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異世界カルテット ~わがままに踊ります~  作者: たらいまわし
第二章 不夜城に集いしものたち
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眠れぬ夜の軍師様

 アリアロスは、眠れぬ夜を過ごしていた。

 体は疲れているのに頭が冴えてしまって、睡魔の訪れる兆しがない。



 早々に眠ることをあきらめたアリアロスは、自室の執務机で御使い様の要望書に目を通していた。


 「ふう」


 ざっと目を通しただけで、ため息が出る。 


 ゼクトの記録から、軍関係のものだけを拾ったのだが、それだけでもずいぶんな量があった。戦争でもはじめるのか――と思うようなものもあれば、なぜ?――と理由を問いたいものまで、様々にある。


 困ったな――


 アリアロスは頭をかいた。

 枯れ草色の髪が揺れる。ぼさぼさの髪は若干その流れを変えたが、乱れ具合は変わらなかった。



 御使い様は思いつくままにいっていた。関連性のあるものも少なからずある。まず、要望内容を整理する、という作業からはじめなければならなかった。それを終えてから、一気にとりかかるつもりだが、どれから手をつけるか、ということも問題だった。


 こちらで勝手に優先順位を決めてしまっていいものか。

 それに、だれに手伝ってもらうかも思案しなければならない。


 資料を集め、まとめ、そして精査する。とてもひとりではできない。助っ人が必要だ。口がかたく、実務能力に優れ、好奇心の薄い人間――そう考えて浮かんだのは、副宰相の副官、ゼクトの顔だった。


 アリアロスは笑ってしまった。

 もとに帰ったな――と思って笑ったが、同時に御使い様の思考にうなった。


 会談の席に、わざわざゼクトを指名した理由がわかった。自分が指名された理由もなんとなくわかっていたが、それはあまり考えたくない。


 選択肢がごく限られているとはいえ、その中であやまたず、御使い様は最良の道と人を選んでいる。そしてその先に関しても、こちらの先の先を獲ろうと考えているようだ。膨大な要望がその証だ。


 すごいな――


 アリアロスは素直にそう思った。脱帽だ。いったいどこまで先を読み、どうしようと考えているのか?


