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異世界カルテット ~わがままに踊ります~  作者: たらいまわし
第五章 雌伏のとき~そは騒がしくも充実しており
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偉く騒がしい使者

 宰相府は静かだった。




 各人が大量の仕事を抱え、且つその日の刻限も迫りくる――という夕刻に近い時間帯ともなると、ここ宰相府でも、それなりの数の人間が行き来する。


 外部の人間も、もちろんやってくる。だが、主のグレンが静けさを好むことはよく知られており、館内には、急ぎはしても、騒がしく音をたてるものはひとりもいない。

 宰相府の門をくぐる人間は――よほどの緊急事態で無い限り――『騒がず』という言葉を、くどいくらいに教えられる。


 ゆえに、宰相府は多くの人間を抱えながら、静けさを保っていた。


 

 その静けさの中で、グレンは書類に目を通していたのだが、ピクリと眉の辺りを動かした。

 それまで物音ひとつしなかったというのに、扉向こうが、にわかに騒がしくなったからだ。


「……」


 グレンはため息をひとつ付き、顔を上げながら、両肘を付くために書類を前に押しやった。

 静けさを破る足音が、ドスドスと近付いてくる。

 突然それが止んだ。

 と思うと、いきなり扉が開かれた。

 ノックもなしに扉を開けて入室してきた男は、声を後ろにやっていた。


「茶はいらねえ。もう腹いっぱいなんだよ」


 そういって侍従を追い払った男が、グレンに顔を向け、にやっと笑う。


「おう、生きてたか」

「ふん」


 グレンは鼻で笑い、無礼な来客にふさわしい冷笑を向ける。そして、


「どうした? とうとう追い出されたか?」


 その冷笑にふさわしい悪態で、騒がしい来客――キリザを出迎えた。





◇  ◇  ◇  ◇






「てめえは……」

「いいから座れ、あまり時間がない」


 グレンは勝手に押しかけてきたキリザを、自分の前に座らせる。


「なんだよ、何かあったのか?」


 キリザが表情を引き締めた。

 さあこれから舌戦を繰り広げようかと、口を開きかけているのに、グレンはちろりとそれをのぞかせただけで、戦闘用の舌をしまってしまった。


「緊急のことはないが、話はある。卿もだろう? 暇つぶしでここに来たわけでは……なんだ? 本当にスライディール城から追い出されたのか?」

「馬鹿いえ!」


 真顔で訊いてくるグレンに、噛み付くように返す。


「俺が追い出されるわけねえだろ。俺と玲ちゃんたちの関係は、すこぶる良好だ」

「……卿だけが、そう思っているのでなければいいがな」

「てめえ……どんな阿呆が見ても間違えようがないくらい良好だ!!」

「そうか、ならいい」


 グレンは熱の無い声でキリザの怒気を払い、先を続ける。


「俺から話すか? それとも、卿の話から聞こうか?」

「俺からだ」


 キリザは答えると、身を乗り出した。


「時期が早まった」


 その言葉を聞いて、グレンが眉をひそめる。


「いつだ?」

「そりゃまだはっきりしてねえが、明日から『伴侶の披露』の準備も始めるってなったから、当然、公表も前倒しにするだろ」

「ずいぶん早いな」

「玲ちゃんたちは、学習能力も高いらしい」

「ああ、それはサルファから聞いている」

「そうか。順調すぎて、リグとヤーヴェが追いまくられてるそうだ」

「ふっ」


 グレンが息をこぼす。


「ああ、それも聞いてる。しかし、心積もりはしていたが、早いな」

「まあな。でもいいんじゃねえか? お前だって公表は早めにしてもらいたい、っていってたじゃねえか。国民の不安は、なるだけ早く取り除きたいって」

「そうだが、まだ伴侶の処遇が決まってない」

「は、まだ決まってねえのか? 何やってんだ? 寝てんのか?」

