一〇七話 月光に導かれて
かつて、アルフィー・ジャッジメントという少年がいた。とある世界線において、彼は魔法の力なしにヨアンヌ・サガミクスやポーク・テッドロータス等の邪教幹部を殺害する活躍を見せた。
治癒魔法という後ろ盾のない身の上ひとつで、彼は成し遂げた。オクリーもそれと同じことをするだけだ。そう思う他に己を奮い立たせる方法はなかった。
アーロスが隠し持つ様々な攻撃手段をケアしながら、オクリーは比較的安全なポーメットの背中に隠れて――油断すれば不可視の糸でサイコロステーキにされる程度には危険だが――炎の剣で立ち回る。
逆に、ポーメットは真っ向からアーロスを煽り、注目を一身に引き受ける形だ。
アーロスの魔法は、体表から生成した暗黒物質を自在に操ることを基本とする。
彼の攻撃パターンは主に三つ。
一つ、広範囲に撒き散らした影の塊からスライムや泥人形等の自立型の眷族を生み出し、周辺の敵性生物を自動的に襲わせる『召喚』。
二つ、ピアノ線の如く細く練り上げた黒い糸や、円錐型の高速弾を無造作に撒き散らす遠距離攻撃。
三つ、無数の触手や暗黒物質の翼を生やし、手足の動きを補助する影の外骨格を纏って立ち回る近接攻撃。
これら全ての力を融合して戦っているのが今のアーロスだった。
ポーメットが精神を削りながら魔法のブレードを肥大化させる。半透明の刃が刃渡り一〇メートル程まで延伸し、闇の翼に押し負けないほどの質量と火力を得る。二つの大いなる力がぶつかり合って、周辺は地獄絵図だ。
アーロスが周囲に撒き散らした黒い液体は、地面に跳ね返ってから人の形を成した。数百の塊が全長三メートル程の泥人形へと変身し、オクリー達へ一斉に襲いかかってくる。
そんな眷属共の対応に追われる一方、本体は本体で、巨大な闇の翼をあちこちに叩きつけ、不可視の糸を無造作に振り回し、三六〇度に超高速の弾丸をばら撒いていた。
やっていることが滅茶苦茶だ。一つ一つが即死級の攻撃。一人だけ弾幕ゲーム出身なのではないかと思わせられる攻撃の密度である。
雨降りしきる荒天の中、オクリーはポーメットの背中を守りながら、水たまりを蹴飛ばして必死に立ち回った。
(今までと何もかも違う! 本気を出しやがったか!)
アーロスによる破壊の波が撒き散らされ、聖都中心部が恐ろしい勢いで整地されていく。
建物の陰すら安全地帯とは言えない。見えない糸が撫でるだけで、構造物がものの見事に輪切りにされてしまうのだから。
真正面からアーロスの攻撃、それ以外の角度から泥人形や遠距離攻撃が飛んでくるという窮地が二人を襲う。
「オクリー、生きているか!?」
「ああ、生きてるぞっ!」
叫びながら互いの安否を確認する。
手数の差でアーロスに近づけない。陣を組んでじりじりと前進するが、それを押し返す怒涛の攻撃が迫り来る。
そもそも、ポーメットの『聖剣』やオクリーの『聖鎧』レベルの硬質さを持たなければ、この攻撃を受けることは不可能だ。オクリーの炎の剣は元の素材が普通の剣であるため、まともに受ければ武器ごと持っていかれる。
何よりも最悪なのが、街灯の類が壊されたことだ。不可視の糸はもちろん、黒い弾丸や闇の翼が夜の世界に溶け込んで見えない時がある。
ただでさえ泥人形の対応に追われているところに、意識外からの不意打ちが大量に飛んでくると来た。オクリーは五感を極限まで研ぎ澄ませ、聖火の剣や『聖鎧』の盾、或いは爆弾や銃を扱いながらその全てをやり過ごす。
「ちいっ!!」
泥人形が知性を感じさせない大ぶりな動作で腕を振り下ろしてくる。
