一〇二話 鶏白湯、ウインナー、鷹の爪
金属製の張形で頭部を強打されたホイップは、激しい目眩に襲われながら平静を保った。少女はこの男の実力に恐怖していた。
(致命傷を負ったはずなのにこのパワー……オクリーちゃんも蟲キメてたんだっけ?)
手に持った双剣を構え直しながら警戒レベルを引き上げ、再びミルクちゃんを体外に露出させる。相も変わらずホイップはオクリーが失血死するまで待っていればいいのだが、手痛い反撃を貰ってからは意識を改めざるを得なかった。
今のオクリーは半死半生、内臓を零していないのが不思議なくらいの深手を負っている。骨に阻まれたか? いや、そんなヤワな攻撃をしたつもりはない。ギリギリのところで急所を外されたのだ。
(……急所を外したって言っても、全身弱点みたいなものじゃん。ちょっとおかしいね)
ホイップ=ファニータスクが寄生虫の力を借りるようになった根本の理由は、生存率を少しでも上げるためだ。寿命を捧げてでも戦闘の優位を取りたかった彼女は、己の身体に躊躇なく蟲を取り込んだのだ。
蟲の効力は身体能力向上だけに留まらず、蟲の分泌液の循環による痛覚の減衰、疲労感の除去、気分高揚、精神覚醒による思考の高速回転をも実現する。その全能感たるや格別で、大幹部を除く『普通の人間』を見下し、負けるはずがないという自負すらホイップに与えてしまうほどだった。
(この嫌な感じ、スティーラちゃんと戦う時以来だ。この私が精神的に押されている……?)
無論、その全能感をオクリーに揺るがされているわけだが。
オクリーが牽制として鞭を振ってくる。ホイップはそれを弾いて様子見した。何度かその意味のないやり取りが続き、時間だけが流れていく。
体力差を考えれば平行線を辿って苦しむのはオクリーの方だ。本人もそれを理解しているはずなのに、心が折れる気配はない。
「こんなに食らいついてくる人間、オクリーちゃん以外には見たことないよ」
「そりゃどうも……!」
ホイップの口をついて出る賞賛。そして、心残り。彼が蟲を受け入れていたら、どれほど強くなっていたのだろうか。
少女は、結果が見えていたのに、問いかけられずにはいられなかった。
「オクリーちゃん。もう一回北東支部でやり直してみない? 正直に話せばアーロス様やスティーラちゃん、ヨアンヌちゃんは分かってくれるよ。フアンキロちゃんはちょっと反対するだろうけど――」
敗北を恐れたわけではない。純粋な親切心と期待を込めて言った。
「断る」
返ってきた言葉は無慈悲だった。
「――じゃあ、死ね!」
ホイップが攻勢に打って出る。少女が前にステップするのを捉えたオクリーは、無用の長物と化した鞭を放り出し、蟷螂女が落とした草刈り鎌を拾い上げた。
左手に張形、右手に鎌を持って三刀流に立ち向かう。
「裏切り者が!! スティーラちゃんの気持ちも知らないでっ!!」
自由自在に伸縮する甲蟲が青年を攻め立てる。常人を凌駕する速度と筋力。武器とも言えぬ貧弱な道具では怪物の三刀流を防御し切れない。髪や表皮が容赦なく削り落とされていく。
しかし――
「!」
ホイップの頬元を刃が掠めた。驚愕に飛び退いた少女は頬に手をやる。そっと触れた箇所から、被っていた化けの皮が剥がれ始めた。
「なに――」
まず、流れていた汗でふやけて、人皮と皮膚の間がぬらりと滑った。次に、顔面を起点にして着ぐるみがずり落ちる。頬に入った切り込みが発端となり、いよいよホイップは人皮の変装を保つことができなくなった。
変装を諦めたホイップは、再着用の望めない人皮を破いて身軽になった。裸の美少女の足元に、抜け殻となった皮が取り残される。
「俺はそっちの顔の方が好きだぜ」
皮肉たっぷりに告げるオクリー。ホイップは言い返そうとしたが、先程痛撃を貰った側頭部が鋭く痛んで、怯むように口を噤んだ。
頭の芯が熱を持っている。どれほどの馬鹿力で叩き込んだのだ、と独りごちる。
