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異世界カルテット ~わがままに踊ります~  作者: たらいまわし
第五章 雌伏のとき~そは騒がしくも充実しており
46/81

息抜きの時間も全力で楽しみます

 スライディールに入城したソルジェとレイヒは、思いがけない姿を目にして足を止めた。





 いつもなら、別棟の大広間にあるはずの姿が三つ。


 その姿を、いるはずのない建物の一階で見つけたのだから、当然二人は訝しんだ。

 しかも、お仕着せの下女服に身を包んだ娘たちは、重なるように身体を密着させ、扉口からこっそり中をうかがうという、どうにも見捨ててはおけない行動をとっていた。


 しなやかな身体をかがめているのは――。



 玲――



 ソルジェが心の中で呼んだ瞬間、玲が振り向いた。


 すでに微笑んでいたと思われる面が、ソルジェを認めた途端、少しの驚きを見せてから笑みを深めた。

 その間に、二人の娘――瑠衣と玲於奈もこちらを振り返った。


 瑠衣が顔いっぱいの笑顔になり、自分だろうか、レイヒだろうか――どちらかを呼ぶためだろう開きかけた花びらのような唇を、玲於奈が微笑みながら手のひらで塞ぐ。


 声を出してはいけないのだろう。

 かがんでいた玲が立ち上がり、綺麗な弧を作る唇に、人差し指を立てる。と、足早に近付いてきた。


「殿下」


 小声でささやかれた。いつも以上に近い距離だった。


「よくいらしてくださいました。レイヒさんも」


 笑顔をレイヒに向けながら、ソルジェの左腕をつかむ。

 ソルジェが手を伸ばせば、そのまま腕の中に抱きしめてしまえるほどの距離だ。あまりの近さに、ソルジェが戸惑っていると、隣に衝撃があった。

 

「レイヒさん!」


 瑠衣がレイヒの懐に飛び込んでいた。というより、それは体当たりだった。あまりの勢いに、さすがのレイヒもよろめいた。が、半歩でふみとどまり、レイヒは飛び込んできた可憐な花を受け止めていた。


「瑠衣、今日も元気いっぱいですね」

「はい」


 瑠衣は嬉しそうに微笑むと、ソルジェにも笑みを向ける。


「殿下も、いらっしゃいませ」


 笑顔はいつもと同じだが、声量の方は格段に落としていた。


「ああ」


 ソルジェが瑠衣に頷きを返している間に、玲於奈が玲に近付き、何やらささやいていた。

 それに気付いてソルジェが二人に目を向けたときには、玲が頷いていた。


「こんにちは、殿下、レイヒさん。それでは失礼します」


 珍しく面に笑みを浮かべながらそういうと、玲於奈は去っていった。


「……」


 ソルジェはわけがわからないまま、レイヒとともに、その後姿を見送った。そして、顔を正面に戻す。

 と。

 魂の姉妹だという、ソルジェとレイヒの伴侶たちが、揃いの笑みを浮かべていた。





◇  ◇  ◇  ◇






 促されるまま、玲たちがのぞきこんでいた場所に近付いたソルジェは、突然の声に、足を止めた。


「いでででで」


 中から聞こえてきたのは、男の野太い悲鳴だった。


 思わぬ声に、ソルジェは同じく歩を止めたレイヒと目を見合わせる。そして、横にいる自分の伴侶に目を向けたのだが、玲は声を殺して笑っており、瑠衣もレイヒにつかまりながら揺れていた。


 そうして四人が扉口付近で止まっている間にも、声は続く。




「良子様、痛いです」


 比較的冷静、現状を訴える男の声――その後に、


「当然です! やるべきことをやらずになあにが手伝いですか!! 護衛対象をほったらかしにしてなにが護衛です!」


 と、怒声が、


「いででで」


 次いで悲鳴が、


「はは、だよなあ」


 さらに笑声が続く。



「……」

「……」


 聞こえてくる喧騒から、ソルジェも大方の事情は察した。

 ふたたびレイヒと目を見合わせる。

 そして、意を決して騒がしい室内をのぞいてみれば、


 

 美しい面を憤怒に歪めて、騎士たちの耳を高々と吊り上げる娘。なすがまま、されるがままの男たち。

 その様子を笑いながら見ている赤毛の偉丈夫と、座ったまま、微動だにせず無表情で見つめている細面の大男――



 という、想像を超える光景が広がっていた。


「……」


 言葉どころか声もでない――そんなソルジェの耳に、明るい声が届いた。


「カオス」


 玲の笑声に、瑠衣が声を出して笑った。





 


