一一話 攻める側の悪役は正義側に比べて心理的に有利だよねって話
某月某日、深夜。俺達はメタシム地方に向けて行進を開始した。
秋が終わり、いよいよ厳しい冬が到来しようかという夜だ。防寒具を着込んでいなければ手先の感覚を喪失しそうになるほど冷えた空気が支配していた。
アーロスお手製のローブには隠密効果のある認識阻害の魔法が掛けられているが、今までその恩恵を感じられたことはほとんど無い。多くの教徒は文句すら言わないが、俺やスティーブなどの教徒はもっと上等な装備が欲しいと思っているはずだ。直接戦闘になった時、隠密効果なんてクソほどの役にも立たないからな。
進軍の中、水溜まりに足を取られたスティーブに手を貸して立ち上がらせる。
「スティーブ、俺の手に捕まれ……!」
「……助かるっ」
(手が冷え切ってる。こいつ大丈夫か?)
氷のように冷たいスティーブの手を心配に思いつつ、俺達は行軍を再開した。
拷問官フアンキロが正教のスパイから引き出した情報によると、今日から数日ほどメタシム地方の防御が薄くなるらしい。正教幹部が別の場所に居るか他の任務で忙しいということで、二度と来ない絶好のチャンスがやって来たわけである。
しかし、編成されたアーロス寺院教徒軍の総数はそう多くない。『聖戦』となるであろう戦いにおいても五百人かそこらだ。拠点内にいた若い男性の教徒が集められ、それ以外は留守番となっていた。
ただ、この戦いには教祖自らが出向くと同時に二人の幹部も同行している。有象無象のモブよりも幹部が三人出陣する方が余程戦力になるのだから、モブの頭数を絞って消耗を抑えようとする上の考えにはある程度納得できた。
幹部の二人は、序列六位のヨアンヌと序列五位のポーク。序列七位のフアンキロは留守番。残った三人の幹部は敵幹部をメタシム地方から更に引き離すため、他の地方でゲリラ的に戦いを起こす算段だ。
原作の筋書きで言うと、この戦いはアーロス寺院教団が勢いのままに勝利を収めていた。メタシム地方の街――つまり主人公の故郷は邪教徒の手に落ち、失意のどん底に落ちることになる。
街に駐屯していた正教軍も三人の幹部に為す術なく蹂躙され、正教幹部が駆け付けるまでに壊滅的被害を被って撤退していたはずだ。
……正史通りなら、ここで俺が死ぬ確率は低い。
だが、そう上手く行くだろうか?
不安を感じつつ歩き続けて丸一日、俺達はメタシム地方に到着した。
山の中腹から肥沃な大地を見下ろし、街の灯りを確認する。
ここは宗教戦争の舞台となる『ゲルイド神聖国』の片隅にある穏やかな地方だ。メタシムの土地は幸いにも魔獣や災害、疫病の被害に遭うことが少なく、豊穣の土地として農業の盛んな地域でもあった。
そもそもこの世界は、魔獣、ドラゴン、(選ばれし者のみ使える)魔法や異能など、ファンタジーの定番を盛り込んでいる。原作システム的にはレベルやスキルの概念があったものの、こちらには存在しないようだ。そのお陰でモブとネームドの格差が偉いことになっている。
ゲルイド神聖国はその名の通り、ケネス正教の最高指導者たる幹部序列一位をトップに置く宗教国家である。議会制民主主義などは一切採用されておらず、人権や民主主義の概念はかなり薄い。ケネス正教が圧倒的な力を持つ階級社会がゲルイド神聖国の姿なのである。
ケネス正教が力を持つようになったのは、やはり選ばれし七人に与えられる魔法の力によるところが大きい。魔獣や怪物の類が跋扈するこの世界では、ケネス正教の戦士達の力を借りねば生きていけないのだ。また、その幹部に仕える人間達も世間一般的には化け物みたいな人間であるため、精神的な面でも階級意識や上下関係が根付いている。
現代日本の存在する世界と違って、この世界にはちゃんとした奇跡や魔法が起こる。神によって力が与えられることもあれば、救われることもある。教会の教えや宗教の支配が大きくなるのは自然なことだった。
