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一〇話 被害者の会

 目を覚ますと、凄まじい熱と湿気で呼吸が苦しかった。反射的に目元を指で揉もうとして、両手両足が存在していることに驚いた。俺は五体満足で生きていたのである。

 しばしの動揺。嬉しさというより、『まだ殺してくれないのか』『やるなら早くやってくれ』という諦めの感情から来るものだ。


 俺は利き手を開閉した後、朝起きて元気になっている息子に意識を移した。

 これは下ネタじゃなくてガチな話なんだが、朝勃ちできるうちは余裕があるんだと思う。元気な息子に当たるヨアンヌの太ももに身悶えしつつ、渾身の力で彼女の抱擁から逃れた。生理現象が起きなくなって血尿を出すようになってからが本番である。


「……ふぅ」


 マトモなベッドで寝たおかげだろうか、相当良い睡眠だったようだ。最近バキバキだった腰とか肩が軽い。眠気もないし、思考回路が冴え渡っている。

 図らずともヨアンヌのお陰で安眠できた。その点だけは感謝しておこう。


「失礼します」


 俺はすやすやと寝息を立てるヨアンヌに言い残して、部屋に付けられた二重の鍵を外した。そのままドアノブを捻って退室しようとしたところ、妙な突っかかりによってドアが開かなかった。


(……三重の鍵だったのかよ)


 俺は死角にあった捻りを回して外に出た。早朝にヨアンヌの部屋から出てくる男など噂が立つに決まっている。古城の構造を完全に理解していた俺は、誰にも見つからないように足音を潜めて出口を目指した。


 運良く教祖や他の幹部にも出会わなかったので、ほっとしながら玄関の大扉に手をかける。ガコンと大きな音が響いた。あっと声を上げそうになる。早朝にこの音はかなり響いただろうか。何せ古城の内部は音がよく通る設計になっていたはずだから――


 そんな思考が脳内を駆け巡ると同時、俺の背中に凛々しい女声が突き刺さった。


「その後ろ姿……ひょっとしてオクリー君? こんな所で奇遇ね」


 フアンキロだ。ひょっとしたら一番会いたくなかった人間かもしれない。俺は即座に振り返って膝を折る。彼女は俺から一メートル程の所で立ち止まると、不思議そうに鼻を鳴らした。


「君……ヨアンヌの匂いがするよ。まさかあの子の部屋で寝泊まりしたの?」

「……はい、泊まれと言われたので」

「……ふふっ。今の君ってやっぱり矛盾してるよ。いつか足を踏み外さないように頑張ってね」


 矛盾を抱えているのは分かっている。ぐっと苛立ちを抑えて拳を握り潰す。感情を噛み殺した表情を見られたくなかったので、フアンキロがこの場を去るまで頭を下げ続けた。

 反抗的な態度を取れば容赦なく再教育という名の洗脳が待っている。なるべく自我を持っていないかのように振る舞わなければ……。


 彼女が去った後、俺は山の麓にある洞窟の中に入った。坑道のように整備された道の先に武器庫がある。来たるメタシムの戦いでの生存率を少しでも上げるため、装備の整備をしに来たわけだ。

 正教兵から奪ってきた鎖帷子を服の下に仕込んで、少しでも肌を傷つけられる確率を下げる。鉄の剣はしっかり研いで、クロスボウにも不調が出ていないかチェックする。文字通り命を預ける道具達だ、何回確かめても安心はできない。


 そうして装備をチェックする傍ら、武器庫の中に新たな来客が訪れる。また幹部かと思って身構えたものの、漆黒のローブを羽織った没個性的な一般教徒だった。


「…………」

「…………」


 俺は作業を止め、クロスボウや革製プレートの置かれた棚を隔てて一般教徒と向かい合う。何せ誰も起きていない早朝の武器庫だ、互いに「こいつちょっと怪しいぞ」と思っているのだろう。疑心暗鬼に陥ると思考回路に毒が回り、真実に靄がかかる。何故か俺達は一定の距離を保ったまま、じりじりとした膠着状態に陥ってしまう。


