メモランタ
ショートショートになります。(2,488字
『久しぶり、今から会えない?』
高校時代の同級生からの電話。それをもらったのは深夜零時過ぎ、街明かりもとうに消えた夜更けだった。
なぜ今さら、とか、どうしてこの番号を知っているとか、疑問はいくつかあったけど、とりあえず一度会ってみることにした。
「おっす」
近所の公園で待ち合わせていた彼は、あたしを見つけるやいなや、ベンチから腰を浮かしてそう言った。街中で偶然会ったような気さくさだが、彼と最後に顔を合わせたのは高校一年のとき。つまり十年ぶりの再会である。
彼は下にジーパン、上にモッズコートを着ただけのラフな格好だった。対してこちらはスーツの上に寒さ対策のトレンチコートを羽織っただけ。ある意味、あたしもラフなスタイルだ。
「悪いね。急に呼び出したりなんかして。寝てた?」
「いや、ちょうど仕事終わって帰ってきたところ」
「ああ、働いてるんだ。立派なもんだ」
「だって働かないと生きていけないから。そっちの仕事は?」
「まあ、ぼちぼちね。色々あって大変ではあるかな」
仕事はなにをしているのか、という意で聞いたのだが、伝わらなかったようだった。はぐらかされたとも考えられるけど、わざわざ聞き直すほどあたしは口数が多くない。
「…………」
だからこそ、ベンチに二人で腰かけたとしても、活発な会話など生まれるはずもない。高校の頃はわりかし話していたとは思うけれど、それは一年生の頃だけの話。今ではどんな話をしていたのか思いだせないし、何を話せばいいのかもよくわからない。クラス替えや卒業を経て化石となった関係性は、十年という月日の砂に埋もれて、見えなくなっていた。
「……会うのって高校以来だよね? 久しぶり」
「…うん、久しぶり」
「夜遅くのこんな場所だからさ、見間違えるはずないんだけど、それでも一瞬見違えたよ。高校のときより綺麗になってたから」
「……そう、なのかな?」
脈絡ない言葉に、戸惑う。なんて答えたら正解なのか、口下手のあたしには荷が重い。
「たぶん、きみが大人になったってことなんだと思う。お化粧をして、社会に出て、色々な人との出会いの中で働いて、そうして一人前になったってことなんだと思う。………俺と違って」
「……そっちだって、もう大人でしょ?」
「いやあ、俺はまだまだ子供だよ」
そういって笑う彼の表情は、確かにあのころの無邪気さを残しているようにみえた。
「あとさ、こっちが呼び出しといてなんだけど、夜中に呼び出されて一人のこのこと来ちゃうのもどうかと思うよ」
「そういうもの?」
「そうだろ? 元同級生とはいえ、男にほいほいついていっちゃ危ないからな」
次から気をつける、そう答えたら「そういうところは変わらないね」と彼はただ苦笑するだけだった。
「髪、伸びたね」
自販機の前で小銭を入れながら、そんな他愛のないことを尋ねてくる。
いや、高校の時はショートにしていたのか。でも長いほうがいいと言われてからは、少しずつ伸ばすようになり、今では後ろでくくれるようになった。
「そうだね。たぶん10年分だよ」
それだけの月日を反映しているのだ。そう考えると自然と愛着も湧いてきて、髪をなでる手つきにも優しさが灯る。
「俺は短いときのきみしか知らないけれど、今の髪型も好きかな」
缶コーヒーを目の前に差し出されて、おぼつかない手先でそっと受け取った。かじかんだ指先から全身にゆっくり伝わるぬくもりが、寒空の下ではなによりも尊かった。
「そろそろ……本題、」
聞かせてくれる?―――あたしの下手くそな切り出し方は、彼にもうまく伝わるだろうか。ずっと気になっていた彼がここに来た理由、あたしを呼び出した理由、それがなんなのかと。
「自分のことがわからなくなって」
けれど彼の答えもまた、どこかつかみどころのないもので。
「きみに会えば、なにかわかるかと思った」
揺れ動く瞳の中の光は、熱を欠いたともし火のようだった。
「それで、答えは見つかった?」
「わからない…。だから、確かめさせてくれ」
そう言って彼は、あたしの体を抱き寄せた。
地面に張った氷を踏みしめたのか、『パリッ』という音が頭の中に響いた。その温もりは、突き放すにはあまりにも弱弱しく、儚げな感触を思わせた。
「ごめん、もう少しだけ、このまま…」
顔の見えない彼の声。あたしは一瞬頭の中が真っ白になって、それでも言葉を絞り出す。
「あたし、彼氏いるんだけど、」
「そっか、そうだよな」
そう言って、しかし抱き寄せる腕の力は変わらなかった。
「ありがとう。これで確かめられた」
いつまでそうしていたのだろう。彼はそう告げると、あたしから手を放して距離を取った。
「ごめん。行かなきゃならない」
それが彼と別れた最後の言葉だった。
寒空の下、あたしは呆然と立ち尽くす。
どうして、今さらあたしの心をかきむしるんだ。
もう決着のついたはずの感情が、再びざわついているのがわかる。
意識していなかった、といえば嘘になる。
けれど当時のなけなしの記憶と感情を、今と言う時間軸で観測しても、あれは恋ではなかったとしか思えない。10年前のあたしと、今のあたし。両者はもっとも近く、もっとも遠い存在だ。
あたしは、彼のことが好きだったのだろうか。
それを確かめるには、記憶はあまりに曖昧すぎる。それを感じるあたしもまた、
翌日。彼の名前は全国に広まった。
あたしにとっての同級生は、テレビでは銀行強盗という肩書を与えられた。
山奥で自殺体として発見された彼は、連日テレビを賑わせた。しかしそれすらも一時の流行りに過ぎない。時の流れは残酷だった。
あれからあたしは、あの公園を訪れるようになった。
同じ場所であっても、その景色は季節によって移ろう。それでもここは、あたしにとってはひとつの光景に見えるのだ。
あるいは彼は、そのためにあたしに会いに来たのだろうか。
あの夜の光景を、あたしは忘れない。
記憶と感情が、色あせていくとしても。
たとえいつか思い出せなくなる日が来るとしても。
あのときの記憶と感情は、凍り付いたようにそこにあり続けている。
たとえ誰もが忘れたとしても、あたしだけは今度こそ忘れない。そう誓って、今日も心で眺めるのだ。
あの冬の景色を。