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終焉見るなら、この場所で。  作者: 鳩村ピジョン
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天使のお仕事いってみよう

 塔が鳴る。辺りが揺れる。

「ちゃんとした一対一が、あんなにキツいなんて思わなかった」

 力の入らない身体を大の字に投げ出して、シオンは先程の戦いを思い返していた。

「今までずっと、(あいつ)は塔しか見てなかったんだ。だからわたしの方から、一方的に攻撃できてた」

 斜塔を狙うのは、それが世界の要だから。

 シオンの脇に座るメブキが、「うむ」と唸る。

「では、斜塔を崩せば目的を果たせると考えて、あの竜は塔に的を絞り、注力していたと」

「そうなるね」

「それが今回、七日間という周期を乱し、さらに街の住民と天使殿を先に狙った……」

 より確実に、斜塔を壊す為に。

「どうよこれ。よほど誰か(・・)がこの世界を壊したがってるとしか思えないでしょ」

誰か(・・)、とは?」

「雲の上の誰かだよ。まあ、居るかどうか、天使(わたし)にもわかんないけどね」

「天使殿がおられるのであれば、実在の可能性は皆無とも言えませんが……」

「だったらソイツはよっぽどの能無しだ。偶像のほうが完璧に期待を持てないぶん、まだマシだよ」

 天使とは思えぬ乱雑な言いっぷりをこなす少女に、青年はいまさら戸惑わない。

「その神様が頼りにならない以上……ここには、天使殿しか居りません」

「うん」

「……動けないのですか?」

「動けないことはない」

 片腕を起こして、顔の前で拳を握ったり開いたりするシオン。彼女は「でも」と続けた。

「戦えない」

「起き上がれないわけではなく」

「うん。やれるだけの力がない」

 住民の声は潰えた。外国の祈りも届いているが、惰性のものでは駆けまわることが出来ても、竜にとどめをさすことは難しい。

「どんだけみんなに(すが)ってたのか、改めて実感してるよ」

 掲げていた手をぱたりと倒し、シオンのポーズが大の字に戻る。

 信心が無ければ、何も出来ない。

「……できれば、おまえに会いたくなかった」

「それは、申し訳ないと思うからですか?」

「まァ……そーね」

「そうですか」

「……なんも言わないの?」

「私が怒ることで天使殿が回復するのであれば、それはもういくらでも喚き散らしますよ」

「はっ。冷静すぎて返しようがねーや」

「天使殿は何故、竜を倒すのですか?」

「そんなもん、世界を守るためだろ」

「しかし貴女は、今の自分にそんな力は無いとおっしゃる」

「…………答えづれえなその質問」

「でしょう? わざとです」

 にか、と青年の口が笑った。

「答えづらい、そのワケを教えてください」

「……動けないけど、ちゃんと……惰性でも、遠くの声は、聞こえてるから」

「それで?」

「……聞こえるのに、それじゃ力が出ないとか……あれじゃん……」

 ちら、とメブキの目を盗み見てから、「言いづらいじゃん……」と、シオンは観念した。

「ですが今、貴女の態度はそう仰ってます」

 容赦を感じない語調で言われて、シオンは自分の体勢を客観的に捉えてみた。

「こ、これはほら、身体を休めるために仕方なく」

「遠慮する必要はありません。事実は事実です。『遠方から届く声は惰性の信心。ゆえに力としてはほぼ役に立たず、だから動けないでいる』と素直に言えばいいんです」

「おおおいそこまでばっさり言うかね」

「ええ、ここぞとばかりに言わせていただいてますよ」

 メブキは喋った。シオンは聞かされた。シオンの知らない土地で、どれだけの紛争が起こり、人間同士で命を散らしているかを。

「感謝を忘れた人間に情け容赦など不要です。平等に与えられるはずの明日が、同じ人間の手によって葬られる世界など」

「おいおいおいおい」

「……大丈夫です。私は、破壊を望む神ではありませんので」

 天使を敬う教団に属する、ただの信者です。と、メブキはそう付け加えた。

