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好き嫌いは隠しません

「お願いします!!」




 二人の返事は、喜びに身体を膨らませたため、玲の声から一拍置いて返ってきた。


 しかし、綺麗に重なった声は元気よく、いささかの迷いもない。

 結衣とみちるは、ふたたび歓喜の塊と化していた。ウードが押さえていなければ、身体ごとぶつかっていきそうな勢いだ。


 豆が弾け飛ぶような声の後に、


「お、お待ちください!」


 あわてた声が続く。

 だがその声は、 


「良かった。それじゃあ、早速引っ越しといきますか」


 玲によって完全に無視された。


「今からですか?」

「うん、そのつもりだけど、村瀬さんと中尾さんは、まだここに居たい? 明日の方が都合よかった?」

「いいえ」

「ぜんぜんです」


 二人は、これっぽっちも未練はない――といわんばかりに、小刻みに顔を横に振る。


「でしょ?」


 にっこり笑った玲は、顔を横向けた。


「サルファさん、それでは手はずどおり、進めていただけますか?」

「かしこまりました、玲様」


 サルファが恭しく頭を下げる。その前で、ホレイスが進み出た。


「お待ちください」

「待ちません」


 ホレイスに視線すら向けず冷たく応えた玲は、結衣とみちるに優しく笑いかける。


「このままスライディールの城に戻るから、二人とも用意してくれる? 日常生活に必要なものは向こうで揃えてあるから、大事なものだけ、持っていく準備をして欲しいの」

「はい!」


 みちるは元気よく答えたが、結衣は答えなかった。


「あの……玲さん」


 おずおずと呼びかける。


「うん、何?」

「わたしたち、そんな大事なものなんて持ってないんで、よかったら、このまま連れて行ってください。ね? ちるちゃん」

「うん。携帯あるけど、使えないんじゃ、持っててもしょうがないもんね」

「はは、思いきりがいいね」


 と、笑う玲の横で、良子がため息を付いた。


「ねえ、村瀬さん、中尾さん。さっぱりして前向きなのはいいけど、使えないからって置いていくのはよくないんじゃない? 携帯だって、制服だって、ご両親に買ってもらったものでしょ? そういうのは、大事にしたほうがいいと思うけど」

「そうね。わたしも良子と同意見」


 玲於奈が頷く。


「無理にとはいわないけど、できれば向こうのものは、手放さないで欲しいわね。わたしたちは、ここに来たとき、あんな格好だったでしょ? 瑠衣の制服以外、まともなものがひとつもないの。あのお化けの衣装も、友人たちが精魂込めて作ってくれたものだから、ほんとは手元に置いておくつもりだったんだけど、側にあると、この二人が使っちゃうから、ちゃんと保管してくれる場所に移すことにしたのよ」

