彼らを待つのは
「いいだすな? 皆は、等間隔だす。わしらの前後と左右で、等間隔を保って、美しく行進するだす」
ルゼーの邸宅の門前で、エルーシルは、総勢百名ほどに膨れ上がった騎士たちに指示を飛ばしていた。
並みいる先輩将軍たちを差し置いて――
であるが、将軍たちからも、指示される側からも、どちらからも非難の声はあがらない。
「列も乱してはいかんだすよ。駆け足も駄目だす。堂々だす。ゆっくり堂々と行くだす。わかってるだすな? 城下の皆さんが、それは楽しみに待ってるだすからな。ぴゃーっと通り過ぎてはいかんだすよ? ルゼー将軍!! わしの話をちゃんと聞いてくれてるだすか? 他人事みたいな顔をしてるだすが、他人事じゃないだすよ?!」
「……」
「急いではいかんだすよ? 民の期待に応えるのも、わしら将軍の仕事だす。これもきゅーりょーの内だす。兄じゃ、隣でしっかりルゼー将軍を見張るだすよ」
「任せとけぇ」
「……」
それらを、騎士たちは面を伏せながら殊勝に聞き入っていた。しかしそのほとんどは、肩や手元を小刻みに震わせている。
一方、そんな礼も遠慮も要らない守護将軍たちは、同僚たちを面白そうに眺めていた。
「えらく張り切ってるな」
「張り切りすぎだ」
「あいつらにかかると、さすがのルゼーも形無しだな……しかし、そんないうほど人がくるか?」
ゾーイは眉をひそめた。
今は誰もが朝の仕度をする、一日でも一番忙しい時間帯だ。
王都の民が自分たちの帰還日を知るはずもなく、人が集ってくるとはどうにも考えにくい。
しかし、その予想は大きく裏切られた。
◇ ◇ ◇ ◇
王城への一本道は、すでに人と熱気で埋め尽くされていた。
「……」
「……」
歓呼の嵐に迎えられたハシュバルとゾーイは、一瞬声を失った。
自分たちの通り道は十分に確保されている。しかし沿道は、恐ろしいほどに人が密集し、たいへんなことになっていた。道になだれこんでこないよう、兵で人垣を作っている。
ただの帰参のはずが、凱旋の将を迎えるような熱気と興奮だ。
「……すごいな」
「いやはやびっくりだな」
驚くゾーイとハシュバルに、
「左様でしょうか?」
ヤーヴェが応えた。
「城下の者たちは、毎日のようにあらわれる、豪族諸侯の方々を見ております。普段お姿を見ない遠方の方々の帰参から、当然、守護将軍の皆様のお戻りも考えるでしょう。彼らは皆様のお戻りを、今か今かと首を長くして待っていたんですよ」
「だとしても、これだけの人間がこの時間に集るか? まさか……」
訝しむ視線に、ヤーヴェは笑みを返した。
「はい。城下の者たちには事前に知らせておりました。守護将軍皆様揃ってのご入城は過去になく、この先あるかどうかもしれません。見逃せば、夜も眠れぬ思いをするでしょう。そんな思いは、無辜の民にはさせられませんので……」
「ずいぶんと民思いだな」
「まあそういうな、ゾーイ。これだけの人が集って、俺たちを喜んで出迎えてくれるんだ。少々面映いが、応えないわけにはいくまい」
「……ああ」
ハシュバルの声に、ゾーイは頷いた。
◇ ◇ ◇ ◇
「それにしてもすごいな」
いいながら、ゾーイが歓呼の声に応えるように馬上から手を上げる。と、沿道の歓声がさらに大きくなった。
「それは当然ではないでしょうか?」
歓声の中、ヤーヴェが再び口を開く。
「守護将軍お一方だけでも、十分な騒ぎになるでしょう。その守護将軍の皆様が、こうして一堂にいらっしゃるのですから、大騒ぎになるのは当然です」
「そうかもしれんが、ここまで騒がれるのは、やっぱりあいつらのせいだろうな」
と、ハシュバルが、前で馬を歩かせる二将――ルゼーとウルーバルに目を向ければ、
「あいつもいるしな」
