ファーストプライオリティ
「はは、いやあ、あいつらも気の毒だな」
キリザは笑いながら、遠ざかる大臣たちの後ろ姿を見送った。
「……ほんとにそう思ってるんですか?」
「思ってるぜ。で、どうだった?」
見送りはしたが最後までは見届けず、キリザは踵を返す。その後を追いながら、
「どうもこうも、ご存知でしょうに――」
リグリエータは主の背中に声を返した。
「大臣の皆さんに、見事なまでに負い目を負わしていらっしゃいましたよ」
「ふふ」
「そうか」
歯に衣着せない答えに、前を歩く二人が笑う。
その間に、リグリエータは四人の伴侶を振り返り、視線を戻した。
「皆様、ご存知だったんですね」
「そりゃ、こいつらは伴侶だし、俺らは玲ちゃんと大の仲良しだからな。当然だろ?」
「そうですか」
「なんだよ、お前。自分だけ仲間外れで拗ねてんのか?」
「そんなんじゃありませんよ」
「じゃあなんだよ? そのツラは」
キリザは笑顔で訊いてくる。
リグリエータは、ため息を付いてから答えた。
「プラーク卿のことは想定内でしたがね。大臣の皆さんを、あそこまで徹底して痛めつけるとは、俺も思ってませんでしたから」
「ふふ、そうか」
「善良な皆さんの良心を、抉るように刺してらっしゃいましたよ」
「そりゃ気の毒だったな、連中も。でも、しょうがねえ。玲ちゃんだって、好きでやってるわけじゃねえ。仕方なしだ」
「そうですか? そんな風には見えませんでしたけどね」
率直な感想に、キリザとサルファが笑い合う。
「リグリエータ、それはお前の言う通りかもしれねえが、そうしたのには理由がある。玲ちゃんが、何であいつらにきつく当たったのかは、お前だって、もうわかってんだろ?」
「あれだけあからさまにされれば、誰だってわかりますよ」
「そりゃあ、玲ちゃんたちを知ってりゃわかるがな。でも、そうじゃなきゃわかんねえ。だろ?」
「そうですね。ご存知でない皆さんは、心底怯えてらっしゃいましたよ。玲様たちのお傍に侍りたい――なんて、天地がひっくり返っても、思わないでしょうね」
「そんなにか」
「徹底してましたよ。あの調子でやられたら、俺は辞めます」
「ははは」
声を上げて笑ったキリザは、そのままの笑顔を後ろに向けた。
「リグ、お前の場合、そりゃねえだろ。なんたって、お前は玲ちゃんの一番のお気に入りだからな。玲ちゃんも、手放すような真似はしないだろうぜ」
「お気に入り? 使い勝手がいいだけでしょう」
「なんだよ、ソルジェみたく大事にしてもらえないからって拗ねんなよ。こいつら伴侶は別格だ」
「はっ、そんなことはわかってますし、大事にしてもらいたいなんて、思ってもいませんよ」
「まあな。優しくなんてされた日にゃ、逆に恐ろしくて近付けねえよな?」
「……よくおわかりなんですから、皆様に余計なことはおっしゃらないでくださいよ?」
脅すようにキリザを睨みつけてから、リグリエータは続ける。
「とにかく、事は、玲様のお考えどおりになると思いますよ。恐ろしい玲様のおかげで、大臣の皆さんのお人の良さが浮き彫りになりましたし、結衣様とみちる様の優しさも際立ちました。互いに良い印象を持たれたでしょう。特に大臣の皆さんは、結衣様とみちる様への負い目を、嫌というほど認識させられてましたからね。お二人が依頼すれば、どなたも喜んで後見人をお引き受けになるでしょう。浮気心を起こさずに、結衣様とみちる様をお助けになられると思いますよ」
「そうか。そりゃよかった」
「しかし、玲様は何をお考えなんです?」
「……どういうことだ?」
「面談が終わって、老先生だけが残されました。それが俺にはよくわかりません」
「……そうか」
声を落としたキリザが、隣に目を向ける。
それを受けて、サルファが口を開いた。
「何か理由がある――と、リグリエータさんはお考えですか?」
「三人揃ってというのなら、気にも留めませんが、老先生お一人というのは、さすがに……。それに、玲様はこういうことに関しては、無意味なことはされませんから」
「ふふ。そうですか。さすが皆様のお近くにいらっしゃるだけあって、よくおわかりですね」
「そうだな。まあどのみちお前には、話しとかないといけないから、そりゃいいんだが、ここじゃ駄目だ。広間に行くぞ」
キリザの声に、男たちは無言で従った。
◇ ◇ ◇ ◇
「本当にお疲れ様でした。結衣様もみちる様も、お部屋に戻られたら、おいしいお菓子とお茶を召し上がってくださいね」
人気の無い廊下に、ヤーヴェの声が響く。
「ありがとうございます、ヤーヴェさん。でも……」
「そんな時間がないんですよ、今のわたしたちには」
答えながら、結衣とみちるは短い歩幅でせかせかと歩く。
「ですが今日の面談は、結衣様とみちる様には急なことでしたし、ウード先生も、その辺りは考慮してくださるんじゃありませんか?」
「ヤーヴェさん? 先生はそんな優しくないんですよ。それはそれ、これはこれ、なんです」
「そうなんですか?」
「はい」
「近頃は、お茶もゆっくり飲ましてくれないんですよ?」
「でもそれは、先生が悪いわけじゃなくて、わたしたちが悪いんです。わたしたち、物覚えがあんまり良くなくて……」
「それにしても厳しすぎる!」
吠えるみちるの横で、結衣がヤーヴェを振り返った。
「ヤーヴェさん、先生、何の話で残されたんだと思います? わたしたちのことですよね?」
「……あれかな? ぜんぜん勉強が進んでない、とかかな?」
声とともに、歩く速度も落ちていく。
不安そうな二人の声に、ヤーヴェは笑みを返した。
「もちろんお二人のことでしょうが、そういうお話ではないと思いますよ。ご相談とおっしゃってましたから、結衣様とみちる様の後見人のことではありませんか?」
「ああ……」
怒りや何やらで、大事なそれをすっかり忘れていた結衣とみちるは、声を揃えて頷いた。
「そうだ」
「そうだったね」
「ふふ。それで、結衣様とみちる様は、良いと思われる方はいらっしゃいましたか?」
「はい」
「プラークさん以外は、みいんないい人でしたよ。ねえ? 結衣ちゃん」
「うん。ロメルさんとリムなんとかさんと、アビアさんもよかったよね?」
「うん、眉毛の人ね。あの人は良かった」
「皆さん良かったですけど……やっぱり一番はロメルさんかな?」
「うん。あの人はいい人だ」
「そうですか。ですが、無理にお一人に絞らなくてもいいんですよ?」
「え?」
「そうなんですか?」
「ええ。基本、後見人は一人ですが、過去複数人の後見人を立てた方もいらっしゃいます。諸所の事情や条件が重なってのことですが、そういう事例もあります。玲様たちは四人の御使い様に対し、一人の後見人ですが、これは玲様の強いご希望でそうなっているだけであって、本来は、御使い様お一人に対し、一人の後見人であるのが理想とされています。玲様たちにしても、明言されていないだけで実質的にはキリザ将軍、グレン宰相も後見人のようになっていらっしゃいますし……。そもそも、御使い様が複数人でいらっしゃったことがありませんからね」
