一〇一話 食べちゃった♡
実験場に戻ったオクリーは、これまで乗っていた大鷲が光の粒子になって消えていくのを見届けた。入れ替わりに本体のジアターがやってきて、はやくはやくと手招きしてくる。スカートを引き摺る彼女に連れられて、オクリー・マリエッタ・ホセは不可視の施設内に避難した。
実験場には、ベッドに横たわり、右腕にぐるりと一周包帯を巻かれたダロンバティがいた。
「ダロンバティさん、無事だったんですね!」
「……今はくっついてますけど、右腕をぶった切られました。それに、『聖水』の入った小瓶を奪われました。最悪です」
居住エリアの死体は片付けられていた。ノウンの植物が片付けたのだろう。
地下からローブを纏ったノウンが上がってきて、俺達は現状把握のために情報を交換し始めた。
まずダロンバティ。彼はヨアンヌの言葉を疑い、独自に街の巡警を行っていたという。
「ヨアンヌは『前夜祭から先遣隊がやってくる』と言っていましたが、僕には信じられなかったんですよ……」
予想できた潜伏先は二つ。マリエッタ達が壊滅させた地下空間か、治安が悪く容易に手出しできないエリア――即ち、スラムか風俗街である。
ダロンバティは風俗街を虱潰しに調査した。誰も立ち入らないような薄暗い路地を行き、怪しい者がいないか目を光らせた。
そして――見つけた。一瞬だけ、耳の穴から蟲の触角を覗かせた女を。
「見つけられたのは偶然でしょう。呼吸のために顔を出したとか……とにかく、逃すわけにはいかなかった」
北東支部には、ホイップ=ファニータスクをトップとした潜入員『伏蟲隊』がある。その一員であろう女を、一撃のもとに屠り去った。
しかし、頚部の切断面から飛び出てきた巨大な羽蟲が、すれ違いざまにダロンバティの右腕を切り飛ばしてしまった。その際に『聖水』入りの小瓶を取り落としてしまい、羽蟲に持ち去られたというのが事の顛末だった。
「邪教徒共に『聖水』を解析されると厄介じゃ。なるべく早く取り返したい」
「……すみません」
「いや、よい。風俗街に敵がいると知れたのは収穫じゃ、よくぞ生きて帰ってきた」
「ノウン様……」
ダロンバティは繋がったばかりの右腕を包帯の上から撫でる。ノウンは「わらわ達と違って生えてこないのだから、無理をするな」と彼を労った。
「風俗街は確かに治安が悪い。蟲女共が潜伏するには願ってもないエリアじゃ」
「潜んでいる邪教徒は一人だけじゃないってか。大いに有り得る話だぜ」
続いての報告は実験場に留まっていたノウンだ。
彼女はポーメットの報告を受けて襲撃を知ったという。そして、ポーメットとクレスはスラム街から敵がやってきたに違いないと当たりをつけ、二人して出ていったのだとか。
オクリー達も報告を終える。
アレックス達が使用していた鋼鉄の大筒を机上に置く。
「外国産の武器を改造した銃だと言っていた」
「これも調べる必要があるのう」
「まるで大砲だぜ」
「では、話を纏めようかの。――前夜祭を前にして、聖都サスフェクトには多数の侵入者がおるわけじゃ。下水道、風俗街、そして恐らくスラムにも。で、それらのうち下水道の拠点はジアターが破壊したと」
スラムや風俗街にも根城はあるはずだ。特に風俗街。『聖水』の小瓶を持ち逃げした蟲が仲間の元に向かった可能性は高い。
そんな考察から、ノウン達は風俗街を調査することに決めた。
「俺も調査に行こう。『伏蟲隊』とやらのリーダーを知ってるんだ。戦ったこともある」
「マジかよ、おめぇ何でも知ってるな」
「ついてくるのはホセさんと他数名の兵士、それとジアターの召喚獣だ。ノウンは目立つから、ここで待機してもらいたい」
「うむ……怪我人がいるし、実験場には大事なデータがあるからのう。留守にするわけにはいかんな」
「そういうことだ」
オクリーはジアターの方に向き直る。
「飛行可能な召喚獣で、空から援護してほしい。敵を見つけたら花火で知らせるから、そのつもりで」
「いいですよ〜!」
分厚い前髪の隙間から見える神秘的な烏羽色の双眸が揺れて、ジアターは嬉々として手を振り上げる。猫背で俯いていた一八〇センチの身体がぴんと伸びた。
黒い長髪が風で舞い上がり、翳した手の内に光の粒子が集まってくる。光の粒子が形を成していき、『黄金の守り手』を顕現させた。
