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投げ込まれた石

「ねえ、ラズル。ワルト君の言い草じゃないけどさ。彼、ほんと何しに来てるんだろうね?」




 リファイは隣に座る友人にいった。

 

「ええ」


 ラズルがためらいなく相槌を打つ。


 リファイとラズル、二人の目は、黒服の軍人――セリカが丁寧な礼を残して姿を消した、扉口に向けられていた。

 つい先ほどまで、セリカはここ、貴賓室にいた。



『今日はまた素晴らしい器ですね。取っ手の細工はもちろんですが、このように薄い茶器は、見たことがありません。光が透けて見えますよ』

『セリカさん、繊細で壊れやすいので気をつけてくださいね』

『はい。気をつけます』

『割ったら弁償ですよ』

『弁償がきくんですか?』

『ええ。セリカさんでしたら、そうですわね……二年ばかり無給で働けば』

『二年、ですか……』

『もう、あなたたち、おやめなさいな』



 などと、侍女たちに遊ばれながら茶会の準備を手伝っていた。和気藹々とした雰囲気だった。

 そんな様子を三、四日も眺めていれば、馴染み具合もよくわかる。



「セリカ君、軍を辞めて、侍従にでもなるつもりかな?」

「さあ、どうでしょう?」


 ラズルが声とともに、視線をあらぬ方へと投げる。もう、どうでもいい、といった様子だ。

 リファイも呆れていた。


 いくら若くてもレナーテの軍人だ。しかも軍でも特別な黒服を着るということは、それだけの実力がある――はずなのだが、セリカはその片鱗さえ見せなかった。侍女に混じり、いじられはにかむ姿はどうみても、普通の青年だった。それ以上でも以下でもない。



「黒服の基準が変わったのかな? 明確な基準って、そもそもないんだっけ?」

「そうですね。だいたいは将軍が決めるんでしょうが、黒服といっても三百人近くいるそうですから、ひとりふたり当てはまらない人間もいるでしょう。もの事に例外はつきものです」

「はは、そうだね。セリカ君の場合は、お情けでなったのかな? 没落貴族で、小さいころから苦労してるそうだから」

「でしょうね」


 と、大儀そうに答えるラズルの腕を、リファイが軽く叩いた。

 ラズルが窓に投げていた視線を戻す。

 しかし二人の視線は合わなかった。明るい碧の瞳は、開け放たれたままになっている装飾過多の扉口に向いていた。


「ふふ」


 視線もそのままに、リファイが微笑んだ。


「兄上たちもお出ましだ」





◇  ◇  ◇  ◇


  

 


 遅れてやってきた二人は、珍しい表情かおをしていた。


 ハイラルとアブローは、ともに、男らしい精悍な顔つきの美男子だ。ハイラルは豪奢な金髪、アブローは黒髪――と色合いは対照的だが、顔の造作は、姉妹を母に持つ従兄弟同士であるためか、兄弟のリファイよりよほど似通っていた。どちらも鼻筋が高く、切れ長の目は、ほどよくつり上がっている。


 ただ、受ける印象、雰囲気はずいぶん違う。

 王族であるハイラルは、酷薄ささえ感じさせる整いすぎた面を、和らげて見せるようなことはしない。王族の矜持と自身の感情をそのまま面に映し、あるがままを他者に見せ付けている。


 しかしアブローは違った。自身の硬質な容貌が人の目にどう映るか、彼はわかっていた。見目と異なり――ハイラルと比べて、という話だが――気質は穏やかで思考は柔軟だった。ハイラルより三つ年長でもある。加えて自身の立場と役割も理解しているアブローは、己を柔らかく見せようと常に心がけていた。


