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異世界カルテット ~わがままに踊ります~  作者: たらいまわし
第五章 雌伏のとき~そは騒がしくも充実しており
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玲の宣告

 配膳室は静かだった。



 静かだが、熱をはらんでいる。 

 熱を発しているのは、レイヒとゼクトだ。

 彼らが、普段見せない熱を双眸に乗せている。



 大勢が変わる――



 わかっていたそれが、今ここで明確に示された。



 第一王子ソルジェが心を決めた。



 自ら臣籍に下り、継承争いから身を引くつもりではないか――



 そう思われていた彼が、退くのではなく、進むことに決めた。その瞬間に立ち会ったのだ。彼らの目が熱を帯びるのも当然だった。


 レイヒとゼクトは何もいわない。

 言葉にはしないが、それぞれの胸の内で、ソルジェに追従する意思を固めているに違いない。


 二人は、ソルジェの守護者――影に日向に第一王子をずっと守り続けてきたサルファとキリザの腹心だ。上司の思いを知っていれば、ソルジェのこともよく知っている。

 なにより、彼ら自身がそうしたいと望んでいるに違いない。


 彼らの静かな放熱が、それを教えてくれる。

 


 今、口を挟むべきではない――

 

 

 希望ある未来が道を成そうとしている。配膳室は、その高ぶりに最中にある。どんな愚か者でも声をだすのをためらうだろう。そんな空気の中、


「あの……玲様。お訊ねしてもよろしいですか?」


 アリアロスはおずおずと切り出した。



 当然のことながら、空気を乱した人間に、同席者たちの目が集中した。





◇  ◇  ◇  ◇




「……」


 自分で言い出しておいて、アリアロスは怯んだ。



 今ここで、訊くべきことではないかもしれない。

 場所を改め、考えを整理してからにすべきだとも思う。

 だが、どうしても聞きたかった。



 内容を云々するつもりはない。

 内容、それ自体に異議はない。正に、玲の言った通りだ。レナーテが抱えているのは継承問題だ。アリアロス自身、それを確信している。

 アリアロスだけでなく、レナーテの人間なら誰もが知っており、中央に近い者ほど、それに対し強い不安を抱いている。

 

 国を分けるに違いない――


 と。



 由々しき問題だ。

 王をはじめ、レナーテの中央もそれをわかっている。

 ゆえに、第一王子ソルジェを王太子に立てるべく、リエナリスタの王女との婚姻を進めた。


 第一王子のソルジェに王位を継がせる。


 中央は、明確な絵図を見せたわけではない。しかし、リエナリスタとの婚姻を経て、第一王子立太の運びになるだろう――と、だれもが予想する。

 中央の意思は見えた。



 ようやっと、重い腰を上げてくれた――



 と、アリアロスもほっとした。

 ソルジェの王位継承順位は一位だ。能力も文句ない。それが順当であり、正道だ。それらをひっくり返すことのほうが、よほど危険だ。


 遅きに失する感があるのは否めないが、まだ間に合う。


 ソルジェは国民から恐れられている。

 歪んだ王子像を信じるものは、王城内にも大勢いる。


 しかしソルジェが、一国リエナリスタの王女――国王の溺愛する一人娘を娶るとなれば、排斥の風潮も流れが変わる。

 リエナリスタは中国だが、長い歴史がある。生き残るため、自国を守るため、悪辣卑怯な手法をとる国も多い大陸の中央にあって、人道を踏み外さず存続している。いわば、良識という芯を持つ国だ。


 その国から、第一王子ソルジェを名指しでの申し出だ。

 当然のことながら、臣民の、第一王子への印象と感情が、劇的ではないが変化する。


 ソルジェは『呪われの王子』『非情の王子』と、まるで悪の権化のように騒がれているが、実体は英邁で公正な王子だ。その真実が、王女と婚姻を結び、新たな環境で王女とともに過ごすうちにその周辺からもれ聞こえてくるはずだ。