「おぉ……!」
真夜中の屋外だった故見えにくかったが、先刻乗っていた召喚獣は鷹の上半身とネコ科の下半身を持つ『黄金の守り手』だったようだ。屋内であればその姿が良く見える。
「では、空から見守っておきますので!」
「よろしく頼みますよ、ジアター様!」
翼を大きく波打たせて召喚獣が空に飛び立つ。
それを見届けたオクリーは兵士達に花火を手渡すと、風俗街に向かって走り出した。
もうじき、前夜祭が始まる。今日は前夜祭の前夜祭といった風な盛り上がりを見せていた。
聖祭に伴う観光客の増加に従って、娼館はかきいれ時だと言わんばかりに宣伝を行う。何でも『幻夜聖祭』開催期間だけで一般人の年収を稼いでしまう嬢もいるとかいないとか。彼女達の気合いの入り方も半端ではなかった。
独特のお香の匂いに釣られて、フードで顔を隠したオクリー達は遊郭エリアへとやってきた。
(……マリエッタを連れてきたのは失敗だったか? こんな場所に女の子が彷徨いてるのは不自然でしかないもんな)
マリエッタはフードを深く被って顔を隠しているものの、明るく脱色した茶髪が襟首に零れてしまっている。男性の楽園である一帯に娼婦以外の女性――それも少女と言える年齢の子供がいるとなると、周囲の注目が嫌でも高まるのが分かった。
脂ぎった男達の下卑た視線が少女の全身に突き刺さるのが肌で感じられる。オクリーは彼女をそっと庇うと、兵士達に『伏蟲隊』のリーダーであるホイップ=ファニータスクの情報を小声で伝えた。
一七〇センチ、金髪ロングの美少女。攻撃方法は双剣と体内に仕込んだ蟲で、時には三刀流も扱う。右手から攻撃を振りがちで、異常なパワーを持つ。
それだけ言ったオクリーは、持ってきた花火を各々に手渡した。
「皆さん、二人ペアになって邪教徒を探しましょう。マリエッタとサンフレームさんはダロンバティさんに倣って路地裏を進んでください。ゴッラムさんとメルチェさんは南エリアを虱潰しに、俺とホセさんは北エリアから調査します」
「了解。異変があれば花火を上げる、だよな?」
「はい。……皆さん、どうかご無事で!」
マリエッタの熱っぽい視線を受け取りつつ、オクリー達は風俗街で散開した。
蟲を隠した邪教徒の見分け方はいくつかある。まず、鼻、耳、口から触覚を覗かせているうっかり屋さんは言わずもがな、身体の中から『キチキチ』という擦り合わせるような音を発する人間も黒だ。また、『伏蟲隊』の大半は容姿を変えるために他人の人皮を被っている。そのため、肌のどこかに縫い目や継ぎ目がある。その痕跡を見つければ良い。
マリエッタ達と別れたホセとオクリーは、夜明けが近づく聖都の風俗街・北エリアにやってきた。
「しかしオクリーよぉ、調べるっつっても風俗街は結構な規模だ。果てしなく時間がかかっちまうぜ」
ホセが行き交う人々を吟味しながらぼやく。オクリーは北東支部で聞いた金属を擦り合わせるかの如き音を思い出しながら、必死に耳を澄ませた。
「……人気のある娼館に奴らは来ないでしょう。まず、そこら辺は一旦無視します」
「あぁ……確かに、人気のあるところは嬢の選定・審査と抜かりねぇらしいからな。なら、比較的人気のねぇ娼館で、最近入ってきた新人を調べた方が効率的ってわけだな」
「そういうことです」
聖都の中心部から離れた位置にある風俗街は、ケネス正教がバックについた公営娼館の集合地である。他都市や外国人の女性が多く勤めており、春を売る以外にも、高貴な客をもてなすコンパニオンとしても活躍の場がある。強姦や姦通を避けるための必要悪という立ち位置もあった。
建前上は仕事の強制もなく、結婚や私事による引退や退職も自由だ。若さが重要視される性質もあって、働き手の入れ替わりは頻繁に起こる。そんな理由から邪教徒侵入ルートの一つとして確立されているのだろう。
もちろん、定期的に対邪教徒部隊の立ち入り調査は入っているのだが、それでも網を抜ける鼠は存在しているのだ。
「手当り次第の聞き込み調査になるな。……これ、嫁にバレたら怒られちまうよ」
「その時は一緒に怒られましょう」
「へへっ、いいねぇ」
オクリーは、何となく目についた娼館から聞き込み調査を始めた。
