釣ります釣ります
ヤーヴェは危うくふき出すところだった。
まさか、玲の他所行きの愛想と言葉を信じ、こうも性急に、大胆な発言をするとは思わなかった。
すごいな――
別の意味で感心する。
数が少ないとはいえ、他者がいる。それも、キリザの側近である自分たちが同席しているのだ。傍観に徹しているというだけで、話はすべて聞いている。ここでのことは、早晩キリザの耳に入り、サルファに伝わることは確実なのに、恐れ気もなく堂々といい放つ。
その強気はどこからくるのか――
玲の信頼を勝ち得た。
そう思ったからこその強気発言だろうが、正直、いったい玲のどこを見て、そう勘違いできたのか……。
ヤーヴェは自信に顔をかがやかせている御仁に、その箇所を聞いてみたかった。
並の神経、頭ではない。
玲は、わかりやすすぎるほどに、この場を作っていた。
サルファ、キリザを同席させなかった。
御使い様と、ほぼ初対面といっていい相手との面談で、後見人が同席しないなど、まず考えられない。
侍る人員は最小限。しかもその中に、サルファに代わる高位の人間はいない。
面子は自分たち側近であり、流浪の学者ウードであり、かろうじて侍女に見える結衣とみちるだ。
さすがに、プラーク以外の大臣は、部屋に入るなり、恐怖を覚えたような顔をした。恐れの顔は、時間の経過とともに強張っていった。
なにせ、玲は己を隠すことをしなかった。前面に押し出しはしなかったが、言動は、普通の娘でないことを、相手にはっきりとわからせるのに充分だった。
それがわかった大臣たちは、落ち着きなく目を動かし、時を置かず、侍女のように頭を下げている二人が、何者であるかも察したようだった。
結衣とみちるは玲にいわれたとおり、侍女のようにかしこまっていたが、残念なことに、まったくそれらしく見えなかった。
力が入りすぎて、かちかちになっている。慣れない様子は一目でわかる。
物慣れた侍女が同席するなら、特に疑いも持たないだろうが、まるで『これが初仕事』のような侍女が、御使い様のそばに、しかもこのような場で侍るのは、どう考えてもおかしい。
それに気付けば観察する。
黒目黒髪は珍しくないが、どちらも黒髪、しかも小柄だ。容姿も求められる侍女が、二人揃って垢抜けない――というより、まだ子供のような雰囲気を残していれば、頭をめぐらす。
王城から移った二人の御使い様が、スライディールの城にいる。
ウードがいる。
それらをつなぎ合わせて考える。
実際大臣たちは、二人とウードを盗み見て、顔色を変えていた。しかしプラークだけは、四人を見つめてばかりいた。
普通なら訝しみ、警戒するはずだ。あらゆるところにその種があった。
どれほど鈍くても、ひとつくらいは気付き、なぜ? と拾い上げるはずだ。なのに、それらすべてを踏みつけて、プラークは我が道を突き進む。
頭の中がどうなっているのか、のぞいてみたいものだ。しかし、大臣方も苦労だな――
ヤーヴェが、顔をひきつらせている大臣たちを眺めている間に、玲が口を開いた。
◇ ◇ ◇ ◇
「後見人の再考、ですか。今のところ、特に問題はないんですが……」
「問題と思われないことが問題なのです。今ここで、皆様がこうしておられること自体、おかしいのです。不当な扱いを受けておられます。外界から隔離され、城に閉じ込められていらっしゃるというのに、それにお気付きになられない。いえ、皆様を責めているわけではありません。それに気付かないよう、巧みに操られているのですから」
「あら、それは恐ろしいですね。この城に入るといったのはわたしなんですが、それも、サルファさんに誘導された――ということですか?」
「サルファ副宰相とは、そういうお方なのです」
プラークは、恐ろしいといいながらまったくそう聞こえない玲の声に、重々しく応える。
「玲様、プラーク卿の申すことは、正確な情報、事実に基づいた意見ではなく、噂の域を出ない話からひねり出した、妄想に近い作り話です」