脇下をすり抜けながら胴を両断し、その流れでもう一体の敵を屠る。
いくら斬っても数が尽きない。壁が迫ってくるかのような威圧感だ。
襲い来る泥人形共は聖火の影響を極端に受けるため、剣に宿った炎で巻き上げてしまえば一瞬で塵と化す。
だが、体長三メートルというリーチの長さ、数の多さ、全身を構成する泥が強酸のような性質を持っているため、決して油断できない。
「オクリー、伏せろっ!!」
掛け声ひとつ、半透明の刃が騎士を中心に一回転する。
聖剣の軌跡を炎の帯が追いかけて、美しい円形の残光を放った。
数十体の泥人形が一網打尽にされ、灰燼と化す。
その死体から黒い霧が立ち上り、二人を襲う敵は一時的に消え去った。
ギリギリのところで腰を反らして聖剣を回避したオクリーは、その隙に弾丸を再装填してアーロスを射撃する。
呆気なく射撃を無効化――弾丸が闇に溶けるように消失していくように見えた――され、逆に黒い弾丸と不可視の糸がオクリーを襲う。
ここを狙ってくるかもしれない、そんな勘だけで盾を構え、大地を蹴り、何とか攻撃を躱し切る。
言うまでもなく、ポーメットが真正面からアーロスの注目を引き受けているから、オクリーに飛んでくる攻撃が遠距離攻撃だけなのだ。黒い翼を一身に受けて教祖と渡り合うポーメットの異常さを改めて感じつつ、オクリーは残った泥人形共の始末にかかった。
一方、アーロスと正面から殴り合うポーメットは、僅かずつではあるが相手を押し込んでいることに気づいた。
ほんの少しだが、確実に戦況が変わっている。
(オクリーめ、中々良い動きをするじゃないか……!)
半透明の蒼い刃が幾重にも軌跡を描き、交互に繰り出される両翼と火花を散らす。黒い弾丸はポーメットの骨格に触れる前に、全身に纏った聖火で燃え尽きる。不可視の糸は巨大なブレードに引っかかって灰と化す。
双方の力が優れている故に、戦況は僅かずつしか変化しない。たまにオクリーから文字通りの援護射撃が入って、アーロスが過剰反応する。
彼の弾丸は無効化されてしまうが、意識をポーメット以外に割かれるのは相当邪魔に感じるはずだ。戦況がポーメット優勢に傾きつつあるのはこれが理由に違いない。
丁度、泥人形を完全に捌き終わったオクリーが二人へと向き直った。
邪神の権化とでも形容すべき仮面の化け物が、巨大な腕のような翼を振るって髑髏の騎士を叩き潰さんとしている。
対する騎士も、両腕が見えなくなるほどの速度で攻撃を捌き、一歩も引かずに立ち向かっている。
一瞥すれば、人外共の戦いだ。
それでも、これに飛び込まなければ勝利はない。
恐怖に向かって一歩踏み出す。一度止まれば二度と動き出せないと直感し、左手に携えた『聖鎧』の欠片を握り締める。
恐らくは人類最高峰の戦いであろう二人の激突に、オクリーは泣き言を吐きながら殴り込みをかけた。
「畜生!!」
アーロスの本気も、ホーメットが纏う猛毒の聖火も、何もかも最悪だった。
半ばやけくそになって間合いに立ち入る。
巻き上がる陽炎に違和感を察知して『聖鎧』の盾を掲げると、盾の端部に超高速の弾丸が掠っていく。
次いで、周囲を舞う灰の一つが両断されたのを見て、不可視の糸が振り下ろされる方向とタイミングを読み切り炎剣で弾き返す。
ポーメットの呼吸に合わせてアーロスを攻め立て、特殊弾の射撃を繰り返しながら後方へと圧していく。
『くうッ! こっちもクソがと言いたいですよ!』
ポーメットの聖剣に弾き飛ばされる勢いを利用して、アーロスは後ろへステップ。距離を置きつつも、見えない糸と高速弾を四方八方へと放つ。