珠のれんの入口を抜けると、薄着の美女達が肉感的な肢体をアピールしながら手を振ってくる。オクリーは、風俗はもちろん娼館など利用したこともない。若干動きがぎこちなくなった。
その気もないのに、こんな場所を闊歩することへの罪悪感が沸き上がる。いいや、民衆を守るためには仕方ないのだ。そう言い聞かせて、オクリーは女主人に問い掛けるホセを後方で見守った。
「すまねぇ、この館に新入りはいるか?」
「何だいお兄さん、物好きだねぇ」
「まぁな」
この反応、新人がいるということだ。オクリーはホセと顔を見合わせる。一匹でも蟲を確認できたなら、あとは花火を上げて召喚獣を呼べばいい。オクリー達は女主人に呼び出された『新人』を待った。
(ホセさん。まずは敵を見つけましょう。恐らく審査の緩い娼館は決まっているでしょうから、相手は群れているはずです。勘づかれないようにしましよう)
(了解。『聖水』ぶっかけてやる)
(……別の意味に聞こえるんですけど)
オクリーとホセは半透明のカーテンを開いてやってきた『新入り』に視線をやった。
――ネオンパープルの照明に照らされて、異彩を放つ少女が一人。調査にやってきているはずなのに、オクリーはごくりと生唾を呑んだ。目を惹かれた。黒髪ショートカット、最小の布面積で恥部を隠す下着とベビードールを纏った美少女である。
そして、彼女に連れられて五人の美女がやってくる。オクリーが一瞥した限りでは、どこにでもいそうではあるが、目を惹かれるような大変可憐な女性達である。ただ、黒髪ショートカットの美少女がどうしても気になる。オクリーは疑念に満ちた視線を黒髪の美少女にぶつけた。
(……似てる。雰囲気がホイップ=ファニータスクのものとそっくりだ……)
オクリーは邪教内でも結構な有名人だ。そのため、頭部から片目にかけて包帯を巻き、無精髭を生やして偽装してはいるが、人皮を被って別人に成り済ます敵と比べるとあまりにもお粗末だ。
偽装のプロの前でやることではないし、フードを脱ぐことはなるべく避けたい。ホセの裾を引いて、彼の背中に隠れながら告げる。
(ホセさん。ここ、かなり怪しいです。気を引き締めて調査しましょう)
(了解)
そうして店の奥に入ろうとしたところ、屋外から籠った破裂音が聞こえてきた。
花火の音だ。
「………………」
オクリーが手渡した花火は筒型の打ち上げ花火だ。点火すれば数秒後に空に上がり、上空で炸裂する。
散開してから三〇分も経たないうちに敵を発見したのか。流石は精鋭部隊だ。オクリーは改めて緊張を噛み締めつつ、六人の娼婦をフードの下から睨みつけた。
「今いる新入りはこの娘達だけだね」
「おにーさん、選んでくれてありがと〜! いっぱい良くしてあげるから、行こっ!」
オクリーは黒髪の少女と二人の美女に手を引かれて、奥の個室に引っ張られていった。まるで宮殿の如き広々とした内装だ。外套に手をかけられ、フードを脱がされる。
手馴れているのか、強引さを感じさせず、あっという間にホセと引き剥がされてしまった。彼の姿はない。いつの間にか本番直前のムードが漂っていて、オクリーは全身の血の気が引く思いだった。
「怪我してるの?」
「痛そ〜」
「……醜い傷痕がある。取れないんだ」
「戦う男の人って感じでかっこいいじゃないですか〜」
大きな臀部がオクリーの隣に落ち着く。三人に囲まれてベッドが軋み、肩を寄せられる。
(見たところ、外国人は多そうだ。異教徒に特攻の『聖水』は使いづらい。書類をかき集めて照会するのも時間がかかりすぎる……か)
やはり、裸を見て、肌の継ぎ目や縫い目を確認するしかない。オクリーは冷や汗を流しながら彼女達の方に向き直った。
「おにーさん、名前は何て言うのぉ?」
「オク……奥居です」
「オクイくん! じゃあ、目隠ししちゃいますね〜」
「えっ?」
しかし、黒髪の娼婦が頬に唇を落としてくると同時に、オクリーは残った二人の娼婦に目隠しをされてしまった。その様子が伝わってヨアンヌはブチ切れる。
(や、ヤバい! 後手を取ったか!? あとヨアンヌはいちいち怒るな! 早く調査して白黒はっきりさせないと――)
そう思って目隠しを取ろうとして、あることに気づく。
(――両手両足が動かない!? 縛られてる!! いつやられた!?)
