたまま野垂れ死にすれば良かったのか? 人殺しが人生の逆転に繋がるとしたら、それに賭けるのは間違っていたのか?


 ――間違っていた。けれど、間違ってないともいえる。

 学のないアタシは、ルールとか法律とか、そういうところに気持ちをぶつけることができなくて、()に向けた。

 皮肉にも、学のなさが視野を狭窄させた。烈火の如き怒りを、この世の理や規則や歴史ではなく、今を生きる人間に向けることしかできなかった。それしか手段を知らなかったし、それ以外を教えてくれる人もいなかったからだ。


 血で血を洗う争いを起こさぬために人は規範を設けた。言葉というコミュニケーション手段を持つのだから、ルールや法に則って争い事を諌めよう、と。

 アタシ達はそれを真正面から突き破り、今まさに殺し合いを演じている。


 アーロス様が教育体制を整えなかったのは、そういう理由もあったはずだ。まともな歴史とか知識を教わらなければ、人間は抑圧や不満に対して怒りをぶつけるだけの獣と化す。理性ではなく感情に支配されてしまうから、激情の抑制方法すら覚束無いまま破壊と不和を撒き散らす。


(……アタシみたいに頭が悪ぃと、直接的手段でしか物事を解決したり主張できなくなっちまう……オクリーが流れ込んで来なかったら、こんな単純なことにも気づけなかった)


 全てが遅すぎた。理想に至る道が絶望的なまでにか細いことは、自分自身が最も良く知っている。

 最善の道がこれしかないことも、嫌というほど分かる。

 でも……怖い。正教徒達に許されなかった時のことを考えると、気が狂いそうになる。


 思えば、今までの人生で、アーロス様以外の他者に決断を委ねたことはほとんどなかった。オクリーへの接し方だって、彼の半歩後を行くより、アタシが引っ張るくらいが丁度いいと思って積極的にアプローチをかけた。


 そんなアタシが大衆の心象に全部委ねるなんて、恐ろしくて堪らない。


 間違えて、暴走して、視野狭窄に陥って……ようやく見えた一条の光が、こんなにも細く拙いものだったなんて。闇の住人には辛すぎる決断だろう。


(……アタシ、こんなに優柔不断な女だったっけ……)


 結局、考えが纏まらないまま、時間は廻る。


 聖都サスフェクト襲撃作戦、決行当日。六人の邪教幹部が結集し、聖都へ向かおうとする直前、見送りに来た邪教徒の中からドルドンの声が届いた。


「行け、我が恋敵(とも)よ。ワシはもう駄目だが、貴様ならまだ間に合うやもしれぬ」


 アタシはその言葉に返答できなかった。

 でも、無視して踏み出そうとしたアタシの背中に、二の矢が突き刺さった。


「貴様はどうせ、そう(・・)するんだろう? ワシが背中を押してやる」

「……っ」

「行け。全てをぶつけるのだ。後悔のないように、すべてを」


 まるで、結末なんて知っているみたいに。

 オマエならそうするだろう、という気味の悪い信頼すら感じられた。


 アタシは夢中で駆け出して、全身で風を切った。

 ……何だよ。ふざけんなよ。勝手に信頼するなよ。

 アタシがどんな気持ちで『小さな世界』を目指したか知らないくせに。ドルドンは自分が示唆した通りの未来が訪れるに違いないって、疑いもせずに信じているんだ。


 折角このワシが鼓舞してやったのだから、勇気を振り絞ってさっさと飛び込みなさい。そんな言葉を幻聴した。

 分かりきったようなことを言いやがって。そんな簡単じゃないんだよ。


 そもそも、『小さな世界』を実現しようと思ったのは、世界の全部が煩わしかったからだ。オクリーの思想を尊重した上でアタシが幸せを掴み取るには、正教も邪教も滅ぼして、この国に牙を向いてくるであろう全ての国の人間を消し去る必要があった。


 アタシの『小さな世界』が全ての人間を殺して問題を根本から消去する案だとしたら、ドルドンの案は人間をなるべく殺さずコミュニケーションで問題解決しないといけない案だ。

 尋常(・・)ではない。だが、誰よりも『普通』を渇望していたアタシにとっては、狂おしいほど魅力的な未来だった。


(っ……クソ! 考えがまとまらねぇ!)


