息抜きの時間も全力で楽しみます
スライディールに入城したソルジェとレイヒは、思いがけない姿を目にして足を止めた。
いつもなら、別棟の大広間にあるはずの姿が三つ。
その姿を、いるはずのない建物の一階で見つけたのだから、当然二人は訝しんだ。
しかも、お仕着せの下女服に身を包んだ娘たちは、重なるように身体を密着させ、扉口からこっそり中をうかがうという、どうにも見捨ててはおけない行動をとっていた。
しなやかな身体をかがめているのは――。
玲――
ソルジェが心の中で呼んだ瞬間、玲が振り向いた。
すでに微笑んでいたと思われる面が、ソルジェを認めた途端、少しの驚きを見せてから笑みを深めた。
その間に、二人の娘――瑠衣と玲於奈もこちらを振り返った。
瑠衣が顔いっぱいの笑顔になり、自分だろうか、レイヒだろうか――どちらかを呼ぶためだろう開きかけた花びらのような唇を、玲於奈が微笑みながら手のひらで塞ぐ。
声を出してはいけないのだろう。
かがんでいた玲が立ち上がり、綺麗な弧を作る唇に、人差し指を立てる。と、足早に近付いてきた。
「殿下」
小声でささやかれた。いつも以上に近い距離だった。
「よくいらしてくださいました。レイヒさんも」
笑顔をレイヒに向けながら、ソルジェの左腕をつかむ。
ソルジェが手を伸ばせば、そのまま腕の中に抱きしめてしまえるほどの距離だ。あまりの近さに、ソルジェが戸惑っていると、隣に衝撃があった。
「レイヒさん!」
瑠衣がレイヒの懐に飛び込んでいた。というより、それは体当たりだった。あまりの勢いに、さすがのレイヒもよろめいた。が、半歩でふみとどまり、レイヒは飛び込んできた可憐な花を受け止めていた。
「瑠衣、今日も元気いっぱいですね」
「はい」
瑠衣は嬉しそうに微笑むと、ソルジェにも笑みを向ける。
「殿下も、いらっしゃいませ」
笑顔はいつもと同じだが、声量の方は格段に落としていた。
「ああ」
ソルジェが瑠衣に頷きを返している間に、玲於奈が玲に近付き、何やらささやいていた。
それに気付いてソルジェが二人に目を向けたときには、玲が頷いていた。
「こんにちは、殿下、レイヒさん。それでは失礼します」
珍しく面に笑みを浮かべながらそういうと、玲於奈は去っていった。
「……」
ソルジェはわけがわからないまま、レイヒとともに、その後姿を見送った。そして、顔を正面に戻す。
と。
魂の姉妹だという、ソルジェとレイヒの伴侶たちが、揃いの笑みを浮かべていた。
◇ ◇ ◇ ◇
促されるまま、玲たちがのぞきこんでいた場所に近付いたソルジェは、突然の声に、足を止めた。
「いでででで」
中から聞こえてきたのは、男の野太い悲鳴だった。
思わぬ声に、ソルジェは同じく歩を止めたレイヒと目を見合わせる。そして、横にいる自分の伴侶に目を向けたのだが、玲は声を殺して笑っており、瑠衣もレイヒにつかまりながら揺れていた。
そうして四人が扉口付近で止まっている間にも、声は続く。
「良子様、痛いです」
比較的冷静、現状を訴える男の声――その後に、
「当然です! やるべきことをやらずになあにが手伝いですか!! 護衛対象をほったらかしにしてなにが護衛です!」
と、怒声が、
「いででで」
次いで悲鳴が、
「はは、だよなあ」
さらに笑声が続く。
「……」
「……」
聞こえてくる喧騒から、ソルジェも大方の事情は察した。
ふたたびレイヒと目を見合わせる。
そして、意を決して騒がしい室内をのぞいてみれば、
美しい面を憤怒に歪めて、騎士たちの耳を高々と吊り上げる娘。なすがまま、されるがままの男たち。
その様子を笑いながら見ている赤毛の偉丈夫と、座ったまま、微動だにせず無表情で見つめている細面の大男――
という、想像を超える光景が広がっていた。
「……」
言葉どころか声もでない――そんなソルジェの耳に、明るい声が届いた。
「カオス」
玲の笑声に、瑠衣が声を出して笑った。
◇ ◇ ◇ ◇
「あーあ。お前らも、今日は下手したな」
お気に入りのソファに収まったキリザは、気持ちのいい笑声を大広間に響かせてからそういった。
