呪われの王子とおしゃべり娘
男たちは、八人の姿が見えなくなってもまだ、続きの間へ通じる扉を見つめていた。
「さて、どうでした? 皆さん」
サルファが男たちに声をかける。
「……驚きました」
リグリエータが答えた。
ヤーヴェは下を向き、「まったく」と、首を振りながら笑っている。
「な? 嘘じゃなかったろ?」
「ええ」
「凄いのも凄いですけど、ずいぶん面白い方たちですね」
ガウバルトが嬉しそうにいう。実際、ガウバルトは喜んでいた。彼は、玲たちの美しさや聡明さより、明るさと面白さの方に強い衝撃を受けており、またそのことが、どうしようもないほど嬉しかった。
その声に、サルファがこちらも嬉しそうに「でしょう?」と微笑む。
「しかし、皆さんとてつもなく明るいですね。普通、少しは落ち込んだりするでしょう。虚勢を張ってるようにも見えませんでしたし……。あの陽気はいったいぜんたいどこから来るんです? 不安とかないんですかね?」
なあ? お前もそう思うだろ?――とガウバルトはシャルナーゼを見る。が、シャルナーゼは頷くどころか視線も寄こさず、食べかけの菓子を黙々と口に運んでいた。
「……」
アリアロスの護衛として、結構な時間をともにしているが、この相棒は、たまにわからない行動をとる。
小首を傾げるガウバルトに、キリザが答えた。
「玲ちゃんは不安も心配もしてねえっていってたぜ。明るいのは性分だろ」
「はっ」
リグリエータが思わず、といった様子で息を吐いた。
「俺たちを手玉にとるだけの頭と度胸があるんだ。おまけに若くて別嬪だ。怖いもんなんか、ないんじゃないか? なあ?」
グレンが「ああ、そうだな」と笑う。
「この分じゃ、陛下を脅したというのも、本当なんですね」
「そうだ。面白かったぜ。なんせ、ルゼーとウルーバル――あの二人が引きつってたからな」
「お二人もその場にいらっしゃったんですか」
驚きの声を上げるヤーヴェの隣で、
「俺はもう、何を聞いても驚きませんよ」
と、リグリエータがいう。
「そうか、そりゃ頼もしいな。お前ら、そん時の話、聞きたいか?」
「結構です。それは許容量を超えます。というより、そんなぺらぺら喋っていい内容なんですか?」
違うでしょう――とリグリエータは咎める。
「おお、そいつはちょっと無理だな」
「玲様たちは、両将軍ともすでにお会いになられたんですね」
「ああ。あいつらには、教えとかないとな。この先、あいつらに動いてもらうこともあるだろうし、こっちも、確かめたいことがあったしな」
「玲様たちがお二人を見て、考えを改めるかもしれないと?」
ヤーヴェの声に、キリザは頷いた。
「そうだ。ま、そんなことはないだろうと思ってたが、玲ちゃんたちも年頃の娘だからな。あいつらを見て、どう反応するか見たかった」
「で、どうだったんです? よろめきましたか? なんて訊くのも野暮ですね」
というリグリエータに、
「ああ。玲ちゃんたちは笑ってた」
いいつつ、キリザは自分も笑った。
「あいつらを見て、えらく感心してたが、それだけだったな。そんでいわれた。『皆さんがどうお考えか知りませんが、伴侶は変えませんよ』ってな」
「ばれてましたか。玲様たちは、お怒りにもならなかったんですね」
「ああ。ひとを試すのも好きだが、試されるのも結構好きなんだと」
「それはまた、凄いですね」
ヤーヴェが笑った。
「ま、そういったのは玲ちゃんで、瑠衣ちゃんも笑ってたが、良子ちゃんと玲於奈ちゃんは、なぁんか怒ってたな」
「普通そうでしょう。試されて喜ぶ人間なんて、まず、いませんよ」
「だよな」
「ですが……そうですか」
ヤーヴェがなにやら自分ひとりの中で納得している。そんな側近を面白そうに見やってから、キリザは少しばかり表情を引き締めた。
「お前らも、これでよくわかったろ? 玲ちゃんたちの意志は固い。それも、ありがたいことに、俺たちの願う方向に向いてる。俺らとしちゃ、是非ともそれを貫いてもらいたい。それはお前らも、同じだろ?」
男たちを頷かせると、キリザは続けた。
「よし。じゃ、お前ら、いってこい。腹も心も、十分満たされたろ。玲ちゃんたちにお願いされた仕事をやってこい。今、お前らにできることなんて、それくらいだからな。俺も、自分のできることをしとく」
キリザの声に、男たちは従った。それぞれの面に微笑を浮かべ、席から立ち上がる。がひとり、リグリエータだけは、眉間にしわを寄せていた。
