イルヴェンヌ外伝~中編~
「イザベル〜! 俺にとってはイザベルがナンバーワンだよ」
「ありがとうございんす……」
本指名の通い客、ランダラー。かなりねちっこい性格だ。
「やっぱり、不服なのかい?」
「いいえ。光栄でありんすぇ」
「またまた〜」
……私の客は皆、こんな調子だ。気の強い私をからかうのが好きな人ばかり。
正直、ストレスが溜まる。
ブルーミングさんに会いたい。会いたい。会いたい──。
……私ったら、仕事中になんてことを考えているのかしら。集中するのよ、イザベル。
あなたはイルヴェンヌのナンバースリー。そして、いずれはナンバーワンになる娼婦……。
そう自分に言い聞かせるたびに、胸がズキズキと痛んだ。
おかしい。どうしてしまったの、私は……。
「どうぞ、お入りくんなまし」
「お、面を上げてください……」
聞き覚えのある声。低くて、優しくて、あたたかい──あの人の声。
「ブルーミング様っっ!!」
思わず抱きついていた。本来ならやってはいけない行為だとわかっていたのに。
「ど、どうしたんですか? イザベルさん。お久しぶりです。来るのが遅くなってしまい、すみません」
「まことでありんす! 早くお会いしたかったんでありんすから……!」
──その晩、私たちは制限時間ぎりぎりまで、愛し合った。
◆
「イザベル様。エミリーでありんす。お食事を運んで参りんした」
「……いらない。捨てておいて頂戴」
「でもイザベル様! もう一週間もまともに食事を摂られておられぬではありんすか! どこか身体の具合でも……」
「うるさい! 出て行ってよ!! 低級娼婦が!」
最近は、何も食べる気がしない。体調も良くないし、娼婦としてのモチベーションも下がってきている。
相部屋のエミリーにも、つい強く当たってしまっていた。
◆
「……イザベル? オリヴィアよ。開けなさい」
「オリヴィア様……」
「このアミュラス娼館街に、唯一まともな病院があるわ。一度、そこで診てもらってきなさい」
「わっちは、わっちはまだ大丈夫でありんす……!!」
「薄々、自分でも気づいているんでしょう?」
──そう。私はおそらく、妊娠している。
◆
予感は的中し、結果は陽性だった。
父親は、たった一人しかいない。──ブルーミングさんだ。
認めたくなかった。認めたくなかった。認めたくなかった。
客に恋をし、その結果妊娠までするなんて。私は娼婦失格だ。
ナンバーワンになるという夢は、どこへ行ってしまったの。──違う。
私が娼婦になったのは、妹のリリーを養うためだった……。
それなのに、私は自分の欲望ばかりに囚われて──。
自己嫌悪もいいところだった。何も考えたくなかった。そう、何も……。
「イザベル。それだけ惚れ込んだお客様なら、今度きちんと話をしなさい。……堕ろすのは、それからよ」
「でも、わっちはまだ……!!」
「娼婦を続けたいんでしょう? だからこそ、よ」
リリーはまだ小学生だ。自立には、程遠い。
ここで娼婦を辞めるわけにはいかない。収入が絶たれれば、リリーの未来が危うくなる。
──でも、私の中にはもう、新しい命が宿っている。
ブルーミングさんへの恋心だって、諦めきれなかった。
それでも私は……。
私はナンバーワンになりたい。マリアンヌだって、ジュリエッタだって越えたい。
ナンバーワンになりたい。けれど──お腹の子を見殺しにできない。
ブルーミングさんは、私が唯一愛した人。
私の中にいるのは、愛した人の子供──。
堕ろしたくない。
──私は、私は一体どうすればいいの……?
◆
「……結婚しよう。イザベル」
ブルーミングさんの答えは、想像していた通りだった。
「貯金を全部使えば、君を身請けすることだってできる。……お腹の子供を、二人で育てていこう」
「ブルーミング様。でも、わっちは……」
「妹さんのことだろう?」
何も言い返せなかった。当然だ。私はリリーのために、この道を選んだ。
それなのに今は、自分の夢を諦めきれずにいる──。
「……今日は、お帰りくんなまし」
「イザベル……」
◆
「どうしても産みたいのね? イザベル」
「はい……オリヴィア様。わっちは、わっちは……」
「……ナンバーワンに、なりたいんでしょう?」
「わっちは、最低な人間でありんす」
「私に考えがあるわ」
オリヴィアさんの提案はこうだった。
お腹が目立つようになるまでは娼婦の仕事を続け、そこからは休養を取り、出産。
そしてその子供はブルーミングさんに預け、私は今まで通り娼婦の仕事に戻る──。
……最初から、私が「母親になる」という選択肢はなかった。
◆
それからの日々は、色のない、白黒の世界だった。
悪阻に耐えながら、今まで通り客を取り、ブルーミングさんからは何度も求婚され続けた。
身請けの話も、繰り返し繰り返し。
──もう、限界だった。
「本当にいいの?」
「はい。オリヴィア様。ブルーミング様を……出禁にしてくんなまし。もう、わっちは……耐えられんせん」
「イザベルがそれを望むのなら、支配人に伝えておくわ。体調はどう?」
「……最悪でありんす」
私はリリーからの手紙にも、ずっと返事ができずにいた。
リリーはいつだって、私を信じて、心配してくれているのに。
──誰のことも、頼れなかった。
◆
そして、ついにその日はやってきた。
アミュラス娼館街唯一の総合病院、フリージア病院。
私はそこで、子供を出産した。
立ち会ってくれたのは、オリヴィアさんただ一人。
「……ごめんね。ごめんね、アミー。あなたは、私みたいになっちゃ駄目よ」
子供は女の子だった。アミーと名付けた。
あたたかくて、私にそっくりで……でも、私はこの子の母親を名乗ることはできない。
「そろそろ時間よ、イザベル。アミーを引き渡しなさい」
「はい、オリヴィア様……」
自分が産んだ子供との別れが、こんなに辛いなんて。
私は母親じゃない。そう言い聞かせていたのに。
「アミー。あなたは私に似ているから、きっと可愛くなるわ。
お父さんは優しい人だから、大丈夫よ。……きっと、幸せになれる。
幸せに、なってね」
私は、子供のアミーと──そして“母親”としての自分。
そう、イザベルではなく「アンリ」に、さよならを告げた。
──つづく。