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一〇〇話 日和見主義


 ヨアンヌが去った聖都サスフェクトでは、一般兵が前夜祭の準備に駆り出されていた。


 『幻夜聖祭』は、かつて世界崩壊の危機を救った『黎明の七人』を忘れないための祝祭だ。主の元に旅立った彼らに報いるため、信徒達の中には半年前から準備を行う敬虔な者もいるほど。

 国をあげた催しなだけあって、聖祭による金の動きも馬鹿にならない。信仰心を擦り込み強固に保つための祭という側面もあって、貴族ら強行派は中止の声を聞き入れなかった。


 結局、最大限の警備をすることを約束に、『幻夜聖祭』の事前準備は着々と進んでいた。

 例年の聖祭と違い、増員された兵士達が通りを行き来している。彼らは聖都に入り込んだ『肉片所有者』を根絶するために配置されていて、不審者を見つけた際は強硬手段を以て捕縛した。時には一般人を誤認して拘束してしまうこともあり、聖都サスフェクトにはただならぬ空気が漂っていた。


 移動要塞計画は強力無比すぎた。広大な街に鼠が一匹入り込むだけで防衛が破綻するなんて、どうしようもなさすぎる。

 だからこそヨアンヌと内通し、襲撃作戦の情報を得てカウンターを食らわせてやろうという話なのだが。


 さて、民と教会とが一体となって行う幻夜聖祭の見所は、対外的な屋台等の商業施設に留まらず、派手さと宗教的な意義を兼ね備えた祝いのパレードにもあった。

 現代になって商業のことを考えた展開がされ始めただけで、元々聖祭の本分は『黎明の七人』へ向けられたものだ。

 花火や豪華絢爛なパレードは、正教徒が忌み嫌う『夜』を吹き飛ばそうという試みもあって、年々派手さを増している。それもまた宣伝材料となって、無際限に観光客を呼び寄せた。