 そのアブローから、柔らかさが消えていた。そしてハイラルからは、いかめしさと怒りが消えていた。


 並び歩く二人は、よく似ていた。



「ふふ」 


 小さな笑い声を落としたリファイは、苦いのか酸っぱいのか――何やら正体のわからないものを口にしたような顔をしている異母兄ハイラルに声をかけた。


「早いですね、兄上」


 といったが、決して嫌味ではない。リファイたちより遅いが、茶会の時間はまだ先だ。セリカという人物と、その動向を見るために、四人は定刻前に集まるようになっていた。


「ああ」


 答えながらハイラルが、目顔をくれながらアブローが、リファイたちの前にやってくる。

 出入り口から遠く、中央のテーブルからほどよく離れた場所にある窓際のソファは、観察するにも話をするにもちょうどよかった。


 ハイラルが、ここ数日の間に定着した位置に収まった。座ると同時に長い足を組むのもお決まりだ。だがその表情は、いまだ、苦味か酸味かはかりかねるようなものだった。


「殿下、いかがなさいました?」


 ラズルの声に、ハイラルが視線を上げた。


「……あの男、いったい何しにここへ来てるんだ?」





◇  ◇  ◇  ◇





 ハイラルとアブローは、ここに来る途中で、ワルトを探すセリカに出くわした。

 二人の姿を認めるなり姿勢をただし、きびきびと挨拶する様は、よく躾られた軍人であると頷けた。

 が、それだけだった。


「今日は、聖遺物を見せてもらうらしい」

「聖遺物? ああ、過去の御使い様たちが残されたという、あれですか」

「そうだ」

「へえ、ホレイス卿がよく許したね。でも、あそこは開けるのに、父上の承認がいるんじゃないの? とったのかな?」

「さあな」

「どちらにせよ、伯父貴殿にずいぶん気に入られているな。ま、あれだけ素直に感心されれば、嬉しくもなるか」

「はっ」

「ホレイス卿ばかりでなく、侍女たちにもたいそう可愛がられていますよ、彼は」


 とラズルが、先ほどの和気藹々とした準備の模様をハイラルとアブローに話して聞かせた。

 それを聞いたハイラルが、呆れたように首を振る。


「まったく、何しに来てるんだ」

「息抜きじゃありませんか?」


 ラズルのそれは皮肉ではなく、率直な意見だった。

 セリカは毎日やってくる。やってくるが、そのほとんどを、彼はホレイスの側近ワルトや侍女たちと過ごしていた。観察しなければならないはずの御使い様たち――中でも結衣とみちるの両者には、簡単な挨拶をするだけで、会話らしい会話もほとんどしない。


『お勉強、がんばってくださいね』


 と、激励の声をかけて終わりだという。

 そうして御使い様たちへの挨拶を済ませた後は、熱心に、己の好奇心を満たすために活動している。裏でも表でも、かぎまわるようなそぶりは一切なく、彼の目が光るのは、珍しい品や話を見聞きしたときだ。


 観察者セリカの目が、本来向くはずの対象者――御使い様たちに向かうことは、ほとんどなかった。

 


「どうも、彼を買いかぶっていたようですね、われわれは」

「ああ」

「そのようだな」

「あの黒服に、まんまと騙されちゃったね」


 セリカを過大評価していた、ということで、四人の意見は一致した。

 

 

  


◇  ◇  ◇  ◇





 セリカが来たあの日。四人は、強い危機感を覚えた。

 なぜなら、宰相グレンが本腰を入れてきた――と感じたからだ。



 レナーテを恐怖と驚愕に陥れた異形の御使い様たちの扱いにも、一応の目処が付いたのか、これまで手が回らず放置していた王城の御使い様に、グレンが目を向けてきた。

 宰相としては当然だろう。三人は、国の救世主だ。グレン自らが足を運び、三人が適切な待遇を受けているかを確認していった。


 それでも足りずに、部下ばかりか外部のものまで使って、こうしてこちらに寄こすのは、ホレイスの後見役としての資質を疑っているからだろう。


 実際その役割は、まったくといっていいほど果たされていない。

 ホレイスは、グレンら中央高官たちの意識がスライディール城に向けられているのをいいことに、勝手のし放題だ。


 三人を囲い込み、慣例に従わず他の候補者を締め出したばかりか、だれに諮るでなく独断で一人を唯一の御使い様とみなし、残る二人を虐げている。

 身体的な苦痛はなくとも、精神的にはそうだ。

 第三者の目にはそう映るだろうし、それを、御使い様本人――結衣とみちるが主張すれば、ホレイスの後見役は直ちに取り上げられるだろう。


 

 ワルトを追い出した四人は、その場で対策を練った。


 ホレイスの所業が露見するのは時間の問題だ。今のままでは、数日のうちにグレンが乗り込んで来る。なのに、伴侶はいまだ、ひとりとして決まっていない。ホレイスの後見役が取り上げられれば、彼女たちとの接触も、ままならなくなる。ばかりか、候補者の資格を失う恐れさえある。