「いってくれるがな。俺の睡眠時間は卿より少ないぞ」

「そうか、そりゃ気の毒だ。宰相なんて、やるもんじゃねえな」


 凄みのある目で睨み付けてくるグレンに、キリザはおどけた笑みを返す。


「ま、そんなことはどうでもいいや。しっかし、なんでそんな時間がかかるんだよ。処遇なんて、適当に作って、ぺっと貼り付けりゃいいじゃねえか」

「そう簡単ではない。なにより適当では意味がない。位格のない位など貼り付けるだけ無駄だ。今、過去の位階をさらっているところだ」

「ふうん。そいつは面倒だな。……なあ、それって、アリスのか?」

「それ以外他に? 他の三人はすでに決まっているし、発令のサインも陛下からいただいてる」

「だよなあ。なあ、グレン。もう、アリスはそのままでもいいんじゃねえか? あれでも筆頭軍師だぜ、十分だろ」

くらい的には十分だが、そういうわけにはいかない。伴侶の中でひとりだけ何もないとなったら、目立つ上、余計な憶測を呼ぶ。集中的に狙われるぞ」

「わかりやすくていいじゃねえか」

「本気か?」

「冗談だ。ま、せいぜい派手で重そうな肩書きをつけてやってくれ。あいつのびっくりする顔を見るのは、面白れぇからな」

「まったく、とんでもない上司だな」

「馬鹿いえ。俺みたいにできた上司はいねえぞ」

「そうか」


 グレンは気の無い声を返す。

 多忙を極めるグレンには、スライディールの城でゆったりまったり気ままに過ごし、気力を充実させたキリザの遊び心に付き合う余力はない。


「それで、できた総大将閣下殿は、ルゼー、ウルーバル両将軍と、エルーシル副将軍の了解を、ちゃんととってくれてるんだろうな?」

「ったりまえだ。俺に抜かりがあるかよ」

「そうか。では、こちらも公表に間に合わせるよう努力する」

「そんな無理するこたねえだろ? そりゃあ、公表と同時に発令ってのが理想的だが、時期が早まるんだからしょうがねえ。公表も、さっさと済ませた方がいいしな。明日から、人の出入りが大幅に増える。下働きの連中も増えるし、警固の人間も増員だ。今までみたく、外だけってわけにはいかねえ。城ん中の警備も必要だ。伴侶と周りの連中が毎日団体で通ってくるし、呼んでもねえ奴まで来る」

「北の兄弟か……」


 グレンが笑い声でいい、キリザが渋い顔で頷いた。


「ああ。ったく、こっちでも噂になってんだろ?」

「そうだな。あの二人は目立つ上、注目してる人間も多いからな。毎日、森に何しに行ってるか、王宮でも結構な話題になってる。悲壮な顔でもしてくれれば別だが、ああも楽しげに通われてはな。自然と話も広がる」

「ったく、あいつら……。だいたい前倒しになったのは、あいつらのせいなんだよ」

「ふふ、そうか」

「良子ちゃんの機嫌が悪くなるからって、玲ちゃんがあいつらに入城許可をやることにしたんだよ。もう、いつでも好きな時に来て、好きなだけ自分たちを見物してくれりゃいい、とさ」

「玲様らしいな」

「でも、相手にするかどうかは、別みたいだぜ」

「だろうな。それで、伴侶も明日から、というわけか」

「そうだ。玲ちゃんのいう、次の段階ってやつに入る。それで、さっきまで向こうでわいわいやってたんだよ。警備の連中はこっちでどうにでもなるし、下働きの連中は、サルファがもう用意してあるから明日からでも大丈夫だが、他の、踊りとか礼儀作法や諸々を教える連中は、そうもいかねえだろ? 数は多いし、こっちで決めてあっても、今後の段取りなんかも含めて今から打診だ。侍女なんかはまだ、人選すら決まってねえ」

「あの条件では、侍女になれるものは、そういないと思うが……」


 と笑うグレンに、キリザも笑い返した。


「おう、それで、玲ちゃんが責められてた。玲ちゃんの出した条件にかなう人間なんざ、今んとこ、ひとりもいないからな。侍女の候補者欄は真っ白だ。で、『どうすんだ!』って良子ちゃんに責められて、条件を緩めることになった。なったはいいが、決まるまでのつなぎを、オランとクランツにさせるっていって――」


