13:彼女が倒れた後のこと
第三者視点です。
侍女が刃物を持って襲い掛かって来たのをエーテルもロナも一瞬出遅れた。その間にエーテルに襲い掛かった侍女に扮した暗殺者とエーテルの間にシアノが割り込む。エーテルとロナが一瞬出遅れたのは、シアノの予知夢を忘れていたからに他ならない。シアノが咄嗟に動けたのは、予知夢を覚えていたから。この差がその後を分けた。シアノがエーテルを精一杯突き飛ばし、エーテルが少しだけたたらを踏みながら体勢を整えた時には、シアノは左肩に刃を受けていた。それに気付いたエーテルが暗殺者の腹を横から蹴り付け、同時にロナが護衛を招き入れた。護衛はゼスである。王位継承権が一番低かった上にあまり兄弟達から意識されていなかったとはいえ、あの内乱中にエーテルが命を狙われたことは両手の指より多い。それなりに暗殺者とのやり取りはして来ている。
ただ、内乱が収束してからは、全くこのような事は無くなっていたため、咄嗟に動けなかった上に、シアノの予知夢を忘れていたので、後手に回った。……おそらくシアノの予知夢が外れた事が無い、という話すら話半分で聞いていたのだろう。油断した結果である。そして、その結果が目の前で倒れているシアノ。
ゼスが暗殺者を捕らえ、背後関係を喋らせる前に暗殺者は舌を噛み切ったのか、歯に毒でも仕込んでいたのか、息耐えた。国王が襲われた上に暗殺者を死なせるなど、護衛としての失態は大きいが、今は医者を呼ぶのが先決だ、とばかりにエーテルとロナがゼスを急かす。本来ならラナが給仕をするはずだったのに、侍女が入れ替わっている事も失態だ。そのラナはゼスが王宮の専属医を呼びに行く近道の人気の無い場所で倒れているのが見えたので、ラナを抱えながら専属医を呼んだ。簡単に事情を説明し、急ぎ国王の執務室にとって返す。その間にラナは気が付き、背後から忍び寄られて昏倒させられた事を話す。そうしてラナは自分が警戒を怠った結果、シアノがエーテルを庇って瀕死の状態に陥った事を知った。
専属医は王族だから王家の加護によって助かる、と言うが、シアノは王家の加護が無い。専属医にそう話せば顔色を変えた専属医は懸命に治療しながらも、言葉をこぼした。「王家の加護が無いのならば、生きられる可能性は低い」と。刃物に毒が塗られていて、その毒が全身を回ってしまえば死ぬ、と。
エーテルもロナもゼスもラナも言葉を失った。
自分達の都合で大国の王女を名ばかりの王妃として離宮に押し込め、不満も愚痴も溢さないで日々を過ごしていたシアノ。知識があり、お飾りであろうとも“王妃”として嫁いで来たからには……と覚悟を持って凛としていた。そしてこの国が、エーテルという国王が、どんな風に周囲から見られているかを指摘し、この国のために、と他国からの視線を和らげるために尽力してきてくれた、言わば国の恩人とも言える人が、死ぬ。それも、シアノのおかげでどこの国も一目置いている国の第三王子を使者として招いて、そのための準備等も尽力してくれた、彼女が。
ただ切られただけなら傷の治療だけで済んだ。だが彼女を襲った凶刃は毒が塗られていた。何の毒なのか不明なため、一般的な解毒剤を専属医は使用したが、毒によっては全く効果など期待も出来ない。急ぎ使用された毒が何か調べるが、1日で判明するものでも無い。時間が経てば経つ程、死に近づく……。何も、まだ何もシアノに恩を返せていない。あまりにも雑な扱いだった事を反省してきちんと側妃に迎えよう、とエーテルが決めていた矢先だけにこの何重もの失態は、皆の心に暗く影を落とした。
シアノを専属医の仕事場……救護室へ運び一刻も早い正しい解毒剤の投与を、と慌ただしくしていたその日の夕刻。髪を振り乱し、汗を掻いた1人の貴人とその護衛が王宮に訪れた。言うまでもなく、パフェム、その人である。彼は使者としてこの国に到着し、王都をゆっくりと使者団と共に優雅にパレードしつつ王宮を目指していたのだが。不意に彼のギフトが発動して、従者に馬を用意させ、僅かな護衛で王宮まで馬を走らせたのである。