と、ヤーヴェは笑う。
「すべては異例、特例ということになるでしょう。前例は参考程度にしていただいて、どうするかは、ウード先生とよくご相談なさってください」
「はい」
「そうします」
元気良く頷く二人に、ヤーヴェは微笑みのまま訊ねた。
「それにしても、ガウバルトはお邪魔をしているようですね」
「ヤーヴェさん、邪魔なんてもんじゃあ――」
「そんなことないですよ?」
歌舞伎役者のように声をねじるみちるをさえぎって、結衣が微笑む。
「来てもらえるのはとっても嬉しいですし、感謝してます。ちるちゃんも、本気で嫌がってるわけじゃありません」
「ふふ、そうですか」
「そりゃあ本気じゃないし、嫌いでもないけど……でも、朝からうちを食堂代わりですよ? 護衛って、お給料あんまりよくないんですか?」
「ちるちゃん……」
「そういうことはないんですが……」
「とりあえず、今日はもう十分食べてると思うんで、お願いですから連れて帰ってくださいね?」
「はい」
「明るいのは良いんですよ、明るいのは。でも、限度ってものがあるんですよ。横から後ろから話しかけられたら、覚えられるものも覚えられません!」
「ガウバルトさん、ちるちゃんと話すのが楽しいんだと思うよ?」
「こっちは迷惑」
「ふふ」
「コシマさんとリシェさんだって、たいへんじゃん」
などと話をしていると、自室までもう少し、という場所まで戻ってきた。
角を曲がればすぐそこだ。
二人の気持ちが部屋に飛ぶ。
「ミレアさん、待っててくれるっていってたけど、待っててくれてるかな?」
「どうだろ? 結構長くかかっちゃったし――」
いいつつ角を曲がった結衣とみちるは目を見張った。
「え? コシマさん?」
「リシェさん?」
二人が使用している広間の入り口は、廊下の中ほどにあり、その前で、コシマとリシェの二人が立っていた。それも、何やら困った様子で。
「コシマさん、リシェさん」
「どうしたんですか?」
みちると結衣が声を発するのと同時に、「ここでお待ちを」二人に短く言い置いて、ヤーヴェが動いた。
「どうしました?」
近付きながら、侍女の二人に声をかける。
「ああ、ヤーヴェ様」
「それが……」
続きを待たず、そのまま室内に足を踏み入れたヤーヴェだったが、わずか数歩で立ち止まった。
◇ ◇ ◇ ◇
「こちらの不手際で、申し訳ない」
ウルーバルとエルーシル――自由気ままな北の兄弟の捜索を命じられたカーマベルクは、側近たちに詫びを入れた。
「とんでもない。そんなお気になさらないでください」
「相身互いというやつですよ」
ジリアンとバルキウスが笑顔で答え、その後ろで、シャルナーゼも頷いている。
「そういってもらえるとありがたい。城内を熟知している卿らがいてくれると助かる」
まだスライディールの城に不案内なカーマベルクには、三人は心強い助っ人だ。
それでもやっぱり人数が足りないか――
と、カーマベルクが思案していると、ジリアンが驚くことをいってきた。
「カーマベルク卿、とりあえず、結衣様とみちる様のところへ、ご挨拶に行きましょう」
「え?」
「そうだな。それがいい、そうしましょう」
「え?」
「賛成です」
「え?」
驚くカーマベルクをよそに、三人は頷き合う。
「いや、待ってくれ。俺たちは北のご兄弟を――」
「探すのは後でいいですよ」
「いや、そういうわけには――」
「カーマベルク卿……」
バルキウスが足を止めた。
かすかに憂いを帯びた青の双眸が、カーマベルクを見つめる。
「いまとなってはもう……なんですよ?」
「ご兄弟は、すでに入城されています」
「大将閣下が良子様に叱られるのは、確定です」
瞳の色は違えど、光を暗く揃えた三人は、見事な連携で教えてくれる。
が、到底頷けるものではない。
「いやしかし――」
「それに、見つけたところでどうします? 相手は北のご兄弟ですよ? 出て行ってくださいとお願いして、出て行ってくれるような方たちですか?」
「そんな方たちでしたら、まず入城自体、されませんよね?」
「かといって、無理やり追い出すこともできません。それができるのは、将軍の皆様くらいです」
「俺たちでは無理です」
「……」
確かに、いわれてみればその通りだ。
しかし、探してこいと命じられた以上、探さなければならない。
「なにも、探さないとはいってません」
カーマベルクの胸の内を読んだのか、ジリアンが、叔父に似た美麗な面に微笑をのせていう。
「命令は遵守します。その前に、少し寄り道をするだけです」
「そうです」
「鞍を置き、お茶を飲む――それだけです」
「いや、おかしいな、ちょっと待ってくれ」
カーマベルクは三人を止めた。
頭と心の整理をする時間が欲しかった。
しかし、相手は待ってくれなかった。
「カーマベルク卿」
ジリアンとバルキウスがあらたまった態度で、カーマベルクの前に並んだ。
「大将閣下のご命令は絶対です」
「それも、速やかに遂行せねばならぬことは、我らも重々承知しております」
「ですがここは、スライディール城です」
「加えて侵入者は賊などの不埒者ではなく、北のご兄弟です」
「何を心配することがあるでしょう? ご兄弟は、何をされるというわけではありません。ただ、良子様と玲於奈様のお手とお心を煩わせるというだけです」
「それに、お言いつけに背いた――ということでお叱りを受けるのは、ご兄弟と、その上にいらっしゃる大将閣下のお三方です。ルゼー将軍やカーマベルク卿が咎められることはありません」
「良子様はお厳しいですが、お厳しいゆえか、そういうところもきちんとされていらっしゃるんですよ。ですからご安心ください」
淀みなく、爽やかに言葉を並べる側近たちの後ろでは、護衛騎士が深く頷いている。
「いや、そういうことでは……」
などといいつつも、ルゼーが責めを受けることはないといわれ、実は内心でほっとしていたカーマベルクは、安堵すると同時に、ひどく驚いてもいた。
ソルジェの側近たちが変わった――というのは知っていた。
その変化を喜んでいる者は大勢いる。
カーマベルクもその内の一人だ。常にソルジェに寄り添い、従い、守ろうとする彼らの一途な姿には、胸を打たれていた。
いつか報われるときが来て欲しい――
そのときが来たのは、よくわかった。
すべてを憎悪するような目も、呪詛のごとき響きだった声も、今は無い。
目の前にいるのは、若さと自信に満ちかがやく青年だ。翳りや屈託など、どこにもない。
憂いが無くなったのは嬉しい。
しかし他のものまで失っていないか?