ゾーイも笑いながら後方のエルーシルに目を向ける。
見れば、エルーシルは笑顔と手を、右に左に振りまくっていた。
「アール将軍、しっかり手を振らんといかんだすよ?」
「お前ちゃんと見てんのか? さっきからずっと振ってるだろ!」
「もっとだす」
「千切れるわ!!」
「ははは」
「ははは」
笑いながら、ハシュバルとゾーイも手を上げ、沿道の歓喜に応えた。
◇ ◇ ◇ ◇
「ヤーヴェ」
収まる気配のない歓声の中、ゾーイがヤーヴェを呼んだ。
「はい」と馬を寄せてきた総大将の側近に、ゾーイは笑みを向けた。
「これは、大将閣下か? 御使い様か? どちらのお考えだ」
問われたヤーヴェは、速やかに答えた。
「御使い様――玲様のお考えです」
「ほお」
声を出したのはハシュバルだ。
「美しいだけのお方ではないと聞いていたが……」
「相当だな」
「はい。お会いになられれば、よくおわかりいただけるかと」
「そうか」
三人が話していると、
「なんだよお前ら、こんなとこで固まって、密談か」
アルラバートが馬を寄せてきた。
「ちょっと聞いてたんだ。丁度いい。お前にも聞きたかったんだ」
「なんだ?」
応じるアルラバートに、ゾーイは訊ねた。
「アリアロスは元気だったか?」
「……」
アルラバートの上機嫌ではないが、不機嫌でもない面が固まった。
「お前が急いだのは、そのためだろう? まさかお前……アリアロスにも会わせてもらえてないのか?」
「さすがにそれはないだろう。はっきりわからない状態で、文句も言わず、あっちこっちに手を振れるわけがない。なあ? アルラバート」
「わかってるなら聞くなよ」
アルラバートは顔をしかめる。
「それで、アリアロスは元気だったのか?」
ハシュバルにも問われたアルラバートは、観念したように答えた。
「ああ。元気溌剌ってわけじゃなかったが、死にそうな感じでもなかった」
聞くなり、ハシュバルとゾーイが笑い出した。
「ははっ、そうか。アリアロスも変わらずか。良かったな」
「いつもの如く、諦めたか」
「ああ。もう頑張るしか道が無いから、頑張るとさ」
「はは」
「そうか。頼りない兄貴分が一応前向きな発言をしてれば、心配性の弟分としては、まあひと安心か。しかし、御使い様も、お前とアリアロスが幼馴染なのはご存知だろうにな。どうしてお目通りしてくださらないのか……ああ、幼馴染だからか?」
「ふふ、そうかもな。ずいぶん諧謔がお好きなようだからな、スライディールの御使い様は――」
ハシュバルが、今まさにその標的にされているだろう人物に目を向ける――と、相手とばっちり目が合った。
「なんだすか?」
エルーシルが素早く馬を寄せてくる。
目ざとい新将軍は、行動も早かった。
「いや――」
特に用はなかったんだが――と言いかけたハシュバルだったが、エルーシルの笑顔と、それを追いかけてくる歓声を聞いて思い出した。
「そういえば、まだ言ってなかったな。エルーシル、少し早いが、将軍就任おめでとう」
「おめでとうエルーシル」
ハシュバルに続き、ゾーイも祝いの言葉を述べる。
「お前なら十分勤まる。これからもよろしくな」
「そういってもらえると嬉しいだす。皆さんと一緒に、わし、精一杯頑張るだす」
先輩将軍たちの歓迎の声に、エルーシルは答えた。
「しかし、まだ発令前だというのに、ここにいる連中まで皆知ってるというのは、いったいどうしたことだ?」
ゾーイが不思議がる。
なにしろ、「お帰りなさい」という声のほとんどが、「エルーシル将軍、おめでとう」と続くのだ。
怪訝の声に、ヤーヴェが応えた。
