凱旋する娘たちは
「玲ちゃん、あんな声も出せるんだな。まったく、どこの高慢ちきな王女様かと思ったぜ」
キリザが笑った。
「キリザさん? 女は生まれながらにして女優、なんですよ?」
歩きながら、玲が後ろを振り返る。
キリザは、結衣、みちる、ウードの三人をヤーヴェとセリカに任せ、最後に出てきた二人――玲とサルファを待ち、一行の最後尾についていた。
「――相手次第で何にでも化けられるんです」
高慢王女をひきずったまま答える玲に、玲於奈が肩越しに笑みを向ける。
「だったら、純情可憐な村娘が見たいわね? どんな感じかしら?」
王女の格上――エスの女王、玲於奈の嫣然とした微笑の前で、玲のにわか作りのそれが消えた。
「すいません。ちょっと調子にのりました」
「ったく、ほんとすぐ調子にのるんだから」
「ふふ。でも、良子ちゃんと玲於奈ちゃんが、すぐにこうやってぺっしゃんこにするから、いいんじゃないかな?」
苦い顔をする良子に、瑠衣が笑いかける。
「はは、さすがの玲ちゃんも、三人には適わないんだな」
◇ ◇ ◇ ◇
「キリザさん、それこそ今更です。わたしが三人に頭が上がらないのは、もうよくご存知でしょう? ことあるごとに責められ叱られ、ときにしばかれているのをご覧になっているはずです」
「全部あんたが悪いんでしょうが」
「ほら、この通り」
という玲に、キリザばかりでなく、サルファとヤーヴェも笑いをこぼす。
「この調子じゃ、空が青いのも玲ちゃんのせいだっていわれんのも、時間の問題みたいだな」
「恐ろしいことをいわないでください、キリザさん」
「ははは」
気持ちのいい笑い声を廊下に響かせたキリザは、あるときは慈愛に満ちた女神のように、あるときは冷徹な官吏のように、またあるときは傲慢な王女のように――自由自在、千変万化のたたずまいを見せる、今は困ったように眉をひそめる娘に問いかけた。
「しかし玲ちゃん、あいつらに正面切って喧嘩を売ったわけだが、よかったのか? 今日はお行儀よく、かっさらってくだけじゃなかったか?」
たちまち玲の眉宇から曇りが消える。
「予定はあくまで予定です。状況次第で変わります。ですがそれも、予定が繰り上がったというだけの話です」
玲は口角を上げた。
「目的は達しましたし、計画の大筋は変わりません。早いか遅いか――それだけの違いです。相容れない人だとは思ってましたし、なにがどう転んでも、動かしようがないほどにそれがはっきりしました。容赦も必要ない相手だとわかったんですから、構うことはないでしょう。ね?」
「ふふ、そうね」
玲於奈が微笑んだ。
「でも、だいぶ頓珍漢みたいだから、どうかしら? 自分の都合のいいように解釈するかもよ? こっちが喧嘩を売るつもりで手袋を叩きつけても、寒さのために自分にくれた、って思いそうな手合いじゃない?」
「いえてる」
「なんと……。でもそこまで勘違いできるなら、逆に羨ましいね。本人は幸せだよね?」
「何いってんの。本人だけで、こっちは大迷惑でしょうが。ほんと、馬鹿じゃないの? って思うくらい話の通じない人間が、この世にはウヨウヨいるんだから。あれもその口よ。あんなの放置しといたら、たいへんなことになるわよ」
「経験者は語る、だね? 良子ちゃん」
「ちょっと?」
良子と瑠衣が睨みと笑みを向き合わせる。
玲が不敵に笑った。
「勘違い、大いに結構。わからないなら、わからせるまで。擦り寄るなら叩き返す。喧嘩上等! かかってきなさい」
「ふふ。威勢がいいわね?」
「すごい攻め気だね、玲ちゃん」
「――サルファさんとキリザさんが、お相手いたす」
「あんたが相手するんじゃないの?!」
「え? わたしは最後だよ。弱ったところを完膚なきまでに叩き潰す。ふはは」
「魔王になった!」
