何事も予定通りにはいきません
「伴侶を決めました」
玲の声に、レナーテの男たちは揃って声を失った。
「……」
「……」
「……」
反応しない三人に、
「滑舌はかなりいい方だと思うんですが……。いまの、聞き取れませんでした?」
耳に届くどころか、間違いなく脳に達していることを知りながら、玲は訊ねる。
そらとぼけて訊く玲に、良子が小さく首を振った。
相手も状況も、まるっと無視できる玲の図太さを呆れたが、幸いなことに、先方はちょっとした恍惚状態に陥っており、意に介す余裕もないようだ。
「ったく……」
ほどほどにしなさいよ――手にした紙をめくりつつ苦言を放とうとした良子だったが、こちらはこちらで、目に入ってきた文字群に注意を奪われた。
良子の意識が紙面に向いた時、
「いや――」
グレンが、ひとをおちょくったような玲の質問に、素直に答えた。
「伴侶を決めた、そう聞こえたが……」
「ええ、そのとおりです」
「決めたのかっ?! 伴侶」
突如覚醒したのか、キリザが目を剥いた。
「ええ、決めました」
あっさりした玲の返事に、キリザとサルファが顔を見合わせる。
目で語り合う――というより、互いの正気を確かめ合っているようなふたりを前に、玲は話し出す。
「驚かせてすみません。でも、わたしたちが伴侶を決めるのは、おわかりだったんじゃないですか? まあ、これだけ早く決めるとは、さすがに皆さんも思ってらっしゃらなかったでしょうけど」
と、笑う。
「だからこそ、そうしたので、驚かれるのも無理はありません。ですが、皆さんを驚かせるのが目的ではありません。理由があります。最大の理由は、騒がれたくないということですね。先もお話しましたが、わたしたちの容姿は異性を惹きつけます。特に玲於奈と瑠衣の容姿はひどく騒がれるでしょう。それは向こうで経験済みです。さらに、御使い様という看板も加われば、それはもう、うんざりすような事態になるのは目に見えています。ですので、そうなる前に決めました。幸いにも、伴侶にしたいと思える方々がいらっしゃったので、助かりました。先方には、ご迷惑かもしれませんが……」
と笑った玲は、すぐに面から笑みを消した。
「自棄になって伴侶を選んだわけではありません。適当に決めたわけでもありません。いただいた百名の候補者の名簿にも、きちんと目を通しました。その上で決めました。残り二百名の候補者名簿にも、これから目を通しますが、おそらく、わたしたちが伴侶と決めた方々を超える方はいらっしゃらないでしょう」
レナーテの男たちは、黙って話を聞いている。頷きさえしなかった。
「伴侶は決まりました。後見役のときと違って、こちらは直ちに公にはしませんが、いずれ近いうちに公表します。なので、予定されている伴侶の選定、それに関わる面談などの工程は一切不要です。ただし、伴侶の披露、それは行います。わたしたちも、いつまでも隠れているわけにはいきませんから。そちらの方は、できれば盛大にとりおこなっていただけると嬉しいですね。そしてそれまでの期間、わたしたちはこのスライディールの城から出るつもりはありません。居心地の良いこの場所で、力と知識を蓄え、今後に備えたいと思っています。その上で、必要なものがあります……」
玲は言葉を切った。
閉じた唇が微笑みを作り、黒の瞳がいたずらな光を放つ。
次に口を開いたが最後――と相手に悟らせるための、わずかなその隙に、
「玲、ちょっと」
声がかけられた。
良子だった。
一気呵成に言葉を並べようとしていた玲は、鳩豆顔を友人に向けた。
ちょっとこっちにいらっしゃい――
良子は、厳格な女教師のおもむきで、立てた指を動かしていた。
良子の横で、玲於奈がその要を認めるように頷いている。
玲は軽く頷き返し、目の前の三人に断りを入れた。
「すみません。ちょっと席を外しますね」
「すみません」
と、瑠衣も申し訳なさそうにしながら一緒に立ち上がる。
「どうしたの?」
訊ねる玲に、良子は無言で紙を渡し、紙面の一部を指差した。
そこに書かれた情報に、瑠衣が目と口を丸くする。
玲も目を見張った。しかし、
「ふうん、なるほどね……」
玲の驚きの目は、すぐにその形を変えた。
◇ ◇ ◇ ◇
微笑んでからの、玲の行動は早かった。