ポーメットが剣の峰を立てて実質的な盾とし、見えない弾幕を全て防ぐ。
そんな騎士の脇をすり抜けて、青年は果敢に射撃と炎剣の連続攻撃を繰り出す。
それらの攻撃はポーメットに比べて遥かに軽く、致命傷とはならないが、起点にはなり得る。
オクリーの生存力とちょこまかした働きに苛立ったアーロスは、青年を一気に叩き潰そうと魔力を練り上げて――その思考を見透かしたように放たれた聖剣の一閃に片腕を吹き飛ばされた。
『!!』
聖火を纏った超高熱ブレードに右腕を切断されたアーロスは、オクリー・マーキュリーという男がこれまで徹底してきた『弱いことを自覚した立ち回り』の厭らしさを噛み締める。
彼は臆病なのだ。前に出る時は滅多になく、ポーメットの援護と称して彼女の影からちょっかいをかけてくるだけ。
しかし、教祖アーロスを倒す武器自体はしっかり温めている。炎の剣に改造銃。その場にいることが相手にとって最も厄介なことだと理解して、生存を念頭に置いた立ち回りを徹底する。
これが厭らしくなくて何だ。
素晴らしい陰湿さではないか。
やはりオクリーが敵に回るのは痛すぎる。正直、彼ともう一度組みたい。戻ってきてくれないだろうか。
苛立ちと焦燥に支配される思考の片隅で、未練がましく考えている自分がいる。
アーロスは右腕を再生しようと更に距離を置こうとするが、傷口が聖火に覆われて上手く回復しない。
そして何より、回復の時間を与えるポーメットではない。骨格だけの身体を操って、闇の中に紛れようとしたアーロスを執拗に追いかけた。
接近を嫌がったアーロスが黒い翼を薙ぎ払うと、その重い一撃をオクリーが受け止めた。
血を吐きながら歯を食い縛り、必死の形相でポーメットの道を切り開く。
(俺がポーメットを導く!!)
女騎士に飛来する本命の攻撃を、オクリーが全身全霊を以て逸らした。
『聖遺物』を有しているとはいえ、ただの人間に受け止められるはずのない攻撃を――
直後、オクリーの横をすり抜けてきたポーメットが、地面すれすれに下ろした聖剣を横一文字に斬り捨てる。
片翼の防御が間に合わず、アーロスの胸部が深々と抉れ、黒い霧が吹き上がった。
『ぐはっ!?』
意表を突く攻守のスイッチングで痛すぎる一撃を貰って、仮面の男は少しだけ嬉しそうに狼狽えた。
『素晴らしい……!!』
どろどろの黒い液体がアーロスのスーツを汚していく。震える膝で何とか距離を離し、傷口を手で拭う。白い手袋にべったりと体液が付着していた。
治癒魔法が効果を成していない。ここまで効くものなのか。冗談はよしてくれ。不死鳥の炎の性質に苦笑いしながら、アーロスはズレた帽子を被り直す。
(強がって愚鈍などと詰ってみたものの、やはり私はオクリー君が欲しくて堪らないらしい。あぁ、つくづく、あなたと共に歩きたかった……)
息をつかせる暇すら与えてやるものか、そんな気迫と共に二人が突っ込んでくる。
右から猛毒の炎剣、左から聖剣。掠り傷が増えていく。聖火と鮮血と黒い霧に塗れたアーロスは、まだ足掻いた。大地に靴裏を噛ませ、力強く踏ん張って倒れない。
治癒魔法を阻害されながらも、激しく抵抗する。これまで糧にしてきた敵味方のために、理想の国を創らなければならないから。
そんな幾万の想いを乗せた黒い翼が、ポーメットの身体を真横から捉える。左半身の骨が砕け散り、炎が血飛沫の代わりに帯を伸ばした。
今のポーメットは『魂魄燃焼薬』による肉体の消費と治癒魔法の回復速度を釣り合わせている状態だ。つまり、身体の大部分を喪失する大怪我を負えば戦闘復帰が困難になる。