 いいながらキリザは噴きだした。


「良子ちゃんに、思いっきり口をつねり上げられた。玲於奈ちゃんばっかりだと思ってたが、良子ちゃんも容赦ねえな。サルファとオランがお願いしてやめさせたが、ありゃあ相当痛ぇぞ。赤くなってた。瑠衣ちゃんと玲於奈ちゃんは『いつものことだ』って笑ってたけどな」

「そうか……それは俺も見たかったな」

「だろ? でも伴侶の連中は、目ぇ剥いてびっくりしてたな、はは。しっかし、玲ちゃんたちといると、ほんと退屈しねえな」

「そうだな」

「というわけで、公表が前倒しになるのはしょうがねえ。人はどんどん増えてくる。どうしたって目を引くし、噂にもなる。つまんねえ噂になる前に、さっさと公表しちまった方がいいだろ」

「ああ」

「発令が間にあわなくてもいいさ。そこら辺は玲ちゃんもわかってるだろうし、考えてるぜ。なんせ、御使い様って最大の権威権力を持ってんだ。いざとなったら玲ちゃんが、それをためらいなく振るってくれるさ。今でも向こうでぶんぶん振り回してる」

「はは、そうか」


 グレンが声を上げて笑う。


「そんな玲ちゃんからの伝言だ。明日、時間見つけて来てくれってよ。その辺りのことじゃないか?」

「そうか。わかった。それでは朝一番にうかがうとお伝えしてくれ」

「おう。で、お前の方の話ってのは、なんだ?」


 促す声に、グレンは笑みに緩んでいた口元を引き締めた。


「王城の、御使い様の件だ」






◇  ◇  ◇  ◇





「……あんまりいい話じゃなさそうだな」


 キリザが顔をしかめる。


「察しが良くて助かる」

「褒めたって何も出ねえぞ」

「出してもらうから構わない」

「あ?」


 どういうことだ――とキリザが続ける前に、グレンはいった。


「ひとり、信頼できる人間を貸して欲しい」

「は?」


 と、一瞬キリザは気抜けた声を出したが、すぐに僚友の依頼に答える。


「そりゃあ構わねえぜ。信頼できる人間は大勢いるし、ちゃんと返してくれんだったら、いくらでも貸してやる」

「そうか、気前が良くて助かる。が、借りるのはひとりでいい。信頼できて、頭が良く、機転も利く。その実それが前面に出てこない――そんな人間がいい。見るからに有能そうな人間は駄目だ。威圧感や威厳のあるものもな。穏やかで誠実そうな、欲をいえば、軽んじられたり侮られたりする傾向にあるのがいい。若くて位階の低い、その上、卿の息がかかっていない。そういう人間をひとり、借りたいんだが……」

「おい、グレン。お前、玲ちゃんのがうつったか?」


 キリザが据わった目で、条件をいい終えたグレンを見つめる。

「ふふ」と、グレンが笑った。


「ああ、そうかもな。玲様は強い感化力をお持ちだ。うつるのも仕方ない。で、思い当たる人間はいないか?」

「いねえな」


 キリザは即答した。


「若くて位階が低くて、出来物に見えなくて実は出来物だあ? しかも俺の息がかかってないって、そんなのいるわけねえだろ。だいたい軍属ってなったら、全員俺の息がかかってることになるだろうが」

「直属ではない、近くはない――ではどうだ?」

「そんなの、急にいわれても思いつかねえな。お前、それ、いったい何に使うんだよ……って、そっか、王城の御使い様に使うのか」


 自問自答するキリザに、グレンが頷いた。


「そうだ。玲様にいわれて、あれから王城の御使い様たちの様子を見てはいるんだが、実態がつかめない。俺も二度ほど直接会ったが、こちらの問いに返事をくれるだけで、ほとんど会話にならない」

「そりゃ仕方ねえな。顔は怖いわ、厳ついわ、宰相だわってなったら、そりゃビビんだろ。玲ちゃんのひとつ下ってんだから、子供に毛が生えたようなもんだ。しかも玲ちゃんたちみたく神経だって太くも強くもねえだろうし。普通の娘なんだろ?」