「考え方が嫌らしいわ!」
「通常運転でしょ」
「……いやはや、散々ないわれようですな」
つぶやくようにいった玲はくだけた態度をしまい、真顔を年長者らに向けた。
◇ ◇ ◇ ◇
「冗談はさておき、ホレイスさんがこのまま引き下がることはないでしょう」
玲は話を戻した。
凛とした声に、空気が瞬時に引き締まる。
それを背中で聞いていたウードは、思わず後ろを振り返った。
声音や調子を変幻自在に変えながら、空気までたやすく操ってしまう玲という娘に、ウードは驚くばかりだ。
が、すでにそれに慣らされているキリザとサルファは、驚くことなく秀でた面に目を向ける。
「こちらの意思は明確に示しましたが、曲解される可能性があります。ホレイスさんは自分がしているように、サルファさんとキリザさんがわたしたちを閉じ込め、行動と心理を操作している――そう、考えるはずです。国王ですら操っていると思い込んでしまうような方ですから、小娘のわたしたちが操られているだろうと考えても、なんら不思議ではありません。たとえ『そうではない』と正しく理解していても、そうであると主張し、そこを突いてくるでしょう。なにしろ、ホレイスさんにはそれしか方法がありませんからね」
ふふ、と笑う玲は、罠に誘い込む策士の顔だ。
「同調者を集め、自論を展開して、それを押し通してくるでしょう。となると、攻撃の矛先がサルファさん、キリザさんに向くは必至です。特に、矛先はサルファさんに集中するでしょう。サルファさんはわたしたち四人の後ろ盾です。ホレイスさんのように私怨を持つ人間ばかりでなく、多くの人々の嫉妬の対象になることが予想されます。中には、私欲による感情ではなく、御使い様という権威ある存在が一手に集中することを、ただ純粋に危惧する方もいらっしゃるかと思います。その前面に、サルファさんは立たされます。サルファさん……」
気遣う目を向ける玲に、すでに覚悟のできているサルファは笑みを返した。
「喜んで、皆様の御前に立たせていただきます」
「ありがとうございます。前面に立っていただきますが、耐え忍んでいただく必要はありません。相手の動き次第ですから、すぐにとはいかないでしょうが、こちらの望む状況になるのに、さほど日数は要しないでしょう。その間は、のらりくらりとかわしてください。それでもしつこく、ギャンギャン吠えてくる面倒な輩は、叩いてもらって構いません」
「ふふ、そうね。馬鹿な犬には躾が必要よね」
玲於奈がにこやかに同意すれば、
「お、そりゃいいな」
と、キリザも目をかがやかせる。
「キリザさん、刺したり切ったりしちゃ駄目ですよ? 流血は困ります。骨が砕けるほど叩くのも駄目ですよ。やるならそうですね……関節外しにしてください」
「それはいいんだ、玲ちゃん」
瑠衣が笑う。
「うん。うるさい相手を黙らせるには、あれが一番いいでしょ? 汚れない。しかも省エネ。うん。ばんばん外してください。あれは痛いですからね、すぐ静かになりますよ。ああ、でも、静かになるのは一瞬だけで、逆に大声でわめきだすかもしれませんね。うるさい上、話し相手になりませんから、そのときは、その場において帰りましょう。後でお二人に、わたしと瑠衣が編み出した、『あれ? ちょっと触っただけなのに……』うっかりを装った外し方を伝授しますね。キリザさんとサルファさんでしたら、すぐ習得されますよ」
にっこり微笑む玲に、
「わしも教えて欲しいだす!!」
突然、先頭を歩くエルーシルが大声を出しながら振り返った。
「ちょっと……さっき、もう、一言もしゃべらない、とかいってなかった?」
「そんなの、とっくの昔に忘れてるでしょ」
良子と玲於奈が呆れる後ろで、玲が鷹揚に頷いた。
「いいですよ。いいですけど、お金取りますよ?」
「え? 金を取るんだすか?」