「……と、アビアさんはおっしゃってますが?」
「妄想などといわれては心外ですが、アビア卿をはじめとする方々が、副宰相を擁護されるのは仕方ありません。どなたも、上を見て仕事をなさっておいでですので……」
プラークのあからさまな侮蔑に、
「ふん、下にこびへつらってるおぬしよりはましだ」
アビアが嘲笑を返す。
「今のは聞き捨てなりませんな」
「捨て置けぬのは、こちらの方だ」
と、大臣二人が再燃しかけたところに、
「すいません、ちょっとプラークさんに確認したいんですが」
玲が軽やかに割って入った。
「は、はい」
「プラークさんは、わたしたちがサルファさんに言葉巧みに操られている――そう、お考えなんですよね?」
「左様です」
「では、そうであると仮定してお訊きしましょう。なぜ、サルファさんはそんなことを?」
「それは、強大な力を手に入れるためでございます」
「強大な力、ですか。何のために?」
「ソルジェ殿下を王位に就かせ、執政を意のままに――」
「馬鹿をいえ!」
「なんということを」
「卿は自分が何をいっているか、わかっているのか?」
押し殺した怒声が飛ぶ。しかし、
「王城では、皆がそう申しておりますよ」
プラークは平然といい放つ。
「皆とはだれのことだ?」
「おぬしの周りだけだ」
「そのようなことはありません。口にしないだけで、だれもがそう思っておりますよ。皆様だって、お心の中ではそう思われているのではありませんか? わたしはそれを代弁して――」
「そう思っているのは卿だけだ。我らは違う」
リムナクスの声に、男たちが頷く。
「――後見人は御使い様のご意志によるもので、サルファ副宰相のご意志ではない」
「左様でしょうか?」
鼻白んだようにいうプラークに、アビアが呆れの目を向けた。
「なんでも自分の都合のいいように解釈するのは貴様の勝手だがな、その妄想に、俺たちを巻き込むのだけは止めてくれ」
「妄想?」
「それ以外になんといえばいい? それとも、副宰相が執政を我が物にせん――と企んでいるという証拠でも、卿は握っているのか? あるなら俺も、多少は考え直さなければならないが……どうだ? あるのか? いっておくが、卿お得意の、皆が言っている、思っている――というのだけは、やめてくれよ? だれがいったかもわからない、曖昧なものではなく、出所が特定できる確かなもので示してくれ。では訊こうか。プラーク卿、あるのか? ないのか?」
アビアの挑戦的なそれに、応じようとしたプラークだったが、
「それはわたしもお聞きしたいですね」
玲に微笑まれて、開きかけた口を閉じた。そしてそのまましばし固まる――と、プラークは苦い顔で答えた。
「……ございません」
噂話を手前勝手に信じても、嘘はつけない性質なのか、それとも単に頭が働かないだけなのか――プラークは正直に答えた。しかし、そのまま引き下がることはしなかった。
「ですが、これだけは断言できます。サルファ副宰相は、後見人には不適である、と」
不利と悟るや、攻めどころを変えてきた。
今度は何を――
顔を強張らせる男たちの前で、玲が微笑みのまま訊ねる。
「それは、なぜですか?」
「美しい皆様に下位貴族の娘が着るようなものを着回しさせ、何をおいても叶えなければならない御使い様のご希望を、無視しています。そればかりかみすぼらしい侍女を付け――」
「やめよ!」
叱責を放ったのはロメルだった。プラークを黙らせたロメルの声は、並びの男たちが目を見張るほどに強く、鋭かった。しかし、
「構いません。プラークさん、どうぞ、続けてください」
玲はものともせず、続きを促す。
プラークがうやうやしく頭を下げ、男たちが苦菜を噛んだような顔をした。
「〝みすぼらしい”は、いいすぎでした。ただ、こちらの侍女は、皆様にふさわしくありません。王都には、洗練された優秀な侍女が大勢いるというのに、わざわざ田舎娘の連れて来た田舎者を付けております」
