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異世界カルテット ~わがままに踊ります~  作者: たらいまわし
第七章 舞台にあらわれいでたるは
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とくに変わりはありませ……ん?

 空の一角が白みだし、夜の間は黒い影でしかなかった万物が、その色と形を取り戻しはじめる早朝――




 スライディールの主たちはすでに始動していた。

 揃いの胴衣に身を包み、板間に改装されたガランとした一室で、黙々と身体を動かしている。

 

 眠りから覚めたばかりの身体を、たっぷり時間をかけて隅々まで丁寧に伸ばし終えると、四人は二人二組に分かれ、様々な動作を繰り返し繰り返し、さらに攻守を変えて、丹念に何度も行う。その後、徐々に速度を上げながら力を加えていく。


 板敷きのためだろう、身体が打ち付けられるたびに「ダンッ」と重い音が響く。

 思わず眉をひそめてしまうほどの大音だ。が、音ほどの衝撃はないようで、即座に立ち上がる。

 

 次第に四人の呼気が荒くなり、まとめていた髪がほつれ、胴衣も崩れていく。

 乱れた着衣を整え、帯紐を絞め直すこと数度。

 いつもなら、このあたりから力と緊張を緩めていくのだが、愛らしい指導者がここでにっこり微笑んだ。



「皆、調子もいいみたいだし、久しぶりに、やろっか」



 瞬間、三人の目に緊張が走る。



「時間は?」 

「九十秒」

「了解」



 固く短いやり取りの後、魂の姉妹が向き合った。





◇  ◇  ◇  ◇





「まぶしー」

「今日も良い天気だね」

「朝ご飯何かしら?」

「やめてくれる? あたし今、吐き気すらもよおしてるんだけど」



 と熱気を放つ四人が湯殿に向かうころには、朝日が昇っている。



「ははは。朝から元気いいな」

「本当に」



 キリザとサルファは微笑ましげに四人を見送る。

 しかし、リグリエータは二人の様には笑えない。

 


 九十秒。

 鍛錬の終盤に行われたのは、それまでの動きが児戯に思えるような激しい攻防だ。

 信じられない速さで技が次々とかけられ、外され、またかけられる。攻守はたちまち入れ替わり、見ている側にはどちらが優勢かもわからない。倒されたものが次の瞬間には足を掬い、攻めている。そんなことの連続だ。

 

 終了の声と同時に両者がくず折れ、あえぐように全身で空気を取り込む。しばらくは声も出せないほど、ひどい疲弊の仕方だ。

 気力、体力、技のすべてをそこに集約し、ぶつけているのだからそうなるだろう。その前にも、たっぷり身体を動かしている。そこからさらに、息つく間もなく、激しい動きを九十を数える間、絶えず行うのだ。



『人の身体は柔軟で、これほど俊敏に動けるものなのか』と感嘆すると同時に、『どうしてここまでする必要があるのか?』とリグリエータは思う。



 たまには全力を出しておかないと、いざというとき出せないし、互いの力量を測るためでもある――という。



 なるほど、とも思う。



 すでに習慣となっており、さほど苦ではない――


 

 というのは強がりでもなんでもないだろう。

 身体は辛そうでも、悲壮感はまるでない。誰にいわれるでなく、自らの意志でやっているのだから当然か。



『己の血肉になり、武器となる――と思えば、俄然やる気が出ますし、慣れると結構楽しいもんですよ?』



 見ている側には苦行にしか思えないそれも、苦しさと引き換えに得られる喜びの方が勝るようだ。

 苦しみを楽しみに昇華できる域にまで、たどり着いている。


 もう、十分だろう――とリグリエータは思う。惰性で続けるだけでも力は維持できる。しかし四人は満足せず、さらなる高みを目指し、倦まず弛まず努力を続けている。

 

 鍛錬に限らず、彼女たちはすべてにおいてそうだった。性分なのか、得られるものはなんでも吸収しようとする。非常に貪欲だ。モノ(・・)にはさほど執着は見せないが、知識や力の取得に関しては異様なまでに熱を入れる。



 自らを強力な一個の武器にしようとしているのか――

 単純に面白いからか――



 おそらく両方だろう。と、ヤーヴェと頷き合ったのは、結構前のことだ。


 何事も真剣に、地道に取り組む姿には、正直頭が下がる。

 たとえそれが『世のため人のため』ではなく、『え? 全部自分のためですよ?』という利己的な動機であってもだ。

 が、

 


