闖入者
普段、白と黄金が支配する豪奢な広間は今、おびただしい色の洪水に侵されていた。
鮮やかなそれは、生地だ。
国内はもとより、国外からも集めてきたのだろう。さまざまな色、模様、種類の布が、ところせましと広げられ、ソファなど、本来の役目が果たせないような状態になっている。
「まあ、とてもお似合いですわ」
「本当に」
明るい声が上がる。
「そお?」
「お気に召しません?」
「んー、ちょっと違うかなぁ」
「それではこちらはどうですか?」
鮮やかな色とともに、幾人もの侍女たちが、ひとりの少女を取り巻いている。
少女の身体に布を当てるもの、鏡をささげ持つものがいれば、堰のように並べ置かれた重厚な衣装箱の中をあらためるもの、そこからあらたな布を取り出すものや、当て終えたそれらを片付けるもの――
侍女たちはかいがいしく動き回りながら、ため息や感嘆の声をこぼしていた。彼女たちが手にしているのは、いずれも、豪奢であったり繊細であったりと、それぞれに美しい一級の品ばかりだ。
だが、少女が難色を示したものは、直ちに巻き戻され、別の衣装箱へとしまわれる。そして、大きな衣装箱から別のものが取り出される、といった具合だ。
家具を覆いつくすように広げられた生地は、少女の目に留まったということだろう。それにしては、色味といい柄といい、まったく統一感がない。
金糸銀糸の豪奢な刺繍がほどこされたものがあれば、柔らかな淡色で染め抜いたもの。その一方で、濃く鮮やかな、ともすれば毒々しいと思われるような色合いのものまである。
自分に何が似合うかわかっていないのだろう。似合うかどうかはさておき、気に入ったものはとりあえず、ということなのか。
それだけでも節操のなさがうかがえる――
内心の侮蔑を青の瞳にのせながら、
「……あれは?」
ハイラルは訊ねた。
「ああ、あれは、伴侶の披露の際に召される衣装の生地をお選びになっておられるんですよ」
背後からの声に、ハイラルの眉間がきつく寄った。
隣に立つ従兄弟――アブローに投げたはずが、別の人間が答えたからだ。
「……」
ハイラルが黙している間に、ぼんやりとした暗色が、彼の視界に入り込む。
ホレイスの側近、ワルトだった。
「見事でございましょう?」
ワルトは、ハイラルとアブローの間――彼らより一歩下がったところまで歩み寄ってきた。
「ちっ」
レナーテの第二王子は小さく舌打ちをした。
ハイラルは、この男が大嫌いだった。
上位者であれば、だれにでもこびへつらう。そうしながら、そこで得た情報を、裏で面白おかしく主に伝えるのだ。『あのように他人の言葉をお信じになるようでは、とても時期当主は務まりますまい』などと、他者を貶めて主を喜ばせる。
喜ぶほうもどうかしていると思うが、卑しい口だけの人間が権力者に媚を売り、のさばっていることには強い憤りを覚える。
このような男、側にいるだけで、品性が下がる――
中味ばかりかハイラルは、ワルトの貧相な容姿も嫌いだった。ただ貧相なだけなら許せるが、ワルトの場合、人品のいやらしさが顔と痩身からにじみ出ていた。長年のこびへつらいが身に染み付いているのだろう。なのに目だけは、人のアラでも探しているのか、利益を取りこぼすことのないようにしているのか、常に光を宿している。
この男の姿を目にするのも嫌だった。が、はっきり示さなければ、この鈍い男には伝わらない。
ハイラルは肩越しに、嫌悪もあらわな威嚇の目をワルトに向けた。
下がれ――
そう、口にする前に、
「なるほど。華やかなことだ」
アブローに先を越された。
しかも、ワルトには鷹揚にいいつつ、ハイラルには厳しい視線を寄こす。
従兄弟の無言の制止を、ハイラルは睨み返した。が、アブローは眼差しを逸らさず、首を横に振る。
「ちっ」
ハイラルが舌を打つ間に、
「しかし、早過ぎやしないか? 伴侶はまだ決まってないだろう」
アブローがワルトに問いかけた。
「何をおっしゃいます、アブロー様。伴侶はハイラル殿下に決まったも同然。あとは陛下へのご報告と公表のみにございます」