「軍の大編成が行われることは広く知られておりますし、貴賎に関わらず、誰もが興味を持っております。中でもエルーシル副将軍の将軍就任の件は、多くの民が待ち望んでいたこともあって、思いのほか早く広まってしまいました。発令前に漏れてしまうなど、あってはならないことですが、人の口に戸は立てられませんし、北のご兄弟の人気を考えれば、それも致し方ないことかと……」
ヤーヴェの説明に、「そうだな」と笑ったハシュバルは、人気の新将軍に笑顔を向けた。
「エルーシル、さっきヤーヴェから聞いたんだが、再選される伴侶の件、お誘いがあったのに蹴ったらしいな」
「おお、そうだ。お前、なんで断ったんだ? 返事は好きにしろっていわれたんだろ?」
ゾーイも訊ねる。
すると、エルーシルの面から笑みが消えた。
「……伴侶はすでに決まってるだす」
表情は固く、声には陽気のカケラもない。
「たとえ決まってなくても、わしは遠慮するだすよ」
決然と答える。
毅然とした態度はすでに将軍の威厳に満ちており、さらには自覚まで垣間見えるエルーシルの返答に、ハシュバルとゾーイは目を細めた。
が、感心するには早すぎた。
「――金は惜しくないだすが、命は惜しいだす」
「は?」
「なんだそれ?」
「お前、御使い様とは仲が良いんじゃないのか?」
「良いだすよ。だすからわしは、皆様の恐ろしさを、よおく知ってるんだす」
「恐ろしい?」
「……ようわからんな」
ゾーイとハシュバルが小首を傾げている間に、エルーシルは視線を遠くに投げた。
「御使い様に会って、わしは人を疑うことを覚えただす。わしも大人になっただす」
ほろ苦くいうエルーシルに、アルラバートが呆れ顔を向けた。
「大人になったって、お前、はじめて会ったときにはもう成人してたんだから、とっくの昔に三十も過ぎてるだろうが」
「違うだす! わし、この間三十になったばっかりだすよ?! なりたてのほやほやだす」
エルーシルは抗議する。
「そうか……エルーシルも、もう三十か……」
「月日が経つのは早いな。しかしエルーシル、お前、その年になるまで人を疑ったことがないのか?」
「まあ、こいつら北の兄弟を騙そうなんて考える奴は少ないだろうし、なにせ周りがしっかりしてるからな。こいつら自身、勘も働くし、その必要もなかったんだろ」
「そうだす。しかしそれも過去の話だす。わしの中で芽生えた猜疑の芽は、もう、摘んでも摘んでも無くならんだす」
「どうした」
「何があった?」
ハシュバルとゾーイは訊ねる相手を代えた。
「こいつ……御使い様とは本当に仲が良いんだ」
アルラバートが同僚たちの視線に応え、口を開く。
「――いいんだが……ちょっとな」
「なんだ」
言葉を濁すアルラバートに、ゾーイが苛立ちを見せる。と、憮然とした様子でエルーシルが言った。
「ホラを吹くんだすよ、玲様は」
「は?!」
「ホラ?」
予想だにしない返答に、二将の声も跳ね上がる。
「そうだす。恐ろしいだすよ? 息をするようにホラを吹くんだす。でっかく小っさく、それはもう、ありとあらゆるところにホラをちりばめてくるんだす」
「……」
「……」
「そればっかりじゃないんだすよ。わしの好奇心と純真をつついて、近頃じゃ、玲於奈様まで一緒になって、わしの懐を狙ってくるんだすよ?」
「懐?」
「まさか……命を狙われてるわけじゃないよな?」
「金だす」
「え?!」
「金?!」
予想の外も外――斜め上の言葉に、ハシュバルとゾーイの声は裏返った。
「そうだす。何かしら、わしに買わせようとするだす」
「あー……御使い様は、困窮されているのか?」
「まさか、そんなことあるわけないだろ」
「だよな」
「ハシュバル将軍も、ゾーイ将軍も、気をつけて欲しいだす。玲様の話は、ほとんどホラだと思った方がいいだすよ? 信じると馬鹿を見るだす」