いつの間にか、オクリーは四肢をベッドに縛りつけられていた。
(な、何だこれ!? やっぱり当たりかよ、畜生!)
オクリーは北東支部で鍛えられた手練であり、精鋭の邪教徒と比べても遜色ない実力を誇る。そんな彼が意識の間隙を突かれて両手足を拘束されたのは、相手が場数を踏んだプロだからに違いなかった。
ホセに異常を伝えるべく叫ぼうとするが、猿轡のようなモノを咥えさせられて、涎を吹くだけに終わる。
夢の園が一転、裸に剥かれた無防備な男が敵地に飛び込んだ形になる。裸に剥かれて目隠しをされ、オクリーは暗闇の中で初めて味わう刺激に身悶えた。
しかし、襲いかかったのは恐れているような攻撃ではなかった。まるでヌルヌルの生き物が蠢いているみたいに、自由自在に攻め立てられる。
――弄ばれている。絶対に正体がバレているのに、手のひらの上で転がされているのだ。
心臓が嫌な音を立てて暴れ回る。
「裏切ったの?」
「ッ――」
先程までの媚びた声とは違い、底冷えした声が耳元で囁かれる。
聞き覚えがある。ホイップ=ファニータスクだ。人皮を被って外見を変えていても、声だけは変わらなかったか。継ぎ目を見られないために目隠しなんてさせたのだろう。もちろん、オクリーを拘束して尋問する目的もあったはずだ。
今のホイップには北東支部で会話した際のふわふわとした印象はない。次第に、その声色に怒りがこもり始めた。
「さっき正教のクソ共と一緒に私達のこと探してたよね? ね、何で? 指はもう没収されて作戦の補助員に回ったはずなのに、どうして邪魔するのかな? 捕まってる間に洗脳されたの?」
やられた。経験の無さがそのまま敗因になった。だって、初めてなのに一対多人数をさせられるなんて思っていなかったのだ。心構えの時点で失敗していた。
焦燥に焼かれる思考の隅から、かち、かち、かち――擦り合わせるような金属音が聞こえてくる。肌を擽る指圧――初めはそう思っていたのだが、どうやらそれは蟲の足が這いずる感覚らしい――が強まる。
「オクリー様……密かに憧れておりましたのに……裏切ったのですね」
「信じられない。アーロス様を裏切ってゴミ共の味方をするなんて」
ホイップの部下らしき女達も悲しみと怒りの声を上げるが、そもそも今のオクリーは喋らせてもらえない状況にある。彼は首を振って必死に否定するが、ホイップ達の中での答えは決まっていた。
「殺す前に気持ちよくしてあ〜げる!」
ホイップの明るい声が響いた直後――じゃきん。何か鋭いものを噛み合せるような音が響く。そして、股間に激烈な熱が迸った。
お香の匂いを上書きするような鉄臭さがオクリーの鼻腔を刺激する。次いで、視界を遮るものを外された時、赤い液体を被ったホイップが、臍の下を愛おしそうに押さえていた。
「ごめんね! おちんちん、全部食べちゃった!」
――黒光りする岩石のような蟲。彼女の秘部からは、百足とも蚰蜒とも蠍ともつかぬ生物の身体が伸びている。
巨大な顎がオクリーの息子を食い千切っていた。
「ん、ん――――っ!!!」
――ない。
裸の身体についているはずのモノが、根元から寸断されて消えている。
オクリーは猿轡の中で絶叫した。もはや痛みはない。凄まじい熱が下半身に宿っている。噴出する己の鮮血を見てショックで意識を失いそうになった。
カチカチと顎を開閉させてオクリーを威嚇した『ミルクちゃん』は、宿主の命を受けて無防備な青年に襲いかかった。
「んむ――っ!?」