「貴女の力の源は、人々が天使を信じる心……」

 言われながら、シオンはそういえばこいつ教団の人間だったなと今更思い出していた。

「はたしてそれは、今在り、生きているものでなければ駄目なのですか?」

「……どゆこと」

「貴女は覚えているはずです。これまでの生活で、どれだけ街の方々から支えられてきたか」

「そりゃ、まあ……」

「天使殿を信じて過ごす彼らの気持ちは、一回きりの使い捨てだったのですか?」

「ちっ、違う」

「ではやはり忘れている?」

「ンなわけないっ」

「ならば希望は見えました」

 安心したように、メブキは一息つく。

「例え人の肉体が地に還ろうと、思い出や願い、祈りや気持ちは、生き残った者の中で生き続けます。皆が天使殿を慕い、信じ続けたこと。それは、変わりようのない事実なのです」

「……」

「それを糧にするか、それとも無かったことにするか……あとは天使殿次第です。そしてなによりも」

未だ倒れたままのシオンの手をとり、それをメブキは両手で包んだ。

「天使殿。あなたは、あなた自身を信じてあげてください。信心は確かに大きな力でありましょうが、それを受けて使いこなし、竜を退けているのは……ほかならぬ、天使殿ただひとり」

 ぎゅっと力強く、青年の手が握ってくれる。

「街のみんなが信じたあなたです。強く誇り、立ち上がってください」

 握られた手を通して、まるで血が流れ込んできたかのように、シオンの腕も熱を帯びる。

 自分は信心を背負った身。人々が信じてくれたから、ここに居る。

 どうして気が付かなかったのだろう。わたしこそが、皆の信心であると。

 メブキの言った通り、確かに生かすも殺すも自分次第だ。これまでは意識せずに、生かしてきた。だから今回も生かす。皆の気持ちは、欠片たりとも無駄には出来ない。

 とはいえ。

「……自信がついたところで、エネルギー不足だけはどうにもならんよね。火が無きゃ米は炊けないよね」

 冗談めいた例えはうまくいかず、メブキをくすりともさせることは出来なかった。が。

「……では少し、失礼します」

「え」

 突如として、メブキの腕がシオンを襲った。

「なん」

 抵抗する間もなく抱き起こされて、あっという間に抱きつかれた。

「なんでや!」

 どこのものともわからない言葉が口を突く。

「なにしてんッ」

 むぐ、と見た目以上に大きな身体が密着してきて、胸板に口が塞がれた。

「信心が足りないなら、どうぞ奪ってください」

「ぶは、いみふッ」

 ぎゅっと抱かれ、また口が塞がれる。

「私はこの世の誰よりも、天使殿を信じております。例え貴女に吸収され、身が滅びようと構いません。私は貴女の為に、ここまで来たのですから」

 痛いぐらいに強い抱擁だった。

 しょーじき痛い。苦しい。暑苦しい。

 文句はいっぱいあった。ある。

 この野郎。

 そう思った。しかし。

「……はあ」

 シオンは観念して、気付けば強張っていた身体から、緊張を解いた。

「やってみるけどさ」

 もふ、と青年の肩に甘えてみたものの、信心の貰い方、奪い方なんてわからない。

 ま、いいか。

 シオンは身体の動くまま、青年の背に両手を廻して、抱き返してみた。

 顔が、丁度青年の胸に当たる。

 鎧などつけていない彼の胸を通して、心臓の音がはっきりと聞こえた。

「おまえさ」

「はい?」

「緊張しすぎ」

「……すみません」

 当てた額に、足早な青年の鼓動が響いてくる。

 体温と鼓動が身に沁みる。まるで本当に分け与えてもらっているかのようだった。

 ……あー。

 こりゃ、結構クるな。

 じっとしている間に体力も回復し、冷静になり、だんだんと状況を客観的に捉えられるようになってきたシオン。

 自分以外のにおいに閉じ込められていると考え出した時点で、シオンは自分が冷静ではないことに気が付いた。

「も、もういい。だいじょぶなったから」

 言ってもメブキは離れない。ぐいと少し押してやると、

「あ?」

 ぐらり。青年が横に倒れた。

「うオい!」

 そういえば病人だった!

