住めば都といいますが
この日、一番に起きたのは良子だった。
目覚めは、ごく自然におとずれた。
見慣れない天井に、良子は一瞬驚いたものの、すぐに、ここがどこであるかを思い出した。
両隣から、友人たちの健やかな寝息が聞こえてくる。
「ふっ」
と、良子は息をこぼした。
呼び出してもいないのに、勝手に昨日の記憶がよみがえる。
怒涛の一日だった。ありえないことの連続だった。十七年の人生の中で、あれだけの衝撃と緊張感を味わったことはない。おまけに、友人からはとんでもない決断を迫られた。
昨夜、伴侶を決めた。彼氏という存在すらいたことがないのに……。
「ふっ」
ふたたび、良子は息を吐いた。今度はいろいろな感情が入り交じった、複雑なものだ。
玲の説明はやはり長かった。しかし、伴侶は驚くほど短時間で決まった。そして……枕投げをした。枕投げは白熱した。
とんでもない友人たちは、やはりとんでもなかった。
付いていけない――と思うが、結局引きずられ、みなと行動をともにしてしまうのだから、良子も同じ穴の狢だ。しかも、
寝られるわけがない――
と思っていたのに、いつの間にか深い眠りに、友人たちとともに落ちていた。気付けば朝だ。差し込む光の強さから、昼に近い時刻だと思われる。ぐっすり眠ったためか、ここ最近でも一番といえるさわやかな目覚めだった。良子の心身は、自分で思っているほど、やわでも繊細でもなかった。その事実に、少しばかり羞恥を覚えた。
友人たちは、いまだ深い眠りの中にいる。四人で寝てもまだ余裕のある天蓋付きの巨大なベッドで、昨夜は一緒に寝た。
苦悶の表情など微塵も浮かべず、三人は、規則正しい寝息とぬくもりを、良子に伝えてくる。
造形だけでいえば、ため息がでるほど美しい――友人たちの寝顔を見ながら、良子は昨夜のことを思い出していた。
◇ ◇ ◇ ◇
「いろいろ考えたんだけど、やっぱり伴侶は決めないといけない」
玲はいった。
それまで、頭の中でさんざこねくりまわしていただろう考えを、玲は良子たちに披露してくれた。
「帰れるものなら、今すぐに、なんとしてでも帰るけど、どうもそう簡単にはいかないみたい――」
いいながら玲は、良子の前に置いてある紙束に目を向けた。過去現れたという御使い様たちの資料だ。届けられた他の資料も含め、すべてに玲は目を通していた。
帰れるものなら直ちに帰る――
その気持ちはある。が、方法がわからない。あるのかないのか、それすらわからない。
見つける努力はする。ここは自分たちの居場所ではないのだから。しかしそれは、雲をつかむに等しい。あるかないかを見極めるだけでも、膨大な時間と手間がかかるに違いない。しかも、見つけたところで帰れるとは限らない。
人の技では無理かもしれない。
来たときのことを思えば、そう考えざるをえない。だからといって、諦めるつもりはない。しかし、それにこだわって、固執して、自分たちの未来を塞ぐつもりはない――と、玲はいった。
「わたしは幸せになる。どこにいても、どうあっても、自分の幸せを求める。でもそれは、わたしだけじゃ成り立たない。瑠衣、良子、玲於奈、みんなが幸せでいてくれないと、幸せだと感じてくれないと、わたしも幸せになれない」
そのための努力をする。
「帰り道を探しながら、住むところを都にする」
そう玲が断言した時点で、良子は、
ああ、伴侶を決めなければならないのだ――
と、観念した。
◇ ◇ ◇ ◇
住めば都――ではなく、住むところを都にする。その攻め気あふれる発言が、玲という人間を如実にあらわしていた。決して受身にはならない。強い意志でもって、自分の想いを、定めた目的を実現しようとする。実際、そうしてしまえる人間だった。
目的のための努力を、玲は惜しまない。どれほどの時間と手間がかかろうが、そこに、わずかなりとも希望があれば、小さな芽を見つければ、それを育て実らせてしまう。
『無理無理、絶対無理』と良子が駄目を保証した、文化祭の出し物も、玲はやり遂げた。
綿密な計画と周到な用意、恐るべき求心力と推進力で、玲はクラス全体をまとめ、夢を現実のものにした。その過程を間近で見た良子は、玲のすごさを実感した。
敵わない――
とは、小学二年の出会いのときから感じていたし、わかってもいたが、これほど意志が強く、執拗であるとは思わなかった。執拗ではあるが、そこに暗さはない。玲にあるのは明るさだ。