顔面に飛んでくる巨大蟲。咄嗟に腰を跳ね飛ばして、巴投げの要領でいなす。蟲の重量に引っ張られる形で投げ飛ばされた宿主は、背後の壁に突っ込んで鈍い音を立てた。
その衝撃で右腕の拘束が解ける。手錠が破断され、その鋭い切断面で残りの拘束を断ち切った。
「ホセさんっ、大丈夫ですか!!? ホセさんっ!!」
「貴様ッ!!」
「ホイップ様をよくもっ!!」
廊下に呼びかけてみたが、ホセの返事はない。聖祭準備の喧騒に掻き消されているのか。
ホイップの部下が、彼女と同様にして耳や口から蟲の姿を露わにする。片方の女は両耳から蟷螂のような鋭い腕を出しており、もう片方は口から胴体を露出させた蜉蝣の如き蟲の力を借りて飛んでいる。
裸の美女に、巨大な寄生虫。
――あぁ、ここは地獄か。最低最悪の光景だ。
衣類や花火は廊下に放置されている。取りに行く時間はない。先に蟲女三人を殺してからジアターを呼ぶしかない。
ホイップは、常人なら頚椎を損傷するレベルの衝撃で叩きつけられたというのに、人間味を感じさせない動作で再び立ち上がった。
「あ〜あ、やっぱり私達のこと裏切ってたんじゃない。失望だよぉ」
「ホイップ様、無事でしたか!」
「うん。この程度なら無傷同然だよ〜」
――失望だと? 勝手に期待して、勝手に失望しただけじゃないか。俺の気持ちも知らないで。元々、己の一物を奪われた怒りがぐつぐつと煮え立っていたのに、ホイップの言葉で堪え切れなくなって、押し留めていた激情が爆発した。
「……黙れ」
「ん?」
「――黙れって言ったんだよ!! 俺がどんな気持ちで邪教に従ってたか、知らないくせに!!」
オクリーはすぐ傍にあった張形と鞭を掻っ攫う。その張形は、所謂「両端が使える棒」であった。それを剣の如く振り回し、怒りに任せてホイップ達を威嚇した。
「それになぁ! てめぇの愛撫、全然気持ちよくねぇんだよ!! 歯ぁ立てやがって!! それでもハニートラップのプロかよ、ああっ!?」
「…………」
「返せよっ!! 俺のちんこ返せよっ、クソ野郎が!!」
大量出血と激痛のあまりハイになっている。オクリーを追い詰めていたはずのホイップが、三本足で後ずさる。
ミルクちゃんは胴体の半分ほどがホイップの身体に収納された状態である。チューブのように伸びた甲蟲が、困惑を表現するようにカタカタと顎を鳴らした。
「……そ、そうやって声を上げたって、誰にも届かないよ。聖祭の準備期間は人の活動が活発になるからね。オクリーちゃんはここで死ぬ運命なの」
「こんなところで死んでたまるか! この程度の修羅場、今までも潜ってきたんだ」
「んもぅ、強がっちゃって。だいいち、そんなオモチャでどうやって勝つつもり? 苦しいだけだって。諦めなよぉ」
ホイップは両手に実用的な剣を携えている。しかも、股間から伸びている蟲が同様の剣を咥えており、怪しげな紫の照明を反射して鈍い光を放っている。超リーチの三刀流の戦闘スタイルだ。
部下の二人も、見せつけるようにして武器を晒す。蟷螂の女は草苅り鎌、蜉蝣の女はクロスボウ。対するオクリーの武器は、金属製の張形とSMプレイの鞭のみ。人数を考慮せずとも、武器差によりオクリーが不利なのは一目瞭然だった。
(……大丈夫だ、このディルドは馬のナニくらいデカい。リーチは五〇、六〇センチってところか。材質も金属だから攻防に耐えうるだろう。しかも、この鞭はプレイ用じゃなく実用志向の武器だ。上手くやれば、花火を拾いに行くだけの時間を作れるはず……!)