「今日の予定も、ぎゅうぎゅうに詰まってるんですがね」



 やるにしても、ほどほどにして欲しい――



 というのが、リグリエータの本音だ。

 一日はこれからだというのに、そのしょっぱなから身体を完全燃焼させてどうするのか。

 身体に障りはなく、予定に支障をきたさないとわかっていても、つい、いいたくなる。



「気持ちはわかりますが、玲様たちには、あれが普通ですからね」

「怪我しなきゃいいだろ」



 と、上の二人はのん気なものだ。

 サルファとキリザが鍛錬に付き合っているのは、四人が怪我をしないか――それが気がかりなだけで、他は何も心配していない。



「今日は大臣たちとの面談もあるんですよ?」



 王城から二人の御使い様を連れ戻ってから八日。

 人であると公表し、公に姿をあらわしてから、すでに七日が経っている。

 その反響は凄まじく、四人のことは怒涛の勢いで広まり、騒ぎは日を追うごとに大きくなっていた。


 公にした以上、これまでのように騒ぎを横目で傍観する――というわけにはいかない。


 王城の人間たちのように騒ぎはしないが、四人が姿を公にしてからというもの、スライディールに集う面々は、それぞれに忙しくなっていた。


 伴侶たちの滞在時間は短くなり、一日の大半をここで過ごしていたサルファとキリザも、王城とスライディール城を頻繁に行き来している。今日も朝食を取り次第、王城に向かうはずだ。玲たち四人も例外ではない。城を出ることはないが、一日の予定は過密になっている。 



「おう。だから気合入れたんじゃねえか? なあ」

「そうですね」


「……はぁ」


 リグリエータはため息をついた。





◇  ◇  ◇  ◇





 七日前。

 玲たち四人は、四百人からなる臣下の前に立った。


 それぞれの伴侶に手を引かれ、壇上にあらわれた四人の姿に、王城の大広間に集められたレナーテのおもだった武官文官、貴族らは、息をするのも忘れたように固まった。

 


 予想通りの反応だ。

 リグリエータは広間の隅で、ヤーヴェとともにその模様を眺めていた。



 水を打ったように静まり返る広間に、グレンが低音を響かせる。

 壇上に立つ四人の名を呼び上げ、一目瞭然だがその伴侶も伝える。

 驚きのあまりだろう。男たちは前を見つめるばかりだ。


 その原因である四人の娘たちは、驚愕を貼り付けるだけの人間を、高みから見下ろしていた。



 玲は面白そうに眼下を眺め、

 瑠衣は最前列に並ぶ銀髪の兄弟たちに小さく手を振り、

 玲於奈はまったく興味がないのか、あらぬ方に目をやり、

 良子は手を振り返す兄弟たちを睨み付けていた。



 そこには、一片の緊張感も感じられなかった。実際緊張などしていないだろう。

 一見いっけん行儀よくしつつ、その範囲内で四人は自由にやっていた。



「……本当に、慣れていらっしゃるな」



 ヤーヴェの声は笑いを堪えているためか、少々震えていた。顔は最初から笑っている。


 このような場で口を開くなど、普段であれば決してしない。が、緊張感のないスライディールの主たちを見ていると、自然と肩の力が抜ける。おまけにすべての目は壇上に釘付けになっており、隅にいる自分たちに向けられることはない。


 蹴躓くのではないかと心配していた最年長の伴侶も、無事、壇上に上りきり、何の懸念もなくなったリグリエータは、同僚のささやきに頷いた。



「ああ、確かに。場慣れしていらっしゃる」

 


 玲たち四人が人前に立つことに慣れていると教えてくれたのは、スライディール城に居を移すことになった二人の御使い様たち――結衣とみちるだった。





 当初、スライディールの大広間に通された結衣とみちるは、気の毒なほどがちがちに固まっていた。

 無理もない。居たのは、リグリエータ自身も含め、見ず知らずの人間ばかりだ。嵩高い上、優しい容姿はしていない。二人を見る目も、嫌悪こそないが、どうしても測るような目つきになってしまう。


