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終焉見るなら、この場所で。  作者: 鳩村ピジョン
3/6

仕事帰りに大変だ

 翌日の早朝。

 シオンは買い物と薬の配達をメブキに任せて、自分は害獣退治に森へ出かけていた。その髪は動きやすいよう、高めの位置で一束にまとめられていた。

 時間が早いこともあり、森の中はひどく静かだ。それでも、気配はする。

 害獣と名付けられているが、実際は獣のみならず、蟲や植物にも終焉の影響は出ている。害獣の森へ一歩踏み入れた途端、もはや空気は変わってしまう。

 とはいえ、植物はその場から動かないし、蟲は森から出ない。ひとつひとつの個体が小さいので、毒素の拡散力も大したことはない。

 よって、駆除の対象となるのは、リスや鼠といった小動物から、鴉、蛇、猪、熊といった有害鳥獣の代表格である。

 本来、彼らは森の中でしか生活しない。何故なら、生きるにはそれだけで充分だからだ。

 そして彼らは、森を出たがらない。何故なら、森には彼らにとっての『空気』と呼べる環境が備わっているからだ。

 森の空気は、獣の呼吸や出血、排泄物などから作られる。その為、森の住人が増えれば増えるほど、空気は濃度を増していく。そして濃くなった空気は森から溢れて風に乗り、城壁を越えて街の中へと流れ込む。

 人々にとって、脅威は獣ではない。繁殖によって漏れ出る瘴気、病毒の風なのだ。

 だからシオンは、毒の濃度を抑えるべく、森に入るのだった。

 ちょっと気性の荒い獣退治。終焉の竜と比べれば、さほど手のかかる仕事でもない。そんなことよりも、シオンには気にかかることがあった。

 メブキが、どうやってここを突破してきたのか、ということだった。

 彼の口から説明はされたが……いまいち、納得できない。

 この森は決して浅くない。植物の凄まじい繁殖、成長によって獣道すらろくに生まれない為、シオンでも道に迷うほどだ。

 獣は居るし、空気は毒素の塊だ。ただの人間が通り抜けられる理由など、どこにもない。

 出来のいいマスクをつけたとしても、獣には意味がない。例え旅団を一人残らず囮に使って森の入り口から全力疾走しようと、よくて森の半分までだ。人の脚では、森の獣の脚力には勝てない。