「えへへ」

「いいわけできないけど、あると使っちゃわない?」

「あんただけよ!」

「そう?」

「はいはーい、皆そこまで」


 珍しく、瑠衣が割って入った。


「というわけだから、遠慮しないでね? 心配もしないで。わたしたちはここで待ってるから、村瀬さんと中尾さんは、準備してきてくれる? 先生も――」

「わかりました!」


 まだ続いていた瑠衣の声は、元気はつらつな返事にかき消された。


「すぐ持ってきます!」

「先生、手離して」


 いいながら、ウードの手を払ったと思いきや、二人は脱兎のごとく駆けだした。


「早っ!」

「びっくりするほど素直ね?」

「ははは」

「そんな急がなくてもいいよー」


 と、見送る四人に結衣とみちるは、


「すぐ戻ってきます!」

「先生のあのズタ袋も持ってくるから、そこで待っててくださいねー!」


 駆け足のまま、その小さな身体からは想像もつかない大声を張り上げる。そしてそのまま、


「すいません! そこ、開けてください!」

「退いてー!」


 扉口で鈴なりになっている見物人たちを蹴散らし、姿を消した。


「ズタ袋とはなんじゃ!」


 ウードの声は、二人には届かなかった。


「おい、エル!」


 追っかけろ――とキリザが続ける前に、エルーシルも飛び出していた。




「……ズタ袋って、ひどくない?」 

「それ、あんたがいう?」

「はは。村瀬さんと中尾さん、二人とも面白いね」

「うん。元気の塊だね」

「でも、もう少し、落ち着いた方がいいんじゃないかしら? 壁とかに激突してなきゃいいけど」

「ははは」

「ははは、じゃないでしょ! ちょっとは心配しなさいよ。ったく」

「ぱっくり額でも割って戻ってきたら、さすがに玲も心配すると思うけど?」

「なんてこというの? そういうことを平気でいうあんたが怖いわ! ほんとにそうなったらどうすんの?」

「そうね……とりあえず、手当て?」

「ぶっ」

「うん。それって大事だよね、玲於奈ちゃん」

「聞いたあたしが馬鹿だったわ。でもほんと、見てて危なっかしいわ」

「そっかな? いいと思うよ。ね? 玲ちゃん」

「うん、いいよ。全力なあの感じ。いいなあ、よしよし、許す」

えっらそうに、あんた何様?」

「え? わたしは御使い様の玲様ですよ?」

「聞くんじゃなかったわ」

「ふふ」

「良子は馬鹿じゃないけど……」

「ないけど何?」



 などと、すべての耳目を集めながら、四人が気にも留めずに話していると、


「退いて退いてー!」


 威勢の良い声が聞こえてきた。


「え?」

「嘘」

「もう戻ってきたの?」

「早っ」


 四人が顔を見合わせている間に、みちると結衣が飛び込んできた。





◇  ◇  ◇  ◇





「も、持って……来ました」

「先生……これ……机のも、ちゃんと」


 息を切らしながらいう二人の手には、体操着を入れるような大ぶりな巾着と、年季の入った皮袋、そして、机の上からそのまま引っつかんできたと思われる紙束が握りしめてあった。



「お帰りなさい」


 瑠衣が肩で息をする二人に笑いかける。

 その影で、「無傷ね」「ちょっと」――玲於奈と良子が小声を交わす。


 笑いながら玲が口を開いた。


「お帰りなさい。ね? それって、村瀬さんと中尾さんの手作り?」


 その目は、二人が握りしめている少し不恰好な巾着を見つめていた。


「は……はい」


 手製を見抜かれたことの驚きと恥ずかしさ、どうでもよさそうなことを真っ先に指摘される不思議さに当惑しつつ、二人は答えた。


 全力疾走して、息はまだ落ち着かない。

 ゼーゼー、ハーハー呼気荒く、身体を収縮させている二人に、玲は続けて質問した。


「いつでもここから出られるように、準備してたの?」


 二人が目を見開き、大きく頷いた。


「うん、わかった。早く戻ってきてくれて悪いんだけど、まだ少しやることがあるから、村瀬さんと中尾さんは、そこで休んでてくれる?」

 

 と、玲がソファを示し、瑠衣と良子が二人をソファに座らせようと動いたとき、エルーシルが飛び込んできた。


「あら、こっちはずいぶん遅いのね?」

「ったく、お前は護衛もできねえのか」

「すんませんだす」


 皮肉る玲於奈と呆れるキリザに、エルーシルが頭を下げる。


「だって、早いんだすよ。疾風はやてのようだっただす。見失ってまごまごしてたら、飛び出してきたお二人に突き飛ばされたんだすよ。びっくりしただす。あげに勢いよくこられるとは、わしも思わんかっただすよ。石つぶてのようだっただす」

「それですっころんだのか?」

「尻が痛いだす。さすがは御使い様だすな。小っこくても、油断ならんだす」


 真顔でいうエルーシルに、スライディールの面々が笑った。





◇  ◇  ◇  ◇





 広間は、スライディールの大広間に似た気配になっていた。

 しかし、ここはスライディールではなく、顔ぶれも異なる。

 

