ユルいノリで戦闘開始。サラさんは呪術が得意?
一角狼。
脅威ランクE。
胴体は成人男性と同じくらい、大柄の四足獣。
オスは頭部に巨大なツノを持っているのが特徴。
ツノを使った突進攻撃は、馬や人の身体を楽に貫通する。
鋭い爪は、地を速く蹴るためのスパイクであり、敵を切り裂き組み伏せる武器でもある。
うなり声がするから周囲を窺うと、全部で九頭いた。
群れは素早く僕達を包囲すると、距離を保ったままゆっくりと時計方向へ回転移動しはじめた。
逃がしはしないと無言で威圧しているかのような態度だ。
「嘘……でしょ。なんで、九頭もいるんだよ。
ヴォルフさん、気づいたならもうちょっと早く教えてください!」
大きな声を出さなければ、膝が震えて倒れてしまいそうだった。
一角狼は、現在地の近辺に出現するモンスターの中で、もっとも凶悪なのだ。
弱いモンスターと戦って経験を積もうという考えは浅はかすぎた。
「むう。すまん。急に飛び出してきたから、つい教えるのが遅れてしまったのだ」
巨漢はあまり悪びれた様子がないどころか、どう猛なモンスターを前にしても平然としている。
(そういえばヴォルフさんは、実戦の経験がないって言ってた。
もしかして、モンスターの脅威を肌で感じることが出来ていない?)
「わんわんよ、大人しくしておるのだぞ。ひいっ」
ヴォルフさんが一角狼にそろっと近づいて、頭を撫でようとしたら、ぐわっと牙を剥かれて、あわわっと手を引っ込めた。
「まあ、待て。おびえるでない。
私はこんなデカい身体をしておるが、怖くないぞ?」
性懲りもなくヴォルフさんが一角狼に近づいては、唸られてしまい、慌てて離れる。
(やばい。ヴォルフさんは初戦闘の緊張でおかしくなってる!
一角狼の弱点は、弱点は……。
嘘だろ。知っているんだよ。なんで思い出せない!
中央平原のモンスターの特徴は頭に叩き込んであるはず。
しっかりと対抗策を練ったはずなのに!)
背後でどさりと鈍い音がし、続いて硬質で軽い音が聞こえた。
肩にかけていた荷袋を、緊張のあまり落としてしまったのだ。
しかし、おかげで荷袋の中身のことを思いだした。
「そ、そうだ。一角狼の弱点は火。
火炎魔術の瓶を用意してきたんだ」
僕は慌てて荷袋に飛びついた。
モンスターから目を離すことがどれだけ危険かなどと、考えている余裕はなかった。
「く、くそ、開かない」
きつく縛ったわけでもないのに、荷袋の紐は堅くて開かない。
袋の口に指を突っ込んで、無理矢理に広げようとしても、指が震えていて上手くいかない。
「あっはっはっ。何しているんですかアルネさん。
チマチマしていないで見てくださいよ。
この群、オスが一匹ですよ。犬畜生のクセになんというエロエロハーレムですか!」
声が遠いと思ったら、サラさんはいつの間にか包囲網の外にいる。
「サラさん!
何で遠くの敵に気づくのに、こんな近くの敵に気づいていなかったんですか!」
「失敬な。ガッツリと気づいていましたよ。
最初にモンスターと遭遇したとお伝えしたでしょ。
せっかく教えたのに。いったい、何に気を取られていたんですか」
「サラさんが遠くの方を指さすから、そっちだけに意識を集中しちゃったんですよ!」
「えーっ。うっそだー。
意識していたのって、私と触れあっていた所じゃないんですか。
女の子ってプニプニしていて柔らかいなあとか、
ポワポワ良い匂いがするなあって思っていたんでしょ?」
サラさんは緩んだ眼差しで言ったかと思えば、鬼の形相になって怒鳴る。
「このエロ勇者がッ!」
「そ、そそそ、そんなわけないだろ!」
僕の必死すぎる大声には威嚇効果があったらしく、一角狼の包囲網がやや広がった。
「あれれ~。アルネさん、もしかして図星だったんですか。
顔がベロベロに真っ赤っかですよ?
