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そしてその日はやってくる

「立候補……ですか」

「あれは、閣下の指示ですか?」

「馬鹿いえ! あいつが勝手にいい出したんだよ」

「で、ウルーバル将軍も立候補なさったと」

「ああ。前からおかしな奴らだとは思ってたが、あいつらほんと、揃って普通じゃねえな」


 自分の部下を、キリザは笑った。





 会議を終え、執務室に戻ったキリザは、椅子の上でそっくり返っていた。執務机の前には、リグリエータとヤーヴェ――ふたりの側近が顔を並べている。


「北のご兄弟が普通でないのはわかってましたが、今回はまた、格別でしたね」


 ヤーヴェが感心したようにいう。ヤーヴェはキリザの側近として、今日の会議に出席していた。


「エルーシル副将軍は、本心からそうおっしゃったんですよね?」


 その会議録に目を落としていたリグリエータが、顔を上げた。


「おう。内容は冗談みたいだが、本心だろうな。あいつは冗談とかいわねえからな。ったく、やってくれるぜ。ホレイスの提案が、ものの見事に吹っ飛んじまったぜ。まさかエルが立候補するなんて、思ってなかっただろうからな。そん時の奴の顔ったら、なかったぜ。なあ、ヤーヴェ」

「ホレイス卿の顔を見る余裕はありませんでしたよ。なにせ、わたしも驚きましたから」

「なんだよ、見てなかったのか?」

「はい。下を向いてましたし……記録するだけで精一杯でしたよ」


 ヤーヴェは会議録を作成するために出席していたのだった。


「ああ、そうだったな。それで、記録の方はできたか?」

「はい。抜けはないと思います。清書後、ゼクトに渡しておきます」

「ヤーヴェ、これ、こっちの分も一部作っておいてくれ」

「ああ、わかってる」


 リグリエータに頷いたヤーヴェは、キリザに顔を向けた。


「しかし……会議録までご所望とは、知りませんでした」

「ああ、俺だってさっき知ったばかりだ。な? スラーディールの御使い様は、凄えだろ?」

「凄いというより、なにやら恐ろしいですね」


 ヤーヴェは言葉を選ばずいった。


「三日間の会議録、決定事項をすべてまとめておけとは……」

「それはまあ、わかりますよ」


 首を振るヤーヴェの後に、リグリエータが続ける。


「こちらの動向を知るには最適です。同一会議の記録をふたりにとらせ、それを両方寄こせというのは、さすがに驚きましたがね。ずいぶん用心深い方たちだ。ですがね、スライディール城の図面なんかどうするんです? しかも、造営者から歴代の管理担当者まで全部調べろなんて……何考えてるんです?」

「そんなもん、俺が知るかよ」

「わかってますよ。わかっててもいいたくなるでしょうが。しかもなんですか? この帆布って。帆布を用意しろって。こんなもの、いったい何に使うんですか?」


 リグリエータは、それをいいつけたのが、まるでキリザであるかのように睨みつける。


「しかも三十年毎の大陸の勢力図だとか……。一枚作るのに、どれだけ手間隙かかると思ってるんです?」

「んー、この世界の輪郭をつかみたい、っていってたからなあ。そりゃまあ仕方ねえだろなあ」

「そうかと思えば、軍容から、果ては軍の階級ごとの服装、持ち物――名称と使用方を記せとか。何が目的かさっぱりわかりませんよ。嫌がらせじゃないですか? これ。閣下、何か、御使い様たちのご機嫌を損ねるようなことを、したんじゃないでしょうね?」

「馬鹿いえ! 俺がそんなことするかよ!」

「ほんとですか?」


 リグリエータが疑いの眼差しをキリザに向ける。

 ヤーヴェが笑った。


「リグリエータ、そういいたくなるのもわかるが、サルファ副宰相のところはそれ以上だ。一部を聞いただけで、投げ出したくなるぞ」

「なら、それは俺にいってくれるな」


 リグリエータはヤーヴェの言葉を、煙でも払うように書類で扇ぐ。


「とにかく、文句はいわせてもらいますよ。ヤーヴェをとられた上、一部はこっちにも回ってくるんですからね」

「おう、文句だったらいくらでも聞いてやるぜ」

「ああ……右から左は、得意中の得意でしたね」


 というリグリエータの嫌味の声を、キリザは早速、右から左に聞き流す。


「しかし、セリカだったか? ルゼーの側近。あいつだけじゃ到底間に合いそうにねえな。うーん、どうするかな……」


 ヤーヴェの穴を埋める人材に、キリザが頭を捻りはじめる。と、


「ああ、そっちは大丈夫ですよ」


 ヤーヴェが答えた。


「なんだ、もう見つけたのか? どこに転がってた?」

「落ちてたわけじゃありませんよ」


 リグリエータがぴしゃりといい、ヤーヴェが事情を説明する。


「ルゼー将軍が寄こしてくれることになりました。話しを聞いた将軍が、それでは足りないだろうと、使えそうな人間を、あとふたりばかり寄こしてくれることになってます」

「そうか、ルゼーか」


 キリザが破顔した。


「そりゃよかった。ははっ、しっかし、あいつはほんと、見かけによらずお人よしだよなあ」


 同意を求める主の声に、ふたりの側近は頷かなかった。


「はあ」


 リグリエータが大仰なため息をつく。


「俺は、ルゼー将軍が気の毒でしょうがありませんよ」


 と首を振った。


「育ててきた側近を、いきなりとりあげられるんですからね。突然ですから向こうも大変ですよ。そればかりか他にふたりも寄こしてくれるんです。ルゼー将軍のことですから、半端な人間は寄こさないでしょう。使える人間を一気に三人も失えば、ルゼー将軍の手元の方が大変なことになりますよ」