 ハイラルにしてみれば、労多くして益なしどころか、泥をかぶりかねない状態だ。リファイにしても、真偽の確認ができないままでは困る。それに、ホレイスという面白い暴走駒を、まだ失いたくない。


 というわけで、四人は知恵を出し合った。

 懐柔しようという意見は出なかった。宰相府から派遣されてきた若い軍人を、四人は非常に警戒したのだが……。





「俺の、あの苦労は何だったんだ?」


 ハイラルがいった。


 その発言はもっともだった。

 ハイラルは、結衣とみちるの待遇を即座に元に戻すよう、強い態度でホレイスに迫ったのだった。感度の悪いホレイスが頷く前に、三人を等しく扱うことを使用人たちに厳命し、徹底させた。



『あのような青二才、脅し宥めれば、何とでもなります』


 懐柔が利くというホレイスの言を退け、『それでは卿も俺も、ここで終わりだ』と恫喝してまで相手を折れさせたというのに、蓋を開けてみれば、黒服の青年はぜんぜん違うところに関心を向けていた。


「まあ、結果的にはよかったじゃないか」


 アブローが笑う。


「ほんと、彼でよかったよ。他の人間だったら、こうはいかない」

「ええ。ハイラル殿下にはお骨折りいただきましたが、時間稼ぎにもなりませんからね、あれでは」

「だね。でもさ、あの御通夜みたいな茶会を見たら、普通気付くよね? 軍人って、心の作りが大雑把なのかな?」

「繊細ではやってられないのかもしれませんね。キリザ将軍にはべるとなれば、神経が雑で太くないと無理なのでしょう」

「おまけに素直だし、ほんと彼でよかったよ。ホレイス卿の運の強さには、舌を巻くね。彼には感謝しないといけないな」


 といったリファイは、ハイラルに笑みを向けた。


「兄上、兄上にも感謝していますよ」

「嫌味か?」

「とんでもない」


 リファイは真顔でいう。


「結衣様とみちる様が茶会に戻られたおかげで、静かにお茶を味わえますよ」

「ふふ」


 ラズルが笑いをこぼし、アブローも微笑んだ。


「そうだな。俺もひやひやすることがなくなった」

「仕舞いもずいぶん早くなりましたし……ね?」

「ふん」


 ハイラルが鼻で笑う。が、機嫌はそう悪くなかった。




 三人の御使い様の待遇に、違いがあることを知られてはならない――


 それを強く認識していた四人は、以前と同じように、結衣とみちるを茶会に参加させるようにした。

 咲にはアブローが伝え、結衣とみちるには、二人が唯一心を開いている老教師――ウードを介してそれを伝え、了承させた。どちら側にも少々脅しめいたことをいったが、それは時間的制約のある状況下では、仕方のないことだった。


 そうして催された茶会は、恐ろしく気詰まりだった。

 これまでひとりお姫様状態だった咲は、見るからにふてくされ、結衣とみちるはいっそうの警戒をこちらに向けてくる。会話はほとんど成立しなかった。


 これは大きなしくじりか――と誰もが思った。が、セリカは、『奥ゆかしく、恥じらい深い方々ですので』という侍女らの言葉に頷いた。

 その日の通夜のような茶会は、セリカと侍女らが盛り上げた。彼は、座持ちする青年だった。以降、セリカがテーブルに着くことはなかったが、その気詰まりな茶会は続けられている。


 今日も今からその気鬱な茶会に、四人は参加しなければならない。


「ものは考えようだ、ハイラル。ぎすぎすした茶会だが、得るものはあった。咲様は静かだし、結衣様とみちる様とも接触できる。なにより伯父貴殿の鈍さが痛感できた。あれは、大きい」

「それはもとからわかっていたはずだ」

「あれほどとは、正直、俺は思っていなかった」


 というアブローの顔は笑っていなかった。


「早めに代替わりしてもらった方がいいな。危機を危機とも感じない。それを教えてもわからない。あの鈍さは危険だ」

「そうしてくれ。俺も我慢の限界だ」

「ああ」


 ハイラルとアブローのやりとりを聞いて、リファイがラズルに笑みを向けた。


「それじゃあ、僕らも早めに動かないといけないね、ラズル。あまり時間もないみたいだし。セリカ君のおかげで延び延びになっていた咲様の攻略にかかるとしようか」

「ええ、そうしましょう」


 ラズルの綺麗な琥珀色の瞳がかがやいた。


 