ゲルイド神聖国の最上位たる支配層は七人の幹部で構成される。
その下を支えるのが次期幹部候補と見込まれているケネス正教徒、もしくはその親族や一族である。また、神父などの聖職者もこの支配層に該当する。
支配層のひとつ下は、正教と強い繋がりを持つ商人や地主。その大地主に仕えてきた騎士の一族なども上の方の階級にある。その他には職人などの専門職がこの中流層を押さえているか。
下層に位置する民衆は、農民や労働者などの一般的な人々だ。支配層の人間は人口の三パーセントにも満たない人数であるし、中層階級の人々も精々十パーセント程度なので、九割程度の国民が下層に集中していると言って良いだろう。
下層階級の生活は質素だし税金を納めなければならないが、大半は魔獣や災害に負けず逞しく生きている。支配階級の人々に対しては、魔獣や暴徒、災害から自分達の生活を守ってもらっているお陰か、頭が上がらないといった描写が原作の随所で見られた。民衆にとって七人の幹部は英雄なのだ。
文明レベルは恐らく中世から近世のレベル。魔法のせいで部分的に突出した技術もあるが、一般国民の生活はその辺のレベルだと考えてもらって良い。
ちなみに俺達一般邪教徒の暮らしは下級層の国民未満だ。毎日集団で狭いスペースを分け合っての雑魚寝。プライベートは無く、無休かつ無給での奉仕を余儀なくされている。しかし大半の邪教徒は外の世界を知らないので、文句を垂れることもない。最高じゃない?
集団を率いるアーロスは夜空を見上げて、全体に停止の合図をかけた。そろそろ他の幹部三人が他の地方を襲っている頃なのだろう、彼は耳に手を当てて誰かと念話をしているようだった。
ケネス正教の幹部は常に内政や部下の指揮、魔獣や災害への対応に追われ、三六五日ずっと身体の休まる暇がない。人口の少ない辺境の地の対応は後回しにされがちで、人口密集地帯に比べて魔獣や邪教徒の被害が出やすいという現状がある。つまり幹部の人手不足。正教側は邪教徒という目に見えた地雷の排除に集中したいはずだが、やむにやまれぬ事情があるのだ。
こういう時毎回思うんだが、守る側よりも壊す側奪う側の方が大分有利だよな。守るべきものが無いから捨て身になれるって言うか。正教側は組織が大きく国家としての面子もある分、民衆の被害を防ぐために奔走しなければならないが、アーロス率いる邪教徒は都合の良い洗脳教育のお陰である程度の被害を承知で強引な攻勢に打って出ることができてしまうというか。
その性質もあって、原作プレイ中、『ふざけんな邪教徒共が!!』『俺が殺してやる!!』と何度作中キャラの如く叫んだことか。時にはその狡猾さや胸糞悪さに台パンすることすらあった。敵の足を引っ張ることに関して彼らの右に出る者はいないだろう。
話が終わったアーロスはこちらに振り向き、ウホンと咳払いした。
『子供と女以外は全員殺しなさい。ただし、農地や家畜にはなるべく手を出さないように。重要な食糧源になりますからね』
飄々としているが、この仮面野郎は本当にとんでもないことを言ってくれる。人の命を何だと思っていやがる? お前に少しでも人を思いやれる心があれば、これから大量の人死が出ることも無いだろうに。俺はロングソードの柄を握り潰すようにして怒りを抑えた。
この世界では力のない者が蹂躙される。無能な俺が悪いのだ。あぁ、神様のクソッタレが。
(俺にアーロスを殺すだけの力があれば……いや、教祖を始末したところで遺志を継ぐ者が必ず現れる。幹部七人を同時に始末して、邪教徒全員洗脳し直してケネス正教に改宗させるくらいの力がないとダメなんだ……)
宗教というものは一言で表し難く、主張が違えば価値観も違うため争いが起こりやすい。そのため、宗教戦争が勃発すればどちらか一方が滅びるまで戦いが続くこともしばしば。更に厄介なのが、『お前は騙されているぞ』とカルト教徒に告げたところで、はいそうですかと改宗してくれるわけでもないということ。