「プラークさん、田舎娘というのは、ひょっとして、ミレアさんのことですか?」
「左様です」
「ミレアさんは、わたしたちの礼儀作法の師なんですが……。それに、ミレアさんのご出身コルトは、第三の都と呼ばれているほどに栄え、そこを治めるご実家は、レナーテでも指折りの名家だとうかがってますが?」
「確かに、名家と呼ばれるだけの歴史と力をお持ちです。ですが、コルトは辺境の地にございます。蛮族と接するかの地には、洗練された中央の文化など届いておりません。礼容すら、正しく伝わっているかどうか、怪しいものです。その証拠に……ご覧ください。作法など、まったく身についておらぬではありませんか」
鼻頭に皺を寄せながら、結衣とみちるを見る。
「このようなものをお傍に置いてはいけません。礼儀作法の師もお代えになられた方がよろしいでしょう。辺境に伝わる作法など、皆様が笑れてしまいます。そちらの老人もしかり。何ゆえ、皆様のお近くにこのようなものを置くのか……」
と、今度はウードに嫌悪の目を向けた。
「――それだけでも、後見人としての質を問われるに十分です」
「ウード先生は博識でいらっしゃいますのでね。他国のことを色々と教えていただいてるんですよ」
「詳しいものは他にもおります。このような下賎のものを置かれるなど……。ひょっとして、皆様はご存じでいらっしゃらないのですか? この者は、身分がないというだけではありません。家を捨てたばかりか、同胞を辱め、国に泥を塗った、いわば罪人ですぞ。それをお傍に侍らせるな――」
「口を閉じよ! プラーク! 罪人などと……誤ったことを申すでない!」
ロメルは激しい口調でプラークを叩くと、ウードに向かって頭を下げた。
「申し訳ございません、ウード殿。非礼を、心よりお詫びいたします」
「とんでもない、どうぞお顔をお上げください」
「そういうわけにはまいりません」
「……」
ロメルが深々と頭を下げ、ウードが恐縮し、それをプラークが蔑みの目で見る。
しかしそれだけでは飽き足らなかったのか、口を開いた。
「下賎の、それも罪人に、そのように頭を下げるなど……」
「何度いえばわかるのか――」
ロメルが面を上げ、プラークを睨みつける。
「罪などない。あれは極めて個人的なことで、公に問われるようなことは何もされていない」
「……確かに、法には触れておりませんな。ですが、道義には反しておりますよ。それを罪といわずして、なんというのでしょう。しかし、よくまあ人前に顔を出せたものですな。羞恥というものが、ご老人にはおありでないのかな? ああ、家と一緒に捨てられたか? それとも、王城の一件で、汚濁を濯いだおつもりか? 過去は消えませんぞ」
「プラーク!」
「これは失礼いたしました」
慇懃無礼にいう。
ロメルに叱責されてなお、平然としているプラークを、男たちが睨みつける。
そして別の場所――壁際では、うつむいていたみちるが顔を上げていた。
険しい表情でプラークを睨みつけ、身体の横で握りこぶしを作っている。そのみちるの腕を、結衣が押さえている。
プラークを睨めつけていた幾人かが、視線の延長線上にいる二人の様子に気付き、息を呑む。
緊張高まる空気。
それを、
「プラークさんのお考えはよくわかりました。それで、後見人はどなたがなればいいと、お考えで?」
玲がつついて刺激した。
◇ ◇ ◇ ◇
そのころ王城では、スライディール城に向かおうとする伴侶たちが、戸外で馬を待っていた。
開けた場所に、ときおり乾いた風が吹き抜ける。
爽やかな陽光の下、ソルジェが隣に立つレイヒに顔を向けた。
「レイヒ……卿の新しい側近、リゾンといったか、ずいぶん顔色が悪いが……大丈夫か?」
ソルジェが案ずるのも道理で、リゾンという、レイヒの側近に新たに加えられた青年は、木陰もないのにただひとり、陰がさしたような顔色をしているのだった。