断言するエルーシルの影で、アルラバートが「いや、あんな話信じるの、お前だけだろ」と小声で突っ込みをいれる。
え?――と振り向く二将の横顔に、エルーシルは続けた。
「『そんなあなたにこれ』が出たら危険だす。そこから先は絶対聞いてはいかんだすよ? しかし一番注意して欲しいのは玲於奈様だす。好きな言葉が『生かさず殺さず』、愛読書が『世界の拷問史』だすよ? 恐ろしいだす!! 乙女の言葉ではないだす。聞いたときは、色んなところが縮み上がっただすよ。この玲於奈様が微笑んでいるときは要注意だす。微笑みに浮かれてはいかんだすよ? 何かモノをくれると言っても、絶対受け取ってはいかんだす。落とした食べ物か、ごみか、呪いの書だす。まったくロクなものをくれんだす!!」
「……」
「……」
その、あまりの勢いと内容に、ハシュバルとゾーイは声も出せない。
「お二人ばかりじゃないだすよ? 瑠衣様も油断ならんだす。愛らしい笑顔にうんうん頷いてると、知らん間に労働させられてるだす。びっくりだす。良子様は、普通に怖いだす。何をやっても叱られるだす」
先より多少勢いは緩まったものの、内容は、どれも、ハシュバルとゾーイを驚かせるのに十分だった。
御使い様の実体は、いずれも想像を大きく裏切るものだった。
御使い様たちとエルーシルの関係もまた、想像の範囲の外だ。
これにはさすがの二将軍も、混乱を免れなかった。
「……なんだか、思ってたのと違うな」
「ずいぶん個性の強い方たちのようだな」
「伴侶はそのこと知ってるのか?」
「もちろん、皆様はご存知ですよ」
「安心しろ。やられてるのはこいつだけだ。その点だけでいえば、本当にこいつだけが特別だ。完全に遊ばれてる」
周りで男たちが声を交わしている間に、エルーシルは言った。
「伴侶になんてなったら、寿命が縮むだす。わしだって長生きしたいだす」
◇ ◇ ◇ ◇
「それなのに、お側に行くのか? 長生きしたいというのなら、距離を置いたほうがいいんじゃないか?」
「え? だって、わしは玲様の一番の友人だすよ?」
ハシュバルの声に、エルーシルの小難しかった面が、瞬時に元に戻った。
「その扱いで?」
「わしは特別だから、仕方ないんだす。玲様の悪戯心をぶつけられて、立っていられるのは、わしぐらいのもんだすよ?」
「おもいっきりぶつけられてるのは、お前だけだもんな」
と、アルラバートが今日はじめての笑みを見せる。
「そうだす。結衣様とみちる様にも、凄いといわれただす。玲様のホラもそうだすが、あの玲於奈様に無視されないばかりか、いじられる男性など聞いたことがないと、お二人に尊敬の眼差しで見られてしまっただすよ。ああ、結衣様とみちる様というのはだすな――」
「王城から移られた御使い様だろう? それは俺たちも知っている」
「そうだすか。あのお二人は本当に可愛いだすよ。ちっこくて、小動物を見るようだす。いつも癒されるだす。玲様たちのところで感じるような、どきどきわくわくはないだすが、気持ちがふんわりするだす」
と、ふんわり笑うエルーシルに、ゾーイが顔を向けた。
「エルーシル、お前がスライディールの御使い様と仲が良いのはわかった。伴侶の誘いを断ったのもわかる。しかしな、お前……断るとき、そのまんま言ったんじゃないだろうな?」
「え? 言っただすよ?」
エルーシルはきょとんとする。
「いかんかっただすか? でも、長生きしたいと言って断ったのは、ルゼー将軍だすよ? わしは命が惜しいと言っただけだす」
「どっちもどっちだ」
アルラバートが突っ込み、ヤーヴェが笑う。
しかし、到着したばかりの二人は、たいへんな衝撃を受けていた。
「ルゼーが?」
「嘘だろ」
「わしは嘘はつかんだすよ!」
エルーシルの抗議の声に、前を行く二将が振り返った。