玲は友人たちを至近に集め、短くささやくと、瑠衣とともに席に戻った。
そして、長椅子で待ち構えるグレンたちに、
「会議録を見せていただきました」
隠すことなくいった。
「たいへん興味深い内容でした」
と、微笑む。
「本当なら今日は、皆さんとゆっくりお話ししようと思っていたんです。楽しく語らいながら、細々としたお願いごとをお伝えしようと思っていたんですが……。残念ながら、その予定は繰り延べにさせていただきます。すでに色々お骨折りいただいている皆さんには、誠に申し訳ないんですが、さらに骨を折っていただくことになりました」
声音と表情をがらりと変えた玲に、グレン、キリザ、サルファの三人が緊張する。
表情を変えた三人に、玲は有無をいわさぬ強い調子でいった。
「伴侶を公表します。皆さんには、いまからその準備と手配にかかっていただきます」
◇ ◇ ◇ ◇
(はあ)
音が漏れないよう、細心の注意を払いながら、ヤーヴェは息を吐いた。
身体がどうしようもないほど重かった。疲労が、毒のように総身に回っている。そんなヤーヴェの耳に、
「ちっ」
小さい舌打ちの音が届く。
隣に座る同僚――リグリエータは、先からため息と舌打ちを交互に繰り返していた。彼も、ヤーヴェと同じで、ひどく疲労していた。そればかりでなく、リグリエータは苛立ってもいた。消化できない疲労と苛立ちが彼の中で刺激し合い、さらに膨らんでいるようだった。
しかし、ヤーヴェは声をかけることもしなければ、目を向けることもしなかった。できなかった。リグリエータの放つ苛立ちにも反応できないほどに、ヤーヴェは疲れきっていた。
ここ数日の過労と睡眠不足が原因だ。だが、過去にはもっと過酷な経験もしている。疲労度合いでいえば、今回はまだマシだ。
なのに身体が重かった。理由はわかっていた。心の疲労だ。精神の疲労と不安が、たまりにたまっていた肉体の疲労を一気にぶり返させ、重く全身にのしかかってきた。
前日にはまったく考えられなかったことだ。
昨日の朝、夜を徹して仕上げた資料を前にして、ヤーヴェの中にあったのは、安堵と達成感だった。
「おう、できたか。よくやった。それじゃあ、俺は嬢ちゃんたちに会いにいってくるぜ」
上機嫌なキリザを見送ったときは、ただ嬉しく、疲労感さえ心地よく感じられた。というのに、その喜びは、半日で暗転した。
戻ってきたキリザの顔は、何があったのか聞けないほどに厳しかった。放たれた言葉は、さらに厳しかった。
「何も聞くな。何もいうな。黙って俺の指示に従え」
反論を許さない声に、ヤーヴェとリグリエータは、ただ首肯するしかなかった。
そのままキリザは、普段では考えられない硬さと短さで指示を出し、執務室を出て行った。去り際に、
「今日は戻らん。緊急の用は、ルゼーにいえ」
とだけいった。
そして、今に至る。
ヤーヴェの身は、キリザの執務室ではなく、王宮の会議の間にあった。
先日訪れたこの場所に、時をおかず、また来ることになるとは思わなかった。しかも、今回はリグリエータも一緒だ。そればかりではない。意外な顔は他にもいた。副官、護衛、側近――普段なら立ち入ることを許されないものたちだ。その顔ぶれを見ただけで、ヤーヴェの内にたれ込めていた暗雲が、暗さと厚みを増した。
集まった人々は、ひそひそとささやきを交わしている。
そんなざわつく広間に、国王の入来を告げる大音声が響いた。
ヤーヴェは、泥濘に沈みかけた心を抱えながら、立ち上がった。
国王をはじめとする、レナーテの最上部のものだけが集うことを許された会議の間――数多の議論、重大な決定が成されるこの場所でいま、緊急会議が開かれようとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「今日、皆に集まってもらったのは、他でもない、スライディール城の御使い様の件だ」
国王ドレイブ、キリザとともに、最後に入室してきた宰相グレンは、着座するなりそういった。
威圧感のある低い声に、感情というものはない。ただ、伝えるだけに終始している。
ヤーヴェは顔を上げながら、それを聞いていた。今日は会議録をとる必要がなかった。
「わたしが記録しますので」