 自分だったらどうしただろう? 自分だったらどうするかな?――


 と思いつつ顔を上げたアリアロスは、そこで思索を打ち切った。

 ふと目にした窓の向こうに、思わぬものを見てしまった。


「あれは……」


 人影だった。

 夜陰に動く人影の、月明かりに照らされたその横顔を見たアリアロスは、室内と窓外に目を往復させた後、短い逡巡を経て腰を上げた。





◇  ◇  ◇  ◇





「あれ、おかしいな。この辺だったと思ったけど……」

「こんなところで探し物ですか? 軍師殿」


 暗がりからかけられた声に、アリアロスは飛び上がった。それはもう、口から心臓が出てしまうんじゃないかというほどに、驚いた。

 ばくばくと鳴る胸を押さえるアリアロスの前にあらわれたのは、暗い髪色の男だった。

 長身の男は、暗がりからあらわれると、穏やかな声と微笑をアリアロスに向けた。


「驚かせてしまいましたか――」


 月明かりの下に立った男の姿を見て、アリアロスは全身の強張りを解いた。黒に見えた髪色は、こげ茶だ。すっきりとした様子に、優しい雰囲気をまとっている。


「ああ、ヤーヴェ君、君か……。寿命が縮んだよ」

「それはすみません。しかし、護衛も連れずにおひとりでいるのを見れば、声をかけないわけにはいきません。ガウはどうされました? 今日の宿直は、彼のはずですが」



 よく見てる上に、細かいことまで知ってるなあ――



 アリアロスは感心した。


 キリザの側近であるヤーヴェは、いまひとりの側近、リグリエータとともに事務方面を担当している。

 一軍でもその仕事量は膨大だ。レナーテ軍の総大将の側近ともなれば、扱う仕事は一軍どころか全軍になる。しかも軍内部のことだけにとどまらず、政務かたとの関わりも持つ。


 考えるだに恐ろしい量と質のはずだ。それを、仕切り捌いているのが、目の前のヤーヴェだ。

 記憶することや考えることが多いだろうに、筆頭軍師とはいえ一個人の微細なことまで把握しているとは、まったく恐れ入る。恐れ入りながら、アリアロスは同時に困っていた。


 アリアロスは、一人歩きが許されていなかった。城外はもちろんのこと、城内の一人歩きも禁じられている。

 剣どころか自分の体すら思うままに動かせないアリアロスを見かねての上の判断で、アリアロスには、ガウバルトとシャルナーゼ、という二名の護衛が付けられていた。


 命を狙われれば、たちどころに失うだろう――


 他人のみならず、自分でもそれがわかっているアリアロスは、いわれるまま、外出の際は必ず護衛を連れていた。そう、いつもは連れているのだが、この夜に限って連れてこなかった。


 舟をこいでいるガウバルトを起こすのは忍びなかったし、なにより、夜陰で見た人物が気がかりだった。


 相手は知った顔だし、すぐそこだから――


 と、アリアロスは安易に出てきてしまった。結果、探す相手は見つからず、逆に、自分がひとりでいるところを見つけられてしまった、という次第だ。


 自分の間の悪さと運の無さを、つくづく思い知る。が、完全に運に見放されたわけではない。

 自分を見つけたのはヤーヴェだ。これがもうひとりの側近――血の気が少なそうに見えて、実は血の気が多いリグリエータでないことに、アリアロスは感謝した。


 リグリエータに見つかれば、


『何やってるんですか!』


 怒声とともに、首根っこをつかまれ引きずられる。筆頭軍師といえど容赦なしだ。そして、人目のない場所まで引っ立てられたところで、理由をいわされる。

 理由が無ければ、無いで叱られ、言ったら言ったで叱られる。悲しいことに、どちらも経験済みだ。


 アリアロスは、やさしい非難の目を向けるヤーヴェに、潔く謝ることにしたのだが……。


「なんです? 軍師殿。逢引あいびきの相手は、ヤーヴェですか」


 ガウバルトの茶化す声に邪魔された。





◇  ◇  ◇  ◇





「女に相手にされないから、狙いを男に変えたんですか?」


 いいながら、男は木立の間からのそりと出てきた。


「何いってるんだい、ガウバルト」


 ガウバルトの怪訝を装ったふざけた声に、アリアロスは真実驚きの声を上げた。


「っていうか君、起きてたのか?」 

「ええ、起きてましたよ。だから、こうしてここにいるんでしょうが」


 ガウバルトはそういって、にやりと笑う。


 口元をゆがめて笑うのが様になる男だった。美男ではないが、男らしい顔つきと陽気な性格が、それをいやらしく見せない。剣の腕は確かだし、仕事も真面目で一緒にいてラクなのだが、いかんせんガウバルトは遠慮のない男だった。主であるアリアロスのことも、平気で笑い、おもちゃにする。