そういえば、もう一人の兵士の相手をしている三人はどうなった? あの敵はホセとか言ったか。彼の始末は終わっていてもいいはずだ。
(まだ来ないの? 長すぎるよ。……まさか、三対一で私の部下ちゃんが負けるわけ……)
ホイップの思考に陰りが生まれる。それは何もホセの勝敗だけでなく、いつまで経ってもオクリーを殺せないことも原因だった。
何故か、傷を負い血を流す度に、オクリーの動きは俊敏になり、筋力も遥かに上昇しているように感じてしまう。追い詰められるほど強くなるなんて有り得ない。何もかもがイレギュラーすぎる。ふざけた生命力の強さに、蟲の力を借りているホイップの方が参っていた。
ホイップは己の肉体が持つギリギリの出力でオクリーに連撃を放った。上下左右からの二刀流に加え、変則的な蟲の攻撃が叩き込まれる。
しかし、筋力・瞬発力・速度――これら全てで上回っているはずの青年を殺し切れない。三本の剣を乱れ打ちにしても、オクリーは攻撃のダメージを最小限に抑えて的確な反撃を叩き込んでくる。
ミルクちゃんの剣は回避先を読んで攻撃しているのに、それすら当たらない。
(なっ――何で!? ここにきて成長してる!?)
自分より劣っているはずの相手に互角の戦いを展開されてしまえば、いくらホイップでも精神的に消耗してしまう。しかも、攻撃が当たらず、逆に敵の攻撃はこちらを捉え始めている。彼の生命力が蟲よりも驚異的なことも相まって、彼女は完全に冷静さを失っていた。
三刀流の攻撃に対応したオクリーが、遂に攻撃の波を掻い潜る。張形が右上腕の骨を砕き、鎌が豊満な胸を深々と傷つけた。
(っ……何でだよ!! 持久戦はどう考えても私の方が有利のはずだろうがっ!!)
大量出血を起こしている相手に持久戦を挑んではいけないなんて、普通誰が考える? いよいよホイップを上回りそうなオクリーの戦闘力を見て、彼女はプランを変えた。
「もう、最悪っ!」
剣を乱雑に薙ぎ払って敵を追い払い、己の両腕が玉砕するのも構わず暴れ回る。腕の骨や筋肉の限界を超えたパワーによって、両腕の肉がずたずたに裂け、骨が粉砕する。そんな鬼気迫る様子に怯んだオクリーを見て、ホイップはミルクちゃんを体内に収納した。
「これだけは使いたくなかったんだけどなぁ……」
少女はそう言って、臍の下を押さえた。
――かち、かち、かち。
少女の体内から顎を擦り合わせる音が聞こえてくる。段々とその音は大きくなって、少女の身体に異変が起こり始めた。
「――う、あああぁぁ……! あああぁぁぁあああああああっ!!」
喉が張り裂けそうなほどに振り絞った絶叫。次の瞬間、肉がひしゃげ、骨が砕け、胴が凸凹に変形して再構築される。全身の筋肉が波打って形を変え、少女の均整の取れた肢体は見る影もなく化け物のそれに変化していった。
脚部は逆関節に、腰部は極端に細くなり、胸部にたすき掛けの如く甲蟲の胴を浮き出させて、ミルクちゃんとの融合を終えたホイップは咆哮を上げた。
その声は蝉の断末魔に類似しており、いよいよ彼女が人間をやめてしまった事実をオクリーに確信させた。
「これが私の真の姿だ!! どうよオクリーちゃん、ビックリしたかな!?」
一七〇センチの身体が二五〇センチに。元々の美しい外見を完全に捨て去ったホイップは、蟲の外皮と混じりあって変色した己の肉体を見下ろした。自慢げに異形の手を開閉させて、恍惚とした声色で呟く。
「ああ……これが蟲の力。凄いわぁ……」
「で、どうやって元の姿に戻るんだ?」
「……その減らず口がいつまで続くか見ものだね」
第二ラウンドはオクリーの勝利だ。彼は第三ラウンドの気配を感じて、ぶるりと身震いした。
筋肉とも甲殻ともつかぬ表皮に血管が浮き、片目の輝きを失ったホイップ。もはや剣を扱う方が弱いのだと言わんばかりに、三本の剣を放り出す。そして、肘から生やした甲殻の刃を、三本の剣に向けて振り下ろした。