◇  ◇  ◇  ◇





 そして別の場所でもひとり。


「あれはいったい何をしに来ておるんじゃ」


 独語する男がいた。





◇  ◇  ◇  ◇





『行きたくないなぁ』

『先生! あんなお茶会、行きとうない!』

『おぬしらが行かねば、わしはここへ通えなくなるのじゃぞ』

『くっ、まさに卑怯!』


 握りこぶしを作るみちるを宥め、うなだれる結衣を励まして茶会に送り出したウードは、ひとり館内を歩き回っていた。


 部屋にいてもすることがない。はじめこそ、これで考え事に集中できるか――と思ったが、実際ひとりになってみると、思案しようにも、ここの連中への怒りがこんこんと湧いてくるだけで、建設的な考えなどひとつもできなかった。


 ひとり部屋にこもることは、精神衛生上よくない――


 と早々に悟ったウードは、結衣とみちるを送り出すと館内を歩き回ることにした。気分転換にもなるし、館内を熟知しておくのも悪くない。茶会に手をとられているためか、すれ違うものもほとんどおらず、


『まあ、先生。お勉強の方は、はかどっていらっしゃいまして?』


 などと聞いてくる不愉快な人間たちにも、会わずに済ませられた。


 ウードにそうした声をかけてくるのは、おもに侍女だった。訊ねる声は明るく、美しい面は微笑んでいる。が、その声と微笑には、明らかな嘲りがあった。

 

 全員がそうではないが、若い侍女――中でも咲付きの侍女らは、総じてそのような失礼な態度をして見せるのだった。ウードが力のない老人であることも、助長させる一因だろう。


 ウードは、そうした声をかけてくる相手には、下等生物を見るような目を向けてやった。もちろん、一言だって返さない。


 実際下等な生き物だ。ウードが遠慮会釈ない侮蔑の目をくれてやると、『まあ、こわい』と数人で集まって、ひそひそとやる。そうしているうちに声をかけてくるものはいなくなったが、ウードの姿を見ては、いまだにひそひそくすくすとやっている。姿と立ち居振る舞いは美しいが、中味はひどく幼稚で、薄汚れていた。


 そうした不愉快な連中は、王子らが参加する茶会に真っ先に出向いている。というわけで、神経を逆撫でされることもなく、歩き回れるのだった。個々の部屋を開けることは許されていないが、館内を自由に歩き回ることは、ホレイスから許されていたため、だれに会っても咎められることもない。そうして気ままに足を向けた先で、ウードはセリカに遭遇したのだった。


  



◇  ◇  ◇  ◇





「……」


 セリカはひとり、壁と向かい合っていた。


 館内には、御使い様の無聊をなぐさめるためだろう、素晴らしい芸術品がいたるところに飾られてある。

 中でも、当代随一といわれるその時代時代の職人らが描いた天井画や壁画は、傑作ぞろいであるといわれていた。公開されないそれらの芸術品は、御使い様の存在とともに広く知れ渡っている。


 学術者、有識者の中には、秘匿された芸術品を拝めるのであれば、国籍や資財を手放しても構わない――というものまでいるほどだ。


 セリカは、国内外の教養者たちに、ひと目だけでも――と切望の声を上げさせる壁画を見つめており、ウードは、熱心に見入るその姿を見て、先の言葉を吐いたのだった。



 使命を果たさず己の好奇心を優先する。レナーテ軍の黒服の能力を疑わせるばかりか、自分たちの期待を裏切ってくれた青年に、ウードは呆れの目を向けた。



 第一印象はよかった。


『いいひとだ。偉そうじゃないし、ぜんぜん怖くない』

『優しいお兄さんって感じですね。あのひとだったら、毎日来られても大丈夫かな』


 と、みちると結衣が笑顔を見せ、


『そうじゃな』


 ウードも頷いた。


 最初はあまりに若くて驚いたが、宰相グレンが遣す人間だ。愚かな人間ではあるまい――と思い、実際相対してみれば、納得できた。年に似合わぬ落ち着きと、優しい自然な微笑み。なにより誠実そうな青年の、澄んだ緑の瞳は、遠い昔に見た大事なひとの記憶を、ウードの脳裏によみがえらせた。