「……だって、北のご兄弟が日参してるなんて、そんなこと知りませんでしたからね。だいたい、とばっちりじゃないですか、俺ら。おー、痛え。もげるかと思いましたよ」
容赦なく吊り上げられて少々赤くなった耳を、ガウバルトがこする。いつもは陽気な男も、今このときばかりは、痛みと理不尽さに顔をしかめていた。
シャルナーゼは、いつもの平静さを崩していなかったが、さすがに痛かったのか、彼も左耳をさすっている。
「ははは」
キリザがまたもや気持ちの良い笑い声を響かせた。その傍で、キリザの側近ヤーヴェも笑っていた。
「実力行使にでるくらいですから、よほどお怒りだったんですね、良子様は」
「ああ。なんせ、ウルーバルとエルが火ぃつけて帰った後だったんだ。間が悪い上に、こいつら、『手伝うことはないか』『アリスだったらどっかその辺にいますよ』とか能天気にいいやがるもんだから、良子ちゃんがぶち切れてな。ほんと、お前らも馬鹿だな。アリスだけでも大広間に放り込んどきゃ、まだマシだったのに。ま、いまさらいってもしょうがねえな。お前らが悪い。だいたいな、今んところ手は足りてるし、お前らの申し出は、良子ちゃんにしてみりゃ、ありがたいどころか迷惑なだけなんだよ」
「ええ。それに、良子様はきっちりされていますからね。職務放棄で手伝いなど、たとえ手が足りなくてもお受けになりませんよ。お怒りになるのも無理はありません。あなたたちの気持ちも、わかりますがね」
「いや、俺らだってわかってますよ」
キリザとサルファ――二人の声に、ガウバルトは言い訳をした。
「ほんとは俺らもそうしようと思ってたんです。でも、軍師殿が……なあ?」
ガウバルトに水を向けられて、シャルナーゼが言葉を継いだ。
「大広間に行く前に、心の準備がしたいと」
「乙女か!」
リグリエータが突っ込み、
「ああ、それで……」
「気持ちはわからないでもないですね」
サルファとヤーヴェが笑った。
「軍師殿を拾って広間に行く前に、閣下のところに顔を出したのが間違いでしたよ」
「なんだお前ら、玲ちゃんたちに会いたくて、とりあえずアリスを城にぶっこんだ――ってわけじゃなかったのか」
笑顔で返してくるキリザに、ガウバルトは恨めしげな顔のまま答える。
「そんなこと、したくてもできませんよ」
「でも、無理やり連れてきたんだろうが」
「ええ。向こうじゃすることがありません。見物人を追っ払うくらいですよ。軍師殿はいつまでたってもうじうじしてますし。逃げるなんてできないんですから、玲様のいうとおり、慣れるしかないでしょう? 荒療治で連れてきたんです。向こうでくすぶってるより、よっぽどいいでしょう? 軍師殿を預けて、その間に俺たちは、力仕事の手伝いでもしようと思ってたんですが」
「茶くらいは相伴させてもらえるもんな」
「ええ。実はそれが一番の目的です」
ガウバルトは正直に告白した。
「軍師殿は玲於奈様に慣れる。その間に俺たちは、いい感じに身体を動かす。労働の後で、皆さんとおいしいお茶を楽しくいただく――俺の中ではそういう予定だったんですよ」
「はは、そうか。そりゃ残念だったな」
「ええ。ですから今後は、軍師殿が四の五のいう前に、ここに放り込むことにします。しかし、良子様があんな過激な行動に出るとは思いませんでしたよ」
「ま、そんだけ鬱憤が溜まってたってことだな」
「いったい何やらかしたんです? ご兄弟は」
「いや、特にやらかしちゃいねえが……。あいつら、人の話あんま聞かねえだろ? 良子ちゃんが『用はねえ、来んな』っていってる端から『また明日』とかいいやがるんだぜ。まったく困ったもんだ」
とキリザはいうが、困るどころか、大いに楽しんでいるのは、誰の目にも明らかだった。
「十分やらかしてるじゃないですか」
「はは、だな。おっとそうだ、サルファ、ウルーバルが馬持ってくるかもしれんが、受け取んなよ。良子ちゃんが怒るからな」
「馬、ですか?」
訊ねるサルファの声は笑っている。
「ああ。馬が要るだろう、とかいいやがってな。良子ちゃんは『要らねえ』って跳ねつけてたが、あいつのことだから、持ってくるかもしんねえだろ?」