 不安もあった。

 ソルジェがいる。子うさぎのようにびくびくしている二人が、第一王子を見て卒倒するのではないか――と、ここ最近まったく必要なかった心配をしなければならなかった。


 しかしそれは杞憂だった。


 玲から、『わたしの伴侶』とソルジェに引き合わされた二人は、『ごくり』と音をたてて息を飲んだ、次の瞬間、がばりと上体を倒した。



『ごご、ご挨拶の仕方がわかりませんが、中尾 みちると申します。どうぞよろしくお願いします!』

『村瀬 結衣です。お願いします!』


  

 力みすぎて、声の一部はひっくり返っていた。


 新人従卒のように深く頭を垂れる二人の御使い様に、『顔を上げて欲しい』とソルジェはいったが、『滅相もない』『畏れ多い』二人はかたくなに拒んだ。

 結衣とみちるの目には、ソルジェの姿は恐怖を誘う異様ではなく、畏れ多い威容と映ったようだ。


 そうしてソルジェを皮切りに、そのまま残る三人の伴侶も次々に紹介された二人は、レイヒを見て顔をかがかせ、次にぽっかり口を開けてゼクトを見上げ、最後にアリアロスを見て口を閉じた。目は、伏せ気味だった。

 わかりやすすぎるその反応に、



『いや、その……申し訳ない』


 アリアロスがすまなさそうにいえば、結衣とみちるは手を振り、 


『そんな、ちょっと違うなって思っただけですから』

『そうですよ。こっちが勝手にがっかりしただけで、あ……』

『ちるちゃん……』



 ぽろりと本音を漏らす。



『結衣、みちる、人を見た目で判断してはならん。そちらのアリアロス軍師は、姿こそ凡庸であられるが、北国イギーラスをレナーテに帰属させたお方なのだぞ』

『先生すいません、すごさがわかりません』

『何? わからんのか? どの国にも従わず、組せず――高潔にして孤高の国イギーラスを、わずかばかりの人員でレナーテに引き入れられたのだ。今、レナーテが大陸最強といわれておるのは、そのためじゃ』

『あ、いや、わたしは案を出しただけで――』

『ご謙遜を。アリアロス軍師はお姿同様、謙虚でいらっしゃる。そしてそちらにおられるウルーバル将軍は、かつてイギーラスの王太子であられたお方じゃ。エルーシル副将軍はその弟御であられる。御両者を見れば、どれほどの国であったかわかるじゃろう』

『ええっ?!』

『この人たち、そんな偉い人だったんですか?』



 銀髪の兄弟を振り返る結衣とみちるは、いよいよもってわからない――という表情かおだった。

 ウードの思いは、どれも伝わらずに終わった。



 二人はたいへん正直で、感情もわかりやすかった。

 そんな色々なことがあって、最初はがちがちだった二人も、次第に強張りが取れ、



『結衣ちゃんとみちるちゃんは、玲ちゃんたちのこと、よく知ってるんだろ? 教えてくれないか』



 と、キリザが水を向けてからは、どんどん口を動かした。



『玲さんたちが四天王ではなく、四横綱と呼ばれているのはですね』

『玲さんの玲さんによる玲さんのための、素敵女子番付表――』

 


 最終的には、ソファから身を乗り出すようにして話していた。


『え? そんなことまで知ってるの?』『個人情報どうなってんの?!』と、玲たちが驚くほど、結衣とみちるは四人のことを知っていた。

『だって、追っかけですから』と、はにかんだ二人は、四人が人前に立つのはもちろん、騒がれるのにも慣れっこだということを、レナーテの男たちに教えてくれた。



 その二人の姿は、ここにはない。

 人前に出るより先んじて、やらなければならないことがあるため、彼女たちはスライディール城で留守番だった。

 玲号令のもと作成準備された『新入居者用やることリスト』と、『膨大な資料』を前に、ウードと三人、仲良く肩を落としているはずだ。


 がちがちの緊張を解き、顔をかがやかせるまでになっていた結衣とみちるだったが、玲から今後のことについて聞かされると、二人は顔色を変えた。

 晴れかがやいていた面は見る間に曇り、最後には愕然としていた。


 新たな環境に馴染むどころか、休む間もなく次々と話を聞かされる二人の御使い様を、だれもが気の毒に思ったが、すべては必要なことだから仕方ない。





「ふっ」


 と、リグリエータは息で笑った。

 昨日見た表情が、人と数を変え、目の前に並んでいる。



 化け物だと信じて疑わなかった異形のものたちは、美しい娘たちだった。

 その娘らは泰然と、己が姿を見せ付けるようにして立っている。


 男たちが目の前の現実を受け止めようとしているところに、グレンがさらなる追い討ちをかけた。


 王城の三人の御使い様のうち二人がスライディール城に移ったこと、その後見役が見直されること、御使い様に関する規定の改定――等々を、グレンはいつものように淡々と並べた。