 決断できない。

 迷いに迷って、思考が振り出しに戻る。


 そん中、聖都の決戦はぬるりと始まり、アタシはとある建物の二階に転送した。

 外の人間に肉片は託してある。治癒魔法の効果がやや特殊ということもあって、アタシは他の幹部と違い最初から自由に動けた。


「ヨアンヌ様、では私はこれで――ぷぎゅ」


 アタシの肉片を聖都内部に運んだ邪教徒の頭を、軽く握り固めた右ストレートで破壊する。頭蓋骨が割れる手応えが伝わって、男は糸の切れた人形のように地面に倒れ込んだ。


「アタシの身体を触っていいのはオクリーだけだ。触るな、気持ち悪い……」


 ――ほら、やっぱり、壊す方が楽じゃないか。

 言葉のコミュニケーションは幾つもの過程を重ねて合意に持っていく必要があるから面倒臭い。けど、アタシの拳ひとつで人間は簡単に壊れるし、言うことも聞く。暴力って簡単だ。


「…………」


 コレ(・・)を続けたから、今の地獄があるんじゃないか。

 知性と言葉を纏う人間である意味を捨てて、ケモノに成り下がっている。これ以上殺しが上手くなったって、絶対にオクリーは喜んでくれない。


 今のアタシは、多分、言葉を尽くすことをやめて暴力に走ったアーロス様の軌跡をなぞっている。あの人ほどの力があっても、現在のように苦しい状況を迎えているというのなら、『小さな世界』の実現は厳しいのか……?


 身体が震える。

 寒い……。寂しくて堪らない……。


 ……アイツにさわりたい。

 キスしたい。くすぐりたい。ぎゅってしたい。隣にいたいんだ。それだけでいい……。


 ――幾万の人間を殺した犯罪者が、夢を語るなよ。

 人殺し。


(あぁ、ダメだ、ダメだ……)


 “言葉を尽くしても悪意で返してくる人間には、暴力という手段をチラつかせたくなる。”

 “先に相手が手を出した。そうだ。それなら暴力でやり返そう。自分達だけやられっぱなしじゃ許せない。”

 “生まれた時から負け組だった奴らは、恨みを晴らすことも許されないのか?”

 “人と言葉を交わして折衷案を探すこともまた間違っちゃいない。”

 “人間は愚かだ。”

 “人間は素晴らしい。”

 “悪意に満ちている。”

 “善性にあふれている。”

 “殺したい。”

 “愛している。”


 全て、矛盾せずにこの世に存在する。


 アタシはどうすればいい?

 ゴミの中で生きてきたアタシは、感情のままに世界を真っ平らにしちゃダメか?

 それとも人間らしく苦労しながら人と意思疎通するべきなのか?

 大好きな人のために世界を犠牲にしても良くないか?

 あの人を誰にも取られたくないから、独り占めしちゃいけない?

 あの人の夢を叶えるために頑張ってみるのも悪くはない気がするけれど、辛いよ――


(頭がおかしくなる……)


 感情が錯綜する。もう幻夜聖祭は始まっているのに、未だに結論を決めかねている。

 多分、いや、絶対に、どの道に進んだとしても後悔するだろう。思い通りにならない世界に心の底から苛立って、涙さえ流してしまうのだろう。


 窓から外を見てやると、炎を纏ったサレンが空を飛んで何かを叫んでいた。聖祭開幕の演説だろう。今のアタシには、空を飛んで堂々と振る舞うサレンの姿が、どこか眩しく見えた。


 サレンのことはよく知らないが、アイツも人並みに恋愛をするんだろうか。アイツが結婚するとなったら、色んな人に祝福されるんだろうな。傍から見ていても、人望に厚いんだろうなと思う。

 平静の世であれば、大変な祝福を受けて盛大な式典が催されていただろうと妄想が広がる。『普通』って、そういうものだ。色んな意味で。


(……サレンの日常はアタシ達が壊した。今のヤツが恋愛をしている暇なんてない。戦いに身を置かせたのはアタシ達だ)


 心が分離する。

 ぼんやりと光る窓の外の世界が、酷く遠くに見えた。


 花火が上がる。突然爆発音のような大きな音が響いてきて、びっくりしてしまう。窓の外から差し込む光がいっそう明るさを増して、アタシのいる部屋すら真昼のように明るくなった。