「エルは嘘はいわねえ」
「……言ったが悪いか?」
右左の将の、笑みと睨みに、「ほら、わしの言ったとおりだす」とエルーシルが顔破する。
「いや、でも、いいのか? ルゼー」
「何が悪い」
「御使い様のお耳に入れば――」
「はっ」
ルゼーは叩きつけるように息を吐く。
その横で、ウルーバルが笑顔で答えた。
「大丈夫だあ。そげなちっさなことで怒るような方たちじゃねえ」
「兄じゃの言うとおりだす。報告したら、玲様もキリザ将軍もサルファ副宰相も、みいんな笑ってただすよ」
「……」
「……」
ハシュバルとゾーイが反応できずに驚いていると、ルゼーが舌打ちしそうな顔で後ろを振り返った。
「そんなことより、前を向け。いったいいつまで話してる気だ」
「ルーの言うとおりだあ。みんな、しっかり手え振るべえ。大門も、すぐそこだあ」
二人の声に、「ややっ、そうだすな」と真っ先にエルーシルが反応し、それに引きずられるように他の男たちも動く。
ルゼーが眉間に深い皺を寄せたまま、肩越しに、同僚たちが元の位置に戻ったのを確認する。
と、唇を動かした。
「行くぞ、仕上げだ」
◇ ◇ ◇ ◇
一塊になっていた将軍たちは、並びに戻り、再び手を上げ、沿道の歓声に応えた。
エルーシルとアルラバートは、先と同じように手を振っている。
ハシュバルとゾーイも、散々聞かされ驚かされ、気持ち的には消化しきれていない部分もあったが、
続きは入城してからだな――
そこは押さえて、同僚たちと同じように手を上げていた。
今日の入城は、レナーテ軍の諸将はいまなおひとつに纏まっている――それを見せ付けるためのものだと、ハシュバルとゾーイは理解していた。
現在レナーテで、将という地位を得ている男たちは、いずれも、キリザの子飼いといわれている。それは真実で、実際それを誇りとする者たちばかりだが、このたびの軍の編成人事は、それを揺るがすかもしれない――と懸念を覚えるほどのものだった。
任地先でそれを受け取ったハシュバルとゾーイも、異論はないが、発令されればひどく騒がれ、軍内にも動揺が走るだろうと感じた。それほどに、大きく動く。
まずは、世間を必要以上に動揺させない――そのための、これは見世物だ。
自分たち――在京の将軍と国境を任された守護将軍の関係は、以前と変わらず、そしてこれからも変わらない。
自然な交歓は、多くの人の目に焼きついたことだろう。
それは、意図せず十二分に見せられた。次は、レナーテ軍の将としての威厳と誇りだ。
懐かしい面々に、ついぞなく気持ちを緩めていたハシュバルとゾーイは、面と気持ちを引き締め、悠々と馬を歩かせていた――のだが、目的地の手前でそれは崩れた。
なんとなれば、王城の大門に近付くほどに、人だかりと歓声が増していく――
それはわからないでもない。
数もそうだが、守護将軍を含めた六人もの将軍たちを一度期に、しかも一塊の状態で見られる機会など、過去にもないが、先にももうないだろう。それも終わりに近い――となれば、そうなるのもわかる。が、それにしても度が過ぎている。
異様とも感じられる熱気と興奮に、ハシュバルとゾーイが警戒しはじめたとき、その理由がわかった。
大門は、開いていた。
開いていたが、人馬で塞がれている。
塞いでいるのは、いずれも見事な馬だ。そしてそれに騎乗しているのは、それぞれに見事な体躯の持ち主ばかりだ。
一人は、端正だがあざがある。硬質な面。視線も鋭い。が、その口元はどこか柔らかい。
いま一人は、逞しい体躯のまさに武人だが、風貌は優しく、その面は穏やかに微笑んでいる。
そして、その間――中央にいるのは、燃えるような赤毛の偉丈夫だ。
その姿を目にした途端、
「はは」
ゾーイは笑ってしまった。