 永く信じられてきた伝承と、確固たる教義と、現代に向けた革新が入り交じった 祝祭――それこそが『幻夜聖祭』真の姿である。


 前夜祭準備の喧騒を遠くに聴きながら、オクリーは実験場付近に備え付けられた宿泊部屋で『カイル文書』の写本(コピー)を読み込んでいた。

 ポーメットは紅茶を振る舞い、彼の傍に座って上品な仕草で口元に運んでいる。


「ヨアンヌとの密会も終わり、邪教徒に関する情報も集まった。とりあえず君の役目は終わりだ、『幻夜聖祭』が始まるまではこの場所にて待機してもらいたい」


 ポーメットは鎧を脱ぎ、ポニーテールの髪を肩口に下ろし、ゆったりとした寝巻きに身を包んでいる。上気したように見える顔色は、彼女が風呂上がりであることを示していた。

 オクリーは写本を閉じると、何故かベッドに寝転がって準備完了しているマリエッタを横目で捉えた。


「待機、か」

「あぁ」


 オクリーの機微な視線を感じ取っていたポーメットは、苦い表情を隠すようにティーカップを傾ける。


「指示があり次第、こちらから呼びに来る」

「……分かった」

「マリエッタとホセがお前の護衛だ」

「マリエッタに関しては選択ミスだろ。ほんとにやめてくれ」

「本人の前で何てこと言うんですか!」

「許せ。手隙の者がその二人しかいないのだ」


 ポーメットはそれだけ言うと、開いたドアに寄りかかっていたホセと目配せした。


「では、ワタシは少し休む。最奥の部屋にいるから、もし何かあれば呼ぶように」

「ありがとう。ゆっくり休めよ」

「うむ。おやすみ」


 静かにティーカップを置いたポーメットは、ホセの隣を抜けて消えていった。

 残った常識人はホセだけとなった。オクリーは顔を顰めながらマリエッタへ拒絶の眼差しを向ける。


「ホセさん。この子どうにかできませんか」

「……オクリーっていう餌を与えておけば大人しいし、何よりそれ以外はほぼ完璧だから……まぁ……うん」

「マリエッタ、お前は俺にこんなこと言われて恥ずかしくないのかよ?」

「恥ずかしいです。でも、最近分かったんです。『恥ずかしい』は『気持ちいい』なんだって」


 涼し気な胸元を扇ぐマリエッタを完全無視することに決めたオクリーは、布団を被せて彼女を埋葬し、ホセの方に向き直った。


「ところでホセさん、クレスが『洗脳返し』をした邪教徒はどうなっているんです?」

「あぁ。今もこの実験場にいるよ」

「それ以外にも邪教徒がいましたよね。彼らは処分されたんで?」

「いや、情報を吐かせるために、彼らにも術を施したそうだ。その後どうなるかは分からないが……保護観察した後、案外普通の人生に戻っていくのかもな。サレン様は本人達の意志を尊重したいと仰っていた」

「……そうですね。それがいいと思います」


 オクリーの柔らかい微笑みを見て、ホセは腕組みしながら肩を竦めた。


「おめぇ、おれには敬語のくせにポーメット様達にはフランクに行くよな。どういう心境だ?」

「あたしにはタメ口ですよ」

「まぁ……事情がありましてね。口調はその人その人にしっくり来る方を選んでるつもりです」

「ふ〜ん」

「やっぱりあたしのこと好きなんでしょ? オクリーさん」

(うるせぇな……)


 いつの間にか背中に回っていたマリエッタが、胸を押し付けるようにしてオクリーを抱き締めた。

 昔々、オクリーは「ストーカーが美人ならいいじゃん」と浅はかな考えを持っていたようだが、最近の出来事のせいで否定派に回っている。オクリーは適当にあしらいながらホセとの雑談に興じた。


「……下が騒がしくなってきたな」

「急に何ですかね」

「あ〜、おれ見てくるわ」

「俺も行きますよ」


 階段下からドタドタという音が聞こえている。三人が居住棟の地上階に降りると、そこには衝撃的な光景が広がっていた。


「オクリー先輩! 来ちゃったっす!」


 地に伏した精鋭兵数名と、血濡れの剣を手にした黒装束の男。

 自分のことを「先輩」と慕う男の名を、オクリーは嫌というほど知っていた。


「――アレックス、てめぇ」

「感動の再会っすよ? そんな顔しないでくださいよ〜」


 混沌を求めてヨアンヌに与した男が、数名の部下を引き連れて夜襲を仕掛けていた。


「敵襲――!!」


 ホセが叫ぶ。号令に叩き起され、個室から飛び出してきたポーメットやその他数名の兵士が、寝巻きに武器を背負って階段を降りてきた。


「何故だ!? この場所は隠匿されているはず……!」

「忘れちゃ嫌っすよぉオクリー先輩。この前ヨアンヌ様が聖都においでなすったみたいじゃないっすか。その時、後ろの兵士の身体に肉片をつけて、この場所を特定したんすよ〜」

「っ……ヨアンヌ、あいつ……!!」


 オクリーは歯噛みする。とことん隙のない女だ。肉片をつけられたのはダロンバティかホセか。いずれにしても、警戒が足りていなかった。


「それで、どうするんだ? この場にはワタシがいる。生きて帰れると思うなよ」


 美麗な寝巻きを纏ったポーメットが碧眼で凄む。

 確かにそうだ。このエリアにはポーメットがいる。実験場関連エリアにはクレスやノウン、ジアターもいるはずだ。考えなしにアレックスがここまで来たわけではないだろうが、あまりにも無謀な奇襲だと言わざるを得ない。