 見物人も多く、扉口には、全使用人が詰め掛けているのか、と思うほどに多くの人間が集っていた。

 玲はその扉口を一瞥し、室内を見渡してから、信頼する後見役に目をとめた。


「サルファさん、聖遺物の引渡しは済みました?」

「はい、玲様。ワルト氏に中を検めてもらいましたので、後は、鍵をかけて運び入れるだけです」


 騒然とした中で、サルファは仕事を終えていた。彼はホレイスではなく、その側近ワルトを捕まえ、彼に中味を検めさせていた。


 血色の悪いワルトの顔が、青黒くなっているのを見て、玲が笑う。


「ありがとうございます。それでは、鍵をかけてください。ウルーバルさん、エルーシルさん、後はお願いしますね」

「わかったべ」

「任せてくれだす」


 頷く兄弟たちの後に、


「お待ちください!」


 ホレイスの声が続いた。


「……何ですか?」


 玲が煩わしげに視線を向ける。

 冷たい声と視線に、ホレイスは怖気づいたように身を引いたが、口を動かすことは止めなかった。 


「聖遺物の引渡しは、まだ済んでおりません。あれは、わたくしの側近というだけで、権限などございません。権限は、この――」

「自分にある、と?」

「左様です」

「そうですか」


 玲は小声でそういうと、ホレイスと向き合った。





◇  ◇  ◇  ◇





「ホレイスさん、ひとつ確認しておきたいんですが、わたしたちが誰なのかは、もうおわかりですね?」


 玲に訊ねられて、ホレイスは息を飲んだ。

 わずかだが不快気に寄せられた眉を見て、暴言を吐いたことを思い出す。


「は、はい、それはもう、痛いほどに承知しております。皆様は、スライディールの御使い様であらせられるのですね。それを存じ上げず、無礼な発言をしてしまいましたこと、このホレイス、幾重にもお詫び――」

「結構です。なんといわれても許すつもりはありませんので、それ以上の言葉は必要ありません」


 平身低頭するホレイスを、玲は平坦な声でさえぎった。


「は?」


 ホレイスは混乱した。


 化け物だと思っていたものが人間で、レナーテでも類を見ない美しい娘であると知ったその衝撃もまだ覚めやらない。そればかりか己の失言を思い出し、大いに心を乱しているそこに、拒絶の言葉だ。


 損ねた機嫌をすぐに回復させることはできないだろうが、謝罪は受け入れられる――と信じて疑わなかったホレイスの脳は、それを処理できなかった。

 


 そして玲は、隔てなく、他人ひとに優しくできる人間ではなかった。

 口も半開きのまま固まってしまったホレイスに、


「その要はないといっています。ああそれから、お褒めの言葉も結構ですよ。あなたに言われずとも、わたしたちは、自分たちが美しいというのは、よーくわかっていますから」


 笑みも寸暇も与えず、言葉をかぶせる。

 これには、キリザと瑠衣が小さく噴きだした。


「は……あ」


 ホレイスはまたもや混乱した。虚を突かれ、何かしらの感情がわきあがるより前に引っかきまわされ、まともな返事もできない。


 



「話を、戻しましょうか」


 呆けた声を出すホレイスに、玲は淡々とした口調でいった。

 向ける目は冷たい。


 好ましい相手なら、その心情を思いやり、笑顔を見せもすれば、悪戯心もわきあがろうというものだが、目の前の人物には、もはや嫌悪しかない。


「聖遺物の引渡しは済んでいないといわれましたが、あなたは、言った端から自分の発言を忘れてしまうのですか?」


 心のままを声と瞳にのせ、それらをホレイスに向ける。

 ここにやってくる前は、速やかに用事を済ませ、スライディールの城に戻るつもりでいたが、いくつかの予想外を見て、玲はその予定を少しばかり変えることにした。


「あなたは先ほど、キリザさんから許可証を渡されて、それを受け入れましたよね? 預かるから、もう帰ってくれ、と。ね?」

「ええ」

「いったわね」

「うん」


 玲の声に、友人たちが頷く。


「それを、舌の根も乾かないうちに反故にするとは、どういうことですか?」

「それは……その、わたくしにも責任がございまして」

「責任、ですか?」

 

 玲は薄く、唇を皮肉の形に歪めて笑った。


「今、それを思い出しましたか? 内容に目を通すこともなく、中味を検めることもなく、煙たい訪問者を退けたいがために安易に受け入れておいて、今更責任ですか? 都合のいい責任感ですね?」

「そうおっしゃられましても――」

「あなたは自分の権威をひけらかしたいだけでしょう? 見せびらかしたいのなら、他所でやってください。じつの伴わないものを見せられても、こちらは面白くもなんともありません。不愉快なだけです」


 ばっさり切り捨てる。


「それに、責任など追及されませんから、どうぞご心配なく。あなたは自分に権限があり、責任があるといわれましたが、そもそもあなたには、どちらもないんですよ? あなたを介する必要などないんです。国王の許可状があり、国王から任命された二名の高官、これ以上望めないお二人――キリザさんとサルファさんがいるんですからね。声をかけたのは、その通り道に偶々・・あなたがいた、というだけの話です――」