当然、向こうにもこちらの姿が見えている。
大門前のど真ん中で馬を立てている偉丈夫が、だらしなく傾けていた上体を起こした。
片腕を上げながら、「おう」と、いかにもらしい言葉を放つ。
「ただいまだすー」
エルーシルが大きく手を振り返し、ゾーイ、ハシュバル諸将らが、馬上から礼の姿勢をとる――
瞬間、
歓声が、波のようにうねり動き、頂点に達した。
◇ ◇ ◇ ◇
「仕上げというのはこれだったのか」
「まったく……最後の最後で大将閣下に持っていかれたな」
ハシュバルとゾーイが笑い合う前で、キリザは歓声に応えていた。
第一王子ソルジェと平民出身の将軍レイヒを左右に置き、右に左に手を上げている。
その間に、ルゼーとウルーバルがキリザたちの並びに納まり、ハシュバル、ゾーイ、アルラバートの三人が、キリザの前で馬を止めた。
キリザも手を止め、前を向く。
と、辺りの歓声が、波が引くようにすうっと引いた。
しかし、静寂にはほど遠い。
大衆がざわつく中、声が発せられた。
「アルラバート、ただいま帰参いたしました」
「同じくハシュバル」
「ゾーイ、ただいま任地より戻りました」
馬上で低頭する三人に、
「おう、ご苦労さん」
キリザが声をかける。と、再び周囲が歓声に沸いた。
キリザはそれを聞きながら、目の前の三人に目を止めていた。が、それも束の間。キリザは顔を上げると、歓声に応えるようにひときわ高く腕を振り上げた――と思うと、
「よし、行くぞ」
くるりと馬首を返し、大門をくぐった。
左右にいたソルジェとレイヒも速やかに馬を返し、キリザに続く。
その後にルゼーとウルーバル。
次にハシュバル、ゾーイ、アルラバートの三将軍が続き、最後尾にいたエルーシルが、
「みんなー! ありがとさんだすー! ありがとさんだすー! わしも、がんばるだすー!」
後ろを振り向き、振り向きしながら、囲いの中へ消えていった。
レナーテ軍の全将軍を内に収めた大門は、外に喧騒を残したまま、ゆっくりと閉じられた。
◇ ◇ ◇ ◇
「まあ予想はしてたが、えらい騒ぎだな」
耳がやられるぜ――笑いながら器用に顔をしかめたキリザは、後ろを振り返った。
「皆、ご苦労さん。お前らも、ご苦労さん」
馬を歩かせたまま、ハシュバルとゾーイに笑顔を向ける。
「疲れたか?」
「いえ」
「だよな」
「閣下、門、閉めてますけど、いいんですか? あれ」
ゾーイが振り返る。
「お前らで最後だから、もういいんだよ。それよりお前ら、びっくりしたろ? こいつらが来て」
と、キリザは楽しそうに訊く。
総大将と、国境を任されている守護将軍たちの間には、短いものでも半年、長いものは一年という空白の期間があるのだが、それを埋めるための『久しぶりだな』という一言さえ、キリザは言わない。
変わらない総大将に、ゾーイとハシュバルは笑った。
「ええ」
「もったいないお迎えで」
「楽しんだか?」
「ええ」
「まあ」
「だろう。あれだけ喜んでもらったら、こっちも気分良いよな? 守護将軍と呼ばれるだけあって、お前らの人気もたいしたもんだ……でも、やっぱり一番は、俺だったな」
キリザは笑う。
まったくその通りだったので、ゾーイとハシュバルも、「はい」「そうですね」と笑いながら頷いた。
「これからもたまにやってみるか、いや、やっぱ面倒くせえな――」
顎をしごきながらひとりぶつぶついっていたキリザだったが、
「よし! 気分も良いことだし、このままスライディールに行くか」
腹から声を張り上げた。
「はい?」
「はい? じゃねえよ」
「すみません。陛下への帰参報告が先だと思っておりましたので」
「あっちは後でいいんだよ。後でお前らまとめて行け。それよりこっちだ。ま、行ったところで、入れるかどうかは知らねえけどな」