玲はあらゆることに秀でている。親友の欲目ではない。頭の方はもちろん、容姿も身体能力も飛び抜けている。玲の向こうを張れるのは、瑠衣くらいのものだ。良子も玲於奈も、それぞれ十分恵まれていると思うし、努力もしているが、ふたりの親友には及ばない。中でもすごいのはその気力、活力だ。
玲は、細くしなやかな身体に、陽気のコア――とでもいうべきモノを内包していた。それは、核融合でもしているのかと思うほど、絶えず活発に動いているようで、玲は常に陽の気を発していた。それが、見るものの心を魅了する。
玲は美しい容姿で惹きつけ、笑みで捕らえ、陽気で縛り付けるのだ。
「天性か天成か知らないけど、ひとタラシよね、玲って」
といったのは、玲於奈だ。自身は『男タラシ』と呼ばれている――その友人の言葉に、良子は深く頷いた。
がっちり玲の虜になったクラスメイトたちを見れば、頷かざるをえない。なにせ、自分たちからしてそうなのだ。クラスメイトの彼らより、ずっと深く強く、玲という人間に囚われ縛られている。
でなければ、
『いやあ、みんなのカッコ可愛い姿が見たいから、ってか、見せびらかしたい?』
という、他のだれのためでもない、純粋に自分のためでしかない玲の願望に応えたりはしない。この身勝手さと馬鹿さも、玲の特徴だ。馬鹿だ。賢いのに、どこか馬鹿だ。やることも発想もぶっ飛んでる。それに命はかけないが、結構なものをかける。
それに付き合ってしまう自分たちも相当な馬鹿だと思うが、同じやるなら徹底的にやるし、楽しんでもやる。このあたりの気概も、玲の影響を十二分に受けている。
玲は楽しいことが大好きだ。玲自身、常々そういっているし、傍から良子が見ていても、そうだろうというのはよくわかる。だからといって、玲はそれ以外のことを避けるわけではない。逃げもしない。真正面から向き合う。他者と違うのは、強靭な精神と頭で活路を見つけ、その過程を楽しみさえする、ということだ。
伴侶、決めよっか――
そういった時点で、玲は方針を決め、心を固め、困難と問題が山積するだろうここでの未来に、活路と楽しみを見出していたようだった。
◇ ◇ ◇ ◇
御使い様――
自分たちがそう呼ばれる存在であることは、願ってもない恩恵のひとつだった。不幸中の幸いだ。
それは、帰り道を探しつつ住むところを都にする、という自分たちの野望を現実にするための、これ以上ない強力な武器になる――と玲はいった。
しかし玲は最初、魅力的なその地位を受け入れるかどうか、迷ったという。強力な武器は、諸刃の剣だ。それに、この世界とはなるべく関わらない、関わりは最小限に抑えたい――という思いも先にあった。
できないといわれたが、その気になれば、御使い様という地位を固辞することは可能だ。強い意志でそれを貫くことはできる。関わりを避ける――その一事だけで考えれば、御使い様の地位を固辞することは可能だし有効だ。しかし、
「それはしない」
と玲は断言した。
それによって得られるものは何か? と考えて、即座に捨てた。
欲しいものは何も得られない。拒絶する相手に、だれが協力してくれるのか。そればかりか、御使い様という可能性がある限り、自分たちは常に騒がれ、口説かれ、そうしたつまらないことに時間を費やさなければならなくなる。
固辞することで得られるものは何もない。
だいたい、だれとも関わりを持たずにいるなど、不可能だ。
ならば、御使い様という地位とその力を、積極的に、最大限に利用する。
玲は、自分たちが御使い様であることを――その地位と力を享受する道を選んだ。
そして、決めた。
この世界と、この世界に住む人々と、積極的に関わりを持つ。だが、その相手は、こちらが選ぶ。他者の思惑は介在させない。
適度に隔離された場所を欲し、三日の期限を設けたのはそのためだ。
グレン、キリザ、サルファ――頼るに足る人物は見つかった。しかし、それだけでは十分ではない。伴侶を決めることも必要だった。
御使い様という地位を受け入れ、その名と力を利用する以上、伴侶の選定は避けて通れない。といっても、今すぐに決める必要はない。選定の期限は定められていない。だが玲はそれを、向こう三日の間――グレンたちがやってくる前に、決めておきたい、といった。
「わたしたちは化け物じゃない。そのことは、次にキリザさんたちに会うときに知られてしまう。キリザさんたちに知られても、別にそれは構わないんだけど、他のひとに知られると厄介というか、面倒なことになる。化け物だと思ってた御使い様たちが、実は普通の人間――ううん、普通じゃないわね。とびっきりの美しい娘たちだと知れば、どうなると思う?」
