第一章 桃から生まれた男の子
【第一章:桃から生まれた男の子】
おじいさんとおばあさんは夫婦になってかれこれ40年以上の月日が経った。しかし彼らの間に子どもはいなかった。若い頃おばあさんは子どもができないことで、姑に散々いびられてきていた。憔悴したおばあさんはいつしか身を投げようとしたが、おばあさんの異変に気づいたおじいさんが妻を抱きとめ、ふたりで静かに暮らそうと、故郷を離れ新しい里で静かに暮らしていた。
ふたりは貧しくとも幸福な生活をすごしていた。それは子どもの存在さえ忘れてしまうほどに。
「おじいさん、今日はお隣さんから鮎をもらいました。今日は鮎の塩焼きにしましょう」
おばあさんは二匹の鮮やかな鮎を持って言った。
「ほお、これはご馳走だ。久しく魚も食べてなかったからな」
おじいさんは嬉しそうに言った。
おばあさんはおじいさんの笑顔を見ることが何よりも好きだった。
老夫婦の間には未だに純粋な愛のかたちを保っていた。それは都では見られない古風なものだった。
おじいさんはおばあさん以外の女を知らず、おばあさんもまたおじいさん以外の男を知らない。彼らにとってそれは真綿のように脆くも、美しい愛情によって結ばれていた。
ふたりが住む里は都からずいぶんと離れた場所にあり、都での話はもはや物語のように伝聞として伝わるだけだった。
里の人口は100人にも満たず、皆、顔見知りであった。
里の人間は穏やかな気質で新参ものだったおじいさんとおばあさんを快く受け入れてくれた。
快晴の続く気候ということもあって、作物は豊に実り、食べることには欠かなかった。そのため里の人間は都のように欲深くなく、日々の暮らしに感謝するだけの質素な性格をしていた。
童も自然に育まれ、遊ぶことに関しては退屈することなく過ごすことができた。
「都では童も泣けば叩かれ、笑えば叩かれたもんでした。けど、ここは童も自然のままに育つ。ほんとにいい里ですね」
おばあさんはしみじみとして言った。
おじいさんはおばあさんがどれだけ子ども好きであるか知っているため、微笑ましくもあり寂しくもあった。
童女が来ては、おばあさんは都で教わったヒモ遊びを教えてやった。ヒモで川を作ったり、山を作ったり、童女はおばあさんの仕草のひとつひとつを真似た。
「おばあさん、それはなに?」
「これかい?これはね、桃だよ」
「もも?」
「そう。桃っていうのはね、昔から悪いものを追い払う力がるって言われたの。私が病で苦しんでいた時、お母さんが高価な桃を買ってきて食べさせてくれたものよ」
おばあさんは遠い故郷を思い出していた。
おばあさんの母はおばあさんが10歳の時に亡くなっていた。都の女性であったが、優しく、控えめだった。
「桃っておいしい?」
「おいしいよ。甘くてね、やわらかいの」
「もしもわたしが病気になったら食べさせてくれる?」
童女は無邪気に訊いた。
「病気をしないのが一番だよ」
「ええ。でも食べたい」
「いつか、食べさせてあげるからね」
童女は嬉しそうな表情をして帰っていった。
*
都からの遣いが来たことで、里は騒々しくなっていた。
滅多に都から来るものがいないため、里の住民は馬の群れに驚いてしまった。
先頭にいた遣いの男は馬上から大声で、
「里の者は全員表に出よ!」
と叫んだ。
里の者たちは突然の都の人間の振るまいに戸惑った。都から、それもお上の遣いなど今まで見たこともなかった。
里の長である翁は男に対して怯むことなく、対等に話しかけた。
「何の御用でしょうか?ここは都の者が来るにはあまりに貧相で、粗野な場所でございます」
「そんなことはわかっておる。しかし、このような里にも若いおなごのひとりやふたりはおろう?」
「おなご?そりゃおりますが、何せ狭い里です。若いおなごは別の里に嫁いだりしておりまして、数はおりません」