かつてあった総大将キリザへの、カーマベルクも及ばない、あの忠誠心は、いったいどこに行ったのか――
と、カーマベルクが困惑していると、ジリアンが銀糸の髪を揺らした。
「カーマベルク卿、大将閣下はご兄弟を探すよう命じられましたが、ご兄弟のことは、さほどお気になさらなくていいと思いますよ。ご兄弟のことは、おそらく口実です」
良子様に叱られたくないというのも本音でしょうが――とジリアンが笑えば、バルキウスも笑いながらいう。
「これから、俺たちには聞かせられない話を、されるんじゃないでしょうかね。側近護衛を、綺麗に追い払ったでしょう? リグリエータさんは、別ですけどね」
「あのひとは、同じ側近でも格が違いますし、玲様たちにひどく気に入られて、距離的には、だれよりも近くにいらっしゃいますからね。今日の面談にも同席されてますし」
「皆様の密談のお邪魔をするわけにはいきません。ご兄弟を見つけても、報告は時間を置いてからの方がいいでしょう」
「というわけですから」
「行きましょう」
気付けば、カーマベルクは両脇後方の三方を、側近護衛の三人にがっちり固められていた。
◇ ◇ ◇ ◇
カーマベルクは負けた。
説得力のありすぎる説明と、強引さに屈したルゼー一の部下は、両隣を見て薄く笑った。
「しかし……卿らも変わったな」
「そうでしょうか?」
端正な面を向けてくるジリアンを見て、カーマベルクは笑った。
すべてが違う。
ほの暗い目で下から睨み上げていたものが、今は真正面から、かがやきを放つものへと変わり、縫い付けてあるのかと思うほどに動かなかった唇は、こちらが促すまでもなく動くのだ。
「まるで別人だ」
「それほどではないと思うんですが……」
ジリアンが首を傾げるのを見て、バルキウスが笑った。
「自分じゃ自分が見えませんからね。特にこいつは感情と面が直結してますし、左右されやすいんで、俺もユリアノスも困ってます」
「バルキウス、お前、人のことがいえるのか」
「俺はまだマシだ」
と言い合う二人の間に、シャルナーゼが後ろから声を投げ入れた。
「いや、お二人とも、似たようなもんですよ? 目くそ鼻くそです」
「……」
「シャルナーゼ……」
「お前……」
「なんです? 早く行きましょう」
肝の太い護衛は、三人が二の句が継げずにいる間に、先頭に立った。
「しかし、連絡なしにいきなりお訪ねするのはどうかな?」
迷い無く進む護衛騎士の後に続きながら、カーマベルクは懸念を述べた。
連絡なしの訪問など、迷惑なばかりか、御使い様相手では非礼になる。
カーマベルクのためらいに、「俺だ」「いや、俺だ」どちらが目くそかと、まさに目くそ鼻くその争いをやっていた、見目も出自も一級の青年たちが意識を向けた。
「カーマベルク卿、心配いりませんよ? 結衣様とみちる様は、そんなことでお怒りになりませんから」
「お二人とも、とても優しいんですよ?」
「それは、卿らだからだろう。俺が突然顔を出せば、絶対に驚かれる」
カーマベルクは、己が容姿の怖さをわかっている。
普通に立っているだけで成人男性を怯えさせるのだ。か弱い女性がどうなるかなど、火を見るより明らかだ。
というのに、
「結衣様とみちる様は驚かれませんよ。いきなりなことは驚かれるかもしれませんが、それでも、お顔を見て恐怖されたり、拒絶されたりはなさいません。殿下とお会いされたときも、お二人は卒倒されなかったんですよ?」
「緊張はされたみたいですけどね」
ジリアンとバルキウスは笑う。
「結衣様とみちる様は、姿だけで決め付けたりなさいません」
「そういうところは、玲様たちと同じですね。同じ世界にいらしたからでしょうか……、ご性格でしょうか……、それともこちらで色々とご経験されたからでしょうか……。とにかくスライディールの皆様は、こちらの女性のような考えや反応はされません」
「それにお二人は、玲様たちのことをとても信頼されているんですよ。その玲様たちが入城をお許しになったんですから、カーマベルク卿が厭われるようなことは絶対にありません」
第一王子の側近たちは断言する。
「卿らがそれほどまでにいうのなら、そうかもしれないが……」
それでも不安は拭いきれない。
屈託を見せるカーマベルクに、
「カーマベルク卿――」
ジリアンが屈託のない笑みを向けた。
「ためらうお気持ちはわかります。ですが、結衣様とみちる様はお気になさいませんし、ご気分を悪くされることもありません。それに、お二人のところに、こうしてわたしたちがうかがうことは、玲様たちのご希望でもあるんですよ?」
「そうなのか?」
「ええ」
バルキウスが頷く。
「結衣様とみちる様は、王城から移られたばかりです。心細い思いをされているに違いないから、極力顔を出すよういわれてるんですよ。でないと、玲様たちのところにばかり、人が集ってしまいますからね。さすがに伴侶の皆様や将軍の皆様は別ですが、それ以外は全員、顔を出すよういわれています」
「でも、このことは、結衣様とみちる様にはいわないでくださいね? わたしたちは、玲様にいわれたから通ってるわけじゃないんです」
ジリアンが訴える。
「義務とかじゃないんです」
「俺らは、結衣様とみちる様にお会いしたくて通ってるんですよ」
「お二人は、殿下を怖れないばかりか、認めてくださいました。凄い人だと、玲様にふさわしい相手だと、そうおっしゃってくれたんですよ」
主命の側近二人の弁に、
なるほど――とカーマベルクが頷いていると、シャルナーゼが振り返った。
「軍師殿は、期待外れといわれましたけどね」
「……そうなのか?」
「いや、あれは」
いいながら、バルキウスが笑い出した。
「あれは、何もご存知なかったからです。それだって、玲於奈様と繋がらないという、まあ、外見だけのことでして……なあ、ジル」
「ええ。アリアロス軍師は、お姿もそうですが、雰囲気も、軍服を着ていないと一般市民に間違われるくらい、良くも悪くも普通でいらっしゃるでしょう?」