「ええ。歌や風習なら無料でお教えしますが、わたしたちがお金と時間と知恵を費やして得とくした技は、そうはいきません。相応の対価をいただきますよ? ああ、キリザさんとサルファさんは別ですよ。お二人にはそれ以上のことをしていただいてますし、これからもしていただくんですからね」
「だそうだ。エル、悪ぃな」
優越感に満ちた笑みを向けてくるキリザに、エルーシルが悔しげな顔を返す。
「ひどいだす。でも、金を払えば教えてもらえるんだすよね? いくら払えばいいんだすか」
『めげる』という言葉を知らない副将軍は訊ねた。
「そうですね。俸給の半分が妥当じゃ――」
「法外だす!!」
声の途中で、エルーシルが叫んだ。勢いよく振り向いた拍子に、額にちょこんと垂らしたくるりと癖のある前髪が跳ねる。
「わしの俸給の半分は、故郷のばばに取られてるんだすよ? それでまた半分といわれたら、わしは饅頭のひとつも買えなくなるだすよ! どうすればいいんだす。生きていけんだす!」
「そりゃもう諦めるしかねえな。ははは」
「そうですね。ははは」
キリザと玲が笑い声を響かせる。
気持ちのいい二人の笑声を聞きながら、ウードは静かに息を吐いた。
一行は、まだ館内を歩いている。数は少なく、遠巻きであるが、ホレイス側の人間もいる。
館内警固の人間が近付いてこないのは、勇名をはせる将軍たちが前後を固めているからだろう。将軍らが囲んでいるのが、触れてはならない御使い様たちだということがわかっているからか。それともこの、信じがたく侵しがたい雰囲気か――
いずれにせよ、近付くものもいなければ、声をかけてくるものもいない。
行く手を阻むものは何もない。
しかし、わずかとはいえ他者の目があり耳がある。話の内容も、こんなところでしていいのか――と心配するほどきわどいものだ。というのに、だれも気にする様子はなく、どの声にも緊張感のカケラもない。ハラハラしているのは、ウードひとりだけのようだ。
ウードは首を振った。
まったく、驚きを禁じえない。
何もかも、すべてが想像の範囲を越えていた。
スライディールの御使い様と周囲の人間が、良好な関係にあることは、広間にいたときからわかっていた。信頼関係が出来上がっていることは承知していたが、想像以上の親密さだ。
そしてなにより驚いたのは、娘たちの希望を元に、男たちが計画し実行に移したのだと思われた今日このことが、御使い様自身により成されたものだとはっきりしたことだ。
娘たちは飾りとして頂に置かれているのではなく、自らの意志と考えで立っており、総大将、副宰相、将軍――レナーテでも屈指の高官らを従えているのだ。
その事実は、孫に会えた驚き、結衣とみちるが解放された安堵と喜びさえ、脇に追いやってしまうほどの衝撃だった。
「……おぬしらがいっておった以上の方々じゃな」
ウードは、押さえきれなくなった心情を小さくこぼした。しかし。
「え? 何かいいました? 先生」
喜びの只中にいる結衣とみちるは、ウードのため息交じりの感嘆をまったく聞いていなかった。
「本物だ」
「うん。ほんとにいるね」
嬉しそうに小声を交わす。
ウードの前を歩く二人は、気になって仕方ないのか、チラチラと後ろを振り返ってばかりいた。
声は聞いているが、内容は、とんと頭に入ってないだろう。
「しゃべってる」
「動いてる」
振ってわいた幸せ――崇拝する存在を、目と耳でかみ締めている。
「まったく……」
ウードは独りごち、皺枯れた手のひらを、置きやすい位置にある小ぶりな二つの頭にのせた。
「結衣、みちる、前を見よ。こけても知らんぞ」
心も足元もふわっふわ。そんな二人の頭を抑えるウードの声は呆れていたが、目元は優しくほころんでいた。