「ふむ。ならば一番若いおなごは誰じゃ?」
「それですと、童女がひとりおりますが……」
翁は不安な表情になった。
「その童女を連れてまいれ」
「しかし、御用を訊かねば、わしも童女の親御もさすがに連れて来ることはできませぬ」
男は少し苛立ち始めた。
「お上の命じゃ。はよ、童女を連れて来い」
翁は困ったものだ、と考えていたが、男たちの腰にある刀を認めると、しぶしぶ童女の両親のもとへ近寄った。両親はふたりともかぶりを強くふっていた。
「じいさま、どうしたの?」
しかし両親の庇護も虚しく、童女は自ら顔をだしてしまった。
「これがこの里の童女でございます。しかし、見ての通りまだ幼い故、この状況する把握できておらんのです」
「ほお、ちんけな里にしてはなかなか玉のような童女じゃの」
男の顔はいくぶん卑しげになった。
すると後ろに控えていた男たちが童女の腕を掴み、彼女を連れ去ろうとした。
童女は悲鳴を上げ、両親も男たちの体に飛びついたが、ふたりは刀で斬られてしまう。
里の者たちは流れる血潮に対し、声を発することができなかった。
「これ以上騒ぎたてるのなら、見せしめにもうひとりくらい斬っても構わんぞ」
馬上の男は刃先を里の者に向けた。
翁は地面に顔を付けると、
「どうかその子を離してやってくださらんか?今、まさに孤児になってしもうたその子には、祖父であるわししか身内がおらんのじゃ!」
「ならん。この娘はお上に召し上げる。精々侍女にしかならんだろうが、ここの暮らしよりはマシだろう」
童女は泣き喚き、両親の死すら理解を超えて、ただただ天も仏もない世界に訴えようとしていた。
男たちの一群が去っていくと、里の者たちは重たい腰を上げて、童女の両親を葬る準備を整えようとしていた。
おばあさんは泣き崩れた。我が子を想う母親以上に泣いた。
おじいさんはおばあさんを抱きしめた。それは都から出る時以来の抱擁だった。
*
お上の命により租税が課せられるようになった里の者たちは、今までのように自給自足の暮らしでは無理が出て来た。
おじいさんは近くの村に柴を売るために、山へ柴刈りへ行くことになった。
慣れない商売におじいさんはほとほと困っていたが、それでも金を稼ぐということがおばあさんとの暮らしを豊にするのだと信じて、一生懸命仕事に励んでいた。
ある日おじいさんが柴刈りに出掛け、おばあさんはおじいさんの着物を洗いに洗濯へ出掛けた。
憎々しいほどに晴れた日、おばあさんは汗水を流して、清らかな川に手足を浸して着物を洗っていた。
すると、何やら変わった形の物体が上流から流れてきたことにおばあさんは気づいた。
「岩かしら?それとも熊?」
おばあさんは肝が冷えながらも、ほんの少しの興味からゆっくりと流れてくる物体を見守った。
おばあさんは驚いた。
それは大きな桃だった。
おばあさんが両手で抱えても余るほどの大きさで、まるまると太った果実は光沢があり、甘い香りをはっしていた。
おばあさんは思わず手を合わせて拝んだ。
(天からの思し召しか)
桃は岩にひっかかり、止まってしまう。
おばあさんは川へ入り、その桃をなんとか陸に引き揚げようとする。しかし思いの外桃は重く、老齢のおばあさんの腕では敵わなかった。
しかし、おばあさんには奇妙な執念がうまれていた。それはあの童女のことを思っていたのだ。
今いないあの童女のために、何とかその桃を持って帰りたかった。
おじいさんの着物や手ぬぐいを結び合わせ、それを桃に巻き付け、おばあさんは力強く引っ張った。
徐々に桃は陸の方へ近付いていき、おばあさんはその瞬間を逃さず、ありったけの力を込めて引っ張ると、太った桃は地面に転がった。
おばあさんはひっくり返り、腰を痛めてしまった。
それでもその大きな桃を見ると、不思議とおばあさんは痛みを忘れて我が子を庇うように愛情がわき出した。