◇  ◇  ◇  ◇







「あーあ。お前らも、今日は下手したな」


 お気に入りのソファに収まったキリザは、気持ちのいい笑声を大広間に響かせてからそういった。


「……だって、北のご兄弟が日参してるなんて、そんなこと知りませんでしたからね。だいたい、とばっちりじゃないですか、俺ら。おー、痛え。もげるかと思いましたよ」


 容赦なく吊り上げられて少々赤くなった耳を、ガウバルトがこする。いつもは陽気な男も、今このときばかりは、痛みと理不尽さに顔をしかめていた。

 シャルナーゼは、いつもの平静さを崩していなかったが、さすがに痛かったのか、彼も左耳をさすっている。


「ははは」


 キリザがまたもや気持ちの良い笑い声を響かせた。その傍で、キリザの側近ヤーヴェも笑っていた。


「実力行使にでるくらいですから、よほどお怒りだったんですね、良子様は」

「ああ。なんせ、ウルーバルとエルが火ぃつけて帰った後だったんだ。間が悪い上に、こいつら、『手伝うことはないか』『アリスだったらどっかその辺にいますよ』とか能天気にいいやがるもんだから、良子ちゃんがぶち切れてな。ほんと、お前らも馬鹿だな。アリスだけでも大広間ここに放り込んどきゃ、まだマシだったのに。ま、いまさらいってもしょうがねえな。お前らが悪い。だいたいな、今んところ手は足りてるし、お前らの申し出は、良子ちゃんにしてみりゃ、ありがたいどころか迷惑なだけなんだよ」

「ええ。それに、良子様はきっちりされていますからね。職務放棄で手伝いなど、たとえ手が足りなくてもお受けになりませんよ。お怒りになるのも無理はありません。あなたたちの気持ちも、わかりますがね」

「いや、俺らだってわかってますよ」


 キリザとサルファ――二人の声に、ガウバルトは言い訳をした。


「ほんとは俺らもそうしようと思ってたんです。でも、軍師殿が……なあ?」


 ガウバルトに水を向けられて、シャルナーゼが言葉を継いだ。


「大広間に行く前に、心の準備がしたいと」

「乙女か!」


 リグリエータが突っ込み、


「ああ、それで……」

「気持ちはわからないでもないですね」


 サルファとヤーヴェが笑った。


「軍師殿を拾って広間に行く前に、閣下のところに顔を出したのが間違いでしたよ」

「なんだお前ら、玲ちゃんたちに会いたくて、とりあえずアリスを城にぶっこんだ――ってわけじゃなかったのか」


 笑顔で返してくるキリザに、ガウバルトは恨めしげな顔のまま答える。


「そんなこと、したくてもできませんよ」

「でも、無理やり連れてきたんだろうが」

「ええ。向こうじゃすることがありません。見物人を追っ払うくらいですよ。軍師殿はいつまでたってもうじうじしてますし。逃げるなんてできないんですから、玲様のいうとおり、慣れるしかないでしょう? 荒療治で連れてきたんです。向こうでくすぶってるより、よっぽどいいでしょう? 軍師殿を預けて、その間に俺たちは、力仕事の手伝いでもしようと思ってたんですが」

「茶くらいは相伴させてもらえるもんな」

「ええ。実はそれが一番の目的です」


 ガウバルトは正直に告白した。


「軍師殿は玲於奈様に慣れる。その間に俺たちは、いい感じに身体を動かす。労働の後で、皆さんとおいしいお茶を楽しくいただく――俺の中ではそういう予定だったんですよ」

「はは、そうか。そりゃ残念だったな」

「ええ。ですから今後は、軍師殿が四の五のいう前に、ここに放り込むことにします。しかし、良子様があんな過激な行動に出るとは思いませんでしたよ」

「ま、そんだけ鬱憤が溜まってたってことだな」

「いったい何やらかしたんです? ご兄弟は」

「いや、特にやらかしちゃいねえが……。あいつら、人の話あんま聞かねえだろ? 良子ちゃんが『用はねえ、来んな』っていってる端から『また明日』とかいいやがるんだぜ。まったく困ったもんだ」