まったく威厳がない――ということを、ジリアンが遠まわしにいうが、まったくその通りなので、だれからも反論は上がらない。
アリアロスの普通すぎる風貌は、人泣かせだ。
今でこそなくなったが、出仕しようとすると、まず城門で止められる。王城で止められる。各階ごとにいる警備兵にまで『どこへ行く』と、どこかしらで止められ、軍議や会議に遅れてくる、ということがままあった。
視察で王都を離れれば、軍師の名をかたる不届き者として、数刻ばかりのことだが、牢にも入れられたことがある。
風貌ばかりか、間や、めぐり合わせのようなものも、気の毒なまでに悪いので、その手の逸話には事欠かない。
人泣かせ、中でも警備泣かせであるのだが、実際のところ、本人が一番泣いているだろう――
と、カーマベルクがアリアロスのうなだれる姿を脳裏に思い浮かべていると、ジリアンが続けた。
「ですが、アリアロス軍師のご活躍をお聞きになると、『やっぱり凄いひとなんだ』『これはもう運命ですね』と、納得されていらっしゃいましたよ。人間嫌いで男性嫌いの玲於奈様に選ばれるのは、並大抵のことではないと」
「最初は落胆されてたのにな」
「今じゃ、容姿は関係ないと、普段は冴えなくても、必要なときに実力を発揮できればそれでいい、その落差が逆に好いと、アリアロス軍師を絶賛されてます」
「そうなのか……」
「だからといって、アリアロス軍師が幸せかどうかは、また、別の話なんですけどね」
「お変わりにならないよな?」
「前よりひどくなってますよ」
シャルナーゼが眉をひそめる。
「……」
その、実に感情のこもった護衛の歪んだ横顔を、カーマベルクが無言で眺めていると、ジリアンとバルキウスが――同じ近侍でも、こちらはそうした負の感情とは無縁なのだろう、朗らかにしゃべりだした。
「結衣様とみちる様は、お姿こそ玲様たちのように華やかではありませんが、お心は健やかで、真っ直ぐなんです」
「王城でのことも、恨んでなんかいらっしゃいません。まあ、恨んでる暇がない、というのが正しいのかもしれませんが……」
「老先生の厳しい指導に、毎日悲鳴を上げていらっしゃいます」
「ほんと、お気の毒なほどですよ。でも、文句や悲鳴を上げながら、がんばっていらっしゃるんで……俺らも応援してるんです」
「お忙しいのに、こちらがうかがえば、きちんと相手をしてくれますし、ほんの気持ちばかりの贈り物でも、とても喜んでくださるんですよ? その気持ちが嬉しい――と、ほんとにお優しいんです」
「玲様たちじゃ、こうはいきません」
「そうなのか?」
カーマベルクは思わず声を上げてしまった。
「ええ。一度持っていったら、良子様と玲於奈様に、すっごく嫌な顔をされました」
「お二人とも、そうした贈り物には嫌な思い出しかないそうで……」
「『欲しいものは云うから必要ない』と玲様からは、はっきりいわれましたし、玲於奈様には『捨てる』とまでいわれましたので、以来、向こうの皆様には何もお持ちしていません」
「……どういう方たちなのかな?」
カーマベルクは訊ねた。
「玲様たちですか? ……それを口で説明するのは、難しいよな?」
「お会いしないとわかりませんよ? 皆様それぞれ違いますし……」
「四人皆様に共通して言えることは、そうですね……サルファ副宰相もおっしゃっていましたが、やはり、『お強い』でしょうかね」
バルキウスが笑う。
「――なにせ、こちらには敵う相手がいません」
「皆様もともと、それぞれにお強いんですが、こちらにこられてから、さらに磨きがかかっているようで……。中でも玲様は、特別お強くていらっしゃるんですよ」
「こちらで御使い様という権威を手にされた玲様は、もはや最強――と他の三人の皆様がお認めになるくらいですからね」
「まったくその通りで、玲様は四人の中でもダントツの力をお持ちで、その上お心も強いので、ためらい無く力をお振るいになるんです。でもなぜか、四人の皆様のご関係の中では、玲様は下位にいらっしゃるんですよねぇ」
「ああ、あれは不思議だよなぁ」
と、側近たちは笑い合う。
「……」
カーマベルクは驚いた。
内容もそうだが、それよりも、
どうしてそんなことを、そんな楽し気に笑いながら話せるのか――
明るく不思議がる側近二人の方をこそ、不思議に思っていると、
「ああ、殿下でしたら大丈夫ですよ」
ジリアンが笑った。
どうやらカーマベルクの表情を、ソルジェの身を案ずるものだと読んだらしい。
「殿下は玲様の伴侶ですからね。玲様からそれはもう優しく、大事にされています」
「皆様、伴侶の皆様と上の皆様にはとっても優しいんですよ。愛情の裏返しだとかで、たまにひどい目に合わされている方もいらっしゃいますが……」
「全体に、上の皆様には優しいですね」
「俺らには厳しいですけどね」
という護衛の顔だけは、先と変わらなかった。
その険しい顔が、側近二人にも伝播した。
「伴侶の皆様とそれ以外――では、扱いがまったく違うんです」
「明確に線引きをされていらっしゃいますね」
「伴侶以外の人間は使うもの――、そうでなければ楽しむもの――、とでも思っていらっしゃるようで……」
「リグリエータさんを平気で酷使されてますし、お暇なときは、あの、北のご兄弟で遊んでいらっしゃるんですよ?」
「ルゼー将軍も、大広間にいらっしゃるときは、神経を尖らせていらっしゃいます。明日は我が身と恐恐とされていらっしゃるんじゃないでしょうか?」
「上の皆様でそうなんですから、俺らがどうかは……お分かりいただけますよね?」
カーマベルクは頷いた。
御使い様たちの恐ろしさを、痛いくらいに理解した。
ルゼーが緊張する相手なら、国王、宰相など、数は少ないが複数人はいる。しかし、ルゼーが人目にもわかるほど警戒する相手はただ一人、キリザだけだ。それが、過去形になる……。
「別に、足蹴にされるとか、そういうことはないんですよ? 御用があれば呼んでいただけますし、大広間への出入だって自由にしていいといわれています。ただ……」
