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美味しい休日

 桜の花びらはすっかり散って緑の葉が目立ってきた。少し肌寒かった風も近頃はめっきり吹かなくなり、過ごしやすく快適な気候だ。窓を開けると、柔らかな温かい風が部屋の中に入り込んできた。

 もうすぐツツジの季節だなと、自室の机に頬杖ついて故郷に思いを馳せる。地元は電車の線路沿いから見える鮮やかなピンク色のツツジ並木が有名だった。自然のものとは思えないあの濃いピンク色は、桜の優雅な美しさには及ばないもののそれでも私の好きな花だった。

(次の休みの日には温室にスケッチでも行こうか……)

 久々に鉛筆で絵を描くのもアリかもしれない。最近は部室でずっと瑞樹と一緒だったから、一人でゆっくり絵を描くのもたまにはいいだろう。棚にさしてあるスケッチブックを取り出してぱらぱらとめくると、リンゴや立方体のデッサンの絵が表れた。とにかく基盤を固めようと基礎のモチーフばかりを必死に描いていたころの絵だ。あの頃よりも大分上達はしたつもりだがそれでも上には上がいる。まだまだ精進しなくてはならないだろう。それはそれとして、たまにはふらっと気ままに絵を描いてみよう。このサイズのスケッチなら一日もあれば完成するだろう。

 手にしていたスケッチブックをぱたんと閉じる。自由に絵が描ける今の幸せを噛み締めて、私は次の休日に思いを馳せた。


***


 次の土曜日の朝、普段は絶対に起きないであろう時間にもそもそとベッドから這い出る。絵を描くという行為は動いていないように見えて案外体力を消耗する。しっかり朝ご飯を食べておかないと体力も気力も持たないだろう。跳ねている寝癖を直して食堂へ向かうと、ちょうど級友である花蓮も食事をしている最中だった。

「咲子、珍しいわね。朝食を食べに来るなんて」

「ちょっと用事があってね」

 トレーにサラダとオムライスをのせて華怜の隣の席に着く。黄色い卵にケチャップの赤が華やかだ。

「で、どこかに出かけるの? 実家にでも帰る?」

「まさか。冗談やめてよ。温室にスケッチでも行こうと思って」

「あぁ、なるほどね。あなた一度絵を描きだしたら納得するまで動かないものね。朝のうちに食事をとってお昼は抜こうって魂胆でしょう」

「その通りだけど」

「身体に悪いわよ、そんな食生活をしていたら。せっかく何もしなくても食事が出てくる環境にいるのよ」

「朝食べただけでも十分すぎる譲歩だよ……」

 花蓮は健康食品をメインに扱っている大手株式会社のご令嬢だ。だから健康、そして食事に関しては特にうるさい。

「そもそも、普段から朝ごはんも食べないなんて、朝から力が出ないでしょう。休日ならともかく、あなた授業がある日も食べないじゃない」

「朝は無理やり食べたら気分が悪くなる質なんだよ」

 このやり取りだってすでに二十回は繰り返している。言っても私が改善しないことは花蓮も重々承知だ。もはや一種の余興である。素知らぬ顔でオムライスをぱくつき始めた私を横目に、花蓮はお茶をすすった。

「そういえば咲子、そのスケッチにあなたの妹も連れて行くの?」

「瑞樹? 行かないよ。何で?」

「噂になっているわよ。あの夏川咲子にぞっこんの妹がいるらしいってね」

 おもわずオムライスが喉に詰まった。

「何その噂」

「毎日毎日美術室で密会しているってもっぱらの噂よ」

「密会じゃなくて部活が一緒なんだから毎日会うだけだよ……」

 毎日楽しそうに美術室にやってくる彼女の姿が脳裏をよぎる。確か今は水彩画を描いていたはずだ。

「でも妹さん、毎日部活に来ているんでしょう? 強制力なんて全くない部活に。あなたにぞっこんって話はあながち間違いじゃないのかもね」

 その言葉に私はもう何も答えず、ただ黙ってオムライスを食べ続けた。


***


 私がオムライスを食べ終えた後も、のんびりとお茶をすすっていた花蓮に別れを告げ、自室へ帰る。そして手提げバッグにスケッチブックと愛用の鉛筆たち、ブランケットとレジャーシート、水筒を入れて寮棟を出た。同じ敷地内にあるとはいえ、この学園はとても広い。温室に着くには歩いて十分ほどかかった。今日は天気も良くお日様がぽかぽかと照っていた。温室にも自然光が入り込んできて綺麗だろう。大きく伸びをしながらゆっくりと歩いた。

 到着した温室は広く、色とりどりの花が咲き乱れていた。緑も生い茂り生命力があふれている。ところどころにベンチやテーブル設置されており、たまにお茶会をしている生徒たちも見受けられるが今日は誰もいなかった。

