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おじさまたちは、まだティータイム

「不気味なんだよ」


 キリザは、茶器から立ち上る湯気を見つめながらそういった。

 飲み干したはずの茶が、元の湯量に戻っていることをいったのではない。


 茶は、よくしつけられたサルファ付きの小姓が用意したものだ。

 主たちの会話を邪魔せず、絶妙な間であらわれた小姓は、見事な手際でテーブルの上を整えると、去っていった。その石火の如き早業に、一抹の不気味さを感じないでもない。が、キリザがいっているのは、先に話していた男のことだった。


 サルファの副官、ゼクトという男は、有能だ。

 それに異論を唱えるものはいない。だが、彼を評する二言目は皆、キリザと似たり寄ったりのものだった。


 彼――ゼクトは、冷酷でもなければ、非道でもない。常識と良識を併せ持つ、高位の文官だ。家格を誇ることもなければ、地位に驕った言動をするでもない。というのに、彼と面互したものは一様に、不快ともいえる感情を抱いてしまうのだった。


 その主たる要因は、彼の容姿だった。

 細い面は、青白いが端正といってもよく、何かが欠けていることもなければ、多いこともない。

 問題は、それらがまったく感情を映さない、ということだった。

 彼の目鼻口は、伝達や摂取、生存のための器官としてのみ利用され、存在しているようだった。


 それだけならばよかったのだが、彼は大変大柄だった。

 身の丈は、王宮に集う、並みいる成人男性たちのそれをしのぐ。体躯に恵まれた騎士ですら、彼と並び立てるものは、数えるほどしかいない。ただ残念なことに、長身には恵まれたが、肉には恵まれなかった。ゼクトは痩身だった。


 騎士も羨むほどの長身と、広い肩幅を持っていたが、その体は薄く、そして手足は細く、長かった。

 その姿は、他者を圧するものではなく、見るものに何かしらの不安と不快を抱かせる、不調和なものだった。


 感情を映さない、ときに「幽鬼のような」と形容される青白い細面。微妙とも、絶妙ともいえる不調和を抱えた彼の容姿は、その中身とあいまって、人の目と心に、いやがおうにもくっきり悪く残ってしまうのだった。


「不気味なんだよ」

「二回もいっていただかなくても、聞こえていますよ」


 サルファは笑う。


「うるせえ」


 不気味不気味と連呼するキリザに向かって、サルファが笑えるのは、その中に悪意が潜んでいないからだ。

 感じるままをいう――国家の支柱、キリザの言動は、剣筋と同じで剛直だった。

 しかも、開けっぴろげなこの御仁は、ことあるごとに本人に向かってそれをいい、かつ、いわれた当人もまったく気にしていないので、第三者が気に病む必要などないのだった。


「何をいってもやっても、驚くじゃなし、怒るじゃなし。何考えてるのか、さっぱりわからん」

「心のありようが、他者と少し違うのでしょう」


 サルファは、どこ吹く風だ。


「俺には到底わからん。何が楽しくて生きてんだか、っつか、感情自体、あるかどうか疑わしいだろ? あいつは」

「ひどいですね。彼にも感情はありますよ。……たぶんね」

「なんだよ、たぶんって」

「ははっ、冗談ですよ。彼にも感情はあります。あなたが帰った後は、いつもため息をついていますから」

「なんだそれ。俺は喜べばいいのか? 怒ればいいのか? どっちだ?」

「どうぞ、お好きなように」

「ま、今日のところは喜んどいてやる。なんせ、奇跡の塔に行ってるんだからな、あいつは」


 と、笑うキリザのそれは、純粋なものではない。

 笑顔の中に、邪悪なものを見たサルファは、訊ねた。


「とても楽しそうですね?」

「おっ、わかるか?」

「わかりますよ。よからぬことを考えていらっしゃるだろうということは」

「よからぬこと? 馬鹿いえ。俺にとっちゃ、素晴らしくいいことだ」

「まあ、そうでしょうね」

「とぼけるな。だいたい、お前が仕組んだんじゃねえか」

「は?」

「は、じゃねえよ。ホレイスだ。あの浮かれ野郎に、一発ぶちかましてやろうってんだろ?」


 いや、一発じゃねえか、じわじわか――と、希代の大将軍はぶつぶつ大きな声で、つぶやいている。


「何をおっしゃっているのか、わかりませんね」


 口ではそういいながら、ホレイスという名が出た時点で、サルファは、だいたいのところがわかった。


「ったく、とぼけるのが上手いな」

「褒めていただけるのはうれしいですが、何やら勘違いされているようですね。ゼクトをったのは、もちろんわたしの意志ですが、託すのが彼より他にいないからです。含むところは何もありませんよ」


 声に心外さを込めたが、この御仁には通じない。


「ああ、ま、そういうことにしとくか」


 にやにや笑いはさらに深まった。


「お迎えの大役を、お前から奪ったはいいが、その片腕がのり込んで来るのは知らないからな。ああ、奴の浮かれ顔が、引きつるのが目に浮かぶ――ってか、その瞬間を見たかったぜ。それだけが心残りだな」