 期待が、優しい感情とともに、胸に広がった。



 あの目で見れば、結衣とみちる――二人の置かれた状況が、どのようなものかわかるだろう。ひと目でわからなくとも、長い時間をここで過ごせば、いやでも感じるだろう。いわずともわかる。

 そう思っていたのだが……。


 青年の目は、結衣とみちるを見ていなかった。緑の目は澄み、優しく生気に満ちていたが、それだけだった。



 わしもまだまだじゃの。あの目に騙されたか――


 

 ウードは嘆息し、きびすを返した。




◇  ◇  ◇  ◇




 期待はずれの青年に用はない。

 面と向かえば、『何をしにここに来ておる』と嫌味のひとつもいいたくなる。余計なことをいう前に、ウードはセリカの前から消えようと、きびすを返したというのに、


「老先生」


 相手に気付かれた。

 

「……」



 空気は読めずとも気配は感じられるのか? 



 と、内心で皮肉りながら、ウードは振り返った。


 壁画に見入っていたセリカは、身体をこちらに向けていた。軍人らしく、まっすぐ立っている。そこには気負いも力みも感じられない。自然でいてぶれない、凛とした立ち姿は、レナーテの誇る軍人のものだ。面立ちも、派手ではないが、知性と誠実さを感じさせる、好い顔をしている。

 なかなかの好青年は、笑みを浮かべていた。

 

「老先生も、この壁画をご覧になりにいらしたんですか?」


 口調も爽やかだ。だが、すっかりそれに騙されたウードには、その若々しい軍人ぶりが返って憎らしい。見掛け倒しの好青年への返答は、自然、冷たいものとなった。


「違う。ではな」


 けんもほろろに答え、辞そうとするウードを、セリカがふたたび呼び止めた。


「老先生」

「なんじゃ」


 足を止め、顔だけを振り向けるウードに、セリカは微笑みのままいった。


「これから聖遺物を見に行くのですが、よろしかったら老先生も一緒にいかがですか?」

「聖遺物?」


 ウードの眉間がきつく寄った。


「はい」


 と答えるセリカの若い面には、微笑んでいるのに笑い皺さえない。


「もしかして、老先生はもう、ご覧になられたんですか?」

「いや、見とらん。わしのようなものが見られるわけがなかろう。聖遺物といえば、国宝ではないか」

「ホレイス卿が鍵を貸してくださいまして、いつでも好きなときに見ていいと」

「何?! 納めた場所に入るには、陛下の許可と高官の立会いが必要であろう」

「はい、わたしもそのように記憶していたのですが、ホレイス卿が構わないとおっしゃいまして。ワルトさんがご一緒してくださる予定だったんですが、どこにも姿が見あたりませんで……さすがにひとりはどうかと」


(ふん。それは、逃げられたのじゃ)


 ウードは心の中で答えた。あれこれうるさく聞いてくるセリカから、ワルトが逃げ回っている――というのを、ウードは部屋付きの侍女から聞いて、知っていた。

 聞いたときは、あのぺらぺらしゃべる小男を閉口させるとは、たいしたものじゃ――と別の意味で感心したものだが、ここではそれを皮肉らず、


「やめておけ」


 と止めた。そればかりか、余計なことと思いつつ続けた。


「よいか、おぬし。目は綺麗じゃが、よく見えておらぬようじゃからいうておく。やめておけ。ホレイス卿が許したようじゃがな、ホレイス卿にそのような権限はない。明らかな法破りじゃ。どのような言い訳もたたん。おぬしは法と秩序を遵守しなければならぬ軍人じゃ。破ってはならん。しかもキリザ将軍の側近という重職を任されておるのじゃろう。軽率な行動は控えよ。それでも見たいというのなら、職を辞してから行くのじゃな。それならば余人に迷惑はかかるまい」


 険を含んだ声に、


「そうですか……そうですね」


 思いがけず、柔らかな声が返ってきた。

 セリカは微笑んでいた。その反応に、ウードは内心で首を傾げた。


 年長者とはいえ、ウードは身分のない老人だ。ウードとセリカとでは、まさに天と地ほど、地位に開きがある。ウードのいったことは正論だったが、両者の地位を鑑みれば、無礼であるといわれても反論できない。セリカの立場であれば、上位者に対し暴言を吐いたとして、逆に咎めることもできるのだが、彼はそれをしなかった。


