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茜空の下であなたに会えたら  作者: 谷中英男
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 放課後の図書室はいつものごとく、どこか埃っぽくて、陽光の届かない鬱蒼とした森を思わせた。誰も使わないなんてことはなく、日当たりが悪いわけでもないのに。なぜか、人の立ち入りを拒んでいるように感じた。

 陰気な図書室のいつもの席に腰を下ろして、ぼくは本を開いた。SF小説と探偵小説を足して二で割ったような本だ。放課後、いつものように図書室に入り浸るぼくを見たある人から薦められものだ。

 そのある人とは藍野さんだ。

 藍野さんと図書室で言葉を交わすようになったのは、残暑厳しい今年の九月の初め頃だった。

 ぼくはいつまでも続くエネルギー溢れる灼熱の日々にうんざりしていた。陽の出ているうちになんて帰る気なんてもちろんならない――新学期が始まってからいつもそうだ。その日も当然そんな気持ちを抱き、読み止しの本もあったから、暑さが少しでも和らぐまで本でも読んで待つことにした。

 当然のことながら、誰もが思いつく自分のクラスで時間をつぶそうとした。

 残念なことに、教室は暑さに当てられたクラスメイトがたむろしていた――もちろんみどりたち騒がしい連中もいた。だから、その場に居続けることは考えられなかった。ああいうグループはぼくの読書を邪魔するためにいるかのように、騒音をまき散らすんだ。

 というわけで、ぼくは逃げるようにして教室を出た。どこに行く当てもなんてないけど。

 みどりにも気づかれることなく、ぼくはそろそろと教室を抜け出し、校内を彷徨いだそうとした……。したけど、教室を出てから気づいてしまった。冷房の効いている教室とは違って、廊下は直射日光が当たらない以外、外と何ら変わりのない事を。こんなことは教室を出る前に気づいてしかるべきことだったのに、ぼくはあの喧騒に巻き込まれたくないがためだけに、何の考えもなく飛び出してしまった。

 こうなったら後の祭りだ。教室に戻ることもできない。みどりに絡まれるのは目に見えてるからだ。

 しょうがなく校内を彷徨(さまよ)うことにしたはいいけど、これがなかなかに骨が折れる。一年も通っているとまるで第二の家のように感じるけど――甚だ不愉快だけどしょうがない、慣れとはこういうもんだ――意外と一人で静かにできるところは見つからない。自分のクラス以外はもちろん他の生徒がいて、ぼくが入って行けるわけもないし、移動教室で使う教室も部活動で使われていたり、鍵が閉まっていて入れない。

「どうすればいいんだ」と途方に暮れて、いまだに陽光を降り注ぐことを止めない太陽を憎々しく睨みつけていると、ぼくと藍野さんの出会うことになる場所が思い浮かんだってわけだ。

 一番に思い浮かんでもいいはずなのに。まあ、それだけこのうだるような暑さと、教室の喧騒が嫌だったということなんだろうけど。嫌なことが思い浮かぶとそれが思考の大部分を占めて、頭が回らなくなるだろ? そういうことだ。

 ぼくは勇んで約束の地へ向かった。心地良い安寧と未知なる出会いが待ち受ける場所に――この時には予想もしていなかったけど。

 おそらく入学以来、初めて足を踏み入れた図書室。これほどまでにぼくを魅了する場所に近づかなかったなんて自分が恥ずかしくなるくらいに、この場所は理想的だった。

 静寂が心地よく空間を支配し、高校というもれなく活気あふれる場所であるのに、年老いた猫みたいに落ち着いている。もちろん、空調も完璧に調和がとれ、なんの不快感も与えない。

 最高の空間。

 ぼくのために用意されたような錯覚さえ覚える。ぼく以外にも利用者がいるのが玉に瑕だけど、まあこれは致し方ない。静かな場所を求める同好の士がいるのは、放課後の学校なら当然のことだ。