「……」

「……」


 驚愕の事どもの前で、男たちは木偶のように立つだけだった。

 そして玲たちは、それを眺めるだけだった。


 男たちが自失から立ち直り、ざわめきだしたのは、壇上に誰もいなくなってしばらくしてからだ。



「人……だったのか」

「神は、お怒りではなかったということか」

「我らは見捨てられたのではなかったのだな」

「そのようだな」



 ざわめきの間にたち上る安堵の声を聞いてから、リグリエータはヤーヴェとともに王城の大広間を後にした。





◇  ◇  ◇  ◇





 それから七日が経つ。

 それだけの時間が経てば、最初は神の制裁でないことに安堵した人々も、違うところに目を向けるようになる。



 一度姿を見せたものの、四人はスライディール城に戻ったきりで、そこから出てくる気配がなく、会うこともままならない。


 王城にいた二人の御使い様はスライディール城に移り、一人は王城に残ったままである。

 そしてホレイスは、二人の後見人から外されはしたが、特に罰せられることもなく、いまだ、残る一人の後見人でいるという、実に奇怪な状況だ。


 そうした現状だけが伝えられ、そこに至るまでの経緯が一切話されなかったために、人々はさまざまに憶測し、王城は結構な騒ぎになっていた。




『どういうことだ。何故、スライディールの方々は姿をお見せにならんのだ。お移りにならずとも、王城にいらしてもらわねば、一度きりでは臣民も落ち着かぬ』

『お怒りなのではないか? ご降臨の際、候補者らが剣を向けたというぞ』

『それは……いたし方なかろう』

『仕方ないでは済まされんぞ』

『ああ。よくよくお詫びせねばなるまい。だがご勘気は、すでにサルファ副宰相が解いておられるのではないか?』

『ああ。後見役に指名されたのだ。信を得ておられるのだろう。伴侶もすでにお決まりのことだし、御使い様は、王城へのお渡りは必要なしとお考えなのかもな』

『それがまこと、御使い様のご意志であれば問題ないが……』

『何だ?』

『違うとでも?』

『おぬしは副宰相が御使い様を操っているのではないかと、考えておるのか?』

『馬鹿な』

『考えられん』

『考えられない話ではないと思うが。北を落としたお方だぞ。若い、それも異界の娘を落とすなど、あのお方には造作もないだろう』

『……』

『降臨されたその日に後見役に指名されるなど、どう考えてもおかしいだろう? しかも伴侶はソルジェ殿下をはじめ、副宰相に近い人間ばかりだ』

『しかしな、伴侶はホレイス卿の提案だった』

『それを逆手に取ったのではないか? ひょっとしたら、ホレイス卿ご自身も知らぬうちに、言わされたのやもしれん』

『そして御使い様は、サルファ副宰相に言い含められて頷いた、と?』





「――とまあ、だいたい副宰相閣下が裏で糸を引いている類のものが主流だな。主流だが、どれも想像でしかないから、話も次の段階に進まない。過激な話は、今のところないな」

「変わりなしか」

「ああ。あっちこっちの噂に振り回されて、右往左往だ。副宰相が主導しているというのが一番座りがいいから、そこに話が落ち着くんだろうな」

「伴侶のことは?」

「まあ、それもちらほら聞こえるが、声高にいうものはまだいないな。伴侶を連れて姿を見せたのが、やはり効いてる。それよりホレイス卿のことの方が、気になるようだ。特に上の方はな」

「だろうな――」



 リグリエータは、王城へ向かったキリザとサルファ――二人と入れ替わるようにしてやってきたヤーヴェと肩を並べ、スライディール城の回廊を歩いていた。


 同僚のヤーヴェは、もう住まいも移したほうがいいのではないか――と思うほどにスライディールに常駐していたが、玲たちの生活も落ち着き、だいたいの流れが出来たため、少し前から本来の業務に戻っていた。活動拠点も軍本部に戻している。