 それは嘘ではなかったが、表向きの理由だ。聖遺物の搬入も事実だが、それにかこつけてスムーズに侵入し、ついでにここの様子と集う人物たちを見ておこうか――というこちらの思惑を、わざわざ教えてやる必要はない。 


「一応の礼儀として声をかけた、それだけです。黙って道を開けてください。邪魔をすれば、逆に、罪に問われることになりますよ……あなたがね?」

「わ、わかりました」


 冷ややかに笑む玲に、ホレイスは大仰に頷いた。


「聖遺物の件は、玲様のおっしゃるとおりにいたします。ですが――」

「ですが、何です?」


 ホレイスは息を飲んだ。

 口を開くほどに冷たく厳しくなってゆく玲の態度に、鳥肌を立てていた。

 寒気を感じながら、背中には汗が流れている。



 しかし、こればかりは譲れない――



 射抜くような鋭い視線から逃れるように目を逸らし、ホレイスはいった。


「結衣様とみちる様を、ここからお連れになることはできません」


 それを聞いた玲が、「ふ」と息で笑った。


「それこそ、あなたの関知することではありません」





◇  ◇  ◇  ◇





「は?」


 ホレイスが呆けたようになった。


「はあ」


 玲はため息をついた。


「どこもかしこも悪いと思っていましたが……」


 首を振り、呆れの目を向ける。 


「口を出す権限はない――そう、はっきり言わなければ、わかりませんか?」

「で、ですが、わたくしは、後見役を――」


 ホレイスの声を玲は片手でさえぎると、訊ねた。

 

「わたしは、誰ですか?」

「え? あ……玲様、です」

「足りません。それでは正解になりません」

「御、御使い様の玲様……でいらっしゃいます」

「そうです。そして、ここにいる村瀬さんと中尾さんも――」


 玲は口を閉じ、その先を言えとばかりにホレイスに目を向ける。


「御使い様でいらっしゃいます」


 ホレイスが答えた。


「そうです。わたしたちが彼女たちの気持ちを無視して一方的に連れ去るというのなら、後見人が意義を唱えるのもわかります。ですが、彼女たちは快諾しましたよ? あなたも聞いてましたよね? 双方の御使い様の同意で行われることに、あなたが口を出すいわれはありません」

「ですが……」

「何です?」


 凄みのある声と視線を向けられたホレイスは、ぶるりと身体を震わせてから、声を押し出した。


「御使い様は、こちらでお過ごしになられるのが決まりなのです。いくら御使い様のご意思といえど――」

「それは、レナーテの皆さんが勝手に作った『決まり』ですよね?」


 玲は軽々とホレイスの声をさえぎる。


「神の意思でも、ましてや御使い様本人の意思でもない。レナーテの皆さんが勝手に・・・作ったものです。しかも、こちらの世界を知らない御使い様のために、よかれと思って作った決まりごとが、逆に御使い様を縛り、苦しめる――というのは、どう考えてもおかしくありませんか? 本末転倒です。御使い様を守りたいという皆さんの思いにも反するでしょうから、その決まりを改定しました。御使い様の意思であれば、そちらが優先される、と。そしてそれは、居住に限ったことではありません。他にも色々いじらせてもらいましたから、後でグレンさんに詳しく・・・教えてもらってくださいね?」

「……」


 ホレイスは声を失った。


「この改定は、わたしたちの主導で行いましたが、グレンさんはもちろん、法務担当大臣とも相談した上で決めました。とんでもない勝手はしてませんし、このことは皆さんの国王であるドレイブさんもご承知ですから、どうぞご安心を」


 と微笑んだ玲は、すぐにそれをしまった。


「あなたのいう決まりは変更されました。御使い様の意思であり、それがはっきり認められた今、移ることに、だれも、何も、文句はいえないんですよ?」


 その口振りは、『いわせない』という厳しいものだったが、


「お、お待ちください」


 ホレイスは粘った。




◇  ◇  ◇  ◇




「まだ何か?」

「その……結衣様とみちる様をお連れになるのは、いましばらく、お待ちいただけませんでしょうか」

「待つ必要を覚えませんが?」


 玲の熱のない応えにホレイスは、


「申し訳ございませんでした」


 衆目の中、頭を下げるという、恥も外聞もない行動に出た。


「わたくしは、とんでもない過ちを犯してしまいました。結衣様とみちる様を大事に思うがあまり、お二方にはたいへん窮屈、さらには数々のご不便を強いることとあいなってしまいました。過去の習いを守ることこそが至上であると信じて疑わず、役目に没頭し、お二方への配慮を欠き、お心にご負担をかけてしまいましたは我が不明。それらを心より深くお詫びし、それより生じてしまいました誤解を解くお時間を、いただきとうございます」