「それはそうっすね」


 血肉のこびりついた曲刀で首元を叩きながら、アレックスは肯首する。


「自分、取引しに来たっすよ」

「なに……?」

「ポーメット・ヨースターに問う。オクリー先輩をこちらに引き渡す気はないっすか? それと、幹部達の魔法実験データを渡すっす。そしたらヨアンヌ様は今すぐ邪教を裏切って正教についてくれるらしいっすよ。腹の探り合いなんかせずに済むっす」

「ふざけるな。消えろ」


 にべもなく、ポーメットが誘惑を一刀両断する。

 アレックスは寂しそうに首を振った。


「そうっすか。じゃ、死んでください」


 言いながら、アレックスは自然な動作で右手を上げた。すると、部下達がローブの下から鋼鉄の大筒を取り出し、真っ黒な口をポーメットら複数名に向けた。


 それが何かは分からない。だが、武器だというのは直感できた。

 オクリーが振り向きざまに警告を発しようとする。


「伏せ――」


 だが、遅かった。


 腹の底まで響くような轟音と発火炎(マズルフラッシュ)が炸裂し、激しい発光によって世界が白と黒に染まる。

 どん、と花火のような音が至近距離で幾つも上がって、階段踊り場にいた兵士達の身体が破裂する。背後の壁までもが凹んで破壊され、血の模様が瞬間的に広がった。その威力に口笛を吹いたアレックスは、腹を抱えて破顔した。


「わははっ! みんな死んじゃったっす! 外国製武器を魔改造する二位(・・)も趣味が悪いっすね〜」


 ホセとマリエッタを庇って地に伏せたオクリーは、爆音に打ちのめされながら思考を高速回転させる。

 アレは何だ? 銃か? 巨大な弾を撃ち込まれたのか? 原作にあんなものは無かった。ポーメットは無事か? 誰が死んだ? 様々な考えが耳鳴りの中、脳内で暴れている。気づいた時にはアレックスが目の前に立っていた。


「オクリー先輩。自分達が幹部相手には何もできないと思ったっすか? もう違うんすよねぇ。先輩がいない間に技術革新が始まったんすよ」

「お、おまえ……先遣隊か……?」


 動揺するオクリーを満足気に見下ろす金髪坊主。彼は心底楽しそうに口元を歪めながら、きらきらとした眼差しでオクリーを睨みつけた。


「別働隊っす。ヨアンヌ様は言ってなかったっすか? そりゃ残念」


 懐から大筒を取り出したアレックスは、銃口をオクリーの眉間に突きつけた。


「――先輩は、この絶体絶命をどう切り抜けてくれるっすか? 自分が見込んだ先輩なら、余裕っすよね?」


 首を振って探しても、ポーメットの姿はない。地面に伏せた三名以外は血肉を撒き散らして絶命していた。

 オクリーは庇った二人を捉える。片や精神崩壊寸前の哀れな少女、片や身篭った妻を持つ男。これ以上死人は増やせない。


「俺がお前の元に行けば、この二人を助けてくれるのか」

「さぁ? それは自分が決めることじゃないっす」

「…………」


 すっとぼけながら引き金(トリガー)に指をかけっぱなしにするアレックス。彼の背後からは部下が刃物を構えて死角を潰しており、逃げ場は無かった。


「――う、あああああああああっっ!!」


 そんな中、マリエッタが絶叫しながらアレックスの懐に突貫した。

 金髪坊主はそれが予想できていたかのようにマントを翻すと、返す手で二度三度と少女の腹部にナイフを突き刺した。


「マリエッタ!!」


 激しく吐血しながらつんのめって転倒した少女は、しばらく呻き苦しんだ後、痙攣して動かなくなった。アレックスは心底興味なさそうに彼女を見下ろすと、「期待外れっすね」と足蹴にした。

 血のカーペットを形作っていくマリエッタを助けることすらできないオクリーは、床が割れんばかりに爪を立てた。


「てめぇ――マリエッタをよくも……!!」

「ねぇ、先輩。『ヨアンヌの味方のアレックス君は重要人物を殺さないだろ〜』……とか勘違いしてたんじゃないっすか? 普通に違うっすよ。自分は世界が混沌に落ちれば落ちるほど嬉しいっす。だから、先輩をぶっ殺して暴走するヨアンヌ様を影から眺めるってプランも全然ありなんすよ?」