三本重ねられた剣は、お株を奪うように一刀両断され、見るも無惨に砕け散った。身体と一体化した刃だというのに、そこらの武器では歯が立たないと来た。オクリーの頬が引き攣るのと裏腹に、ホイップの口端が歪んだ。
「おいおい……」
「――あはっ」
蟲女ホイップは人間を超えた脚力で床を蹴り、壁を跳ね、目にも止まらぬ三次元殺法でオクリーに襲いかかる。一振りでベッドが真っ二つに割れ、宙に浮いた残骸が粉微塵に擦り下ろされる。一目で「これは無理だ」と判断したオクリーは、完璧な防御を諦めて致命傷を負わないことに専念した。
甲殻の黒々とした刃が横切る度、張形の表面が皮を剥くように削られ、草苅り鎌が逆方向に変形する。鋭角で受け流しても駄目。馬鹿げた筋力と蟲の刃のなせる技か。
「いよいよ人間やめちまったな、ホイップ!!」
「オクリー――……オクリーッ!!」
しかし、ホイップの攻勢はここで終わった。
蟲と一体化し、加速していく身体――際限なき加速は感情の暴走をも引き起こし、次第にホイップの正気を失わせていったのだ。
先程までの舐め回すような厭らしい攻撃と違って、単調さばかりが目立つホイップを見て、オクリーも彼女の異変に気づき始める。
身体能力はさっきよりも遥かに向上している。だが、ほとんど無傷で防ぎ切れている。冷静さと搦手の上手さ、それを支えるミルクちゃんの殺傷能力こそ唯一無二の取り柄ではなかったのか。蟲の力に呑まれてしまったら意味がないだろう。オクリーは哀れみの目で敵を捉えた。
一直線の突撃をひらりと回避する。いくら速いといっても目は慣れてくる。反撃こそ取れる気はしないが、人間形態の方が苦手だった。
扉の前に転がる。そんなオクリーの元に、ホセが扉を蹴破って助太刀しにやってきた。
「悪いなオクリー! 手間取っちまった!」
「ホセさん! 無事でしたか!」
「おうよ。おめぇは――……ヤバいな」
「そこの蟲に噛み千切られました。今頃胃の中ですね」
ホセはズボンだけを身に纏い、筋骨隆々の上半身に蟲女の死体を背負って現れた。彼はオクリーの股間が大惨事に陥っているのを見て絶句する。
そして、ホセと合流したオクリーは、ホイップ乱心の真意を知ることとなる。
個室を破壊し尽くして、息を切らしたホイップが怒りの声を上げる。
「オクリー……おまえが現れてから、私のスティーラちゃんがおかしくなった」
「あ?」
「ずっとずっと、スティーラちゃんの一番は私だったんだ!! おまえが全部奪ったんだよお!! 食事を摂る時、ボーッとしてる! 聞いたら、オクリーのことを考えてるって!! ふざけるな!! ベッドの上でもおまえのことを考えてる!! 私のお人形さんだったのに!!」
「おい……こいつ何言ってんだ?」
「…………」
スティーラ・ベルモンドに思うところのあったオクリーは口ごもる。
「ホイップ。お前はスティーラの何を知ってる」
「全部だよ! おまえの知らないことも、全部知ってる! だから私のモノだ! おまえのモノじゃない!!」
「そうか」
ホイップがスティーラに向けている感情は思っていたよりも重いらしい。オクリーはホセと目を合わせると、彼女を打ち破るべく二手に別れた。
「オクリー! おれに合わせろ!!」
「了解です!!」
蟲女の死体を棍棒の如く携えたホセが右手に、ボロボロの張形と鎌を持つオクリーが左手に。ホセが頭部を捻り潰された死体の足首を掴んでぶん回し、ホイップに振り下ろす。彼女は見え透いた攻撃を刃で弾き飛ばした。
すると、肉を切断する音の他に、硝子が割れるような音が微かに生まれた。
ホセが背中に隠していた盾と剣で突貫してくる。オクリーも背中側から鎌で切りつけてくる。ホイップは二人の攻撃を捌きながら後の先を取ろうとするが、彼らは互いをカバーするように不規則なタイミングで攻撃を打ってくる。
二対一で立ち回るホイップの脳裏に、ふと異音の違和感が過ぎった。
衣類に付属した金属類でも砕いたか? それにしては音が軽かった。では、硝子を身体に身につけていた? そんなことが有り得るのか?