「俺らには、あちらの皆様は強すぎるんですよね。もちろん、皆様の晴れやかなお姿を見れば気分が高揚しますし、殿下と玲様がご一緒のところを見るのは無上の喜びなんですが……ちょっと、疲れるんですよね」
第一王子の側近はぶちまける。
「――強い陽射しにあたったりすると、そうなりますよね。知らないうちに体力が奪われていく、みたいな」
「その点、結衣様とみちる様は違います。お二人を見ていると、なんていうんでしょうか、安心するというか、和みます」
「気を張ったり構えたりしなくていいので、ほんと落ち着けるんですよね」
「食い物もうまいですしね」
「……」
特に最後の声は、力がこもっていた。
スライディールに移ってきた御使い様たちは、先住の御使い様たちとは異なる魅力を有しているようだった。
人柄なのか、場所なのか――
やはり御使い様とは、何かしら人を魅了する特別な力を持っているのか――
とカーマベルクが思っているうちに、一行は目的地に着いた。
カーマベルクも、ここまで来くれば、腹をくくった。
目を落とし、ざっと自分の身形を確認し、姿勢を正す。
ジリアンが扉を叩く。
内からの誰何の声に、側近たちが応える。と、扉はすぐに開かれた。
四人の目に、楚々とした侍女の、今にも消えそうなはかない笑みが映るのと、
「美味いだす」
陽気な声が耳に届くのが同時だった。
◇ ◇ ◇ ◇
「リグリエータ、七日後のことは、お前だって知ってるよな?」
大広間に入り、人払いを済ませたキリザは、男たちを周りに座らせると、すぐに話し出した。
「はい」
返事をしたリグリエータは、正面と隣のソファに腰掛ける四人の伴侶に目を向ける。
「皆様の人事が、発令されますね」
「そうだ。そこに呼ばれる人間が、どういう連中かは、知ってるよな?」
「ええ」
主だった貴族、諸侯、武官文官の中でも、さらに有力とされるものが厳選され、百名以下にまで絞られた。その中で、発令は行われる。
錚々たる名が並ぶ――その名簿の写しを管理しているのは、リグリエータだ。原本は、グレン。
「そこで、玲ちゃんは、自分たちが見かけどおりの娘じゃない――ってことを連中に教えるつもりだ。プラークとその周辺を叩くことでな……わからせる。ほとんどは、それが玲ちゃんたちの意志だとわかれば、文句無く従う。風向き次第で――とか生ぬるいことを考えてた奴らなんかは、それこそ飛びつく勢いで従うだろう。でも、そうじゃない奴らもいる。そうしたくてもできない。引くに引けない、後がない連中だ。玲ちゃんから引導を渡された奴らは、どうするだろな?」
「……」
「権力の旨みを知ってる連中だ。ずっぼりそれに浸かりきってる。そう簡単には、引き下がらねえよな? どうする? 起死回生を狙って、残った御使い様を担ぎ出すか……。でも、一人じゃ弱いよな? こっちには六人もの御使い様がいる。どう理屈をこねようが、六人の御使い様を押しのけて、立たせようとするのは、無理だ。力で押し戻そうにも、軍はこっちだ。軍だけじゃねえ、中央政府は丸ごとこっちだ。どう話を持ちかけたところで、誘いに乗る奴はいないだろう。焦った奴らは、どうするかな? こいつらを狙うか……」
四人の伴侶を顎でしゃくる。
「だが、こいつらをどうにかしたところで、奴らの未来が開けるわけじゃない。それくらいは奴らもわかるだろう。必要なのは、御使い様だ。だが、篭絡しようにも手が出せない。繋ぎをとるのも難しい。手詰まりな連中がどうするかは、わかるよな?」
リグリエータは無言で頷いた。
「うん。これまでのこともある。時間もない、後もない。無い無い尽くしの連中は、残った御使い様を囮にするか、脅しに使ってくるだろう。そんなもんは、手前で手前の死刑執行書を作って署名するようなもんだが……これまで持ってたもんを失うことは、奴らにとっちゃ、死ぬのも同じだろうからな。まあ、それはいいんだが、困るのは、追いつめられた連中が、死なば諸共で、王城の御使い様を道連れにしちまうかもしれないってことだ」
「……」
リグリエータは即応しなかった。が、心中では頷いていた。
流れ的にはそうなるだろう。
そうなるよう、仕向けているのだから。しかし、御使い様が害されるようなことがあってはならない。
「……それは、先方の企みというか、それがはっきりした時点で、すぐに動けばいいんじゃないんですか? まあ、もっと早い段階でお助けしたほうが、より確実でいいでしょうが……」
王城の御使い様の救出は、早すぎても遅すぎてもいけない。早すぎれば、敵が形を成す前に消えてしまい、危険分子が潜在したままとなる。逆に遅すぎれば、御使い様にまで危険が及ぶ――その可能性が高くなる。
時機を見極める難しさに、眉をひそめていると、キリザが呆れたようにいった。
「何いってんだ? お前。玲ちゃんの予定に、そんなのは無かったぜ」
リグリエータは耳を疑った。
「……どういうことですか?」
「いった通りだ」
「王城の御使い様を……お助けにならないんですか?」
「玲ちゃんにそのつもりはないぜ。助けたいんなら、そう思う奴が助けろ、邪魔だけはしない――って、いってたな。いっとくが、こいつは冗談でもなんでもねえぞ」
というように、そこに、諧謔に類する響きは一切なかった。
「……」
「なんだ? 不服か?」
声を失うリグリエータに、
「期待を裏切られたか? そんな人間じゃないと思ってたか?」
キリザは厳しい目を向ける。
「お前は玲ちゃんにどれだけ求めるんだ? 確かに、玲ちゃんには力がある。その気になれば、王城の御使い様だって簡単に救い出せる。でもな、だからって、玲ちゃんがそれをやらないといけないのか? 同じ世界から来たってだけで、顔も知らない人間を、玲ちゃんは助けないといけないのか? 王城の御使い様が今の状況に陥ったのは、玲ちゃんのせいなのか? それを自分たちのために利用しようとするのは駄目なのか? 自分は貪欲だ、目的のためなら何でも使うし、利用する――玲ちゃんはそう言ってなかったか? そんなもんは口ばっかりで、そんな人間じゃないと思ってたか? 手前の理想を押し付けるな。助けたきゃ、手前が助けろ」