パフェムのギフトは、彼が大切に思う相手の危機を察知するというもので、「危機察知」だが、このギフトの制限は、彼が指定した相手……それも1人だけというもの。その1人をパフェムは、シアノがアルザスとの婚約を解消したと聞くや否や、シアノに指定した。彼は留学していた間にシアノの可憐さと賢さと王女らしい誇りの高さを好ましく思った。ただ、婚約者が居る王女を横取りする気はまるで無かった。だからこそ、憧れで収めて帰国したのである。それくらい、パフェムから見たシアノとアルザスは仲睦まじかった。それが婚約解消である。慌てて諜報員を送って調べてみれば、あまりにもアルザスの愚行ぶりが目についた。それなら、遠慮なくシアノに婚約を申し込める、そう思ってもいた。
パフェムの国では王族・貴族・平民関係なく恋愛結婚を推奨している。余程の事が無い限り、政略による婚約後結婚は有り得ない。シアノは恋愛結婚を推奨している事を知っていても、王族や貴族は政略結婚も有るのだろう、と考えていたので、パフェムからの求婚が恋愛感情ではなく、ただの同情だと思っていた。もし本気だったとしても、やはり断っていただろう。王家の加護を失い、子も産めぬ自分が第三王子の婚約者になどなれぬ、と告げて。そこは変わらないが、パフェムが恋愛感情を抱いていた、と知っていたなら、今回、彼を頼る手紙など出さなかっただろうと言えた。
パフェムは留学後も友人として手紙を交わしていた時に、シアノのそんな人柄も見抜いていた。そんなシアノが可愛い、とパフェムは思っていたからこそ、シアノが支援金を持ってこの国に嫁ぐ決断をした事も、苦い想いを呑み込んで受け入れた。だが、この国の国王の座についた人物は、パフェムより年上だが視野が狭く、自国と自分が周囲からどう思われているのかすら解っていない。シアノという大国の王女を娶ったというのに、式も挙げず、披露目も無い。あまりにもシアノを侮辱している、と憤慨していた。だからこそ、シアノから使者を送って欲しい、と頼まれた時。シアノを蔑ろにしている国のために尽力しようと考える王族とは言えない甘さに、何とも言えない複雑な思いをしながらも、パフェム自ら使者を務める事を条件に受け入れた。
そうして約束した日がもう直ぐという所で。シアノの異変をギフトにより察知したのである。門番に使者である事を説明するのも億劫な程、気が急いて何とかシアノ経由でもらったこの国の国王の招待状を見せて納得して中に入れば、シアノの元へとにかく急げとばかりに案内役に付き従って、無礼を承知で救護室へ案内される。そうして救護室に飛び込んだパフェムの視界には、医者らしき人と数人の男女。ーーそして青褪めた顔色でベッドに横たわるシアノが見えた。
誰だ、と男ーーゼスーーに問われ辛うじて母国語ではなく、この国の言語で名乗った後。フラフラとシアノの元へ歩み寄った。
「シアノ王女?」
「側妃様は痴れ者の凶刃に倒れられ……それも毒がついた刃で有ったために、現在毒を解析して解毒剤を投与しようと対応しているところです」
医者らしき人の説明をパフェムは聞きながらも、心は動揺。しかし頭は冷静だった。この国の言語で話されているのを理解出来ているのだなら、冷静さが窺える。物事を考える頭の方まで動揺していたのなら、言語を解せていないだろうから。
「解毒剤? 毒ならば多少知識が有ります。その毒の付着した刃物は?」
パフェムはこの国の言語でそう口にした後、刃物の毒を見たり少量を口にしたり(王家の加護が有っても毒に身体を慣らす習慣がある国の王族)して毒を特定し、解毒剤の名前まで教える。医者が投与した所、徐々に顔色が戻り、呼吸も安定していた。それを見て全員が一息付いたところで、パフェムはエーテルをヒタリと見据えた。
「医者が側妃様は……と仰った。貴方は、彼女を側妃で迎えようとしている、と? 私の手の者が調べたところ、彼女のことを調べた気になって悪女だと思い込み離宮に閉じ込めてお飾りにしておいたくせに? 式も挙げず披露目もせず、彼女の母国を含めた各国に発表もせず閉じ込めたくせに?」
「それは」
「大方、彼女の知識や所作や日々の生活から悪女に見えず、改めて調べた結果、悪女はただの噂だった……と知ったのでしょうね。挙げ句、彼女に自国や自分がどのように見られているのか指摘でもされて、彼女の価値にようやく気付いたと共に側妃にきちんと迎えよう、などと傲慢な事を思っている、といったところか。……ふざけるな」