 慌てて仰向けに寝かせてやると、立場が逆転。シオンが彼を心配する側になった。

「こらてめー。言うだけ言って、やるだけやってダウンかよ」

「すみません……」

「おまえ、わたしに説教するために来たのか?」

「まあ……そうであるのなら、もうひとつだけ」

 メブキがごほ、と咳すると、赤い斑点が服についた。

「人々の強い祈りから、天使殿がこの世に生まれたのであれば……」

 言葉が途切れだす。

「私も……私を必要とする誰かに望まれたから……居るのかもしれません」

「そりゃ、誰だよ」

「さあ、誰でしょうか」

 力なくメブキが笑う。

「もしそうであるなら……私も少しは……お役に……」

 言い切らずに眠ってしまったメブキへ、シオンは続きを催促してみた。

「なんだよ」

 返事は、無し。

 それっきり、青年は何も返してくれなくなった。

 シオンはなおも彼の様子を眺めていたが。

やがて。

「……誰の、どういう願いで生まれたんだかな。このお節介は」

 よいしょと立ち上がり、伸び運動を始めた。

「さて。世界、救っちゃうか」

 向かうは斜塔。気合は充分。

 


 崖を飛び降り、樹の上の足場を蹴って移動する。いつもより脚にかかる負担が大きい。どうにも身体が重い。

「最近おいしいもん食ってるからかな」

 なんて誤魔化して、シオンは斜塔へと跳び移った。

 さすがに本調子とはいかないが、それでも大人に負けないくらいの速力で斜面を駆けのぼるシオン。不規則よりも少しリズムよく訪れる振動に足元をとられながら、小さな身体は竜のもとへと向かう。

 漆黒の斜面を踏みつけるシオンは、足の裏に砂利の感覚を覚えていた。

 塔が軋み、繰り返される体当たりの振動で、表面が薄く砕け始めているのだ。

 竜の居る中腹に到着すると、シオンは確実に敵の視界に入るために、堂々と竜の真正面に仁王立ちした。

 次に備えて塔を離れていた竜の目が、明らかにシオンを捉えた。

「来い!」

 挑発ではなく、そうであれという願いだ。竜がこちらを邪魔者と見なしてくれなければ、それすなわち、終焉の発生を妨害する力が、まだシオンには無いということなのだから。

 ――竜が吼えた。

「よっし!」

 一番の不安要素を無事クリアし、シオンは胸の位置でぐっと拳を握った。

 それから深く息を吸った彼女は、竜にも負けない大音声で叫ぶ。

「チンタラやってっと陽が暮れるぞ、こののろまア――――ッ!!」

 咽喉が張り裂けんばかりの大咆哮。果たして人間の罵倒文句が空飛ぶトカゲに通じるのか。通じるわけはない。通じてなくても関係ない。

 ただ存在を知らせて、こっちを狙わせる。それが出来ればあとはどうでもいいのだ。

「トカゲの体当たり程度で斜塔が壊れると思ってんのかアホーッ! やるならバカでけェ斧でも持ってこいタコーッ! あ、持てねェかお前! ぷぷぷー!」

 羽の生えた爬虫類に対して、幼稚な挑発をシオンは繰り返し叫ぶ。大きく手を振って猛烈アピールし、さも馬鹿にした態度をとる。

 爬虫類のキレどころはよくわからないが、獲物がぴんぴん跳ねていることが癇に障ったのか、竜がいよいよ攻撃を開始した。

 突進。

「うオいしょッ!」

 シオンの身体を攫うように塔の斜面ぎりぎりを滑空した竜は、シオンが身を転がして回避したのち空中で切り返し、また少女めがけて戻ってくる。

「ブーメランかよおまえ! まじうける! でもそうじゃねえ!」

 塔から落ちないよう気を付けながら、手を振ったり変な顔をしたりして、シオンは猛烈アピールを続けた。

 ……決して彼女の行動に腹を立てたわけではないだろうが、幾度も空振りを味わわされた竜が再び吼えて、今度は斜塔に突撃した。

「っし! いいぞ!」

 シオンは急いで塔を駆けのぼり、次に備える。

「どこ見てんだ、こっちだばか!」

 少女の頭の上を通り過ぎた竜に対し、戻ってきたところでナイフを投擲。竜の眉間に弾かれると、急激に皺が寄った気がした。

「体当たりだ体当たり! こうしたほうがいいか?」

 言うが早いか、シオンは斜塔の縁(へり)に掴まって、なんと宙にぶら下がり始めた。

「仕事を終わらせたいなら、わたしに構ってんじゃねえ! ホラここ! うっすらヒビ入ってんぞ!」

 足の裏でばしばしと乱暴に塔の側面を蹴って示す。

「どうしたおら! 器用に浮いてんじゃねえさっさと潰しに来――」

 来た!