ありったけの手ぬぐいで桃を包み、おばあさんは腰を曲げながら背負った。
家まで遠くはないが、その重みはおばあさんの考えるよりもはるかに負担がかかっていた。
それでもまるで赤児を背負うように、おばあさんは慎重に、そして丁寧に扱った。
家に着き、桃をゆっくりおろすと、おばあさんの体は宙に浮いてしまうほど軽くなっていた。それとともに体のあちこちが悲鳴を上げ、しばらく横になることにした。
どれくらい時間が経っただろうか。いつの間に眠ってしまったおばあさんは、目を開けても真っ暗なことに驚いていしまった。
「桃は?桃はどこ?」
おばあさんは暗闇の中、桃を探した。
巨大な桃はすぐにおばあさんの手に触れた。暗闇の中で触る桃は赤児の肌のようになめらかだった。
戸が開くと、小さな灯火が見えた。
「真っ暗じゃないか」
おじいさんは驚いたように言った。
「すぐに灯りをつけますから」
おばあさんはそう言って、おじいさんの持っている火を囲炉裏にくべると、艶やかな桃色の果実が姿を現し、おじいさんは驚いて飛び上がってしまった。
「ばあさん、なんだこりゃ!」
「これですか?桃ですよ。おじいさんも都で見たでしょ?」
「いや、しかし都の桃でもここまで大きいものは滅多にない。これは何か不吉なものではないか?」
「桃は昔から魔除けとして重宝されていたのです。だから決して災いのもとではないはずです」
「それにしても、巨大だ。しかし、これをどうする?食べるのか?」
おばあさんは桃をどうするかまったく考えていないことに気づいた。ただこの桃を持ち帰ることだけしか考えていなかった。
「何だか惜しい気もします」
「けどいずれ腐るだろう。ならばすぐに食べてやったほうが、罰当たりにならんですむ」
おばあさんは少し逡巡し、諦めたように頷いた。
「では包丁を持ってきましょう」
おじいさんは改めてこの巨大な桃を眺め、触れてみた。
「あまり熟れておらんが、しっかりとした実をしとる」
おじいさんは実を叩いてみると、しっかりとした音が響いた。
「どうやら中身もたっぷりつまっとるようだな」
おばあさんの持ってきた包丁を手に取り、おじいさんは桃の頭頂部に刃を当て、思いっきり力を入れてみた。しかしその瞬間、おじいさんは刃から伝わる、桃の果肉の弾力はまるで人間のもののように思われ、つい、力が抜けてしまった。
「何か聞こえませんか?」
突然おばあさんがそう言った。
おじいさんは静けさに耳を傾けるが、何も聞こえない。
「この桃の中から、聞こえるんです」
おばあさんの言葉をどう受け入れていいものか、とおじいさんは戸惑った。
「何が聞こえる?」
「わかりません。人の声にも、神様の声にも聞こえます」
「神の声?」
おじいさんはますます訳が分からなくなった。
「ともかく、この桃を切ってしまえばわかる」
おじいさんは再び、桃を切り始めた。
果実の芳香が室内を見たし、おじいさんはまるで川面で浮いているような、不思議な感覚に襲われていた。
すると、桃は真っ二つに割れはじめた。甘い香りとともに雷鳴のように泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
ふたりは驚いた。桃の中から小さな赤児が出て来たのだ。
おばあさんはただただ手を合わせて拝み、おじいさんは呆然とするだけだった。
「男の子じゃ」
おじいさんは赤児の小さな陰茎をみて言った。
赤児は泣き止まず、静かな里一帯にこだまするようだった。
「わしは赤児の世話になは慣れておらん。ばあさん、何とかしてくれ」
おじいさんが促すと、おばあさんは赤児を優しく抱き上げた。
おばあさんは赤児のやわらかい肌に触れると、涙が溢れてきた。そこに血縁以上の愛情が生まれたのだ。
赤児は自然と泣き止み、すやすやと眠り始めた。
おばあさんは赤児をあやしながら、母が唄ってくれた子守歌を口ずさんでいた。