人の悪い笑みを、到着したばかりの二人に向ける。
「……」
「……」
それを無言で見つめ返すハシュバルとゾーイに、
「お前ら、アルの話は聞いたろ」
悪い笑顔のまま、キリザは確認する。
それだけで、ハシュバルとゾーイはわかってしまった。
「ええ、聞きましたが……まさか……」
「俺たちも、なんですか?」
「そうだ。頑張れよ――っつっても、お前らは頑張りようがねえな。とりあえず、祈っとけ。あいつに頑張ってもらうしかねえからな」
総大将の笑顔の先で、エルーシルが握りこぶしを作っていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「責任重大だな、エル。今日は、アルとハシュバルとゾーイの三人分だぞ? どうすんだ? お前」
「わしにぷれっしゃーをかけようとしてるだすな。しかしわしはそんなものには負けんだすよ。今日はやるだす」
「そういって毎回外してるよなあ」
と、たいそうご機嫌な総大将の面を、ハシュバルとゾーイは無言で見つめた。
騒いだところでどうにもならない――
数多の経験から学んでいる二人は、早々に諦めた。
抵抗したところで、気力と体力を失うばかりだ。何の益もない。
とりあえず力を温存することに決め、早々の諦観から、さらに無我の境地へと速やかに向かおうとする二将に、静かに馬を寄せるものがいた。
「すまんな。ハシュバル、ゾーイ」
その声に、二人は背筋を伸ばした。
「殿下」
「このたびは――」
いいかけるハシュバルの声を、ソルジェが片手を上げて制した。
「堅苦しい挨拶はいい。それより、すまんな。遠路を戻ってきたばかりだというのに、休む暇もなく――」
「殿下、失礼ですが、それこそ無用にございます」
「左様。我らが命に従うは当然のことですし、まだ、長旅が堪える年でもありません」
「そうか……そうだったな」
ソルジェは微笑む。
「しかし、まだしばらくはゆっくりできない。その……玲のことは聞いていると思うが……」
微笑から、憂うようなそれを経て、最後にどこか痛いような痒いような複雑な表情をする第一王子に、ゾーイが笑顔を向けた。
「はい。諧謔がお好きでいらっしゃるんですね」
「そうなのだ。だが、悪い娘ではないのだ。卿らのことを軽んじているわけでは、決してない。ないのだが……」
「スライディールの四人の皆様は、楽しいことが大好きなんです」
同じく馬を寄せていた、レイヒが口を開いた。
「陽気で周りを染められます。しかしそれは誰でも、というわけではありません。スライディールの皆様は、お心を許したものしか相手にされませんし、それ以外には諧謔などお見せになりません。ハシュバル将軍とゾーイ将軍には初めてのことで驚かれるでしょうが、それは、信頼を置かれている証――皆様への信ゆえと、お考えください」
「レイヒ……」
ゾーイが鋭い目でレイヒを睨みつけた。
「はい」
厳しい声に、レイヒも表情を引き締める。
「教えてくれるのはありがたいがな。お前……これからは俺らの上席に就くんだから、その言葉遣いは止めろ」
それを聞いて、レイヒは微笑んだ。
「ですが両将軍は、すべてにおいて大先輩でいらっしゃいますし、発令も、まだ先ですので……」
「先っていっても、もう数日だろ」
「そうだぞ、レイヒ」
ハシュバルもいう。
「いつまでもそれでは、お前が侮られることにもなるし、それが続けば軍の上下もおかしくなってくる。難しいだろうが、改めたほうがいい」
ハシュバルにも言われたレイヒは、「はい、努力します」と素直に頷いた。
「ゾーイ、俺たちもだぞ。レイヒは大将閣下の代理人になる副将軍も兼務だ。もう、お前呼ばわりはできないぞ」