アーロスは聖剣を取り落としたポーメットに肉薄し、一気に畳み掛ける。
今まで好き勝手してくれたものだ。
暗黒物質の翼はやめだ。直接、拳で叩き潰す。
影の外骨格を応用して、両手足に圧縮した影を纏う。そのまま握り固めた拳でポーメットの脊椎を玉砕し、翻した足で頭蓋骨を打ち砕いた。
「っ!?」
黒い翼に気を取られていたポーメットは、まさか残った腕で攻撃されるとは思っておらず、意識外の攻撃をまともに食らって身体のほとんどを失う。
アーロスは続けざまにステップを踏み、身体を捻った勢いのままオクリーの鳩尾に強烈なアッパーカットをお見舞した。
「ごっ――」
すんでのところで『聖鎧』の盾に防がれるが、めり込んだ拳が盾ごとオクリーの身体を持ち上げる。
男は空中に吹き飛ばされたオクリーの胴を踵で蹴り下ろし、背骨を砕きながら地面に叩き伏せた。
(私はあなたのことを認めています。けれどオクリー君、私はね……君のような人間を踏み潰してでも野望を叶えたいのですよ。我が道に立ち塞がる者は、どんな理由があろうと消えてもらいます)
誰もが全力で夢を掴むために生きている。
どれだけ好きになった人間がいても、好きになりたい人間がいようと、それらが敵であれば容赦なく踏み潰す。
しかし、糧となる数千、数万の人生を忘れないため、全ての命に敬意を払って、彼らの生き様を本に綴る。脳の記憶領域に刻み付けた上で己の夢を押し通す。アーロスはそういう人間だった。
『オクリー君、あなたは最高の部下でした。せめてもの情け、私が終わらせてあげましょう』
僅かに残った上半身を引き摺って近づいてくるポーメットを放置し、地面でのたうち回るオクリーに脚を振り上げる。
練り上げた影の脚が振り下ろされ、地面に穴が空く。オクリーの左腕が肘先から吹き飛ばされ、消え失せた。
「――あ、ああああああぁぁああっっ!!?」
『おや、狙いが逸れました』
激痛を超えた痛みがオクリーの全身を襲う。
――熱い、あつい、あつい。顔の周りにぶわっと汗が噴き出し、左腕があっさり消え果てたことに動揺を隠せなくなる。
地面にめり込んだアーロスの右足が引き抜かれると、彼は炎に包まれた己の傷口を見せびらかす。
『どうせならお揃いにしておきますか』
「や、やめ――」
オクリーの左腕の傷口に、聖火が移される。
邪教徒にとって猛毒たる炎が青年の肌を焼いた瞬間、彼は精神が崩壊しそうになるほどの激痛と絶望に包まれた。
「――――……」
渦巻く異様な炎は、邪教徒共にとって猛毒たる不死鳥の火。一目すると普通の炎だが、邪教徒の身からすれば、熱を感じているだけでも心臓を締め付けられるような、肉体の内側から恐ろしい何かが侵食してくるかのような、恐怖の感覚がふつふつと湧き上がってくる代物であった。
それが肉体に燃え移ったのだ、正気でいられるはずがない。
声すら出ない痛み。強制的に魂を浄化させられる恐怖。血の歴史を物語る聖火に打ちのめされて、オクリーは瞬く間に意識を刈り取られた。
ポーメットはやっと骨の結合と回復を終えたが、その間にオクリーが気を失ってしまった。内心焦りながら聖剣を手に立ち上がり、精神を燃やしてブレードを生成する。
アーロスは片腕を失い、胴に大小様々な切り傷を刻まれているのに、まだまだ体力が有り余っているように見えた。本当の余裕か、それとも演技か。定かではないが、ポーメットは教祖アーロスの底知れ無さに慄いていた。
(この男は何故余裕で立っていられる……!? 奴の精神力は化け物か!)
