私の仕えるお嬢様の話
水平線を背にして、地平線まで続く広く青々とした田園と、道路の左右に面した梨を育てるいくつもの果樹園と看板、そして時々、大きく成長した何かの野菜が育っている畑などに彩られた街道を進みますと、日本家屋が並ぶ住宅街に、一軒だけ、二階建てのお屋敷があります。そこが私とお嬢様が暮らしているお屋敷です。
私とお嬢様が暮らしているお屋敷は、房総半島のこの小さな町にあります。何年も前から、家並みの変わることのない、小さな町です。このように言うと、お嬢様のお屋敷はとても小さなものに見えるかも知れません。
しかしここに暮らしている人達は、朝、薄群青色の空と、雀の鳴き声で目を覚まします。夜は夏でも満天の星空が見えるほど暗くて、日中も静かなこの土地は、お年寄りや病気を持っている方々の西洋に適した、風光明媚な土地です。そのような土地にこのようなお屋敷を建てることは、コンクリートジャングルが増え、冬でも星の見えないような都会が増えている現代社会の人にとっては、至高の贅沢でしょう。
かくいうこのお屋敷も、幼少の砌より身体の弱かったお嬢様の為に、旦那さまがお建てになったお屋敷ですので、最近補修工事を行ったばかりです。ちょっと壁が、白くキラキラしています。瓦も綺麗な赤土色で、水はけも良く、お布団が良く暖まります。最近温かくなってきたので、庭の樫の木が瓦に届いてしまいそうなので、そろそろ庭師を呼ばないと、お布団に葉っぱがついてしまいます。
バブル時にこれだけのお屋敷を建てることが出来たのは、偏に旦那さまが手堅い職に就いたのと、何よりその当時はお嬢様を溺愛していたからです。ヤヌアリ=ヴィーギンティクィンケ家待望の初孫としてお生まれになったお嬢様は、母方のヤヌアリ家からも、父方のヴィ-ギンティクィンケ家からも溺愛されていました。無論、両家の皆様は今でも、お嬢様を大切にしてくださっていますが、そこには少々問題がございまして、まあ、その話は長くなりますので後ほど。
お嬢様はここで、作家活動をして、云十年ほど暮らしています。その間、お嬢様の為に、旦那さまがお嬢様にくださったのは、このお屋敷だけです。その理由もややこしくなりますので、後ほど機会がありましたら。……まあ、個人的には、旦那さまの話をする機会が必要な時は来て欲しくないのですが。
といいますのは、お嬢様は夢の中の住人だからです。
お嬢様の世界は、「神さま」と「同人誌」で構成されています。他の雑多なものを排除するのが、私の役目。お嬢様の心の健康をまもる、それが私の役目です。それを破壊し、お嬢様を悲しませる者は、旦那さまといえども私は許せません。
……とと、話が少し逸れてしまいました。
そろそろ私も目覚めなくてはなりません。昨夜身体を包んでいた温もりがなくなっているということは、お嬢様は今、私をベッドの中で抱き枕にしてはいません。そして、私の瞳は、瞼の向こうから、空気に反射し青くなった太陽の光を見つめています。
朝です。お嬢様のお世話をする一日が、今日も始まります。
これは、夢の世界のお話です。「神さま」と「同人誌」の中でしか生きられない、けれども幸せなお嬢様のお話です。
僅かな夢の一時、しかしインターネットという無限の夢の空間に生き、世界の対立は全て擬人化してボーイズ・ラブにすれば平和になる、と信じているお幸せなお方。通称『宗教詩お嬢様』こと、パウラ・ズィロー・ヤヌアリ=ヴィーギンティクィンケさまと、そのメイドの私の、日常を綴った物語でございます。
……え? お嬢様ではなく、お坊ちゃんではないかって?
何を仰っているのか分かりませんね。私がお仕えし、お世話しているのは、パウラさまだけですよ。