 だからと言って、野暮にも声をかけて仲を深める気もないから――他の利用者もそうだろうけど――図書室の端の席に腰を下ろした。

 そこでぼくは心行くまで静寂を享受した、本を読みながら。何の本を読んだかは覚えていない。たぶん、小説だったとは思うけど、さして印象に残るものじゃなかった。

 一時間ほどかけて読み終わったその本になんの感慨も覚えず、虚無と微かな疲労を得ただけだった。

 これ以上ここにとどまる意味を見いだせなかったぼくは、図書室を出ることにした。太陽はご丁寧に全てを焼き尽くそうと爛々と輝いているけれども、ここに来た時よりはましだ。

 もう潮時でもあったんだ。図書室に居合わせた名も知らぬ同士と帰路を共にすることになるかもしれないし、青春の汗を流した騒がしい人々と鉢合わせるかもしれないから。

 図書室で手に入れた虚無と微かな疲労を抱えて一人で帰るんだ。

 そうやって意味もなく自分に言い聞かせ、重い腰を上げて図書室を出ようとした。

 そこでぼくは彼女に出会った、藍野あおいに。

 出会ったと言っても、一年の頃からのクラスメイトで必要最低限の会話くらいはあった。ただそれだけで、個人的な話なんてしたこともないし、同じ空間を共有しているくらいの認識だけど。電車に偶然乗り合わせたくらいなもんだ。

 そんな彼女と図書室を出るタイミングが被った。どちらも扉に手をかけようとして、その時に初めてお互いの存在に気づいた。ぼくは何も言わなかったし、何も言えなかった――こういう時になんて言葉をかけたらいいかわからないから。彼女はぼくを見て小首を傾げた。桜が枝垂るように黒く長い髪を小さな顔に垂らして。

 ぼくの頭は真っ白になった。

 今の状況が理解できない。

 ただ、彼女の美しさに目を見張った。

 彼女の存在を認識していながら、こんなにも魅力的な人だということを知らなかった自分に腹が立った。

 彼女の魅力に出会えた幸運に感謝した。

 ぼくが受けたような衝撃を彼女は感じなかったようだった。ただ親しげに「大門君も図書室来るんだね」と言って微笑んだ。

 ぼくはその微笑みにほだされて、頷くことしかできなかった。彼女はそんなぼくを見ても怪訝な顔一つせず、小さく手を振って図書室を出ていった。

 それからぼくは足しげく図書室に赴くようになった。心休まる場所で喧騒に疲弊した自分自身を癒すために――藍野さんとまたここで会えるんじゃないかとも思ったのが一番なわけだけど。

 そのうちに、クラスメイトだっていうことと、図書室での初めての邂逅も手伝って、自然と藍野さんと話すようになったんだ。

 なにより、お互いに本が好きというところが一番の理由だったかもしれないけど――今となってはどうでもいい。

 ちなみに教室で話すことはほとんどない。彼女は教室で一人のことも多いし、みどりみたいに騒がしい人とつるむタイプじゃないから、ぼくとの接点がほとんどないんだ。

 ぼくはそれでいいんだけどね。深窓の佳人となんの取り柄もない木偶の坊が教室で話してたりなんかしたら、彼女の評判を落としかねない。それはなんとしても避けなければいけないから、ぼくとしては今の関係で充分だ。

 そんなくだらないことは置いておいて、藍野さんの話だ。彼女は実に多彩なジャンルの本を読んでいた。まさに真の読書家だ。それにつけて、博識で機知に富んでいた――自分の愚かさを忘れさせるくらいに。

 わからないことを一つ聞けば十以上に返してくれた。特にSFに関しては彼女の饒舌ぶりを止めることはできなかった。ぼくが話を止めなければ、下校時間が過ぎようとも喋りつくしているだろう。それだけ彼女はSFが好きなんだ。そして、その影響を受けてぼくもSFを読みだした――ほとんどが彼女のおすすめだけど。

 ぼくらの仲はどんどん深まっていった、本を通して――図書室だけの関係だったけど。

 ぼくらはお互いに意見を交換し、好きな本をすすめあった。

 そして、今の関係が築かれた。

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