 私は芝生にレジャーシートを敷きブランケットを膝にかけた。スケッチの角度を定め鉛筆を手に取る。あとは見たままを紙に写すだけだ。

 そして私は無心に鉛筆を走らせた。


***


「咲子!」

 突然名前を呼ばれてハッと顔を上げる。目の前には花蓮が私をのぞき込んでいた。

「え、あれ? どうしたの」

「どうせお昼ご飯は食べに戻ってこないだろうなと思っていたから、食堂のシェフにお弁当を作ってもらったの。持ってきたのよ」

「わざわざ? ありがとう」

 差し出された折箱と割りばしを受け取ると思い出したようにお腹が鳴った。もう日はすっかり高くなっている。

「私の分もついでに作ってもらったのよ。一緒に食べましょう」

 花蓮は自前のレジャーシートをバサバサと広げ座った。ひんやりと冷たい折箱を開けると、出てきたのはころころと小さな、しかしいくつもの種類の手毬寿司だった。

「うわぁ、おいしそう」

「これなら食べやすいでしょう」

 お吸い物もあるわよ、と花蓮は紙コップと水筒も取り出した。まるでピクニックだ。しかしピクニックならサンドウィッチが定番ではないのか? と思わなくもないが。多分花蓮がどちらかといえば和食派の私に配慮してくれたのだろう。全く気遣いの出来る級友だ。

 おそらく私たち二人のためだけに作られたであろう手毬寿司をゆっくり咀嚼して頂く。綺麗な赤のマグロはあっさりとしているし鮮やかなオレンジ色のサーモンはしっかりと脂が乗っていておいしい。鯛は昆布締めにしているのだろう。まろやかで上品な味は何度でも味わいたくなる美味だった。紙コップに入れられたお吸い物をすするとしじみの旨味が喉を通り抜ける。おもわずほぅとため息が出た。この学園の食堂はレベルが高いと聞くが、確かにこれは格別だ。

「おいしかったでしょう?」

 花蓮があっという間に食べ終わった私を見て目を細めた。

「まぁ、確かにおいしかった。ありがとう」

「私まだ食べ終わってないし、私のことはほっといていいから絵の続きしたら?」

「お言葉に甘えてそうさせてもらう」

 私は再び鉛筆を手に取った。おいしいお昼ご飯を食べて気力も充実している。さて、日が落ちる前には完成させよう。夢中で鉛筆を走らせる。そして隣にいる花蓮のことも忘れて私は没頭した。


***


「出来た!」

 絵が完成したのは日が沈む直前だった。時計を見るとちょうど六時過ぎ。大きく伸びをして隣を見ると花蓮が寝転がってすやすやと寝息をたてていた。

「ちょっと、花蓮」

 ゆさゆさと起こすと花蓮が目をこすりながら起き上がった。

「んー? 終わったの?」

「終わった終わった。帰ろう」

 広げていたレジャーシートやブランケットを片付け、ゴミを一つにまとめる。

「あー、疲れた。早く帰ってお風呂入って寝よう」

「休みの日にわざわざ疲れることをする意味が、私にはわからないけれど」

「疲れるのも楽しみの内ってことだよ」

「ますますわからないわ」

 そんなことを言いながら、お弁当まで持ってきてくれるのだからありがたい。そのお陰もあるのか今日はいい絵が描けた気がする。

 寮棟に入り自室へ向かう階段の途中、瑞樹とすれ違った。

「おかえりなさいませ、お姉様。どちらに行かれていたのですか?」

「ちょっと温室までスケッチに」

「それは素敵ですね」

 にこりと瑞樹が微笑む。私は不意に朝花蓮と交わした会話を思い出した。確かにこの子に好かれているという自信はある。しかしぞっこんというほどのものなのか判別はつかないのだ。

「よかったら今度、一緒に行く?」

 何気なさを装って、私は瑞樹に尋ねた。

「え……? いいんですか?」

「よくなかったら誘わないよ」

「ご一緒したいです! 是非!」

 ありがとうございます、とニコニコしながら瑞樹は去って行った。詳細は部室で再度決めることになるだろう。

「咲子から人を誘うなんて、ねぇ」

 隣を見ると花蓮がクスクス笑っていた。

「あなたの妹があなたにぞっこんなのは見ていてわかったけれど、案外咲子もぞっこんなんじゃないの?」

 そんなに好かれているのだろうか? と考え込み、ふと言葉の後半の意味に遅れて気が付いた。

「私は別に! ぞっこんじゃないよ」

「でも咲子が人を誘うなんて見たことも聞いたこともないわよ。実際私だって初めて見たわ」

「それは、気まぐれだよ」

「気まぐれを起こすほどの何かが彼女にはあったってことね」

 再度笑う花蓮を無視して、私は自室へ向かった。部屋に入り扉を閉め、今日描いたばかりのスケッチブックのページを広げる。軽やかな花や生い茂る木を、瑞樹はどんな風に表現するのだろう。次の休日を想い心が浮かれているという事実に、私はこの時まだ気づいていなかった。


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