「また手のかかるものを……」
リグリエータが嘆息する。
「馬の面倒を自分でみるつもりじゃねえか? 面倒みるついでに良子ちゃんに会おうって魂胆だろ。ま、関わりたいのはよくわかるが、あいつらも下手ばっかりするよなあ」
「わかっててやってるんじゃないですか?」
「うーん。そこら辺がいまいちわかんねえんだよなあ。良子ちゃんの反応見て面白がってんのか、本気なのか。うーん、ほんとわかんねえ。とにかくサルファ、あいつらが持ってきても、受け取んなよ」
「わかりました」
サルファは頷いた。
「それで、心の準備って、アリスの奴はいったいどこ行きやがったんだ?」
「さあ、どこに雲隠れしたのやら」
ガウバルトは肩をすくめる。
「まさか、玲於奈様に会わずに済ませるつもりじゃないだろうな?」
「さすがにそんなことはなさらないだろう」
「たまに、びっくりするような馬鹿をやるぞ、軍師殿は」
眉をひそめるリグリエータとヤーヴェに、ガウバルトが応えた。
「いや、腹はくくってますよ。スライディールに来たのに、玲於奈様に会わずに帰るなんて、自分の首を絞めるようなもんでしょう。でも、まっすぐ大広間に来なかったのは、やっぱりまずかったですね。軍師殿の寄り道が、皆さんにバレました」
「玲ちゃんと瑠衣ちゃん、良い顔してたよな」
「ええ、良い顔されてましたね、お二人は」
キリザとガウバルトの笑顔に、サルファも同様の笑みを浮かべる。
「そうですか。それで、伴侶の皆さんも一緒に行かれたんですね」
「おう。アリスを探すんだと。良子ちゃんの熱を冷ますにもちょうどいいからって、殿下もレイヒもゼクトも、『お前ら全員付いて来い!』って、玲ちゃんがぜーんぶ連れてっちまったぜ」
「いや、『お前ら全員付いて来い』なんて、玲様、いってないじゃないですか」
どうしてそうなるんですか――とガウバルトが笑う。
「いやあ、そんくらいの気概はあったろ」
キリザとガウバルトの会話の影で、「なんておっしゃったんだ? 玲様は」「行きましょうか、っておっしゃっただけですよ」「ぜんぜん違うだろ」「言葉はぜんぜん違うんですが、感じ的にはそんな感じでした」と、リグリエータとシャルナーゼが小声を交わす。
「まあ、有無をいわさず、ってとこはありますよね」
「だろ?」
「とにかく軍師殿もついてない。見つかる前に、大広間に来てくれればいいですけど……」
ガウバルトの希望の声を聞いて、男たちの間に流れたのは、
無理だろうな――
という空気だ。
キリザが笑った。
「しっかし、見事に墓穴掘ってんな、アリスは」
「はあ……軍師殿が墓穴を掘るのも落ちるのも結構ですが、土をかぶって埋まる前に助けてあげてくださいよ、閣下」
「気付いた奴がやれよ、なあ?」
「無理です。俺には他人を助けてる余裕なんかありませんよ」
「はは。そうだったな。玲ちゃんたちの勉強は順調なのか?」
「はっ、順調?!」
リグリエータの声が捩れた。
「順調どころじゃありませんよ。進みすぎて、俺とヤーヴェが追いまくられてますよ!」
リグリエータの剣幕は、関係ないガウバルトとシャルナーゼをたじろがせた。
ヤーヴェが苦笑しながら、続きを引き取る。
「学び方を知ってらっしゃいます。というより、慣れてらっしゃいますね。四人とも、理解も覚えも早いですし、学ぼうとする意欲がすごいです」
「へえ、玲ちゃんと良子ちゃんだけじゃないのか」
「学ぶ姿勢は、皆様同じですね」
「一度見に来られたらどうです? すごいですよ。空気が違いますから」
「そうなのか?」
「ええ。私語は一切なし。質疑等の発言はなさいますがね。笑顔なんか、ひとっつもありませんよ」
リグリエータの言は、キリザの顔を曇らせた。
「まじか……」
「玲様も瑠衣様も、人が変わられたように真剣です。ふざけようものなら蹴り出されるでしょうね。興味本位の見学は、お止めになった方がいいと思いますよ、閣下」
「おう。蹴り飛ばされるのは、勘弁だな」
ヤーヴェの注進に、キリザは素直に頷いた。
「講義が終われば、いつもの皆様ですけどね」