「軍師殿がぶつぶつうるさくて、寝るに寝れませんでしたよ」

「え? それは、すまなかったね」


 このあたりの素直さと弱気が、つけ込まれ、面白がられる原因だ。しかし、わかっていても直せない。つい、口に出してしまうし、表情にも出てしまう。


「おまけに、にやにやしてるかと思えば困った顔して……。何ですか? 百面相の練習ですか?」


 全部見られてたのか?――


 というアリアロスの心の声が、くっきり顔に出ていたのだろう。ガウバルトはくっくっと咽を鳴らすように笑った。


「挙句、そわそわしだすから、俺はてっきり女と逢引するんだと思って、邪魔しないように付いてったんですが……まさか、男だったとはね」

「違う! 誤解だ」

「ガウ、いい加減にしないか」


 ヤーヴェがうんざりした声で、ガウバルトの諧謔をたしなめる。

 ガウバルトが大きな口を開けて笑った。深夜で声が通ることを考えてか、声は控えめだった。無造作に後ろに流しただけのとび色の髪が、声に合わせて揺れる。


「はは、わかってますよ、軍師殿。あんたが甲斐性なしだってことは、よく知ってます」


 さらりとひどい事実をいう。それから、ガウバルトは驚きの発言をした。


「相手は女じゃない。ヤーヴェでもない。ユリアノスですよね」 

「……そうだよ。よくわかったね。ああ、違う、違うよ。逢引じゃない」


 アリアロスがあわてて否定したのは、ヤーヴェの顔を見たからだ。


「それはわかってます、軍師殿。わたしが聞きたいのは別のことです。どうして彼をお探しに?」


 ヤーヴェの顔つきに不安を覚えたアリアロスは、すぐに答えた。


「ああ。ユリアノス君がちょっと……じゃないな、かなり具合が悪そうに見えたんでね。ひとりのようだったし、声をかけたほうがいいと思ったんだ」


 とアリアロスがいい終えると同時に、ヤーヴェがガウバルトをにらみ付けた。


「ガウ、冗談をいってる場合じゃない」

「ああ」

「お前もユリアノスの顔を見たんだろう?」

「ああ、見た。調子が悪そうだったんで、シャルに見に行かせた」

「え? シャルナーゼもいるのかい?」


 と、驚きの声を上げるアリアロスに、ガウバルトが呆れたように笑った。


「今日みたいな日に、いないわけがないでしょう。休みを切り上げて、今晩奴は、外で寝ずの番ですよ。混乱に乗じて何があるかわかりませんからね」

「そうだったのか……ありがとう」

「仕事ですからね。それはいいんですが」


 というと、ガウバルトは真面目くさった顔をした。


「軍師殿にひとつ、いっておきます」

「うん。なんだい?」

「ユリアノスがいたのはここじゃありませんよ。奴がいたのは、向こう――第三軍棟の方ですよ。間逆です」

「え?」

「ま、いまさらですが、軍師殿はひとりで出歩かんでください。特に夜は厳禁ですよ。俺らの仕事が増えますんで」

「いや、ほんと、すまない。気をつけるよ」


 恥ずかしさとすまなさで、アリアロスは身を縮めた。


「軍師殿、お気になさることはありませんよ。軍師殿が方向を間違えてくれたおかげで、こうしてわたしもご一緒できるんですから」


 同じ側近ながら、リグリエータとはなんという違い。ヤーヴェのやさしさにアリアロスは感動した。


「ありがとう、ヤーヴェ君。でも、君も忙しいだろう?」

「いえ、ユリアノスのことが気になりますので、ご一緒させていただきます。顔色が悪かったと、先ほど別のところでも耳にしましたので」

「それは気になるね」

「ええ。聞いたときは、御使い様の件が気がかりなんだろうと、あまり気に留めなかったんですが……」

「体調が悪いのかな?」


 アリアロスは眉根を寄せた。が、ここで思案しても埒があかない。


「考えるより、行った方がいいね」

「はい」

「シャルが捕まえてる頃合だ。医務局に担ぎ込んでるかもしれないが、行くだけ行ってみるか。軍師殿……おぶりましょうか?」


 ガウバルトが広い背中を向ける。

 アリアロスは首を振って強く拒否した。


 今でも『ぼんやり』だの、『箱入り』だの、十分笑われているというのに、いい年の男が、護衛に背負われて移動するなど、どれだけ笑われるかしれない。これ以上、あだ名は増やしたくない。


「わたしだって、走るくらいはできる」

「はは、そうでした。今日は素晴らしい走りを見せつけたんでしたっけね」

「そうですか。それは知りませんでした。エルーシル副将軍から、軍師殿が活躍されたとは聞きましたが」

「誤解だ。活躍なんかしてないよ」

「ご謙遜を。副将軍は、さすがだと感心していらっしゃいましたよ」

「はは、副将軍、こけたの知らないんじゃないか?」


 ガウバルトが笑う。


「いや、ご存知だ。はなはだ残念だとおっしゃってた」

「まじか? ははは」


 と、笑うガウバルトに、


「先に行く」


 いい置いて、アリアロスはひとり駆け出した。





◇  ◇  ◇  ◇ 


 


 