その様子は、少し前のアリアロスの姿と重なる。しかし、
「ふふ、そのようですね」
上司であるレイヒは心配する風もなく、バルキウスにいたっては、
「殿下、それは仕方ありませんよ。レイヒ将軍の側近に取り立てられただけでも泡を食ってるっていうのに、そのまま玲様たちにも引き合わされるんですからね」
と、納得の表情だ。
「バルキウス……」
ソルジェは、甘く、それでいて爽やかな見目を持つ自身の側近に、目を向けた。
「何か余計なことをいったのではないか? あの顔色はただ事ではないぞ」
「とんでもない。ちょっと助言しただけですよ? とって食われることはない、ただ、玲於奈様だけは絶対に見るな――って」
「それは……助言なのか?」
という第一王子たちから少し離れた場所では、レナーテ軍の筆頭軍師――アリアロスが、斜め後ろに立つ護衛に怪訝の目を向けていた。
なぜなら、いつもは剣を佩くだけの護衛が、今日は腰ほどもある大きな皮袋を、自分の足にもたせ掛けるようにして置いている。
「シャルナーゼ……その荷物は、なんだい?」
「……」
線は細いが肝の太い護衛――シャルナーゼが、主の声にちらりと視線を動かした。と思うと、しれっと応えた。
「お気になさらず」
「気にするよ! スライディール城に行くだけなのに、どうしてそんな荷物がいるんだい? 君、いつも手ぶらじゃないか」
「……ちっ」
「今、舌打ちしたね?」
「幻聴です」
「違うよね? 中身は……なんだい?」
「……」
態度と風体では、どちらが主で、どちらが従だかわからない主従がにらみ合う。
「言えないのかい?」
「……」
「なら、見せるんだ」
緊張感漂う主従。
その向こうで、ソルジェが薄い包みを大事そうに抱える、もうひとりの側近に笑いかけていた。
「ジル、今日の土産はなんだ?」
「今日は、絵本です」
「……絵本……」
主の微妙な反応に、
「やはり絵本は駄目でしょうか……」
ジリアンが肩を落とす。
「いえ、とてもいいと思いますよ。文字ばかりでは、お二人も辛いでしょうからね。綺麗な絵は、眺めるだけでも気分が変わりますよ」
「よかった。レイヒ将軍にそういっていただけると安心です」
「絵本か……そういえば、ジルは子供のころ、いつも絵本を抱えていたな。もしかしたら、それか?」
「はい。わたしのお古で、たいへん申し訳ないのですが……」
「お奨めなんですね?」
「そうだろう。ジルは意外と自分の好みを人に押し付ける。俺も『読め』と、何度読まされたことか……なあ? バルキウス」
「あー、ありましたね。でも、殿下は読むだけだから、いいじゃないですか。俺とユリアノスは、読み聞かせしろって、こいつが満足するまで何度も声に出して読まされたんですよ? 将軍」
「そうなんですか?」
「ああ……そういえば、そうだったな」
「こいつががっちり抱え込んだ状態で読まされるのに、つっかえると怒るし、台詞のところは『そんなんじゃない』とかいってやり直しさせられるんで、もうたいへんでしたよ。本当あのころは、『今日、あのチビ助は何を持ってくるんだ』って、ユリアノスと恐恐としてましたよ」
「そんな……昔の話じゃないか」
「俺は昨日のことのように覚えてるぞ」
「それに、俺はチビ助じゃない」
ジリアンが口を尖らせ、バルキウスに抗議する。
「何いってる。今でこそ俺らよりでかいが、あのころはお前、俺らの半分くらいしかなかったろ。なのに偉そうに――」
「大袈裟にいうな。頭半分くらいだ」
「いーや、頭ひとつはたっぷり俺のがでかかった。レイヒ将軍、こいつ、今は殊勝な態度で殿下にお仕えしてますがね、昔は殿下より偉そうにしてたんですよ――」
「そんなことない!」
「ある」
「ない!」
「ユリアノスに聞いてみろ」
「ふふ」
子供時代に戻ったようにやりあうソルジェの側近たちを見て、レイヒが笑う。
「良い思い出ですね、殿下」
「……ああ」