突き放すようにいったキリザは、リグリエータを見据える――と、すぐに表情を緩めた。
「ったく、老先生の方がよっぽどわかってんな」
「……」
主の変調についていけないリグリエータが、何もいえずに眉根を寄せていると、
「それは仕方ないのでは?」
サルファが声を挟んだ。いつもと変わらぬ微笑を浮かべている。
「ウード先生は人生の大先輩ですし、なによりお二人への想い入れが違います。それに、今のリグリエータさんには、あれこれ考えを巡らせる時間がありませんからね」
「ふ……まあな」
と笑ったキリザは、リグリエータに笑顔を向けた。
「リグリエータ、なんで玲ちゃんは、あの二人――結衣ちゃんとみちるちゃんに、あそこまでやらせるんだと思う?」
キリザの口調は普段のそれに戻ったが、
「それは……必要だからじゃないんですか? そう聞いてますが……」
答えるリグリエータの口調は固い。
「表向きはそうだな。実際こっちのことをなんにも知らないからな、もちろんそれもある。だが、あそこまで急かす必要はない。そう思わないか? それに、側近護衛は遣っても、自分たちは極力、二人と関わらないようにしてる。なんでだと思う?」
「……」
「老先生も厳しく指導してるよな。二人も、目を回しながら、なんとかやってる。素直だからな。二人とも、真っ直ぐで良い子だ。だがな……それだけだ」
無情な声に、リグリエータは目を見張った。
「人として、大事なもんは持ってる。だがそれだけじゃ、ここじゃやっていけない。二人は御使い様だ。玲ちゃんや老先生にいわれて、後見人や伴侶を選んでるが、あの二人には御使い様の自覚がまったくない。自分たちがどれほどの力、影響力を持ってしまったのか――それをぜんぜんわかってない。危険なことだと思わないか? 王城に残った嬢ちゃんのことも、忙しさにかまけてすっかり忘れちまってる。まあ、こればっかりは、結衣ちゃんとみちるちゃんを責められないんだがな。それを思い出させないように、玲ちゃんはあの二人に、やらせてるんだからな」
「……」
「ひょっとしたら、残った嬢ちゃんのことは言わないだけで、心ん中では思い出してるかもしれない。だが、向こうでのことは、二人にしたら嫌な思い出だ。思い出したくないだろうし、言ってどうする、どうなるってのもあるだろう。今は目の前にあるもんで精一杯だ。たとえ思い出しても、酷い目に合うことはないだろう――、もしそうなっても、誰かがなんとかくれる――、そんな風に考えてるかもな」
かも、ではなく、そうだろう。
玲やキリザのような力のある人間が近くにいれば、誰だってそう思う。リグリエータ自身、そう思っていた。
「だが現実は、甘いもんじゃねえ。王城の嬢ちゃんは、いずれ引きずりまわされる。引きずり回された挙句、捨てられるかもしれねえ。それを知ったとき、あの二人はどうするかな? 平然としてられるか? 喧嘩別れしたからって、平気でいられるような子達じゃねえよな? じゃあどうする? 玲ちゃんにお願いするか? でも玲ちゃんは動かない。もちろん俺らもな……」
「お二人に……それをさせるおつもりなんですか?」
「助けたいと思う奴が助けるのは、道理だろ?」
キリザはこともなげにいう。
「先も言ったが、玲ちゃんたちにその気はねえ。王城の嬢ちゃんが居ようが居まいが、玲ちゃんたちには、ほとんど影響はないからな」
「……」
「っつうのは建前じゃなくて、玲ちゃんたちにしてみれば、本当にどうでもいいらしい。だから別に助けてもいいんだ」
「はっ」
リグリエータは思わず声を出してしまった。
玲たち四人は、綺麗事はいわない。自ら、清々とした人間でないことを公言しているが、ここまではっきり、情けも容赦もないことを明言しているとは――驚きも突き抜ける。
しかし、当初から玲たちと密に関わり、理解しているキリザには、そんなことは驚くことでもなんでもないようだ。
「玲ちゃんたちにしたら、そっちの方がラクだ。手間も時間もかからないんだからな。俺らにしても、そっちの方がありがたい。どんな御使い様でも、御使い様は御使い様だ。どっかの野郎みたく、この娘は御使い様じゃない、なんて阿呆な考えはどうしたってできないからな。危険なら、俺らは残った御使い様を救い出さなきゃいけねえ」
「でも、お助けにはならない」
「そうだ。王城の嬢ちゃんを、俺らが救い出すのは簡単だ。でもな、それじゃ意味がないんだよ」
◇ ◇ ◇ ◇
「意味がない?」
眉をひそめるリグリエータに、別の声が答えた。
「そうです。玲様は、そのようにお考えです」
リグリエータは主の隣に座る副宰相に目を移した。
「王城の御使い様と、結衣様とみちる様――皆様の間にあったことは、リグリエータさんもご存知ですね?」
「はい」
リグリエータは頷いた。
三人が喧嘩別れしたことは、スライディールの人間なら、仔細まですべて知っている。
「多田様の行いは、褒められたものではありませんでした。あのような行動をとってしまわれたのは、残念としかいいようがありません。その結果、結衣様とみちる様が苦しい思いをされ、多田様ご自身も、ご友人を失ってしまわれました。今、辛い状況にいらっしゃるのは、多田様ご自身が招かれたものです。ですが、そうなってしまわれたのは、多田様だけのせいではありません。あの年頃の娘であれば、誰もが持っている感情です。しかも、異なる世界からいらしたばかりで、こちらのことなど何もご存知ありませんでした。若さと無知につけ込み、そう思い込ませて利用しようとした人間こそが、責められるべきです。そう、玲様たちはお考えです」
それを聞いて、リグリエータは心の底から安堵した。