薄い唇をひらめかせ、ワルトはいう。小狡い男は、自分の言葉が第二王子を喜ばせるに違いないと信じている。
「ふん」
ハイラルは鼻で笑った。
「同然など、決まってはいないだろう」
吐き捨てるようにいったその言葉を、どう解釈したのか、ワルトがあわてて口を開いた。
「リファイ殿下のことを心配なさっておられるのでしたら、どうぞご安心を。リファイ殿下には伴侶になられるお気持ちはございませんし、そのことは、ホレイス様ご自身が何度もお確かめです」
「……」
ハイラルは何もわかっていないこの男を、今度こそ本気で睨みつけた。
小狡く光る男の目は、何も見ていないし、何ひとつわかっていない。
頭上で交わされる自分とアブローのやりとりにも気付かなければ、ハイラルがこぼした言葉の意味さえ取り違える――のみならず、未確定のことを堂々と口にし、ハイラルがそれを喜ぶと思っている。
伴侶になれないことを心配している――
そう思われるだけで、怒り心頭であるというのに。
「も、申し訳ありません」
ワルトは自分にそそがれるハイラルの怒りの視線にやっと気付いたのか、笑みをしまい、面を伏せた。
出しゃばり男の顔を下げさせたハイラルは何もいわず、怒りの目をそのまま、侍女と布に囲まれている娘に移した。
「よくお似合いです」
「そお? ありがと」
と、女性らは、まだ飽きずにやっている。
お決まりの文句を向ける侍女と、向けられる世辞に頷く娘。数々の美しい布に目と心を奪われている女たちは、ハイラルたちにも気付かず、生地選びに没頭していた。
その様子を、ハイラルは冷めた怒りの目で見つめる。
家に女性がいる貴族には、規模こそ違えど見慣れた光景だ。ハイラルにも従姉妹がおり、よく見立てを頼まれる。辟易しながら四度に一度の割合でそれに応じるのは、外気を求めてのことだ。でなければ、そんなことに付き合ったりはしない。
着るものでいったい何が変わるのか? 着飾ることが楽しいのか。家格や富を誇示したいのか。異性の関心を惹くためか――
とにかく、こうしたくだらないことに時間と金を費やす女という生き物が、ハイラルは嫌いだった。血のつながった従姉妹ですらそう思うのだ。近くにいることを強いられる相手のそれを、見せられる――とあっては、なおさら嫌気が増す。
中央で繰り広げられるやり取りに、ハイラルの怒りは、薄れるどころか深くなった。
伴侶になりたい――
もとから薄かったその思いは、もはや、ハイラルの中にはない。
あの娘に、自分の一生をささげなければならないのか――と思うだけで、逆に怒りがわく。
美しくもなく、さりとて賢いでもなく、心根が優しいわけでもない。
友人を切り捨てたばかりか、無きもののように扱い、その姿を見かければ、侍女たちとひそひそとあざ笑う。自分だけが特別であるという言葉を信じて疑わず、特別扱いを当然のように受け入れる。そして、極上の男を見れば心を動かす――というだらしのない娘だった。
その愚かな娘は今、侍女らに囲まれて笑みを浮かべている。
ハイラルは笑った。
道化だ――
御使い様のために揃えられた侍女たちは皆、美しい。ホレイスが金と力にものをいわせ、方々からかき集めてきた侍女たちだ。姿は美しく、所作は洗練されている。
そんな選りすぐりの侍女らと、国内外から取り寄せられた鮮やかな色々の中で、凡庸な娘はくすんで見えた。それが中央に、しかも平然と座っているのだから、笑いも出ようというものだ。
その笑いを、また勘違いしたのか、ワルトが余計なことをいい出した。
「ハイラル殿下もご一緒に、お見立てになられませんか。お隣に並ばれるのですから――」
死ね――
という言葉を、ハイラルは呑みこんだ。訊きたいことがあったからだ。
「女性の服のことはわからない。それよりあれだ。あれは、なんだ?」
「あれ、とは?」
鈍い男はまったくわからないようだった。
アブローが笑った。
「ハイラル、お前も悪い。なんだ、ではなく、だれだと訊くべきだ」
「ふん」
「ああ」