「うほア!?」

 咄嗟によじ登って突進を回避する。

 みしッ――。

 斜塔が軋んだ。

 竜にとって好感触であろうその音に、しかしシオンもまた、ニ、と笑っていた。

 シオンには、ひとつの企みがあった。

 うまくいく保証は無い。だが、街が壊滅し、竜を退けるほどの力が無くなった今、可能性はそれぐらいしか思いつかない。

 自分の経験を参考にし、信じる。

 メブキの言葉だ。皆を信じ、自分を信じる。

 シオンは温存作戦をやめて髪を梳き、竜が作った傷痕――足元のヒビへと、グルカナイフを振り下ろした。

 がぎんっ!

「おあッ……!」

 弱った腕と肩に、凶悪な振動が返ってくる。すぐに引き抜いて、シオンは更にもう一発、同じ場所に刃を叩きつけた。

 竜を躱しつつ繰り返されるその行為はやがて、刃がヒビに挟まれてしまうことで終着する。

 破損個所にがっちり固定されてしまったナイフを引き抜こうと、シオンは柄を離さない。

 そんな、武器を斜塔に噛まれて動けない獲物に対し、竜は吼え、勇んで攻撃を開始する。

 巨体が迫る。

 シオンは笑っていた。

 武器を離してその場を離れる。

 残されたのは、斜塔の亀裂に挟まったグルカナイフ。

 そこへ――鈍重な竜の巨躯がぶつかる。

 めきッ……!

