一〇五話 幻夜聖祭、開幕
『幻夜聖祭』当日の朝は、妙に目覚めが良かった。
庭先に顔を洗いに行くと、先客がいた。ズボンだけを履いた上裸のポーメットだった。頭から井戸水を被って身体を清めている。
「ようポーメット、早いな」
「お前もやるか?」
「ああ、そうしよう」
女騎士の隣で俺も水を被る。ポーメットは胸を隠す気がないようで、かなり目線に困った。
俺の視線が妙に逸らされているのを見たポーメットは、少し申し訳なさそうに笑った。
「目のやり場に困るか?」
「この前銃撃された時のことを忘れたのか。俺もそういうのには一応気遣ってるつもりなんだ」
「敢えて見せている、と言ったらどうする?」
「……それを言われて堕ちない男はいないね」
「どうだか」
にやりと笑って、彼女は脇や胸をタオルで拭う。水分を拭き取った後、タンクトップを身につけ、長い金髪をひと纏めに結い始めた。
髪を縛る途中、ポーメットは我慢できなくなったかのように吹き出した。
「ふふっ」
「どうした?」
「いや、マリエッタが怖い顔をしてこちらを見ているな、と思って」
細められた瞳の先には、建物の陰から半身になって俺達を覗き込む不審な少女の姿があった。
「ハァァ〜〜〜〜?? オクリーさんその女に騙されないでください!! あたしポーメット様より可愛くておっぱいおっきいです!!」
マリエッタは逃げ去っていった。
胸のサイズに関しては全くの見当違いである。
「あの子はこんな日でも変わらんな」
「俺はマリエッタが怖いよ」
「ああいう一面に救われる時もある。以前より随分と明るくなった。オクリーのお陰だな」
ポーメットは完成したポニーテールの先を手の甲で弾くと、珍しく陰鬱なものを含んだ溜め息を吐いた。
「上裸で水浴びをしていたのは、ある種の精神統一のためさ。見苦しいところを見せて悪かったな」
神妙な面持ちの騎士が、上等な巾着袋から瓢箪を取り出した。その小物に悍ましい何かを感じて思わず身を引く。
「それ、『聖遺物』か……」
「あぁ。『魂魄燃焼薬』……中身を飲み干すと、体内の液体成分が全て燃料になるという聖遺物だ」
「飲んだら死ぬじゃないか」
「我々の身体なら問題ない。ただし、全身に想像を絶する痛みを伴う。特に全身の肌が敏感になる。布や空気に触れているだけで膝が砕けてしまうほどさ」
「お前ほどの戦士でもか……」
「耐えることには自信がある方と自負しているのだが、どうもこの薬は苦手だ。ワタシの苦手意識のせいで、お前とマリエッタには要らぬ気遣いをさせた。申し訳ない」
「気にしないでくれ。マリエッタも分かってくれてると思う」
ポーメットのような戦士でも、精神統一しなければ覚悟が決められない痛み……。ちょっと考えられないな。
「あ、そうだ。良い物がある」
「?」
あることを思い出した俺は、ポーチの中から丸薬を探り当てた。
「芥子の実を砕いて作った痛み止めだ。多用は禁物だが、こういう時くらいはな」
それは、簡易的な鎮痛剤もしくは麻薬と呼ばれるものだった。一時的な鎮痛と精神安定の効果があり、依存性もある。
本来の製作意図は、大出血しても戦い続けなければならない危機的状況で使用するためだった。ホイップと戦った際は裸に剥かれていたから使う機会がなかった。
というか、あの時以上の使い所なんて今後の人生でやってくるのだろうか? いや、ない。あってほしくない。
俺が持っていても意味はないだろう。今ポーメットに渡してしまった方が役に立ててくれそうだし。勿体ない気もしたが、俺はポーメットに丸薬を手渡した。
「ありがとう。頂戴する」
「他のみんなも、こんなにキツい聖遺物を使わなくちゃいけないのか?」
「ここまでの代物はワタシとサレン様だけだな。大抵の聖遺物は代償なしで使える」