ようやく理解したワルトが頷いた。
「あれは、セリカ殿です」
「セリカ? 知らんな」
「お若くていらっしゃいますが、キリザ将軍の側近をなさっておいでです」
「キリザ将軍の? なぜそんな人間がここにいる。軍人というだけでもおかしいだろう。しかもキリザ将軍の側近など、ホレイスが許すわけがない」
「それがでございますね……」
忍び笑うワルトの後に、明るい声が続いた。
「キリザ将軍の側近だけど、使いものにならないからって追い出されたそうだよ。ワルト君の弁だけどね」
男たちが一斉に振り返った。
「リファイ……」
「殿下……」
ハイラルが少しばかりの驚きを、先を越されたワルトが恨みがましい目を、陽気な声の持ち主に向ける。
第三王子のリファイが、ラズルとともに立っていた。赤みがかった金髪。その下にある鮮やかな碧の瞳は、声同様、明るい光をたたえている。
ラズルがハイラルとアブローに目礼する。その隣で、リファイが形の良い唇を開いた。
「ご機嫌よう、兄上。まったく麗しくないようだけど、それは僕も同じだから」
綺麗な笑みを浮かべたまま、リファイはそういうと、その笑みをワルトに向けた。
「これじゃあお茶は飲めないね。用意が出来るまで、兄上たちと別室で待たせてもらうことにするよ。君もおいでよ。あそこですっかり馴染んじゃってるセリカ君? 彼のことを、もう少し聞きたいな」
いいつつ、彼は広間の中央に目をやった。
そこでは、布を広げては褒める、という単調な作業がまだ続けられている。
その中に、黒が一点混じっていた。
華やかな女性たちと鮮やかな色彩――その中に、黒の軍服に身を包んだ男がひとり。
「まあ、やっぱり。咲様はお肌が白いので、明るい色がお似合いになりますね」
「本当に。良くお似合いですわ。セリカさんも、そう思われません?」
「わたしは女性の服飾のことはよくわかりませんが、お似合いだと思います」
背もたれのない丸椅子に姿勢正しく座る青年は、穏やかな笑みを返す。
その異質の存在は、傍から見れば完全に浮いていた。が、優しげな風貌の青年は、不思議とその場の明るい雰囲気に溶け込んでいたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「もともとは、ルゼー将軍の側近で、長くお側で仕えていたそうなんですが、手が足りぬということで、キリザ将軍に引き抜かれたよしにございます。なんでも、スライディール城の御使い様は、『大人しくして欲しければ、こちらのいうことを聞け』と、それは異形らしい、人を人とも思わぬ傲岸な態度なのだそうで、あのサルファ副宰相が振り回されているとか……。キリザ将軍は、御使い様たちの暴走をお止めするべくスライディール城に入られましたが、どうも、あまり上手くいってないようでございますね。あの取り澄ました側近二人も揃ってスライディール城にかかりきり、ということですから、推して知るべしでしょう。上がそのような状態で、軍は通常業務をこなすのがやっととか」
別室に移ったワルトは、興奮気味に薄い唇をぺらぺらと動かしていた。
彼の前に座るのは、第二王子ハイラルとその従兄弟、アブローとラズル、そして第三王子のリファイという、美形でその名を内外に広く知られている王子たちと、その近親者である高位貴族の若君たちだ。リファイを除く三人は、主ホレイスの縁者でもある。
ワルトはホレイスの腹心ともいえる側近であるが、一堂に会する彼らと、このように間近で話をする機会はない。
信頼を得る好機――
ホレイスが自慢する青年たちに信頼されれば、今以上に重用されることは間違いない。
そんな邪まな思いに火をつけたワルトは燃えに燃え、求められるまま、自分が知っていることを惜しみなく話した。しかも、
「へえ、それはたいへんだ」
リファイがにこやかに相槌をくれるものだから、舌の勢いはさらに増し、訊かれていないことにまで話は及んだ。