 とキリザはいうが、困るどころか、大いに楽しんでいるのは、誰の目にも明らかだった。


「十分やらかしてるじゃないですか」

「はは、だな。おっとそうだ、サルファ、ウルーバルが馬持ってくるかもしれんが、受け取んなよ。良子ちゃんが怒るからな」

「馬、ですか?」


 訊ねるサルファの声は笑っている。


「ああ。馬が要るだろう、とかいいやがってな。良子ちゃんは『要らねえ』って跳ねつけてたが、あいつのことだから、持ってくるかもしんねえだろ?」

「また手のかかるものを……」


 リグリエータが嘆息する。


「馬の面倒を自分でみるつもりじゃねえか? 面倒みるついでに良子ちゃんに会おうって魂胆だろ。ま、関わりたいのはよくわかるが、あいつらも下手ばっかりするよなあ」

「わかっててやってるんじゃないですか?」

「うーん。そこら辺がいまいちわかんねえんだよなあ。良子ちゃんの反応見て面白がってんのか、本気なのか。うーん、ほんとわかんねえ。とにかくサルファ、あいつらが持ってきても、受け取んなよ」

「わかりました」


 サルファは頷いた。


「それで、心の準備って、アリスの奴はいったいどこ行きやがったんだ?」

「さあ、どこに雲隠れしたのやら」


 ガウバルトは肩をすくめる。


「まさか、玲於奈様に会わずに済ませるつもりじゃないだろうな?」

「さすがにそんなことはなさらないだろう」

「たまに、びっくりするような馬鹿をやるぞ、軍師殿は」


 眉をひそめるリグリエータとヤーヴェに、ガウバルトが応えた。


「いや、腹はくくってますよ。スライディールに来たのに、玲於奈様に会わずに帰るなんて、自分の首を絞めるようなもんでしょう。でも、まっすぐ大広間ここに来なかったのは、やっぱりまずかったですね。軍師殿の寄り道が、皆さんにバレました」

「玲ちゃんと瑠衣ちゃん、良い顔してたよな」

「ええ、良い顔されてましたね、お二人は」


 キリザとガウバルトの笑顔に、サルファも同様の笑みを浮かべる。


「そうですか。それで、伴侶の皆さんも一緒に行かれたんですね」

「おう。アリスを探すんだと。良子ちゃんの熱を冷ますにもちょうどいいからって、殿下もレイヒもゼクトも、『お前ら全員付いて来い!』って、玲ちゃんがぜーんぶ連れてっちまったぜ」

「いや、『お前ら全員付いて来い』なんて、玲様、いってないじゃないですか」


 どうしてそうなるんですか――とガウバルトが笑う。


「いやあ、そんくらいの気概はあったろ」


 キリザとガウバルトの会話の影で、「なんておっしゃったんだ? 玲様は」「行きましょうか、っておっしゃっただけですよ」「ぜんぜん違うだろ」「言葉はぜんぜん違うんですが、感じ的にはそんな感じでした」と、リグリエータとシャルナーゼが小声を交わす。


「まあ、有無をいわさず、ってとこはありますよね」

「だろ?」

「とにかく軍師殿もついてない。見つかる前に、大広間こっちに来てくれればいいですけど……」


 ガウバルトの希望の声を聞いて、男たちの間に流れたのは、


 

