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茜空の下であなたに会えたら  作者: 谷中英男
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 今日も今日とて名前も知らないお姉さんに見送られながら学校に向かっているけど、二日続けて見た夢のせいで、ぼくの頭の中に学校に行きたくないなんて言うくだらない戯言は微塵も存在しなかった。ただ夢のことで頭がいっぱいだった――ここで言う夢はもちろん将来の夢のことじゃない、眠っている時に見る夢だ。

 妙に記憶に残る夢……。

 いや、記憶に残るどころじゃない。ぼくは細部まではっきりと覚えている。どこまでも広がる闇と、感じたことのない孤独、耳を聾する無音の叫び。今まで感じたことのない恐怖だった。

 まだ朝なのに、もう眠るのが怖くなっていた。

 夢のことを考えるだけでも嫌になってくる。あの夢が現実に侵食してくるんじゃないかと思えてくる。考えるのを止めたいのに、止められない。頭の中では夢がぐるぐるととぐろを巻き、ありとあらゆる思考を夢へと関連付けようとしている。このままでは、夢のことだけしか考えられなくなりそうだ。

 たかが夢に感情を支配されているなんて……。

 現実に起こったわけでもなく、睡眠時の空想の産物に、ささやかな日常を壊されようとしているなんて……。これじゃまるで居もしない怪物に恐怖する子供だ。こんなことで怖がっていい年頃じゃないのに……。

 このままじゃ、ぼくはぼくでいられなくなってしまうんじゃないかと怖かった。

「おはよう……」

 不機嫌そうな、聞き覚えのある声が聞こえた。ぼくはその声にさえも、希望の光を感じた。

 一人じゃないと安心できた。

「おはよう」

 安心したのも束の間、いきなり出会ったのが桃井(ももい)さくらじゃ、どうもおさまりが悪い。こういう時は藍野さんであった欲しいもんだ。別にさくらのことが嫌いだとかいうんじゃないんだけどね。

 ただ、彼女のことが苦手なんだ。それは彼女がクールビューティーで他人を寄せ付けないような雰囲気を漂わせているからだけじゃない。なぜかわからないけど、ぼくに対してだけ態度がとげとげしいからなんだ。はじめの頃は思い違いかとも思ったけどね。でも、ぼく以外のクラスメイトとは笑顔で会話しているのを見て確信したね。ぼくにだけあんな態度だって。ぼくには笑顔を見せやしない――別に見たいわけじゃないけど。何かにつけて、不機嫌そうな顔でぼくを睨みつけてくるんだ。ぼくが何をしたわけでもないのにだ。ぼくはクラスメイトの一員として普通に接しているのに。

 彼女には何か気に入らないことがあるらしく、ぼくにだけ氷のように冷たい。

 それなのに、なぜか挨拶はしてくるし、今みたいに何を喋るわけでもなしにぼくの隣を歩いて登校することもある。

 こんな状況で何もしゃべらないわけにはいかないから、ぼくは恐る恐る話しかけるしかない。

「あの、さくらさん? 気を遣わずに先に行っていいんですよ?」

「なんで敬語なの? それと、行く場所は一緒なんだからしょうがないでしょ。私だって好きであんたと歩いてるわけじゃないから」

 これです。いつもこれなんです。ちょっと気を利かせても、目を見ようとさえしないで仏頂面でぶつくさ言われるだけ。放っておいたら放っておいたで、どんどん機嫌が悪くなってくるから手に負えない。もちろん、不機嫌の理由は教えてくれない。

 ほとほと困り果ててみどりにそれとなく相談したこともあったけど「すぐるってそういうとこあるよね」と要領の得ない答えが返ってくるだけ。何を言いたいのかさっぱりだ。

 こうなったら、ぼくは黙って歩くしかない。唯一の切り札である当たり障りのない会話をバッサリ切り捨てられたら手の打ちようがないからね。

 だからって、気まずさが消えるわけじゃない。刃物のように鋭い美しさをもつ彼女が黙ってるもんだから、威圧感がスゴイのなんの。隣で監視されているというか、隙を窺われているというか、狩人に追い詰められている獲物の気分になるんだ。