 ホセはアレックスの部下に剣先を突きつけられて動けないでいた。アレックスとマリエッタを交互に見て、唇を噛み締める。ポーメットはまだ復活しない。まさか、彼女は完全に消滅してしまったのか? 最悪の展開が思い浮かぶ。


「日和見主義のクソ野郎が……!!」


 オクリーは元々アレックスという男が気に入らなかった。信念を持って行動するアーロスやヨアンヌと違って、その時の気分で無計画・無軌道に世界を掻き回すのがアレックスという男だ。

 時には盤面の外から駒を唆して思うままに操り、時には盤面に立って駒となる。敵なのか味方なのかも分からない。予想も計算もできない。腹に野望を隠し持ったヨアンヌとは本質的に違う。アレックスは持ちうる全てを刹那性の享楽に注ぎ込んだようなサイコパスなのだ。


「違うっすよ先輩。人間み〜んなクソっす」


 眉間に銃口が押し付けられる。笑顔と期待の眼差しが一層強まり、引き金(トリガー)に指が掛けられる。

 そして、音が破裂する寸前。半透明のブレードが、アレックスの部下三名を真っ二つに斬り捨てた。

 じう、という肉の焼ける音を立てて、人間がごろりとした肉塊へ変わる。呆気なく倒された部下を見て、アレックスはギャッと声を上げた。


「うわぁ!? やっぱり殺し切れてないっすよね!」


 後方に大きく飛び退くアレックス。咄嗟に銃身で防御をしようとしたが、ポーメットの半透明のブレードが伸びて、大筒を抵抗なく焼き切った。高い鼻先を焦がされて、金髪の男は心底楽しそうに悲鳴を上げる。


「こりゃダメっす! 対幹部は初撃で決められなかったら負けっすね!」


 噴出する武神の威圧感にたたらを踏んだアレックスは、部下の死体や武器を全て放り出して一目散に逃走した。


 敵が去り、オクリー達が攻撃の方向を見ると、ポーメットが上半身の骨格だけを再生させて剣を握っているのが見えた。完全回復を待たずに攻撃を優先したのだ。その機転が無ければ、オクリーは脳漿をぶちまけて絶命していただろう。

 熱と衝撃で崩壊していた女騎士の身体が徐々に回復していき、全裸のポーメットが血肉の海から生まれ落ちる。オクリーは上着をかけて彼女の素肌を隠してやると、邪教徒の死体が持っていた武器を持って走り出した。


「ポーメットはマリエッタ達に治癒魔法を!! ホセさん、俺達はアレックスを追いましょう!!」

「あ、ああっ! ポーメット様はクレス様やジアター様に伝達を!! 先遣隊は既に街に入り込んでいた!!」


 ホセも武器を拾って、オクリーの後をついていく。ポーメットは重要人物のオクリーを引き止めようとしたが、声帯が完全復活したのは彼らが去ってからだった。


 ポーメットはオクリーの寝巻きを羽織りながらマリエッタの生存を確認し、彼女が一刻を争う状態だと察した。その他に大筒の爆撃を受けて生存した者はいない。誰が誰かも分からなくなっていた。

 また戦友がいなくなってしまった。ポーメットはマリエッタに治癒魔法をかけながら悲痛に叫んだ。


「これは罠だ! くそっ、ジアターの召喚獣で彼らを追いかけさせないと……!」


 瀕死のマリエッタを放置するわけにもいかないため、オクリーを追うこともできない。ポーメットは少女を抱えて地下室に向かった。


 一方、ホセとオクリーはアレックスの背中を追っていた。


「アレックスはどうやって聖都に入り込んだんでしょう……!?」

「普段なら厳しい検問や、移動元の街からの許可証提示が義務付けられている。だが、一日に数十万って人間が街に入りたいってなると、どうしても漏れちまうんだろう。邪教幹部だけは何とか感知できる仕組みを作ってあるらしいから、大事なところは止まってるんだがな……」