 でも実際、抜けてきたからここに居るんだよな。

 グルカナイフで鬱陶しげに茂みを切り拓きながら、シオンは考えていたが。

「……こんなもんでいいか」

 すぐに思考をやめて、を作る作業に終止符を打った。のち、ナイフを地面に突き立て、髪をくくり直す。

 足元に溜まった茂みの残骸を他所へ蹴り飛ばしてから、振り返る。

 鬱蒼と茂った森の中に、ちょっとした空間が生まれていた。

 シオンは、目的となる獣を探していたわけではない。彼らと戦う為に、やりやすいを作っていたのだ。

 探さずとも、敵はついてくる。こちらが気付いていることを、向こうも気付いている。

 がさ、がさ、とそこらじゅうの緑が揺れて、煤けた灰色の毛並が次々と姿を現す。

 森狼もりおおかみ。この森で一番の繁殖力と兇暴性、団結力を持つ、厄介な相手だ。

 きっとメブキの旅団も、こいつらに襲われたのだろう。

「さ、今日の昼ご飯はなんだろな」

 ぐー、とお腹が鳴って、仕事が始まった。



「よう、あのニーチャンは元気かい」

 森を出て、城壁沿いに帰路を歩いていると、上方から声が降ってきた。

 見上げると、警備の兵がこちらに手を振っている。

 森の瘴気と害獣の体液が付着したまま人と接するのは危険だが、城壁の上と麓。これだけ離れていれば問題ない。

「元気かどうかって言ったら、元気だよ」

 それは、仕事を与えれば与えるほどに。

「俺ぁやっこさんの姿をちょっとしか見たことねえんだけどさ、ああ、いいよなあ」

「なにが?」

「だってシオンちゃん、一緒に住んでるんだろ?」

「住んでるっていうか、ここに居る間、場所を貸してるだけだよ」

「街の男からすればどっちも一緒だし、うらやましいよ。あのシオンちゃんと同じ家に住めるなんてよお」

「炊事洗濯草むしり、服を畳んで皿を洗って、部屋中くまなく掃除して、わたしが留守の間は外出禁止」

 メブキ青年に告げた居候の条件を、シオンはべらべらと言い並べる。

「これを守り続けられるなら、いつでもおいでよ」

 すると兵士は呆れたような、困ったような。右手で顔を覆って、溜め息をついた。

「相変わらず、自分のことはだらしねえんだなア、シオンちゃんは」

「お互い様だろ」

「ちげえねエ」

 どはははと笑う兵士。そんな彼に、シオンはとある忠告をすることにした。

「あのさ」

「なんだ?」

「……あんまり、あいつのことは気にするなよ」

「あいつって、若いニーチャンのことかい?」

「そう」

「どうしてだい」

「みんなにとっては初めての来客だから、珍しがって、興味も出ちゃうかもしれないけどさ。あいつも結局、戦争やってる国の人間なんだよ」

 普段と大差ない平坦な口調だが、兵士はシオンの変化を察しているらしい。話を聞く彼の表情が、真面目なものに変わった。

「わたしが終焉を遠ざけても、あいつらは戦争をして人を殺してる。兵士のことだって、手駒くらいにしか思ってない」

 シオンは誰より長く生きている。誰よりも、人間を知っている。

「人が良さそうに見えても、油断しないでくれ。外の連中は大体、そういうやつの集まりなんだから」

 街の住人全員と接したことのあるシオンだが、真剣みのある口ぶりになることは滅多にない。誰かが罪を犯したときにだけ見せるその表情と堅めの声音は、だからこそ聞く者の神経を緊張させる。

 少女の言葉を聞いた兵士は、指で顎をさすりながら、唸るように言う。

「……面と向かって話したこともねえから、なんとも言えんが……まア、シオンちゃんのトコに居るんだから、なんも心配するこたねエだろ?」

「そうだね。外出も禁止してるし」

「だったら今まで通り、ただ過ごしてりゃいいわけだ」

「そういうこと」

「あいよ。了解したぜ、シオンちゃん」

 笑顔の敬礼を寄越して、兵士は仕事に戻っていった。

 軽く手を振って別れたシオンも、血と泥にまみれた身体を洗うべく、家に戻る。

 その帰路でまた、住人と出会った。

「うわ! ちょっと!」

 シオンは慌てて林道の脇の茂みへ跳び込んだ。

「アラ、シオンちゃん?」

 なんて、猫車を押しながら呑気に歩いていたのは、市場一番の活気を誇る、肉屋のおばちゃんだった。

「どうしたのよ。あっ、森でのお仕事帰りだった? ごめンねえ」

 身体を洗ったとはいえ、森から出てきてすぐに住民と間近で接したくはない。微量の瘴気でも、毒は毒。シオンが道の脇に飛び込んだのは、用心して、おばちゃんに洗い残しを摂取させないためだった。

「最近どう? ちゃんとお肉食べてる?」

「もらったぶんは全部食ってるよ」

「アラそう。その割にはいつまで経っても貧弱なままなのね」

「……せめて細いとか、華奢とかさ」

「同じでしょ。その身体、ほんとに栄養を摂取できてるのかイ? まさか、食べたままがお尻から出てきたりしてないだろうねエ?」

「こら。天使に向かってなんてこと言うんだ」

「ごめんごめん。ちっちゃいままの姿を見てると、どうにも心配になってねエ」

「心配ってなにさ」

「お仕事のコト。この街がもっと立派なら、軍も備わってて、天使ちゃんの仕事も手伝えただろうにねエ……」

 嘆息するおばちゃんだが、シオンは別にそういった助けなど求めていない。

「気持ちだけでいいよ。兵隊なんか、街の警備だけでじゅーぶんだ」

 それに、とシオンは句を継いだ。

「いくら軍隊があったって、所詮ヒトじゃん。ただの人間じゃあ竜どころか、害獣すら倒せないよ」

 元々地上には居なかった、世界の終末の断片とも言える獣たち。かの者らを退治できるのは奇跡を持つ天使のみであり、人類が用いるそのほかの方法では、殺害することはできない。