 こうなるとぼくは強風に弄ばれる落ち葉のように無力だ。ただ耐え忍び、この沈黙が少しでも早く終わることを祈るしかできない。しかも、この祈りというやつをする時は、到底、叶いっこない願いをする時と相場が決まっているから、希望は潰えたといっていい。

 つまり、ぼくはこれから数分をあたかも永遠のように感じながら、学び舎へと向かわなければならないんだ。ここ二日見た夢と同じようにどうしても避けたい事態だ。

 なんて言いつつ、永遠にも思える数分間をやり過ごして、ぼくはどうにか学校までたどり着いた。

 もちろん、無言のまま、沈黙に押しつぶされて。

 ただでさえ行きたくないと思っている学校に、こんなに早く着いてくれと願ったことはないね。自分が自分でなくなったような違和感だ。勘弁してほしいね。ぼくはぼくであり続けたいのに、こんな風に他人の影響で自分を変えるなんて願い下げだ。

 学校に着いたからいいものの、時と場合によっては、尻尾を巻いて家に帰っていたね。みっともないけれど……。

 どうにか昇降口までたどり着くと、さくらはぼくなんていなかったかのように一人ですたすたと教室へ向かった。彼女の無言の束縛から解放されたぼくはその場にへたり込みそうだった。

 日常生活であんなに緊張感を感じることなんてないから、さくらと別れた時はいつもこうだ――いい加減慣れたいところだけどね。

 教室の自分の席に辿り着くと、いつものようにみどりがやってきた。

「おはよう。なんか今日は疲れてるじゃん。どうしたの?」

 これが幼馴染との腐れ縁と言うものなんだろう。

 みどりはいつもと変わらないはずのぼくの顔を見てそう言ったんだ。内心ぼくは嬉しかったね。ここに来るまでの苦労や、金魚の糞みたいについて回る忌まわしい夢のことに理解を示してくれたように感じたから。でも、だからって彼女の手を握りしめて感謝の言葉を述べるわけにもいかないし、涙を浮かべて今までの苦労を語るわけにもいかない。なんでかって言ったら、単純明快、みどりがぼくをからかうからだ。だから、ぼくはわざわざ弱みを握られるような真似はせずに、いつも通りに接した。

「別になんにもないよ。いつも通りだよ」

 ぼくの言葉にみどりは納得いってないようだった。渋柿でも食べたような顔つきで、ぼくの瞳を黙って覗き込むだけ。

 なかなかお目に掛かれない光景だ。みどりが黙っているのも、鹿爪顔をしているのも。特にこの珍妙な表情は幼馴染のぼくでもなかなか見たことがない。もし、みどりに恋している男がいたなら、自分が恋焦がれている女性が付き合っているわけでもない男にこんな顔をするのかと幻滅するくらいにはなかなかに面白い顔だった。できればぼくのように親しい人間以外には見せてほしくないね。

「どうしたんだよ。変な顔して黙り込んで――珍しい」

 さくらとの登校の時とは違う、予想外の沈黙にぼくは耐えられず、自然と言葉が漏れていた。多少なりとも心配したしね。だって、こんなふうに大人しいみどりはなかなか見ないから。何かあったと思わずにいられない。

「別に……。あたしだって静かな時もあるよ……」

「変な顔」と言ったのに、かみつくことなく消え入るように言葉を紡いだみどりはやはり違和感があった。

 こんな時は幼馴染として、みどりのことを気遣う必要があったんだ。それなのにぼくの口から流れ出たのは当たり障りのないちんけな「そっか……」という言葉だけだった。

 無言でさくらのもとへ戻るみどりを見て、ぼくは自分が情けなかった。

 あそこでもう一歩踏み込んでみどりを心配するべきだったんだ。それなのにぼくは情けなくもしり込み、ちっぽけな体裁を気にしてみどりに言葉をかけられなかった。いや、かけられなかったんじゃなく、かけなかったんだ。ぼくはまごうことなき自分の意志で幼馴染を拒絶した。


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