 足元に転がる死体から、床の溝を伝ってきた血の帯が素足に触れる。生暖かい液体から足を引いて、今の自分がやるべきことを思い出した。


 ……そうだ。聖祭は始まってしまったんだ。行動を起こさなきゃいけない……。


 ふらふらと覚束無い足取りで、窓辺に寄る。そのまま両開きの窓を手で押して、夜風を浴びた。


「…………」


 風が涼しくて、気持ちいい。

 次の瞬間、アタシは窓の縁を蹴り飛ばして、遥か高くに跳躍した。


 どっちつかずな心のまま、スティーラの転送地点へと向かう。アイツの肉片を運搬する邪教徒を特定して、首を捻り上げた。

 きゅっ、という音がして、大の大人が簡単に崩れ落ちる。

 今殺したコイツは何年間生きてきたんだろう。二〇年か、三〇年……その人生をたった一瞬で終わらせた。名前すら知らないこの男だって、感情があった。何かを見て考える『自我』があった。


 それにしては、人生の終わりが呆気なさすぎる。本当にオマエは人だったのか?

 首が明後日の方向を向いて、ぷらぷらと揺れている。手に残った温もりだけが、男の生の証拠だった。


 この世界で真に生きていると言える人間は、アタシやオクリーくらいしか居ないんじゃないだろうか。そんな気の狂った考えすら湧いてきてしまう。


 首を絞めるだけで人は死ぬ。ぶん殴ったら死ぬ。ある意味言うことを聞いてくれる。

 本当に、心を尽くして言葉を交える必要があるのか?


 アタシは死体を持って、ポークのゾンビの襲撃が集中するであろう東門に駆けた。

 目玉を上空に放り投げると、東門の外で戦う正教兵やジアターの召喚獣が確認できた。聖都の防衛機能によって目玉は一瞬で消し炭にされてしまったが、これで確定である。現場判断で変わらなくてよかった。


「ポークはこの東門に狙いをつけたか」


 アタシはそんな言葉を吐きながら、東門前で屯する兵士達の中央に降り立つ。思えば、そんな台詞を吐いた時点で、アタシの心は決まっていたのかもしれない。


 音もなく着地したアタシに、マリエッタ達の視線が突き刺さる。殺気も出さずに登場してやったからか、皆とても驚いた顔を――もっと言えば不意打ちに絶望したような顔をしていた。


「ッ!!」

「ヨアンヌ!? いつここにッ!!」

 

 マリエッタを庇うようにホセとダロンバティが臨戦態勢に入る。当の本人は虚を突かれて引け腰だ。

 アタシには殺意がないってのに、酷い話だ。前々から「スティーラを殺すために協力しよう」って話を通してやってたじゃないか。安心しろ、オマエらを殺すかどうかはスティーラを消した後に決める。

 

「おいマリエッタ」

「っ……!? な、何よ……!!」


 マリエッタが顔面蒼白になりながら、大きな声を出して血の気を振り絞っている。こうして見ると、所詮は力なき人間のひとり。無力なものである。

 だが、マリエッタがアイツに向けている異常な性欲は褒められるものじゃない。というか、正妻であるアタシが絶対に認めない。


 ……もし、アタシが、暴力でなく、言葉で人を変えようと願うのなら。

 マリエッタとも、言葉を交わさなくてはいけないのだろうか。


「コイツがスティーラの肉片を運んでいた。ほら、見えるだろ」


 スティーラ殺害を手筈通り手伝った証拠に、アイツの白い指を踏み抜いて消し飛ばす。

 