その最後の一言は低く、重い。殺気が込められていた。ゼスがサッとエーテルの前に立ち、腰に佩く剣へ手を伸ばすが、その動作に何の感情も載せない目で一瞥した後、再びエーテルを見据えた。
「言っておくが、“国王”と“第三王子”ではどれだけ弱小でも“国王”の方が普通ならば立場は上だ。普段の私ならばきちんと敬う。だが。私に見下される程の言動をしていた、という事を頭に入れるんだな。シアノ王女が望んだから、来ただけだ。お前は……いや、お前達は知らないだろうから言っておく。私を含め彼女はあちらこちらから婚約を申し込まれた存在だ。全てを断ったのに、こんな滅亡寸前の国の国王に嫁いだことから、周囲の国々はこの国の国王に何か有るのか注視していた。若しくは、彼女自身に何かが有ってこの国に嫁がなくてはならない、と。当然だろう。大国の第一王女。それも一夫一妻の国の王女が、一夫多妻の国の国王に嫁ぐのだからな。各国が注視していた。それにも気付かず、およそ1年近く放置していたんだ。それを今更、他国にも理解得られるように側妃に迎えようなどと、大国と彼女に求婚した国々を莫迦にするにも程が有る。彼女自身が受け入れたとしても、貴様とこの国が簡単に許されると思うな」
殺気を込めたまま、パフェムが血を吐くようにシアノへの想いを口にする。エーテルも庇うゼスも正妃として迎えられるロナも姉のラナも、全てを聞いていた医者も。
パフェムの話に何も言えない。
エーテルやその周囲の感情など、周りには関係ない。自分達の方からシアノを王妃に迎え入れる、と言っておいての仕打ちは、大国の第一王女として名高い彼女だけでなく、その彼女に敬意を表したり求婚したり、大国を敬ったりしている各国への侮辱にも成りかねなかった。
黙っている者達を視界から外し、パフェムはシアノの傍らに膝をつく。
「貴方は、いつだって自分の幸せに無関心だな。悪女と謗りを受けて傷ついていないはずが無いのに。アルザスのことを慕っていたのに自ら手放して。民のために心を砕いても想いを返されず、貴方のことだ。この国に嫁いで来たのも予知夢に従ってのことだろうが……自棄にもなっていたのだろう。子が産めない自分は、誰と結婚しても次代を繋ぐ役割が果たせないから、と子を産まなくてもいい相手の元へ来たのだろうが……。貴方はそうやって自分の幸せを考えもしない。私は、貴方が子を産まなくても周りから何も言われないように準備してきたというのに、私の気持ちを知っていて置いていくなど酷いな。ダメだよ、シアノ王女。貴方は生きて幸せを掴まなくては」
パフェムは愛しげにシアノの髪を梳く。恋愛結婚を推奨している国の第三王子が求婚した、ということは、恋に落ちている事の証だというのに。アルザスとの一件以降、恋愛から遠ざかっていたシアノは、パフェムの気持ちに全く気付かず同情心だと思っているのだから、パフェムの準備が整い次第、全力で愛を捧げようと思っていたのに。
「わ……たくし……は、王女、ではあり……ません、のよ? 王妃、ですわ……」
パフェムの言葉の最後の方を夢現で聞いていたシアノは、薄っすらと目を開けて微かに微笑みながら、パフェムに困った方ね、と呟いた。
「シアノ王女」
「パフェム……さま」
「ああ、私だ。生きてくれて、ありがとう」
ふふっと微かに笑い声を上げたが、シアノは再び目を閉じた。呼吸が安定しているところから、危機は脱した、と見るべきだろう。
「医者殿。王女を頼む」
パフェムはシアノを託すと「私の滞在先へ案内して頂こうか」とエーテルをその視界に入れた。不遜な態度、と咎めるのは簡単だが、そんな事をすれば折角シアノが骨を折ったことを台無しにするようなものだ。自分が国王として足りない事を自覚しているエーテルは、何も言わずにラナに案内を促した。
取り敢えず、シアノが危機を脱したことに安堵し、これからの日程を考える。いくらシアノが倒れたからといって、軽々しく予定は変えられない。それこそ信頼関係も結んでいないのだから余計だろう。
此処からは自分達で頑張らなくてはならない、とエーテルは決意した。
お読み頂きまして、ありがとうございました。
次話も引き続き第三者視点です。
次話は微、ですが、ざまぁ?入ります。ざまぁじゃないか……?微お仕置き?微反省?そういった感じの話です。
 