 供にする時間は劇的に減った。が、関わりに変化はない。



「――後見役を外されたのに、何の咎めもなく、残る一人の後見人のままでいるんだからな」

「ああ。許しているのか、泳がしているのか。陛下や宰相閣下のお考えがわからず、皆、困惑している。でも一番困惑しているのは、ホレイス卿自身じゃないかな?」

「ふん。で、動きは?」

「ない。グレン宰相に弁明したっきりだ。玲様たちの不興を買って、それがどういう形で出てくるか、恐恐としてらっしゃるんだろう。画策する余裕がまだないんじゃないかな? なにせ、玲様たちが王城に乗り込んだ話が、城下にまで広がってる。使用人たちが大袈裟に触れ回ってくれたおかげで、もう、隠そうにも隠せない」

「陛下のお耳に届くのは間違いない――か。陛下はすべてご存知だというのにな」

「はは。教えて差し上げたいな」

「静かにしてるんだから放っとけ」

「ああ。まあしばらくは、ホレイス卿も大人しくしてらっしゃるだろう。だが、何の沙汰もないとなれば、お得意の勘違いをして蠢動しはじめる」

「だろうな。しかし、謀をするにも、仲間を集めるにも時間がかかる。動き出しても、形になるのは先だな。リファイ殿下の方はどうだ?」

「見張らせてるが動きはない。全体に、様子見の感じだな」

「そうか。動きはなくても目は離すなよ」

「ああ、わかってる」


 

 と、こうしてヤーヴェは毎日スライディールの城にやってきて、外の様子を伝え、



「――で、玲様たちは? 今日もご機嫌麗しく?」

「ああ……今日は特別麗しいぞ」


 

 リグリエータが内の様子を伝えるのだった。

  

 



◇  ◇  ◇  ◇





 ヤーヴェは本来の任務に戻り、スライディール城から解放されたが、リグリエータは逆に、スライディール城に縛り付けられることになった。


 キリザが王城とスライディール城を往復するようになっても、その根城は依然としてスライディール城のままであったし、過ごす時間も長い。


 もともと、ヤーヴェは如才なさから王城の文官らとの折衝や連絡を任され、出入りすることが頻繁で、リグリエータの方がキリザの側にいることが多かった。そのため、スライディール城ではリグリエータが、王城ではヤーヴェが――こちらはセリカをはじめとする新参者も含めた数名で――キリザに従う、という形になった。


 リグリエータが側近の務めを果たすのは当然のことだ。

 が、それぞれに忙しくなり、出払うようになったサルファ、ゼクト、ヤーヴェたちのスライディールでの仕事まで、どんどんリグリエータに流れてくるようになった。気付けば、ここの住人になっていた。


 誰かがその役をしなければならない。

 なにしろ注文の多い娘たちだ。それに応えられる人間でないといけない。四人の要望に応えられるだけの能力があり、彼女たちが遠慮なく(・・・・・)こき使える人間(・・・・・・・)――となれば、リグリエータしか残っていなかった。


 消去法だ。しかも選択肢自体、ヤーヴェとリグリエータの二択しかなかった。

 ごねようがない。リグリエータはただそれを受け入れるしかなかった。



 というわけで、玲たちと同じ棟――キリザよりも四人に近い居室という、望んでもいない場所まで与えられ、一日のほとんどを四人の側で過ごしている。

 

 モノや人の手配から、立会いや雑談、相談相手まで、なんでもやる。というより、やらされている。

 その片手間で、キリザの側近の仕事をするような感じだ。


 ひょっとしたら、知らぬは己ばかりなり、で、住居どころか仕える主まで代わっているのかもしれない――とリグリエータはふとした拍子に思う。が、思うだけで、はっきりさせるつもりはなかった。これ以上、心の平穏を失いたくはない。



「朝一番から完全燃焼だ。でも問題ない。朝食もいつも通り、上品に大量に召し上がっておられた。今はお茶を飲みながら、大臣たちの身上書と会議録をご覧だ」

「ふふ……そうか」



 リグリエータの口調か表情か、それとも内容にか――ヤーヴェが笑う。



「ヤーヴェ、今日の面談には、お前も同席させるとおっしゃってたから、そのつもりでいてくれ」

「わかった」

「こちらの人数は少な目だ。伴侶はだれも同席しない。キリザ将軍とサルファ副宰相も、今日は席に着かれない」

「え?」



 伴侶はまだしも、キリザとサルファが同席しないというのは、思いもしなかったようで、ヤーヴェが目を見張る。


 