もとより多かった入来者は、さらに人数を増やし、華やかさと賑々しさを人目に焼き付けながら出て行った。
◇ ◇ ◇ ◇
そして、広間に残された男たちは――
「……」
「……」
無言だった。
声を出すどころか、身動きひとつできずにいた。
衝撃のあまり動けない。
その一方で、衝撃を受けつつ動いたものたちもいた。
渦中を遠巻きにしていた使用人たちがそれだった。
扉口付近で固まって、広間の模様を大胆に見物していた大勢の使用人たちは、主たちが正気づく前に、すでにその場から去っていた。
とどまることは危険であるとわかっていた。
大事件だ。
総大将、副宰相、北の兄弟――錚々たる顔ぶれがあらわれただけでも大騒ぎだというのに、彼らとともにやってきたのは、スライディール城に監禁されているといわれていた御使い様たちだった。
化け物ではない。若く美しい娘たちだった。しかしその態度は強く、不穏だった。こちらに対する嫌悪を隠さなかった。そして、二人の御使い様を連れて出て行った。
それがどういうことか。
誰に教えられなくとも、白地に朱を刷いたようにはっきりとわかる。
使用人たちの胸に不安が広がった。
仕える主が、御使い様の不興を買った。それも、簡単に繕えないほどの不興である、ということが遠目からでもはっきり見て取れた。
直撃ではないにせよ、自分たちにその影響が及ぶのは間違いない。
どれくらいのものが、いつ、自分たちの身に降りかかってくるかはわからない。だがいずれ、何かしらの制裁が下される――と感じさせるだけの厳しさが、スライディールの御使い様たちにあった。
二人の御使い様も、もう戻ってはこないだろう。
誤魔化しようのない現実が、使用人たちに、大きな影を落とす。
これまでのようにはいかない――
いったい、どうなってしまうのか――
先の不安を抱えながら使用人たちは、まず間近にある確かな危難――八つ当たりの怒号――を避けるため、主が正気付く前に、密やか且つ速やかに散開したのだった。
そんな、余波を危惧する使用人たちと似たように、男たちも先の暗さを感じていた。
しかし男たちの感じる暗さは、使用人らのうっすらとしたそれとはまったく濃度が違う。
不安という生易しいものではない。恐れだ。
野望を断たれる。
ばかりか、すべてを失うかもしれない――という恐れ。
美しい娘たちは嫌悪に満ちていた。
語る娘、語らずそれを見守る娘らの目は、冷徹に見据えながらその奥で怒りの焔を上げていた。
ハイラル、アブロー、リファイ、ラズルも、あからさまな敵意に驚き、恐怖した。
だが、直接向けられなかった四人には、まだ心に余裕があった。直に対峙したのはホレイスであり、御使い様自身が乗り込んで来くるとは想像だにしていなかったが、事、それ自体はある程度予想していた。
とはいうものの、それらを実際目の当たりにして、ひどく驚いた。驚き恐怖しながら、彼らは同時に怒ってもいた。
愚鈍なホレイスと咲はもちろんのこと。
迂闊だった自分たち。
それをあざ笑うように振り回してくれたキリザの側近たち。
そして、自分たちに一切の注意を払わなかった四人の娘たち。
時間の経過とともに、小さかった怒りは急速に膨れ上がり、驚きと恐怖を押しのけた。
名前すら、訊かれなかった。
こちらに投げて寄越したのは、一瞥だけだ。
生まれてこの方、無いもののように扱われたことなどない。
自分たちが王子であることは承知しているはずだ。
傍観に徹していたとはいえ、無視できない存在であり、それにふさわしい容姿と威厳を備えている。そんな自分たちを、娘たちはまるで無視した。
興味もなければ用もない、足りない相手だといわんばかりの無視ぶりに、四人の自尊心は大いに傷つけられた。
しかし怒りながらも、自分たちの将来に大きく関わる事が、好ましくない方向へ、大きく動いたことも、痛いほどにわかっていた。