というやりとりを、レナーテ軍の総大将――キリザが眺めていた。
馬が用意される間、それらを見るともなし、聞くともなしに見聞きしていた総大将は、だれにいうでもなくいった。
「えらい違いだな」
なにしろ、第一王子の周辺は和やかだが、
「なんだいこの武器は? 短剣から何から、なんだってこんなたくさん持ってくるんだい? 必要ないだろう!!」
筆頭軍師の周辺は常になく、騒がしかった。
「っていうか、君、こんなに色々持ってたのか?」
護衛の荷を解かせ、中を検めはじめたアリアロスは、次々でてくる武器に驚いていた。
しかし主を驚かせるモノ等の所有者は、常と変わらず、
「護衛ですから」
あまり見ない主の剣幕にも、どこ吹く風だ。
「見たことないよ! これは……」
「鉄鎖、ですね」
荷検めの手伝いをしていたセリカが、声を詰まらせるアリアロスに代わって、名称をいった。
「どうしてこんなものまで……」
「護衛で――」
「必要ないよね?」
「シャルナーゼさん……これ、使えるんですか?」
セリカが訊ねたのは、実際珍しい武器であったこともそうだが、笑いを紛らわせるためでもあった。
「ええ。あらゆる武器に通じていなければ、護衛は勤まりませんから」
シャルナーゼはもっともらしく答える。が、次にアリアロスが手に取ったものを見せられると、眉をひそめた。
「シャルナーゼ……これは、何だい?」
「……」
シャルナーゼは答えず、巨大皮袋から引っ張り出されてきた、小ぶりながらも膨らんだ皮袋を見つめた。
非力な軍師でも片手で持ち上げられるのは、中味が武器ではないからだ。
シャルナーゼはしばらくの間、愛用の磨き粉に、自身で調合した油、砥石、なめした皮や布等をたっぷり詰め込んだそれを、無言で見つめていたのだが……。
「馬、遅いですね。厩舎を見てきます」
突如くるりと身体の向きを変え、歩き出した。
「待て、シャルナーゼ!」
「セリカさん、すいませんが、後、お願いします」
「え? ああ、はい、わかりました」
「駄目だよ、セリカ君。こら、シャルナーゼ! 話は終わってないよ!」
「あの、こういってはなんですが……まだ、始まってもいませんよね?」
「セリカ君?」
察しも感度も良いセリカに、アリアロスがほんのちょっぴり意識を向けている間に、護衛は見る見る遠ざかる。
「こら! シャルナーゼ!!」
「ったく……何やってんだ、あいつら」
「……」
「……」
しみじみ呆れるキリザは、隣で腹を抱えるサルファと、そのまた隣で不機嫌もあらわに立っているゼクトとともに、
「待つんだー!!」
むなしく辺りに消えていく筆頭軍師の声を聞いていた。
◇ ◇ ◇ ◇
そしてここ、スライディール城でも、制止の声が上がっていた。
「お待ちください!」
「副宰相をお呼びしろ!」
リムナクスが玲に、アビアがヤーヴェに向かって声を放つ。
アリアロスの比ではない切迫した声に、玲が応える。
「サルファさんを呼んでいただく必要はありません」
それを聞いて、今度はロメルが口を開きかける。が、玲が片手を上げてそれを制した。
「意見として、お聞きしています。サルファさんを後見人に指名したのはわたしですし、今のところ、何の不満もありません」
と、なだめた玲は、
「ですが、サルファさん以上に、わたしたちのために尽くしてくださる方がいらっしゃる――というのなら、再考もありかと考えます。現状に満足していますが、労せずしてそれ以上のものが得られるというのであれば、心も動きます。それが、普通じゃありません?」
笑顔で男たちの血の気を引かせた。
「それに、わたしたちはこちらのことを色々学んでいますが、実際に自分たちの目で見ていません。それを確かめる、好い機会です。皆さんが、わたしたちの後見人にふさわしい、適当だと思われる人物を、ここで挙げてください」
「おそれながら、そのようなものは――」
というアビアの声を遮って、
「わたくしに、その大役をお任せいただけませんでしょうか」