郷里遠く 山を越えれば ひとつ父の声
海を渡れば ひとつ母の想い
細い腕に抱かれた小さな命は、おばあさんに新たな生きる希望を与えた。
おじいさんはそんなおばあさんを見て、静かに微笑んだ。
*
赤児は「桃太郎」と名付けられた。「桃から産まれたのだから」という単純な理由ではあったが、ふたりはその名前がしっくりきていた。
この桃太郎の誕生は里で大きな話題となっていた。桃から産まれた、などと最初は皆信じることができなかったが、それでもこの奇妙で、しかし愛嬌のある赤児はたちまち里の光となった。
一部の人は「あの童女の生まれ変わりだ!」と言った。おじいさんとおばあさんも、もしかしたらそうなのかもしれない、とさえ思い込んでしまった。
里の人々は代わる代わる桃太郎を抱いた。するとひとりの女が目を潤ませ、
「子どもは宝じゃ。希望じゃ」
と泣き始め、周囲の女たちはすすり泣いた。
そうして桃太郎は里の者に愛されながら育っていった。
「それにしても不思議なことがあるもんだ。桃から産まれるという話は一度も聞いたことがない」
翁は感慨深く言った。
「桃というのは都では邪気を祓うと伝えられてましてな、それはそれは神聖な果実です」
おじいさんは一度も桃を口にしたことはないが、おばあさんが語るのを何度も聞いていた。
「たしかに、なにやら特別な子のようだ。しかし、里のものの中にはあやかしの子ではないか、と不安になっているものもおる」
「わしも一時「化け物の子」、「鬼の子」でないかと思っとったんですが、どうも桃太郎の笑顔を見てるととてもそうは思えん。きっと里の光となる子だとしか思えんのです」
「たしかに、この里もずいぶんと疲れ果ててしまったが、桃太郎の存在が里の女たちの心を癒しているのは事実だ。ただ、おまえさん、赤子を養うのは容易ではないぞ?男の子だから、将来働き手になるかもしれんが、子を食わせることは何よりも重労働だ」
「わかっとります。ただ、不思議ですな。子ができると今まで以上に柴を刈る手の力が増していくんです。それにばあさんも近頃は笑顔が増えてきました。子は母を、母は子を愛することで、それが生命になるということですな。この年齢になって、それがようやくわかりました」
翁は深く頷き、
「桃太郎が与えてくれたのは生命だけではなかったようだな。おまえさんのその表情が物語っとる」
「ええ」
おじいさんは帰り道、夜空を眺めながら桃太郎のことを想った。
(あの子はきっと天から遣わされたのだろう。例え鬼の子であってもばあさんの光となったあの子を必ず護る)
風がおじいさんのもとに湿っぽい草木のにおいを運ぶ。
「明日は雨だな。こりゃ、柴を刈るのも容易でないな」
と微笑んだ。
*
桃太郎はすくすくと成長していった。
普通の子よりも体格は大きく、力も強かった。
おじいさんは5歳になった桃太郎を伴って柴刈りをしていたが、すでに桃太郎のほうがおじいさんよりも柴を刈る量が増えていた。
昼時、おじいさんと桃太郎はいっしょになって握り飯を食べるが、おじいさんは大きな握り飯1個に対し、桃太郎は3個も頬張った。
一気に食べ始めたため、桃太郎はむせて、顔を赤くする。
「桃太郎、一気に詰め込むでない。ほれ水を飲め」
桃太郎は竹筒に入った水を一気に飲み干すと、その顔にパッと笑顔が咲いた。
「ありがと!」
おじいさんのほおが緩む。
「桃太郎、疲れたか?」
「ぜんぜん」
「桃太郎は元気だな」
「うん!ねえおじいさん」
桃太郎は「お父さん」とは呼ばなかった。別におじいさんとおばあさんも強制はしなかったし、なにより彼らも「おじいさん」「おばあさん」と呼び合っていたから、なにも不思議なことではなかった。
「カワでさかなとってきていい?」
「ああ、もちろん」
桃太郎は勢いよく裸になると、近くの川へ飛び込んだ。すると小熊のように水面をばしゃばしゃとかきはじめ、楽しそうな声をあげた。