「……なんだよ? 昨日からのこと、怒ってんのか?」
睨んでくるリグリエータに、キリザも眉根を寄せた。
「ありゃあ、お前らが『俺が嬉しごとを隠すのが下手だ』っつうからだな、仕方なく――」
「違いますよ」
リグリエータは、キリザのいい訳の声をぴしゃりと封じた。態度といいようは別にして、彼は側近としての分は、わきまえていた。
「こんなとこで、昼寝はやめてくださいよ」
いつものように、いつものような苦言を放つ。
「馬鹿か、お前は――」
キリザが呆れたように答えた。
「今、俺にできることなんて、昼寝くらいしかねえんだよ。いいからお前らはさっさと行け」
そういって男たちを追い出すと、キリザは空いた長椅子に移り、宣言どおり寝転んだ。
組んだ両腕を枕に、足は長椅子の袖に乗っけるという、いつもの体制をとる。
グレンとサルファが、ゆったりと座りなおし、冷めかけの茶と菓子に手を伸ばす。
「……これはこれで、いけるがな」
ほのぼのとした甘さにグレンがいえば、
「わたしには極上の味ですよ」
と、サルファが応じる。
目をつむったまま、「はは」とキリザが笑い声を上げた。
ひっそり静まり返った大広間で、三人は、束の間の静けさをじっくり味わっていた。
◇ ◇ ◇ ◇
ソルジェは居心地の悪さを覚えていた。
そこは、女性らしいしつらえの部屋だった。王女専用の城なのだから、どの部屋をとってもそうだろう。しかし、このような優しい雰囲気に満ちた狭い空間で、若い娘と二人きりで向き合うのは、ソルジェにははじめてのことだった。落ち着かない。しかし、相手はまったく動揺していない。
心を騒がせているソルジェとは異なり、玲は対面する椅子に平然と座り、ソルジェに微笑みを向けている。
「ふふ」
玲が笑った。
「これでは少し話しにくいですね。ちょっと椅子を移動させますね」
といって立ち上がると、腰掛けていた自分の椅子を「うりゃ」という掛け声とともに持ち上げる。そして、危なげない足取りでソルジェとの距離を縮めると、椅子を、正対から九十度の位置に向けて下ろした。
「これで、ちょっとはましになりました?」
訊ねる玲に、ソルジェは「ああ」と、驚きながら頷いた。
自分の知っている――あるいは知識としてあるレナーテの女性たちとは、まったく違う。行動が早い。というより、自分でしてしまうことに、まず驚いた。掛け声も勇ましく椅子を持ち上げる娘を見たのは、はじめてだ。
驚く一方で、ソルジェは安堵もしていた。
距離は縮まったが、正面から見つめられるよりかは、ずいぶんましだった。相手の位置から自分のあざが見えにくくなっていることも、落ち着かない気分を和らげてくれた。
気を使ってくれているのだな――
その気遣いが嬉しかった。
◇ ◇ ◇ ◇
「こちらの家具は、センスも造りも素晴らしいですが、重いのが難点ですね」
椅子に座りながらそういうと、玲はソルジェの目を見て微笑む。
「で、どうしましょう? 殿下。わたしからお話ししても?」
気取らず飾らない玲の態度に、ソルジェの気持ちも軟化した。しかし、そうした気持ちは面にはでない。
ずっと、心情を表に出さない努力をしてきた。加えてソルジェの見目、全体の雰囲気は、人を受け付ける柔和さというものがない。
見目は整っているが硬質だし、まとう雰囲気は威風がただよう。そして、あざがある。相手はどうしてもおびえてしまう。キリザから、その強すぎる眼光を指摘されたこともある。しかし、意識して力を抜いても、卒倒されたときには『処置なしだ』と、諦めた。
普通にしていても、人をおびえさせる。真顔でいる自分は、さぞかし恐ろしいはずだ。が、玲にはなんの問題もないようだ。表面をとりつくろっているわけでもない。そんなものは見破れる。
ひょっとして――
あまりに自然、自分を前に平然としている玲に、ひとつの疑いがわいた。まさか、そんなことは……ありえない――と思いつつ、ソルジェはそれを口にした。
「訊きたいことがある」
「はい、どうぞ」
「玲は、目が悪いのか?」
◇ ◇ ◇ ◇
聞いた瞬間、玲は驚いたような顔をした。と思うと、顔を横に振り向けて笑い出した。というより、ふきだした。
ソルジェは困惑した。まさか、大笑いされるとは思わなかった。
笑いの噴出を短時間で収めた玲が、ソルジェに向き直る。
「でーんーかー」
眉根が、先ほどと同じように寄っていた。
「ひどいじゃないですか。わたしが何か口に含んでいたら、大惨事になるところでしたよ」