 軋んだのは竜か斜塔か。シオンの目は、斜塔の表面に亀裂が走った瞬間を捉えていた。

「……よし!」

 目視で成果を確認したシオンは、ダガーナイフを現して竜のもとへ向かおうとして、やめた。

「お」

 見事な捨て身の体当たりをかましてくれた肉の塊が、首をもたげてシオンを睨む。唸る。ゆっくりと塔から身を剥がし、飛翔。

 高く高く昇っていく竜は唸るばかりだったが、その敵意は膨らむ一方で、シオンは眺めながら頬を掻いて、問う。

「……おこった?」

 竜が再び、大咆哮をあげた。大気が震え斜塔が揺れる。

 シオンのことを、いよいよ放っておけなくなったようだ。

「いいぞ、狙ってこい」

 シオンは駆け出した。

 竜は少女を空中から追いかけ、明らかに天使のみを狙った体当たりが繰り出される。

 躱しながら走るシオンだが、彼女の足が向かっているのは塔の先端。自ら逃げ場のないところへ逃げ、あまつさえ挑発までして攻撃を誘う。

 幾度となく竜の身体は斜塔へぶつかり、全体を軋ませる。

 竜の意識は、今や天使の排除に注がれていた。

 ちょこまかと逃げ回る天使。だがもう数歩先は塔の突端だ。逃げ場は退路のひとつしかない。

 そこで天使はなんと、また塔のへりに掴まって、ぶら下がりだした。

 逃げ場のない天使の挑発。竜は再び、渾身の一撃を見舞う。

 にッ、と天使が笑った。

「ご苦労さんッ!」

 竜の突進は軽々と躱され、巨体が斜塔の側面に激突する。

 ――ごきッ。

 少し離れたところで、何かが折れた。

 竜がぶつかった場所は、塔の先端付近。それは斜塔の下部に負担をかける部分であり、もし中腹に亀裂でも入っていようものなら……斜塔は、そこから折れる。

 凄まじい揺れが塔を襲った。

 竜がぶつかった衝撃ではない。大地、いや、大気が震動を始めたのだ。

「間に合えっ」

 ここら一帯のみならず、世界中の空気が震えているはずだ。

 振動は周囲に伝わり、脆いものから砕いていく。

 ――斜塔が、半ばから崩れ落ちた。

「ぬあッ!」

 全力で跳び、崩壊する半分から逃れたシオンは、すぐに振り返って、崩れたもう半分を見送った。

 巨大な塔が、森に沈む。

 より一層の揺れが響き渡る中、シオンは先ほどまで自分が居た場所を見上げた。

「……これで、お前の仕事は無くなったな」

 視線は竜へ。竜は天に吼えたかと思えば、尻尾から輪郭が薄れ、銀の粒子となって消滅した。

 ……塔を破壊し、終焉を呼ぶ。それが竜の仕事だ。ゆえに斜塔が崩れ役目を終えた竜が、この世界に留まる理由は無い。

「っ」

 眩暈がして、シオンは塔に膝をついた。

 森を中心として、世界が揺れている。きっとどの国も、窮地に陥っていることだろう。

 手洗い手段だった。しかしこれしか思い浮かばなかった。

 シオンは心の中で謝りながら。

 心身を火照らせる、あの灼熱の気配を感じていた。

 天使の力は人々の信心。天使を求める皆の祈り。

 うまくいくかどうかは、賭けだった。

 終焉に揉まれるなか、みんなが本当に頼ってくれるのだろうかと。死に直面した状況で、果たして天使を信じてくれるのだろうかと。

 街のみんなはともかく、遠方の地に住む人たちが、恐らく見たことも無い天使に対して、期待を寄せてくれるのだろうかと。

 むしろ、シオンが頼った。人々に祈った。自分を信じてくれと、心の底から。

 そして終焉を迎えている今。多くの祈りが、シオンのもとへ届いていた。

「……絶対、助けるから」

 わざと引き起こした絶望にて、世界を救う力を得る。

 天使にあるまじき行為だった。救うためとはいえ、世界を壊滅させるなど。

「絶対に! 絶対ッ!」

 乗り越える。今度こそ、この世界を救うんだ。

 過去と同じ状況。終焉を迎えた世界。溢れる祈り。そして力。

 胸に集まった力は、シオンの血肉に浸透する。

 肌が粟立って、血が痺れて、筋肉が苛々する。身体は熱くなっていくのに、頭の中はひんやりと冷たい。

 腹の底でのたうつ奔流。まるで救いを求める人々の手に、内臓を掻き毟られているようだ。

 やがて咽喉の奥まで込み上げてきたそれは衝動となり。

 大地に向けて解き放たれる。

 ――小さな咽喉から迸る、凄絶な咆哮。

 世界の揺れを助長しかねない、獰猛な雄叫び。

 体内で燻っている制御の利かない衝動のみを声として発散し、止め処なく供給される本能は受け止め、それを使って、内包していた力の放出にあてがう。

 記憶が蘇る。しかしイメージするのは、乗り越えた先。

 (ふる)える身体が、本来の姿を取り戻していく。

 息の続く限り放たれた少女の絶叫が終わる頃……シオンの背中に、ふたつの光が宿っていた。

 二対の輝き。緩やかに湾曲した形状からして、まるで巨大な二対のグルカナイフ。