と、会議前にゼクトにいわれた。
ありがたい、とは思わなかった。思う前に、
会議に出るのだ。この男も――
その事実に心が乱れた。
特別な用と許しがない限り、副官や側近が国王臨席の会議に出ることはない。おそらく、ゼクトは会議の列席を許可されたのではなく、自分たちと同じように命じられたのだろう。
そして、列席を命じられたものは、他にもいた。人数は多くなかったが、面子は問題だった。目と頭がついていれば、それがどういうことか、簡単に推測できる。
まさか――
馬鹿な――
先に心に涌いたのはどちらだったか、思い出せないほどにヤーヴェは動揺した。しかし、面には出さない。
自分にできることは何もない。だからこそ、うろたえることだけはしない。
ヤーヴェは、諸将の背中だけを見つめていた。
◇ ◇ ◇ ◇
緊急招集された大臣、諸将――高官らは、黙ってグレンの声に耳を傾けていた。
国王ドレイブは無言だった。いつもどおり、面には何の感情ものせていない。国王の冷めた目は、床に敷かれた絨毯の、複雑な模様付近に落とされていた。その隣に座るキリザも、言葉を発しない。ただし、こちらの感情はあらわだった。全身が怒りに支配されているのは、誰の目にも明らかだった。
会議の席でキリザが不機嫌なのは常のことだが、背筋に寒気を覚えるほどの怒りを見せることは稀だった。男たちは、緊急会議のただならぬ空気に緊張した。いつもは見ない顔ぶれも、それに拍車をかけた。
その中で、グレンの声だけが響く。
「スライディールの御使い様たちは、城で健やかにお過ごしだ。しばらくは、あちらで静かに過ごされることを望んでおられる。こちらの不安と騒ぎを大きくしたくない、とお考えだ」
グレンの言葉に、幾人かの大臣が頷く。だが、彼らが冷静でいられたのはここまでだった。
「そのために、御使い様たちは、伴侶をお決めになられた」
会議の間が、一瞬で驚きに支配された。
グレンはしかし、気にも留めない。
「伴侶は、過日の会議で推挙された、ソルジェ殿下、レイヒ将軍、アリアロス筆頭軍師、副宰相副官ゼクトの四名だ」
驚愕の事柄を、淡々と述べてゆく。
「御使い様たちは、それでよい、とおっしゃられた。しかし、こちらの賛否も聞きたい、との仰せだ。反対が多数を占めれば、再考される、とのことだ。反対するもの、異議のあるものは、挙手をするように」
グレンはそういうと、視線を右から左へ往復させた。
しかし、その声に反応できるものはいなかった。
理解が追いつかず、驚きの顔を並べる男たちを、グレンはもう一度見渡した。
「反対するものは無し――ということか?」
という声に、あわてて手を挙げたのはエルーシルだった。
他に数人、政務側で手を挙げたものはいたが、軍務側で手を挙げたのはエルーシルだけだった。
エルーシルが驚き顔を兄に向ける――その間にグレンが頷いた。
「結構だ。下ろしてくれ」
決を採り終えたグレンは、そのまま、国王ドレイブに顔を向けた。
ドレイブは目をつむっていた。
男たちが固唾を呑む。
広間が、衣擦れの音さえ聞こえそうなほどの静寂に包まれた。その時、水底を思わせる、深い青の瞳を隠していた国王が、ゆっくりまぶたを持ち上げた。
「スライディール城の御使い様の伴侶はこれで決した。よいな」
ドレイブは、グレンに劣らぬ低さと平坦さでそう宣言した。と思うと、次の瞬間には席を立ち、会議の間を後にした。
「……」
あまりの驚きと事の速さに、男たちは立ち上がるどころか、礼をとることもできずにいる。
そんな男たちに、
「今日の会議は以上だ」
グレンが会議の終結を告げた。
「皆、ご苦労だった。伴侶とその側近――本日列席を命じられたものたちは、この場に残るように。それ以外のものは、速やかに退室のこと」
「……」
「……」
そういわれて、すぐに動けるものなどいない。しかし、
「聞こえなかったか? わたしは速やかにと、いったのだが……」
というグレンの凄みの効いた声と視線に、男たちはガタガタと音をたてて動きだした。
それでもまだ、動こうとしない強者や、ただ単に動けないものたちもいた。それを動かしたのは、キリザだった。
「さっさといわれたとおりにしねえか!!」
雷鳴の如き怒号に、抗えるものはいなかった。