何のために体液を燃料に変えるのかは分からないが、アーロスに対抗するために必要なんだろう。
「さあ、『幻夜聖祭』昼の部が始まるぞ。本番の夜になるまで、最後の準備を整えておけ」
☆
前夜祭までは、聖祭の運営側である正教が表立って催し物を行うことはない。
本祭からは別だ。古の時代の英霊や神に報いるため、『夜』を吹き飛ばさんとする絢爛なパレードが行われる。
本来なら、それは夜通し数日間行われる。今年は恐らく、敵の襲撃に備えた変則的な体制に変わるはずだ。
聖都に入ってくる人はいても、出ていく人がいない。もはや流入してくる人間をいちいちチェックするのは不可能だ。各門は開け放たれ、大量の観光者・巡礼者が聖都中心部に向かって押し寄せている。
ただ、先遣隊を潰して、敵の臨時拠点を破壊できたのは無駄じゃない。中継地があるのとないのでは、向こうの任務遂行難易度に大きく差が出る。
(まだ流入が止まらないということは、ポークのゾンビの大軍も確認されてないってことか。まあ、昼だと目立ちすぎる。やはり夜から行動するつもりなんだろう)
一般人の大行列の中に、どれだけの邪教徒が紛れ込んでいるのかは分からない。それを予期して、敵が姿を現した瞬間あちこちに配置された兵士が首を狩る準備を整えている。
両手両足を縛った上で聖水を振りかける。幹部の肉片ごと溶かせたなら最高だ。敵の自滅を誘える。
一番往来の盛んな道は一般の兵士が整理に当たっていた。俺が歩いているのはメインストリートから何本か外れた商店や露店のないエリアだったので、ある程度は余裕を持って歩けた。
聖都中心部を見渡すことのできる荘厳な鐘楼の頂点で、赤髪の大男クレスと薄着の剣士ポーメットが周辺を監視している。
『ようオクリー、聞こえるか。頭ん中に直接語りかけてる』
「びっくりした……俺の声は聞こえてるか?」
『聞こえるぜ。特殊な回路を繋いでるから、空気の流れがゴチャつかない限り大丈夫だ』
「様子はどうだ?」
『今んところは問題ないな。オレ達を見てたからテストの意味も込めて繋いだだけだ』
「そうか。頑張れよ」
『おう』
通話が途切れる。
サレンは聖祭の進行のために大聖堂前で待機中だ。その他の幹部も位置についているか。
いよいよだ。
昼の部が終わり、夜がやってくる。
☆
昼から夜に移りゆく時間は、ものの数分で終わる。
この時間になると、危険な街の外をうろつこうとする者はいなくなるため、外壁の門が次々に閉じられていった。
俺は建物の屋根によじ登り、高所から辺りを見渡していた。
今、聖都は完全な鳥籠だ。誰も出入りすることができない。市民を逃がすための案はノウンが立ててくれているから、問題は脱出しようとする邪教徒をどのように始末するかだ。各個撃破とは言われていたが、果たして……。
街の外縁部にある建物から、白い衣を纏った集団が姿を現す。いよいよ聖祭のピークであるパレードが始まったのだ。
劫火の灯った松明を手にした彼らは、歩調を合わせながら大挙して街の中心部に向かってくる。俺はその様子を眺めつつ、屋根伝いに街の中心部へ走った。
寸分のズレもなく行進する白衣の集団の横には、正規軍の兵士がついている。大名行列の如き異文化の隊列に、観光客は拍手喝采で持て囃した。
白衣の集団の中に、白い鎧を着た馬と馬引きが一定間隔で歩いていた。荷台には大筒が積載されていて、見るにゲルイド神聖国式の打ち上げ花火のようだ。
白き衣の意味は、ケネス正教における『清らかさ(穢れのない様子)』や『幸福』を意味するという。手に持った松明に宿る聖火は、歴代の正教最高指導者が脈々と受け継いできた神の御業と歴史の結晶である。大量の打ち上げ花火は夜の闇を祓うための光源の役割と、祭の分かりやすい山場を作って対外的にアピールする役割を兼ねているのだろう。