突然、ハイラルが動いた。
何もいわず、誰に視線もくれず、ハイラルはひとり、出口に向かう。
冷静には程遠かったが、ここにいても何もならないことを、彼は理解していた。
アブロー、リファイ、ラズルの三人も、無言でそれに続く。
残ったのは、ホレイスとその側近ワルトだけになった。
静まり返った広間で、ホレイスは立ち尽くす。ワルトは少し離れた場所から、動かない主を見つめている。
ホレイスは自失状態だ。
燦然とかがやくばかりだった道から、いきなり深い穴に突き落とされた衝撃で、我を失っていた。
すべてが突然すぎた。
一度に襲い掛かってきたもろもろを整理し、自分がどのような状況に陥ったかを知り、そこから這い上がるにはどうすればいいか――
ホレイスが頭を廻らせるには、まだ相当の時間が必要のようだった。
◇ ◇ ◇ ◇
相手に容赦ない打撃を与えた娘らは、新たな仲間を引き連れてスライディールの城に戻ってきた。
「ただいま戻りましたー!」
声とともに大広間に駆け込んできた瑠衣が、そのまま伴侶の腕の中に飛び込む。
レイヒは手を広げて待っていた。
「お帰り、瑠衣」
「レイヒさん、ただいま」
ほほえましい光景に、男たちがを表情を緩めたのも束の間。
「あら、わたしたちが仕事をしてるのに、こっちは優雅にお茶? 羨ましいわね」
「アリアロスさん?」
空気が一変した。
塩気の効いた声を放った二人の娘は、うっすらだが冷気まで漂わせている。
男たちは緊張した。中でも、声と視線を向けられた男たちは激しく動揺した。
「い、今、休憩を――」
「そうですよ! サボってなんかいませんよ、俺ら」
「ほんのちょっとですよ!」
アリアロスとその護衛らが、気の毒なほどあたふたするのを見て、玲於奈が微笑んだ。
「そう。それじゃあ、今日の成果を見せてもらおうかしら? 時間はたっぷりあったものね」
伴侶の静かな声に、アリアロスが『ひっ』と息を飲む。
止めを刺されたアリアロスの側で、ソルジェが立ち上がった。自分の元にまっすぐやってくる伴侶に微笑みを向ける。
「玲」
「殿下、ただいま戻りました」
「大事なかったか?」
ソルジェが手を伸ばし、豊かな黒髪にそっと触れる。
壊れ物に触れるような優しいそれは、美しい弧を作りながら胸元へと伸びる、つややかな黒髪を、ほんの少しだけ揺らした。
「はい。ひょっとして、ご心配いただきました?」
厭うどころか嬉し気な笑みを向ける美しい伴侶に、ソルジェは「いや」と首を振る。
見つめ合うソルジェと玲――二人の間に、
「殿下!」
遠くから声が割り込んできた。
見たことのない険しい顔で、エルーシルが歩み寄ってくる。
「ひどいんだす! 聞いて欲しいだす!」
その剣幕に、ソルジェは視線を下げた。
「玲?」
何かしたのか?――と目で問うソルジェに、悪戯な笑みを返した玲は、くるりと体の向きを変えつつ、ごく自然に、伴侶の腕の中にすっぽりと収まった。
自分の腕の中にするりと入ってきた玲に、ソルジェは只今のエルーシルの声も忘れ、観念したような笑みを向ける。
それを見て、玲於奈が笑った。
「ふふ。殿下も、だいぶ慣れてきたみたいね?」
「そりゃ遠慮会釈なく、するっする懐に入ってくるんだから、嫌でも慣れるでしょ。いちいち動揺してたら、殿下だって身が持たないわよ」
「そうね。でも玲……面白いほどぐいぐい押してくわね。瑠衣もだけど……ストレートよね?」
「直球すぎるでしょ。瑠衣なんか、ぶつかり稽古かってくらい、まんま体当たりだし。レイヒさんだからいいものの……ったく。喧嘩でもなんでも、行けると思ったら押せ押せで行くんだから、あの二人」
「ブレないわよね? まさかこっち方面でも、あのままぐいぐい行くとは思わなかったけど。まあ、策を弄する必要がないものね」