現在のホイップ達は裸だ。三人共ベビードールで上手く隠していたのか、首元や四肢の付け根等に縫い合わせたような痕がある。今の彼女は全身が弱点のようなものなのだ。
ホイップ達はオクリーを着実に追い詰めるため、ゆっくりと立ち回って出口を塞ぐ。第三の手で圧をかけながら、オクリーを部屋の隅まで追い込んだ。
青年は滝のような汗を流しながら、鞭を地面に叩きつけ、振り翳した。
「――シイッ!!」
オクリーの右手が動き、鞭が振るわれる。先端が音速を超え、残像すら残さない凶器と化す。
ぴしゃん、という炸裂音が走って、直線上にある壁が削られた。二撃目が叩きつけられると、それに対応する形で蟷螂の女の鎌足が鞭を弾き返した。
「!」
疾い。常人の動体視力では捉えられない攻撃を確実に防御してくる。
逆に、四、五メートルは離れているであろう蜉蝣の女からクロスボウの反撃が飛んできた。浮遊する兵の一撃。オクリーは一直線に飛来する矢の軌道を読み切り、スイングの要領で跳ね返した。更に畳み掛けるように、鞭の横薙ぎ。
「なに――」
鞭は蟲の鎌足に防御された。
だが、反射した矢が蟷螂の女の喉笛に突き刺さる。
寄生虫の力に頼り過ぎた女の末路だった。
「シエッタ!!」
「よそ見してんじゃねえ!」
蜉蝣女は、ゴポゴポと血の泡を吹きながら倒れた蟷螂女に意識を割いてしまった。その隙を見逃さず、鞭を打つ。音速の一閃は空中に留まっていた女の頭蓋骨を粉砕し、寄生虫ごと絶命せしめた。
寄生していた蟷螂のような蟲は、頭部を食い破って藻掻き苦しんでいたが、二度三度と鞭を叩きつけると動かなくなった。どうやら宿主を失うと一気に弱体化するらしい。
(ダロンバティさんの右腕を切った蟲は特殊なタイプだったのか。いずれにしても、蟲を傷つけられなくとも、人間部分にダメージを与えることが攻略に繋がる!)
防具を着ていないため、鞭の攻撃は掠るだけで命取りだ。蜉蝣の女はそれをまともに食らったのだ、死んで当然である。
ホイップは絶命した部下の死体を無感情に見下ろして、軽く舌打ちした。
「よっわ! そんなだから幹部候補になれないんだよ〜」
オクリーはその言葉を無視して鞭を振るった。しかし、ミルクちゃんの剣にあっさりと弾かれる。甲虫は胴を伸ばし、返す刃で剣を一文字に凪いだ。
「っ!!」
咄嗟に張形を臍の前に差し出す。凄まじいパワーの剣撃が叩きつけられ、オクリーは後方に凄まじい勢いで吹き飛ばされた。
「実戦形式でヤッた時のこと覚えてる? あの時のオクリーちゃんも、ミルクちゃんには手も足も出なかったんだよね!」
「っ……!」
背中から壁に叩きつけられたオクリーは、血痰を吹きながら立ち上がった。
蟲の一撃はオクリーにとっても致命傷になる。さっきの女共とは練度が違う。迂闊に攻められない。こちらの腕は二本、向こうは三本。手数でも武器でも負けている。
だから、相手の隙を確実に窺って攻撃しなければならないのに。
――股間の傷口から、間欠泉のような大量出血が止まらなかった。
先程の激憤が抑制され、意識が朦朧としてくる。
(時間をかければ死ぬ。けど、奴が出口から動こうとしない! 分かってやってるな……!)