「……おはようございます」

「おはようございます」

「そちらはどのような要件でこちらに?」

「あなたこそ何をしていたのですか?」


 俺と同い歳くらいの青年である。ただ、他の教徒よりも目が輝いていた。

 他の教徒は大抵目がイカれてるか死んだ魚の目をしているか。こいつはそのどちらでもない。


「私はメタシムの戦いに向けての準備ですよ」

「なるほど」

「あなたは?」

「僕も同じです。早めに防具を確保しておきたいと思いまして」

「そうですか」


 青年はプレートを手に取ると、中指の第二関節で軽く叩いて強度を確かめる。俺を視界から外し、そのままクロスボウやナイフを見始めたので、俺も元の作業に戻った。

 ……俺が警戒しすぎていたようだ。教団拠点に居ても気が休まっていなかったから、ただの教徒にもビビってしまったのか。


 作業を進める俺達。俺は普段から雑談というものをしない。何気ない会話の中で前世の知識が飛び出してボロが出るのが怖いし、モブの中でも目立ちたくないという理由がある。まあ、これまでなら黙り続けることで『その他大多数』の一般教徒として生活できていたんだが、最近はその他大多数と思い込める状況にない。幹部と一夜を共にできる一般教徒がどこに居るというのか。少なくともちょっと目立ち始めているのが現状だ。


 元々俺は孤独を好む人間だったし、誰からも認知されない程度の存在感でいいんだがな。そもそもこんなカルトの中で群れたい人間はいないと思うが。


(……教団の中にも生存率を上げたいって考え方の人間はいるんだな。そこまで気の回る教徒なんて俺以外いないと思っていたが)


 俺は先程の青年の姿を盗み見ながら、山の中で取ってきた薬草を付近のテーブルで調合し始める。クロスボウの矢に塗る毒薬の他にも、応急処置用の止血剤や回復薬などは作っておいて損は無いだろう。使える薬草などの調合知識は原作知識の流用だ。


 武器防具の調整をしている青年の様子を見ると、俺とは違った薬を調合しているようだった。何を作っているのか気になって様子を見ていると、彼も俺の手元を見返してきた。


「…………」

「…………」


 鏡を見ているかのような感覚。その滑稽な光景が武器庫に流れる緊張を解したのか、俺達は目を見合せてついつい噴き出してしまった。


「気が合いますね、僕達」

「はは、珍しいことがあるものです」


 余所余所しい雰囲気から一転して、俺達はすっかり意気投合する。

 青年から伝わってくる生き残ることへの情熱、豊富な知識、俺以上に人と壁を作るような雰囲気……全ての要素が言語化できない信頼感を生んでいた。


 つまるところ、『同類』の匂い。

 彼の仕草は隠し切れないほど俺と同じ匂いがした。


「オクリーさんはどのような経緯でこの教団に?」

「さぁ。生まれた頃にはもうここに居ましたよ」

「はは、僕と同じだ。あなたも自分から教団に加わったわけではないんですね」


 軽い自己紹介をして分かったことだが、彼の名はスティーブと言うらしい。俺と同じく幼子の頃に誘拐され、血反吐を吐きながら何とか生きてきたとか。

 和やかな会話の中で、俺達は教団への違和感や微かな敵意を水面下で共有していく。教団の方針や目的に疑問を持っています、などと直接的な言葉を曝け出せるわけではないから、あくまで暗喩的に表現するだけだが――


 どうやら、スティーブは人殺しを厭わない教団の行動の数々に疑問を持っていたらしい。アーロスのことは尊敬に値する組織のリーダーとして見ているが、その行動に容認し難い部分がある……これだけの求心力があるのは本当に素晴らしいことであるから、どうか道理を外れすぎない行為をして欲しい――と考えていた時、俺と出会ったんだと。


 洗脳から完璧に解放されているわけではないだろうが、スティーブは世間一般で言う正気の部分が残っている。また、非常に婉曲的な表現を重ねている辺り、拠点内で口に出すとまずいことだと理解もできている。俺と同じく今の教団を疑問に思っており、恐らくは正教側への亡命も考えたことがあると来た。中々どうして信用出来る奴だと俺は思う。


