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リアライザー ―言霊と共存する世界―  作者: 水鏡 零華
第1章「歓迎会の夜に」
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1-1 事務課

「本日からこちらに配属になりました、フィノと申します……よろしくお願い致します。」


慣れない敬語を駆使し、必死の挨拶をして回ったあとのフィノの顔は既に疲れきっていた。


早くも疲れているフィノをよそに、周囲の人たちは忙しなく動き回り、山ほどある業務を片付けている。


(挨拶回りだけで3日費やすなんて、ホスピタ ルってこんなに大きいところだったんだ……。)


「フィノさん。」


ふと、隣から声をかけられて、ぼーっとしていたフィノは突然仕事場に意識を戻された。眉根を寄せた女性がフィノのデスクへ歩み寄ってくる。彼女はフィノより2年先に入職した、事務のアメシストだ。


「慣れないことばかりで疲れちゃうのは分かるけど、その顔は絶対に被施術者さんに見せないようにね。私たちは施術に直接関わらないけど、ホスピタルの顔なのだから。――ところで、施術辞典の326ページにある、ネブライザーの点数はいくつ?」


「え、ええと……。……50点です。」


咄嗟に点数のことを聞かれて焦ったが、間違ったことは言ってないはずだ。


「そうね……50点、正解よ。でも答えが返ってくるまで遅かったわね。ネブライザーする被施術者さんは、気管支系疾患では年中多いのだから、それくらいは頭に入れておくか、すぐにそのページを引けるようにインデックス付けておいて。」


軽く叱られてしまった。事務課に配属になって3日間、この人が自分に向ける笑顔は一度も見たことがない。


アメシストはフィノの考え事に勘付き、わざと聞いてきたようで、ネブライザーの点数だけ聞いて自分のデスクに戻ってしまった。


* * *


(はあ……。)


よっぽど神経が疲れてしまっているのだろう。心の中で溜め息をつくのも何回目か分からない。


フィノは小さい頃から忙しない場所や人の多い場所が苦手で、覚悟を決めてその場へ行ってもすぐに疲れてしまう。ただその場にいるだけならまだしも、今回のようなどんな人がいるかも分からない、だだっ広い部署で3日連続で挨拶回りとなると、正直吐きそうになってくる。自分に用意されたテーブルクロス2枚大の広めなデスクもちっぽけに見えてしまうほど、事務課は広かった。まず、隣に先輩であるアメシストの整理整頓がきちんとされているデスク。向かい側には、フィノとアメシスト、その他の事務員たちを束ね上げる係長のデスク。


(まさかの向かい側に係長さんなんだよね……寝れないじゃん……。)


学生時代によく居眠りしていたフィノにとって、上司に囲まれるこの環境は、余計に疲れさせる原因になっているようだ。


ずっと奥、一際大きなデスクには事務課長と次長のデスクが隣同士で設置されている。何かを申請する場合はあちらを通さないといけないようだ。課長のデスクに辿り着くまで、いくつのデスクをかい潜る必要があるだろうか……。


ざっと周りを見渡しただけでも50近いデスクがある。担当する治療棟や科によってデスクがそれぞれ配置されていて、同じ担当でもその中で会計演算や申請書類の処理など、日々の業務は多岐に渡る。ちなみにフィノは「違う部署のスタッフの名前を覚える機会にもなるから」というアメシストの提案で、かかってきた内線をひたすら受けることをお願いされた。事務ってただ書類の処理に追われるのかと思っていたが、意外と被施術者や他の従事者たちとの関わりが多いと気付かされた。様々な部署からひっきりなしに電話がかかってくることはもちろん、ここは受付と会計カウンターの裏なので、嫌でも被施術者と事務員のやりとりが聞こえてくるからだ。


「いつもと同じことを先生にしてもらったのにね、前回より施し料が違うのよねえ。確認してもらえる?」


「確かに、本日も関節注射の処置のみをされてますね。施し料も前回と同じ額で大丈夫ですので、こちらで領収書を再発行致します。お待ちください。」


施し料の支払い機は何台も設置されているが、施し料を演算して出すのは事務課のスタッフが未だに行っている。さすがに全て機械化は無理があるようだ。


* * *


午後にもなるとあれだけひっきりなしにかかってきた内線も落ち着いて、事務課はまったりとした空気が漂い始めた。隣のアメシストも週明けの溜まりに溜まった業務を片付け終わり余裕が出てきたらしく、フィノに再び近寄ってきた。


「9階治療棟の件、大丈夫だった?」


「はい。向こうの勘違いだったことがあとで発覚したようで、逆に謝られました。」


そう言って苦笑いをすると、フィノの笑みがアメシストにも伝染したのか、アメシストもふふっと笑った。


「そういうこともよくあるのよ。」


少しの間、今日の業務の中で分からないことや、この場合はどうしたら良いかなど、振り返りをしていると、課長が2人の肩を両手で軽く叩いてきた。


「アメシストさん、フィノさん、もうそろそろ上がる時間だけど…このあと時間ある?」


「……私はこのあと用事がありますので――。」


そう言い話を切ろうとするのはお見通しだったようで、課長は強行して話を続けた。


「そんなこと言わずに。今日ね、実はフィノさんの歓迎会しようと計画していて、君には是非紹介して欲しいんだよ。美味しいご飯も出るよ、フィノさん。」


課長がにこっとフィノへ笑みを向けると、若干煮詰まっていたフィノは弾けるような笑顔になった。そして、うーんと難しい顔をしているアメシストに向かって言った。


「アメシストさんは、いつもこういうお食事は断っているんですか?」


「え、ええ……。」


「じゃあ、今回だけでもいいので私とご一緒しましょう!美味しいご飯食べたいですし!」


フィノ1人で歓迎会に行かせるのはさすがにおかしいと思ったらしく、アメシストは渋々うなずいた。


「分かりました。フィノさん、18時にホスピタルの正面玄関で待ち合わせしましょう。」

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