おじさまたちのティータイム
「おーい、こんなとこで、のん気に茶なんかすすってていいのか?」
開け放った窓から入り込む、柔らかな陽射しと心地よい風に顔を向けていたサルファは、その声に振り返った。
「ああ、あなたでしたか」
端正な面に笑みがのる。
案内の侍従より先に入室してきた来客は、
「おう。ってか、俺以外、だれが来るってんだ? こんなところに」
といいながら、席を勧められる前にどさりとその巨躯を長椅子に沈め、追いついてきた侍従に茶をいいつけた。
「おっしゃるように、あなた以外に、こんな来方をするひとはいませんね」
「なんだ? 来る奴がいんのか?」
戦場に在れば、敵味方ともに震え上がらせる光を放つ、黒に近いこげ茶の瞳が笑う。その輝きは、無邪気な子供のそれと似通っていた。
「まったく、あなたというひとは……」
呆れたようにいうが、浮かんだ笑みは、そのままにある。
「わたしの方がお訊ねしたいですね」
サルファは、手にしていた茶器を机の上に置くと、その燃えるような赤い髪と同様、癖のある男に問いかけた。
「あなたこそ、こんなところでお茶を飲んでいていいのですか? キリザ大将軍」
「お、嫌味か?」
日に焼けた顔が笑う――と彼は、サルファに向けたその笑顔を、侍従と入れ替わるようにしてあらわれた小姓に移した。
「早いな。ほんとは酒がいいんだが、ここにはそんな気の利いたもんは、置いてないだろ?」
声をかけられた小姓は、来客の明るい不満に、いつものように笑顔だけで応えると、己の役目を果たして速やかに退室していった。
「ほんっと、早いな」
来客――キリザの前には、茶と菓子が並べられている。来るのがわかっていて、用意していたかのような素早さだった。
「将軍」
サルファは、いたく感心している相手の注意を、呼び戻さなければならなかった。
「おう、なんだ?」
「なんだ、ではありません」
サルファは笑みを断ち、涼しげな双眸を細めると、柔らかいが厳しさを含んだ声で続けた。
「あなたは今日、奇跡の塔に、その身を置いていなければならないはずですが……」
「おい、めんどくさいいい方すんな」
キリザはわざとらしく、声と顔をしかめる。
「面倒な話し方は嫌いだって、いつもいってんだろ?」
「わたしも、話をすり替えられるのは困ると、常々申し上げていますが……」
「ちぇっ」
キリザは舌打ちすると、長椅子の背もたれに勢いよく体を預けた。四十九歳という年齢と、その役職からは、およそかけ離れた行為だが、ひととなりには合っている。
サルファは、面にのぼりかけてくる微笑みを、内心でとどめ置くために、少しばかり努力をしなければならなかった。
「まさか、職務放棄ですか?」
「おいおい、これでも軍を預かる身だぜ」
「ああ、一応、ご自身の立場に自覚はあるんですね」
「ひでーな、おい」
官位も下なら、年齢も、両手の指では足りないくらい下である――サルファの言に、キリザは怒るどころか笑っている。
「いつものあれですか?」
「何だ? いつものあれって」
「とぼけないでください。逃げましたね?」
「馬鹿やろう、後進の育成ってやつだ」
「はあ、ものはいいようですね」
サルファは、面の皮の分厚い御仁に向けて、ため息を吐いた。
「御使い様の降臨は、国家の一大事なんですが……」
「あー、そうだよなぁ。百年ぶりだったっけか?」
「記録によると、百三十一年ぶりです。で、お迎えの大役を、どなたに押し付けたんですか?」
「おい、人聞きが悪いぞ。迎えの大役はホレイスだろうが」
「警固はあなたに任されていましたよね? で、どなたに?」
「レイヒだ。奴に任せた」
いうが早いか、キリザは勢いよく菓子を口に放り込んだ。
「ほう」
サルファは目を細めた。レイヒという青年の姿を、脳裏に思い浮かべる。