「多田様は、命で贖わなければならないほどの罪を犯されたわけではありません。過ちといえる程度のことです。しかも、御使い様です。当然、お救いしなければいけません。ですが、わたしたちでそれをやってしまうと、一番大事なことが解決されないんです。喧嘩別れをされましたが、結衣様とみちる様、そして多田様は、ご友人でした。玲様たちのような深い絆はないようですが、それでも、かつては友とまで呼び合ったのですから、互いに無関心ではいられないでしょう。一方が不幸であればなおさら……。ことに結衣様とみちる様は、お心を痛められるでしょうね」
確かに。そうだろうと思ったリグリエータは、「ええ」と声に出して頷いた。
「多田様の場合は、結衣様とみちる様がお幸せでないと聞けば、逆に喜ばれるかもしれません。ですがいつかは気付かれるでしょう。モノで満たされても、分かち合える相手がいなければ、心から満たされることはないのだと」
こちらには頷かなかった。
「一度こじれてしまった関係を修復するのは難しいでしょう。ですが、それをしていただかなければ、多田様も、結衣様もみちる様も、お幸せにはなれません。ここで、知己のいない皆様にとって、互いの存在がどれほど大切か、影響を及ぼすか――皆様には、それに気付いていただかなければいけません。そう、玲様はおっしゃっていました。わたしも、その通りだと思います」
「だからお二人に?」
「そうです。お二人でなければ意味がありません。他の者では禍根を残すことになるでしょう。それも、今すぐではいけません。そんなことをすれば、皆様の溝は、逆に深くなってしまうでしょうね」
「……どういうことですか?」
「リグリエータさん、あの年頃のお嬢さんというのは、とても難しいんですよ? 玲様たちは、そのあたりを超越されていらっしゃいますけどね」
サルファは微笑を浮かべると、すぐに面からそれを消した。
「玲様たちのような方は稀です。たいていは、他者と己を引き比べて、優越にひたったり、羨んだり、妬んだり。それで仲違いをされる――なんてことは、こちらでも、日常茶飯事でしょう?」
「ま、若い娘に限ったことじゃねえけどな」
キリザが笑う。
「――陰にこもって裏で何かするような連中よりは、マシだ」
「ええ。ですが、お若いだけに、感情を抑えることができません。ことに、多田様の場合は難しいでしょう。ご自身とお二人を引き比べ、羨むだけならいいですが、おそらく多田様は、お二人をお恨みになるでしょう。王城での恨みを晴らすため、あてつけるために、自分を助けたのではないか――などと、曲げてお考えになるかもしれません。なにせ結衣様とみちる様は、こちらに移られて日は浅いですが、玲様の作られた環境で、多くの者の支援を得ていますからね」
まさか――とリグリエータは思ったが、無い話ではないな――とすぐに思い直した。
「結衣様とみちる様にしても、逆恨みされては、やり直そうという気持ちがあっても、なくなります。ご気性がまっすぐなみちる様は、お怒りになるでしょう。そうなれば、溝は埋まるどころか深くなるばかりです。だからといって、多田様が玲様たちと生活を共にすることはできません。個性も絆も強い四人の皆様に混じるのは、どなたも無理でしょう。多田様はここでも孤立します。玲様たちにさえ、恨みを持つかもしれません。今、助けては、どなたもお幸せにならないんですよ?」
「ちょっと腹が空いてる――くらいじゃ駄目なんだよ。そんなときに食い物をやっても、すぐにそのときの辛さと恩を忘れる。それはまあ人によりけりだろうが、向こうの嬢ちゃんは、おそらく、もらった食い物に文句をつける手合いだ。だが、飢え死にしそうなくらい腹が減ってりゃ、それも変わってくる」
「なるほど……」
リグリエータは納得した。
中途半端な状況から救い出しても、溝は無くならない。そればかりか、御使い様たちの不和は、新たな火種となってしまう可能性がある。
「しかし、危険に過ぎませんか?」
確かに、必要なことかもしれない。
心の支えは誰にも必要だ。異なる世界からやって来た御使い様たちには、とりわけそれが必要だ。
同じ世界の人間――そこでの暮らし、過去や知識、世界観を共有できる相手は、それだけで貴重なはずだ。代わりになれるものはいないのだ。
そのことに、三人は気付いていない。本当の意味でわかっていない。
しかしそれをわかっていなくても、結衣とみちるなら、縁のあった相手を簡単に見捨てたりはしないだろう。
かつての友が、進退窮まる状況に陥った――と知れば、救いに行くのは間違いない。どちらも性根は悪くない。
王城の御使い様にしても、二人が危険を押して自分を助けに来たのだと知れば、自分を支え、助けてくれるのは二人だと――、損得無しに自分の身を案じてくれるのは、ここでは結衣とみちるだけなのだ――ということに気付くはずだ。
気付かせた上で、関係を修復させる――それは大事なことだ。
しかし危険だ。王城の御使い様は無論、結衣とみちるの身まで危うくなる。
「ええ。とても危険です。ですがこれは、避けて通れません」
「……」
サルファの決然とした声に、リグリエータが小さく肩を落とす。
それを見て、キリザが笑った。
「別に、二人だけでやれっていってるわけじゃねえ。玲ちゃんも、さすがにそこまで厳しくねえよ。ちゃあんとそこらへんも考えてる。側近護衛をみーんなあっちに遣ってるだろ? お前……厄介払いで、あいつらを向こうに行かせてるとでも思ってたのか?」
「……」
てっきりそうだと思っていたリグリエータは、黙っていた。
第一義は厄介払いであり、結衣とみちるが寂しい思いをしないため――というのは、厄介払いをそう見せないための口実だと。
俺も、まだまだか――
心の中で自嘲するリグリエータだった。が、
「ま、半分はそれもあるっていってたけどな」
「……」
キリザの声を聞いて、即座に自嘲を切り上げた。
「リグリエータさん」
複雑微妙な表情をしているだろうリグリエータに、サルファが笑みを向ける。
「目に見える優しさだけが、優しさですか? 真綿で包んで、何の憂いも無くして差し上げるのが、結衣様とみちる様のためになるんでしょうか?」