「あいつのことだ、それぐらいもう算段してるだろ」

「それはそうでしょうが、なかなかできませんよ。俺だったら絶対やりませんね。面倒事を押し付けるばっかりの上司に、そこまでする気になれませんよ」

「俺のことか?」

「他にだれがいるんです? ルゼー将軍の上っていえば、軍内では閣下しかいませんよ」

「面倒事なんか――」

「ドーミの視察、あれは、閣下の仕事でしたよね?」

「おう、あれな。あれは、俺が行くよりルゼーが行った方が、ドーミの連中も嬉しいだろうと思って――」

「いいわけです」

「いいわけですね」


 声を揃える側近たちに、キリザが苦い顔を向ける。が、リグリエータとヤーヴェは気にしない。


「しかし、できすぎるというのも、ときに問題だな」

「ああ。気付けば放っておけないご性格も問題だ」

「見て見ぬ振りができないお方だからな」


 主の渋面もそっちのけで、ふたりは話しだす。


「だから、こうしていいように使われる。見目に騙されがちだが、軍内で一番割を食ってるのは、軍師殿ではなく、ルゼー将軍だぞ」

「ああ。それは、俺も今回のことでよくわかった。表に出ないところでも色々動いておられる。おまけに苦労もされている」

「だろう?」

「ああ」

「陰で日向で働いておられる。それも、文句のひとつもいわずにな」

「あー、文句はこぼしておれられるようだぞ」


 ヤーヴェの声に、リグリエータが驚いたような顔を見せる。


「俺は聞いたことがないぞ」

「いや、まあ、文句というほどのものじゃないな。愚痴というのでもないが――」


 歯切れの悪いヤーヴェに、リグリエータが怪訝な顔を向ける。


「――まあ、ルゼー将軍も、色々とお心に溜めておられるようだ」


 言葉を濁すヤーヴェに、


「そりゃ文句のひとつも出るだろうさ」


 リグリエータは答えた。彼は、仕事量と愚痴の量をきっちり正比例させている。


「上司にはあてにされる上、仕事を押し付けられる。部下には頼られる。おまけに同僚の北のご兄弟には、なにかとまとわりつかれておられるんだからな」

「ああ、まあ……ずいぶんなつかれていらっしゃるな」


 リグリエータの表現を、ヤーヴェがやわらかなものに言い換える。


「はっ、言い方を変えたところで同じだ。まとわりつかれても足蹴にできず、結局はおふたりの面倒を見る羽目になってる」

「北のご兄弟は、ルゼー将軍を身内のように思っておられるようだからな」

「ご兄弟だけじゃない。北の連中はみんなそうだ。何かあると、ご兄弟ではなく、ルゼー将軍に伺いをたてるそうだぞ」

「ご兄弟の立候補で、ルゼー将軍の身辺も騒がしくなるだろうな……」

「ああ。しばらくは、お心の休まる暇もないだろう」


 派手な見目の下で、様々な苦労を生真面目に背負っている将軍――ルゼーを、側近たちは気の毒がる。その真ん前で、


「ははっ、あいつも損な性格だよな」


 キリザは笑った。


「ま、できちまうし、そういう性質たちなんだから、しょうがねえ。そういう星のもとに生まれたんだよ、あいつは」


 損な役どころを、せっせとルゼーに回している張本人は、今後もその方針を改める気はないようだった。





◇  ◇  ◇  ◇





「ま、今日の会議は色々おもしろかったな」


 側近たちに揃いのため息を付かせたキリザは、そう評した。

 

「……会議録を見る限り、とてもそうは思えませんがね」

「まあな。ホレイスの提案は案の定、クソだったからな。しかもあの野郎、ちゃちゃっといえばいいものを、しちめんどくせえいい方するもんだから、余計腹が立ったぜ」

「でしょう? それがどうして『おもしろい』という総評になるのか、俺にはわかりませんね」

「いやな、アリスの野郎が馬鹿正直に反応しやがるもんだから。俺は笑いをこらえるのに必死だったぜ。あいつ、自分が伴侶に推薦されるなんて、これっぽっちも思ってなかったんだろうな。あごが外れたんじゃねえかってくらい驚いてたぜ」