「そうか。それは……なんといったらいいか……」
ソルジェは本当に、なんといっていいのかわからなかった。
「いえいえ、大丈夫です。殿下はご存知ありませんでしたね。わたしは笑いに敏感なんです。瑠衣はわたし以上に笑い上戸ですから、気をつけてくださいね。彼女が何か飲んでいる時に、面白いことをいってはいけません。反射神経がいいので、そうそう吹きかけられることはないと思いますが、たまに回避方向を間違えてしまうことがありますので、わたしも彼女も……」
そういうと、玲はまた微笑みに戻る。
「すみません。殿下は、わたしを笑わせようとしたわけじゃありませんよね。質問されたというのに、ふきだしたばかりか、えらそうにいって申し訳ありません」
「いや、それはべつに構わない」
ソルジェが答えれば、玲は嬉しそうに笑う。そして、
「ああ、まだ殿下のご質問に答えていませんでしたね」
笑みを薄めた。
「目は悪くありません。視力はいいですよ。殿下のお顔も、お顔にあるあざも、見えています。加えていうと、殿下のあざが体にまでひろがっているというのも聞いてますし、そのことで、殿下が『呪われの王子』と呼ばれているのも知っています」
「だったらなぜ……」
「殿下を恐れないのか? 殿下を伴侶に決めたのか? ですか?」
「ああ」
自分の言い分を取られてしまったソルジェは、頷くしかない。
「殿下に対して恐怖心はまったくありません。畏れ多いとは感じてますよ。ですが、感じていても、ひどく萎縮したり畏まってしまう――ということはありませんね。なぜなら、わたしはこちらの人間ではありません。殿下が雲上人でいらっしゃることは、頭で肌で感じますが、こちらの方々のように、小さいころから畏れ敬うように刷り込まれてませんし、なにより、わたしたちにはここでの『しがらみ』というものが一切ありませんので、畏まる必要も覚えません」
そして玲は笑みながら、「ま、わたしの性格も多分にあるでしょうけど」最大の理由だろうそれを、ついでのようにいった。
「玲が俺を恐れていないのはよくわかった」
たいしたものだ――
内心で感心しながら、ソルジェは続けた。
「しかしこのとおり、俺にはあざがある。玲がそれを恐れないばかりか、気にしていないのはわかった」
「そうですか。それは嬉しいですね」
玲は微笑む。
「だが、人は恐れて寄ってこない。俺を伴侶にしても、玲のためにならないと思う」
「そうですか?」
「俺を伴侶にするのは、考えものだと思う」
ソルジェは懸念を述べた。すると、微笑むばかりだった玲の表情が一変した。面から表情を消し、推し量るような目でソルジェを見る。
「殿下。それは、わたしのことが気に入らない――暗に、そうおっしゃっているのでしょうか?」
「違う!」
ソルジェは強く否定した。
「すまない。……驚かせてしまったな」
目を丸くする玲にソルジェはいい、視線を外してしまう。
「ソルジェ殿下」
玲が外された視線を呼び戻す。その面には、微笑みが戻っていた。
「殿下、わたしは容姿はいいのですが、少々聡い上、可愛げもありませんので、異性から敬遠されることがあるんです。殿下もお好みがあるでしょうし、殿下のお好みから外れていたらどうしようかと思っていたんですが、それについては問題ないと判断してよろしいですか?」
「問題など……」
あるわけがない――
と思ったが、ソルジェはそれではなく、別のことを口にした。
「……玲。俺は『呪われの王子』と呼ばれている」
「ええ、知ってますよ」
あっさり答える玲に、ソルジェは首を振った。
「そうじゃない。玲はそれを、ただの綽名だと思っているだろう?」
「ええ、思ってますよ。キリザさんたちも、そうおっしゃってましたから。呪いとか、本当にあるんですか?」
「いや、ない。ないが、俺の場合、そう的外れでもないんだ」
「どういうことでしょう?」
「俺といると、不幸になる」
「え? それは困りますね」
といいながら、まったく困った感じはなく、玲は微笑みのままだ。
「殿下と一緒にいると、どう不幸になるんでしょう? みるみるうちに虫がたかってくる、こける、おぼれる、怪我をする、病気になる――そんな感じですか? 側近の皆さんは、お元気そうでしたけど」
「いや……そういうことはない」
「ですよね。でしたら大丈夫です。それより、殿下ご自身はどうなんでしょう? わたしはそちらの方が気になってまして……。体調がすぐれない、なんてこと、ありませんよね?」