もはや聖剣を上段に構えるだけの体力がない。ポーメットは斜め下からの斬り上げで仮面そのものを狙う。
真正面からの一撃は左翼に弾かれるものの、その反動で手首を返して「∞」の字を描くように逆方向から斬り上げた。
次は右翼が剣を弾く。ポーメットは全く気に留めない。そこまで頭が働かないと言った方が正しい。
とにかくテンポよく連撃を叩き込んでいく。ただならぬ剣戟に押されたアーロスの足元には引き摺ったような足跡がくっきりと残されていた。
それでも、先程と違って、あと少しの領域に届く気がしない。
自分は、アーロスを殺せない。そんな確信じみた予感がする。
オクリーがいないからか? それとも、弱いから?
「っ――」
本当はアーロスも追い詰められていた。炎を浴びた部位は治癒魔法を阻害され、聖火にじわじわと心身を蝕まれて身体の動きが鈍くなっている。
意表を突いてオクリーを倒せたものの、今の満身創痍でポーメットを殺し切れる未来が見えない。オクリーの腕を踏み抜いた際の言葉は、余裕ぶった言い回しではなく、本当に眩暈がしたために心臓を踏み抜き損ねて飛び出した言葉なのだ。
双方が激しく消耗したまま、しばしのやり取りが続く。
そんな中、ポーメットの身体に異変が起こる。『魂魄燃焼薬』の効果が切れ、肉体回復が追いつき始めたのだ。それと同時に身体中に纏っていた聖火が消えていき、本来の身体へ戻っていく。
「ぐっ……!!」
炎を纏って戦うことで、ポーメットはアーロスと五分の戦いを展開できた。ならば、最後のチャンスは炎が消えるまでの短時間。
ポーメットは人体模型の如きちぐはぐな肉体回復を見せながら、最後の攻勢に打って出た。
残った体力と精神力を振り絞り、人間性の一部すら捧げて魔法を練り上げる。ポーメットの聖剣から伸びる半透明の刃が眩い光を放つ。
剣身が更に延伸し、闇に包まれた聖都の上空へと伸びていく。天を穿つ巨大な柱と化したポーメットの刃が、力の余波で雨雲をこじ開ける。
ただならぬ予感を察知して、アーロスは全ての力を防御に割いた。これ以上身体が燃やされてしまえば、精神や魂に異常を来たしてしまう。
不可視の糸や翼を使って、巨大な腕を形作る。刃の攻撃範囲が巨大すぎて回避できない。無茶は承知で、正面から挟み込むしかない。
次の瞬間、女騎士の身体が動く。
後の脹脛に力が篭もる。スムーズな動きで大地を踏み込んだ脚から、関節や腰に力を伝える。
捻りの運動で何倍にも膨れ上がった運動エネルギーが両腕に到達。手先の剣に伝わるよう全てを注ぎ込む。
剣の先端に向かうほど速度は大きくなり、加速が加速を呼ぶ。
剣の先端が雲海を真っ二つに割り、月の光を受けて速度を増す。
音速の壁を破壊し、光速に迫る。
――限界を迎えた肉体から繰り出される、全身全霊の振り下ろし。
見る者全てを惚れ惚れさせる美しい所作だった。
そして、放たれた一世一代の一撃が空気を割る。
一瞬のうちに天から地へと落とされた刃が、仮面の男に叩きつけられた。
相対したアーロスは、己の全てを賭けて真剣白刃取りの構え。
聖剣の大きすぎるエネルギーを封殺するには、真正面からぶつかり合うのではなく、真横からの力で抑え込む必要がある。そう考えたアーロスは、超高速の刃を全身全霊で見切り――
――背から生やした巨大な腕で、聖剣を完璧に挟み込んだ。
黒い霧と聖火が飛び散り、二人の力が激しく拮抗する。
「っ!!?」
絶体絶命だったのはアーロスの方だ。
それが、一世一代の大博打で勝負を五分のところまで持っていかれた。