聖都サスフェクトのメインストリートを練り歩く白衣の集団から、馬車隊が離脱していく。そのまま兵士達が荷台から打ち上げ花火を運び出し、仮設された台に乗せて点火の準備を始めた。
静々と行進する白衣の集団の横で、巨大な花火玉がせっせと詰められる。風情もへったくれもない慌ただしさで準備を終えた兵士達は、幾つも並んだ大筒へ次々に火を灯した。
轟音が木霊して、夜空に大輪の華が咲き乱れる。あちこちで民衆の声が上がって、誰もが花火に見蕩れていた。
粛々と歩くだけの白い集団と比べると、花火の速射は喧しすぎた。伝統とか歴史とは程遠い俗っぽさがある。むしろ、この対極を混ぜ合わせたかのような天と地の混沌が『幻夜聖祭』の売りなのかもしれない。こんな圧巻の光景を見られるのだから、観光資源になるのも納得ではある。
行進は続く。白衣の者共が聖都中央の広場に至ると、大聖堂を取り囲むように動きを変えた。交差して陣形を作り、大聖堂の入口へ視線を誘導するような人垣の道が形成される。
何の合図もなく一斉に松明が掲げられ、大聖堂の扉が開け放たれた。
誰もが息を呑んだ。
頭上で幾つもの火花が散っているはずなのに、そのハイヒールの音はやけに響いて聞こえた。大聖堂から姿を現したのは、クリーム色の艶やかな長髪を揺らした美女――サレン・デピュティだった。ハーフアップに纏めた髪が、花火の光を反射して眩く映る。彼女は祝祭に相応しい特別な祭服を纏っており、誰が見ても風格や威圧感じみたものを感じてしまうほど。琥珀色の吊り目が民衆へ向けられ、やがて細められる。
「よくぞ集った、太陽の子らよ。
異を信ずる者共も、私が代表して歓迎しよう」
決して声を張り上げているわけではないのに、その声は聖都にいた民衆の耳に満遍なく届いた。花火の音や人々の喧騒すら遠く置き去りにしているかのようだった。
『聖遺物』でも使っているのだろうか。いずれにしても、雰囲気も相まって尋常ではないオーラを纏っている。今の彼女をひと目見られただけで、或いはその声を耳にしただけで、永遠の思い出になるだろうと確信するほどに。
サレン・デピュティは手のひらから火の粉を飛ばし、小さな炎の鳥を顕現させる。
その鳥はサレンの身体を離れると、中央広場に殺到した民衆の頭上を優雅に飛び始めた。
「さあ、今宵、この聖都から『夜』が消える。
一夜限りの夢の時間だ。
皆の者、喜び給え。祝い給え。
今日は歴史的な日になる。
夜の使者が光の前に屈服する、祝祭に相応しい日となるのだ」
外国人にはいまいち要領を得ないであろうその演説に、はっとした。
それは、邪教徒と戦い続けたゲルイド神聖国の民に告ぐ鼓舞なのだと……直感した。
サレンから視線を外す。屋根の上から、民の顔を一望した。
花火や火の鳥に気を取られた外国人や観光客に混じって、どこか表情の違う者達がいた。唇を噛み締めて目尻に涙を溜める者。強すぎる光に希望を貰う者。一般人だろうが兵士だろうが、老若男女問わず、ゲルイドの民は傷ついていたのだ。彼らの傷を癒すが如く、力強いサレンの声が響き渡る。
「皆の者よ。
悪意にまけてはならん。
子供達を守るため、力を貸してほしい。
厄災尽きぬ我らの世界に、どうか暖かな平和を……」
広場に会した者だけではない。
外壁の外で陣を張った対邪教徒部隊隊員。街の中を守るために配置された正規軍の兵士や精鋭。それぞれ大きな役目を背負った正教幹部達。そして、サレン・デピュティ自身。
それぞれ、一人ひとりに、声を届けていた。
俺でさえも、サレンが目の前に立って、手を差し伸べてくれているような感覚に陥った。
