呪う時間もありません ②
男たちが一斉に剣を抜いた。
急変した空気に、良子と玲於奈が反応した。鋭い目で、男たちを睨みつける。襲いかかってこようものなら反撃する――といった構えだ。
二人の正面に立つ男たちの剣先が揺れる。
異形と気迫、その両方を真正面からぶつけられた彼らは動揺し、足をとめた。形成していた包囲の輪が乱れる。
と突然、良子の視界がさえぎられた。
さえぎったのは、玲の手だった。
驚く良子に、玲は小さく首を横に振った。
「駄目よ」
声は大きくなかったが、強かった。
良子は息を吐き、肩の力を抜いた。玲於奈もそれにならう。
二人が応戦の構えを解いたのを確認すると、玲は、良子の眼前にかざしていた手を下ろした。そして、にっこり笑うと、
「うん。じゃ、あっち行こうか」
寸前に放った声とは真逆の軽さで、白亜の壁を指差した。
その場にそぐわない、緊張感のない声に、良子と玲於奈が顔を見合わせる。
答えが書いてあるはずもない、互いの顔を見つめている二人に、
「ほら、早く」
玲は促す。
「はーい」
応えたのは瑠衣だった。
彼女は、能天気な声で返事をすると、弾むような足取りで、玲に近付く。
なんの疑問も不安も感じていないようだった。
玲於奈と良子の心臓は鉄でできているが、瑠衣のそれは、硬くて軽いチタン製だった。
規格外の親友に、呆れるような眼差しを送る良子のかたわらで、玲於奈が口を開く。
「でも、玲……」
「うん。何?」
続きを促す玲に、玲於奈は視線で訴えた。
自分たちの前には、剣を構えた男たちがいる。取り囲まれているのだ。壁にたどり着くには、白刃を越えなければならない。しかも、壁までは結構な距離がある。こちらが背を向けた途端、襲いかかってくる可能性は大だ。
わざわざ口にしなくても、玲なら、そのことをわかっているはずだ。
「ああ」
玲が得心したように微笑んだ。
「大丈夫」
微笑を笑みに変えると、玲は、百の目をもつ親友をあごで指した。
「瑠衣が奇跡をおこしてくれるから」
「ね、ね、これって、Gメン75のオープニングみたいじゃない?」
「何? それ」
「るーいー、粛々と歩くようにいったのを、もう忘れたのかね? 君は猫かね? 三歩歩くと忘れてしまうのかね?」
「ごめんなさぁい。でも、玲ちゃんが一番しゃべってるよ?」
「わたしはいいのだよ」
「ずるーい!」
「はぁ、なんか、気ぃ張ってんのが馬鹿らしくなってきたんだけど……」
魂の姉妹、玲と瑠衣にはさまれて歩く、良子の戦意はすっかりなくなっていた。
よもや、味方からこれだけの精神的ダメージをくらうとは、思わなかった。
「ふふふ」
隣で玲於奈が小さく笑う。
四人は今、剣環をひきずりながら、移動していた。
その歩みは速すぎず、遅すぎず。包囲陣を刺激せず、かつ怪しまれることのない速度――
「要は、普通の速度で粛々と、タカラジェンヌの美しさで歩いてちょうだい」
玲は注文したのだった。
「タカラジェンヌ」
はからずも、三人が同時にその言葉を復唱してしまった。
この場で、そんな単語がいえるのは玲だけだ。窮地にあって、友が自分を失わずにいてくれるのは頼もしい限りだが……。瑠衣といい、玲といい、肝の太い友人たちに、良子は驚きを通りこして、もはや呆れるばかりだった。
「どうしたのかね? 良子ちゃんよ」
悟りを開けない苦行僧のような内心を抱えて歩く般若、もとい、良子に玲が問う。
「腹具合でも悪くなったのかね?」
それを否定する前に、
「あら大変、大丈夫?」
と隣から声がかかる。
声、表情ともに、まったく心配などしていない。
「……なわけないでしょ」
据わった目を玲於奈にやると、その向こうにいる瑠衣が反応した。
「やだ、良子ちゃん。顔、ちょー怖い」
「は? あんたにいわれたくないんだけど」
ドスの効いた声で応える良子に、玲と玲於奈が笑う。
良子をいじるときの三人のコンビネーションは、それは素晴らしいものだった。粛々と歩くはずが、学校帰りのようなにぎやかさとなっていた。
「ちょっと、粛々と歩くんじゃなかったの?」
「いや、もういいわよ。粛々は撤回」
玲は潔い。
「そうね。結果的に、こっちの方が良かったみたいだし、ね?」
玲於奈が視線をちら、と滑らせる。
玲が深く頷いた。
一定の距離を保って取り囲む男たちの顔には今、戸惑いの表情が浮かんでいる。
と突然、
「こらっ」
玲が愛玩犬を叱るような声を上げた。
「瑠衣は見ちゃいけません、っていったでしょ」
「はぁい。ごめんなさい」
友人たちと同じものを見ようと、視線を上げかけた瑠衣は、すぐに下ろした。
