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茜空の下であなたに会えたら  作者: 谷中英男
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 もう早起きは苦じゃなかった。むしろ、清々しい気分で、朝が訪れることが嬉しかった。

目を覚ませば、夢の世界とはおさらばしないといけないけど。だけど、あの夢は一部の隙もなくぼくの脳に刷り込まれ、録画していたテレビ番組を見返すように、なんの欠落もなく思い出せる。いつでもぼくの傍に寄り添っていてくれる。

 夢を思い出すたびに、恐怖に身を凍らせていたのに。

 あの夢を見たくて仕方がない。またあの女性と同じ空間にいたくて仕方がない……。

 夢の中の女性……。

 ぼくを孤独から救い出してくれた女性……。

 命の恩人と言っても過言ではないあの人の顔だけは、なぜだか思い出せない。霞がかかったように曖昧で、大人の女性だと言う印象しか残っていない――普通の夢の中の出来事みたいに。

 夢の中では確固たる自信を手にしたのに。

 ぼくの横に寄り添っていたのが彼女でよかったと心から喜んだのに。

 彼女のことを覚えていないなんて、なんだか裏切りに思えた。

 飼い主の手を噛んだ犬はこんな気持ちなのかもしれない――飼い主に対する申し訳なさと、自分の愚行に対するやるせなさでいっぱいだ。

 罰を受けることになるのなら、躊躇なく罰を受けよう。

 いや、罰を受けることが最善で、唯一ぼくのできることなんだ。自ら進んで罰を受けなけないといけない。ぼくはそれだけの罪を犯している。

 夢で再び彼女に会えることを期待しながらも、受けることになるであろう罰に怯えながら、ぼくは家を出た。


 木枯らし舞う秋の空は、晴れ渡っているのにどこか悲しげだった。秋なんて季節はいつもそんなものかもしれないけど。

 冷たく乾いた風が優しさと喜びを連れ去って、朝をかさつかせている。

 まばゆい陽光をもってしても世界は鈍色だ。

 なんの気力も湧かない。生きていることさえ無意味に思えてくる。

 家を一歩出たばかりなのに、もうぼくは学校に行きたくなかった。今まで学校をさぼったことはないけど、今日、その初めての経験を試みようとさえ思った。

 夢の中のように、河川敷で静かな水面でも眺めていたかった。乾いた風の中で、誰かと寄り添い、ぼくの心の内を吐露したかった……。

 残念ながら、ぼくにそんな気概はなかった。二歩、三歩と家から遠ざかると、さぼった次の日の面倒くささが頭に浮かんでしまったんだ。適当に言い訳をでっちあげるのさえも億劫だ。

 ぼくは学校に行くしかなかった。それは学生としての本分でもあるわけだから。

 それだけど、こんな鬱屈とした一日を乗り切るために、せめて――最近わずかだけど確実に親交の深まった――あの女性に会いたかった。

 あの人の春風のような笑顔と、本物の大人の余裕溢れる優しい声音を享受したかった。そうすれば、夢の中の顔も知らない女性と出会った時のように、希望を一身に抱いて学校に行くことができる、なんでも乗り越えられる……。

 ぼくの中で記憶をつっかえていた土砂が一気に崩れ去り、夢の中で唯一曖昧だった女性の顔が鮮明に思いだされた。

 ぼくが夢の中で何よりも求めた女性は、ぼくが憧れ、特別な感情を抱き始めていたあのお姉さんなんだ。

 ごみ捨て場を掃除しているお姉さんが見えた。

 この距離じゃ、彼女はぼくに気づいてくれないだろう。

 いつも感じる優しさはお預けだろう。

 だけど、彼女の顔を見られただけで心から安心した――夢の中の女性と、お姉さんの顔が完全に一致したから。


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