 昔から言われていることだ。だから知ってるでしょと言いたげにシオンは返したのだが。

「それが、そうでもないみたいなのよねエ」

「え……?」

 対するおばちゃんの返答は、予想だにしないものだった。

「あのお兄ちゃんから聞いたのよ」

 どうやら彼女、ここへ来たのはただの散歩や山菜摘みなどではなく、シオンの家に肉を届けた帰りだという。

 家にはメブキが居る。外に出るなとは言ってあるが、来客に対応するなとは指示していない。

 だからおばちゃんはメブキと出会い、肉を渡し……そこでたまたま、森の外の情報を聞かされたらしい。

 害獣は人間の手でも退治できる。瘴気の発生源を探して、潰せばいい。例えばこの地で瘴気が生まれているのは、大きな森だ。温床たる場所に火を点けて燃やしてしまえば、瘴気は発生しなくなる。毒が出ないということは、害獣も生まれなくなる。

「戦争もあって害獣も居て、外は大変でしょって話したら、こんなこと言われて。手間と労力はかかるけど、なんとかなる。今はそれより、戦争のほうが危険なんだって」

 その戦争を止める為に、シオンを頼ってきた。

 メブキは己の役割まできっちりと、おばちゃんに漏らしていたようだ。

「……あの野郎」

話を聞いたシオンは、無意識におばちゃんから視線を外し、胸中でそう罵っていた。

「害獣に対抗するなんて、やっぱり都会は進んでるのねエ」

などと、おばちゃんは呑気に言う。

「あいつら(・)の言うことなんか、アテにしちゃだめだ」

「どうして?」

「人に魔物は倒せない。ただあいつらが倒せたと思ってるだけで、結局はわたしがやらなきゃ、いくらでも蘇るんだよ。害獣ってのは、そーゆー風に出来てる」

「……天使ちゃん、あの男の子になにかされたの?」

「いいや、なにも?」

 尋ねられて、シオンははっとした。いけない。普段通りが出来ていなかった。

「彼に対して、やけに厳しいのね」

「そりゃそーでしょ。戦争してる国の人間なんか、信じるだけ無駄だよ。せっかく守ってやっても、自分らで勝手に殺し合ってるんだから」

 とにかく外の人間のことは気にしないでいい。魔物だって、全部わたしがなんとかする。心配いらないよ。

 それだけ伝えると、シオンは一方的にバイバイと別れを告げ、自宅に向けて駆け出した。

到着するや怒りを込めてドアを押し開け、勢いそのままにずかずかとキッチンへ。

そしてそこに立つ男に詰め寄り、一息吸って、怒鳴る。

「おまえ、なんか余計なこと言っただろ!」

「は、はい?」

 戸惑うメブキの襟を掴み、引き寄せて更に問い詰める。

「さっき肉屋のおばちゃんが来たのは知ってる! そんとき、なんか喋ったろ!」

「そ、それは確かに少しだけ立ち話はしましたが、よ、余計なことっ?」

「心当たりしかないだろが! よそ者が勝手に、他所の知識を垂れ流すんじゃない!」

「すみません! 少し落ち着いてください!」

「っ……ケ!」

 このまま言及してもしょうがない。そもそも彼にとって、何が『余計なこと』なのかわかるはずもない。

 誰にとって(・・・・・)余計なのか。

外部から伝わる新しい情報が、世界的に孤立した辺境の地にとって、果たして毒となることがあろうか。

「…………」

 メブキを解放したシオンは、黙ったまま食卓の席についた。

「何か、あったんですか?」

 玄関の戸を閉めたメブキが、恐る恐るといった様子で問いかけてくる。

「……なんもねーよ」

「しかし」

「なんもない」

 現状、メブキに対して何を喋ったかと追及すればするほど、シオン自身の立場が危うくなる。わっせわっせと墓穴を掘り続けてしまう。

 だからここは黙ることで、今の失態を終わらせようとした。……が、気付く。

 おばちゃんを口止めしていない。

「て、天使殿ッ?」

 椅子を蹴って立ち上がり、シオンは再びドアを乱暴に開き、街へ疾駆する。

 肉屋のおばちゃんはおしゃべりだし、素直な人だ。彼女自身に何か悩みがあったり、考え事を抱えているときは、見ただけでわかる。

 そして「どうしたの」と話しかけてきた相手に、「うん、あのね」と全部打ち明けてしまうのが、肉屋のおばちゃんだ。

 害獣の件が広まっては困る。ただちに支障は来さないが、それでも拡散する前に止めておかねば。