「はい、ホレイス様もたいへん心配なさっておられます。総大将はスライディール城に行ったきり。今はルゼー将軍が代わりを務めていらっしゃいますので、業務に支障はないようですが、いったいいつまで続くのか。異形の御使い様を、キリザ将軍は扱いかねておられるのでしょうな。先日、珍しく王城の方に姿をお見せになったそうですが、グレン宰相にそのことを責められたのか、任務に嫌気が差しているのか、機嫌が悪かったそうです。しかし、いつまでたっても手に負えぬでは、レナーテ軍総大将の名を汚すばかり。この際、キリザ将軍は潔く身を退き、ルゼー将軍に総大将の地位をお譲りになられたがよろしいのではないかと……」
「それは、君の意見かい?」
リファイが微笑みを向ける。
「滅相もございません。わたくしごときがそのようなこと。すべてはホレイス様のお考えにございます」
「そうか。ホレイス卿は御使い様のことばかりでなく、他のことも色々考えてるんだね」
欲度しく――
とは、さすがのリファイもこの場ではいわなかった。ただ、腹の中では、この側近を、話の内容も含めて大笑いしていた。
リファイは、大いに笑わせてくれるホレイスの側近――ワルトに笑みを向けた。
「でもさ、ルゼー将軍が総大将になるのはいいけど、そうなると、同格の将軍――ウルーバルがだまってないんじゃない?」
「ふっ、あのようないな――」
田舎者、とあざわらいかけて、ワルトはわざとらしいセキでごまかした。
「失礼しました」
「別にいいよ、気にしなくて。僕たちは四人、君を含めたって、ここには五人しかいないんだから。それに、実際田舎者だしね、彼は。でも、実力はある。もとは王族だし、人気もあるよね。そう簡単にいくかな?」
「北のものなど、真のレナーテの人間ではありません」
「君、僕より辛らつだね」
「そのようなことはございません。皆がそう申しております」
「皆って誰?」
「まず、名のある貴族の方々は皆様、でしょうか」
「へえ、そうなんだ」
「はい。ルゼー将軍が総大将になられるのであれば、有力貴族の皆様はこぞって支援なさるでしょう。キリザ将軍のご実家は、そこそこの貴族とはいえ、成り上がりです。金と武しかございません。しかしルゼー将軍は違います。何百年という長きに渡り、王家とともにレナーテを支えてこられた大貴族、その跡継ぎでいらっしゃいます。実力が同等であれば、ルゼー将軍が総大将となられるは、必至。家柄、実力は申し分なく、しかもお人柄も優れていらっしゃいます。それに引き換え、北のご兄弟は、ご出自を疑いたくなるような方々です。山間で獣じみた暮らしをしていた王族には、品性も知性もないようですね」
「はっ」
ハイラルが息で笑った。
しかしそれだけで、ハイラルは言葉を続けることもなければ、視線すら動かさなかった。
第二王子の反応に、ワルトは一瞬舌を止めたが、第三王子リファイの先を促すような笑顔を見て、すぐに舌の動きを再開させた。
「ルゼー将軍が忙殺されているというのに、あの兄弟はのん気に、森を駆け回っていらっしゃるそうですよ」
「そういわれてるけど、実際は森じゃなくて、スライディール城に行ってるんじゃないの?」
「いいえ、違います」
きっぱりとした答えに、リファイは真顔を向けた。
「君、見てきたの?」
「いいえ。ですが、信頼できる人間からの情報です。なんでも森で汗馬を見たとかで、毎日それを探しに行っているようですよ。スライディール城の奥は、軍の狩猟場とつながってますからね。訓練中に逃げたのか、はぐれ馬でもいるのでしょう。世間はひどく騒いでいるというのに、のん気に馬を追いかけているのですから、まったく呆れたものです。しかも、異形の伴侶になりたいという人間ですよ。いくら実力や人気があっても、あのような外れた感覚の持ち主では、レナーテ軍の総大将は務まりません」
「ふーん。でもさ、もうひとりいるよね? 総大将になるんじゃないかっていわれてる男がさ」
謳うような声に、ワルトの顔が引きつった。