光の幻覚だ。暖かい、春の日差しのような……。
『幻夜聖祭』は古の英霊や唯一神に感謝するための祭だが、平和の世を願うために開かれている一面もあった。
故に、サレンは泰平の世を謳う。最後の戦いに向けて民を鼓舞する。
「古の英霊よ、天上におわします唯一絶対の神よ、か弱き我らに祝福を与えたまえ。
救いを与えたまえ」
――突如として、サレンの暖かい幻覚を侵食するような、どす黒い闇の予感が奔った。
俺と同様の予感を感じ取ったのか、サレンが炎の翼を背中から伸ばす。それは熱風となって民衆の頭上を吹き抜け、物理法則を超越した魔法に誰もが打ち震えた。
「――前口上はここまでだ。
ようこそ、闇の使徒達よ。
今宵はもてなしの茶を用意した。
さぁ、『幻夜聖祭』をはじめよう」
刹那の静寂の後、地鳴りのような歓声と喝采が巻き起こる。
サレンは地を蹴り、空を浮遊し始めた。
よく目を凝らせば、サレンは翼の根元である肩甲骨の辺りから熱風を噴射し、その反動で浮かんでいるのが分かった。であれば、蝶のように舞って見えるのは異様なコントロール力の成せる技なのか。
サレンが空を自由自在に飛び始めたことで、より一層聖都全体の熱気が高まる。花火玉が絶え間なく打ち上げられ、花火の大輪を咲かせる夜空を背景に、サレンは躍る。彼女は舞踊しているように見せかけて、高所から周辺状況の確認を行っているようだ。
(くそっ、予感がしたのに何も起こらない! もう来てるのか!? クレス、そっちはどうなってる!?)
屋根上から飛び降りて、不死鳥の神殿の方向へと向かう。鐘楼の上に立ったクレス達はまだ動いていない。
ふと、肩を軽く叩かれる。何事かと振り向こうとした寸前、聞き覚えのある声が耳元を擽った。
「セ・ン・パ・イ。自分、会いに来ちゃったっす」
背中側の肋骨に硬い何かが押し当てられる。俺をセンパイと呼ぶ男なんて一人しかいない。アレックスだ。
今動きを封じられるのは最悪だ。それに、『聖鎧』は腹部側に仕込んでいる。背中からの銃撃には耐えられない。俺は思わず舌打ちした。
「脅したところで意味はないぞアレックス……。聖都中で一般人に扮した精鋭が巡警中だ」
「っ!」
押し付けられた銃先が震え、微かに拘束が緩んだ。その一瞬の隙を見逃さず、アレックスの手を捻って武器を叩き落とす。軽い音がして棒が転がる。木の枝だった。
目が合う。窶れたアレックスの顔が至近距離にあった。奴は引き腰だ。ローブを着ているせいで分かりにくいが、恐らくは隻腕である。
「……まぁ、そう甘くないっすよね。それじゃ、自分は街を脱出するので、ここら辺で失礼するっす――」
分が悪いと見たのか、アレックスはすぐに踵を返して逃げていった。
「追え、追え――っ!」
私服姿の兵士が路地裏に逃げ込んだ金髪坊主を追っていく。アレックスの身柄は兵士に任せて、俺は自分のやれることを優先することにする。
敵は予感の通り、既に動き出している。――そうか。サレンの美麗な舞踊と魔法に目もくれず、怪しい動きをしている人間が邪教徒だ。
クレスもそのように判断したのか、指示を受けたであろう兵士達が邪教徒らしき者を次々に捕らえていた。
(誰が転送源の邪教徒だ!?)
人を掻き分けて走っていると、前方で黒い外套が放り投げられる。
雰囲気に当てられて気分が昂った者の仕業かと思ったが、どうやらそうではない。首が据わっていない。様子がおかしかった。
「ああ、ああああああぁぁぁっっ!! し、死ね! 死ねぇ!! お前ら全員、アーロス様に殺されちまえ!!」
金切り声のような奇声を上げながら、男が暴れ回っている。
異常者。しかも、恐らく、誰かの肉片を運搬している邪教徒に違いない。
(まずい――聖水入りの小瓶を投げても届かない!!)