「ああ、わかってる。でも、今みたく俺らだけのときはいいだろ? なあ? レイヒ」
「もちろんです」
「甘いぞ、レイヒ。そんなことをいってると、嵩に着てあれこれ無理をいってくるぞ」
「いうか。俺が上のときでも、すんなりいうこと聞かなかったのに……」
「そうだったな。ふふ」
と笑ったハシュバルは、こちらに耳を傾けながら、穏やかに微笑んでいる第一王子に笑みを向けた。
「しかし、殿下はいいお顔になられましたな」
「……そうだろうか?」
「そう言われませんか?」
「まあ、殿下に面と向かってモノをいえる人間は少ないですからね」
ゾーイもソルジェに笑顔を向ける。
「男前が、さらに男前になってますよ。これも、玲様の影響ですか?」
「変わったというのなら、そうだ」
「そうですか」
なんの衒いも躊躇いもない答えに、ゾーイとハシュバル、レイヒが微笑む。
「玲様には是非ともお会いして、お礼をいいたいですな。お会いできれば……の話ですが」
「……ちょっと、難しそうだな」
ハシュバルとゾーイが視線を投げ、
ソルジェとレイヒも目を移す。
そこでは、
「大丈夫だす。今日が駄目でも、明日があるだすよ」
「それ、もう諦めてるだろ?! お前!!」
責任を負わされた新将軍エルーシルと、いまひとりの守護将軍アルラバートが、人目もはばからずやっていた。
「アール将軍? 諦めも、ときには肝心だすよ? 死ぬこと以外は……かすり傷――」
「いきなりなんだっ?!」
「合言葉の復習だすよ。まずは、大広間までたどり着かねば話にならんだすからな。今、三十くらいあるんだすよ。覚えるだけでもたいへんだす。これまではアール将軍一人分だけだっただすから、『ポン』とか『パン』とか簡単な合言葉で済んでただすが、今日は三人分だすからな。難しいのがくるに違いないだす」
「おい……広間にもたどり着けない可能性があるのか?」
「そうだすよ。危機感を持って欲しいだす。さあ、アール将軍、これを見て、わしに出題して欲しいだす。覚えろといわれてる合言葉が、そこに全部書いてあるだす」
「なんで俺が――」
「わしらは一蓮托生になっただすよ? 助け合わんでどうするだす。こうしている間にも時間は過ぎていくだすよ。時間がもったいないだす。さ、アール将軍、適当に選んで、読み上げてほしいだす。……上の句だけだすよ? ……全部読んではいかんだすよ?」
「わかってるわ!! ちっ。いくぞ。壁に耳あり……」
「ジョージにメアリー。うん、これは完璧だすな。よし、次、お願いするだす」
「山……」
「川……豊は鳥羽……鳥羽……うーん、なんだっただすかね?」
「おまっ、嘘だろ? ふざけてんのか? これ、まだ二つ目だぞ?!」
「それは多分一番難しいやつだす。自分たちでも難しい――と、瑠衣様がいってただすからな。今日はそれじゃないことを願うばかりだす」
「お前……」
アルラバートが声を捻るそこへ、「す……すみません」笑い上戸で強心臓の側近が、声を差し入れた。
「閣下……今日は……その……合言葉は無しで、お通しするよう言われておりますので……」
「お前っ、それ早くいえよ!!」
「すみません」
「ほんとだすか? ヤーヴェさん」
「はい」
「やっただすー!!」
転がり込んできた幸運を、エルーシルはまさに手放しで喜ぶ。
その横で、アルラバートがこれ以上ないほどに面を歪めた。
「くそっ! こんな奴に託すのか」
「ははは」
抜けるような青空に、エルーシルの歓声と、アルラバートの悪態と、キリザの気持ちの良い笑声が広がった。
それらを聞きながら、将軍たちは馬を歩かせる。
それぞれの面にそれぞれの表情でスライディール城に向かうレナーテ軍――全将軍の姿を、多くの目が捉えていた。