オクリーを殺害したいホイップは、その場から動かなければ良い。出血多量で敵が死んでいくのを、ただ、じっと待てば良い。防御に徹するだけで勝てる戦いなのだ。それが最善。
であれば、頭の回るホイップは絶対に動かない。最も強力な防御姿勢を作りつつ、扉の前で陣取り続ける。そんな予想通り、ホイップはぴくりとも動かずにオクリーと正対し続けた。
「っ……」
鬱陶しい。煩わしい。うざったい。憎き敵が最善を選び取る苛立ちは、再現のない焦りを齎した。
「くそおっ!!」
ほとんど消えかかった意識の中、オクリーが動く。二度、三度、無造作に鞭を叩きつけた。しかし、全て回避され、ミルクちゃんにいなされた。
あぁ、最悪だ。鞭の速さを見切られるのなら、何をやっても無駄ではないか。オクリーは鞭を放り投げ、金属製の棒を振り回してホイップに突っ込んだ。
「呆れた……」
ホイップは冷静さを失って突貫してくる元同僚を見て溜め息を吐いた。
現在こそ対峙しているものの、二人は幹部候補と謳われ共に修行した仲なのだ。実戦形式の訓練で、命のやり取りもした。戦闘面ではホイップが優位に立っていても、頭のキレでは少し劣っていると自覚していた。だからこそ、今の取り乱したオクリーを見て失望した。
何か秘策があるんじゃないか。私を追い込むような性根の腐った作戦があるのだろう。そう思っていた。
――無かったのだ。所詮、男は裸に剥いてしまえば無力ということか。
ホイップはミルクちゃんと共に床を蹴る。
そして――斬撃。三刀流が振るう三つの刃がオクリーの身体を切り裂き、地に平伏させた。
オクリーの身体が崩れ落ちる。
血のプールを作りながら痙攣するオクリーを届けて、ホイップは踵を返した。
「これで二勝〇敗だね、オクリーちゃん」
オクリーは動かなくなった。幹部候補の最期が仲間からの一撃とは。ホイップは体内にミルクちゃんを収めながら、ふぅと溜め息を吐いた。
(……スティーラちゃんが認めた男の最期も、こんなものなのか。何かヤになっちゃうよ〜……)
ホイップは敬愛する序列四位の姿を思い浮かべて、こめかみを押さえる。
彼女は家族愛とも尊敬ともつかぬ盲目的な感情をスティーラに向けている。そうして本当の妹のように可愛がっているスティーラが想いを寄せる男を殺してしまったとあっては、後々の言い訳を考えなくてはならないというもの。どんな報復が待っているか分からないのもあって、ホイップの頭の中はそれ一色になった。
そして、そんな物思いに耽っていたから、気づかなかった。
「――死ね、クソ蟲野郎」
鋼鉄の棒を振りかぶった青年が、背後に立っていることを。
「――ッ!!?」
ミルクちゃんが体内に収納されていたことも災いした。
ホイップは側頭部に強烈な一撃を受けた。渾身のフルスイングだ。金髪ショートカットの美少女の顔が歪み、壁の元まで吹き飛ばされる。
一秒ほど滞空して、そのまま内装を巻き込みながら壁に激突した。受身を取って地面に叩きつけられるのは回避したが、彼女の視界はぐわんぐわんと面白いように揺れていた。
その視界の中央で、狂気の笑みを浮かべるオクリーが立っていた。
「生憎、身体を掻っ捌かれるのには慣れてるんだよなぁ!! あの時を思い出して気合い入ってきたぜ!!」
「き、きみ……中々、やるじゃない……」
有り得ない、と思いつつ立ち上がるホイップ。側頭部から垂れた血をちろりと舌で掬って、動揺を表に出さないように高速思考した。
(う、うそだ!! 絶対に死んだと思ったのに!! だって、おちんちんってこれ以上ない弱点だよ!? 食べられたら普通、気絶とかショック死するでしょ!! 何で冷静に反撃できるのさ!! それに、私の三刀流の一撃を食らって胴体はズタズタ!! 立ってられる方がおかしいよ……!!)
ホイップが立ち直るまでの間に、オクリーは花火を窓の外に放り投げていた。
屋外に出た筒は見事に直立し、一際大きな音を立てながら火薬を燃焼させる。射出された花火玉は、睨み合うオクリー達の緊張感なんて知らずに、遥か上空で美しい花を咲かせた。人々は何かの催しだろうかと空を見上げ、その美しい模様に見惚れていた。
オクリーは血走った目で満面の笑みを浮かべながら、鋼鉄の張形を手のひらに叩きつけた。
「第二ラウンドと行こうぜ、ホイップ=ファニータスクぅ!!」
肉を抉られ、血を失い、立っているのも困難なはずの青年を見て、ホイップはどこか安心していた。
そうだ、それでこそ幹部候補の邪教徒だ、と。