家に戻れば、おばあさんが夕飯の支度をして待っていた。
桃太郎は米の炊けるにおいがなによりも好きだった。
「おばあさん、きょうはこーんなおおきなさかながいた!」
桃太郎は両手を広げて言った。
「まあ、そんなに」
「うん、あれがおきなのいってた、ワニかなー?」
「ワニは海にいるんですよ」
「へえ!おばあさんはかしこいねー」
「私も実際に見たことはないけども、それはそれは大きいと聞いたわ」
「海って広いの?」
「ええ。一度だけ、都から離れる時通りかかったけども、海は広くて輝いていてねえ。その美しさは未だに忘れられないよ」
桃太郎はこの時から海への憧れを強くしていた。見たことのない、頭で想像する海は、幼い桃太郎にとって美しい神秘そのものだった。
「ウミにいきたい!」
おばあさんは微笑んで、
「桃太郎なら、いつか海へ行けるよ」
しかしおばあさんは、桃太郎がそのままどこかへ行ってしまうような不安も抱いていた。
「おおきなさかな、みんなでいっしょにたべようね!」
おばあさんは桃太郎の頭をやさしくなでた。
*
別の里に嫁いでいった者の子どものうち、何人かは里に預けられ、育つ。多くは年子か末子で、悪く言えば彼らは家族から見放されたも同然であった。
ちょうど桃太郎と同い年くらいの少年が3人、少女が2人いた。彼らは桃太郎とともに育ち、学んでいた。
学ぶといっても、都のように教育があるわけではない。翁のもとへ行き、里の慣習や昔話を聞くのが主だった。
少年少女たちは都で兵となり巨大な鬼を退治した英雄「ムラビ」の話に夢中になっていた。
「そもそもオニとはなんだ?」
と少年の一人が聞く。
「鬼というのは人間を襲うもののことだ。海の向こうに、島があってな。そこに鬼が住んどるといわれておる。そこへ行った者は二度と還ってこないそうだ」
桃太郎は疑問に思い、
「それじゃあなんでオニがいるってわかるの?」
「良い質問だ。島から唯一生還した者がおる。それが英雄ムラビじゃ」
「ムラビはなんでかえってこれたの?」
「それはわからん。ただムラビは英雄として迎えられた。ムラビは島から鬼を退治した証拠として玉を持って帰ってきた」
「たま?」
「そう。それはこの世のものとは思えないほど美しいものだという。それを継承するのがムラビの子孫であり、今の都の帝じゃ」
少年少女たちはそうして都への憧れを募らせていく。何人かの里の者は実際都へ行き、兵となった。自然とともに育った彼らにとって都や海、そしてムラビは物語の一部のように、空想と入り混じり夢がふくらんでいく。
「なあおいらはぜったいにみやこへいくぞ!」
と少年のひとりが言うと、
「あたしもいけるのかなー?」
と少女が言った。
「おんなはいけん」
「さいてー!」
少年少女は笑った。
しかしひとり桃太郎だけは真剣なまなざしで空を見上げていた。他の少年少女たちはずっと草木と戯れていたが、桃太郎だけはそこに立っていた。、
「ももたろう!こっちこいよ!ヘビをみつけたぞー」
「うん!」
*
桃太郎は誰よりも勉強ができた。おまけに里の中でいちばん相撲が強かった。
成長した桃太郎は幼さが失われ、代わりに端正で落ち着いた顔つきになっていった。
彼は里の女たちの憧れとなっていた。
おじいさんとおばあさんも桃太郎の成長に喜び、同時に自分たちの老いに気づかされた。
桃太郎はそんなおじいさんとおばあさんにいつも孝行した。
柴刈りが難しくなったおじいさんの代わりに桃太郎は山へ通うようになるが、そこに里の少年犬吉が桃太ひっついて回っていた。
犬吉は孤児で、山で捨てられていたところを里の者に拾われた。以前までは他の子どもたちと喧嘩をしたり、他人の野菜を盗んだりと問題児だったが、相撲の強い桃太郎に憧れ、彼に従うようになってからはそうした問題も少なくなった。
