第19話:話って何ッスか?
白髪の男が読んでいる新聞は外国のものではなく見慣れた漢字が連なられた鍛冶場専門の新聞社が出している日本製のものだ。
鍛冶場には外国から進出してきた企業や複合研究機関などが多々あるため、そういった日本人以外の人間にも適用できるような仕組みを一定の生活ラインにおける要所要所に取り入れている。
だが病院側としてもそこまで気を回している暇がなかったのだろう。
用意されていたのは日本製の雑誌や新聞紙のみであり、外国人向けのものは一冊たりとも用意されていなかった。
にもかかわらず白髪の男は、まるでここがホームグラウンドですよとでもいうような違和感のない手慣れた調子で英語とは全く違う言語に目を通していく。
「(そういやさっきも普通に日本語ぺらっぺらだったな。どうみても病人には見えないし……もしかして病院の設備調整とかをしにきた外部企業の人間か?)」
勇矢は缶コーヒーを口に含みながら僅かに首を後ろに回し男を見た。
だが、その見た目からあまりにも着崩し過ぎだろうと、ついさっき頭に浮かんだ予想を丸めてゴミ箱にポイと投げ捨てる。
シンプルに知り合いのお見舞いに来た日本語の勉強でもしている留学生だろうか等と考えていると缶コーヒーの中身もすっかり空になってしまった。
価値のなくなった空き缶をゴミ箱に捨てようと立ち上がろうとしたその時だった。
グイッ、と。
唐突に背後から襟を捕まれて動きを制限されてしまった。
みれば新聞を読んでいたはずの白髪の男が片手で自分の服の襟を掴んで立ち上がることを強引に妨害していたのだ。
いきなりのことに勇矢が疑問の声をあげようとするが、それを見透かしたように言葉が足早にスルリと投下される。
「さてここで問題だ神代勇矢」
教えていないはずの自分の名前を呼び、あまつさえ急に問題を提議してきた白髪の男は、しかし有無をいわさぬ威圧感をもって語りを続ける。
「目の前に世界をぶっ壊す兵器があったとしよう。それが核爆弾か殺人ウィルスかはどうでも良い。お前が一番イメージしやすいものを思い浮かべろ」
「なにを……」
「仮にお前が稼働しつつある殺人兵器の前にいたとしよう。このまま殺人兵器が稼働してしまえば間違いなく新世界の人間の大半は死に至るだろう。だがお前の手には殺人兵器の動きを永久に凍結させる為のボタンが握られている。もちろん周りには他に人はいない。助けもくることはない。この問題において存在しているのはお前と殺人兵器のみだ」
さて、ここで問題だ。と白髪の男はもう片方の手に持っていた新聞紙を横に置く。
それからほんの少しの間を開けてから男は強引にソファに座らせた勇矢の耳元に口を近づけ、そして呟いた。
「お前は自分の大事な人達がいるこの新世界を守るためにどう動く?」
「………なにが言いたいんだアンタ…?」
説明になってないってぇの、と白髪の男は勇矢の襟から手を離す。
「俺が聞きたいのは殺人兵器を止める為に、この世界を守るためにお前自身が何をするのかってことだってぇの」
「その前に俺に状況整理の時間を与えてくれたりはしないわけ?」
「次またウダウダ言いやがったらぶちのめすぞ」
言葉に若干の険悪さを交え始めた白髪の男に同調するように談話室の空気が日常から戦場にも似たギスギスとした嫌な空気へと一変する。
肌に当たる嫌な感じに戸惑いながらも勇矢は話が進まないと白髪の男の問いかけに応じる。
「……そりゃボタン一つで新世界を守れるんなら迷う必要なんてないだろ。ボタンを押して殺人兵器の動きを止める。それでもってハッピーエンドじゃないのか?」
「………それがお前の答えで良いんだな?」
「なんだよ見捨てるっていうバッドエンドの方がお好みなのか?だったらそれは無い。絶対に」
「いやいや俺が確認したいことはそこじゃなくってだな…」
白髪の男は足を組み直してから再度尋ね直した。
「お前は新世界を守るためなら殺人兵器を容赦なく戸惑うこともなく平気で正義と称して善人の行為として壊すってことで良いんだな……ってことだ」
なにを…と言おうとした勇矢の口が止まった。
聞き覚えのある問いかけだとは思わなかったか?
新世界の為だというワード。壊すというワード。そして兵器というワードに既視感はなかったか?