「……スティーラはこれで転送できない。その他の幹部は、知らない。まぁ、約束は守ったからな……アタシはこれで行かせてもらう」


 嫌なことを考えてしまった。最も危険な恋敵の殺害という大目標を前にして、雑念が頭を支配している。


「ま、待て! あなたは本気であたし達に協力するつもりなの……!?」


 マリエッタがアタシに呼びけてくる。

 今は話しかけないでくれ。迷ってるんだ。


「……確かめないといけないことができた」


 思わず口から飛び出す言葉。

 確かめないこと。そうだ。ある。適当な言葉を言ったつもりが、すとんと胸に落ちた。


 オクリーだ。アイツがどう反応するか、結局のところ確かめないといけないではないか。

 スティーラを殺すと宣言したアイツがどう決着をつけるのか。アタシを殺すと宣ったアイツがどう接してくるのか。会いに行かなくちゃいけない。


 その上で、決める。

 『小さな世界』を実現した未来に向かうか、言葉を尽くしてドルドンの言う未来を目指すか……決めてやる。


「気をつけろオマエら。外門をブチ壊しに、第二位アプラホーネがやって来るぞ」

「え? ……え?」

「アプラホーネだと……!?」

「アーロス寺院教団に勝ちてぇなら、ここが踏ん張りどころだぞ。……あぁ、アタシは何でこんなことを……」


 マリエッタ達を気遣ってやる必要はなかったはずだ。

 逃げるみたいに、聖都中心部に向かって跳んだ。


 すれ違う景色が帯のように伸びる。そんな中、青白い半透明の刃を振るう英傑が見えた。ポーメットか。オクリーに無視できない熱を抱いている女騎士。

 進路を変更してそちらに向かうと、聖剣を手にした女が仮面の男と対峙していた。アーロス様の得意とする泥人形や広範囲攻撃が無作為に振り撒かれている。


「……オクリー!?」


 そこに駆けつけようとすると、二人はアーロス様に殺されかけていた。オクリーは左腕を踏み抜かれ、聖火で傷口を炙られようとしている。ポーメットは傷を回復していて、オクリーを助けられそうもない。

 アタシより治癒魔法が遅い。そんな苛立ちを上書きするように、聖火に炙られたオクリーの絶望がアタシの心の中に流れ込んできた。


 あぁ、こりゃマズいな……。

 オクリーが死ぬ。一緒に戦っているポーメットも殺される。

 どっちかが欠けたら、もう片方も死ぬ。今日ここで死ぬのはスティーラだけで良い。


 咄嗟の判断で、アーロス様の快進撃を止めるべく声を張り上げた。


「アーロス様、大変だっ!! セレスティアが奪い返されたっ!!」


 アーロス様の攻撃が止まる。

 口からのでまかせだった。

 おかしな話だろ? アタシは今日、スティーラの死亡と『天の心鏡』の奪取を心の底から願っていたはずなのに……そんなアタシが考えたら絶対ダメなことを口走っちまった。


 そこから導き出される結論なんて分かり切っている。

 けれど、それを言語化すると本当に心が壊れてしまいそうで、アタシは次の言葉を振り絞ることで思考を上書きした。


「その女に構ってる暇はねえ!! まだセレスティアは動揺してるはずだ、取り戻しに行くぞ!!」


 アーロス様はポーメットとオクリーを放置して、すぐさまこちらに来てくれた。


『ヨアンヌ、どういうことですか』

「そのまんまの意味だよ。クレスがセレスティアに電撃ブチ当てて、脳みそ弄って洗脳を解消しやがったんだ」

『……私の洗脳を無効化できる手段が見つかったと? そんな馬鹿な』


 アタシはセレスティアの元に向かう。

 土壇場でついた嘘がそのまま現実になるなんて有り得ないことだ。普通は嘘がバレて手痛いしっぺ返しを食らう。


 でも、今の世界はそうじゃないって、何となく分かってしまった。

 よりによって、今日ばかりは。


 ――セレスティアが洗脳から解放されていた。

 月光を受けて、銀の髪がきらきら輝いてた。セレスティアに葛藤を打ち明けてしまったあの時を思い出して、寂しくなった。もうあの時のようにセレスティアの胸に飛び込むことはできないのだ。


「アーロス様、アレは無理だ。撤退しよう……!」

『ぐっ……しかし――』

「今のアーロス様は『転送先』がねぇ! さっさと脱出しねえと取り返しのつかないことになる! 生き残って、何度でもやり直せばいいだろ!!」

『っ……そう、ですね』


 ……生き残って、何度でもやり直す?

 多くの命を捻り潰してきたアタシが、部下の命をゴミ同然に使い捨ててきたアタシが、吐いて良い言葉なのか、それは。


 真っ当に生きてきた人間だけが吐いていい言葉じゃないのか?