 検問によって、これまでに少なくない数の邪教徒が捕えられている。聖都に入り込んだとしても、内部には複数の警邏(けいら)隊が拠点を置いて巡警しているため、彼らの目から逃れることは相当難しい。

 だからこそ、彼らは『幻夜聖祭』の喧騒に乗じて攻め入ることに固執しているのだ。


「あいつ、足はえぇな! 追いつけねぇぞ!」


 俊敏な動きで駆けていくアレックスは、深夜の裏路地に逃げ込んだ。

 街灯が少なくなったことも災いして、漆黒のローブに身を包んだアレックスが闇に溶けていく。


「逃がすかよ!」


 オクリーは大上段の構えから曲刀を振り下ろし、その途中で柄を手放した。曲刀は回転しながら一直線に飛んでいき、石壁に弾かれて火花を散らした。

 空振りだ。しかし、火花が起こったことでアレックスの位置を再確認できた。彼は追跡を振り切れないことを察すると、足元の錆びた鉄柵を蹴り破り、下水道へ足先から滑り込んでいった。


「マジかよ」

「俺達も入りましょう」

「いや……深追いは危険だ」

「ここで奴らを叩かないでどうするんですか!? それに、あの男は今殺しておかないとまずいんだ……!」

「おい待てっ! 地下に明かりなんてないんだぞ!」


 オクリーはホセの制止も聞かずに下水道へと飛び込んだ。

 膝ほどの水位がある水路に着地したオクリーは、真っ暗闇の中でバランスを崩して壁に寄りかかる。


(アレックスめ、どこへ行った……!?)


 視界はゼロ。何も見えないのでは、身体を動かすこともできない。手を動かして壁を伝ってみると、ぬらぬらとした感触の壁が永遠と続いていた。

 目が慣れてくると、一定間隔で頭上から差し込んでくる光が見えてくる。街明かりの残滓が水面に反射して、僅かに先が見える。アレックスはこれを頼りに進んでいるのか。


「オクリー、大丈夫か!?」

「はい! 俺は奴を追います!」

「っ……おれも行く!」


 オクリーはホセを引き連れて地下水路を進んだ。

 遠くの方から水を掻き分けるような音が微かに響いてくる。先を行くアレックスの音だ。反響しているが、確かに分かる。


 長い水路を走ると、乾燥した水路にぶち当たった。深部に繋がる構造のためか、明かりが全くない。「進め」と脳が命令を出しているのに、粛然たる暗闇を本能が恐れてしまっていた。


「足跡は続いています。ホセさん、行きましょう! ……ホセさん?」


 いつの間にか、ホセの姿が消えていた。暗闇に語りかけても返事はなかった。


「……っ」


 仕方なく、アレックスの濡れた足跡を追って、オクリーは乾燥した水路を進んだ。

 最初は明かりがあったから走れていたものの、次第に腰が低くなって、足より先に手を地面につけないと先が窺えない状態に陥った。果たして今の自分はどこにいるのか。前後不覚、上下すら分からない真の暗闇――己の足音しかしない空間で、彼は数十分もの間歩みを進めた。