「――レイヒ将軍、彼はどうなの? キリザ将軍は、彼を自分の後釜に据えるつもりだって、噂で聞いたけど。だって、平民であの若さだよ? それを将軍にするなんて、周りの反発をくらうのは必至だ。それでも将軍に引き上げるくらいだから、かなり見込んでるってことだよね。それに実際、軍内の反発はほとんどなかったっていうし、キリザ将軍の独りよがりってわけでもなさそうだ」
「キリザ将軍の横暴に、異議を唱えられる軍人などおりませんよ」
ワルトの痩せた顔が歪んだ。
「あの人事は平民向けの人気とりのためですよ。実力ではありません。まったく、実力のない平民風情がレナーテの将軍であるというだけでもおこがましいというのに、それが総大将など……。なれるはずはありませんし、わたくしどもも、あのようなものを上にいただくわけにはまいりません」
「ああ、だから彼を、スライディールの御使い様のささげものにしたのかい」
「ささげものなど――」
「そっか、よくわかったよ」
リファイはワルトの言をさえぎった。
「うん。ホレイス卿は、ハイラル兄上が王になるための足固めをしようとしてるんだね」
「左様でございます」
「ルゼー将軍を総大将にすることで、彼に恩を売る。恩をたてに、孫のアルファティアナ嬢と娶わせれば、強い絆が出来る。軍を味方にできる上、アルファティアナ嬢も大喜びだ。だよね?」
「殿下のおっしゃるとおりです。リファイ殿下のご慧眼には恐れ入ります」
「はは、それは嬉しいな。僕も参謀くらいにはしてもらえるかな?」
頼まれてもお断りだけど――
「ホレイス卿の壮大な計画はよくわかったよ。うん、君らがセリカ君を粗雑に扱えないのも、よくわかった」
心とは裏腹に、リファイは明るい声で頷いた。
しかし、ハイラルはまだ納得していなかった。
「しかし、それでなぜ軍の人間が来る」
「それは、人手が足りないからだそうです。サルファ副宰相がスライディール城の御使い様の後ろ盾になられてから、副宰相の仕事をグレン宰相が受け持つことになったそうです。人員は減り、仕事は増える――というわけで宰相府の方々は、これまでにも増してお忙しくされていらっしゃるそうです。こちらの御使い様のことは、ホレイス様にお任せしておけばよろしいのでは――と思いますが、宰相閣下も何も知らぬでは済まされないようで、ご様子を見にこられます。しかしながら先もいいましたとおり、宰相閣下のお手元は人が足りません。そこで、キリザ将軍にお声をかけたところ――」
「セリカ君が送られてきた、というわけか」
「左様です。お若いながら黒服というので、わたくしどもも、いったいどのような方がお見えになるのかと思っておりましたが、まさかあのような青二……純朴な方がいらっしゃるとはいやはや、宰相閣下も驚かれたでしょうな。しかし、軍も人手が足りないということでしょうか? 色々な方がいらっしゃるということでしょうか? あのような方が黒服とは……」
首を振りながら、ワルトの顔は笑っていた。
「まず、威厳というものがありません。気安く侍女らに話かけられて、嬉しそうになさってます。しかも、生まれが貧しいらしく、こちらの絢爛豪華な仕様に驚かれ、あれはなんでしょう? これは? と侍女やわたくしを捕まえて、いちいち訊ねてこられるんですからたまりません。女どもは面白いのか、丁寧に答えてやってます。まあ、ルゼー将軍とつながりのある人間ですからね。しかも独身の黒服ですから、粗雑にできないのはわかります。しかし、あれでは何をしに来ているのかわかりません。御使い様のご様子を見に来ているはずですが、咲様、結衣様とみちる様には、通り一遍の挨拶をしただけで、後は侍女たちと話したり、一緒になって咲様の周りにはべっているんですから。昨日などは、建物内を見たいなどと言い出して――」
ワルトの愚痴は続いた。
愚痴という名の悪口を放つワルトの口調は嬉々としており、その喜色が広がるほどに、それを聞かされる青年たちの渋面は濃くなっていった。
◇ ◇ ◇ ◇
「しかし、ぺらぺらとよくしゃべるな、あの太鼓持ちは」
ワルトを追い出してすぐ、アブローはソファの背もたれに身体を預けた。