 おのずと知れる。必要なのは時だけだ――



 と、アリアロスも高をくくっていた。それが、裏切られた。


 甘かった。とは思わない。

 こちらレナーテが強要したわけではない。婚姻は先方の申し出だ。


 リエナリスタは他国の脅威に備えたい。

 そしてレナーテは、第一王子の新たな後ろ盾を得られる。


 一方のみに、利益不利益が偏っていない。互いに利があり、それを了解した上での婚姻だ。


 だからこそ、リエナリスタの宰相が自ら足を運び、陣頭に立って婚儀の準備を指揮した。そしてレナーテ側は、ソルジェの傅育係を務めていた、現副宰相のサルファだ。疎漏など、あるはずがない。どちらも万全を期していた。そのはずが、婚姻は流れた。王女が卒倒するという最悪の形で。


 王女の気質を見誤っていた。


 結果的にはそういうことで終わったが、



 本当にそうなのか? 

 悪意が働いていないか? 



 わからないままにリエナリスタの王女は去った。

 調べる必要はあったが、それどころではなかった。 


 王位継承問題。それに片を付けるはずの婚姻が流れたことで、逆に継承問題はにわかに現実味を帯びた。この半年あまりのうちに、水底に沈んでいたそれが、強い浮力を得て急浮上しはじめた。いつ水面に顔を出してもおかしくない。



 誰に組すればよいか――


 貴族と名の付く面々は、表面上は何事もなく、しかし裏では地に足が付かない――そんな時に前触れがあった。



 王位継承は人の手から離れ、神の御手――御使い様に委ねられる。



 貴族たちの秘密裏の大空騒ぎは、それで一旦収束を見た。

 だが蓋をあけてみれば、来たのは七人もの御使い様で、そのうち四人は目を覆いたくなるほどの恐ろしい異形だった。



 自分たち、レナーテの抱える問題は王位継承ではないのか?!



 と何もかも吹き飛ばすほどの衝撃だった。

 だが、彼女たちの正体を知れば――正体を知る人間は極めて少数であり、その中だけでしかないが――衝撃もすぐに収まった。

 玲のいうとおり、彼女たちの出した答えが、それを示してくれた。


 レナーテの危難は継承問題であり、それらは玲たちの選定により、望む方向――正道に戻るだろうこともわかった。自分が伴侶であることを除けば、アリアロスも諸手を挙げて喜べる。


 

 ただ、アリアロスにはひとつ、不安があった。


 玲という娘のすごさは、会うたびに実感している。

 何をも動じず、何をも恐れず、誰に委ねるでもなく、己の道を切り開こうとする。

 その存在は、四人の中でも突出している。


 気質といい、器量といい、玲はソルジェの相手にふさわしい。

 彼女がソルジェを選んでくれれば――とこちらが願うより前に、玲はソルジェを伴侶に指名した。玲がソルジェの名を口にしたとき、アリアロスは痺れるような感動を覚えた。


 ソルジェの伴侶は玲だ。彼女以外は考えられない。しかしあまりに突出した人間だ。心の強さはキリザと同等か、それ以上ではないかと思う。若いのに人間もできている。聡明ながら明るく悪戯心も旺盛だ。むやみやたらと人を傷つけるようなことはしないだろう。

 だが迫られれば、必要とあれば非情にもなれる――それだけの強さを持っているように思う。アリアロスはそれが不安だった。


 瑠衣、良子、玲於奈――三人のように、玲の内にあれば問題ない。

 かけがえのない友人だと公言してはばからない三人を、彼女は大切にしている。何かことがおこれば、彼女は全力で友人を守るだろう。だが、その懐に入らなければどうなるか? ここで生きていくための最良の手段、ただの道具としてソルジェを伴侶に選んでいたら?


 ソルジェとのやりとりを見ている限り、それはないと思う。馬鹿な考えだと、自分でも笑ってしまう。彼女の態度や言葉はどれもソルジェへの好意に溢れている。だが、アリアロスは見てしまった。一度、それもほんの一瞬だけ、玲は恐ろしく冷えた目をソルジェに向けていた。


 あの目はなんなのか? 

 何故あんな目を向ける必要があるのか? 

 どうした感情がそうさせるのか?


