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静かな街並みを連れ立って歩き、やっとぼくの家が見えて来た時に、くだらないけれど重要なことを思い出した。
お姉さんはぼくの名前を知っているのに、ぼくは彼女の名前を知らないことだ。
「あの……、お姉さんの名前って――」
「私のことは茜って呼んで。みんなは名字の赤井って呼ぶけど、すぐるくんは特別」
お姉さんはぼくの言葉を遮るように早口で言った。二人しかいないし、今すぐ別れるって程でもないのに。
茜さんがそこまで必死になる理由がわからなかった。
わからなかったけど、そんな些細なことは茜さんの行動で全て打ち消された。
茜さんはぼくのことを再びきつく抱きしめ、頬にあの煽情的な唇を押し付けた。
「嫌だったらごめんね。どうしても我慢できなくて」
我慢できないのはぼくのほうだった。理性なんて首輪は取り去って、猛々しく唸る青春を欲望のまま彼女の中にぶちまけたかった。彼女のスレンダーな身体を貪りつくしたかった。
どうしたって理性が勝つわけだけど――圧倒的に経験が少ないってこともあるしね。
ぼくは黙ったまま首を横に振った。
何を言えばいいかわからなかったし、衝撃的な出来事のせいで言葉が出なかったんだ。
赤べこと化したぼくを見ても、お姉さんはいつもみたく優しく微笑んでくれた。
彼女はやっぱり、どんなぼくでも受け入れてくれる。
ぼくら二人は言葉もなく見つめ合い、黙ったままそれぞれの家に帰った。もうぼくらには言葉なんて必要ないんだ。目を見るだけでお互いの気持ちがわかる。
言葉なんてものは、ぼくらにとっては非効率に楽しさを見出す遊びにすぎない。