吹奏楽部のある修羅場。
毎日毎日、練習してきた。
朝は4時30分起きで、6時から朝練。夜は9時迄は学校で、11時過ぎまで家で練習。言葉どおり、血のにじむような練習をして、もちろん勉強もして、トップを維持して来た。
テスト前は同級生や後輩達にも勉強を教えたりした。部活の為に、部員たちの為に頑張って来た。
音楽漬けの毎日。舌を切ってリードが紅く染まったこともあった。唇が切れて食べ物がゼリー位しか食べられない時もあった。
私を見て欲しかった。私を認めて欲しかった。私を知って欲しかった。ただそれだけの思いで、中学に入ってからの6年間を過ごしてきた。
それなのに
「……どういう事?」
少し震えてしまった私らしくない声が静か過ぎる音楽室に居る大勢の生徒達の制服に吸い込まれていく。
おかしい。来年の夏休みの大会に向けて基礎を固める大切な時期である今、私が考えた練習メニュー通りだと、各パートで基礎練習をしている筈だ。
放送で呼ばれたと思って、クラリネットのパート練習から抜けて此処に来たのにどうして部員達が此処に居るの?
ぐるっと見渡す限り、見える顔と人数から恐らくこの音楽室にいる生徒は吹奏楽部の部員全員。その総勢145……いや、私以外だから144名分の目が私に向けられている。
すると、群衆の中から一人の男子生徒がこちらへ歩いてくる。部長である私を支えてきてくれた、吹奏楽部の副部長であり、ユーフォニアム奏者の遠藤 晃大。カラスの羽根のように真っ黒な髪を持ち、まぁまぁ顔のパーツも良いため春には新入部員が沢山入ってくれる、勧誘にはもってこいな奴。
晃大は面倒見が良く、私もよく相談していた。
そんな晃大が、少し長めの前髪を掻き上げながら近づいて来る。
「くっ、どういう事、か。」
「そうよ。私の考えたメニューにはこの時間はパート練習の筈よ!何で此処に皆居るのよ。」
毎日部員全員に配布するメニューの内容は私が考えている。夏の大会へのきちんとした計画があるから、それが少しでも狂うと後の調整が大変だ。今まで私に無断でこんな事をした事は無かった。
「そうだな。それは、俺が考えたメニューを皆に配布してるから。かな?」
「……なんで。」
「……それは皆に聞こうか。なぁ?」
それと同時に晃大は群衆の方へと視線を投げかける。
そうすると、
「もう、ウンザリなのよ!何が私達の為よ!」「無理難題を押し付けるくせに、放置しやがって!」「それが出来なかったらパートリーダーに責任を負わせて!」「何が全国大会だ!」「お節介なのよ!!」
そう口々に私に向かって叫んでいるのは、部活の仲間たち。あんなにお世話したのに、あんなに一緒に勉強したのに。今の皆は何だか般若の様な形相をしている。
「だってさ。……、正直、俺ももうお前には付き合い切れない。お前にはこの部から出て行ってもらう。」
は?何言ってんの。そんなの冗談に決まってる。
「何でよ!そんなの、私が居なかったらこの部活は回っていかないに決まってる!」
そうに決まってる。今までほぼ全ての事を私が取り決めてきた。
「ハハッ!……お前、ホントにそう思ってたのかよ。残念だったな。これはもう、決まった事だ。学校も、お前の両親も承諾している。」
そんな……!お父さん達まで!?
「確かに、お前のクラリネットの技術は凄い。それはプロも黙らせるレベルで。」
「っ!じゃあ!なん「でも。」……で」
「でも、そんな奴は吹奏楽部には要らない。お前の音は俺達の音と退け合って混ざり合うことがない。……いくら俺達が歩みよっても、お前が俺達を受け入れることが無かったんだ。」
「そんな…こと……」
「去年、何で全国大会に行けなかったのか、知ってるか?」
知ってるに決まってる。講評用紙を見た。
「それは、私達のバンドが纏まりが無かったから。サウンドが崩れてるって。」
「そう。確かに講評用紙にはそんな風に書いてあった。でも、俺聞いたんだよ。レッスンの先生から『あれはクラリネットのあの色素が薄い女の子が悪いかな?音色も音程も良いのに、あの子の音だけが浮き出てて、君達のバンドを崩してる。あの子はソロ向きだよ。』ってな。」
色素が薄い……確かに私の事だ。私は祖母がスウェーデン人で、髪が金髪に近い薄茶色だ。
「お前の指導は、俺達の本来の良さが失われてるってのも、言ってた。俺も、部活まで辞めさせるつもりはなかった。でも、これはしょうがない事なんだ。お前がこの部活にいることで、バンドが崩壊する。……音も、心も。」
……私が、バンドを崩してる?じゃあ、私が原因だっていうの?
「これは、部員全員からお前への、お願いだ。どうか、俺達が全国大会に出る為にも身を引いてくれ。……椿。」
あぁ、もう。何でここで名前呼ぶかなぁ。
悔しいなぁ。私、この6年間、部活の事だけしか頭に無かったのに。今気付いちゃうなんて、こんな……裏切りみたいな事されても、晃大が好きなんだって。
せめて、もっと罵るか、後ろの群衆みたいな般若の顔で見送ってくれたら踏ん切りつくのに。
なんで、そんなに苦しそうな、今にも鳴きそうな顔してんのよ。泣きたいのはこっちだっての…………バカ。
「……そう。もう私がなんと言おうと、それは決定事項なのね。」
「……ああ。」
そっちがそんなふうなら、私にも考えがある。
「それなら、さようなら。」
私は横に置いてあった愛用のクラリネットケースを掴み、音楽室のドアへと向かう。
私が進むごとにどんどんドアまでの道が開く。まるで総理大臣にでもなったみたいね。
ドアの前まで来たところで、私は皆に、晃大に向かっていってやった。
「迷惑掛けてごめんなさい。私はそれなりに楽しかったわ。応援してる。さようなら。」
それはそれは、花が、咲きそうな程の明るい笑顔で。