「……」

「お許しいただけませんでしょうか?」


 ホレイスは殊勝にいい、頭を低くしたまま返事を待った。


「よく、わかりました」


 その返事は、いくばくかの時間を置いてから返ってきた。

 玲のそれを、肯定ととったホレイスが、喜色もあらわに面を上げる。


「ありがとうござ――」


 しかし感謝の言葉は、途中で止まった。

 顔を上げたホレイスが見たのは、剣呑の色を隠さない、美しくも恐ろしい黒の瞳だった。そしてその下方にある、形の良い唇から紡ぎだされる言葉で、ホレイスの臓腑は縮まった。


「あなたが、わたしたちを馬鹿にしているのが、よく、わかりました。何も知らない異界の小娘。何とでも誤魔化せる――そう、お思いなんですね?」



 そのようなこと――



 ホレイスは反論をしたかったが、相手に気圧され声が出せない。


「頭を下げれば気を良くすると、あるいはほだされる、とでも思われました? まあ、そう思われたから言われたんでしょうけど……」


 ふふ、と声に出して玲は微笑んだ。


「生憎ですが、わたしたちは、そんな可愛らしい娘ではありませんよ?」


 その微笑は、えもいわれぬ美しさだった。が、ホレイスは寒気しか覚えない。


「誤解などないでしょう? あなたは、三人の御使い様を平等に遇しませんでした。個人的感情と判断に基づいて差別し、二人を不当に扱ったのですから、村瀬さんと中尾さんがあなたを嫌悪するのは当然です。誤解もなにもありません」

「そ……」


 口を開きかけるホレイスを、玲は手振りで黙らせた。


「本当に、何もわかってらっしゃらないんですね、ホレイスさん。よく考えてください。何故、わたしたち四人がここにいると思います? 意味もなく、こんなところに来るとでも? 聖遺物を納めるためだけに、これだけの高官を揃えると?」


 ようやく目的を察したらしいホレイスが固まった。


「やっとお分かりいただけたようですね?」

「で、ですが……わたくしは、誠心誠意、結衣様とみちる様に尽くしてまいりました。それがなにゆえ」


 というホレイスの言葉に、玲は目を眇めた。


「誠心誠意? あなたはどれだけわたしを馬鹿にしたら、気が済むんです? わたしたちが何も知らないとでも思ってるんですか? 何の確証もないまま来ると思ってるんですか?」

「確かなものがおありだと?」

「ええ。信頼できる方に、ここの様子を探ってもらいましたからね」


 と、玲が視線を送る人物――セリカを見て、ホレイスは目を見張った。


「あ、あのものは……あのような若造のことをお信じになるのですか? 馬鹿な。あのものは咲様の周りをうろちょろしてまわり、日がな一日、使用人と茶卓を囲むばかりでございました。それも、数日しか通っておりません。それでいったいどのような確証があるとおっしゃるので? それこそ誤った情報ではございませんか?」


 ホレイスは自分の声で、自信と勢いを取り戻した。

 しかし、玲には何の影響も及ぼさない。


「若造とおっしゃいますが、セリカさんはれっきとした軍人ですよ? 昨日今日配属された新人ではありません。十年もの間ルゼー将軍の側にあって、そのルゼー将軍から、軍人とは何たるか――精神と技を基礎から叩き込まれ、鍛えられてきた、いわば生え抜きの軍人ですよ。信じるに決まってるじゃありませんか。もっともこちらの皆さんは、セリカさんのことを、側近とは名ばかりの、ただの青年だと思われたようですが……」


 と、玲は笑う。


「セリカさんは控えめで人柄もいいので、すぐにこちらの皆さんとも打ち解けられたそうですね。多くの方から親切にしていただき、たくさんのお話しも、お訊ねする前に、皆さんの方からしていただけたとか。あなたもその内の一人だと、聞いていますが?」

 

 ホレイスは一瞬息を詰めた。その裏で、あの朴訥な青年に自分が何を話したか、急いで記憶を探る。

 