「それもあるし、性格でしょ。ってか、あんたもそうでしょうが」
「そう?」
「そうとしか思えないけど? ぐいぐい行ってるのは同じじゃない。表現の仕方が違うだけで」
「ふふ、そうね。性格も違うし、相手も違うもの。で、良子はあっち、行かなくていいの?」
いいながら、玲於奈は視線を流す。
玲於奈が目で示す先には、ゼクトが立っており、良子をじっと見つめていた。
途端に良子が落ち着きをなくす。
「あー」
「待ってるみたいよ。行ってあげたら?」
玲於奈に背中を押され、良子がゼクトの元に向かっている間に、エルーシルが、懐に玲を置いたソルジェと向き合っていた。
「殿下、玲様はひどいだす。わしらが仕事をしている間に、わしと兄じゃを置いて帰ろうとしたんだすよ?!」
聞くなり、リグリエータとガウバルトが揃って噴き出した。
リグリエータは息を噴き出しただけで終わったが、ガウバルトのそれは、長く尾を引いた。
「……そうか」
ソルジェは、『ヒーヒー』というかすれた笑いを背負いながら、前面にいる人物への同情に顔を曇らせた。
なにしろ、自分の伴侶が人並み外れた悪戯心を所持していることを知っている。
「そうだす。しかもだす――」
まだあるのか?――
と、思いつつ、伴侶への苦言を甘受するつもりでいたソルジェだったが、エルーシルの熱弁は続かなかった。
エルーシルは、背後から伸びてきた手に、襟首を引っ張り上げられていた。
しゃべるどころか、息すらあれでは辛かろうと思うほどに、きつく襟首を締め上げられている。
「いい加減にしないか、エル」
エルーシルの後頭部に、低い叱責の声がかけられた。
声を放った人物は、眉をひそめていた。神々しい光を放つ濃い黄金の髪は、一筋の乱れもなく、厳格な性格を映した面は、彫刻のように整っている。
ソルジェが、端正な面を歪めている男に目を向けた。
「ルゼー、離してやってくれ。それでは息もできない」
容赦ない力で襟首を引っ張っていたのは、金髪の美丈夫――左将軍のルゼーだった。
「……はい、殿下」
渋々ながら頷いたルゼーが、名残惜しそうに襟首から手を離す。
自由になった途端、エルーシルが顔を後ろに振り向けた。
ルゼーの冴え冴えとした青の瞳が、エルーシルの淡い紫の瞳を射抜く。
「ルゼー将軍――」
口を開くと同時に、エルーシルが皺ひとつないルゼーの軍服をむんずと掴んだ。
「金を貸して欲しいだす!」
突如飛び出してきたあさってな言葉に、ルゼーの眉間が即座に隆起する。
「いきなりなんだっ?!」
しかし、エルーシルは気にしない。
「それが無理ならわしを養って欲しいだす。そんな贅沢はいわんだすから――」
「断る!」
「ひどいだす!」
「どっちがだ!」
間髪を入れないやり取りに笑いがおこる中、キリザの低い声が通った。
「おい、お前ら、いい加減にしろ」
その威力は絶大で、エルーシルは直ちに口を閉じた。
そこへ、ルゼーがすかさず手を伸ばす。エルーシルはそのままルゼーに襟首をとられ、ずるずると脇に引きずられていった。
「ったく、ほんとどうしようもねえな、ウチの連中は」
「はは、大将が大将ですからね」
「んだ、仕方ねえべ、将軍」
「てめえら……」
頷き合うサルファとウルーバルの後を、キリザが追う。
そして最後に、
「さ、結衣様、みちる様……」
「ウード先生もどうぞ、中にお入りください」
笑いをかみ殺したセリカとヤーヴェが、呆然としている三人の背中を押しながら大広間に入っていった。
結衣、みちる、ウードの三人は、すでに向こうで十二分の驚きを味わっていたが、ここでも大いに驚かされ、この後も、驚きの大波小波を、次々にかぶることになった。
そうして三人がびしょ濡れになった翌日。
雲ひとつない晴天のもと、レナーテが驚きに包まれた。