様々な考察を繰り返すホイップだったが、唐突に現れた身体の異変に思考が停止する。
「あ……あああぁ……!!? あ、熱い……!!」
――皮膚が、溶けている。
硬さと靱やかさを兼ね備えた無敵の肉体が、細胞から崩壊していく。
溶け落ちて地面に垂れていく肉体組織を手で掬いながら、ホイップは先刻の違和感の原因に思い当たる。
「――まさか、おまえぇっ!!」
「そう慌てなさんな。『聖水』の味は初めてか?」
ホセが小さく笑う。彼が振り下ろした死体――切り捌いて飛び散った血液の中に、透明な液体が混じっていた。
それは何故か。硝子の異音、溶ける肌。間違いない。この兵士は女の死体の中に聖水入り小瓶を隠していたのだ。仲間が強奪してきた小瓶を、まさかそんな形で使われてしまうなんて。それを知らずに死体ごと瓶を叩き切ってしまったから、異教徒である自分は液体を被って苦悶させられているのだ。
そこまで思い至って、ホイップは自分自身に絶望した。
あまりにも間が悪い。オクリーに対して初めからこの形態になっておけば、二対一で追い詰められることもなかった。初めから全力で抹殺しておけば良かった。なまじオクリーが同僚だったせいでその判断が遅れてしまったのだ。
「――最、悪……」
飛沫に触れたホイップの皮膚が蒸気を発し、焼き鏝を押し付けたような痛ましい音が上がる。彼女が怯んだ隙に体当たりを決めたオクリーは、ホイップ渾身の右ストレートを回避し、するりと首元に駆け上がってチョークスリーパーをお見舞いした。
「また右側から攻撃したな、お前の悪い癖だ!」
「ごほッ……!?」
怪物が暴れ回り、オクリーを振り落とそうと藻掻く。意識を落とせるところまでは行かないと判断したホセが、援護の形で脇腹に刺突する。刀身の半ばまで胴に挿入され、どす黒い鮮血が吹き出した。
「ぐ、ぐあああぁぁ!! 痛い痛い痛い痛いぃぃぃいいっっ!!?」
感情が加速し、痛みで掻き回され、もはや正気を失いつつあるホイップ。聖水に全身を焼かれ、腹部を貫かれ、首を絞められ、彼女は錯乱状態に陥っていた。
「お前は普通の人間にしては強すぎた! 右から攻撃する癖を治す機会がなかったのが運の尽きだ!」
首周りに足をかけたオクリーは鎌を振り翳し、ホイップの胸元に叩きつける。しかし、軽快な音がして刃が破断する。ならばもう片方で――逆手に持った張形をホイップの開いた口に叩き込む。何本かの歯が折れて、蟲女は喉奥まで鋼鉄の棒を突っ込まれた。ビクンと身体が跳ねて、激しい嘔吐反射が起こる。
噛み砕く、嚥下する、手で取り除く――あらゆる選択肢が過ぎったであろうホイップの思考を察知して、オクリーは鎌の根元で顎の筋肉を内側から切り裂いた。下顎がだらしなく落下したのを見たオクリーは、渾身の正拳突きで張形を喉奥に叩き込む。
「――――ッ!!」
声にならない悲鳴がホイップの喉から漏れる。張形は深々と喉に突き刺さってしまい、取れる気配がない。暴れ回ってオクリーを振り落としたホイップは、首元を押さえ、引っ掻き、腰を仰け反らせて激しく苦しんだ。
「――ごぽっ、ごぼぼ……」
怪物の口から血の泡と唾液が噴出する。白目を剥いた女は、遂に己の喉笛を切り始めた。