「ああ、軍師殿ですか……。ありえますね。あのひとは、遠目は利きますが、近目はあまり利きませんからね。特にご自分のことは、見えてないようですよ」


 リグリエータは納得する。


「だよな。はは」

「で、あごの方は外れてなかったんですか?」

「ああ、外れてなかったな」

「それは残念」

「お前、アリスには当りが強いな」

「当たり前ですよ。筆頭軍師としての自負と自覚が足りませんからね。ああ、働きの方に関しては、文句はないぞ」


 もの言いたげな顔をするヤーヴェに、リグリエータは先んじていった。

 

「ま、自負の方は構わないさ。無いなら無いで結構。こっちが尻を叩けば済む話だからな。しかし、筆頭軍師としての自覚は、強く持ってもらわないと困る。どうしたものか軍師殿は、自分が周りからそれほど重要視されてないと思ってる」


 それにはヤーヴェも反論しなかった。


「まあ……こちらも、ご性格だろうな。だからこそ、心配だな」

「ふん」


 とリグリエータが鼻を鳴らすのを見て、キリザが笑う。


「あいつも馬鹿じゃない。毎回お前にこっぴどく叱られてんだから、身にしみてわかってんだろ」

「だといいんですがね」


 リグリエータは不満げな声で応じると、話しを切り替えた。


「で、軍師殿が驚かれた伴侶の件ですが。結局のところ、話が出ただけで、是非も問われてませんよね? いいんですか?」

「構わねえさ、非しかねえんだから。それに、議論して結果を出したところで、無駄だ。決めるのは御使い様たちなんだからな。そう考えれば、エルはよくやってくれたぜ。ホレイスの御託を聞かずに済んだばかりか、奴の馬鹿げた提案もふっ飛ばしてくれたんだからな。三日間はこれで凌げる」

「北のご兄弟が立候補されたとなれば、王都はもう大騒ぎになるでしょうから、推薦された四人の方が、必要以上に騒がれることはありませんね」

「おう」


 ヤーヴェの言に、キリザは頷いた。


「地味で暗いあいつらにゃ、王都の嬢ちゃん連中は見向きもしねえだろうからな。聞いたところで、お気の毒に――ってなくらいなもんだ。な? ははっ」


 と笑うキリザに、側近たちは呆れるしかない。


「その、閣下のおっしゃる地味で暗い方たちは、なかなかに重要で、大切な方たちなんですがね」

「おう、だからこそ、ホレイスの野郎も選んだんだろ。俺とサルファを精神的にいたぶるためにな」


 それを聞いたリグリエータとヤーヴェが、それぞれに顔を曇らせる。


「……大丈夫ですよね? 閣下」


 訊ねるヤーヴェの声には、不安の色がにじんでいた。


「リエナリスタの時と、同じことになりませんよね?」


 キリザは、自分を見つめる側近を見返した。


「ならねえよ。相手も状況もまったく違うんだから、同じになるわけねえだろ」


 自分の求めていた答えではなかったのか、それとも、聞くまでもないことを聞いてしまった己の愚かさに呆れたのか、ヤーヴェは小さく首を振った。

 キリザが薄く笑った。


「それ以上のことは、三日後じゃねえと、なんともいえねえな。それまではお預けだ。ま、二つばかりは、はっきりしてるがな」


 キリザは薄笑みを濃い笑みに変えると、人差し指を立てた。


「ひとつ、俺は、スライディールの御使い様たちに会えるのが楽しみで、三日後が待ち遠しくて仕方ない。そんで、もうひとつ――」


 いいながら、立てた指を側近たちに向けた。


「リグリエータ、ヤーヴェ。お前らには、余計なことを心配してる暇はない、ってことだ」

「は?」

「え?」

「揃って寝ぼけた声出すんじゃねえよ」


 キリザは嬉しそうに笑う。


「おいおい、まさかお前ら、俺を手ぶらでスライディールの城に行かせるつもりじゃねえだろうな?」

「まさか……」

「あれを三日で全部揃えるんですか?!」

「おい、寝言は寝てからいえよ。なんのために、ルゼーがこっちに三人もひとを寄こすと思ってんだ?」

「……」

「……」


 リグリエータとヤーヴェが、その場で固まった。

 ふたりの身体に走ったものがなんだったかはわからない。しかし、何かが走り抜けたのは確かだった。


 縫い付けられたように立つ側近たちを尻目に、キリザは執務机に足を投げ出した。そして、後ろ手に組んだ腕に頭を乗せると、窓外の陽光を目に映しながらいった。

  

「あー、あと三日かあ……」


 のんびりしたキリザの声に、側近ふたりは我に返った。


「ヤーヴェ、とりあえず、向かいの開いてる一室に、軍師殿が預かったものを全部放り込め」

「ああ」

「軍師殿も忘れるな」

「ああ、ガウとシャルも放り込む」

「俺はルゼー将軍のところに行ってくる」

「頼む」


 息を吹き返したふたりは、キリザに目もくれず、きびきびと動きだした。

 そんなふたりを横目にしながら、キリザはひとりごちた。

 

「まったく、待ち遠しいぜ」





◇  ◇  ◇  ◇





 そして、その日はやってきた。

 待ち望んだその日――



「二度目まして」



 三日前、側近たちを衝撃で縫い付けたレナーテ軍の総大将は今、自身が縫い付けられたように動けなくなっていた。

 




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