「ああ」

「で、何が気になるんだ? お前は」

「そうだな。まずは彼女たちの答えだな。不足はないか、現状に問題はないか、不満はないか――彼女たちはすべてに『無い』と答えるんだが、それがホレイスにいわされているのか、それともただ萎縮してそう答えてしまうのか、実際問題がないのか、わからない」

「ふーん」

「他の人間に行かせても、持って帰ってくる答えは同じだ」

「不満も問題も無し――か」

「そうだ。しかし、俺にはそう見えなくてな」

「あるように見えるのか」

「ああ。王城の御使い様は三人いる。答えは同じだが、受ける印象がずいぶん違う。一人は現状に満足しているようだが、後の二人はそうでないように見える。感情を殺しているように、俺は感じたな」

「まだ馴染んでないんじゃないか? こっちの環境に」

「それもあるだろうな」

「順応するのもたいへんだろ。個々の性格もあるだろうし、慣れるのだって早い遅いの差がある。で、その二人、ひどく沈んでんのか?」


 キリザが案じるように問い、グレンが首をわずかに捻った。


「そうだな。沈んでいるかといわれれば、否定はできないが、少し違うようにも思うな」

「なんだよ、難しいな」

「それを話してもらえないから、こちらも困ってる。表情もほとんどないからわかりにくい。全体的に静かでおとなしい」

「そりゃ困るな」

「ああ。それに、三人は友人だと聞いているが、とてもそうは見えない。三人の間には、壁がある。もともとそうなのか、それともこちらに来てからそうなったのか……」

「面倒そうだな」

「保護しようにも、このままでは無理だ」

「お前ん中ではそっちに傾いてんのか?」

「ああ。だが、はっきりしない。さすがに理由なく、ホレイスの手元から取り上げることはできない」

「ま、ごねるだろうな。でも、いい訳なら立つんじゃねえか? ホレイスは、決められた手順をまったく無視してる。御使い様を囲い込んで、懐柔しようとしてんのは明らかなんだしよ」

「いい訳は立ってもな、もし、彼女たちがそれをよしとしていたら? 納得ずくだったらどうする? 実は保護などまったく必要としていなかったら? 無理やり保護して、よくよく聞けばそうだった――では困る。彼女たちが現状に満足しているようなら、手出しは無用――玲様はそうおっしゃったはずだ。俺も、進んで面倒事は抱えたくない。特に、今はな」

「まあ、な。でもお前は保護の必要がある、って感じてるんだろ?」

「ああ。スライディールの四人が人間だということを、ホレイスは知らない。それは間違いない」

「知ってりゃ四人に会わせろっていうわな」

「それどころかこっちに渡せというさ」

「だな」

「ホレイスは、化け物だと信じたまま、露ほどの疑いも持ってない。昨日も『大将軍のお姿をお見かけしませんが、お忙しくされていらっしゃるのでしょうな。あちらで』と笑っていたぞ。監視のためというのを頭から信じてる」

「阿呆が」


 吐き捨てるようにいうキリザに、


「俺もそれに異論はない」


 グレンは同意を示すと難しい顔で続けた。


「王城の御使い様たちが、ホレイスに事実を話していないのは確かだ」

「だな。玲ちゃんが心配してた、『いえない状況』にある、とお前はみたわけか」

「ああ。だがな、『いえない』ではなく、『いわない』という可能性だってある」

「……」


 キリザが押し黙った。


「どう見ても、あの三人は心をいつにしていない。けん制しながら、それぞれ自己保身に走っているのかもしれないな。特殊な環境下にあるからな。ホレイスの作った狭い世界にいる。囲われた中で、第二王子やホレイスの寵を競っていたら? 競いながら、ある部分で結託していたら? 今でも競争者がいる。これ以上の御使い様は邪魔なだけだ――という思考にある、とも考えられる」