 …………。


「アタシは他のヤツらに撤退を伝えてくる」

『了解です。お気を付けて』

「あぁ、アーロス様も……」


 アタシはまた逃げた。

 我武者羅に、遮二無二に。

 スティーラが戦っている聖都北部に到着したのは偶然だった。


 いつの間にかオクリーが復活していた。死にかけの虫みたいな状態だったのに、嘘みたいに動き回っていた。サレンの近くで盾を構えて立ち回っている。

 そう、アイツはしぶといんだよな。ちょっとおかしいくらい……。


「…………」


 ……おかしい(・・・・)

 オクリーの何がおかしいって?


 何回死にかけても復活することが、か?

 違うだろう。もっと他にある。


 アタシに隠し事がある(・・・・・・・・・・)


 思えば、オクリーと出会った時から些細な違和感が幾つもあった。

 溢れ出してくる。

 言語化できないけれどアタシに不安を感じさせていた部分が、とめどなく滂沱として。


 ずっと――ずっとずっと、オクリーはセレスティアと関わると妙な感情の揺らぎを見せていた。

 ブツ(・・)を交換した後から色々と分かるようになった。気のせいではない。


 教団に引き入れたばかりの頃から今まで、セレスへ妙な感情を向けていたのは何故だ?

 たんに、正教への帰属意識が高いというだけでは済まされない違和感だ。


 何せオマエは孕み袋出身の世間知らず。セレスティアと会ったことがあったのは、森での襲撃と、村へ誘い込まれた時と、ダスケル襲撃作戦の時の、合計三回。

 その他の情報は精々噂で知る程度だろう。それなのに、仲間になった途端セレスティアへ親愛の念すら抱くようになって……セレスティア個人へ向ける感情が大きすぎやしないか?


 例えば、哀れみの感情だとか、畏怖の感情であればアタシも納得できる。

 だが……信頼(・・)親愛(・・)なんて意味不明なモノを、一体どうして抱くに至った?


 オマエが頭のおかしなヤツだってのは分かるけどよ、特定の情報に関わった時のオマエは、やけに重すぎる感情を抱いているように思えちまう。変に人間的というか、感傷的すぎるんだ。


 まるで、過去を懐かしんでいるみたいな――


「…………」


 さっき、セレスティアの洗脳が解消された後、オマエ泣いてただろ?

 そんなに仲が良かったのか? 涙を流すほどの時間や絆をオマエとセレスティアは作っていたのか?

 そうは思えない。オマエらがまともに会話した回数はそう多くないし、セレスティアが洗脳されてから数ヶ月も経たないうちにオクリーは正教側へ放流された。だから、重すぎる矢印は違和感でしかなかったよ。


 今考えれば、不可思議なことが沢山あった。

 土地勘。調合の知識。隠匿されているはずの魔法能力についてやけに詳しいこと。正教側の知識。記憶を無くした後の立ち回り――全てが歪なのだ。


 そして、アーロス様の能力への考察が決定的だった。オクリーは、アーロスが『認識阻害』や『記憶操作』の能力を有している、と考えている。

 何故、アタシすら知らないあの人の力の一部を、さも当然のように言い切れる? それに、『認識阻害』は知ることすら(・・・・・・)できない類の(・・・・・・)能力ではないのか? それを知っているなんて、いくら勘が鋭く物知りな人間だとしてもおかしい。


 オマエは誰だ?

 オマエは何者だ?

 まるで、この世界を何処かから見下ろしている、別世界の(・・・・)人間みたいじゃないか(・・・・・・・・・・)


「オクリー……アタシに隠し事してたんだ」


 口にした瞬間、全身の力が抜けた。疑念が確信に変わる。今まで過ごした時間、分かちあった感情の全てが空振りに終わったような気がして、がっくりと両膝が折れた。


 でも、それ以上に疑問がある。

 ……どうやって(・・・・・)隠している(・・・・・)? アタシは全て曝け出して、受け入れるって決めた。だからオクリーの心模様は何をせずとも感じ取れるし、過去の記憶も思想も思考も全て読み取れる。

 それはもう、超絶的な愛の力で、奇蹟としか言い表せぬほどの繋がりを得た。


 分からないのだ。全てを知っているはずなのに、まだ知らないところがある。

 だから、オクリーと心を溶かし合ったあの日から、言いようのない不安を感じていたのかもしれない。


 オクリーを独り占めしたいという気持ち以上に、オクリーとアタシの仲を邪魔する世界の全ての不安要素(ニンゲン)を消し去りたかったがために、『小さな世界に至る計画』を考えついた。

