欲にも色々ありまして
「ダンス?!」
予想だにしない言葉だったのだろう、ソルジェとレイヒが声を上げた。
「玲、今、ダンスといったか?」
「ええ、ダンス――あれ? ひょっとして、意味が? サルファさんたちには、それで通じたんだけどな……えーと、舞踏、ですね」
笑顔から驚き、そして思案顔――と、わずかな間にひらひらと表情を変えた玲は、最後にきりりとした顔で答える。
「いや、それはわかっている。突然すぎて驚いただけだ」
「ああ、そうですか」
「玲、なぜそうなる」
そしてふたたび笑顔――の玲に、ソルジェが険しい顔を向けた。
「お好きでないと、今後がたいへんになるからお訊ねしたんですよ、ふふ。殿下はダンス、お好きですか?」
「いや、好きではないな」
「そうですか……でも、ひと通りは踊れますよね?」
「ああ、一応、たしなみとして習得はしているが」
「よかった。レイヒさんはどうですか?」
「好きも嫌いもありませんが、踊れます、とはいいかねます」
「そうですか。仕事柄、そう必要ありませんよね」
「玲、いまだもってよくわからないのだが……」
「ああ、すみません。伴侶の披露に向けて、準備をしようかと思いまして。伴侶の披露でわたしたち、踊りますよね?」
「ああ、そうだが。それにしても、まだだいぶ先の話ではないか?」
「そうですか? 先といっても、衣装やら踊りやら色々なことを考えると、早すぎる、ということはないように思うんですが……」
「それでも、三月か四月はあるはずだが?」
「ふふ、そういえば、殿下にいってませんでしたね。殿下、わたしは楽しいことや、にぎやかなことが大好きなんです。特に大きな行事、華やかで楽しそうな催しは、悔いの残ることがないよう、全力を尽くします」
そこで待ち構えていたように瑠衣が頷いた。
「玲ちゃんは、お祭り娘なんです。お祭り大好き!」
「いやいや、他人事みたいにいってるけど、瑠衣もそうでしょ?」
「えへへ」
瑠衣と玲は笑っているが、残る二人――良子と玲於奈は、あまり乗り気ではない様子だった。特に、良子の顔は渋い。
「良子と玲於奈は、自ら進んで――ということはありませんが、付き合いがいいので、わたしたちと同じように、どころか、良子なんかはやりだすと、わたし以上に熱心に取り組みます。良子は完璧主義なんです。やるからには徹底的にやります」
と、良子の顔をさらに渋いものへと変えた玲は、ソルジェに真顔を向けた。
「殿下、御使い様の伴侶の披露は、特別な催しのはずです」
「ああ、そうだ」
「国内の主だった方たちはもとより、国外からも多くの方を招くとか。『神の加護――救世の乙女はレナーテにあり』と天下に知らしめるための、国を挙げての催しです。大国の威信をかけるのですから、費用も莫大なものになるでしょう」
「ああ」
「それだけでも十分気合が入ります。伴侶の披露は、レナーテの皆さんにとって大事な催しであると同時に、わたしたちにとっても、一生に一度、あるかないかの大事なものになります。人生最大のイベント――結婚披露宴です。乙女の晴れ舞台であるばかりか、友人たちの美しさを並べて見られる、たいへん貴重な機会です。これ以上の舞台は、この先、望んだところで得られることはないでしょう。適当になど……ふふ、絶対しませんよ」
玲の声は次第に熱を帯び、最後に浮かべた不遜の笑みは、誰に向けてか挑戦的だった。
それを見た友人たちは、笑ったり目をつぶったりと、それぞれに反応を示したが、男たちは軒並み、ややポカンと呆気に取られた状態だ。
玲の熱意はわかるものの、熱を込める理由が、彼らにはいまひとつわからなかった。
「玲ちゃんは、わたしたちのことが大好きなんです。ね? 玲ちゃん」
瑠衣がくすくす笑う。
「そのとおり」
玲は重々しく頷いた。
「いうまでもありませんが、いっておきます。わたしはここにいる友人たちが大好きです。彼女たちほど美しく面白い人間を、わたしは他に知りません。自慢の友人です。見せびらかしたいと思うのは当然でしょう。その思いが、少々わたしは強いですが、それはだれしも、多かれ少なかれ持っているのではないでしょうか? 殿下だって、素晴らしい馬を持っていたら――」
「馬?」
良子と玲於奈が過敏に反応した。声を出すのも同時なら、表情も険しく揃えている。
『馬』それ自体に悪感情はないはずだが、良子と玲於奈の二人には、面倒な兄弟たちを連想させると同時に、不愉快な思いを呼び起こす悪名詞となっていた。