「……グレン、そいつは穿ちすぎじゃねえか?」

「そうか? ま、俺もそう思わないでもない」

「なんだそりゃ」

「だから、実際どうなのかを知りたい。彼女たちの人間性、関係性も含め、現状を知りたい。だが俺たちではそれを聞きだせない」

「あー、お前んとこのは仕事はできるが、人間味ってもんがねえもんな。ま、似たような人間は集まるっていうし、しょうがねえか」


 と、揶揄するように笑う。


「ふん、何とでもいってくれ。今は人員も不足してるし、時間もない」

「サルファんとこが、ほぼ全員使えねえもんな」

「そうだ。だからひとり、使える人間を貸してくれ」

「うーん、そういうことだったら、ヤーヴェが最適なんだがなぁ。あいつは柔も剛も使える」

「ヤーヴェは駄目だ。一番近い、卿の側近だ。顔も能力も知られすぎてる。ヤーヴェなら御使い様の心を聞くことはできると思うが、それも接触できればの話だ。絶対に邪魔が入る。ホレイス側の人間がぴったり張り付いて、直に御使い様と接触させないようにするだろうな。卿が乗り込むのと同じだ。ヤーヴェでは、余計な猜疑と警戒を呼ぶだけに終わるぞ」

「ああ、だなあ」


 いいながら、キリザは空を睨みつける。その姿は、一所懸命考えているように見える。が、そう見えて、実は頭を空っぽにしている――ということも少なくない。そんな総大将を、グレンは見つめた。


「ずいぶんじっくり考えてもらっているようだがな、将軍。俺は時間がない」

「うん、そりゃさっきも聞いたぜ」


 あまり効果がないとわかったグレンは、取っておきの刺激剤で相手の注意を呼び戻すことにした。


「いい忘れてたが、王城の御使い様のところに、リファイ殿下が出入りしてる」


 その名を聞いた途端、キリザは宙に飛ばしていた視線を元に戻した。


「お前……それを先にいえよ! あのガキ、なんでまたそんなとこに出入りしてやがんだ? ホレイスは知ってんのか? 知らないわけねえな。でもなんでだ? 殿下ソルジェほどじゃないにしろ、リファイのことも相当嫌ってんだろ、奴は」

「さてな。だから、その辺りの事情と、リファイ殿下の動向も調べられる人間がいい。宰相府の人間が毎日様子を見に行くというのは、ホレイスにも了承させてある。その専任ということで使わせてもらう。所属を明らかにしても問題なく、できれば貴族たちともあまり面識のない人間がいいな」

「おい、まだ条件増えんのか?」

「卿が名前を挙げないからだろう。絞れてきたか? さっきもいったが、卿直属の人間は使えない――」

「いや、待て」


 キリザがグレンの声を遮った。


「ホレイスの野郎、ルゼーのことは嫌ってねえよな? 俺の片腕だっていうのに、ルゼーにだけは、いつも頭を下げて、愛想を振りまいてる。ま、家は名門だし、ルゼーはその嫡男だ。しかも男前だ。聞いた話じゃ、ホレイスの孫娘がルゼーに熱を上げてるらしい」


 それを聞いて、グレンが大きなため息を吐いた。


「いくらそうでも、ルゼー将軍は駄目だ。御使い様が萎縮するし、リファイ殿下も警戒する。それよりなにより、将軍。俺のいった条件が、ものの見事に無視されてるが、もう一度いった方がいいか?」

「いらねえよ。あれだろ? ヤーヴェとアリスを足して割って、ちょっと薄めて、そっから十か二十引いた感じの奴ってことだろ?」

「……だいたいはわかってもらえているようで結構だ。それでどうして、ルゼー将軍の名が出てくるのか」

「別に、ルゼーにやらせようなんて思ってねえよ。あいつは今、ウチの連中ん中で一、二を争うぐらい忙しいんだよ。貸せっていわれても、貸せねえな」

「では、誰だ?」

「セリカだよ」

「セリカ?」

「お前んとこに一番に顔出してるはずだぞ。リグとヤーヴェの代わりに、しばらく俺の側近をやることになった奴だよ。元はルゼーの側近だ」

「ああ。そういえば来てたな。二人いたが、どっちだ?」

「なんだよ、覚えてねえのか?」

「顔と名前が一致しないだけだ」

「若い方だ。今年二十になるとかいってたんじゃねえかな? 軍の中じゃ、そこそこ顔は知れてるが、他じゃそうでもない。目立つ容姿でもねえし、一応貴族だが、貧乏だっていってたしな。先代当主の祖父じいさんが、なんもかんも全部ぜーんぶ売っぱらって家出したそうだ」