 取り返しの付かないことは話していない――はずだ。



 ホレイスが記憶をさらっている間も、玲の声は止まらない。


「おかげで二人がどういう扱いをされているかは、すぐにわかりました。ああ、これもついでにお話ししておきましょうか。セリカさんが村瀬さんと中尾さんとほとんど接触しなかったのは、その必要がなかったからです。当初は、どういった状況に置かれているのか、今後のことも含めて彼女たちに直接聞いてもらう予定だったんですが、ウード先生がこちらにいらっしゃったので不要になりました」

「え? わし……ですか?」


 不意に自分の名を聞かされたウードは、驚きをそのまま口にしてしまった。  


「ええ、そうですよ」


 玲が微笑みながら答える。

 そこにホレイスが、身体ごと割り込んできた。


「あ、あ、玲様」


 しかし心が急くあまり――それとも驚きか、言葉は滑らかに出てこない。


「こ、このものは、学がわずかばかり人よりあるというだけの、ただの下人にございますぞ。どのように皆様に取り入ったかは存知ませんが、このようなものをお信じになるなど――」


 ひどく焦り、人物否定に躍起になるホレイスに対し、玲は落ち着き払っていた。


「その下人とやらを、大事な御使い様の教授役に就けたのは、あなたですよね? ホレイスさん。これが、あなたのいう、誠心誠意ですか?」

「……」


 痛いところを突かれて、ホレイスもすぐには反応できなかった。

 そしてもちろん、玲は容赦しない。


「それにしても、あなたは御使い様に仕える人間の素性すら、きちんと調べていないんですね?」

「そ、そのようなことは――」

「きちんと調べていれば、こういうやりとりにはならないんですよ、まったく。わずかな労を惜しみましたか? 先生は偽名など使ってませんから、少し突っ込んで調べれば、すぐにわかるんですけど。ねえ? セリカさん」

「はい」


 声を向けられたセリカは、唐突な指名に驚くことなく頷いた。


「……」


 即答したセリカの顔を、ウードが無言で凝視する。

 それを楽しげに見やりながら、玲は続けた。


「先生のおかげで、セリカさんは疑われることなく、村瀬さんと中尾さんの状況を知ることができました」

「……わしは、何もしておりませんが」


 セリカに目を置いたまま、ウードはいう。


「何も? 見返られない村瀬さんと中尾さんの側にいて、二人を支えていらしたでしょう? 信頼できる先生がいてくださったおかげで、セリカさんは安心して、使えない側近という皮をかぶったまま、情報収集できたんですよ。ね? セリカさん」

「はい」


 玲の声に、セリカが頷く。


「……」


 ウードは緑の瞳を見つめたまま、わななく唇を押し開いた。


「セリカ殿は……わしを、ご存知なのですかな?」


 声を絞り出すウードに、


「はい」


 セリカはすんなり頷く。


「お会いしたことはありませんでしたが、話は祖母からよく聞かされていましたし、若いころの姿絵も、祖母の部屋に飾ってありますから」


 というと、セリカはにっこり微笑み、さらりと真実を告げた。


「ひと目でわかりましたよ、おじいさま。名乗るのが遅くなってしまって申し訳ありません。わたしはサウロが息子、セリカ。あなたの孫です」





◇  ◇  ◇  ◇





 衝撃のあまり、ウードは身動きひとつとれないでいた。



「……」


 妻と同じ瞳、孫と同じ名を持つ青年に、『あるはずがない』と思いつつ、『もしかして』という思いを抱いていた。

 期待しながら、一度は完全に否定したそれを、ここで今一度抱きつつあった。そしてそれが事実だと教えられた。


 しかし、実際に聞かされると、ウードの頭の中は、ただ真っ白になった。


「わたしは、母似なんです」


 固まったまま、見つめるばかりのウードに、セリカがいう。


「ですが、目と気性は祖母譲りで、そっくりだといわれます」


 いわれるまでもない。その瞳を見たからこそ、期待した。もしやという思いを抱いた。

 懐かしい色を、にじみだした目に映しながら、ウードは唇を動かした。


「孫は……女子おなごだったと、聞いておったのだがの」 

「おじいさま? 久しく会われない間に、おばあさまのことをお忘れになられましたか?」


 悪戯な口調に、ウードは力なく微笑んだ。その拍子に、まなじりから一粒涙がこぼれた。


「あれは……まだわしを驚かせようとしておるのか?」

「はい」


 というセリカの声の後に、



「ええーーー?!」


 結衣とみちるの絶叫が続いた。






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