「あの変わりぶりは、いまだに慣れないな」
リグリエータはヤーヴェにいってから、キリザに顔を向けた。
「とにかく貪欲に、恐ろしい勢いでありとあらゆることを吸収されてますよ。おかげでこっちは抜け殻です」
キリザとサルファを笑わせた。
◇ ◇ ◇ ◇
そのころ、大広間で話題になっていた人物は、自分が話題になっていることも知らずに、二杯目のお茶を飲んでいた。
「軍師様、よろしければ、こちらもどうぞ」
「ありがとう、いただくよ。ああ、良い香りだね」
「焼きあがったばかりで熱いですから、気をつけてくださいね」
気の利く少年が、オーブンから取り出したばかりの菓子を置いてくれる。置いてくれたはいいが、
「お茶も取り替えますね」
と、帰るその手で茶器を下げようとする。
流れるような少年の動作を、アリアロスはあわてて制した。
「いいよ、さっき入れてもらったばかりだよ」
「え、でも……」
と少年――クランツは困ったような顔をする。
「お口に合わないのではありませんか?」
少年の澄んだ目は、アリアロスの手元にある、中味の減っていない茶器を映していた。
「いや、合ってる。もったいなくて、大事に飲んでるだけなんだ」
実際大事に、ちびりちびりと飲んでいた。二杯でここを出ると決めた。これを飲み干してしまえば、行かざるをえない――さすがに三杯は駄目だろう。その思いのあらわれだ。しかし、少年にはわからない。
「はあ……」
とクランツは不思議そうな顔をする。
「ですが、冷めかけていますし、やっぱり入れ替えますね」
「いや、いいんだ」
アリアロスは強く頭をふった。
決心がにぶる。
他人から厳しくされるせいか、アリアロスは自分にとても甘かった。
今、器の中にあるものを替えられては、『仕方ないよな』とそのままずるずる居座ってしまう。そんな自分が見えている。
「え、です――」
「これがいいんだ」
強くいわれたクランツは、不本意そうではあったが引き下がった。
少年といえど、許せないのだろう。幼いながら、最高の仕事をしたい、という気持ちを持っている。それはよくわかる。しかしアリアロスも、これ以上邪魔をしたくなかった。すでに十分、彼の手を煩わせている。
『お茶を一杯、いただけるかな?』
いきなりあらわれたアリアロスに、クランツは驚きつつも、すぐさま要望に応えてくれた。
軽食の準備をしていただろうその手を止めて、アリアロスのために場所を作り、茶と菓子を出してくれた。その後、仕事に戻った少年は、こちらの目が回りそうなほどに、くるくると動いていた。
作業に没頭しているかと思えば、そうではなく、アリアロスの存在もきちんと覚えていて、一杯目を飲み終えようかというころに、新しいお茶を持ってくる。そして、再び作業に戻る。
調理場の中央にでんと置かれた大きな作業台の端っこで、アリアロスは少年の働きぶりを感心しながら、これ以上邪魔をしないよう眺めていたのだが……。
どうにもたまらず声をかけた。
「君はほんと、よく働くね」
「ありがとうございます。そういっていただけると励みになります」
謙虚に答えながら、働き者の少年は手を休めることなく、今は作業台に並べた何枚もの大皿小皿を拭いていた。焼きあがった菓子の粗熱をとる間の作業らしい。有効に時間を使っている。
「申し訳ありません。このように作業しながらお答えするなど、非礼であるのは承知しているのですが……」
「いや、わたしが邪魔してるんだ。気にしないで続けてくれ」
「ありがとうございます」
ほっとしたように笑う。手は当然、動かしたままだ。
「……辛くないかい?」
というアリアロスの問いに、一瞬きょとんとしたが、少年はすぐに微笑みを浮かべた。
「いえ、辛くありません」
「そうか」
生き生きとした様子を見ていれば、辛くないことはわかっていた。
「しかし、一人じゃたいへんだろう?」
「いえ。仕事量は増えましたが、楽しいです」
「楽しい?」
「はい。楽しいですし、任せていただけるので、やりがいがあります」
「そうか……すごいね」
顔をかがやかせる少年に、アリアロスは素直に感心した。