プラークが名乗りを上げた。
男たちが呆気にとられている前で、玲が微笑む。
「プラークさんは、ご自身ですか。他の皆さんはどうですか?」
「おりません」
「ございません」
「そのようなものはおりません」
プラーク、そしてロメルとリムナクス以外が『いない』と口を揃える。
「ロメルさんとリムナクスさんは? プラークさんと同じで、ご自身ですか?」
揶揄するような声に、二人は静かに首を横にした。
「そうですか。プラークさん以外は、推薦する方はいらっしゃらない……サルファさんが適当だと、思われているわけですね?」
男たちを頷かせた玲は、
「プラークさん、お一人ですね」
ただひとり、頷かなかった男に笑いかける。
「ふふ、そうですか……。そうですね、お一人でしたらさほど手間もかかりませんし……うん、面白そうですから、後見人の再考、やってみましょうか」
男たちが凍りつき、
「ありがとうございます、玲様」
プラークが破顔する。
「いえ。でも、たいへんですよ? とても面白いと思いますが、これは遊びではありませんからね。プラークさんには意気込みだけでなく、後見人に足る資質があるということを、はっきり見せていただかないといけません。そうでなければ周りも納得しないでしょうし、なによりわたしたちが困ります。さて、どうしましょうか……」
玲の笑みが、リグリエータを刺激するいつものそれに変化しはじめる。
「サルファさんとプラークさん、それぞれに、思いを熱く語っていただく――というのも一興ですが……やはりここは、あれですね」
玲は猫の目のように瞳をきらめかせると、頷いた。
「以前、こちらに来てすぐ、サルファさんにお願いしたことがあります。それと同じことを、プラークさんにもやっていただきましょうか。重複しますが、比較するにはいいでしょう。詳細は……ああ、残念ながら、今手元にありませんので、後で届けてもらうようにします。ヤーヴェさん……お願いしますね?」
「……はい」
ヤーヴェは応じたが、返事は一拍遅れ、しかもその声はわずかだが震えていた。
それはどう見ても、笑いを堪えているようにしか見えなかった。
「……」
「……」
理解不能な反応に、男たちが固まる。
しかし玲は構わず続ける。
「依頼するのは、ほとんどが資料の収集、作成です。それを揃えていただくにあたって、次のことを守ってください。ひとつ……まあ、これはいうまでもないことでしょうが、サルファさんが揃えたものは使用しないでください。同じものでは比較になりませんからね。それともうひとつ。前回の依頼で資料の作成に関わった方々には、協力を求めないでください。元となる資料の請求などはしていただいて構いませんが、どの資料を請求するか、やり方などはご自身で決めてください。よろしいですね? プラークさん。すべてはあなたの人脈とやり方で、揃えるようにしてください」
「承知いたしました」
それが、とんでもない量と質であることを知らないプラークは、なんのためらいもなく頷く。
同じく、それを知らない男たちは、どんどん進んでいく話に焦っていた。
止められない――
男たちは焦燥と不安を募らせている。
というのに、総大将の側近は、片やは完全に下を向き、片やは、もはや正面ではなく壁に顔を向けてしまっている。
「……」
「……」
男たちの、不安と焦燥が渦巻く胸に、怒りと怪訝が加わった。
その時だった。
二人の御使い様が動きを見せた。
下を向き、黙々とペンを走らせるばかりだった良子と玲於奈が手を止めた。
制止に入るのか――
男たちが、一条の光を見つけた思いで、二人を凝視する。
男たちの期待の前で、良子と玲於奈が動いた。
うつむき加減の面を、そのまま横向ける。
そうして目を見合わせたか――と思うと、二人は揃えたように、わずかに口角を上げた。
見た瞬間、複雑だった男たちの胸中がひっくり返った。
それは、冷笑だった。