「今に見てろ! 全員苦しんで死――」
男が懐から短剣を取り出した直後、その絶叫を掻き消すような轟音と強い光が炸裂する。瞳に焼き付いた残光は、鐘楼にいるクレスから雷が落とされたことを示していた。
一撃で絶命した男から黒煙と焦げた臭いが立ち上る。花火の音に遮られて、何が起きたかを把握できた市民はいない。
『オクリー気をつけろ! 肉片はまだ生きてるかもしれねぇ!!』
クレスの声が脳内に響き渡る。あの一撃で殺し切れていないのなら、移動要塞計画は理不尽すぎる。
そして、そのまさかが起こりうるから、最低最悪なのだ。ぞわり、背筋を指先で撫でられるかのような悪寒が襲いかかる。
予感は現実のものとなった。
☆
正教序列六位ノウン・ティルティは、メタシム襲撃後、各都市の防衛機構を急ピッチで整備した。
『遠隔通話装置』はその一環だった。
植物を操る魔法の特性を利用して、地中に伸ばした『根』を連結し、『音声入力口』『音声出力口』となる花弁を用意する。あとは双方に伝わるように根茎の中に音声を通すことができたら、遠隔通話装置の完成である。
ノウン達は都市間や都市内での遠隔通話技術を実現させていた。一般人が利用可能な通話場所は電話ボックスのように街に点々と配置されており、兵隊の駐屯地内部にも『入力口』『出力口』が設置されている。辺境の街メタシムには運悪く設置前だったのだが、それはともかく――
「遂に来おったか、邪教徒共め」
三白眼気味の瞳を厚い前髪で隠した魔法使いは、嫌悪感を剥き出しにしながら呟く。ライムグリーンの髪先に編んだおさげを弄りつつ、傍に置かれた聖遺物『魔杖レイアス』を手に取った。
ノウンは地中に伝わせた連絡用の『根』に割り込んで、聖都内の各機関に速報を飛ばす。
――邪教幹部六名及び正教幹部セレスティア……合計七名が聖都各地に転送されたことを確認。至急、対応せよ。
その一報は聖都内に迅速に行き渡り、最速かつ最適な対応を可能にした。
ノウンは『魔杖レイアス』の先端を地面につけ、精神を集中させながら呪文を唱える。魔力を込めた杖先で地面を何度か叩くと、聖都の地下中に張り巡らせた植物の根茎が動き出す。
そして、地下水路よりも遥か深くに掘られた『緊急避難所』への隠し扉が開かれていった。
聖都に点在する噴水・モニュメント・銅像がけたたましい音を立てながら横にズレる。或いは、中心部から左右に分離する。聖都各地に現れたのは、地下へと繋がる扉と階段だった。
隠れた扉が開かれたのを確認した現地の兵士達は、異常が起こっていることにすら気づかない市民の誘導を始めた。
「さて、避難が完了するまで何時間かかることやら……」
魔杖レイアス。一目すれば、風化した木の根でしかない。その実、植物・土系魔法の射程範囲と威力を上昇させる絶対的な効果があった。
民衆の避難先を用意できた今、あとは敵幹部を止めてやれば上々の働きと言えよう。もちろん、外国人を誰も死なせてはならないという条件付きだが。
(一人でも死なせてしまえば水の泡。それまで耐えられるかが勝負……)
――ノウン・ティルティは、聖都に転送してきたシャディク・レーンと邂逅することになる。
☆
サレン・デピュティは、初動に大成功した。
というのも、空を飛んでいる最中に、往来のど真ん中で裸になった少女を見つけたからだ。その異様な光景は、転送後の魔法使いを思わせた。
遠距離だった故に個人の特定は叶わなかったが、炎を放射して消し炭にしようとしたところ、全て吸収された。この防御力、大当たりだ。スティーラ・ベルモンドがそこにいた。
初動で見つけなければ大損害は必至のスティーラを都合よく発見できて、まずは第一関門突破といったところか。ただ、彼女の肉片を持った邪教徒は聖都の外に向かって走り出している頃だ。それに関しては一度無視して、スティーラと戦うまでか。
「闇の使徒共め」