「大臣たちに本音をしゃべらせたい、と玲様はお考えだ。若い娘と、俺たちみたいな若造二人だけなら、大臣方も話しやすかろうというわけだ」

「ふうん」

「なんだ? おかしいか?」

「いや、大臣たちにはさほど悪い印象はお持ちでないのだな……と思っただけだ」



 口ではそういいながら、察しも血の巡りも良い同僚は、『本当にそれだけか?』と目で訴えてくる。

 リグリエータはため息を付き、目を逸らした。



「レナーテの三傑には及ばないが、大臣方も肩書きに見合うだけの人柄と資質をそれぞれに有しておられる。持ってないのはごく一部、地位を金で買った御仁で、それが悪目立ちしてるというだけだ」

「ふふ、そうだな」

「そのごく一部を排除するためには、まっとうな大臣たちを味方に付けた方がいい」

「ああ」

「と、俺は思ってるんだが、玲様のお考えは少し違う」

「なんだ、違うのか」



 ヤーヴェは笑う。



「ああ。敵対するつもりはないが、どうしても味方にしたい、とも思っておられない。というか、そういう姿勢で臨まれる」

「ほお」

「それなりの目と頭があれば、こちらがわざわざいわなくても、自分がどうすべきかわかるだろう、ということだ」

「なるほど。おっしゃる通りだな。わからないような人間は要らないし、わかる人間はおのずとこちらに付く、とお考えか」

「そうだ。『味方になれ』とこちらがいえば、それを逆手にとって近寄ろうとしてきたり、要らない人間まで手を上げる可能性がある。面倒なことが増える。皆様は、それがお嫌のようだ。だから積極的に取り込むおつもりはない。判断に必要な情報だけ与えて、反応を見る。とりあえず、今のところはそれでいい、とおっしゃってる」

「そうか。しかし、伴侶は同席させないといってたが、ゼクトもか?」

「伴侶はだれも同席させないといっただろう。ゼクトもだ」



 それを聞いて、ヤーヴェが「ふふ」と笑った。



「リグリエータ……また、恨まれるな」



 人の悪い笑みを向けてくるヤーヴェを、リグリエータは睨み返した。



「恨むなら玲様を恨んでくれ。俺が決めたわけじゃない」

「そんなこと、ゼクトだって、百も承知だ。ただ、降臨されてからずっと側にいたのに、突然離されたものだから――」

「伴侶なんだから、仕方ないだろう。勤めがかわる。ゼクトはその準備をしなきゃならん」

「そうだが、頭でわかっていても、嫌なものは嫌なんだろう。ずっと側にいたのに、その場所をお前に取って代わられた」

「いつでも喜んで返してやるぞ。俺だって好きでやってるわけじゃない。なのにどうして俺が恨まれるんだ」



 リグリエータはゼクトだけでなく、キリザにまで『お前、俺より玲ちゃんたちと近いなんて許せねえな』とやっかみをいわれていた。キリザのそれは冗談だが、ゼクトの目は本気が入っている。


『おい、リグ。後ろから刺されないように気をつけろ』

『後ろまで気を配る余裕なんかありませんよ』

『はは。でもなんだな、あいつにも、人らしい感情があったんだな。安心したぜ』


 キリザは喜ぶが、リグリエータはまったく喜べない。




「俺はこき使われてるだけだぞ!」



 いいようにこき使われた挙句、誰からも感謝されないばかりか恨まれるなど、理不尽極まりない。 




 らしくなく、空に向かって吠えたリグリエータは、唐突に、



「……俺も、結婚するか」



 これまた、らしくないことをいった。

 なぜなら、四人は独身者をまったく気遣わないが、ユリアノスのような妻帯者には『休みはちゃんと取ってくださいね』『早く帰れ』と、それぞれに気遣いを見せるのだ。


 リグリエータの突飛だが思考丸わかりの発言に、ヤーヴェが唇を動かした。



「リグリエータ、結婚はいいが、相手がいるのか?」

「……」



 肩を震わせながら現実を教えてくれる同僚を、リグリエータが睨み付けていると。



「いいですね! リグリエータさん」

「おめでとうございます!! 式には呼んでくださいね~!」


 

 上から祝福が降ってきた。







 

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