 訊きたくても訊けない。忘れたくても忘れられない。

 なぜなら、あの時と同じ目だった。

 向けられた相手も異なれば、それを向けた人間も違う。


 そのとき玲がソルジェに向けた目は、半年前、横たえられた王女を見下ろすサルファの目と一緒だった。


 



◇  ◇  ◇  ◇





「もちろんです。どうぞ」 


 玲がアリアロスの蒼白な顔面に、微笑を返す。

 アリアロスはごくりと唾を飲みこんだ。身体の水分はいつも以上に足りていたが、緊張で、咽はすっかり干上がっている。


「玲様はその……いつ、どのようにして、そのお考えに至ったのですか? 教えていただきたいのですが」


 本当は、もっと直截に訊きたかった。

 ソルジェを選んだのは何故か。どうした感情と理由に基づいてかはっきり訊きたかった。あの時のあの目の理由も。


 訊けば玲は答えてくれるだろう。ぜんたいに玲は太っ腹だ。だが、質問者のアリアロスに真実を聞くだけの勇気がなかった。そして、黙っておくこともできなかった。どうしようもない性格だ。ゆえに、迂遠な問いになってしまった。


『いいや、彼女の思考の仕方を知るのも必要だ』――と自分に言い訳しながら、アリアロスは訊ねた。


 アリアロスのひび割れそうな声に、


「いつだと思われます?」


 玲は明るい声を返してくる。


「……」


 そうしてアリアロスの眉尻を一段下げさせてから、玲は答えた。


「質問に質問で返すのは失礼でした。危難が継承問題ではないかと思ったのは、こちらに来てすぐですね。ソルジェ殿下が王太子でないというのは、意外でしたから。その理由も、およそ納得のできるものではありませんでしたし、それがレナーテの皆さん、特に上層部の皆さんの心痛になっているのも、あのお話の席でよくわかりましたから。確信したのは、その日の晩ですね」

「あの、お越しになった日ですか?」

「ええ、そうですよ」


 アリアロスの驚きの声に、玲はあっさり答える。


「友人たちが伴侶を決めた時点で、わたしは確信しました。わたしは友人たちに伴侶を決めるよう迫ったんですが、その時わたしがいったのは、『自分の一生を託せる相手、自分を幸せにしてくれる相手、それだけを基準に伴侶を選ぶこと』でした。大事な友人です。わたしの思惑を汲んだり、理不尽な神や世界に意趣返しをするために選んで欲しくありませんでした。適当なんて、もってのほかです。友人たちには幸せになって欲しいんです。そうすれば、わたしの幸せが、より大きなものになりますから」

「ふふ。結局自分?」

「当然です。そんなわかりきったことを指摘してはいけません」


 茶々を入れる玲於奈を、玲はたしなめる。


「いつもいってるでしょ? 情けもそうですが、幸せも回りまわって利息がついて膨らんで返ってくるんです。ああ、わたしの幸福論は、いずれまた、披露させていただきますね」


 と、そのままくだけた調子で続けるが、次の言葉は語調を裏切る辛辣なものだった。


「伴侶は誰のためでもなく、自分のために選びました。神の思惑など知ったことではありませんし、ちょっと皆さんの前では言いにくいんですが、わたしは、レナーテという国が繁栄しようが滅亡しようが、どうでもいいので……」


 軽く放った言葉の矢は重く鋭く、アリアロスをはじめとする伴侶たちの胸に深々と突き刺さった。

 男性陣が驚愕に顔を強張らせる。

 それを見て、


「ああ、でも、そう思ってるのはわたしだけですよ。それに、滅亡はやっぱり困りますし――」


 その衝撃を和らげるためだろう、玲は明るく付け足したが、


「あら、わたしもそうだけど?」


 と、玲於奈が追随したことで、男たちの強張りは緩むどころか逆に強くなった。

 