「向こうが見ないようにしてるから――」
大丈夫なんじゃない? と続くはずだった言葉を、玲於奈が浮かべていた微笑とともに飲み込んだ。
複数の足音。それらが背後から駆け寄るのを耳にして、玲於奈は言葉を切ったのだった。
もちろん、その音は三人にも聞こえていた。
全員が、そちらに意識を集中させる。
しかし、振り向くことはおろか、歩みを止めることさえしない。四人はその音を、ただ、背中で聞いていた。
背後の靴音は近くでとどまると、それ以上彼女たちに近付くことなく、しばらく時を過ごしてから、慌ただしく遠ざかっていった。
「……終わった?」
玲が訊ねると、肩越しに視線を投げた玲於奈が答える。
「ええ。持ってってくれたわ」
ありえない太さでドス黒く縁取られた玲於奈の茶色の瞳は、意識のない少女たちを抱きかかえて、いずこかへ走り去る男たちの背中を確認した。
「ったく、遅いわ」
良子は文句をいうが、瑠衣は安堵の表情を浮かべていた。
「よかった。これで、エーコちゃんたちも安全だね」
「何? 瑠衣。あんた、あの子たち知ってんの?」
「ううん、知らない」
「だって、エーコちゃんて――」
「ああ……」
玲於奈が微笑んだ。
「少女A子さん、ってわけ?」
「玲於奈ちゃん、正解!」
「あー、そう」
良子が投げやりにいったのを機に、玲が口をはさんだ。
「お嬢さんたち、ここから先は、お静かに願います」
歩みをとめない四人は、着実に壁に近付いていた。
ここは、大海原でも大草原でもない。すぐそこに果てがある。
玲たちを囲う男たちの背が、壁に当たった。
四人に相対しながら後ずさっていた男たちは、驚愕の表情をあらわにした。視線が、逃げ場を探すように泳ぐ。
それは、見ていて気の毒なほどだった。しかし、歩みを止めるわけにはいかなかった。
四人が近付くのに比例して、男たちの剣の揺れが大きくなる。
そして、両者の距離が、剣二本分の長さにまで縮まろうかというときに、男たちは壁沿いに、横へ横へと移動した。
さえぎるもののなくなった玲たちの前に、美しい白壁が、その肌を見せた。
玲がゆっくり両手を上げ、白壁に触れる。
ひんやりとした冷たさを手にしながら、玲はいった。
「ゴール」
かくして、玲たちは壁際にあった。振り向けば、白刃を構えた男たちに半包囲されている。今、この状態だけを切り取って俯瞰して見れば、危機的な状況である。
だが、その実は、彼女たち自らが選り、望んで作った状況なのだった。
「いやあ、割れたね。割れた」
いった当人の頭が割れている――とは、だれも指摘しない。
玲が、割れた割れたと喜んでいるのはもちろん、自分の頭部のことではない。
「ね? 奇跡をおこしてくれたでしょ? われらが瑠衣ちゃんは」
「まあ、モーゼとまではいかなかったけど……」
「そうね。でも、それで十分だったわ。ありがとう、瑠衣」
小さな奇跡をおこした瑠衣は、友人たちの言葉に、「えへへ」とくすぐったそうにしている。だが、そのくすぐったさも、すぐに良子が解消してくれた。
「ほんと、あの子たちが気絶したときは、あんたを気絶させてやろうかと思ったけど……」
「そうね。あの状況で顔を近付けるなんて、うっかりにもほどがあるわよね」
玲於奈にまでいわれた瑠衣は、まなじりを下げた。
「――でも、そのおかげで、こうしてここに居られるんだから、何が幸いするか、わからないわね」
と、玲於奈は玲を見た。
「うん」
短く答え、玲は笑った。
優しさからの行動が、自分たちを窮地に追いやり、窮地に追いやった行為が、今度は逆に、自分たちを助ける――そのおかしさを、玲は笑った。
恐怖も極限に近い少女たちが、その極みに達した経緯を、玲たちはつぶさに間近で見ていたが、離れた場所から見ていた男たちの目には、異形が、少女たちの魂を一瞬で抜き取ったように見えたに違いない。
彼らの驚きようと慌てようから、玲はそう考え、速やかに移動することを決意した。瑠衣が彼らに与えた、新たな恐怖を利用して。
思ったとおり、彼らは玲たち、特に瑠衣の目を避けていた。というより、彼女自体を見ないようにしていた。
「まあ、ただでさえ見たくないご面相なのに、手も触れずに三人も気絶させたんだから、そら恐ろしいでしょ」
「本人が一番びっくりしたみたいだけど」
「うん。すっごい、びっくりした」
「おかげで静かになったし、労せずして壁は取れたし……あとは」
玲は言葉を区切り、周囲に視線を投げるといった。
「向こうが来てくれるのを待つばかりね」