最初意味の分からなかった男の問いかけも、しかしその根本にある真の意味を勇矢は瞬時に悟った。
バッ!と勢いよくその場から立ち上がりソファでリラックスしている男の背中をにらみつける。
「アンタも…組織の人間だったのか……ッ!?」
「ん~……ま、ジャンル分けとしては間違っちゃあいないな」
白髪の男は後頭部に手をあてがいながら首を左右に動かし骨を鳴らす。
いつまでも敵に背中を向けたままの余裕しゃくしゃくな様子にメゾックと同じ、人をいつまでも小馬鹿にする、たちの悪さを思い出させる。
「悪いがお前達組織の人間が何度来たってアリスは渡さない!テメェらの意味の分からない理屈にあいつをもうこれ以上巻き込ませたりしない!!」
「あー、はいはいはい。言いたいことは山ほどあるだろうが取りあえず落ち着けよ『否定武具』。そんなに騒いだらかわいいかわいい眠り姫を起こしちまうぞっと」
白髪の男は予め用意しておいたのかポケットから既に写真フォルダを開いてある携帯を取り出して、その画面を勇矢に見せつける。
そこにはベッドでスヤスヤと心地良さそうに眠っているアリスの姿が鮮明に写し出されていた。
まさか、と勇矢の顔からサーッと血の気がひいていく。
この写真が撮られているということは確実にこの男はアリスと接触している。
それが表す意味は一つ。
「テメェ……アリスをどこにやりやがった!?」
「ひーっ、うるせぇうるせぇ。そんなに騒いでちゃあまともに話も出来ねぇってぇの」
「話……?」
「少し冷静になって考えてみろ。お前が目を離した隙に眠り姫を回収したんなら何で俺がこうやってお前に堂々と会いに来る必要があるんだ?普通ならさっさと知らん顔してとんずらこくもんだろうが」
やれやれ……と白髪の男は首を振る。
「安心しろよ『否定武具』。こいつは警告だ。下手に騒いだら直ぐにでも回収しちまうぞっていうな」
「………何でだ?」
「あん?」
勇矢は白髪の男の前まで歩み寄り、目と目をあわせた会話をもちかける。
「アンタらはアリスを回収しようとしてるんだろ?じゃあなんで写真を撮るときに回収しなかったんだ?どうして敵である俺に話なんかしにきたんだよ?そもそもアンタらがどうして俺のことを知ってるん……」
「はぁーーーぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ……うるっせぇなぁ……」
勇矢の次から次へとわきあがる疑問の言葉を遮るように。
白髪の男はわざとらしく細く長いため息をついた。
「俺が自分の立場を危なくしてまでこうしてやってきたってのに細かいことをうだうだうだうだ……どうやらお前はヒーローには向いてるみたいだが主人公には向いてねぇようだな」
勇矢が眉をひそめるのを無視して白髪の男は語る。
「さっきから言ってんだろ?話をしにきたって。その気になりゃ寝込みを襲うことだって出来たのに、敢えてそうしなかった。馬鹿なくせに変に思惑だなんだと考えんな。見知らぬ女の子を助けたんだろ?ボロボロになりながらも守り抜いたんだろ?そんな心に素直な奴が足りねぇ頭使って細かいことで悩んでんじゃねぇってぇの」
白髪の男は睨みつけるように鋭い眼光を勇矢に向けて放つ。
それにやや身じろいでしまう勇矢だったが負けじと反論する。
「綺麗事ばっか言ってんじゃねぇぞ!テメェら悪党相手に説教をくらう義理はねぇ!話がしたいだ?アリスの悲痛な叫びを聞かずにただ気の済むまま好き勝手に身体をいじくりまわした人間の底辺みたいな奴と誰が話すっていうんだ!?」
「それについては否定しねぇよ。こんな俺でもくそったれの悪党だっていう自覚はしてる。でもな悪党だからってその中にいる誰もがアリスの悲劇を望んでいたわけじゃねぇんだ」
「そんなその場限りの薄っぺらな言葉を信じろっていうのか!?明確な敵からの言葉を望まなかったの一言で良い風に終わらせられるとでも!?」
まだ何かを言おうとしていた勇矢であったが、ここで不自然に力が抜けるのを感じその場に崩れ落ちた。
それもそのはず。今の勇矢はかなりの怪我を負ったただの負傷者。
麻酔や薬で痛みを抑えることは出来てもそれは永久的に持続するものではない。本来であれば声を出すのでさえ一苦労な状態なのだ。
力が抜け床に膝をつけたのも恐らくは薬の効果がきれたからだろう。
ガーゼを貼った左目や包帯をまいた腹部や脚部に至るまで突き刺さるような痛みが全身をくまなく襲ってくる。
痛みに耐えるためか自然と息が荒くなっていく。だが、こんなところで弱音を吐いている暇はないと勇矢は歯を食いしばりながら必死の形相で白髪の男を睨みつける。
「…仮に…アンタの言葉が本当だったとして……ならなんでアリスを助けなかった…?組織とやらに入っているんなら…こんなド素人の俺なんかよりもっとスムーズにたった一人の女の子を守ることくらい出来ただろうが…」
断続的に息を吸ったり吐いたりしながら勇矢は白髪の男に言葉を投げかける。