剣よりも鋭い刃が喉元に当てられ、何度も往復する。やがて己の胴と首を完全に切り離したホイップは、剥き出しの食道に敷き詰められた張形を指で摘んで取り出した。金属の棒が食道を押し広げ、気道を完全に塞いでいたらしい。いくら怪物とはいえ、酸素が供給できなければ木偶の坊。むしろ、運動能力が向上し、身体が肥大化したせいで、酸素効率は人間の頃より劣悪になっていてもおかしくなかった。
そして、張形を取り出したホイップの胴は、糸を切られた操り人形の如く膝から崩れ落ちた。逆に、地面を転がった彼女の生首は、安心した表情で息を吐いていた。
「あぁ……やっと、息ができる……」
彼女の顔は人間のそれに戻っていた。もう幾秒も生きられないだろう。
ホイップは憑き物が落ちたような微笑みを浮かべてオクリーを見た。
「……ちくしょー……この裏切り者……腐っても私のライバルだね……それくらい強くなくっちゃ、アーロス寺院教団の幹部候補は務まらないんだから……」
眼球だけが動き、オクリーを捉える。目尻から一筋の雫が流れ落ち、血の海に溶けた。
ホイップを見下ろしていたオクリーは、彼女の傍でそっと膝を折る。
「安心しろ。すぐスティーラと一緒になれる」
「へぇ……それは……うれ、しい……な…………」
そのまま、オクリーは少女が息絶えるのを見届けた。
そっと瞳を閉じさせた後、胴体と癒着していたミルクちゃんの様子を窺う。
「安心しろ。蟲の方も死んだぜ」
「そうですか」
宿主との間に絆が芽生えていたのか、ミルクちゃんはホイップと共に死を選んでいた。頭部を失い朽ちゆく肉体と融合したまま、巨大な蟲は触角の動きをぴたりと静止させた。
完全に生命活動を停止すると、蟲と一体化したホイップの身体が鶏白湯の如き液体と化して形をなくしていった。終いには湯気を放って気化し始める。証拠隠滅を兼ねた品種改良を加えたのだろうか。それとも、聖水の効力か。いずれにしても、蟲の生態を探れないのは正教陣営にとって痛手だった。
ホイップの死を見届けたオクリーは、受け身も取れずに地面に倒れ込んだ。手をつくことすらできないで、後頭部を強打してしまう。
「お、おいオクリー! 大丈夫か!?」
喋らないオクリー。全身を切り裂かれた上に外性器を切断されたのだ、ホセは安定姿勢を取らせることすら躊躇ってしまった。
そして、このタイミングで増援が到着。屋根を破壊しつつ飛来した召喚獣『黄金の守り手』が、一陣の風と共に、館に残っていた蟲女を一人残らず鉤爪で引き千切ってしまった。
一瞬の出来事だった。文字通りレベルの違う戦闘力に唖然としながらも、ホセは両手を大きく振ってジアターに呼びかける。
「お――――――い!! オクリーが死にかけてる! 何とかしてくれぇ!!」
鷹の翼に隠れていたマリエッタやその他の兵士達が続々と降りてくる。兵士は三人。一人欠けている。
「ゴッラムはどうした?」
「不意をつかれて大怪我だ。ジアター様に頼んで実験場に運んでもらっていたのさ」
ゴッラムとペアを組んでいた兵士メルチェが肩を竦めて言う。ジアターは召喚獣を通して治癒魔法を使用することができない。
だから到着が遅れたのか、とホセが唇を噛む。オクリーを一刻も早く治療しなければ命はない。
「オクリーさんっ!!」