「御使い様の皆様は、お優しいですし」
クランツは嬉しそうにいう。
「そうか。それはよかった」
「はい。皆様とてもお優しいです。わたしのようなものを、いつも気にかけ、お声をかけてくださいます」
「ああ、そうだろうね」
応えながらアリアロスが思い浮かべたのは、瑠衣と玲の顔だ。二人は人なつっこい。良好な人間関係を構築することは上手だし、他人への配慮も巧みだ。それに比べると、良子と玲於奈は苦手ではないようだが、必要最小限に抑えている、ように思える。無関心ではないだろうが、積極的でもないだろう――
と思っていたものだから、クランツの次の発言に、アリアロスは大いに驚いた。
「はい。中でも良子様と玲於奈様は『無理はするな』『ほどほどに』といつも心配してくださいます」
「ええっ!!」
のけぞりながらアリアロスは、自分でもびっくりするくらいの大声を出してしまった。
「えっ?」
アリアロスの驚きに驚かされたクランツが、手を止める。
そのときだった。どこか遠くで、物音と笑い声がした――ような気がした。
「あれ? いま……何か?」
クランツが耳をそばだてる。
自分一人の空耳でないことがわかったアリアロスが、背筋に悪寒を走らせる。その短い間に、音の発生主たちが賑々しくあらわれた。
◇ ◇ ◇ ◇
「お仕事中お邪魔しますよ、クランツ君。おう、良いにおーい」
「お邪魔しまーす! ほんとだ。良いにおーい。クランツ君、今日も良い仕事してるね」
「玲様! 瑠衣様!」
クランツの声がかがやく。
玲と瑠衣が、隣の配膳室からあらわれた。もちろん、二人だけではない。
「今日は何かしら?」
「あんた、聞く必要ないでしょ。何でもバクバク食べるんだから」
「あら、ひどい」
「皆様お揃いで――」
いいかけたクランツの笑顔が、次の瞬間、強張った。
四人の後ろには、まだ人がいた。城にいるのはおかしくないが、こんな場所にやってくるはずがない人物たちの姿に、少年はおののいた。
「殿下……将軍……」
あわてて上半身を倒す。勢いがありすぎて、上体が足に付きそうなくらいだ。
過敏過剰な反応に、玲が笑った。
「クランツ君、そんなぺったんこにならなくてもいいでしょ」
「身体柔らかいねえ」と、瑠衣も笑っている。
しかし、クランツは笑えない。
「いえ、そういうわけには……」
いいながらクランツは、倒しすぎた上体を適切な角度に修正した。
「いいから顔上げて。きちんと礼をしたんだから十分でしょ」
「ですが……」
「クランツ君――」
玲の声音が変わった。
「御使い様の、この、わ・た・し・がいっているのですよ?」
「出たぁ! 玲ちゃんの権力行使」
「使い方が小っさいわよね」
「ふっふっふ。小さかろうが大きかろうが、なんだっていつだって使えるときには使いますよ。減るもんじゃありませんからね」
「こういう使い方してたら、減ってくんじゃないかしら?」
「もんのすんごい恥ずかしいんだけど、これってあたしだけ?」
恐る恐る上体を起こしたクランツの前には、四人の美しい娘たちと、彼女たちを見つめる伴侶たちの姿があった。
クランツは困った。
顔を上げたはいい。が、ソルジェとレイヒがいるこの場で、いつものように、『御用でしょうか?』と気安く四人に声などかけられない。助けを求めるようにゼクトを見れば、首をかすかに横に振っている。
じっとしていろということか?――
クランツが固まっていると、
「クランツ君、忙しいところ悪いんだけど、お茶、八人分用意してくれる?」
玲の、いつものくだけた声がした。
「はい!!」
クランツは飛びつくように返事をし、指示に従った。喜び勇んで竈に突進する。
「……」
その後姿を、恨めしげに見つめる男がいた。
娘たちの前面にただひとり残された男――アリアロスはその場で固まっていた。
視線を感じながら、どうすることもできない。
そんな、わが身の不運を呪い嘆くしかできない男に、陽気な声がかけられた。
「さあ、アリアロスさん。向こうでお茶の続きをしましょうか」
「……」
額で玉を作りはじめていた嫌な汗が、こめかみを伝い流れていった。