 セリカはウードの言葉を聞き、微笑み、そして頷いた。その微笑に、ウードは少しばかり居心地の悪い思いをさせられた。セリカの微笑には、親しいものに向けるような温かみがあった。そしてそれが、嫌ではなかった。



 ま、人に嫌われる人間でないのは確かじゃな。だが、それだけじゃ――



 人好きのするセリカの微笑に渋面を返しながら、


「よいな、やめておけ」


 ウードは念押しした。


「はい。しかし、老先生はご興味がありませんでしたか? 諸国を外遊し、学術を修められた先生が、教授の話をお引き受けになられたのは、そのためだとばかり思っていましたが……」

「そうじゃな。おぬしのいう通りじゃ」


 ウードは素直に答えた。


「じゃがの、わしは法を犯してまで見たいとは思わぬ。それにな――」


 セリカを睨みつけ、強い声で言い放った。


「今ここに、生きた宝があるというのに、過去の宝など見てどうする」

「……」


 責めるような口調にか、射抜くような目にか――セリカが目を細める。

 そこへ極めつけとばかりに、ウードがセリカの顔めがけて、

 

「ふん」


 荒馬のような鼻息をふいた。

 セリカの目が丸くなる――と同時に、ウードはくるりと背を向け歩き出す。

 

「……」


 無礼極まりない態度だが、ウードにはあらためる気など毛頭なく、呼ばれても、二度と振り向くつもりはなかった。



 あてにはすまい――



 怒りと失望、そして決意が、ウードの足に力を与えた。


 呼び止める声は掛からなかった。

 見目爽やかな青年軍人は、決然と歩き去る老人の背中を、黙って見つめていた。その面は優しく微笑んでいた。 




◇  ◇  ◇  ◇





「そうか、セリカ殿は鍵を返してきたか」

「はい。閣下のお心遣いを無にするなど――」

「構わん」


 ホレイスは鷹揚にワルトの声をさえぎった。


「しかし」


 と、ワルトは主の機嫌の良い声に異議を唱える。


「キリザ将軍を陥れる口実になりましたでしょうに。陛下の許可なく収蔵庫に入り、聖遺物が紛失――となれば、主であるキリザ将軍が咎められるは必至にございます」

「だが、それを許したのがわしだと知れれば、わしも危ういな」

「そのようなこと、なんとでもなります」

「あの老人が知っておるのだろう?」

「それこそ、なんとでもなりますでしょう。寄る辺ない老人の一人や二人。いざとなれば、こちらでなんとでもできます。偏屈な老人を助けようとするものなど、おりますまい」

「まあな。しかし、そうしたところで、あの総大将が地位を追われることはない。悪運だけは妙に強いからな」

「傷くらいは付けられます。小さな傷でも手当を間違えれば命取りになるやもしれません。往々にして、そういうことがございます」

「ワルト、わしはな、あやつを引きずりおろしたいのだ。それにな……」


 ホレイスは目だけをワルトに向け、


「近いうちにそうなる。こちらが謀らずともな」


 唇を歪めて笑った。


「ま、少しばかり膳立てしてやらねばならんがな」

「閣下がおっしゃっていた、あれでございますか」

「そうだ。王宮でも総大将の無能と怠慢を問う声が出始めている」

「ふふ。左様でございますか」

「時期をみて、陛下に奏上する。ゆえに今回ははかりごとは無用だ。あの青年をわざわざ落ち込ませてやることもあるまい」


 というホレイスの声に、


「閣下……」


 ワルトが顔を曇らせる。


「あの青年は、人好きがするというだけで、まったく物事というものを理解しておりません。お側近くに置くのは……」


 やむなく――といった様子で苦言を呈しながらその実、好敵手になりそうな若芽を蹴落とすことしか頭にない側近の言葉に、


「わかっておる」


 ホレイスは頷いた。


「わかっておるが、長らくルゼー将軍の近くにおったものを粗末にはできん。つなぎ役は務めてもらわねばな」

「左様で……」

「素直でいい若者ではないか。軍に戻れば、我らのために良い働きをしてくれるのではないか?」


 ホレイスの言葉は、ワルトの消沈の表情を懐疑的なものへと変えただけだった。

 それを見て、ホレイスが笑った。


「ワルト、あのものは駒だ。使い捨てのな。血の巡りの悪い人間に用はない」


