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イルヴェンヌ外伝

イルヴェンヌ外伝~中編~

作者: 綿飴ふたば

「イザベル〜! 俺にとってはイザベルがナンバーワンだよ」

「ありがとうございんす……」

本指名の通い客、ランダラー。かなりねちっこい性格だ。


「やっぱり、不服なのかい?」

「いいえ。光栄でありんすぇ」

「またまた〜」


……私の客は皆、こんな調子だ。気の強い私をからかうのが好きな人ばかり。

正直、ストレスが溜まる。

ブルーミングさんに会いたい。会いたい。会いたい──。


……私ったら、仕事中になんてことを考えているのかしら。集中するのよ、イザベル。

あなたはイルヴェンヌのナンバースリー。そして、いずれはナンバーワンになる娼婦……。

そう自分に言い聞かせるたびに、胸がズキズキと痛んだ。

おかしい。どうしてしまったの、私は……。


「どうぞ、お入りくんなまし」

「お、面を上げてください……」


聞き覚えのある声。低くて、優しくて、あたたかい──あの人の声。

「ブルーミング様っっ!!」


思わず抱きついていた。本来ならやってはいけない行為だとわかっていたのに。


「ど、どうしたんですか? イザベルさん。お久しぶりです。来るのが遅くなってしまい、すみません」

「まことでありんす! 早くお会いしたかったんでありんすから……!」


──その晩、私たちは制限時間ぎりぎりまで、愛し合った。



「イザベル様。エミリーでありんす。お食事を運んで参りんした」

「……いらない。捨てておいて頂戴」

「でもイザベル様! もう一週間もまともに食事を摂られておられぬではありんすか! どこか身体の具合でも……」

「うるさい! 出て行ってよ!! 低級娼婦が!」


最近は、何も食べる気がしない。体調も良くないし、娼婦としてのモチベーションも下がってきている。

相部屋のエミリーにも、つい強く当たってしまっていた。



「……イザベル? オリヴィアよ。開けなさい」

「オリヴィア様……」

「このアミュラス娼館街に、唯一まともな病院があるわ。一度、そこで診てもらってきなさい」

「わっちは、わっちはまだ大丈夫でありんす……!!」

「薄々、自分でも気づいているんでしょう?」


──そう。私はおそらく、妊娠している。



予感は的中し、結果は陽性だった。

父親は、たった一人しかいない。──ブルーミングさんだ。


認めたくなかった。認めたくなかった。認めたくなかった。


客に恋をし、その結果妊娠までするなんて。私は娼婦失格だ。

ナンバーワンになるという夢は、どこへ行ってしまったの。──違う。

私が娼婦になったのは、妹のリリーを養うためだった……。

それなのに、私は自分の欲望ばかりに囚われて──。


自己嫌悪もいいところだった。何も考えたくなかった。そう、何も……。


「イザベル。それだけ惚れ込んだお客様なら、今度きちんと話をしなさい。……堕ろすのは、それからよ」

「でも、わっちはまだ……!!」

「娼婦を続けたいんでしょう? だからこそ、よ」


リリーはまだ小学生だ。自立には、程遠い。

ここで娼婦を辞めるわけにはいかない。収入が絶たれれば、リリーの未来が危うくなる。


──でも、私の中にはもう、新しい命が宿っている。

ブルーミングさんへの恋心だって、諦めきれなかった。


それでも私は……。


私はナンバーワンになりたい。マリアンヌだって、ジュリエッタだって越えたい。

ナンバーワンになりたい。けれど──お腹の子を見殺しにできない。


ブルーミングさんは、私が唯一愛した人。

私の中にいるのは、愛した人の子供──。


堕ろしたくない。


──私は、私は一体どうすればいいの……?



「……結婚しよう。イザベル」

ブルーミングさんの答えは、想像していた通りだった。


「貯金を全部使えば、君を身請けすることだってできる。……お腹の子供を、二人で育てていこう」

「ブルーミング様。でも、わっちは……」

「妹さんのことだろう?」


何も言い返せなかった。当然だ。私はリリーのために、この道を選んだ。

それなのに今は、自分の夢を諦めきれずにいる──。


「……今日は、お帰りくんなまし」

「イザベル……」



「どうしても産みたいのね? イザベル」

「はい……オリヴィア様。わっちは、わっちは……」

「……ナンバーワンに、なりたいんでしょう?」

「わっちは、最低な人間でありんす」

「私に考えがあるわ」


オリヴィアさんの提案はこうだった。

お腹が目立つようになるまでは娼婦の仕事を続け、そこからは休養を取り、出産。

そしてその子供はブルーミングさんに預け、私は今まで通り娼婦の仕事に戻る──。


……最初から、私が「母親になる」という選択肢はなかった。



それからの日々は、色のない、白黒の世界だった。

悪阻に耐えながら、今まで通り客を取り、ブルーミングさんからは何度も求婚され続けた。

身請けの話も、繰り返し繰り返し。


──もう、限界だった。


「本当にいいの?」

「はい。オリヴィア様。ブルーミング様を……出禁にしてくんなまし。もう、わっちは……耐えられんせん」

「イザベルがそれを望むのなら、支配人に伝えておくわ。体調はどう?」

「……最悪でありんす」


私はリリーからの手紙にも、ずっと返事ができずにいた。

リリーはいつだって、私を信じて、心配してくれているのに。

──誰のことも、頼れなかった。



そして、ついにその日はやってきた。


アミュラス娼館街唯一の総合病院、フリージア病院。

私はそこで、子供を出産した。

立ち会ってくれたのは、オリヴィアさんただ一人。


「……ごめんね。ごめんね、アミー。あなたは、私みたいになっちゃ駄目よ」


子供は女の子だった。アミーと名付けた。

あたたかくて、私にそっくりで……でも、私はこの子の母親を名乗ることはできない。


「そろそろ時間よ、イザベル。アミーを引き渡しなさい」

「はい、オリヴィア様……」


自分が産んだ子供との別れが、こんなに辛いなんて。

私は母親じゃない。そう言い聞かせていたのに。


「アミー。あなたは私に似ているから、きっと可愛くなるわ。

お父さんは優しい人だから、大丈夫よ。……きっと、幸せになれる。

幸せに、なってね」


私は、子供のアミーと──そして“母親”としての自分。

そう、イザベルではなく「アンリ」に、さよならを告げた。


──つづく。

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