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作者: 磯野 光輝

 突然ですけどね、私……見えるんですよ。……いえいえ、私はいたって正常ですよ、たぶんね。少なくとも自我やらそれに準ずるものは保っていると信じていますよ。

 まあ、それは一回置いときましょう。話を戻しますね。

 ……さて、さっき見えるって言いましたよね、私。確かに他の人が見えないものを見ることができるのですが、それが何なのか確証を得られてないんですよ。うーん、ただそれに名前がないと説明するのが難しいですよね……、ここでは仮に、それのことを「妻」と呼びましょうか。



 私は先日、妻――ああ、こっちは普通の妻です――を失いました。突然の交通事故でした。即死でした。もちろん、別れを言う暇さえありませんでした。

 しかし、人間とは不思議なものですね。その当初はそれほどショックを感じていませんでした。ただ何となく流れの中で葬式をやって、火葬場へ行って、ただ漠然ともう会えないんだなぁと思って……。その間何度か泣いたかもしれませんが、ともに死にたかった等の感情は微塵も浮かばず……。少しばかり薄情すぎるかもしれませんね。



 ただ、それから2週間が過ぎたころでしょうか。私は気が付いたら駅のホームから落ちていました。これは言葉の綾でも何でもないんですよ。本当にその通りなので困ってしまいます。朝、通勤のために駅に行き、電車を待つ列の先頭に立ち、ああ、電車が来たなぁと思って、それから……気が付いたら目と鼻の先に電車がありました。

 それ以外のことは覚えていないんですよ、立ちくらみを起こしたのか、うっかり居眠りをしたのか、はたまた自殺でもしようとしたのか……、その判断さえ私にはつきません。でもそれは他人にとっても同じなんですよね、自殺未遂を疑われた私は精神科の元へ連れていかれました。自殺する気などさらさらなかった私にとって、相談することなどあるはずもなく、かといって他者の心配を無碍にすることもできず。

 またその精神科の先生も、親身になって話を聞いてくれるので、あまり適当なことを言うこともできず……。最終的には、「妻が死んだストレスから疲れをため込み、その結果立ちくらみを起こした」という双方にとっての妥協点を見つけ出し、それに収まりました。

 ただ、今思うとその頃から「妻」の影を見ていたのかもしれませんね……。



 ……話を続けますね。妻が死んでから……ちょうど四十九日のころでしょうか。私の中である決定的な変化が現れました。……いえ、中という表現が妥当かどうかは分かりませんね。ただ、家の、町の、生活のいたるところに妻の面影を見るようになっていたのです。まあそんな深刻なものでもないんですけどね。明太子を見ると、ああ妻が好きだったなぁとか、近所の公園を通りかかると、ああ妻とよく来たなぁとか、そんなもんでした。

 ただそれが妙に懐かしく感じて……。きっとなれない家事で疲れもたまっていたんでしょうね。事あるごとに妻がいたらなぁと思うようになっていました。そしたら、夢の中に出てきたんですよ、妻が……いえ、あれはおそらく「妻」でした。

 平たく言えば、ただ「妻」が枕元に現れて、少しばかり話をしただけなのですが、それだけのことで私はなんだか安心感を覚えました。「妻」曰く、これからもずっと一緒にいる……とのこと。はたから見ればただのホラーですよね。けれども、私にとってはそれが救いのように思われました。



 それからです。私の生活の中に「妻」がはっきりと表れるようになったのは。朝、起床するとともにおはようという声を聴いたりだとか、出かけるときにはいってらっしゃいを言われたりだとか。初めこそ頭がおかしくなったのかと戸惑ったりしましたが……、しかし、「妻」との平穏な生活の前では、次第にそんなことは気にも留めなくなっていきました。

 時が経つにつれて、「妻」の存在はよりはっきりと、鮮明に、そして何処にでもあらわれるようになりました。私は以前のように……いやそれ以上に活気に満ち溢れていました。そんな時、「妻」がポロリと言ったんですよ。こっちの世界は辛いと。



 その言葉以来、「妻」の存在はだんだんと希薄になっていきました。きっと峠を越してしまったんですね。このままではまた「妻」がいなくなってしまうと私は焦燥感に追われ始めていました。

 また、「妻」が現れる場所にも変化が起こりました。前までは自宅だったり、公園だったり、生前ゆかりのある場所が多かったんですけど、それが駅のホームであったり、会社の屋上であったり、橋の上だったり、まるで中途半端な……、そうなんでそこに現れたのか問い詰めたくなるような中途半端な場所に現れるようになったのです。ええ、けどその理由の次第に分かるようになっていきました。



 そして、つい最近のことです。いつぞやのように電車を待つ列の先頭に立っていた時、「妻」が現れました。それもはっきりと、今までにないくらいはっきりと表れました。そして、「妻」が言ったんです。


「一緒に飛ぼう」


と。

 私は戸惑いました。第一に、あまりに突然だったことから。第二に、「妻」がそういう私を犠牲にするようなことを言ったというのが信じられなかったからです。

 何か答えようと口を開いた瞬間、私の前を電車が通過しました。その速度にはいつもより勢いがあったようにも思えました。そしてふと気が付いたら……、駅のホームにはすでに「妻」の姿はありませんでした。しかしそんな中、声だけははっきりと聞こえました。


「また、明日ね」



 生前の妻は誰もが羨むような美人でした。そして、そんな自分の外見に驕ることもせず誰にでも優しく接する人でした。だから、「妻」の言動には違和感を覚えました。妻ならばどんな状況でもそんなことを言うはずがないという確信もあります。

 だけど、私は妻を愛しているんです。妻が死んで、それがよりはっきりとしました。だから私は……、私は……。



 「妻」が一体何なのか、私には分かりません。幽霊なのか、幻覚なのか、はたまた死神かもしれませんね。一つ確かなのは、あれは妻ではありません。しかし、私は「妻」に逆らうことができそうにありません。



 だって私は、妻のことを愛していますから。


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