するといつしか犬吉も礼儀をおぼえるようになり、多少はおとなしくなったが、それでも短気な性格は治らないでいた。
「桃太郎さん!おなかがすいたー」
「さっき握り飯を食べたばかりだろ」
「でもさ、やっぱりあれだけじゃ足りないよ」
「なら僕のをやろう」
桃太郎は仕方なく自分の握り飯を与えると、犬吉はうれしそうに食べた。
「桃太郎さんはムラビだな!」
「調子がいいな」
桃太郎は笑った。
犬吉は相撲こそ弱かったが、誰よりも足が速かった。桃太郎よりも早く山へ登る。
「おれは相撲じゃ勝てないけど、足の速さならだれにも負けねえ」
「犬吉は里一番だからな。うかうかしてると、相撲でさえ勝てなくなる」
「桃太郎さんにも弱点があるんだな」
「あるぞ。いっぱいある。なによりもナスは苦手だ」
「ええ!あんなにうめえのに?」
「そうだろうな。人によってはうまいかもしれないけど、僕にとってはあれほど味気ないものはないよ」
「ふーん」
「人にはそれぞれできることとできないことがあるんだ。だからみんな協力する。僕は料理が得意ではないから、おばあさんがやってくれる。家族を支える力をおじいさんが与えてくれる。そうやってみんなで生きているんだ」
「でも、相撲はひとりだ」
「そうだな。相撲はひとりで戦うのかもしれないけど、相撲というのも相手がいて初めて闘うことができるんだ。それに僕がなぜ相撲が強いかわかるか?」
「なんだ?」
「僕はみんなを喜ばせたい一心で相撲をとってるんだ。誰かのために闘うと、何倍も力が増す」
「だれかのため、か」
犬吉はわかったような、わからないような表情をした。
山から帰ると桃太郎は犬吉の家でご馳走になった。
犬吉は里の若い夫婦に育てられていた。
彼には義理の姉がふたりいた。
長女は他の里へ嫁いでしまったが、次女はまだ家にいた。
次女のお鈴は勝気な性格で、犬吉とはよくケンカをしていた。その様子が血のつながった姉弟のようだ、と夫婦はいつも笑って見ていた。
ただ犬吉は姉の弱点を知っていた。
お鈴は桃太郎を前にすると急にしおらしくなる。
犬吉が初めて姉の弱点を発見した時の喜びはそうとうなものだった。
だからその日、桃太郎といっしょに食事をする姉の前でわざと、
「お鈴ねえちゃんはな、10(とお)のころまでねしょんべんしてたんだって!」
と犬吉が大笑いすると、お鈴は顔を真っ赤にして俯いた。
唇をかみ、今にも犬吉を殴りそうにこぶしをかためていた。
桃太郎は苦笑いして、
「犬吉、おまえはどうなんだ?寝小便くらいしたことあるんじゃないか?」
「おれはねえ!」
「嘘つき…」
とお鈴は勝ち誇ったように静かに微笑んだ。
「2日前も寝小便して泣いてたくせに」
犬吉も姉と同じように真っ赤になった。
桃太郎は大笑いした。
「似た者姉弟だな」
「聞いてください。犬吉はね、前も幽霊を見たとかいって大泣きしたんですよ!」
お鈴は笑いながら言った。
犬吉は怒ったように、
「ほんとうにみたんだよ!おれ、うそはつけねえ!」
「じゃあその証拠を見せてよ」
「みたもんはみたんだ!おれがショウコだ!!」
犬吉は泣きながら姉に向かっていこうとしたがら、桃太郎がそれを抑えた。
「僕は信じるよ、犬吉」
「……ほんと?」
「本当だ。幽霊や化け物はいる。よく考えてごらん。僕は桃から生まれたんだ。それこそ人の子じゃないかもしれない。化け物といっしょだ。だけど僕はやさしいおじいさんとおばあさんに育てられた。だから化け物にならなかったんだと思う。
犬吉、その幽霊も犬吉が悪ささえしなければ、何もしてこないと思う」
「仲良くなれるか?」
「なれる」
「ことばはつうじるか?」
「つうじる」
「言葉って、あんたが幽霊に教わらないといけないじゃん」
とお鈴は言った。
「うるさい!なら、勉強するだけだ」
犬吉はそう言うと、大声で歌い始めた。