「……あなたは他の人と違って話せそうだ。僕と同じような人がいて良かった」

「俺もだよ」


 スティーブは教団内部の異常に気付ける側の人間だが、他の教徒達は違和感にすら気付けない。両者共々アーロスの被害者なのだ。生まれた時からアーロス寺院教徒の優秀な手駒として育てられ、それ以外の何もかもを知らないのだから。


 教祖アーロスは神のような御方で、彼のやっていることは全て正しい。それ以外は悪。ケネス正教は我々の邪魔をする悪い組織である。そんなことを何年何十年と擦り込まれ、大半の教徒は疑うことすらしなくなっていたと言うのに……スティーブのような教徒と出会えるのは奇跡に近かった。


 俺達は互いに薬の調合方法を教え合い、更に仲を深めていく。


「一緒に生き残ろうぜ、オクリー」

「あぁ。スティーブと話せてよかった」


 明日はいよいよ出撃の日だ。





 拠点内の尋問室にて、フアンキロ・レガシィは雪のように白い髪を指先で弄っていた。彼女は退屈そうに欠伸をした後、散々弄り倒した髪を直し始める。


「あ〜……最悪」


 とある人を待っていたフアンキロは、何度も溜め息を吐いて拷問道具の整備を始めた。血錆や変形を見つけては苛立ちを募らせ、結局面倒臭くなってまともな整備なんてせず現状確認で終わるわけだが。

 フアンキロが拘束器具付きの椅子に勢い良く背中を預けていたところ、やっと彼女の待ち人が到着した。


「お待たせ」

「遅いよポーク」


 尋問室の扉の前に現れたのは、男装の麗人であった。艶やかな黒髪をショートカットにして、後ろでひとつに纏めて縛っている。妖しげな灰色の瞳は尋問室の澱んだ空気と調和しており、その瞳でフアンキロを発見した女は、薄いピンクの唇を緩やかに歪ませた。


「珍しいね、フアンキロ。キミがボクに頼み事だなんて」


 彼女の名前はポーク・テッドロータス。男物のスーツが似合うスレンダーなモデル体型をしている。

 そんなポークに声をかけられたフアンキロは、彼女を呼びつけた理由を話し始めた。


「君を呼んだのは他でもないわ。監視してほしい人間がいるの」

「監視? 一体誰を?」

「……オクリー・マーキュリー」


 ポークの目元が一瞬だけ痙攣する。彼女はその一般教徒の名を知っていた。


「オクリーと言えば最近噂の彼じゃないか。優秀な教徒だと聞いているけれど、どうして彼を監視する必要が?」

「個人的な理由よ」


 あんな男がアーロス様に認められ始めたって事実が気に入らないだけ。つまり当てつけ――フアンキロはその言葉を呑み込んだ。フアンキロとポークは弱みをさらけ出せるような仲でもない。

 だから嫌だったのだ。ポークに貸しを作るだなんて。フアンキロはあくまで理由を話さない頑固な態度を取った。それをいち早く察したポークは、個人的な理由に触れずに話を前に進めた。


「ふぅん? 話したくないなら詳しくは聞かないけど」

「それが助かるわ。オクリー監視の手段は問わないから、しばらく監視を続けて頂戴」

「ボクも暇じゃないんだからさ、そういうのは自分でやるべきだと思うけどね」

「……うるさい」


 ポークは白い手袋で口元を抑えて、くすくすと笑った。フアンキロはやりにくそうに髪の毛を触る。


「で、いつから監視してくれるの?」

「今すぐは出来ないよ。準備が整い次第、自動運転型(・・・・・)で開始するね」

「あぁ――アレでやるのね。手段は問わないから、監視してくれるだけで結構よ」


 不穏な会話を重ねた二人は、それだけ打ち合わせるとさっさと解散した。


「……ポークも尋問したい人がいたらワタシに知らせて? 借りができた分、うんとサービスしてあげるから」

「ははっ、その時は頼むよ。それじゃ」


 依頼の内容以外は、互いの顔色を窺うような中身のない会話であった。しかし、これが彼女達の日常である。


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