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茜空の下であなたに会えたら  作者: 谷中英男
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「離して!」


誰がどう見ても明確な拒絶だった。ぼくらしかいない廊下は凍り付き、寒さが肌を突き刺すように心を痛めつけた。

こんなみどりは見たことがなかった。彼女は涙で顔をぐしゃぐしゃにして、ぼくを見ようとしなかった。感情を爆発させ、ぼくがいることを、ぼくが彼女の手を握っていることを認めないかのようだった。

ぼくのせいでみどりがこうなってしまったのを遅ればせながら直感した。人付き合いが得意な人から見たら、彼女の異変を瞬時に感じ取っていただろうに。

ぼくは人当たりがいいわけじゃないから、人付き合いにおける経験値が少なくて、こうやって他人の反応を機敏に感じ取ることができない。いつもタイミングが遅れて、相手を傷つけてしまう。その傾向は人間関係が希薄な他人に対して多く見られていたけど、今回は幼い頃から時間を共にしてきたみどりだ。しかも、こんなにみどりから拒絶されたことはない。

言い訳なんてしたところで、自分の罪を幼馴染に押し付けているようにしか見えない。

ぼくはそんな卑怯な人間になるつもりはない。自分の罪を認め、罪を償わなければいけない。


「なんで来たの?」


みどりはぼくを見つめることなく呟いた。ぼくの手を振りほどこうともしない。今にも泣き崩れそうなほど憔悴し、全てを諦めたかのようだった。


「お前が走り出すからだろ。なんか勘違いしてるよ」


ぼくがそう言うやいなや、消え入りそうな声でみどりは言った。


「さくらとキスしたんでしょ。さくらが彼女なんでしょ。恋人を置いてきていいの? ただの幼馴染のことなんて放っておいてよ」


みどりの瞳は悲しみの輝きで満ちていた。ぼくはそんな彼女を見たくなかった。いつでも、ぼくを照らす太陽であって欲しかった。


「そんなことしてない!」


みどりの無邪気な笑顔を見るために、ぼくはそう言い放った。これがぼくらの関係を修復するための最善の手だと思って――みどりの憂いにどんな意味があるのかも知らずに。

みどりはぼくの言葉を聞き、か細い声で「本当に?」と呟いた。ぼくは彼女を安心させるために力強く否定した。

もちろん、それは紛れもない真実で、みどりに対する誠意の表れだった。ぼくは初めての告白を、踏みつけるように断ったんだ。ぼくに思いのたけを伝え、キスまでしようとしてくれた可憐で孤高な少女を置き去りにして。

あの時、ぼくはさくらの顔を見ることができなかった。ただ一言「ごめん」と呟き、彼女のもとを去った。さくらのことは頭になかった。はち切れそうな悲哀の表情を浮かべたみどりのことしか頭になかった。

ぼくにとって、みどりは大切な人なんだ。これからも、いや、これから先もずっと、楽しく過ごしていきたいと思える幼馴染なんだ。

ぼくの言葉を聞いて、みどりは何か言った――ぼくには聞き取れなかったけど。祈るように切実で真剣な言葉だったのはわかった。

ぼくの頭に不安がよぎった。それも、とてつもない不安だ。数舜前に夢想した輝かしい未来を無にするような不安だ。

みどりはぼくの無言を責め立てるように言った。


「私はすぐるのことが好き」


みどりが言い放った言葉は、ぼくが無意識に恐れていた――曖昧で生ぬるくて、いい加減で、でも確かに暖かい関係を打ち砕かれる――言葉だった。

ぼくはこうなることがどれだけ恐ろしいか、今さらながら思い知った――みどりの言葉がどれだけ本気なのか瞬時に判断できたから。これは幼馴染だからこそ感じ取れる、言葉では言い表せない感覚だ。その感覚をぼくは感じ取ってしまった。

ぼくは何をどうしても、みどりの言葉に答えなければいけない立場に追いやられたんだ。のらりくらりとかわして、ぬるま湯に浸かっていることは、もうお終いにしないといけない。

この関係を終わらせようとしたみどりの勇気が充分伝わったのは言うまでもない事だった。

何も言わずに、聞こえなかったふりなんてできない。

どんな形でさえ、ぼくに思いを寄せる人には、誠実に応えなければいけないんだ。それが男のなすべきことだと、ぼくは思う。


「ごめん」


ぼくはそう答えるしかなかった。これがぼくの精一杯だった。

ぼくとみどりの関係を、新しいものに昇華させるためにはこうするしかなかった。

自分に嘘は吐けなかった。

これが二人の圧倒的な差を知る前で、無邪気にも夢を見ることができる純真さを宿している時――今でも完全には捨てきれてはいないけど――だったなら、ぼくはみどりを受け入れていた。自分から思いを告げられなかったことを悔いながらも、みどりとの甘くてみずみずしい時間を過ごしていた――最終的には幸せな最後を迎えていたと思う。

でも、ぼくはみどりと住む世界が違うことを知ってしまっていた。長い年月をかけ、たくさんの人を知って、二人の差を受け入れざるを得なかった。彼女のことをただの幼馴染としてしか見ることができず、臆病にも今の関係をつづけることで良しとした。

言い換えれば、ぼくは逃げたんだ。みどりの思いを拒絶し続けていた。

ただただ逃げた臆病者なんだ。

そんなぼくにはみどりの思いに応える資格はない――それは誰の目から見ても明白だ。


「すぐるのためならなんでもするよ。わたしはすぐるのことが好きなの! 小さい頃からずっと愛してるの……。それでもだめなの……?」


そんなぼくに、みどりはまだ希望の芽を見い出し、救いの手を差し伸べようとしてくれた。ぼくの不甲斐なさを包み込み、ぼくを受け入れてくれようとした。

なりふり構わず必死に、ぼくを手に入れようとしてくれた。

でも、だからこそ、みどりにぼくは相応しくない。みどりの優しさを享受する器にぼくはない。ぼくはみどりではない人に思いを馳せているのだから。幼馴染だからこそ、彼女の幸せを願わないといけない。

ぼくにはみどりを幸せにできっこない――彼女を不幸にするだけだ。


「本当にごめん……。他に好きな人がいるんだ」


ぼくの言葉を聞いて、みどりは静かに涙した。

涙は天気雨のように神秘的な美しさを纏っていた。

いつまでもその美しさに打たれ、少しでもみどりの美しさを感じていたいと思えた。

この時を永遠のものにして、ぼくだけのものにしたかった……。

長年の過ちを認める時だった。自分に勇気がない事を、自分が努力していないことをみどりのせいにするのをやめる時だった。

今こそ、自分の間違いを認め、素直になってみどりに思いのたけを告げようと思った。

そう思った時には、取り返しがつかない状況になっていたわけだけど。人生とは誠に予測不可能な潮流だとしか思えない。


「みどり、行くよ」


 今までぼくとみどりしかいなかったはずなのに、気づけばさくらがいた。

憔悴しきったみどりを優しく包み込むように導いていた。

もしかしたら、優しくみどりの横に付き添うのはぼくだったかもしれない。

もっと違った状況で、幸せに頬を濡らすみどりをぼくが導いていたかもしれない。

「後悔先に立たず」とはよく言ったものだ。今さらぼくにどうにかできる状況じゃなかった。

みどりはさくらに手を引かれ、ぼくのもとを遠ざかって行く。

ぼくはただ見守るしかできない。

自分がいかに滑稽で甲斐性なしかを痛感しながら……。


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