意図せず二人の逆鱗に触れてしまった玲は、
「馬は、止めておきましょうか」
速やかに危険を回避した。
「素晴らしい……そうですね、剣にしましょう。剣を持っていたら、誰かに見せびらかしたいと思いませんか?」
「いや……特に思わない」
「ええーっ?!」
伴侶のまさかの否定に、玲は感情のまま声を上げた。結構な大声だった。
いつもは明るくくだけていても、常に余裕を感じさせていたが、このときの玲の声にはそれがなかった。
玲の、素の驚きの声に、男たちの方がびっくりする。
瑠衣、良子、玲於奈の三人は、滅多に聞かない玲のそれを聞いて笑った。ソルジェの真顔と、玲の、ちょっと間抜けた顔のコントラストも笑いを助長した。
「殿下って、嘘が付けないんですね」
瑠衣が、声と笑顔をレイヒに向ける。
レイヒは微笑みのまま頷き、瑠衣とともに隣のカップルに視線を戻した。
「でーんーかー、こういうときは、嘘でもなんでもいいですから合わせてください。話が終わっちゃいましたよ」
「あ……そういうものか?」
訴える玲に、ソルジェは真面目に答えている。と、
「そんなことはありません。殿下」
「そうですよ、殿下。騙されてはいけません」
ここぞとばかりに玲於奈と良子が口を挟んできた。
「嘘なんか付く必要、ありませんからね」
「逆に玲を調子付かせるだけですから、やめてください」
二人の声に、ソルジェが困ったように顔を曇らせた。
「そうか。しかし……そうだな、素晴らしい馬なら、他人に見せたいと思うな。玲の気持ちもわかる」
「殿下……」
伴侶の気持ちに寄り添おうと、たぶんこれが精一杯なのだろう努力するソルジェに、玲が感動し、それを見た玲於奈が、忌憚のない意見を述べた。
「あら、優しい。でも、殿下って、ちょっと天然入ってる?」
「玲於奈!」
「ふふ」
叱りつける良子の小声と、瑠衣の抑えた笑い声が重なった。
◇ ◇ ◇ ◇
「失礼、ちょっと横道にそれてしまいました。いいたかったのは、わたしは我欲に忠実であるということです」
玲は話を戻した。
「その欲も、種々雑多、色々とあるんですが、今、一番強くあるのは、友人たちを見せびらかしたい――という顕示欲ですね。今はこのとおり、わたしたちは色も飾りも何もないドレスを着ています。まあ、これでも友人たちの美しさはわかるんですが、相応の装いをすれば、それぞれの美しさが顕著にでます。それだけではありません。なにより美しいのはその、動きです。わたしたちは幼いころから体術を学んでいるので、身体は柔軟ですし、使い方もわかっています。その上見せ方も、この半年で得とくしました」
「はっ、ぜんぜん嬉しくないんだけど」
「良子ちゃん、しっ」
小さくないその声に、玲は微笑みを返しつつ続けた。
「外貌だけでも十分美しいんですが、友人たちの美は、動いてこそ、その魅力を発揮します。まさに生きた美です。それを、最高の舞台、最高の状態でお見せしたいんです」
熱くいった。と思うと、
「ま、正直いうと、わたしが見たいんですけどね」
玲はあっさり本音を吐いた。
「あ、いっちゃった」
「さらっと、ぶっちゃけたわね」
「ぶっちゃけすぎでしょ、ったく」
友人たちの声は呆れている。
「いずれにせよ、わたし個人の極めて勝手な理由です。わたしを突き動かすのは、『見たい、見せたい』という欲です。ですが、それも悪くないと思うんです。理由はどうあれ、わたしは全力を尽くします。十全の備えで臨みます」
言い切って、玲は語調を変えた。
「伴侶の披露は、知らしめる場です。御使い様という奇跡の存在。わたしたちは、国を救う娘である――と教えられました。ですが、この表現は適切ではありませんね。ずいぶん端折ってますよね? 正しくは、国を救うだろう救世主を見極める選定者ですね。そしてその、神の遣した選定者に選ばれた伴侶こそが、救世主――そうですよね? アリアロスさん」
「……はい」
突然の指名に驚きつつも、アリアロスは答えた。
「実際、わたしたちに国を救うような特別な力はありません。ここに来て、人間ではありえない、びっくりするような力が身に付いたのかと、わたしは一瞬ぬか喜びをしてしまいました。後で、ちょっとがっかりしました。誤解を与えるような言い回しは、今後は止めていただきたいですね。ま、わたし個人の文句は置いておいて……。選定者であるわたしたちはもちろん、わたしたちが選んだ伴侶――救世主である皆さんが、そこで注目されます。とても重要ですね」