サレンは深紅の鉱物『混合の血晶』を弄び、固めた拳を己の胸に叩き込み、心臓と一体化させるようにして鉱物を埋め込んだ。
(誰一人として犠牲を出さず、そして貴様に勝つためには、この聖遺物に頼る他ない)
寿命を燃焼する代わりに、使用者の思考スピードを大きく向上させる聖遺物だ。戦場では一瞬の判断が命運を分かつ。サレンは危険を承知で賭けに出たのである。
転送を終えたスティーラは、一言も発することなく、問答無用で熱線を撒き散らした。
聖都中に破壊が及ぶ前に、飛翔するサレンが全ての攻撃を炎で包み込む。死者は誰一人として出なかったが、サレンは己の寿命が急速に縮んでいくのを肌で感じていた。
☆
クレス・ウォーカーとポーメット・ヨースターは、目の前に現れたかつての仲間に悲痛な表情を浮かべた。
「セレスティア……」
二つの声が重なる。クレスとポーメットにとっては約半年ぶりの再会――しかし、底無しの残酷な現実が叩きつけられた。
闇の衣を纏ったシスターが、澱んだ瞳で二人を睨んでいる。
同僚――いや、親友として共に戦ってきたクレスとポーメットに向けるには、あまりにも厳しい視線だった。
オクリーはセレスティアの出現と同時に発生した風に吹き飛ばされていた。
セレスティアに続いて姿を現した仮面の男、アーロス・ホークアイの目から偶然にも逃れることができたのである。
『セレスティア。分かっていますね?』
「はい、アーロス様」
アーロスとセレスティアの歩む先には、願望の増幅器『天の心鏡』が眠っている不死鳥の神殿がある。二人の道を塞ぐように立ちはだかったポーメットとクレスは、蜘蛛の子を散らすように逃げていく民衆を見送りながら、揃って深呼吸を繰り返した。
黒い霧のような威圧感を纏ったアーロスを見て、ポーメットが聖剣を地に突き立てる。
「……サレン様。貴方の炎、お借りいたします」
ポーメットは空から降ってきた火の粉を手のひらに乗せ、握り締める。薄い皮膚の下を流れる血液は『魂魄燃焼薬』で燃料に変わっているため、ものの数秒で彼女の右手が炎に包まれた。
その炎は彼女が纏っていた薄着を燃やし、やがて胴を焼いた。
見目麗しい女騎士が、骨格のみの姿に成り果てる。
まるで、炎を纏って燃え盛る餓者髑髏だ。
しかし、この姿こそがポーメットの狙いだった。
骸骨の騎士は地面に突き刺した剣を抜き放つと、決して折れず劣化しない刀身に炎を燃え移らせた。
――武神。いや、終末の戦士。
天使とも悪魔ともつかぬ修羅に変貌した女騎士は、火達磨を更に燃焼させながら剣を構えた。
「アーロス・ホークアイ。これが貴様を斃す戦士の姿だ」
治癒魔法を常に発動することで、ポーメットの身体は『魂魄燃焼薬』由来の燃料を供給し続けることができる。回復と消費を釣り合わせることで、邪教徒にとって猛毒の炎を常に纏うことができるのだ。
まさに攻防一体。加えて、不死鳥の業火を纏った『聖剣』を使えるため攻撃力は倍増だ。
サレンがポーメットにアーロスの相手を託したのは、この空前絶後の攻撃力を頼ってのことだった。
対して、アーロスは抑揚のない声で言う。
素晴らしい、と。
『その戦法は初めて見ます。色々と研究されたのですね』
「…………」
猛毒の炎の光に照らされても、仮面の男は全く様子を変えない。
この男、世界の命運を賭けた戦いでも全く変わりないのか。重すぎるプレッシャーを背負っていたポーメットは、少しだけ震えた。
「……セレスちゃん。オレ達、穏便に済ませられねぇかな」
「期待するだけ無駄です。それはあなたが一番分かっているのでは?」
「……うん、そうだな」
きっぱりと切り捨てられて、クレスは下を向く。一滴の涙のように、頬に紫電が流れていった。
「――よし! じゃ、やるか!」
両頬を叩いたクレスは、セレスティアを慈愛の瞳で見つめながら、開戦の狼煙をあげた。
 