 無理だろうな――



 という空気だ。

 キリザが笑った。


「しっかし、見事に墓穴掘ってんな、アリスは」

「はあ……軍師殿が墓穴を掘るのも落ちるのも結構ですが、土をかぶって埋まる前に助けてあげてくださいよ、閣下」

「気付いた奴がやれよ、なあ?」

「無理です。俺には他人を助けてる余裕なんかありませんよ」

「はは。そうだったな。玲ちゃんたちの勉強は順調なのか?」

「はっ、順調?!」


 リグリエータの声が捩れた。


「順調どころじゃありませんよ。進みすぎて、俺とヤーヴェが追いまくられてますよ!」


 リグリエータの剣幕は、関係ないガウバルトとシャルナーゼをたじろがせた。

 ヤーヴェが苦笑しながら、続きを引き取る。


「学び方を知ってらっしゃいます。というより、慣れてらっしゃいますね。四人とも、理解も覚えも早いですし、学ぼうとする意欲がすごいです」

「へえ、玲ちゃんと良子ちゃんだけじゃないのか」

「学ぶ姿勢は、皆様同じですね」

「一度見に来られたらどうです? すごいですよ。空気が違いますから」

「そうなのか?」

「ええ。私語は一切なし。質疑等の発言はなさいますがね。笑顔なんか、ひとっつもありませんよ」


 リグリエータの言は、キリザの顔を曇らせた。


「まじか……」

「玲様も瑠衣様も、人が変わられたように真剣です。ふざけようものなら蹴り出されるでしょうね。興味本位の見学は、お止めになった方がいいと思いますよ、閣下」

「おう。蹴り飛ばされるのは、勘弁だな」


 ヤーヴェの注進に、キリザは素直に頷いた。


「講義が終われば、いつもの皆様ですけどね」

「あの変わりぶりは、いまだに慣れないな」


 リグリエータはヤーヴェにいってから、キリザに顔を向けた。


「とにかく貪欲に、恐ろしい勢いでありとあらゆることを吸収されてますよ。おかげでこっちは抜け殻です」


 キリザとサルファを笑わせた。





◇  ◇  ◇  ◇





 そのころ、大広間で話題になっていた人物は、自分が話題になっていることも知らずに、二杯目のお茶を飲んでいた。


「軍師様、よろしければ、こちらもどうぞ」

「ありがとう、いただくよ。ああ、良い香りだね」

「焼きあがったばかりで熱いですから、気をつけてくださいね」


 気の利く少年が、オーブンから取り出したばかりの菓子を置いてくれる。置いてくれたはいいが、


「お茶も取り替えますね」


 と、帰るその手で茶器を下げようとする。

 流れるような少年の動作を、アリアロスはあわてて制した。


「いいよ、さっき入れてもらったばかりだよ」

「え、でも……」


 と少年――クランツは困ったような顔をする。


「お口に合わないのではありませんか?」


 少年の澄んだ目は、アリアロスの手元にある、中味の減っていない茶器を映していた。


「いや、合ってる。もったいなくて、大事に飲んでるだけなんだ」


 実際大事に、ちびりちびりと飲んでいた。二杯でここを出ると決めた。これを飲み干してしまえば、行かざるをえない――さすがに三杯は駄目だろう。その思いのあらわれだ。しかし、少年にはわからない。


「はあ……」


 とクランツは不思議そうな顔をする。


「ですが、冷めかけていますし、やっぱり入れ替えますね」

「いや、いいんだ」


 アリアロスは強く頭をふった。


 決心がにぶる。

 他人から厳しくされるせいか、アリアロスは自分にとても甘かった。

 今、器の中にあるものを替えられては、『仕方ないよな』とそのままずるずる居座ってしまう。そんな自分が見えている。


「え、です――」

これが・・・いいんだ」


 強くいわれたクランツは、不本意そうではあったが引き下がった。


 少年といえど、許せないのだろう。幼いながら、最高の仕事をしたい、という気持ちを持っている。それはよくわかる。しかしアリアロスも、これ以上邪魔をしたくなかった。すでに十分、彼の手を煩わせている。




『お茶を一杯、いただけるかな?』


 いきなりあらわれたアリアロスに、クランツは驚きつつも、すぐさま要望に応えてくれた。

 軽食の準備をしていただろうその手を止めて、アリアロスのために場所を作り、茶と菓子を出してくれた。その後、仕事に戻った少年は、こちらの目が回りそうなほどに、くるくると動いていた。


 作業に没頭しているかと思えば、そうではなく、アリアロスの存在もきちんと覚えていて、一杯目を飲み終えようかというころに、新しいお茶を持ってくる。そして、再び作業に戻る。


 調理場の中央にでんと置かれた大きな作業台の端っこで、アリアロスは少年の働きぶりを感心しながら、これ以上邪魔をしないよう眺めていたのだが……。


 どうにもたまらず声をかけた。


「君はほんと、よく働くね」

「ありがとうございます。そういっていただけると励みになります」


 謙虚に答えながら、働き者の少年は手を休めることなく、今は作業台に並べた何枚もの大皿小皿を拭いていた。焼きあがった菓子の粗熱をとる間の作業らしい。有効に時間を使っている。