良子と玲於奈――二人の御使い様が見せたのは、冷笑としかいいようのない代物で、しかもなにやら恐ろしいものを含んでいた。
見てはいけないものを見てしまった――
男たちが背筋に怖気を走らせながら目を逸らす。その間に、良子と玲於奈は何事もなかったように作業に戻り、
「サルファさんには三日で用意してもらいましたが、今回は、わたしたちの予定が詰まってますから、そうですね……プラークさんの提出期日は七日後、ということにしましょうか」
玲の明るく楽しげな声も、続いていた。
「そのようにお気遣いいただかずとも――」
「その代わり、といってはなんですが、少しばかりしていただくことを増やします。後見人をプラークさんに代える――その前提で、向こう半年の予定を作ってきて下さい。代わるとなれば、当然必要となる作業です」
「まさに、おっしゃるとおりで」
「それと、後見人がプラークさんになれば、礼儀作法の師と侍女を代えることになりますね」
「左様ですね」
「その人選も同時にしてください。代えるとなってから新たに探していては、わたしたちの生活に支障をきたします」
「それは、あってはならないことですね」
「ええ。ですから、ふさわしいと思われる人を選んで、七日後、その方たちも連れてきて下さい」
「かしこまりました。玲様、それでしたら伴侶の候補者も、同様にお連れしてよろしいですか?」
調子にのったプラークが、またとんでもないことをいった。
男たちが瞬時に恐怖と怒りを顔にのせる。
しかし、色々なものを見せられて、ようやく『何かある』と察した男たちは、努めて口を開かず、話が流れていくに任せた。
「伴侶もその必要がある、と?」
玲が目を細める。
「はい。見直す必要がございます」
「師や侍女ならいざ知らず、伴侶は相当難しいと思いますけど。ドレイブさんが皆さんの前で宣言されましたよね? そう、ころころ代えてよろしいんですか? 国王の威光が保たれなくなるのでは?」
「陛下は宣言されましたが、元はといえばサルファ副宰相、キリザ将軍お二方のお考えで運ばれたことでございます。翻すに足る理由があるのですから、陛下の御威光に傷がつくことはありません。たとえそうなろうとも、それが皆様のご意志であれば、だれも異など唱えられません。皆様には、それだけの力がおありなのですよ?」
「そうですか……」
いいながら、思案をめぐらせるように視線を落とした玲は、すぐに目を上げた。
「それでは伴侶もそのように」
「ははっ」
玲の鶴の一声に、プラークが深く頭を垂れ、男たちが目を逸らす。
その前で、玲と瑠衣が互いのきらめく瞳を、互いのそれに映し合ったのだが、低頭するプラークはもちろん、目を背けていた男たちは、だれもそれを見ていなかった。
「プラークさんが、わたしたちにふさわしいと思われる人物を選んで、当日そちらの方々も連れてきてください」
瑠衣と笑みを交わした玲は、そのままにこやか続ける。
「でもそうなると、たいへんですよ? 依頼もありますし、伴侶や他の人選も同時となると、時間に余裕がありませんから、プラークさんはもう、お戻りください」
「よろしいのですか?」
「ええ、時間は有効にお使いください」
「ありがとうございます。それではお言葉に甘えまして……名残惜しくはございますが、これにてわたくしは失礼いたします」
「七日後を、楽しみにしていますね」
「皆様のお心に叶いますよう努めますれば……」
優美に席を立ったプラークは、前の四人に向かってうやうやしく一礼する。そして次に、
「すみませんが、大事な仕事がございますので、わたくしは先に失礼させていただきます」
勝ち誇った目で同僚たちを見下ろすと、出て行った。
「……」
「……」
意気揚々と出て行く同僚を、男たちは見送らなかった。
立ち上がることは無論、視線すら向けない。
そんな、自席で歯噛みするばかりの男たちに、声がかけられた。
「皆さんも、たいへんですね」