「……」
リグリエータは答えなかった。
そしてサルファも、わかりきった答えをわざわざいったりしなかった。
「玲様がお考えになっていることは、やろうとされていることは、結衣様とみちる様には酷なことでしょう。必ず辛い思いをされます。厳しい選択、決断を迫られます。ですがそのために必要なものを、お二人に与えようとされているのもまた、玲様なんですよ?」
「……」
「それとわからないだけで、玲様は誰よりも、皆様のことをお考えになっていらっしゃいます。もちろん、ご自身の幸せが、何よりも最優先でいらっしゃるんですけどね」
「ああ……そこはブレないんですね?」
「ええ、玲様ですからね。ですが、そこを侵さない範囲で、なるべく多くの人が幸せになれるよう、お考えになっていらっしゃるんですよ?」
「王城の嬢ちゃんのこともそうだ。どうしてもって強い気持ちはねえが、できるもんなら、なんとかしてやりたい――くらいには思ってる」
それは、裏を返せば、何とかならないときは、それはそれでしょうがない――ということだろう。
非情であり、傲慢でもある。強者の思考だ。
だがそれを批判する気持ちにはならないのは――
「玲ちゃんたちも、王城の嬢ちゃんのことは気にかけてる。できれば幸せなってほしい――が、そうならなくても割り切れるし、心の整理もつけられる。でも、そうできない人間がいるってことも、ちゃあんとわかってる。だから、わざわざ面倒なことをやってるんだよ、玲ちゃんたちは」
リグリエータは目を上げた。
「俺は、何をすればいいんです?」
「知るか。手前で考えろ」
言葉は厳しく突き放すものだったが、声は笑っていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「ありがとうございます」
扉向こうの喧騒が去り、室内に静けさが戻ると、ウードはそういった。
残された理由も訊かず、真っ先に礼をいう老人を、玲は見つめた。
玲が、外界の俗を洗い流したような枯れた面に向けたのは、計算も含みもない、自然な笑みだ。
「お礼を言っていただくのは、少々早いように思いますが?」
「ですが今は皆様への感謝しかありませんので……」
いいながら、玲を真っ直ぐ見返すウードの目は、老人と思えぬほど強く、面は、これまであった屈託が、すっかり消えてなくなっていた。
「先生は、わたしたちが何をしようとしているか、おわかりなんですね?」
「すべてではありませんが、皆様が、結衣とみちるに課そうとしていることが何か――は、わかっておるつもりです」
「……そうですか」
玲は微笑んだ。
「できそうですか?」
「わかりません。わかりませんが、やらねば、それを乗り越えねば、結衣とみちるがここで真の幸せを掴むことができないということは、わかっております」
「それだけおわかりでしたら十分ですね。先生――」
玲は柔和を取り払った目で、ウードを見つめた。
「ご承知でしょうが、あまり時間がありません。まだ、いくつかお付き合いしていただかないといけないこともありますが、これより先、村瀬さんと中尾さんに関することはすべて、ウード先生にお任せします。先生でしたら、村瀬さんと中尾さんのために、最善の判断をしてくださるでしょうからね」
「それは、玲様のお考えを、わたしの一存で二人に話しても構わないということでしょうか?」
「先生がそう判断されたのなら、どうぞ」
「玲様の、目的のお邪魔になりませんか?」
「お気遣いいただかなくて結構ですよ。多田さんは、不穏分子を糾合させるのに格好の位置に居たというだけで、絶対ではありません。他にも手段はありますし、その種も、もう撒いてますので」
「……左様でございますか」
色も変えずにいう玲に、ウードは細く息を吐き、そして訊ねた。
「ひとつ、お願いがございます」
「どうぞ」
「一度、多田様と、結衣とみちるを会わせてもよろしいでしょうか」
「それは、許可を求めていらっしゃるんですか? 事の良否をお訊きになっていらっしゃるんですか? どちらでしょう」
「許可にございます」
「わたしの許可を取っていただく必要はありません。外出も面会も、どうぞ、ご自由になさってください。ただし、サルファさんにはすべて、仔細を先に伝えておいてください。あと、スライディール城には、そうした方々をお呼びにならないでください。後見人となる方は別ですが、それ以外の入城は、当面認められません」
「はい」
「それと、王城に行かれる際は必ず、スライディールの人間――奥までの許可を得ている人を同伴してください。わたしたちの伴侶以外であれば、だれでも結構です。先生お一人のときも、ですよ? これは絶対に守ってください。同伴者への依頼は、もちろん先生からしていただいてもいいんですが、やりにくいということでしたら、後見人が決まるまでは、サルファさんに依頼してもらいましょうか。まあ、依頼するまでもなく、聞けば皆さん行きたがると思いますけど。ガウバルトさんあたりは特に」
「……」
そうかもしれない――と思ったウードは、そうなるよう道を作ってくれた玲に訊ねた。
「玲様、玲様はなぜ、あの二人にそこまでしてくださるのですか?」
結衣とみちるは、四人を助けようという気持ちはあったが、結局は何もしていない。
向こうでの関わりも無く、二人が一方的に四人に熱を上げているだけだ。
それなのに、二人に手を差し伸べてくれるのは何故なのか。
最初こそ、咲を含めた三人を捨て駒にしようとしているのでは――と疑いもした。が、ミレアや側近護衛を近づけ、確かな後見人を、それも彼らの気持ちが二人に傾くようにしてくれるのを見て、ウードは、玲たち四人が二人に、手近な幸せではなく、遠く未来に続く幸せを獲らせるべく、動いているのだと確信した。
だが、その元となる理由がわからない。だから訊いた。
「なぜ? それはですね――」
答える玲の面は、はじめて王城で見たときと同じ、弾けるような笑顔だった。