茶色い髪と瞳の、誠実そうな青年の顔が、像を結ぶ。武人らしい体躯と、輝かしい経歴の持ち主である。ところが、控えめな性格と、それと同じく控えめな容姿ゆえか、受ける印象は大変希薄という、なんとも不思議な青年だった。しかしその名は、国内はおろか、国外にまで届いている。
先の人事で、大国レナーテ八軍、その一軍の将に、彼は抜擢されたのだった。二十八歳という若さは、王族を除いて最年少であり、かつ彼は、平民の出であった。
キリザの強い引きがあったのは確かだが、他者が表立って反対できない実力と実績を、レイヒは積み上げていた。
「実力は認めますが、なにせ、お若いですからね。何かあったときに、対処できますか?」
戦場とは違う。武に長けた青年であるが、将となって、まだ日が浅い。戦場以外の公務は数えるほどしか経験しておらず、ましてや重責を伴う公務は、初めてのはずだった。
サルファの問いに、キリザは菓子をほお張ったまま答える。
「若いったって、もう三十だぞ」
しかし、しゃべりにくかったのか、口の中のものを茶で押し流した。
「能力も問題ない」
がちゃん、と派手な音をさせて茶器を置くと、キリザはサルファを見つめた。
「だいたいな、何かあったら――って、いったい何があるってんだ? 小娘ひとりだろ?」
「神から使わされる方をそのように――」
「おう、だからこそだ」
サルファのたしなめる声をさえぎると、キリザは得たり、とばかりに笑った。
「俺みたいな奴が行くのは失礼だろ? だから、遠慮したんだよ」
謙虚なことをいうが、体中のどこを探しても、謙虚さのカケラすら見つからないだろう彼は、
「その点、レイヒは見かけも中身も地味だからな。くそがつくほど真面目な野郎だし、ああいう場じゃ、置物みたいにじっとしてやがるぜ。使いの嬢ちゃんをびっくりさせることもなけりゃ、失言を心配する必要もない。問われて名乗るが関の山――ってとこだろ。しかも奴は候補者だ。奴が出るのに、なんで俺まで行かなきゃならねぇんだ? めんどくせえ」
つるりと舌を滑らせた。
「本音が出ましたね」
「おっ、しまった」
というが、悪びれる様子もなければ、舌を引っ込める気もないようで、キリザは続ける。
「俺が行かなくたっていいだろ? 侵入者なんてなぁ、まず、ありえないし、来るのは娘っ子ひとりだ。ちっとばかり騒ぐかもしれんが、それを収めるのは、ホレイスの仕事だ。万一、何かあってもレイヒがいる。殿下もな。あの二人がいれば、南の阿呆どもが攻めてきたって追い返してくれるさ」
「戦争じゃないんですが」
「おう、そうだな。ま、有事があれば、殿下とレイヒがなんとかするし、ホレイスの阿呆が何かしでかしたら、お前の辛気臭い右腕が、なんとかするだろ」
「……ゼクトのことを悪くいうのはやめて欲しいですね。彼は有能なんですよ」
「無能だなんて、ひとっ言もいってないぞ。それに、あいつが辛気臭いのは事実だ」
きっぱりいうキリザの眉間には、くっきり皺ができていた。
悪口と決め付けられた不快さか、サルファの副官の顔を脳裏に浮かべてしまった不快さか、どちらかはわからない。
その顔を見たサルファは、くすりと笑った。
「そう、嫌わないでやってください」
「別に、嫌ってやしない。苦手なだけだ」
キリザは明快に答えると、年若い同僚に訊ねた。
「お前、あいつが『日なたの亡者』って呼ばれてんのは知ってるか?」
「ええ、知っていますよ。てっきりあなたが名付けて、広めたのだとばかり思っていましたが……違いましたか?」
「馬鹿やろう、俺がそんな気の利いたあだ名、思い付くわけないだろ」
「気が利いてますか? まあ、確かに、おどろおどろしくはありませんし、いい得た感はあるでしょうか……」
小首をかしげ、吟味するようにいうサルファに、キリザが呆れたような目を向けた。
「お前、上司なんだから、そこは文句のひとつもいっといてやれよ」