 上に立つ人間にあるまじき発言はさておき、サルファは訊ねた。


「ゼクトが付くことを、ホレイス殿にお伝えしていないんですか?」

「ああ」


 キリザはこともなげに答える。


「グレンがな、当日遣ることにしたんだよ。ホレイスのやり方には、奴も相当腹を立ててるからな。無能ってだけでもグレンの怒りを買ってんのに、そいつが国の大事にしゃしゃり出て、わが物顔で振舞うなんざ、奴としちゃ許せないんだろ。格好のお目付け役を使って、ちっとばかし、嫌な思いをさせてやろう――ってなもんだ。俺は大いに賛成したぜ」

「はぁ」

「どうした? ため息なんか付いて」


 サルファは、こめかみを押さえたくなるのを我慢した。


「わたしではなく、国の二大支柱と呼ばれる方々が、はかってのことでしたか……」

「ああ、そうだ」


 答えるキリザに、悪びれるそぶりなどない。


「それにな、グレンは、ホレイスにあっさり役目を譲ったお前にも、腹を立ててるぞ」


 それどころか、満々と、笑みを湛えていた。


「出迎えは、簡単な役目だが重要だ。国を左右する力を持つ娘を、ホレイスは囲い込むだろう。公平、なんて言葉は、奴の頭ん中にはないからな。我欲のまま、突っ走るだろう。それを、グレンは阻止しなきゃならん。お前が踏ん張って、役目にしがみ付いててくれれば、そんな余計な仕事をする必要もないのにな。ってな理由わけで、我らが宰相閣下殿は、だ。悠々と茶なんか飲んでる奴にも、少しばかり嫌がらせ――じゃねえや、思い知らせてやろうとお考えになったのさ」

「嫌がらせ……ですか」

「まあ、そこは気にすんな」


 おおらかなキリザは続ける。


「ホレイスの野郎は、お前のことを目の敵にしてる。ひとの有能さを憎むだけが得手の野郎だからな。そんな野郎がだ、嫌いに嫌ってる奴の、しかもこれまた辛気臭い右腕が来たとあっちゃあ――」

「わたしはますます嫌われますね」

「その通りだ」


 キリザは極上の笑みで答えた。


「奴は単純だからな。グレンがわざと教えなかった、なんて、ちみっとも疑わないだろうぜ。グレンもわざわざいわないしな。大役を奪われた男の仕返し、としか思わないだろうぜ」

「わたしは、知らないところでさらなる恨みを買わされた――というわけですね」

「そういうことだ。いいか、気を付けろ。ああいう野郎は、ねちっこい上に卑怯だからな。どんな手を使ってでも、お前を陥れようとするぞ」

「もうすでに、半分落とされたように思うのですが……あなた方お二人に」

「大げさにいうな。小石を置いたくらいのもんだ。しっかし、今回のことは教訓ためになったな。グレンを敵に回しちゃならねぇ。大なたを振るうばっかりだと思ってたが、小まめに嫌がらせまでする奴だったとはな。見損なってたぜ。ふぅ、危ねぇ、危ねぇ」


 真顔を作っていうキリザに、サルファは、呆れてため息さえ付けない。

 とそこへ、


「失礼いたします」


 控えめな声とともに、小姓があらわれた。手にした盆には、涼しげな茶器と、それにあわせた菓子がのっている。


「お前は……いったい、どっからのぞいてやがんだ?」


 会話の谷間に姿を見せる小姓に、キリザが目を向ける。

 しかし、返事はない。小姓は微笑んで、己の仕事を進めるばかりだ。


「おい、俺の腹を下そうって魂胆だろ? そうだろ?」


 キリザの冗談にも手を休めることなく、微笑みのまま、茶器を並べ、そして片付けてゆく。


「ったく、主の影響だな。ここの人間は癖のある奴ばっかりだ」


 その声に、サルファは目をすがめた。


「その言葉は、そっくりそのまま、あなたにお返ししますよ」

「おっ、なんだ、もう立ち直ったか」

「将軍にいたぶられるのには、慣れていますから」

「おい、やめろ。変ないい方すんな。こいつが誤解して、茶に毒でも入れたらどうすんだ」

「もう、入っているかもしれませんね。ああ、どうぞ、これはシスタ産の高級茶です。是非、ご賞味くださいね」

「お前……」


 小姓がくすりと笑い声をもらす。

 レナーテ王国副宰相――サルファの執務室では、少々騒がしいが、いつもと同じ、穏やかなときが流れていた。


 その平穏を打ち破るものが、今まさに、執務室の扉を叩こうとしているのを、神ならぬ身であるふたりは知らない。


 束の間の時間とき

 本来居るべき場所を放棄したものと、奪われたものはともに、窓外に目をやっていた。


「もう、いらっしゃったでしょうか?」

「来てるだろ」


 開け放った窓から、優しい風が入り込む。

 その向こうには、雲ひとつない、澄んだ青空が広がっている。美しい青の中。天に向かって聳え立つ白の尖塔が、柔らかな陽光を受け、きらめきを放っていた。








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