「まったく恥を知らん男だな。自分のことは棚上げだ」
感心するようにいうアブローとは異なり、ハイラルの声には嫌悪しかない。
そして今ひとりの青年、ラズルは辛らつだった。
「ホレイス卿にはお似合いです」
「ああ」
その声に、ハイラルが唇を皮肉に歪めて笑う。
「似合いだが、俺まで同類だと思われるのは不快でしょうがない。頭も軽ければ、口も軽い。あんな人間を重用するなど、まったくホレイスの気が知れんな」
「ホレイス卿には心地良いのでしょう。わたしには到底理解できませんが」
小人の毒気に中てられたハイラル、アブロー、ラズルの三人は、等しく顔を歪めている。その中で、
「まあ、おかげで黒服の軍人が来る理由はわかったね。他にも色々と」
リファイだけは微笑んでいた。
四人の中で、リファイだけがホレイスと血が繋がっていない。しかも本来なら、この輪に加わることのない部外者だ。ホレイスと衝突した御使い様――結衣とみちるを繋ぎとめるために呼ばれただけだ。しかも、それすら口実だ。
リファイの真の目的は、『スライディールの御使い様は人ではないか?』その真偽を確かめたいだけだから、どこもかしこも悪いホレイスの側近のいうことも笑って聞けるし、それにいちいち不快を示す兄、ハイラルの様子も楽しめた。
高見の見物だ。これくらいの楽しみがなければ、やってられない。
なぜなら、簡単だと思っていた真偽の確認に手間取っていたからだ。
結衣とみちるは、リファイが思っていたほど単純な娘ではなかった。二人は慎重で、かたくなだった。リファイが真摯に訴えても、彼女たちは頷かなかった。それどころか、いぶかしむような目をリファイに向けたのだった。
二人を舐めていた。
リファイはホレイスと繋がっていない。伴侶になろうという意志もまったくない。そうした欲のない自分が、優しい声をかければ、すぐにとはいかなくても、いずれ心を開くだろうと思っていた。
それが初対面で、いきなり心の扉を閉ざされた。鎖を断ち切られた石扉のごとき速さと硬さだった。以来、どう話しかけても、動かせない。結衣とみちるはかたくなな態度を崩さなかった。姿は凡庸だったが、心根は意固地なほどに強くしっかり持っていた。
二人に対する印象を大いに改めたリファイだったが、遅すぎた。
その一方で、咲という娘はたいへんわかりやすく、扱いやすかった。
一言で言えば、彼女は浮かれていた。その言葉がしっくりくる。
これまでそういう扱いを受けたことがなかったのか、最初こそためらいがあったようだが、数日も過ぎれば慣れたのか、それが当たり前のように振る舞いだした。
リファイの笑みと甘言を、まったく疑うことなく受け入れる。
完全な世辞だというのに、ほほを染め、上目遣いで見られたときは、リファイも参った。こうも簡単になびかれては困る。と思ったが、咲はアブローやラズルに対してもそうだった。それを見たときは笑いをこらえるのがたいへんだった。
ハイラルは、咲という娘のことが気に食わないのか、まったく話しかけないし、ここ最近は目もくれない。それでも咲は、自分から積極的に話しかける。侍女やホレイスから『王族としての矜持から、感情を素直にあらわせない』とでも言い聞かされているのかもしれない。そうでなければ理解できない行動だ。
ハイラルの態度は、だれがどう見ても拒絶でしかない。しかも、咲本人はもちろん、ホレイスも知らないことだが、ハイラルは、『咲の伴侶にはならない』とアブローとラズルに宣言している。そしてそれを、アブローが了承したというのだから、彼女の未来は暗い。御使い様という絶大な名さえ、彼女は打ち消してしまうようだ。
だが、そこまでひどい娘ではない――
と、リファイは思っている。この世にはもっとひどい人間が、掃いて捨てるほどいる。
ただ、咲という娘は普通すぎた。そして、浮かれすぎた。望む相手も悪かった。