 唐突に、風切り音のようなものが発生する。

 敏感になった聴覚が敵の予備動作を察知して、反射的な回避を可能にさせた。


「ここまで追ってくるなんて、驚きっすね」


 それはアレックスが振るった短剣だった。(きっさき)が壁を削って、再び火花が起こる。一瞬の煌めきで互いの姿を認知した二人は、一定距離を取って武器を構えた。


「アレックスッ!!」


 頼りになるのは、残光が見せる刹那の明かりと、相手の足音・息遣いだけ。リーチで有利を取っているオクリーは、気配のする場所を叩き切った。

 袈裟斬りは空を切って、壁と地面を少し削る。その火花を見てアレックスが再び突貫してきて、二人の武器が至近距離で激突した。

 火花を散らしながらの鍔迫り合い。不規則に飛び散る閃光が互いの顔を照らす。流れ星の如き光が虹彩を横切り、幾度となく二人の間で煌めいた。


 実力は五分。しかし、長物を振るっていたオクリーが隙を見せた。


「っ!」


 ぎゃり、という嫌な音を立てて、曲刀が側壁につっかえる。

 発生した光源に導かれて、アレックスが曲刀を叩き落としにかかる。防御は間に合わない。呆気なく武器を取り落としたオクリーだったが、突っ込んでくるアレックスに向けて素早く鋼鉄の大筒を取り出した。


 刃物の打ち合いが終わる。

 火花が消えていき、乾燥した水路に静寂と暗闇が訪れた。

 アレックスは勝利を確信したような微笑を零した。


「……あ〜、先輩。そりゃダメっすよ」

「…………」

「どうやって使うかも知らない武器を真っ暗闇の中で当てようなんて、無理があるっすもん」


 オクリーはこの武器が初見である。確かにアレックスの言うことには一理あった。


「先輩の持つそれはただの重石。つまり、自分の勝ちっす。まさか先輩に知識の差で勝てるなんて思わなかったっすけど、まぁこれも時の運ってやつっすよね」


 アレックスは銃口を向けられていることを無視して、オクリーが立っているであろう場所に向かって短剣を振りかざす。

 しかし、オクリーは迷いなく銃のコックを引き起こした。


「――え?」


 金具を引き込み、石を打った摩擦で火薬が発火する。先込め式の火薬と弾が爆発して、銃口から炎と球形弾が飛び出した。

 発火炎の中、オクリーの目には、驚愕に見開かれたアレックスの瞳が映った。


 刹那、閉鎖空間で破壊が巻き起こった。

 アレックスの片腕を吹き飛ばし、炎の帯を引きながら地下を破壊する球形弾。金髪坊主は絶叫しながら後ずさった。


「う、うそっ!!? なんでえええええっ!!?」


 数秒もすれば、地下空間の光源が消え失せる。再びアレックスが走り出したのが分かって、オクリーは後を追う。


「おかしいっすよ先輩!! いつ火薬と弾を装填したっすか!!? 撃つ前に銃のコックを起こさないとダメって、何で知ってるっすかっ!!? 新武器だから普通は(・・・)知らないのに(・・・・・・)!! ――アハッ、アハハハッ! やっぱり先輩は最高っす!!」


 オクリーが一連の動作を知っていたのは、彼が前世の記憶を保有しているからに他ならない。それでも古風な銃の仕組みを知っていたのは偶然に近かったが――


 突如、地面が揺れる。


「今度は何っすか!」


 遠くから反響するようにして、水の流れる音が聞こえてくる。

 ――それに合わせて、女の声も聞こえてきた。


「――アレックスぅぅぅぅぅぅ!! そこにいるんだろぉぉぉぉぉ!! さっきはよくもブッ刺してくれたなぁぁぁぁぁ!!」


 マリエッタの怒声だ。とてつもない速さで迫ってきている。

 走っている間にランプのついた場所に行き着いて、更に彼女の気配が強まったのが分かった。鬼を孕んだような恐ろしい声だ。


「そこにいるのは分かってるんだよ坊主ッ、さっきはよくも恥かかせてくれたなぁぁぁぁぁぁ!!」

「ちょちょ、何なんすか!? 最近の正教徒ってヤバいヤツばっかりじゃないっすか! オクリー先輩止めてくださいよ!!」

「諦めろアレックス! ああなったマリエッタは多分、誰にも止められない!」

「そんなぁ!」


 足元に流れる水が波立つ。次の瞬間、大きく水位が下がったかと思うと、一気に噴出するようにして鉄砲水が押し寄せた。


「がぼぼっ!?」


 肩の高さほどもある濁流に呑まれて、二人は揃ってバランスを崩す。水面から顔を出した二人が目の当たりにしたのは、足先と水面が一体化した異形の怪物『雨雫滴る少女(ウンディーネ)』だった。