本当に――とんでもないことをしてくれたものだ。
『では皆さん、そろそろ行きましょうか』
馬車に乗っていたヨアンヌとポークが下車し、山の傾斜に足をかけたアーロスの隣に立った。
俺達は今から蹂躙する街を見下ろしている。命の灯が燃えている。建物のひとつひとつに、街灯のひとつひとつに、何の罪もない人々の命が宿っている。一生懸命生きてきた人達の、山あり谷ありの人生が――……。
「オクリー、行って来るねっ」
幻想的な街の灯りを背景に、満面の笑みで白い歯を見せるヨアンヌ。彼女は『マーカー役』の俺に向かって名残惜しそうに手を伸ばした後、狂気の顔つきへと変貌していく。俺は目を見開くスティーブと目配せしてから、生唾を呑み込んだ。
――戦況を左右するのは魔法の強さではなく、悪意と殺意の強さである。
俺はアーロス寺院教徒幹部の持つ能力の悪辣さを嫌という程知っていた。
序列六位『ヨアンヌ・サガミクス』と序列五位『ポーク・テッドロータス』が力を合わせた時、その悪辣な能力は真価を発揮する。
ヨアンヌの得意とする『投擲』の射程は数十キロを誇り、その精度も異常なほど高い。着弾点付近にいる者はその衝撃と余波によって即死するだろう。
そして、ポーク・テッドロータス――彼女の魔法がいわく付きなのだ。服の隙間の異空間から出現する無限の棘を操ることのできるポークだが、能力の延長線上に『棘の毒に侵された死体を自由自在に操ることが可能』というものがあり――
――ここまで言えば分かってもらえるだろうか。俺達が行おうとしている残虐な作戦を。
「教祖様ぁ、正教兵が駐屯してる建物はアレで間違いないな!?」
『えぇ。思う存分やっちゃって下さい』
「了解――ッ」
ヨアンヌが半径二メートル強の岩石を持ち上げ、頭上に掲げる。そこにポークの棘が突き刺さり、岩石に僅かな亀裂が入った。あっという間に岩の表面が紫色に変色し、明らかに有毒な見た目に変わっていく。
アーロス考案の対民衆用侵略作戦――
主人公の街を壊滅に追いやった悪魔の作戦を、原作ファンはこう呼ぶ。
『ゾンビ爆弾』と。
「はぁッ――!!」
棘に汚染された岩石が、夜空に土煙のアーチを描く。緩やかな放物線を描いて高々と舞う岩の砲弾。毒々しい岩はみるみるうちに小さくなり、眼下数キロの場所に広がる街へと一直線に飛んでいく。
その先に存在するのは、ケネス正教のシンボルマークが刻まれた駐屯地。メタシム地方を守るべく派遣された正教兵が集う、街唯一の拠点――
恐ろしい風切り音の後――着弾。
一瞬遅れて、重々しい破壊音が俺達の元まで伝わってくる。
視界の奥では、正教兵の拠点が跡形もなく崩れ去る悲惨な光景が広がっていた。
岩石が飛散し、建物が完全に崩れ落ち、経過すること十秒。ヨアンヌの隣に立っていた男装の麗人が、ぷるんとした桜色の唇を歪ませた。
「アーロス様、自動運転型の始動を確認しました」
『素晴らしい』
その報告で全てを察する。
駐屯地に居た兵士は全員死に、ポークの棘の毒に侵された。そして一分も経たないうちに、彼らは邪教の操り人形たる『ゾンビ』へ変貌してしまったのだ。
単なる襲撃ではなく、正教側に最もダメージを与えられる襲撃方法。戦況的にも精神的にも圧倒的なアドバンテージを得ることができる非人道的戦法。
これがポークとヨアンヌの隠し持っていた秘策――『ゾンビ爆弾』である。
『さぁ――始まりです!!』
これから始まるのは戦闘ではない。
一方的な虐殺と蹂躙だ。
だが、この悲劇の中で――俺は――
(主人公に会って掴んでやる!! この世界の希望ってやつを!!)
俺は転がるようにして山の斜面を滑り降りる。
邪教徒共の絶叫と咆哮に呑まれて、俺は進軍を開始した。
原作の前日譚に当たる戦い、『メタシムの戦い』が始まる。