 おばちゃんを探しに街へ向かうシオンだが、頭の片隅で、「しかしどうする」と悩んでいた。

「さっきの話は誰にも言わないで」というのは、怪し過ぎる。しかし口止めはしないと、情報が広まってしまう。

 どう切り出したものかと迷っている間に、脚だけは順調に歩を進め、気が付けばおばちゃんの気配のする酒場へ到着していた。

 おばちゃんを発見した。だがどう切り出したものか決まっていない。

 人が集まっている。口々に挨拶してくるが、今のシオンにそれへ対応する余裕はない。

「どうしたよ、シオンちゃん」

 考えているうちに、おばちゃんの傍に居た客が尋ねてくる。

「……」

 呼吸するばかりで、シオンは答えられない。

 その内、気を利かせた客の一人が、シオン以外の客に対して、話題をふった。

「そういやぁ、あの旅人さん。森を抜けてきたんだよな」

「らしいねえ。妙なマスクをつけてたとか」

 よりにもよって、その話か。

 シオンの肩が、きゅっと縮まる。

「害獣って、俺らじゃどーにもできねえんだろ? やっぱ戦争やってる人間ってのは、タフなのか?」

「いや、旅団で来たんだろ? それで生き残ったのがあのあんちゃんってわけさ」

「俺ぁおばちゃんから聞いたぜ。なんでも外国じゃあ、害獣の棲家を丸ごと焼き払って退治してんだと」

「ほんとかよ? だったらうちもやってみるか?」

「馬鹿野郎。あんなデケェ森に火なんか点けてみろ。先にわしらが焼け死んじまう」

「だったらちゃんと計画立ててさ。……どうだいシオンちゃん。もし信じてもいいなら、俺たちゃ、いつだって動けるぜ」

「ああ。それで害獣が居なくなるってんなら、多少の火傷くらいなんともねェやなア?」

「オレは違うぜ。シオンちゃんの役に立てるなら、焼け死んでもいい」

「馬鹿を言うな青二才めが! 死んだらシオンちゃんが悲しむじゃろが!」

「え! 泣く? シオンちゃんが、オレの為に?!」

「当たり前じゃ愚か者! この街の誰が死んだってあの子は全部覚えとる! そう、あれは儂がまだ十代の頃じゃ……」

「また始まったよ」

「ほっとけほっとけ。で、どう思う? シオンちゃん」

「え……?」

 見慣れた光景とやり取りにしかし圧倒されていたシオンだが、答えも出ないし、言いたいことすらまとまらない。

 あいつの言葉を鵜呑みにするな。

 言いたいことだけ言って、今は帰ろう。

「あのさ」

「天使殿っ」

 声が聞こえた途端、シオンはうんざりした。

 厄介な奴が現れた。今一番、竜や害獣よりも及びでない人物が。

 シオンを除く全員の視線が、「おっ」とメブキの方を向く。

 話の中心とも言える、噂の旅人のご登場だ。

 ……そりゃあ、全員の質問が彼に向くのもしょうがない。

「おう兄ちゃん! まあ座れや、な!」

「色々聞かせてもらうぞコラ! ええ? シオンちゃんと暮らしやがってこの野郎」

「こりゃ! 貴重な旅人さまに絡むでないわ!」

 害獣のこと、外国のこと、戦争のこと。

 根掘り葉掘り、おばちゃんの話から得た不確定な情報や、それにより生じた疑問が槍衾となってメブキに殺到する。だが。

「て、天使殿……」

 どうやらシオンの様子を見た彼も、なんとなくわかっているようだ。

 ここでなにも答えてはいけない。

 もっと言えば小屋を出ることすらやめておくべきだと察してほしかったが、彼のことだ。どうせ心配だったとか言うに違いない。

「帰るぞ」

 シオンはメブキの腕を捕まえると、人垣と店の中から引っ張り出した。そして、無言の帰途につく。

 大人しくついてくるメブキの無言が、シオンの背中に突き刺さる。

 悪しく思う疑念からくるものではない。純粋な疑問と心配。酒場に居た人たちと同じだ。

 話を聞いた住人たちは、決して外国に期待を抱いたわけじゃない。

 ――どうだいシオンちゃん。もし信じてもいいなら、俺たちゃ、いつだって動けるぜ。

 ――それで害獣が居なくなるってんなら、多少の火傷くらいなんともねェやなア?

 天使様シオンの力になれるかも。と、そう考えていたのだ。

「……信じてないのは、わたしのほうだった」

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