「……そういう話はたまに聞くが、当主が家出、というのはあまり聞かないな」

「だろ?」

「女か?」

「違う。なんでも探究心と向学心が強くて、飛び出したって話だ。それも、嫁も息子もいる、いい年のおっさんだぜ」

「迷惑な話だな」

「なあ。息子に家督を譲って、って言やあ聞こえがいいが、家以外のもんは売っぱらって、全部自分が持ってっちまってんだから、ひでえよな。嫁さんも息子もたいへんだ。家を継いだっていうか、継がされたセリカの親父がそのじいさんを勘当したらしいが、そりゃしょうがねえよな」

「当然だ」

「ま、それもセリカが生まれる前の話だ。あいつはじいさんの顔も知らなきゃ、生まれたときから貧乏だったんで、特別じいさんを恨んでもねえし、そんな暇もねえって、さっぱりしたもんだ。まあ、実際そうだったんだろうな。あいつは自分の口を養うために軍に入った。でなきゃ、とおやそこらで貴族と名の付く若様が、軍に入るわけねえよな」

「ああ」

「ルゼーがセリカを従卒にした経緯は知らねえ。遠縁か、誰かの口添えがあったのかもな。で、従卒からそのまま側近にして、ルゼーが使ってる。慣れて使い勝手がいいのかもしんねえが、それだけじゃ側近は務まらねえ。それに、ヤーヴェが気に入ってる。できればこのまま引き取って、自分の仕事を教えたいっていってるくらいだから、見込みがあんだろ。どうだ? 今は俺の直属ってかたちになってるが、そうなってまだ二十日も経ってねえ。それくらいなんとかなるだろ? っていうか、丁度いいんじゃないか?」


 キリザのいわんとすることがわかったグレンは頷いた。


「セリカを貸してくれ」

「おう。じゃ、呼びにやるか。早速明日から使うんだろ?」

「ああ。ここに来るよう伝えてくれ」

「わかった。すぐ呼びにやる」

「助かる」

「おう。で、お前の話はこれだけか?」

「ああ。後は、また明日だな」

「おし! じゃ、俺ぁ戻るぜ」


 いいながら、キリザは何の未練もなく腰を上げる。


 玲のお使い役を果たして機嫌がいいのか、スライディールの城に戻れるのが嬉しいのか――扉に向かうキリザの足どりは軽い。そのまま、まっしぐらに今の住処に戻るのだろう。


 陽気を放つ後ろ姿を見ながら、グレンは小さく首を振った。


 なぜ、自分が執務室を移すことになったのか、その理由を総大将キリザはすっかり忘れてしまっている。

 


「将軍――」


 機嫌良く立ち去ろうとする総大将の背中に、グレンは声をかけた。

 わざわざ思い出させてやる必要はないが、陽気を取り除いてやる必要があった。


「あ? なんだよ」


 肩越しに、キリザが笑顔を振り向ける。

 機嫌の良い横顔に、グレンはいった。


「帰るついでに、俺の侍従に茶を持ってくるよういってくれ」


 聞くなりキリザの顔が歪む。


「そりゃ自分でいえよ!」

「俺は忙しい。いわなくても飲めたはずの茶が、誰かさんのおかげで飲めなくなった」

「……」

「俺は、飲みたかった」

「あー、あー、わかったわかった。飼い葉桶いっぱいに持って行け、っていってやる!」

「そうか、親切なことだな。ああ、それとな」

「なんだ!」

「扉は静かに閉めてくれ」

「うるせえよ!!」


 いい気分に水を差されてしまった総大将は、それこそうるさい捨て台詞と、派手な物音をたてて、グレンの執務室から姿を消した。


 ドスドスと遠ざかる足音を聞きながら、グレンは押しやっていた書類を手元に引き寄せる。


「まったく……似たような人間が集まるというのは、本当だな」


 独語する強面には、薄くない笑みが乗っていた。






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