 その言葉に、ワルトの目がきらめきを取り戻した。


「まさに。閣下の目は確かでございますな。わたくしが申し上げるまでもありませんでした。出すぎた真似をして誠に申し訳ございません」


 と、頭を垂れる側近に、「よい」と機嫌よく応じたホレイスだったが、次の瞬間、眉間の肉を隆起させた。


「そんな取るに足らないものどものことなど、どうでもよい。それよりワルト」

「はっ」


 突如気色を変じた主に、ワルトは構えた。


「あれを、どう思う?」


 訊かれたワルトは迷わず答えた。


「ハイラル殿下でございますね?」

「そうだ。わしにあのような口をきくとは……王子でなければ怒鳴りつけてやるところだ」


 拳を作る主に、ワルトは大きく頷いた。


「まったくです。ハイラル様には驕りがございます。次代の王と、閣下をはじめ、皆様から大切にされてきたからでございましょうか? 最近とみに尊大なご様子でいらっしゃいますので、わたくしも心配しておりました」

「そうか」

「はい。それもこれも、すべては閣下のお力とご尽力あってのことだというのに、殿下はまったくわかっておられないようでございますね」

「そちも、そう思うか?」

「無論にございます。閣下のご尽力がなければ、御使い様の近くにいることは叶いません。そもそも、閣下が力を尽くされてきたらこそ、ハイラル殿下が今のお立場にあるというのに、それらをまったく理解しておられないばかりか、あの、ぼうっとした軍人の能力を過大に見積もり、ホレイス様にあのような口をおききになるなど……まったく何もわかっておられません」

「まあ、そういってやるな」


 というホレイスの声は笑っていた。

 憤懣やるかたない――と、口角に泡を作りながら言葉を吐くワルトに、ホレイスの怒りは宥められたようだった。


「閣下、それはご寛容にすぎませんか? 閣下に、『どこに目をつけている』などと……どれほど無礼であることか。しかも、あれだけの暴言を叩いたというのに、実際はいかがです? ホレイス様のおっしゃるとおり、よこされた使いは、使いも果たさぬ小者だったではありませんか」

「ふふ」


 ホレイスが巨体を揺すった。


「笑い事ではございません、閣下。ときには厳しく、己の立場が誰によって築き上げられたものか、教えして差し上げねばなりませんでしょう」


 続くワルトの怒りの声に、ホレイスの怒りはすっかりなくなり、目に見えて機嫌が良くなった。


「まあ、あれも若い。温室育ちであるからな。今回のことは、良い経験になっただろう」

「お甘いのではありませんか? 暴言ばかりでなく、咲様の伴侶になることまで拒否されたのですよ。あれはどうあってもお止めせねばならないでしょう」

「いや、よい」

「またそのような――」

「ワルト」


 ホレイスが、ワルトの言をさえぎった。

 ワルトが首を振るのを止め、主を見る。と、主の細い目は、何やら企みの色をのせていた。


「ワルト、わしも、そう甘やかしてばかりではいかんと思っておる。殿下が咲様を退けるというのなら、それでよい。残りの二人――いずれかの伴侶になればよい。できるものならな……」

「閣下はできぬ、とお考えで?」

「まあ、やり方次第でどうにでもなるが、なったところで、あの二人に満足できるかな?」

「ふふ。左様でございますね。しばらくすれば、やはり咲様が良かったと、思われるでしょうな。すでに後悔されていらっしゃるかもしれませんね」


 くつくつと笑いながら、ワルトは訊ねる。


「それで、閣下はいかがなされるおつもりで?」

「まあ、可愛い甥であるから、助けを求めるなら手をかしてやらんこともない。だが、一度頭は下げてもらわねばな。道理は知ってもらわねばならん。どちらが上かも、な」

「左様で……」


 微笑み合う主従の顔は、肉付きはまったく正反対だが、思考と発想と同じく、非常に似通っていた。


 


 

 

 キリザが選び、グレンが投じた小石は、見た目の非力さとは裏腹に、大きな波紋を作り、それぞれの思惑と行動に多大な影響を及ぼしていたのだった。






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