「はあ……」


 良子がため息を吐いた。


「ぶっちゃけすぎでしょ、あんたたち」

「いけない? これだけのことをされてるのよ? むしろ滅べばいい、って思うんじゃないかしら? 普通。報復行為にでないだけ、マシだと思うけど」


 衝撃の言葉に、思わず知らずアリアロスが剥いた目を隣にやる。と、


「……おかしいかしら?」


 挑むような声が、怒りのにじむ面と一緒に返ってきた。


 アリアロスは首をかすかに横にした。息を飲む美しさと恐ろしさだった。そしてこれが、アリアロスが玲於奈から直接掛けられた初めての言葉だった。


 空気がひどく重かった。

 アリアロスは息を吐くのも辛い。


 その重苦しい空気を破ったのは、やはり玲だった。


「皆さん、わたしたちは、いきなりこちらに連れてこられました」


 玲は静かに話し出した。


「わたしたちにも親や兄弟、家族がいます。友人知人――大切な人が大勢います。わたしたちは、そのすべてから切り離されました。一方的に」


 抑揚のない声だった。笑みもない。美しい面は、何の感情も映していなかった。


「わたしたちの、向こうでの未来は奪われました。わたしたちの家族の未来もです。……大事にしてもらいました。……幸せでした。ずっと続くと思ってました。それが……断ち切られました」


 その一瞬だけ、玲は目を瞑った。 

 

「救世主、ですか。人から何もかも奪っておいて、助けろ――と?」


 表情もないまま淡々と続ける。


「この世界を恨みこそすれ、助けようとは思いません。……恨むべきは神でしょう。それはわかっています。レナーテの皆さんを恨みはしません。恨む時間があれば、もっと他のことに時間を使います。ですが、皆さんのために、何かをしようとは思いません。わたしたちはわたしたちのために行動します。ただひとつ、わたしたちの幸せのために」


 言い切る玲の瞳には、強い光が戻っていた。


「わたしたちの家族は、友人たちは信じているはずです。わたしたちは生きている、と。どこかで幸せに暮らしている――と。そうして、自分をなぐさめるしかないんです。そして、わたしたちにできることは、幸せになることなんです。たとえそれを伝えられなくても、そうあることで、わたしたちは自分を納得させることができます。ですから、何といわれようと、わたしは自分と友人たちの幸せを強く求めます。そうした思いの上で、皆さんを選んだんです」


 そして玲は笑みを浮かべた。


「皆さん、そう深刻なお顔をなさらないでください。責めたいわけでも、償ってもらいたいわけでもありません。ただ、わたしたちがどういう思いでいるかを、知っておいていただいた方がいいので、それをお話ししただけです。わたしたちはわたしたちの意志で伴侶を決めました。誰に求められたわけでも、示唆されたわけでもありません。もちろん、レナーテの皆さんのことを考えたわけでもありません。自分たちだけ・・のためです。で、先もいいましたが、伴侶を見ればおのずとわかりますよね? ということで、よろしいですか? アリアロスさん」


 声を向けられたアリアロスは無礼にも、ひとつの礼の言葉もいわずに頷いた。

 本当は、胸が詰まって何もいえなかったのだが、無礼なことにはかわりない。それでも、


「他に、ご質問はありませんか?」


 玲は聞いてくれる。

 アリアロスは首を横に振り、続けて玲から視線を向けられた三人の伴侶も、それぞれに首を振った。

 質問者がいないことを確認すると、玲は視線を下げた。そして、


「それでは最後にひとつだけ――」


 切り出した。

 声は穏やかだった。が、次に上げられた玲の面を見て、アリアロスは怯んだ。


 黒の瞳が強い光を放っていた。そこに、北岸 玲という親しみある娘の姿はなかった。常の陽気はない。親しみを排した美しい面は、人ならざるもののようだった。

 女神のような神気と威厳をまといながら、玲はゆっくり口を開いた。


「わたしたちは、向こうでのすべてを奪われました」


 静かにいう。

 しかしすべては剣呑だった。


「これ以上奪われることは、どんな理由だろうと、誰であろうと、わたしはそれを許しません」


 恐ろしい言葉を、冷徹に言い放つ唇を、切れそうに冷たい目を、アリアロスはただ驚きでもって見つめるしかできない。

 恐ろしい。それでいて美しい。


 人ならざる威厳を放ちながら、玲は最後に宣言した。


「大切なものをこれ以上、何ひとつ失いたくありません。もちろん、傷つけられることも……。というわけですから皆さん、今後、身辺には十分注意してくださいね。友人はもちろんですが、皆さんにも何かあれば、わたしは我慢しません。自分の持てるすべてでもって、この世界に報復します」

 


 その言葉は、アリアロスを心から寒からしめた。







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