「あ、ああ。体は丈夫だし、いたって健康だが」
「そうですか。よかった。よく眠れない――そういったことは?」
「いや、ないな」
「そうですか」
玲はにっこり笑う。
「殿下、ノープロブレムです。何の問題もありません」
「……そうだろうか?」
「いったいどこに問題が?」
と訊ねる玲に、ソルジェは困ったように首を振り、小さく息を吐いた。
「玲。玲は若く、美しい――」
「それはありがとうございます。殿下にそういっていただけると、嬉しいですね」
玲の合いの手に惑わされることなく、ソルジェは続ける。
「玲は俺を選んだが、レナーテには俺以上の人間がいる」
「大国ですから、優秀な人材も大勢いらっしゃるでしょうね。それとおぼしき方たちにも、昨日お会いしましたよ。ルゼーさんと、ウルーバルさん、とおっしゃいましたね。キリザさんの両腕でいらっしゃるとか」
「二人に会ったのか」
「ええ。昨日、陛下にお会いした際、紹介されました。極彩色の彫像のような方たちでしたね。おふたりの姿には驚きました。右将軍に、左将軍ですか、さすがキリザさんの両腕というだけあってすごいですね。圧倒されました」
どっちが右で、どっちが左かわからないですけど――
といいながら、玲は笑っている。
圧倒されたというが、口ほどに感じていないことはわかったし、実際そうだということを、玲はすぐに言葉にした。
「ですが、まあ、それだけですね。キリザさんに信頼されるくらいですから、人柄も腕も相当なものでしょうけど……うーん、それだけです」
あのふたりを『それだけです』と片付けてしまえる玲に、ソルジェは驚いた。ルゼーとウルーバルを見て、平静でいられるものはそういない。異性で、しかも年頃の娘ならなおさらだ。しかし、玲はそうではなかった。
「殿下、お訊きしたいのですが――」
玲が声の調子を変え、切り出した。
「五日前、アリアロスさんに邪魔されてしまいましたが、わたしたちが強硬手段にでようとしたのはご記憶に?」
「ああ」
「あのとき、わたしは殿下を狙っていました」
「ああ」
ソルジェは頷く。微笑みながら射抜くような視線を向けられたのだから、わからないはずがなく、また忘れようもなかった。
「なぜだと思います?」
と訊きながら、玲はソルジェが答える時間をくれなかった。
「あの中で、殿下が一番の実力者だったからです。殿下を押さえれば、あの場を制圧できるとわたしたちは考えました。それが実際可能だったかどうかは別にして、間違っていないことは、キリザさんに、殿下がこの国の第一王子であると聞いて、わかりました。結局未遂に終わりましたが、いまではそれを感謝しています」
玲は笑みを深める。
「その後、殿下はいらっしゃいませんでしたが、説明の席で、サルファさんからいろいろなことをお聞きしました。御使い様は伴侶を決めなければならない――といわれて、たいへんびっくりしました。恐ろしい姿のわたしたちに、それを言ってしまうサルファさんにも、正直驚きました。あのかたも大胆ですね。普通なら、いわずに隠したり濁したりするんじゃないかと思うんですが……。やはり副宰相だけあって、判断が早いですね。その場しのぎなことは、なさいませんでした。わたしたちを御使い様と判断し、過去の例にあるように、わたしたちに接し、遇してくださいました。誤魔化すことも、隠すこともなさいませんでした。あのとき、どちらかでもされていれば、わたしたちの選択も、考えも、皆さんに対する印象も、いろいろ変わっていたでしょう。そして今、わたしはこうしてここにいます。だからこそ、といったほうがいいでしょうか」
玲はソルジェを見つめ、自分を見つめ返すソルジェにいった。
「伴侶を決めなければならない――そう聞いて、浮かんだのは殿下の姿でした。殿下の、卓抜した印象はもちろんですが、わたしの直感がそう訴えていました。わたしの直感は当たるんです。そして、すぐに確信を得ました。殿下を、大切な方だと、サルファさんはおっしゃっていました。サルファさんだけじゃありません。あの場にいた皆さんが、そう思ってらっしゃいました。それだけの方を、わたしが放っておくと思います? 殿下にこうしてお会いして、言葉を交わして、さらに確信を持ちました。ですから殿下、諦めてください。わたしの伴侶は、ソルジェ殿下、あなたです。あなた以外はありません」
そして玲は最後にぶちまけた。
「いろいろいいましたが、結局はあれですね、ひと目ぼれです」