いや――時間経過で聖火が消えていくポーメットの方が部は悪い。
動揺と相まって、剣身から噴出する精神エネルギーが萎んでいく。
少しずつ、聖剣を舐める聖火が勢いを無くしていく。
邪教徒を抑制する炎の威力が弱まり、拮抗がアーロス優位に傾いてしまう。
「……っ!!」
アーロスは死にかけている。
間違いなく、今までの攻撃が効いているのだ。
本当にあと少しで殺せるはずなのに、届かない。
ポーメットの意識は既に限界だった。
聖火が消える。半透明の刃が収縮していく。
渾身の振り下ろしは、アーロスを前にして無力化された。
『どうやら後一歩が届かなかったようですね』
精神力を消耗しすぎて、ポーメットは前後不覚に陥る。短時間、心神喪失に近い状態となり、がっくりと膝をついてしまう。
『ここであなたの命は終わりです。さようなら、ポーメット、オクリー君』
敗者の結末は死のみ。同じく限界ギリギリの身体と精神だったアーロスは、唾液を垂らして呆然と蹲るポーメットに巨大な腕を振り上げる。
――混乱する自我の中、ポーメットは己の敗北を悟った。
……届かなかった。
時間稼ぎは、できただろうか。
危険な役目と認識はしていたが、こんな結末になるとは。
クレス、どうかセレスティアを救ってくれ……。
掠れた視界が夜闇に包まれる。
光が消え、夜の世界に支配される。
そんな時、ポーメットは少女の声を聞いた。
「アーロス様、大変だっ!! セレスティアが奪い返されたっ!!」
アーロスの攻撃が止まる。
仮面が声の方向を向く。その声の主は、肩口にかかりそうなウルフカットを揺らして、瓦礫の上に立っていた。
――ヨアンヌ・サガミクスだ。
「その女に構ってる暇はねえ!! まだセレスティアは動揺してるはずだ、取り戻しに行くぞ!!」
正気を取り戻したポーメットは、はっとしながら首だけを動かす。
彼女の複雑すぎる立ち位置を知るポーメットは、その物言いに引っ掛かる部分を感じた。
翻って、アーロスは突然の状況報告に混乱していた。
疲労困憊、満身創痍の身に降り注いだ最悪の報告。セレスティアの洗脳を解消されることは、即ち作戦失敗を意味する。
当てが外れた。セレスティアならクレス・ウォーカーにも問題なく勝利するだろうと考えていたが――まさか敗北を喫した上に洗脳解消の方法すら用意してあったとは。全くの予想外だ。
アーロスはすぐさまヨアンヌの元へ跳躍し、ポーメットとオクリーを置き去りにしてセレスティアの元へ向かっていった。
去り際、ヨアンヌが微妙な表情でオクリーとポーメットへ視線を送った。視線の邂逅は一瞬。少女はすぐに聖都最央へと消えた。
取り残されたポーメットは、気絶したオクリーの身体を抱き上げる。
彼の左腕を燃やしていた聖火を鎮火し、治癒魔法を掛ける。失った左手は戻らないが、死ぬよりはマシだ。
しかし、どうにも引っ掛かることがある。
精神を徐々に回復させたポーメットは、オクリーを背負ってヨアンヌ達を追う。
(……ヨアンヌは何故ワタシを救った? 正教邪教共に滅ぼしたいのなら、ワタシを見殺しにする方がずっと都合は良いはずなのに――)
まだ頭がぼうっとするし、身体もあまり動かない。動かそうとすると、精神が壊れそうになる。そんな状態でも、ポーメットは脳裏に過ぎる新たな波乱の予感を察して苦笑いした。
「……オクリー。また状況が変わり始めているみたいだぞ」
セレスティアの洗脳解消を確かめるべく、ポーメットは歩く。
意識を失ったオクリーはまだ目覚めない。