 そうしたら、隠し事があろうとなかろうと、アタシのことしか考えられなくなるだろ? オクリーとアタシ以外は本当に不必要だって思ったんだ。


 でも、散々迷ってる。まだ迷ってる。理性は平穏を求めているけれど、心がめちゃくちゃに荒れていて『小さな世界』を実現したがっている。

 『小さな世界』を実現した未来で、オクリーと心を通わせることは絶対にできないというのに……。


「……見せてくれよ」


 オクリー、アタシはもうダメかもしれない。

 中途半端な女ってのは、一番ダメなんだ。


「オマエが道を示してくれ。……スティーラとの関係に決着をつけて、アタシに未来を示してくれ……」


 聖火の壁を、心の繋がりによって見透かして――アタシはスティーラの最期を見送ったのだ。


 そして。


 そして――


 オクリーが、スティーラに、『ごめん』と謝った瞬間――思考がどす黒く染まった。


「……ごめん(・・・)? ごめん、だと……?

 ふ、ふざけんな……。ふざけんな……!!

 スティーラの心を救っておいて、「ごめん」だと……?

 ヤツに最善の最期を与えておいて、謝罪するだと……!?」


「じゃあ、アタシは何なんだよ!!

 いちばん近くにいて、いつまで経っても最善を与えられなかったアタシは!!

 大好きな人が、大嫌いな女を救って看取った場面を見せつけられたアタシは……!!

 あまりにも、哀れじゃないか……!!」


 オマエはアタシの心を救ってくれなかった。

 オマエはアイツの心を救って散らせてやった。

 一番最初は、アタシに捧げろよ。


 あの時、どうして嘘なんかついて、アタシを心のどこかで拒絶しているくせに、「お前の全てを認めるよ」みたいな顔をしやがった?

 認めてなかったんだろ。

 どこか、蔑ろにしてたんだろ。

 ウソをついてたんだ。心のどこかで壁を立てて、アタシをその内側に入れてくれなかった……。


 そうじゃなきゃ、アタシに嘘なんかつけるハズがない……。

 アタシは……オマエの気持ちが分からないよ。

 オクリーは、アタシのことが好きだったんじゃないのか……?


 オマエはひとつ大きなウソをついたな。

 アタシに、真摯に(・・・)真正面から(・・・・・)人生をかけて(・・・・・・)ぶつかることが(・・・・・・・)できていたら(・・・・・・)って。


 ――なぁ。

 オマエのどこが真摯だった?

 ウソをついてたくせに、どの口が『真摯』『人生かけて』なんてほざけた?


 分からない……。分からないよ……。

 オクリー……オマエはアタシを好きだっていう気持ちは伝わってくる。


 でも、その純粋な気持ちに、少しでも嘘とか疑念が入り込んじまうと、もうダメなんだ。清流に汚泥の一滴を溶かしてしまったみたいに、二度と綺麗な気持ちじゃいられない。


 確証がほしいんだ。確約がほしいんだ。

 アタシはオマエの一番だって。

 オマエはヨアンヌ・サガミクス以外、誰もいらないんだって。

 でも、オマエは誰にだって尻尾を振る。

 スティーラ、マリエッタ、ドルドン、ポーメット、セレスティア……。

 なぁ……心を開くなよ。

 やめろよ。ヨアンヌ・サガミクス以外の人間なんて見なくていいよ。

 そんなにアタシ以外のヤツらに構ってるとさ。

 アタシには、実は本当のことを打ち明けてなくて――

 他の人には本当のことを言っちゃったのかなって、思っちゃうじゃん。


 全部、アタシにだけ、くれよ。

 そうじゃなきゃ、アタシのこと、おざなりにしてるじゃん。

 アタシにだけ本当のことを言ってくれてさ、他の誰にも言わないよって、一言だけでも伝えてくれたら、あぁ、この人の本当のヒミツを知っているのは自分だけなんだなって思えたよ。


 でも、オマエはアタシの知らないことを使って(・・・)スティーラの心を救った。

 許せない。


 やっぱり、この世界にはアタシとオクリーだけいればよかったんだ。


 …………。


 ……でも、それでも、結末が変わらないことは知ってるから。


 ……オクリー、アタシを止めてくれ……。


 殺してやる(愛してる)よ。



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