自明の理ってやつでしょ?――と玲は笑った。
それから玲は、なぜ、こうも早々と率先して伴侶を決めるのか、その理由――狙いと利点に加え、そのことから生じるだろう問題を、とっくりと話してくれた。
狙いと利点に関しては、納得した。玲らしい理由付けと狙いがあって、笑いもしたし、感心もした。しかし、問題に関しては、笑えなかった。
「……」
それを聞いた時、良子はしばらく声が出せなかった。瑠衣ですら、目を見張っていた。
「玲は……」
と、いいかけた玲於奈は、そのまま口をつぐんでしまった。玲のなかではどうするか決まっていることがわかったようだった。良子にも、それがわかった。
玲はもう、そのことすら心を決めている――。
玲於奈が笑みながら首を振った。
それから玲は、自分の伴侶となる――伴侶と定めた人物の名を上げた。そして、良子たち三人も次々と、伴侶と思う人物たちの名を、それぞれに上げた。
というのに、伴侶を決めろといった当の玲が、紙つぶてを当てられたような顔をした。
「あのさ……三日のうちに考えて、決めてくれればいいんだけど……」
という玲に、三人はいった。
「は? 何? 時間かければいいってもんじゃないでしょ? ねえ?」
「うん」
「ええ。いくらどう考えでも、結局その人に落ち着くのは目に見えてるんだし。だったら、違うことに時間を使った方が賢いわよね」
「そうそう。長く居座ることになるんだから、生活環境はがっつり整えるわよ。そっちの準備をしないとね。もういやってほど、注文してやるわ」
「良子ちゃん素敵ー! 女前ー!」
「それとも何? 玲はわたしたちが決めた相手に、不満でもあるのかしら?」
「ありません。不満どころか、大満足です。ただね……。みんな、わたしに都合のいいひとを優先して選んでくれたんじゃないかと思って」
「はっ、そんなわけないでしょ。あんたがいうように、自分のために決めたわよ。一生のことになるかもしれないんだから当然でしょ。ね? 瑠衣」
「うん!」
「玲於奈はどうかわかんないけど……あんた、適当に名前いっただけじゃないの?」
「あら、失礼ね。ちゃんと自分のために選んだわよ。わたしのための、タフな人をね……」
「いやー、玲於奈ちゃんがなんか怖いー」
「ほんと。なんか、今からすでに相手が気の毒なんだけど」
「失礼ね」
「でも、みんなバラケててよかったぁ。かぶってたらどうしようかと思ったぁ」
「ふふ、血みどろの争いは避けられたわね」
「えー? 今日の玲於奈ちゃん、やっぱり怖いー」
「玲於奈、あんた、かぶったら戦う気だったの?」
「当然でしょ? 親友といえど、一生事よ」
「ひー」
「容赦ないわね……」
首を振る良子に、合わせるようにして玲が笑った。それは、とても嬉しそうな笑みだった。
その笑顔を失うわけにはいかない。
ここにある明るさを失うわけにはいかない。
どこにいても、どうあっても、自分たちは自分たちだ。
後ろなど振り返る暇はない。
良子は、自分たちの幸せのために、前だけを見て突き進むことに決めた。
◇ ◇ ◇ ◇
昨夜、良子はそう決意した。
逃げない。この現実と向き合う。友人たちとともに、自分たちの幸せのために――
昨夜の想いを、決意を、良子はベッドの中で今一度思い出し、ひとり静かにそれを固くしていたのだが……。
いきなり、無防備だった脇をつつかれた。
「ちょはっ」
不意を付かれた良子は、奇声を上げた。
と同時に、ベッドの中が騒がしくなった。
「ちょ、ちょはって、良子……ぶっ」
とふいたのは玲だ。
「……」
良子の隣では、うつぶせになった瑠衣が、ベッドを揺する勢いで全身を揺らしながら笑い声を殺している。
「おはよう、良子。ひとり反省会は終わった? 反省会じゃなくて、ひとり決起会かしら?」
と、声をかけてきたのは玲於奈で、もちろん、その顔は笑っていた。
「……おはよう。なによ、三人とも起きてたの?」
不機嫌な良子の声に、玲於奈が答える。
「ええ。邪魔しちゃ悪いと思って声をかけなかったんだけど……」
「いやあ、朝からすごい集中力だね、良子。でも、ぷっ」
玲がまたふきだし、瑠衣は笑い袋のように、ただ笑い転げている。
静かだった寝室は、四人の目覚めとともに騒々しい明るさに包まれたのだった。