咲が望んだ相手――ハイラルは、良くも悪くも王子様だった。自身が器量に恵まれているためか、能力のないもの、そうした人間が地位や権力を嵩にきて驕るのを嫌った。その権化ともいえる人間――ホレイスが身近にいるために、嫌悪にとどまらず、憎しみという強い感情にまで行き着くようだ。
ハイラルの人を寄せ付けない雰囲気、厳しい眼差しは、王族の尊厳を示すと同時に、ホレイスへの憎悪を隠し、さらにはそういった連中を寄せ付けないためだろう――と、リファイは踏んでいる。
ハイラルを望むなら、咲は謙虚であるべきだった。自分を振り返り、冷静になるべきだった。少しでもいい、それが感じられたなら、ハイラルも伴侶になることを、喜びはしなくとも受け入れはしただろう。
だが、もう遅い。
彼女は間違った。とるべき道を誤った。ホレイスの言葉を信じ、彼と同じように振る舞い、ハイラルたちに切り捨てられた。
そして、咲を見切ったハイラルたちは、残りの二人――結衣とみちるに狙いを変えた。しかし、まだ表立った行動にはでていない。
結衣とみちるは、リファイのこともそうだが、ハイラルたちのことも受け入れていない。
どう関わるか――
下手に動いてホレイスと咲を刺激すれば、現況下では、攻撃の矛先が結衣とみちるに向かう恐れもある。ただでさえ難しい相手だというのに、自分たちの安易な行動が彼女たちをさらなる窮状に陥れたとなれば、残された伴侶の道が潰れてしまう。
ということで、ハイラルとアブローは頭を悩ませていた。そこに、リファイの友人――ラズルが打開策を提案した。
『わたしが咲様の伴侶になれば、問題ないでしょう』
咲の伴侶はハイラルだと、ホレイスは勝手に決め付けており、咲もそのつもりでいるが、ハイラルにまったくその気がない。
『三人の御使い様の伴侶に、われわれ三人がなる――当初の狙いはそうなんですから、誰が誰の伴侶になど、細かいことは、この際ホレイス卿には目をつぶっていただきましょう』
『しかしラズル、お前はそれでいいのか?』
『ええ、構いません。ただ、咲様の了解は、先にとっておいたほうがいいでしょうね。彼女はハイラル殿下にご執心ですから、殿下がみちる様と結衣様のお二人に関心を持っていると知れば、ホレイス卿に何をお願いするかわかりません』
『ああ……』
『まったく……女というのは、どうしようもないな』
『しばらくお時間をいただくことになりますが、咲様のことは、わたしにお任せください。結衣様とみちる様に接触するのは、わたしが咲様を篭絡した後の方がよろしいかと』
『ああ』
『そうだな』
という話をラズルから聞いて、リファイは友人の機転に大いに感心し、その後で大笑いさせてもらった。
結衣とみちるの二人から聞けないとなった今、リファイには、咲に確かめるしか術がない。ハイラルやアブローたちの前では迂闊に訊けないし、話を誘導するのも難しい。ホレイスや侍女たちの目も光っている。しかし、ラズルが咲の伴侶――有力な候補者となれば、無理をしなくてもその機会が得られる。
『それで、どうしましょう? 殿下。甘い言葉でささやきましょうか? それとも従わなければ道はない――と、あの小娘に現実を突き付けてやりましょうか? ご足労いただきましたので、殿下のお好きにいたしますよ』
とラズルがいうものだから、リファイは大笑いした。
リファイよりも甘く、誠実さと優しさを感じさせる風貌の友人は、二人きりになると、その仮面をさらりと脱ぐのだった。
『そうだね。僕としては、甘い言葉でよろめくのを見たい気もするけど、これ以上時間をかけるのも馬鹿らしいから、さっさと教えてもらうことにしようよ』
懐柔か脅しか――
リファイとラズル、二人の間では方針が決まった。
しかし、思いも寄らない闖入者があらわれた。
軍人。しかも、セリカという女性のような名の青年は、レナーテ軍の中でもごく一部のものしか着用を許されない黒の軍服を身に着けていた。二十歳という若さ。長らくルゼーの元におり、今はキリザの側近だという。
ふーん。この時期にね――
純朴そうな青年は、リファイとラズルばかりでなく、ハイラル、アブロー――四人の警戒心を刺激するのに十分だった。