王女を救出するという危険な冒険中なのに、私の匂いを嗅いでいたんですか。
この変態勇者が!」
「う、うるさい。匂いなんて嗅いでない!
敢えて言うなら、戦闘直前の焦げ付くような緊張の匂いを嗅いでいただけだ!」
「ぷっ……。焦げ付くような緊張!
ハードボイルドとはほど遠い顔して、よく言えますね。
この、ヘタレ勇者がッ!」
「ぐ、ぐぬぬ……。あっ」
荷袋の紐が解けた。
認めたくはないが、サラさんとの言い合いで緊張が解けたのかもしれない。
火炎魔術を封じた瓶を手早く取りだし、かすかに震えの残る手で狙いを定める。
「肩に力を入れすぎなんですよ。
そんなんじゃ、ガリガリ早死にしますよ」
サラさんは足先で空に半円を描くようにして包囲網飛び越え、僕の横に着地した。
伸身の前方一回転……と言えばいいのだろうか。
えっと、五メールトくらい跳んでいたぞ……。
「何なんですか、その跳躍力……」
「王女を助けたいというビンビンな意気込みは理解できます。
けど、初日からそんなに息を張り詰めていては、当たるものも当たりません。
リラックス、リラックスですよ」
「うっ」
サラさんは、服の胸元に手を入れ、手帳を取り出した。
もしかして、モンスターの弱点でも記録してあるのだろうか。
サラさんは冒険者ランクはFだけど、どうも旅慣れている感じがあるからな。
きっと対策を練ってきたのだろう。
「何か期待しています? 良いでしょう。私の呪いをお見せしましょう!」
呪い?
呪いの言葉は敵対者の精神にダメージを与えて、状態異常を与える呪術だ。
ちなみにギルドに行ったとき、僕は《軽戦士》でヴォルフさんは《重戦士》として登録したが、サラさんは《美少女》で登録している。
クラスはあくまでも仲間を募るときのプロフィールだから、何を名乗っても自由とはいえ、ギルドの登録担当のお姉さんは困っていた。
ごくりと、僕はツバを飲み込んだ。
僅かな触媒のみで呪術を使えるとなると、サラさんは僕の予想以上に強いのかもしれない。
モンスター九頭に囲まれている窮地を、脱することが出来るかもしれない。
いやがおうにも期待は膨らみ、耳を澄まして、サラさんの言葉を待つ。
「王都からここまでの道中で風が吹くたびにアルネさんが私のスカートを凝視していた回数は……七回!
このエロ勇者がッ!」
「ぐはっ、僕に精神ダメージがッ?!」
「どうですか、アルネさん。効果抜群ですか、私の呪術は!
この手帳には、まだまだゴッポリ沢山の呪術が書いてありますよ!」
どや顔でサラさんが覗き込んでくる。
僕が何度、顔を逸らしても視線の先に回り込んで覗き込んできて、ついには目があってしまった。
サラさんが親指を立て、太陽光が歯で反射してキランと輝く。
「さわやかな笑顔がムカツク!」
「ほらほら、どうですか、呪術の威力は」
「何で気づくんですか。後ろに目でも付いていたんですか?!」
「適当に言っただけなんですが。まさか本当にギラギラ見ていたとは!
このエロ勇者がッ!」
「む。アルネはパンツが見たいのか。
言ってくれれば、私のをいくらでも見せるぞ。
旅のためにオシャレなのをいくつか新調したのだ」
いつの間にかヴォルフさんが一角狼を両脇に抱きかかえていて、満足げに口元を緩ませている。
一角狼は必死に暴れているが足は空を掻くだけだ。
ヴォルフさんは「ワンワンはふかふかだなあ」などと子供みたいに笑っている。
僕がサラさんと会話している間にモンスターが襲ってこなかったのは、ヴォルフさんが結果的に囮になっていたからのようだ。
ヴォルフさんの茹でたじゃがいものような、ホクホクの笑顔を見たら、
僕の心までふんわりと温かくなって、頬が緩んでしまった。
なんか、緊張感の無い初戦闘だなあ……。