「申し訳ありません。このように作業しながらお答えするなど、非礼であるのは承知しているのですが……」

「いや、わたしが邪魔してるんだ。気にしないで続けてくれ」

「ありがとうございます」


 ほっとしたように笑う。手は当然、動かしたままだ。


「……辛くないかい?」


 というアリアロスの問いに、一瞬きょとんとしたが、少年はすぐに微笑みを浮かべた。


「いえ、辛くありません」

「そうか」


 生き生きとした様子を見ていれば、辛くないことはわかっていた。


「しかし、一人じゃたいへんだろう?」

「いえ。仕事量は増えましたが、楽しいです」

「楽しい?」

「はい。楽しいですし、任せていただけるので、やりがいがあります」

「そうか……すごいね」


 顔をかがやかせる少年に、アリアロスは素直に感心した。


「御使い様の皆様は、お優しいですし」


 クランツは嬉しそうにいう。


「そうか。それはよかった」

「はい。皆様とてもお優しいです。わたしのようなものを、いつも気にかけ、お声をかけてくださいます」

「ああ、そうだろうね」


 応えながらアリアロスが思い浮かべたのは、瑠衣と玲の顔だ。二人は人なつっこい。良好な人間関係を構築することは上手だし、他人への配慮も巧みだ。それに比べると、良子と玲於奈は苦手ではないようだが、必要最小限に抑えている、ように思える。無関心ではないだろうが、積極的でもないだろう――


 と思っていたものだから、クランツの次の発言に、アリアロスは大いに驚いた。


「はい。中でも良子様と玲於奈様は『無理はするな』『ほどほどに』といつも心配してくださいます」

「ええっ!!」


 のけぞりながらアリアロスは、自分でもびっくりするくらいの大声を出してしまった。


「えっ?」


 アリアロスの驚きに驚かされたクランツが、手を止める。

 そのときだった。どこか遠くで、物音と笑い声がした――ような気がした。


「あれ? いま……何か?」


 クランツが耳をそばだてる。

 自分一人の空耳でないことがわかったアリアロスが、背筋に悪寒を走らせる。その短い間に、音の発生主たちが賑々にぎにぎしくあらわれた。





◇  ◇  ◇  ◇





「お仕事中お邪魔しますよ、クランツ君。おう、良いにおーい」

「お邪魔しまーす! ほんとだ。良いにおーい。クランツ君、今日も良い仕事してるね」

「玲様! 瑠衣様!」


 クランツの声がかがやく。

 玲と瑠衣が、隣の配膳室からあらわれた。もちろん、二人だけではない。


「今日は何かしら?」

「あんた、聞く必要ないでしょ。何でもバクバク食べるんだから」

「あら、ひどい」

「皆様お揃いで――」


 いいかけたクランツの笑顔が、次の瞬間、強張った。

 四人の後ろには、まだ人がいた。城にいるのはおかしくないが、こんな場所にやってくるはずがない人物たちの姿に、少年はおののいた。


「殿下……将軍……」


 あわてて上半身を倒す。勢いがありすぎて、上体が足に付きそうなくらいだ。

 過敏過剰な反応に、玲が笑った。


「クランツ君、そんなぺったんこにならなくてもいいでしょ」


「身体柔らかいねえ」と、瑠衣も笑っている。

 しかし、クランツは笑えない。


「いえ、そういうわけには……」


 いいながらクランツは、倒しすぎた上体を適切な角度に修正した。


「いいから顔上げて。きちんと礼をしたんだから十分でしょ」

「ですが……」

「クランツ君――」


 玲の声音が変わった。


「御使い様の、この、わ・た・し・がいっているのですよ?」

「出たぁ! 玲ちゃんの権力行使」

「使い方が小っさいわよね」

「ふっふっふ。小さかろうが大きかろうが、なんだっていつだって使えるときには使いますよ。減るもんじゃありませんからね」

「こういう使い方してたら、減ってくんじゃないかしら?」

「もんのすんごい恥ずかしいんだけど、これってあたしだけ?」


 恐る恐る上体を起こしたクランツの前には、四人の美しい娘たちと、彼女たちを見つめる伴侶たちの姿があった。


 クランツは困った。

 顔を上げたはいい。が、ソルジェとレイヒがいるこの場で、いつものように、『御用でしょうか?』と気安く四人に声などかけられない。助けを求めるようにゼクトを見れば、首をかすかに横に振っている。



 じっとしていろということか?―― 



 クランツが固まっていると、


「クランツ君、忙しいところ悪いんだけど、お茶、八人分用意してくれる?」


 玲の、いつものくだけた声がした。


「はい!!」


 クランツは飛びつくように返事をし、指示に従った。喜び勇んで竈に突進する。


 

「……」


 その後姿を、恨めしげに見つめる男がいた。


 娘たちの前面にただひとり残された男――アリアロスはその場で固まっていた。


 視線を感じながら、どうすることもできない。

 そんな、わが身の不運を呪い嘆くしかできない男に、陽気な声がかけられた。



「さあ、アリアロスさん。向こうでお茶の続きをしましょうか」

「……」



 額で玉を作りはじめていた嫌な汗が、こめかみを伝い流れていった。









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