「――は、は。ジアター・コーモッドの召喚獣っすか――」


 よく見れば、その半透明の異形の背中に乗って、マリエッタが手を振っている。全長三メートル程もある雨雫滴る少女(ウンディーネ)は、オクリーに向かってゆっくり振り向いた。


『おっ、お待たせしましたオクリーしゃん! ホセしゃんとマリエッタちゃんと一緒に、近くにあった地下拠点を壊してたんです〜!』

「なるほど、拠点が近くにあるからランプが……」

「オクリー、悪ぃ! はぐれちまった!」

「ホセさん、マリエッタ! 無事で何よりです!」


 全力ダッシュで召喚獣の後を追ってきたホセが剣を構える。

 マリエッタは雨雫滴る少女(ウンディーネ)のスライム状の背中を強く蹴りつけると、天井付近まで高く跳躍した。


「これは――お返しっ!!」

「おごっ!?」


 そして――瀕死のアレックスに向かってドロップキック。片腕を喪失して既に戦意喪失していた男は、壁に叩きつけられて乾いた笑い声を搾り出すしかなかった。


「ジアター様! とどめを!」

『はいっ、やっちゃいますよぉ!』


 マリエッタの声がけで、雨雫滴る少女(ウンディーネ)が上体を起こす。長い手がアレックスに向けて差し出され、地下水路の水という水が大瀑布となって襲いかかった。


『岩盤すら打ち砕く水の力、とくと味わってください〜!』


 地下水路の許容量を超える水が、アレックスの姿を掻き消した後も数十秒に渡って叩き込まれる。しばらくして水の勢いが収まると、アレックスの姿はなくなっていた。


 三人は召喚獣に導かれて地下空間から脱出すると、行きと同じように鉄柵を取り除いて地上に這い出た。


「とんだ災難だったな」


 ホセがボヤく。雨雫滴る少女(ウンディーネ)は既に消滅しており、その代わりに大鷹のような召喚獣が三人を迎えに来た。


『どうやら、聖都で色々なことが起きているみたいです〜……! とにかく、わたしの召喚獣に乗って実験場へ戻ってきてください!』


 三人を背中に乗せた大鷹が飛び立つ。ホセははぐれた後に起こったことを説明してくれた。

 曰く、オクリーとはぐれた後、邪教徒のアジトを見つけたらしい。そこで偶然鉢合わせたマリエッタとジアターの召喚獣と共にアジトを破壊した後、音を頼りにオクリーの元にやってきたとか。


「それとなオクリー、どうやら地上でも動きがあったそうだ。ダロンバティが襲撃を受けた」

「ダロンバティさんが!? そんな……」

「いや。重傷だが相手の蟲女を返り討ちにしたらしい」

「蟲女……? いや、実験場に帰って落ち着いてから話しましょう。一旦状況を整理したいです」


 気になることは沢山あるが、今は幹部達が控えている実験場に帰るのが先決だ。オクリー達は夜の街を飛行していく。


「……それにしてもマリエッタ、お前ガッツリ刺されてたよな? 大丈夫なのか?」

「ポーメット様の治癒魔法と気合いで治しました。これが愛の力ですよ、オクリーさん」


 大鷹の首根っこを掴みながら、マリエッタが服をめくって細いお腹を見せてくる。

 彼女の酷く気持ち悪い部分が、今は少しだけ頼もしく思えた。


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[良い点] 100話おめでとう
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