 もちろん、あっという間に追いつかれた。ヤーヴェにいたっては追い抜かれた。


「先に行って、見てきます」


 追い抜く際に、言葉をかけることも忘れない有能なキリザの側近は、見る見る遠ざかっていった。

 アリアロスはガウバルトとともに、ヤーヴェの後を追いかけた。




「この辺でしたかね?」


 肩で息をしているアリアロスに、ガウバルトはいった。彼にはほどよい運動といったところなのか、息は多少乱れているが、荒くはなかった。


「うーん、移動したか……ああ、いましたよ」


 ガウバルトが指す方向に、アリアロスは目を向けた。


「ああ……」

「大丈夫ですか? 軍師殿」


 いまだ息が落ち着かないアリアロスを、ガウバルトが気遣う。


「大丈夫……だと、思う」

「なんですか、それ」


 ガウバルトは笑った。





◇  ◇  ◇  ◇





 そこに、シャルナーゼとヤーヴェの姿はあったが、肝心のユリアノスの姿はなかった。


「ユリアノス君は? 帰ったのか? それだったら――」

「いえ、まだあそこにいます」


 答えたのはヤーヴェだった。


「え? シャルナーゼ、君もいま来たところなのかい?」


 というアリアロスの問いに、シャルナーゼは首を横にした。


「声はかけましたが、放っておいてくれといわれましたので、放ってます」

「……」


 護衛の言葉に、アリアロスは声を失った。

 ガウバルトと違って、シャルナーゼはあまり他人ひとを構うことがない。淡白な性格であることは知っていたが、まさか、それをこういう場面でも発揮するとは思わなかった。


「怪我はないようですから」


 アリアロスの心を読んだのか、シャルナーゼはそういった。

 性格も淡白なら、姿も非常にすっきり整ったシャルナーゼの顔を、アリアロスは見つめた。



 叱ったほうがいいのかな? でも、自分もそういわれれば、放っておくかな?――



 と、アリアロスが思っていると、シャルナーゼが薄い唇を開いた。


「軍師殿が来られるのを待ってました。俺では無理です」


 淡白だが浅慮ではない。

 シャルナーゼは熱のない声で、アリアロスの心に重石を投げ込んだ。 




◇  ◇  ◇  ◇


 


「はあ、どうしたものかな」


 アリアロスは、頼りない声を落とした。




 ガウバルトとシャルナーゼの二人は、


「じゃ、俺たちは周辺を見てきます。護衛ですから」


 面倒事はあんたの仕事だ――といわんばかりに離れていった。それはもう速やかに姿を消した。




 暗がりに残されたアリアロスは、ヤーヴェとともに、ユリアノスの様子をうかがっていた。

 ユリアノスは、木の幹に手をつき、立っていた。まるで、そうでもしないと立っていられない――という風だ。

 ふたりは、その背中を見つめていた。


 真の体調不良なら、いくら淡白なシャルナーゼといえど、そのまま放ってはおかない。有無を言わさず、担ぎ上げてでも医務局に持って行く――彼はそういう男だ。シャルナーゼがそうしなかったのは、それがただの体調不良ではないからだ。


 ユリアノスの姿を見て、アリアロスはそれがわかった。

 ユリアノスは、体躯と容姿に恵まれた健やかな青年だ。おまけに出自もよい。その彼が、人目を避け、ひとり静かに苦しんでいるのは、体の痛みではなく、心の痛みだろう。それも尋常な痛みではないようだ。


 木を支えにしなければ立てないほどの痛み――


「……ソルジェ殿下に、何かあったのかな?」


 それしか考えられなかった。

 ユリアノスをはじめとするソルジェの側近たちが苦しむのは――苦しむような顔を見せるのは、主であるソルジェの身に何かあったときだ。


「放ってはおけないね」 

「はい」


 頷くヤーヴェを従えて、アリアロスはユリアノスに近付いた。



「ユリアノス君、ちょっといいかな?」


 アリアロスの声に、ユリアノスが振り返った。

 その顔を見たアリアロスは息を飲んだ。


 いつもの精悍な顔だ。しかしその目は、見たことのない光を帯びていた。

 ユリアノスの黒の瞳は、手負いの獣が放つような、怒りの色に染まっていた。


「……」


 いくらか予想していたが、これほどの怒りを抱えているとは思わなかった。

 驚きのあまり、言葉を継げないアリアロス――その後ろから、ヤーヴェが落ち着き払った声でいった。


「ユリアノス、選んでくれ。医務局に行くか、ソルジェ殿下のもとに戻るか、アリアロス軍師の部屋に行くか――どれにする?」


  

 

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