『黄金の守り手』の背から飛び出してきた茶髪の少女が、裸の青年を掻き抱く。怒りと喜びが滲んだような複雑な表情で、彼女は誰にも聞こえない声量で呟いた。
「あたしの知らないところで死ぬなんて……そんなこと、絶対に許しませんからね」
流石のマリエッタもその出血量を見て冷や汗を流す。大小様々な生傷に加えて大量出血。包帯がいくらあっても足りやしない。どこから治療すればいいのか分からない。圧迫止血したところで意味があるのか、とさえ思える惨状だった。
マリエッタの全身は敵の返り血によって真っ赤に染まっていた。彼女とペアを組んでいた兵士サンフレームは、「コイツが八人全員ヤッちまったんだよ。ジアター様を呼ぶ前に」と首を振る。
ということは、花火を上げたのはゴッラムのペアだったわけか。そこで合流した後、こちらに来たのだろう。ホセは現状を把握しつつ、マリエッタに向けて叫んだ。
「おいマリエッタ、オクリーのチンチン探せ! 見たことあんだろ!」
「!?」
その場にいた全員が言葉を失う。何を言ってるんだコイツ、という雰囲気の後、いや納得できなくもないか……という沈黙が漂った。食い千切られてしまったオクリーの一物を見て顔を顰める男性陣。ただ一人、マリエッタだけが威勢の良い声を上げた。
「分かりました! あたし見たことあります!」
「うん、そうだよな! そのドロドロん中にあると思うから、掘り返せ!」
「はいっ!」
「男衆は応急処置だ! 急げ!」
「お、おう!」
マリエッタはオクリーの身体を下ろすと、ホイップとミルクちゃんの残骸らしきドロドロの液体に指を突っ込んだ。指圧を加えればすぐに身が解れる。この中からオクリーの一部を探せばいいだけだ。マリエッタは一心不乱にオクリーの一物を探し始めた。
一方、その他の人間にマトモな応急処置を命じたホセは、ジアターに頭を下げてマリエッタの背中を指した。
「ジアター様も捜索を頼みます」
『えっええ〜!?』
「その召喚獣、目が良いんでしょう」
『……そ、そうですけど……』
グリフォンが困惑したように足踏みして、曲線美溢れる首をきゅっと縮める。
ジアターは根暗で猫背で自分に自信を持てないタイプの人間だが、それでも淑女だ。いきなりチンコを探せと言われれば困惑や羞恥を覚える。しかし異性の立場から「おちんちんは諦めてください〜」と言い出すことはできず、恐る恐るといった感じで男性器探しに参加せざるを得なかった。
「あっ! ありました! 間違いありません!」
「やるな!」
結局、マリエッタがオクリーを掘り当てた。
宝物を掘り当てたような表情だった。
『はっ早く帰りましょう!』
ジアターの一声によって、残った兵士達がオクリーを抱えて召喚獣の背中に騎乗する。全員を乗せたグリフォンは天高く飛翔すると、実験場へ一直線に向かっていった。
野次馬が集まり始めた風俗街にて、マリエッタの残した花火が空に火薬玉を放つ。空に大輪の華が咲き誇ると、大衆は崩れた館なんて気にしないで風情に浸った。
その後、サレンによって情報規制が敷かれ、風俗街で起こった一連の騒動は「花火の事故」によるものと処理された。
結果的に、正教側は地下水路の塒を破壊できただけでなく、娼館に潜んでいた邪教徒達を一網打尽にできたのであった。