 彼女の得物と似た姿を持ち、それ以上の眩しい白銀を灯したそれは、少女に相応しく、そして本来、在るべきものだった。

 翼。

 天使シオンの背に備わった光の正体は、銀の粒子を羽根から零す、純白の翼だった。

「ふ――――――……」

 深く息を吸って、ぜんぶ吐き出す。

 それからシオンは左右の翼をチラ見して、力を込めた。

 すると微かに両翼がふわりと上下したが、たったそれだけの挙動で、羽に吸い込まれた大気が風となり推進力となり、少女のバランスを崩す。

「おわ」

 前のめりに身体が傾き、危うく折れた斜塔から転げ落ちるところだった。

「っと、と。……まあ、久々だけど、いい感じだ」

 サイズの調整もうまくいった。力があるとはいえ、出し切ればまた昔みたいに、飛べないほどばかでかいものが出てきてしまう。

 自分の変化に慣れたシオンは立ち上がり、改めて周囲の様子を観察する。

 変わらず世界は揺れている。斜塔の麓の森は地面のあちこちが隆起していて、なんらかの巨大生物が、地面の下から出てきそうだった。

 街を見れば城壁など当然のように崩れ落ちていて、言ってしまえば跡形もない。あるのは瓦礫の残骸のみ。

 我が家のある崖はというと、奇跡的に無事だった。それでも崖下からひび割れが伸びていて、もう間もなく崩れ落ちるであろうことが予測できた。

 胸に宿る灯火が、刻一刻と消えていく。ここではない諸国も、同じように崩壊を迎えているのだ。

 もう謝罪の言葉は紡がない。翼があるということは、力を取り戻した証拠だから。

「よし、やるぞ」

 努めたいつも通りの態度の裏に隠した、腹を裂かれるような罪悪感。今のシオンはそれすらも決意と覚悟の炉に叩き込んで、身を動かす糧とする。

 立ち上がり、シオンは翼を開く。望んで作り上げた翼に、昔のような重みは感じない。

 ばさりと空気をはたいたのち、少女は折れた斜塔から飛び降りた。

 着地点は、森に落ちた斜塔の片割れの傍。

 翼をたたんだシオンは、横倒しの動かぬ巨岩に触れると、その黒曜石のような岩肌に、ぴたりと額をつけた。

 そして――伝える。

 自分の中に描いた、ひとつのイメージ。

 終焉を迎えたことで、もはや終わりの(・・・・)来なくなった(・・・・・・)世界を、この世に繋ぎ留める方法。

 新たなくさび創造イメージする。

 二度と壊れることの無い理想を、ここに生み出すのだ。

 願いは額を介して塔に伝い――斜塔そのものに、変化をもたらす。

 薄い硝子をはじくような透明な音色が、少女の肌を通じて斜塔全体に滲み渡る。それと同時に、少女が触れている部分から、樹の根にも似た、細く白い脈が伸び始めた。

 根から根が伸び、無限に枝分かれする脈はみるみる内に斜塔を包み込んでいく。

 やがて白い光に覆われた斜塔は、純白の輝きを持つ結晶体となった。

「……これでいいか」

 漆黒の巨岩を白銀の水晶へと変えたシオンは、額を離し、翼を広げる。大きな両翼はたやすく少女をふわりと浮かせ、華奢な身体を空へと運んだ。

 シオンが空へ空へと昇ると、終焉とは別に地響きが発生した。

 横倒しの塔が、折れた断面を上にして、シオンに釣られるみたいに起き上がり始めたのだ。

 軽々と舞う天使と、それを追う巨大な結晶体。

 森を広く見渡せるほどの高さまでやってきたシオンは、完全に空へ浮いた斜塔を眼下に捕らえると、翼を力いっぱい広げて、両手を握り合わせて祈り、結晶体に力を注ぐ。

 するとより一層、煌々と輝きを放ち始めた斜塔は今やシルエットを残すのみとなり、もはやその輪郭すらも、形を変え始めた。

 地面を指す逆三角形だった斜塔のフォルムが縦に伸び、上部には左右に伸びる光が現れる。

 まるで十字架か、あるいは、巨大な細身の剣。何よりその形は、シオンの持つ短剣ダガーナイフと似ていた。

 変形の始終を見届けたシオンが、大空を掴むように右腕を掲げると、白銀の剣も、先端を森へ向けたまま、追随した動きを見せて上昇する。

 地面が割れた。

 山が崩れ出した。

 街が粉々に砕けて、崖が崩壊した。

「大丈夫」

 みんなに、自分に、シオンは囁く。

「大丈夫」

 手を振り下ろす。

 途端、浮力を失ったみたいに、巨大な十字架が大地へ突き立った。

 疾風(はやて)が駆け抜け、辺りを撫ぜる。

 爆裂した光が森を、崖を、街を、大地を覆う。

 鈴の音じみた透明な音の波が、純白の世界へと響き渡る。

 風が、光が、音が――天使の力を、全世界へと運んでいく。

 この世に満ちた、純白のひととき。

 祈り続けるシオンの身体も、その光に呑まれていった。

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