と、玲はアリアロスに目を据えたまま続ける。
「そこでのわたしたちの在り方が、今後を左右します。それが、頼りない不安定なものであれば、それはその場で伝わり、人々の動揺や不安を招くでしょう。すでにレナーテの皆さんは、恐々としていらっしゃるはずです。御使い様があらわれたということは、何かしらの危難が国に迫っているということです。それも、いつもならひとりのはずが、今回は七人。どう考えます?」
問いかけるが、玲が返事を望んでいないことは、皆が承知していた。
「単純に考えても七倍の危難です。拡大する領土に合わせて、人数が増やされたのでしょうか? それとも未曾有の災害に見舞われるのでしょうか? どれだけおめでたい方でも、かつてない災厄が降りかかると感じていらっしゃるのではないでしょうか。しかも……これが一番問題でしょうね、危難が何か、はっきりしていません。よくない想像が広がるのに十分な状態です。そんな中、ふらふらと出て行くわけにはいきません。混乱は、避けなければいけません。ですが……どの道、騒ぎにはなるでしょうね」
玲は薄く笑った。
「それは仕方ありません。化け物だと思われていた御使い様は、普通どころか美貌の娘。そしてその伴侶はといえば、それぞれに素晴らしい資質と実績をお持ちだというのに、何かにつけ良くない風評がつきまとう皆さんです。おまけに、表向きには押し付けられた伴侶――ということになってます。どういう声が上がるか、想像に難くないですね。そういう方たちの口を塞ぎます。選定者に偽りはなく、救世主に疑いはない――」
最後の文句には、静かな熱が込められていた。
託宣のように声を響かせた玲は、
「そのことを、その場にいる全員に教えます。言葉ではなく態度でね」
威厳をまとわせたまま唇を動かす。
「発端は、ひとりよがりの願望でも、努力の成果は、それを知らしめるのに十分役立つでしょう。無益どころか、だれにとってもたいへん有益です。というわけで、これまで以上の備えと心構えで臨むつもりです。皆さん、明日からわたしたちにお付き合いくださいね。手抜きは一切しませんから、覚悟してください」
と、笑みを浮かべるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「……いっときますけど、玲はほんとに手、抜きませんからね」
「そういう良子ちゃんは、完璧主義者です」
「明日からの地獄は約束されたようなものだけど、大丈夫かしら?」
玲於奈が隣に座る伴侶をうかがう。
アリアロスは、すっかり顔色を無くしていた。
「アリアロスさん」
青ざめる玲於奈の伴侶に、玲が声をかける。
「アリアロスさんが、そういったことが苦手なのはわかってます。わたしは、考え方は基本、おめでたいんですが、こうした見積もりは辛いんです。踊りだけは凄かったりして――というような、安易な期待はしませんから、安心してください。踊れなくても一向に構いません。ただ、伴侶の披露までには、玲於奈に見合うだけのレベルになってもらいますので、どうか、そのおつもりで」
「大丈夫ですよ、アリアロスさん。玲ちゃんと良子ちゃんは基本スパルタですけど、いきなり血を吐くようなスケジュールは、さすがに組みせんから、ね?」
「当ったり前でしょ。まずは、どのくらい踊れるか、体を動かせるか見てみないとね」
「血を吐くかどうかは、それ次第よね? 吐く手前くらいのスケジュールにはなると思うけど……」
「ま、見てみなきゃわかんないわね」
アリアロスの顔は強張ったままだ。その顔色は、冷水に長時間さらしたかのように青い。
「アリアロスさん」
玲が笑みを向ける。
「お顔の色が悪いのは、友人たちの話を聞いて、ですか? それとも、さきほどのわたしの話ですか?」
「……両方です」
「ふふ。そうですか」
アリアロスの正直な答えを聞いて、玲は笑った。笑いながら、視線を落とした。
「……そうですね。こうして御使い様と伴侶、当事者のわたしたちだけで話ができることも、そうありませんから、もう少し突っ込んだ話をしましょうか」
というと、玲は見つめていた茶器から視線を外し、顔を上げた。
「皆さんは、ご自分の国に、どういう危難が迫っているか、ご存知ですか?」